姫殿下は先生に教わりたい ~最強賢者は教え子に敗北しました~
「ノエルさん、ノエルさんってば!」
繰り返し呼ぶ声にハッと我に返る。周囲から冒険者達の喧噪が聞こえる。ここは冒険者ギルドのカウンターで、ちょうど達成した依頼の報告をしていたところだ。
カウンターの向こう側では、このギルドでも人気の受付嬢がふくれっ面になっていた。
「……どうした?」
「どうしたじゃありません。手続きが終わりましたよ?」
「あぁ……悪い。少しぼーっとしていたようだ」
「無理もありません。Aランクのワイバーンを単独討伐ですからね。貴方はこの国で唯一賢者の称号を与えられた冒険者なんですから、決して無理はしないでくださいね?」
「ああ、分かってるって」
「本当ですか? 貴方になにかあったら……その、悲しむ人がいるんですからね?」
「ははっ、そんなヤツはいないけど気を付けるよ」
受付嬢の気遣いに礼を言って踵を返す。
背後から「もうっ、分かってないじゃないですかっ」と批難の声が聞こえてくるが、応じるとお小言が長くなりそうなので、聞こえないフリをして冒険者ギルドを後にする。
ちょうど夕暮れの帰宅時間と重なったようで、王都の通りはせわしなく行き交う人達で賑わっていた。そんな人々の間を縫って街にある家へと帰還する。
16歳で実家を飛び出してから数年、俺はこの街で冒険者として暮らしている。
実家の影響で幼少期から戦う術を身に着けていたこともあり、俺はすぐに冒険者として頭角を現すことが出来て、こうして家を持つことが出来た。
「まあ同居人はいないんだけどな」
冒険者はわりと過酷で、そもそも家にはあまり帰らない。だが、今回はレッサードラゴンを単独で討伐した。報酬を独り占めなのでしばらくはのんびり出来るだろう。
……ってあれ? あの受付嬢、ワイバーンの単独討伐とか言ってなかったか? 俺が倒したのはレッサードラゴンだぞ? もしかして、間違えられてないか?
……いや、Aランクのとも言ってたはずだ。
ワイバーンはCランクだから、やっぱりレッサードラゴンの言い間違いだろう。確認すれば分かることだし、もし振り込まれる報酬が間違っていたら問い合わせよう。
そんなことを考えながら帰宅した俺は家の鍵を開けて――息を呑んだ。
部屋に誰かいる。
気配を隠そうとしているので、何者かが忍び込んでいるようだ。
俺が帰還したことに気付いたからか、侵入者は気配を押し殺して扉の側面へと移動した。どうやら、俺が部屋に入った瞬間に襲うつもりのようだ。
室内でも使いやすい短剣の柄に手を掛け、侵入者に気づかないフリをして部屋へと踏み込む。刹那、侵入者が動こうとした瞬間、その首筋に短剣を突きつけた。
「――って、師匠!?」
その人影の正体はエルフの女性。恩師であることに気付いて慌てて短剣を引く。
「……師匠、冗談は止めてください」
「冗談が過ぎたわね。でも……また一段と腕を上げたようで嬉しいわ。あたしではもう、ノエルに敵わないかもしれないわね」
「それこそご冗談を」
身分を隠しているが、師匠はかつての英雄の生き残りである。その実力は折り紙付きというか、エルフという長寿な寿命を持つ種族であるがゆえに当時よりも強くなっている。
ハッキリ言って、俺の敵う相手ではない。
「あら、別に冗談のつもりはないわよ?」
「見え透いたお世辞は結構ですよ。それより、人の家に忍び込んでどういうつもりですか?」
「ちょっとノエルを脅かしてみようかな、と」
師匠が悪戯っぽく笑うので、俺は思わず溜め息を吐いた。それから買い込んだ荷物を置きつつ、師匠には椅子に座るように勧め、二人分のお茶を入れてテーブルに並べた。
「……まったく、師匠は変わりませんね」
「エルフだからねぇ。貴方がおじいちゃんになってもあたしは美少女のままよ」
「自分で美少女とか言いますか、子持ちのくせに」
「あら、子供どころか孫もいるわよ」
孫という言葉に息を呑み、テーブルの下で拳を握り締めた。
「……ごめんね、余計なことを言ったわ」
「いえ、俺の方こそすみません」
彼女の孫――フィアリスの件は、俺にとっても忘れられない出来事だ。彼女のことを忘れたことはないが、こうして話題に出すと悲しみが甦る。
そんな重苦しい雰囲気を切り裂くように、師匠が口を開く。
「あたしがここに来た理由だけど、あなたに誕生日プレゼントをもって来たのよ」
「……俺に誕生日プレゼント、ですか?」
たしかに俺はもうすぐ誕生日だが、師匠から誕生日プレゼントをもらったことなんていままでなかった。急にそんなことを言い出すなんて、なにやら胡散臭く感じてしまう。
「一体、なにを企んでいるんですか?」
「企むなんて酷いわね。あたしの誕生日プレゼントを受け取れないって言うの?」
師匠には返しきれない恩と借りがある。
そんな師匠になら、厄介事を押しつけられたとしても断れない。ましてや誕生日プレゼントともなれば断れるはずがない。たとえ、嫌な予感がしたとしても。
「くれるというなら受け取りますが……なにをくれるんですか?」
「隣国のフレイムフィールドで家庭教師をやりなさい」
「……いや、意味わかんないです」
家庭教師のどこがプレゼントなのか分からないし、しかもやりなさいって強制だ。せめてツッコミどころは一度に一ヵ所までにして欲しい。
「貴方、ずっとソロで無茶な依頼をこなしてるそうね? 生き急ぎたくなる気持ちは分からなくないけど、このままじゃ死ぬわよ?」
「だから、家庭教師でもしてのんびり暮らせ、と? そんなのはお断りです」
「……ノエル」
師匠は強制するでなく、けれど引き下がるでもなく、静かに俺を見つめた。俺はこの目が苦手だ。フィアリスと同じで、俺のことを心配しているって言うのが分かるから。
だから、俺はなにを言うべきか視線を彷徨わせ……ほどなく溜め息をついた。
「分かりました、引き受けます。引き受ければ良いんでしょう」
「そう、助かるわ。実は借りのある相手の娘でね。優秀な冒険者を紹介して欲しいと頼まれて、どうしようか考えていたんだけど、貴方なら安心ね」
「……まぁ、なんでも良いですけどね」
結局のところ、彼女の本意がどこにあるかは考えても無駄である。
きっと俺を心配したのも本当で、だからこその誕生日プレゼントで、その友人の頼みを聞いてあげたかったというのも本当だろう。師匠はそういう人間なのだ。
「それで、家庭教師ってなにを教えれば良いんですか?」
「それが……冒険者を家庭教師にしたいと言うだけで、具体的な内容は教えてもらえなかったのよね。来年からこっちの学園に留学する予定だから、その関係の授業も求められるかもしれないけど……貴方なら問題ないでしょ?」
「まぁ、そうですね」
16歳になって家を飛び出すまでは様々な教育を受けていた。この王都にある学園で学ぶような知識なら、いまでも大体は覚えている。
「……って、王都の学園に通うような子供? 俺が教える相手はどこの誰なんですか?」
「フレイムフィールドよ」
「いえ、フレイムフィールドの、どこの誰なのかを聞いてるんですが……」
「だ か ら、フレイムフィールドよ。正確にはフレイムフィールド国王の末娘ね」
「王族じゃねぇかっ!」
思わずテーブルに手をついて立ち上がった。
権力者と関わるのは俺にとってタブーに近いからだ。
だが、それについては師匠も同じである。それを思いだした俺は怒りを抑えて座り直した。
「……権力者と関わって、フィアリスがどうなったか忘れたんですか?」
「大丈夫よ。ノエルが懸念してるような相手じゃないわ」
「どうしてそんなことが言い切れるんですか?」
「依頼主を良く知っているからよ。姫殿下も真面目で良い子って話よ」
師匠の話はおおむね事実だが、ときどき当てにならないことがあるんだよな。この話が、そのときどきに当てはまらないことを期待したいところだが……
「もし問題があれば辞めれば良いじゃない。その場合の責任くらいは取ってあげるわよ」
「……分かりました。一度引き受けるって言いましたからね」
こうして、俺は隣にある小国のお姫様の家庭教師を引き受けることとなった。
後から考えれば――つまりは教え子となる姫殿下がオトナになりたいなどと言い出すことを知ってたら全力で断ったんだが、このときの俺は知らなかったのでしょうがない。
まぁ……真面目で良い子って部分は事実だったんだけどさ。
魔導飛行船から降り立つと、そこはもう王都アイリスである。馬車を使えば一ヶ月近く掛かる距離を、魔導飛行船はたった三日である。
定期便は月に一度とはいえ、便利な世の中になったものだ。
それにしても……暑いな。
フレイムフィールドと冠するだけあって暑いと聞いていたが、ここまで暑いと思っていなかった。まだ春だというのに、リムリア国の夏くらい暑く感じる。
もう少し薄着をしておくべきだったか? いや、魔導飛行船に乗ったときは寒いくらいだったし、薄着だと魔導飛行船で凍えていただろう。
……仕方ない、耐熱の魔術を使っておこう。
これでよし、と。
後はフレイムフィールドのお城に向かうだけだが……あれか。大通りの向こうに城としては小さめの、けれど立派なお城が建っている。
幸いにしてそれほど遠くなかったので徒歩でお城に向かった。
門の前では、門番の兵士へ師匠に渡された紹介状を見せる。
月に一度の定期便ですぐに来たため、先触れはなかったはずなんだが、俺は待たされることもなく入城を許可され、ほどなく応接間へと通された。
「キミがノエルくんだな。私がこの国の王、アランド・フレイムフィールドだ。このたびは私の願いを聞き届け、遠路遥々よく来てくれた」
俺を出迎えたのは、温厚そうな見た目の男だった。だが温厚そうに見えても国王であることに変わりはないので、俺はすぐに跪いて最敬礼を取る。
「いやいや、そう堅苦しくする必要はないぞ。国王とはいえ、大国のリムリア国でいえば伯爵くらいの権力しかないからな。楽にして、まずは掛けてくれたまえ」
「……分かりました。ではお言葉に甘えます」
アランド陛下の言葉に二重の意味で驚きつつも従う。それにいまの俺は、礼儀とは無縁の冒険者だから、丁寧語くらいがちょうど良い。
「さっそくだが本題に入ろう。フィーナ様の紹介状を持っているということは、キミが娘の家庭教師を引き受けてくれる、と言うことで良いんだな?」
「はい、そのつもりで話を聞きに来ました。師匠たっての頼みだったので」
いまの言葉には、師匠の頼みだから引き受けただけで、本当は権力者と関わりたくなかったというニュアンスをわずかに込めた。俺を取り込もうとする相手への牽制のつもりだったんだが、アランド陛下は気にしたような素振りは見せなかった。
……ふむ。師匠の言うように、本当に家庭教師を探していただけなのかもしれないな。もちろんまだ断定は出来ないが、少なくとも付き合うのが面倒な相手ではなさそうだ。
「家庭教師を引き受けるに当たって、いくつか聞いて構いませんか?」
「むろん、なんなりと聞いてくれ」
「ではお言葉に甘えて……なぜ冒険者を家庭教師に?」
むろん、上流階級の娘が剣術や魔術を学ぶことは珍しくない。だが、冒険者は基本的に実践向けというか、あまり行儀の良い戦い方ではない。
こういうのは普通、騎士や宮廷魔術師を雇うものだろう。
「それについては、私も良く分からんのだ。末娘のシャルロッテが突然ワガママを言い始めてな。理由を訊いても教えてくれなくて困り果てていたのだよ」
シャルロッテという娘が俺の教え子になる相手のようだ。
彼女は素直で聞き分けの良い娘だったが、ある日を境に冒険者を家庭教師としてつけて欲しいとねだるようになったらしい。
「実力もあり、信用も出来る冒険者となるとそうは見つからぬ。そう言って説得したのだが、どうしても必要だと譲らなくてな」
「……冒険者に憧れた、と言ったところでしょうか」
貴族の子供が物語の英雄に憧れることは……まぁたまにある。
だが、実際の冒険者は物語と違って泥臭い職業だ。貴族階級でなくとも反対するのが普通なのだが、俺を家庭教師に雇うというのは、そう言うことなのだろうか?
「剣術と魔術を教えれば良い訳ではない、と?」
「うむ。末娘のシャルはいままで剣を握ったこともなく、魔術については既に才能がないと言われている。ゆえに、そなたに頼むのは……」
「……現実を教えろと言うことですか」
これもまぁ珍しくない。冒険者に憧れる子供に冒険者の現実を教えて諦めさせる。そういった依頼は、過去に何度か聞いたことがある。
「娘は将来、政略結婚で何処かに嫁ぐことになるだろう。だが、可能な限り娘の要望は聞くつもりだし、それまでは自由にさせたいと思っているのだ」
「……なるほど」
貴族にとって政略結婚は当たり前で、ましてや一国の姫様ともなれば自由など存在しないのが普通。王族や貴族基準で考えると、アランド陛下は娘想いの部類に含まれるだろう。
この時点で、アランド陛下にある程度の好感を抱く。
「よって、諦めさせるのは確定だとしても、出来る限りは娘の要望に応えてやって欲しい。むろん無理なモノは無理で構わぬし、それに応じた報酬も支払うつもりだ」
「わかりました、そういうことであればお引き受けしましょう」
喜んでと言うつもりはないが、師匠の頼みを考慮すれば受けるに値する。そう判断して、アランド陛下の依頼を引き受ける。
「そう言えば、期間はいつまででしょう?」
「娘が納得するまで、もしくは留学するまでだ」
「最長で一年弱ですか……分かりました」
依頼の内容に問題がないことを確認して、それから報酬などについての話を進める。幸いにして冒険者として成功した俺はとくにお金に困ってはいない。
アランド陛下の提示した金額にも不満はなかったので、すぐに話は纏まった。
「これでそなたはシャルの家庭教師だ。ただ一つだけ言っておく。娘の要望には可能な限り答えて欲しいと言ったが、娘をたぶらかせて泣かすような真似は決して許さぬ」
「そんな不埒な真似はしませんよ」
「あぁ……娘が同意のもとであれば構わぬぞ。むろん、その場合は責任を取ってもらうがな」
「だから、不埒な真似はしないって言ってるでしょうが」
思わず言葉遣いがぞんざいになってしまった。さすがに少し不味いとは思ったが、こればっかりはハッキリさせておく必要がある。
「さきほどはスルーしましたが……俺の過去を知っていますね?」
「うむ。フィーナ様から冒険者の心当たりとしてキミの名前を聞いたとき、同時に経歴についても聞かせてもらった。優秀な冒険者であり、もともとは――」
「その先は結構です。ここにいるのは冒険者のノエルですから」
それは捨てた過去だから、触れてくれるなと含みを持たせた。アランド陛下は俺の意図を汲み取ってくれたようで心得たと頷く。
「ではあらためて冒険者のノエルに依頼するとしよう。娘をよろしく頼む」
「引き受けました」
「うむ。では、さっそくシャルを紹介しよう」
アランド陛下がハンドベルを鳴らすと、ほどなく応接間の扉が開いた。そうして姿を現した娘を前に息を呑む。その少女は、亡くなったはずの師匠の孫娘だった。
プラチナブロンドの髪に縁取られた小顔には、深く吸い込まれそうな青い瞳。鼻筋は通っており、口は小さくも愛らしい。なにより、髪の下からわずかに尖った耳が顔を出している。
人間とエルフのミックスである彼女は師匠の孫娘だ。
「なん、で……」
「あぁ、やはり驚くか。娘はフィーナ様に良く似ているだろう?」
「……え? あぁ……そう、ですね」
アランド陛下に指摘されて気付く。
師匠とその孫娘であるフィアリスはわりと似ている。フィアリスを知らない人間であれば、フィーナと似ていると感じるだろう。
フィアリスを知っている俺にとって、彼女はフィアリスそのものだが――
「シャルの母は、フィーナ様の娘なのだ」
「なるほど……」
つまりはフィアリスの再従姉妹、驚くほどに似ているのも説明がつく。
と言うか師匠のやつ、なにが借りのある相手の娘だ。自分の娘に頼まれただけじゃないか。
さては、俺がこの事実を知ったら断ると思って隠してたな? 実際、事前にこの事実を知っていたら、断っていたとは思うから、判断は正しいともいえるが……
「初めまして、ノエル先生。シャルロッテ・フレイムフィールドです。先生には色々と教えてもらいたいことがあるんです、よろしくお願いしますね!」
目が合うと、彼女は愛らしく微笑んだ。当然のように俺のことを知らないようだ。
よく考えればフィアリスのはずはないな。それに、よく見れば目の色が違うし、フィアリスよりも少し幼いような気がする……って、来年学園に留学するなら当然か。
「初めまして、シャルロッテ殿下。俺はノエルと言います。粗忽な冒険者なので礼儀をわきまえぬ発言もあると思いますが、どうかご容赦ください」
相手が一国の姫であることを考えれば粗野な言い回し。
シャルロッテ殿下が不機嫌になる覚悟の上だったのだが、彼女は笑顔で「もちろんです。先生が教え子に気を使う必要なんてないですよ」と人懐っこい笑みを浮かべた。
そればかりか――
「ノエル先生、いきましょう。私がお屋敷を案内します!」
そう言って俺の腕を取り、ぐいぐいと引っ張ってくる。
この子、一国のお姫様とは思えないくらい人懐っこいようだ。だが、異性の腕を胸に抱き寄せるのは無防備が過ぎるのではないだろうか?
「ちょっと待ってください。俺はまだアランド陛下とのお話が終わっていませんので」
さり気なく腕を抜こうとするがシャルロッテ殿下は放してくれない。あぁ、アランド陛下の三角になった目が怖い。俺がたぶらかしてる訳じゃないんですけどね?
「お父様、良いでしょ?」
シャルロッテ殿下は俺から離れるどころか、甘えるような上目遣いをアランド陛下に向けた。アランド陛下の顔がデレッとなる。
……あ、これ、ダメなヤツだ。
「し、仕方ないな。ノエルくん、娘の相手をしてやってくれ」
「……かしこまりました」
アランド陛下が許可を出すならどうでも良いやと素直にしたがった。そうして部屋を出たあとも彼女に腕を引かれた俺は、そのまま屋敷を案内される。
「あの扉の向こうが食堂で、こっちの廊下の向こうには使用人向けの部屋があります。でもってあっちが中庭。社交シーズンになるとパーティーを開催したりするんですよっ」
シャルロッテ殿下は俺の腕を抱えたまま、あちこちを案内してくれる。
こうして見ると、性格はフィアリスとあまり似ていない。彼女はこんなに人懐っこくなかったし、少し人見知りな女の子だったからな。
だが、明るく見えるシャルロッテ殿下も、冒険者を求めるような何か事情を抱えている。こうして話している分には、特に悩みがあるようには見えないが……はてさて。
「先生、なにか聞きたいことはありますか?」
「いいえ、必要な場所は十分に案内してもらいましたよ」
「私のことでも良いですよ? ちなみに、私の部屋は、あの窓がある部屋です」
中庭の向こうにある窓を指さし、上目遣いで俺を見る。その悪戯っぽい瞳の奥に、こちらを試すような意図が見え隠れしている。
……この娘、人懐っこいだけの女の子ではないのかもしれない。
「そうですね……では、せっかくですから質問させてもらいましょうか。随分と可愛らしい服装ですが、この国の流行なんですか?」
「ふえっ!?」
シャルロッテ殿下は可愛らしい声を零した。おそらく俺に質問を許したことで、彼女の目的について踏み込んでくると予想していたのだろう。
あるいは、俺が父親の回し者的な立場であることまで疑ったのかもしれない。
「先生は、私の服装を見てもおかしいって思わないんですか?」
「リムリア国ではあまり見ない服装ですね。ですが、この国は暖かいようですし、その服を着る貴方はとても可愛らしいと思いますよ」
ちなみにシャルロッテ殿下が身に着けているのは刺繍入りのブラウスに、レースを重ねたフィッシュテールスカート。前後で丈が違い、前面はガーターベルトが見えるほどに短い。
自国の貴族なら顔をしかめそうなデザインだが、街の住人なら珍しくないし、異国であることを考えれば不思議でもなんでもない。
「か、かわ……ぃい……」
「どうかしましたか?」
「い、いえ、なんでもありませんっ! ただ、前に他の国の貴族がこの恰好を見たときは、はしたないって顔をしかめられたので、ちょっと驚きました」
「まぁ国によって違いますからね。それに俺は冒険者ですから」
その言葉に、シャルロッテ殿下はピクリとその身を震わせた。
「ノエル先生は本当に冒険者なんですか?」
「貴方のお父様が寄越した、偽物の冒険者だとでも思いましたか?」
「……ちょっとだけ。聞いていた冒険者と違って、すごく口調が丁寧だったから」
「なるほど。その辺りも俺が選ばれた理由の一つみたいですよ。あと、これは俺も知らなかったんですが、貴方のお母様は俺の恩師の娘です」
「母を知っているんですか!?」
驚くシャルロッテ殿下に対して首を横に振る。
「師匠に子供や孫がいることは知っていましたが、貴方達のことは初耳です」
「そう、ですか……」
あら、目に見えてしょんぼりとしてしまった。なにかあったのかと問い掛けると、彼女の母親はずっと以前に他界しているという話を聞かされた。
だから、もし俺が母親のことを知っていたら、話を聞いてみたかったそうだ。
「貴方のお母様には会ったことはありませんが、リムリア国には師匠やその娘がいます。留学したら一度話を聞いてみたらいかがですか?」
「そうですね、そうします!」
クルクルと表情が変わって可愛らしい。
ともあれ、元気を取り戻してくれたようで良かった。そんな風に思っていると、彼女は唇の端に指を押し当てて小首をかしげる。
「ところで……私がどうして冒険者を家庭教師に求めたのか聞かないんですか?」
「答えてもらえるのならぜひ。このままだと、なにを教えれば良いのかも分かりませんから」
「そう……ですね。剣術や魔術は教えてもらいたいです」
「それだけですか?」
「いいえ、魔物との戦い方も知りたいですし、街での暮らしも教えて欲しいです」
シャルロッテ殿下はあれこれ思い出すような素振りをしながら、俺に習いたいことを並べ立てていく。その内容はどう考えても、平民として暮らすことを意識しているように思える。
やはり冒険者の暮らしに憧れているようだ。
そう思ったのだが――
「それに出来れば、自分を陥れようとする相手を返り討ちにする方法も教えて欲しいですし、自分に振るえる権力を使って、他の権力者に対抗する術も教えて欲しいです」
続けられた言葉は、どう考えても冒険者の生活から外れている。
「ちょ、ちょっと待ってください。なぜそのようなことを俺に聞くのですか?」
「もちろん、冒険者と貴族では住む世界が違うことは分かっています。ですが、わたくしの事情を鑑みるに、柔軟な考えを持つ冒険者を頼るのが一番だと思ったんです」
ますますもって意味が分からない。
だが、世の中に無意味なことは存在しない。無意味に思えることは、自分に理解できないだけのこと。少なくとも、シャルロッテ殿下にとってはなんらかの意味があるはずだ。
「シャルロッテ殿下、俺になにを求めているんですか?」
「それは……ひ み つ です」
唇に人差し指を押し当てて、いたずらっ子のように微笑んだ。信用されていないのだろうかと考えると、俺の内心を見透かしたかのように彼女は首を横に振った。
そして、ちらりと周囲に視線を走らせる。
俺達はまるで二人っきりのように話しているが、彼女の使用人は影のように付き従っている。その使用人にすら聞かせたくない話、ということのようだ。
俺が異性であることを考えれば、二人っきりという瞬間はまず存在しないだろう。だが、どうにかして、彼女の目的を聞いた方が良い気がする。
どうしたものかと考えを巡らしていると、彼女が一瞬だけ俺の耳元に唇を寄せた。
「今夜、誰にも知らせずに私の部屋に来てください」
「魔術の行使には、三つの工程が存在します。大気中に存在する魔力素子を取り込んで魔力へと変換し、次に魔法陣を組み上げ、そこへ魔力を流し込むことで魔術は発動します」
お城の案内をしてもらった後。
さっそくシャルロッテ殿下に請われ、中庭の片隅で魔術の講義を始める。俺の話を聞いている彼女は一生懸命で、さきほど俺に囁いたことなど忘れてしまったかのようだ。
だが、あのやりとりは間違いなく現実だし、彼女が忘れているはずもない。おそらくシャルロッテ殿下は、その辺りの切りかえが上手なのだろう。
いまは真面目に授業をするべきだと、俺も意識を切り替える。
「流し込む魔力の大きさや純度、それに魔法陣の種類は精巧さで効果や威力が変わります。ここまでで、なにか質問はありますか?」
「先生はさきほど三つの工程と言いましたが、詠唱は工程に入らないんですか?」
「良いところに気付きましたね。たしかに一般的な魔術の行使には詠唱が伴いますが、魔法陣を描くイメージを補強しているだけで、必須という訳ではないんです」
たとえば長剣と口にすれば、長剣を見慣れている人はすぐにその形を脳裏に思い浮かべるだろう。それと同じように決まった魔法陣を思い浮かべるための詠唱なのだ。
魔法陣を描くことが出来るのなら、詠唱自体は必須ではない。
「必須ではない? 詠唱がなくても魔術を行使できるんですか?」
「ええ、少しやってみましょう。あの花壇を見ていてください」
庭先にある花壇へと視線を向け、説明に向きそうな詠唱を即席で構築する。
「数多の水の粒よ――降れ」
虚空に発生した小さな小さな水の粒が、雨のように花壇へと降り注ぐ。
乾いていた土が十分に潤うのを見届け、魔力の供給を止めた。一瞬で新しい雨粒が生まれることはなくなり、空に小さな虹が浮かぶ。
「わぁ~、凄く綺麗ですっ」
「少し出来すぎでしたね」
虹が浮かぶのまでは計算に入れてなかった。
俺は苦笑いをしながら、今度は魔法陣だけを浮かべていく。
「さっきのは、数多という詠唱で効果を複製する魔法陣を思い浮かべ、水の粒という部分では小さな水を生み出す魔法陣。そして降れという言葉で方向を指定せずに魔法陣を繋ぎました」
俺の周囲に、さきほどと同じように三つの魔法陣が浮かびあがる。これを用途に応じて繋ぎ合わせ、魔力を供給すると魔術が発動するのだ。
「ようするに詠唱は絵描き歌のようなものですね。慣れれば詠唱を短縮することも可能ですし、そもそも詠唱がなくても発動します。だから――」
三つの魔法陣を消して、今度はそれらを一つに詰めた魔法陣を描き上げた。
「ふわぁ、複雑な魔法陣を描くのって中級クラスですよね? なのに、それを無詠唱で描いちゃうなんて、さすが先生ですっ」
「驚くのは早いですよ」
俺は笑って、追加で水に癒やしの力を含ませる魔法陣と、自分を中心にドーナツ状に広域化する魔法陣を構築して繋げ、そこに魔力を注ぎ込んだ。
自分達が立っている場所を除いて、中庭全域に癒やしの雨が降り注ぐ。
「す……凄い。凄いです先生! いまの、癒やしの雨ですよね! 自分達を避けるように広域化させるなんて、見たことも聞いたこともありません!」
「まぁそうでしょうね」
思わず苦笑いを浮かべた。
癒やしの雨を降らせるのに、中心にいる自分達を対象から外す理由がない。従来の魔術なら、自分達を中心に雨が降ることになる。
「先生は、どうしてこんな魔術を知っているんですか?」
「知っているというか、たったいま作ったんです」
「つ、作った……ですか?」
「ええ、シャルロッテ殿下を雨に濡らす訳にはいきませんからね」
シャルロッテ殿下ばかりか、控えていたメイド達からも驚きの声が上がる。「癒やしの雨って、まさかロストマジック……」なんて声も聞こえるがそれはいくらなんでも大げさだ。
自分達を避けるために少し複雑にしたが、それでもせいぜいが中の上くらいだろう。
それよりも、俺はシャルロッテ殿下の発言にこそ驚いた。
アランド陛下の言葉を信じれば、シャルロッテ殿下に魔術の才能はない。なのに、さきほどの魔術を見た彼女は、それが癒やしの雨だと当たり前のように見破った。
彼女はなぜ、あの魔術が癒やしの雨だと気付いたのだろう?
やはり、彼女にはなにか秘密がありそうだ。
そんなことを考えながら、俺は最初の講義を終えた。
その日の夜。
夕食を終えて部屋に戻った俺は、人目を避けて部屋から抜け出した。警備が厳重な城の内部と言うこともあり、俺の部屋周辺自体はそこまで警備が厳重ではない。
だが、さすがにシャルロッテ殿下の部屋に繋がる廊下には見張りの兵士が立っていた。
彼らの目を魔術で誤魔化すことは不可能ではないが――と、一度戻って中庭へと回った。
シャルロッテ殿下にあちこち案内されたときに、彼女の部屋の窓を教えてもらった。夜なら普通は閉まっているはずだが――と、魔術で飛び上がってバルコニーに潜入する。
すると予想通り、部屋へと続く扉の鍵が開いていた。
念のためにと、小さく扉をノックする。
ほどなく扉が少しだけ開き、顔を覗かせたシャルロッテ殿下が入ってくださいと囁く。俺はそれに従い、シャルロッテ殿下の寝室へと足を踏み込んだ。
魔導具の明かりに照らされた部屋は、お姫様らしいシックな家具で揃えられている。そんな部屋の真ん中に、薄手のナイトウェアに身を包んだシャルロッテ殿下が立っていた。
彼女は短いスカートを引っ張って、少しだけモジモジしている。
恥ずかしいなら、そんな恰好をしなければ良いのに――とは思わない。
お姫様である彼女は、着替え一つ取っても一人ですることは許されない。人払いをするには、寝ると偽ってナイトウェアに着替えるしかなかったんだろう。
つまり、彼女にとってはそこまでして隠したい相談事、ということだ。
「ここまでして冒険者である俺になにを求めるのか、話してくれますね?」
「……それは、その……笑わないで聞いてくださいますか?」
「笑うつもりなら、危険を冒して部屋に来たりはしませんよ」
お姫様の寝室に忍び込むなんて、バレたら大変なことになる。もちろん、いざというときの保険は用意しているが、それなりのリスクも自覚している。
それは俺が、シャルロッテ殿下が本当に困っていると思ったからだ。
「さぁ、聞かせてください」
「わ、分かりました……っ」
シャルロッテ殿下は意を決したように距離を詰め、俺の服に縋り付いてくる。
「実は……その、わ、私、オトナになりたいんです!」
「……はえ?」
聞き間違いかと耳に残る言葉を反芻するが、たしかにオトナになりたいと聞こえた。それにシャルロッテ殿下の頬は朱に染まっており、俺を見上げる瞳はどこか潤んでいる。
ま、まさか、冒険者に憧れるってそっちの意味!?
いや、落ち着け。さすがにそれはないはずだ。
そもそも、師匠の頼みだから受けたけど、権力者と深く関わるつもりはない。ましてや相手は師匠の孫娘だ。俺が深入りする訳にはいかない。
俺は咳払いをして気持ちを落ち着かせ「それはどういう意味でしょう?」と問い返した。
「私、このままだとオトナになる前に破滅しちゃうんです!」
「ん、んん? ええっと……どういう意味でしょう?」
「だから、このままだと私は、オトナになる前に破滅しちゃうんです。でもでも、そんな風に死んじゃうなんて悲しいじゃないですか! 先生だって悲しいって思うでしょ?」
「ええ、まぁ……思います、が……」
死ぬのが悲しい。それは分かるのだが、彼女がなにを言っているのかさっぱり分からない。
「ええっと、破滅すると言いましたが、この国が借金まみれとか、そういう話でしょうか?」
「違いますっ。大国のように裕福ではないけれど、借金とかはありません」
「まぁ……そうですよね」
大国であるリムリアとも魔導飛行船の定期便で繋がっている。大国に狙われるほど豊かな国ではなく、けれど貧困に喘ぐほどに貧乏でもない。
ほどよい小国として繁栄しているはずだ。
だとしたら……
「言っておきますが、父が悪事に手を染めているとかでもありませんよ」
「なら、貴方が誰かに狙われているとか?」
「王族としてはそれなりに敵もいますが、私が助けて欲しいのはそのことじゃありません」
「では、破滅とはなんのことですか?」
このままでは埒があかないと結論を求める。
彼女は少し視線を彷徨わせたあと、意を決したように口を開いた。
「私は将来、処刑される運命なのです」――と。
「殺されるとはまた、穏やかではありませんね。なにか理由があるのですか?」
予想外の告白に動揺しつつも、表面上は冷静に問い返した。それに対してシャルロッテ殿下は苦々しい顔で「リムリア国の伯爵令嬢を暴漢に襲わせたことが原因です」と答えた。
「……お、襲わせたのですか?」
ゴクリと生唾を飲み込む。その音が彼女の部屋に響く錯覚すら覚えた。
もしそれが事実なら、一国の姫様とはいえただではすまない。国際問題に発展する重罪で、隣国との力関係を考えれば処刑されたっておかしくはない。
話を知っていて隠蔽すれば、俺にすら罪が及びかねない。
だが――
「そんな恐ろしいことするはずないじゃないですか!」
「えぇ? つまり、冤罪だと?」
「それも違います。いまはまだ襲ってないですが、未来の私は伯爵令嬢を暴漢に襲わせようとして、その罪で処刑されてしまうのです!」
「…………………………」
なに言ってんだこいつと思考が停止してしまった。
「どうして黙るんですか、なにか言ってくださいっ!」
「いや……その、罪を犯さなければ良いのでは?」
「それが出来れば苦労しません!」
そうかなぁ……どう考えても正論なんだが。
意味が分からないと言いたくなるが、それは思考の放棄だ。どんな行動にだって、本人にとっては必ず意味がある。それを他人が納得できるかどうかはともかく。
これだけ必死になると言うことは、なんらかの理由がある……のかなぁ?
「罪を犯してまで復讐したいほど、相手が憎い……とかでしょうか?」
「そう、ですね。愛する婚約者を奪われた嫉妬です」
ドロドロだった。と言うか、婚約者を奪われた腹いせに相手を暴漢に襲わせるって、なかなかに過激な性格のようだ。純情そうな見た目からは想像できない。
……いや、大人しい子ほど怒ると恐いっていうしなぁ。
「事情は分かりましたが、要するに婚約者が不貞を働いていると言うことですよね。正規のルートから抗議すればいかがですか?」
「残念ですが、それは無理です」
「なぜでしょう?」
婚約者がいるのに不貞を働いているのなら賠償問題に出来る。それに婚約者がいる殿方にちょっかいを掛けている令嬢だって醜聞として大きな打撃となるはずだ。
「まだ浮気をされていないからです。と言うか、婚約以前に出会ってすらいません」
「…………………………」
「だから、そこで黙らないでくださいよっ!」
「そうは言われましても……」
さすがに意味が分からない。
将来婚約することが内定している、と言うことだろうか? 婚約予定の相手に恋人がいて嫉妬するというのなら……まぁ理解できなくはない。
それが浮気かどうかは微妙だし、ましてやそれが理由で相手を暴漢に襲わせるのは……
「ちゃんと事情を説明するからそんな目で見ないでくださいよぅ~」
シャルロッテ殿下が涙目で訴えてくる。……ちょっと可愛い。もう少し困らせたい気になってくるが、さすがに意味が分からないのは気持ち悪いので事情を聞くとしよう。
「……長い、長い夢を見たのです」
「夢、ですか?」
「ええ、とてもとてもリアルな夢です。その夢を見たのはおよそ半年ほど前で、夢の中の私は破滅するまでの数年を過ごしました」
シャルロッテ殿下が言うには、夢の中の彼女はそれが現実だと思っていたらしい。
日々を過ごすなかで学園に留学して、伯爵家の跡取りと恋に落ち、親の勧めで婚約に至ったものの、相手が浮気をして、それを知ったシャルロッテ殿下は嫉妬に狂って破滅したそうだ。
「……なるほど、分かりました」
「え、本当に分かってくださったんですか!?」
「はい。俺の幼馴染みが優秀な治癒魔術師なので連絡を取りましょう。彼女なら体の傷だけでなく、心の病にも対応してくれるはずです」
「心が病んでいる訳ではありません!」
どう考えても深刻に病んでると思うぞ――とは、さすがに自重して言わなかった。まあ顔には出してしまったので、あまり意味はなかったようだが。
だいたい、予知夢なんて……いや、アイリスがいつかそんなことを言ってたな。彼女は聖女と呼ばれるほどの治癒魔術師だから不思議じゃなかったが……
「お願いですから信じてください!」
「と言われましても。事実だとしても、悪事を働かなければ済む話ではないですか? それ以前、浮気をされると分かっているのだから好きにならないのでは?」
「かもしれません……けど、回避できない気がするんです」
「なぜでしょう?」
「だって、ダメだと分かっているからと人を好きにならないですむのなら、この世界に禁断の愛なんて言葉は生まれないと思いませんか?」
「それは……たしかに」
使用人が主の妻と不貞を働いて殺されるなんて話は珍しくもない。ダメだと分かっているからと恋に落ちないですむなら、そんな話は存在しないだろう。
「と言うことは、相手がそれだけ魅力的と言うことでしょうか?」
「……うぅん、そうなんでしょうか?」
「いや、貴方の好みの話でしょう?」
「そうなんですけど……」
シャルロッテ殿下いわく、いまの自分はそこまで魅力的に感じていないらしい。ただ恋に落ちる切っ掛けが強烈で、その状況になったらどうなるか分からないと危惧しているらしい。
「私、どうやら惚れっぽくて、しかも一度惚れたら一途……と言えば聞こえは良いんですが、融通が利かないというか、周りが見えなくなると言うか……」
「はぁ……なるほど」
だからこそ、浮気をされて嫉妬に狂ったってことだな。
「では、浮気されないように対策を立てるというのはどうですか?」
「……それは、無理です。相手は聖女と噂されるくらいの治癒魔術師で、しかも胸はおっきいし、むちゃくちゃ可愛いんです。私じゃ勝てるはずがありません」
「シャルロッテ殿下も十分に可愛いと思いますが……」
と言うか、聖女? もしかしてアイリスのことだったりは……いや、あいつは顔はともかく、性格はあれだし、胸も大きくないから別人だな。
治癒魔術が得意な女性が周囲から聖女と呼ばれることはたまにあるので、将来そういう女性が現れるんだろう。
だが、そもそも彼女の話は本当のことなんだろうか? あれもダメ、これもダメと否定的な意見が続いていて、本当に解決するつもりがあるのか疑わしい。
「単刀直入に聞きますが、俺にどうして欲しいんですか?」
「……正直に言えば、なにか打開策が欲しいです。でもそれが無理なら、家を出て冒険者でもなんでも良いので、独り立ちできるように協力して欲しいです」
「それはつまり、冒険者になりたいがゆえの方便では?」
最初から疑っていたことを言葉にする。
魔術に予知の類いは存在しないが、神々の天啓を始めとした奇跡は存在する。めったにあることではなくとも、それがシャルロッテ殿下にあったとしても不思議ではない。
だが、彼女が冒険者に憧れ、冒険者になるために嘘を吐いている可能性の方が高い。
「疑わしいことを言っている自覚はあります。だから、提案があります」
「提案……ですか?」
「私がこれから自分の未来を当てて見せます。そうしたら……信じてくれます、よね?」
シャルロッテ殿下の家庭教師となって数日経ったある日。
路地裏に潜んでいる俺は、洋服店から出てきたシャルロッテ殿下とメイドが、店先に止めていた馬車に乗り込むのを見届けていた。
――あの日、破滅する未来を夢で見たと言ったシャルロッテ殿下はこう言った。
三日後、自分を乗せた馬車が野盗に襲撃され、身代金目当てに攫われてしまうけど、無事に助け出されるのでそれを見届けて欲しい、と。
とはいえ、自分で雇った者達に襲撃させれば無事に帰れるのは当然だ。だから俺は、これが茶番である可能性を疑っている。
だが、そうじゃない可能性もある。
それを見届けるために、俺はこうして路地裏から彼女の馬車を見張っている。
すると、なぜか一度乗り込んだメイドが下りて店に戻ってしまった。どうかしたのだろうかと考えていると、馬車はそのまま動き出してしまう。
不審に思いながらも、俺は魔術で屋根の上に飛び上がる。そうして周囲からは見られないように気を付けつつ、屋根の上を伝って馬車を追い掛けた。
人通りが少ない道に入ったあたりで、路地から子供が飛び出してきた。それに驚いた御者が慌てて馬車を止める。
だがそれは、シャルロッテ殿下を攫おうとした者の計画だったのだろう。停まった馬車に数名の男達が群がり、一人は御者を無力化。
残りの者達が馬車に乗り込んだ。
――ちらりと見た限り、御者が傷付けられた様子はなかった。おそらくは魔術で眠らされたのだろう。すぐに目が覚めることはないが、放っておいても命に別状はないだろう。
続いて、馬車から大きな布袋が運び出された。
俺の位置からはちらりと見えたが、シャルロッテ殿下が布袋の中に詰められている。動かないところを見ると、御者同様に意識を奪われたようだ。
あっという間の出来事で、周囲に行き交う者達はシャルロッテ殿下が攫われたことに気付いていない。それどころか、馬車が襲撃されたことにすら気付いていない。
ただのごろつきとは思えない手際の良さだ。
誰かに雇われたプロであることは間違いなさそうだが……だが、その雇い主がシャルロッテ殿下自身というのは……どうだろう?
もし自演だとしたら、自分を布袋に入れて運ばせるだろうか?
分からないが、彼女の言うようにいまのところ誰も怪我はしていない。もうしばらく様子を見ようと屋根の上を伝い、彼女を連れ去る男達の後を追跡する。
ほどなく、彼らは街外れにある廃墟のような建物へと入っていった。
俺は周囲の屋根を移動しつつ、窓からシャルロッテ殿下が運び込まれた部屋を特定。身体強化の魔術で視力を強化し、屋上からシャルロッテ殿下の様子を観察する。
部屋にいるのは誘拐犯の男が三人と、シャルロッテ殿下。
布袋から出されたシャルロッテ殿下はまだ意識がないようだ。無抵抗なまま両手をヒモで結ばれ、安っぽいベッドに拘束されてしまった。
その不穏な光景に嫌な予感がよぎる。
……落ち着け。シャルロッテ殿下の言うとおりに身代金目当てなら彼女が殺されることはないし、そもそもシャルロッテ殿下の自作自演である可能性が高い。
だから大丈夫だと自分に言い聞かせる。
それからほどなく、シャルロッテ殿下が目を覚ました。ひとまず、パニックになるようなことはなく、落ち着いているようだ。
自作自演か予知夢かはともかく、自分が攫われることを知っていたのだからこれは当然だ。
そんなことを考えていると、シャルロッテ殿下が男に向かってなにかを話し始めた。声は聞こえないが、唇の動きを読んだ限りでは誘拐の目的を聞いているようだ。
彼女自身が身代金目当てだと言っていたはずだが……予定調和と言うことだろうか?
ほどなく、同じ部屋にいた男達の一人が手紙を持って部屋を出た。その者はそのまま建物から出て、何処かへと歩み去っていく。
流れ的に、身代金を要求する脅迫状を送るメッセンジャーかと思ったが、歩いて行く方向に城はない。どこか別の場所へと向かっているのなら、雇い主への報告……か?
気になるが……シャルロッテ殿下の言葉が真実だった場合、俺が余計な動きをすることで未来が変わる可能性がある。それに、なんとなくここを離れない方が良い気がする。
そんな予感に後押しされて、俺は引き続き窓から中の様子を見守る。
シャルロッテ殿下は無事に帰れると言っていたが、この状況からどうやって助かるんだろうか? 御者が目を覚ませばシャルロッテ殿下が攫われたことは発覚するが、あの手際の良さから考えて目撃者を探すだけでも一苦労なはずだ。
……いや、仮にも一国のお姫様なのだから、こういったケースでの対策の一つや二つはあるはずだ。そう考えれば、既に救出部隊が向かっているかも知れない。
どうなるのか、成り行きを見守っていると、中で動きがあった。残された男二人がなにか口論を始める。それからほどなく、片方の男が吐き捨てるように部屋を出て行った。
嫌な予感がする――と、そんな予感ほど当たるようで、残された男がベッドの上に寝かされているシャルロッテ殿下ににじり寄った。
ベッドに拘束されている彼女がその身をよじる。
……おいおい、どうなってるんだ?
無事に帰れるんじゃなかったのか? ここから、さっきの男が戻ってくるのか? それとも救出隊が間に合う? いや……いまのところ、近くにそれらしい気配はない。
まさか、命に別状はないがその身は陵辱される、なんて馬鹿なことは言わないだろうな?
いや、ない。さすがにそれはない。考えられるのはシャルロッテ殿下の自作自演で、危なげに見えても実際には杞憂で終わるパターン。
もしくは、さっきの男が戻ってくるかの――どれでもなかった。
シャルロッテ殿下の上に乗った男が、彼女のドレスに手を掛けて引き裂いた――刹那、俺は身体強化を最大まで引き上げ、放たれた矢のごとくに窓を割って部屋に飛び込んだ。
「なんだ、おまえは――っ」
「そいつに、汚い手で触れるなっ!」
強化した拳で男をぶん殴る。
不意を突かれた男は壁に叩き付けられ、そのままピクリとも動かなくなった。更に念には念を入れ、男を拘束してしまう。
「ノ、ノエル先生?」
「いま助けるので、少しだけ我慢してくださいね」
腰から引き抜いた短剣でまずはベッドと彼女を繋ぐ縄を断ち切る。そうして彼女の身を引き起こして、両手を縛り上げる部分も切り裂いた。
そうして自由になったシャルロッテ殿下の肩に、脱いだ上着を掛ける。
「それを使ってください」
「あ、ありがとうございます」
引き裂かれたドレスから胸元が少しだけはだけている。それに気付いた彼女は頬を染めて上着を掻き合わせた。もう少し早く助けるべきだったと、俺は唇を噛んだ。
「それにしても……どういうことですか? 無事に帰れるんじゃなかったんですか?」
「それが……私にもどういうことか分からなくて……」
夢では襲われることもなく助けられたらしい。それなのにあんなことになって、理由が分からなくて困惑しているようだ。
「一つ気になったんですが、メイドを別行動させたのも夢の通りですか?」
「いえ、あれは違います。事情を知らないメイドに怖い思いをさせたくなかったので、わがままを言うフリをして、店に戻るように仕向けました」
「……ふむ」
なんとなく想像がついた。
夢ではメイドがいたから、シャルロッテ殿下は無事だったのだろう。
同時に、夢で見た未来は変えられるという証明でもある。……って、いつの間にか、彼女の予知夢を肯定しつつあるな。まぁ、いまのところ疑う理由はないんだが。
「おい、さっきの音はなんだ?」
「ノエル先生、後ろですっ!」
バンと扉が開いて男が飛び込んできた。
「気を付けてください、ノエル先生! その男は凄い手練れの冒険者で、騎士達が数人がかりで捕らえるのがやっとなんです!」
「ほう? 俺のことを知ってるのか? 察しの通り俺は冒険者でな。身体強化の魔術ならAランクまで使える。おまえが何者か知らないが、降伏した方が身のためだぜ?」
Aランクの身体強化を使える冒険者だと? 勝てないことはないが、シャルロッテ殿下を守りながらだと少し厄介だな。
早めにけりをつけるかと、俺は自分の背後に魔法陣を隠して展開する。
無詠唱なだけだと魔法陣が丸見えだが、こうやって背後で描くことで正面の敵に不意を突くことが可能なのだ。
ただ、速攻を掛けるつもりなのは相手も同じようで、詠唱と同時に魔法陣を展開する。それは、三つの記述を組み込んだ魔法陣が一つ――ってどう見ても中級じゃないか。
「遅いっ」
男の魔法陣が完成するのを待たずして懐に飛び込み、その腹に拳を叩き込んだ。男はなにが起きたのか理解できなかったようで、驚きの表情でくずおれた。
意識が飛んでいることを確認して、さきほどの男同様に拘束する。
それから念のためにと建物内の気配を探るが、他に敵はいないようだ。何処かへいった男がそのうち帰ってくるかも知れないが、それにはもう少し時間が掛かるだろう。
「さあ、もう大丈夫ですよ。よく頑張りましたね」
シャルロッテ殿下の頭に手のひらを乗せて優しく撫でつける。
「ふぇっ!? あ、あのあの、ノエル先生?」
「あっと、これは失礼しました」
フィアリスに似ていても、彼女は一国のお姫様だ。さすがに頭を撫でるのは不味かったと手を引っ込める。すると彼女はなぜか物足りなそうな顔をした。
「シャルロッテ殿下?」
「あ、いえ……その、もっと撫でて欲しいなんて思ってませんよ?」
撫でて欲しいらしい。だがそれは、不安から来る言葉のようだ。よく見れば、彼女の身体が小さく震えているのが分かる。
だから俺は少し失礼しますと断って、シャルロッテ殿下の小さな頭を抱き寄せた。
「ふわぁ……ノエル先生が、私をぎゅ……ぎゅーって、して……はわわ」
「大丈夫ですよ。シャルロッテ殿下は俺が護るから」
「はう、ズルイです! この状況でそのセリフは卑怯です!」
なにを言っているのやら。もしかして恐怖で混乱しているのだろうか? 大丈夫ですよと、あやすようにシャルロッテ殿下の頭を優しく撫でつける。
やはり、なんだかんだと言って怖かったのだろう。俺が撫でるにつれて、彼女の強張っていた身体がほぐれていく。そうして彼女の震えが止まるのを待って身体を離した。
「……もうおしまい、ですか?」
「もう十分でしょう?」
さっきまでの震えはすっかり止まっている。ただ、少し頬が赤くなっているので、もしかしたら恐怖で熱でも出たのかも知れない。
やはり、早く屋敷に連れ帰った方が良さそうだ。
「皆も心配しています。早く屋敷に戻りましょう」
「じゃ、じゃあ……屋敷に戻ったら、また私の頭を撫で撫でしてくれますか?」
「……いまはそんなことを言ってる場合じゃないと思いませんか?」
「ダメです、約束してくれるまでここを動きません!」
「仕方ありませんね。ただし、帰っただけじゃダメです。なにかを頑張ったら、そのときはご褒美に頭を撫でてあげましょう」
「約束ですからね!」
シャルロッテ殿下はそう言って立ち上がり、頑張って屋敷に帰ると言いだした。
……いや、さすがに屋敷に頑張って帰っても、褒める対象にはならないと思うぞ――と、そんな風に思っていると、シャルロッテ殿下の表情がいきなり曇った。
「今度はどうしました?」
「えっと……その、夢が現実になるって証明できなかったな、って」
「あぁ……」
たしかに、無事に帰れるという彼女の予言は外れた。
だが、これが彼女の自作自演である可能性は低い。少なくとも、襲われるという彼女の予言は当たったと判断するべきだろう。
だから――
「まぁ……少しくらいは力になれるかも知れませんよ」
「……え? せん、せぃ……?」
不思議そうに俺を見上げる彼女は、本当になにを言われたか分かっていないようだ。
俺は権力者が嫌いだ。権力者を全て一括りにするつもりはないが、出来れば関わり合いになりたくないとは思っているが、師匠には返しきれないほどの恩と借りがある。
それに、シャルロッテ殿下のことは特に嫌う理由はないように思える。
だから――
「俺の役目はシャルロッテ殿下の求めに応えること、ですから。将来破滅しないように協力して欲しいと願うなら、それに応える――ということです」
「じゃ、じゃあ……私を護ってくれるんですか?」
「――ああ、俺が護ってやる」
シャルロッテ殿下はきゅっと俺が掛けた上着を握り締め、まっすぐに俺を見つめた。それから恋する乙女のような顔で――いや、この状況でそんな顔をする理由は分からないんだが。
まるで恋する乙女のような顔で「良いことを思いつきました!」と微笑んだ。
「良いこと、ですか?」
「はい。惚れっぽくて、一度惚れたら融通の利かない私が、学園で一目惚れをして、嫉妬に身を任せて破滅しなくて済む、とてもとても素敵な方法です」
あれだけ一目惚れを回避できないとか言っていたのに、どういう心境の変化だろうか? まるで見当がつかないが、相当な自信がありそうだ。
「良く分かりませんが、それは良かったですね」
「はいっ! ……ただ、それにはノエル先生の協力が不可欠なんですけど……えっと、その、こ……ぃを、私に、お……教えて、くれます……か?」
上目遣いで、不安と期待が入り交じったような顔で問い掛けてくる。よく聞こえなかったが、協力するくらいはやぶさかではない。
「俺に出来ることなら協力しますよ」
「……本当、ですか? あとから、やっぱりダメ、とか言いませんか?」
「ええ、本当です」
「じゃあじゃあ、まずは私のことをシャルって呼んでください」
「シャル殿下、ですか?」
「違います、シャル、です」
「それは……」
さすがに不味いのではないだろうかと思うが、彼女はシャルと呼んでくださいと詰め寄ってくる。上着を握っていた手が離れて、引き裂かれたドレスから可愛らしい下着が覗いている。
俺は思わず視線を逸らした。
「わ、分かりました。では……シャル」
「やったぁっ! ありがとう、ノエル先生!」
いきなり抱きついてきた。普通なら余裕で抱き留めるところだが、視線を逸らして仰け反っていた俺は受け止めきれない。
足をベッドサイドに取られてしまう。倒れ込みながらシャルを庇うが、そのままベッドに押し倒すように倒れてしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
「いたた……だ、大丈夫……で、す……」
俺に組み敷かれていることに気付いたシャルが目を見開いた。そのまま甲高い悲鳴が上がることも覚悟したのだが、彼女は恥ずかしそうに目を細めて視線を彷徨わせた。
「わ、私、授業で習ったことはあるけど、その……実際のけ、経験はないから、もう少し段階を踏んでくれると嬉しいかな……って」
「な、習った? 経験?」
なにを? いや、ほんと落ち着け。違う、色々とおかしい。俺はシャルが破滅する未来を回避させて、大人になれるように協力するだけ。
こんな展開は想定外だ。
「べ、別に先生が嫌だって訳じゃないですよ? 私のこと信じてくれたし、強くて優しいし、その……格好いいですし……どっちかって言うと」
「いや、だから、なにを取り乱しているか知りませんが、少し落ち着いてください」
「わ、私はその、もう少し段階を積んだ方が良いって思うんだけど……その、たしかに私が破滅しないでオトナになるためには、それもあり、かな……って」
……あぁ。ここでオトナになってしまえば、未来の婚約者に惚れることもなく、嫉妬で破滅することもないから無事に大人になれるってことね。
――下ネタかっ!
「シャル、落ち着いてください。いまのはただの事故ですから」
俺は彼女の鼻頭をぎゅっと摘まんだ。
さすがに驚いたようで、シャルはふえっと可愛らしい声を上げて我に返る。
「冷静になりましたか?」
「あ……ぁう。その……すみませんでした!」
今度は真っ赤になって涙目になる。
「いえ、俺の方こそすみません」
事故とはいえ、一国のお姫様を押し倒したのだ。それこそ責任問題になってもおかしくはない。シャルが謝ってくれているあいだにさっさと退こう。
そう思った刹那――
「姫様、ご無事ですか――ふえぇっ!?」
空いたままの扉から飛び込んできたのは、店先で置き去りにされたはずのメイドだった。彼女は俺に押し倒される、顔が真っ赤で涙目なシャルの姿を目の当たりにして硬直する。
……詰んだ、人生詰んだ気がする。
あぁもう、どうしてこうなったっ!