気が付いたらそこは異世界
濃い土の匂い。
懐かしい。
昔、ばあちゃんの家に行くといつも嗅いでいた匂いだ。
ばあちゃんが住んでいたのは田舎の山あいにある古い平家。
俺はばあちゃんが大好きだった。
勉強だなんだと口うるさい両親と違い、ばあちゃんは何でも許してくれた。
どんなことも笑って肯定してくれた。
そして、何かある度にばあちゃんはその節くれたち、皺々で、畑の土の何処か古臭く、微かに肥料のような匂いを感じる大きなゴツゴツとした手のひらで俺の顔を全体的に撫でた。
畑をいじった後なんかには特に土と肥料の匂いで臭かったが。俺はばあちゃんのその匂いが大好きだった。
ばあちゃんはひとしきり俺を撫でた後、所々にシミの目立つエプロンのポケットから嬉しい気分になれる物を取り出しては俺に手渡してくれた。
取り出すものはその日それぞれで、いかにもばあちゃん好みの黒蜜飴だったり、当時子供の間で流行っていたシャワシャワする飴菓子や、これも流行りだったミニカーの時もあった。
ある時、俺が両親に遊園地へ連れて行く約束を破られた時があり、ばあちゃんの家に1人で家出した。
思えばあれが初めての家出であり遠出だった。
その時はばあちゃんに泣きながら、いかに両親が酷いのかを延々と言っていた記憶がある。
ひとしきり俺の話を聞いたばあちゃんはいつもの様に笑顔で俺を撫で、ポケットから遊園地の券を取り出して、『そうしたら、儂と行こうかの。』と言い、今日は早く寝んさいと俺を寝床に連れて行った。
あの時なんかはばあちゃんが魔法使いに見えた。
ばあちゃんの何でも入っているポケットと、土の匂いがする皺々の手のひら。
懐かしいなぁ。
もうばあちゃんが亡くなって5年は経つのか。
土の匂いが鼻腔に入り、ばあちゃんの事を思い出す。
あぁ、最後まで俺の味方だったばあちゃん。
大好きだったばあちゃん。
土の匂いと、肥料が混ざりあった湿った匂い。
どこか遠くで鼻腔をくすぐる古い便所の匂い。
ゆっくりと口内を蹂躙するクソの味
うーん、コイツはばあちゃんが飼ってた牛の花子が便秘気味だった時の匂い。
さてはコイツ便秘気味か?
マズいな。
ん?
んん?
んんん?
口の中から、クソの…味?
その瞬間意識が一気に覚醒した。
肺から出切っていた空気を吸おうとするが、上手く吸えない。
目蓋も、粘土で固められてるように開かない。
苦しくてもがくと手足は動く!
どうやら俺は横向きに寝転ぶ姿勢のようだ。
その姿勢のまま。急いでと顔に手を当てようとするが、途中でグニャリとした感触に阻まれた。
だが手に当たるそれは粘土のようにグニャリとしており、少しずつ手で削れる気配があった。
苦しくて、急いでソレを口の周りから取り除き大きく口で息を吸った。
慌てて息を吸ったため、口の中でバラバラになっていたものが気管に入り激しく咳き込む。
また苦しくなるが、しかし鼻が塞がり息が出来ない。
慌てて鼻にへばりつくそれも剥がし取り、ようやく息が整ってきた。
目はまだ開かないが、ゆっくりと左手を支えにしたうつ伏せの体勢となり、全速で波打つ心臓を落ち着かせ、顔全体で息を大きく吸う。
そして、全力で吐き戻した。
「うぐぇぇぇえええ、おぐっ、ぐぅあ、おぇ」
数度、全身全霊をかけた呼吸と嘔吐を繰り返し、ようやく口の中の異物感が少なくなってきた。
酸素不足と混乱で鈍った思考も少しずつクリアになってきて、疑問に思った。
なんで俺はクソ塗れなんだ。
おかしい、よく思い出せ。
俺はコンビニの帰り道だったはず。
そして、そうだ、あの悪夢のような光景を見て、それで…
あれ程奇妙な体験であった帰り道の出来事も、何処か夢を見た日の朝のように既に遠くに感じており、あまり違和感は無かった。
それで…そう、俺は気絶、したのか…?
未だこみ上げてくるものが消えないため、地面と睨めっこをしながら自分の現状を理解しようと努めた。
今、いったい何処に居るんだ…
さっきまでアスファルトに舗装された道を歩いていたのに、いつの間に草が生い茂る土の地面だ。
誘拐、されたのか?
いや、俺を誘拐して何になるってんだ。
ばあちゃん関係も全て追い剥がれる形で精算してるし…
自分で否定しつつも、思考にチラチラと出てくる誘拐の考えが次第に鬱陶しく思えてきた。
鬱陶しくなると、途端に思考放棄したくなる。近年、自分でも感じてはいる悪い癖が顔を出してきた。
それじゃダメだと物理的に頭を振ることで思考を切り替えて辺りを見渡した。