シーン8:陽光の下を急ぎ行く者たち
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「――諸君、よく聞け。どうやら我々の仕事がなくなったらしい」
唐突に告げられた一声には、驚きを意味するざわめきが続いた。
次いで、色濃い疑念と困惑を示すような、ガチャガチャと喧しい鉄の合奏。
分厚い装甲同士が、それを纏う者たちの身動ぎによって擦れ合い、生じた音だ。
ここは首都“ゲルプ”近郊。南側ほんの数百メートルほどの距離に、三重に分けて市街を取り囲む分厚い防壁とその中心部から突き出すように聳え立つ褐色の王城のシルエットが、まだぼんやりと目視で確認できる地点である。
天頂から外れ徐々に西の空へと向かいつつある太陽の下、豊かな草原の上にずらりと立ち並ぶのは、重装仕様の戦闘鎧に身を固めた物々しい一団だ。
溢れんばかりの闘志が漲る、威風堂々とした立ち姿。纏う鎧の彩りは、目にも眩い白磁の一色。磨き上げられた鋼には、わずかな瑕疵さえ存在しない。
四足形態の走鋼馬に跨る彼らは全員が無骨な機銃槍を携え、空へ向けて高々と掲げられた旗印には“槍と盾を構えた褐色鷲”が描かれている。
彼らこそはまさしく、勇猛にして義心溢れる民草の守護者、精鋭〈ゲルプ騎士団〉の一個小隊である。戦乱と混沌の時代が過ぎ去った現在においても、その士気と練度は極めて高い水準のまま保たれていた。
首都北部における〈骸機獣〉の出現事案は、ここ十数年ほぼ皆無と言っていい。
故に首都王城政府が件の報告を即座に「異常事態」と判断したのは、五年前に起きた首都西方“フェーデル市”での虐殺を考慮に含み、無理からぬことであった。
そして〈ゲルプ騎士団〉の団員たちは、その判断を「正しい」と受け取った。
彼らは〈骸機獣〉出現の一報を受け取った瞬間にはもう諸々の準備を始めており、出撃命令が下るや否や、引き絞られた矢の如くに勇んで飛び出したのだ。
そうして、目的地へと早馬を走らせる中途。どういうわけか、彼らを率いる小隊長が、全隊への停止を突如として命じたのである。
現場であるオープスト村までは、まだかなりの距離がある。一刻も早く駆け付けなければ、罪もない人々の命が数多く失われるのは明らかだ。
にも関わらずの停止命令。不本意な足止めを喰らった団員たちは焦れに焦れた。
が、そこは鉄の規律を課せられし兵たちの宿命、命令遵守は絶対である。
団員たちは理由を問うことも赦されぬまま、小隊長が通信機を相手にやり取りを終えるまで巌めいて不動を保ち、ただじっと待ち続けた。
……その結果が、本文冒頭に記した発言である。
「小隊長殿? それはいったい、どういうことなのです?」
口々に疑問を表明する団員たちの表情は皆一様に険しいものだった。
何故ならば、前提として「兵士の仕事がなくなる状況」とはつまり、敵がすべて討ち果たされるか、守るべき対象が失われるかの二通りしかないからだ。
そしてこの時すでに、団員たちは「後者だ」と半ば確信していた。
報告によると〈骸機獣〉の襲撃に居合わせたのは女性四人連れの旅行士らしい。あらゆる生命体にとって極めて有害な瘴気を撒き散らし、そうでなくとも全身が凶器に近い怪物どもを相手に、正規の軍事訓練も受けていない者がたったそれだけの人数で太刀打ちするなど、まずもって不可能な話だ。
ならば、保って数分。悪ければ数十秒足らずで彼女たちは殺されただろう。
そうなれば次に〈骸機獣〉の牙が向くのは、間違いなくオープスト村だ。
平和な農村がまともな戦力を持たないことは自明である。逃げるにしろ抵抗するにしろ、限界が訪れるのは恐ろしく早いはずだ。
導かれる自然な結末はただひとつ、一方的かつ徹底的な虐殺だ。
団員たちは最悪の想像を脳裏に過らせ、兜の下に憤怒の形相を表した。胃の腑を焦がすような不甲斐なさは、彼らの全身に怒りへと変じて満ちていく。
シュタルク最強の盾を自認しておきながら、守るべき民へとその手が届かなかったとは、なんたる不始末だろうか! 状況や距離は問題ではない。〈ゲルプ騎士団〉とは「救いを求める者を必ず守護する」存在でなくてはならないというのに!
団員たちの間に伝播していく激憤は、やがて研ぎ澄まされた刃の如き戦意となって収束し、各々の瞳に宿った。
かくなる上は〈骸機獣〉共の血と骸で以てその贖いを果たすしかない。
凄絶な決意を固めた団員たちが見つめる先、通信を終えた小隊長は一度ゆっくりと全隊を見回し、おもむろに口を開いた。
「諸君、これより命令を伝える」
対する団員たちの反応は即座。
団員全員が一斉に身動ぎと会話を収め、口元を固く引き結んだ。
三十人以上が集まる中で、戦闘鎧が立てる物音はもちろん、各々の呼吸音さえも掻き消えた。もはや彼らの足元で鳴る葉擦れの方が大きいほどだ。
感情と行動を完全に切り離す術を身に付けた兵士たちの習性、或いは本能と言い換えても良い。沈黙を作った団員たちの視線が小隊長の口元へと突き刺さり、発せられるべき言葉を待った。
すなわち「進軍し敵を撃滅せよ」という、ただそれだけの命令を。
「……その前にまず、諸君らの憂慮を取り除こう」
が、小隊長は溜息交じりに、団員たちの予想とはほど遠い言葉を吐き出した。
「〈骸機獣〉による被害者は、ひとりもいない」
「……は? 隊長殿、今、なんと……?」
一瞬、なにを言われたのか理解できなかったのだろう。団員たちは揃って口をぽかんと開け、一様に唖然とした表情を浮かべた。対し、小隊長はやれやれとばかりに首を振りながら、はっきりと事実を告げる。
「誰も死んでいない、と言ったんだ。〈骸機獣〉は旅行士たちによって滞りなく撃退され、オープスト村にも被害はいっさい出ていない。仕事がなくなったとは、つまりそういうことだ」
直後に「ああ」とも「おお」ともつかない、なんとも気の抜けた声が一団から発せられた。
再び鉄の合奏が巻き起こる。明らかに動揺した雰囲気が、団員たちの態度に表れていた。如何なる場合も立ち振る舞いに「緊」の一文字を貫くはずの〈ゲルプ騎士団〉が、安堵というよりはどこか脱力したようになる。
しかし、それも当然であろう。彼らは突然に駆り出され、意思と気を張り詰めながら目的地を目指し、土壇場になって梯子を外されたかたちとなったのだから。
義務感と誇りを胸に宿し、額に汗して日々の鍛錬を熟す騎士たちの落胆は、果たして如何ほどのものだろうか?
やがて数秒が経ち、団員たちの動揺が収まった時。ふと団員のひとりが兜を揺らしながら、苦笑交じりに呟いた。ただ一言「大したものだ」と。呆れも失望もいっさい含まずに、だ。
言葉を放った団員は、むしろ愉快そうな口ぶりで続けた。
「よもや独力で〈骸機獣〉を撃退するほどの力量をもった者が、それも在野の旅行士として存在するとはな……」
応じ、周囲の全員が頷いた。するともう一人が手を挙げ、小隊長へと訊ねる。
「隊長、その旅行士たちは何者なのでしょうか?」
「そこまでは分からない、流石に人相まで判別できなかったようだしな」
「成程、観測手の目がもっと良かったなら、分かっていたかも知れませんな」
「件の旅行士たちの実力も、な。そうであれば心配もなかったものを」
小隊長の冗談めいた言葉にどっと笑いが起きた。
さきほどまで彼らの中に漲っていた戦意は、完全に霧散している。
取り越し苦労を取らされた団員たちには、どうやら怒りの様子はない。どちらかといえば喜んでいる風すらもある。
「なんにせよ、被害が出なかったのならばそれに越したことはない」
何故ならばそれが、この場にいる者たちの、嘘偽りない共通認識であったのだ。
弛緩した空気が満ちる中で団員たちは口々に雑談を始めた。話題は報告を送ってきたという中年曹長への軽い皮肉と、彼の今後に関する幾許かの同情。〈骸機獣〉を撃退したという旅行士たちへの興味に関する諸々だ。
「なあ、まるで〈黎明の翼〉を思い出すじゃあないか。あの一党も確か、メンバーの大半は二十歳そこそこじゃなかったっけか?」
「ああ、それにかの〈明星の剣〉の正体も若い女性だったと聞く。それでいてかなりの戦闘巧者で、まさに英雄と呼ぶに相応しい力量であったとか」
「それは本当だ、なにせ俺は実際に彼女を見たことがある。その仇名と同じ色の髪をしていてな、中々の別嬪さんだったぞ。剣の腕前も凄まじいものがあったが、術理も巧みでな……」
特に引き合いに出されたのは、かつて〈災厄の禍年〉を終息させた一党とその頭目を務めた女性のことだ。
世界中に広く英雄譚として活躍が語り継がれる〈黎明の翼〉は、当然シュタルク共和国での人気も高い。一党に〈浮雲銃士〉と称される元銃士隊の男性が属していたという事実も、親しみを増す要因の一つだろう。
なにより、実際に轡を並べて戦った経験のある古参団員にしてみれば、かの一党は同胞と呼ぶに相応しい存在でもあるのだ。
「諸君、静粛に。無駄話を許可した憶えはないぞ」
と、そこでようやく小隊長に窘められ、団員たちは口を閉ざす。それでも彼らの口元はやや緩んでいたが、それについての咎めはない。
実はこの小隊長氏も、かつて〈黎明の翼〉たちの勇姿を間近で目の当たりにし、その活躍に胸躍らせた者のひとりであったのだ。世界を覆い尽くした絶望を、片っ端から打ち払っていった彼女たちの戦いぶりは、童心めいた憧れにも似て小隊長の心に今もなお焼き付いていた。
……とは言え「それはそれ、これはこれ」だ。
あくまでも現在は任務の最中。騎士ともあろう者たちが、何時までも無為な時間を過ごすわけにはいかない。小隊長は「傾注」と一声叫んで団員たちの注目を集めると、彼らに首都への帰還命令を下した。
倒すべき相手が存在しない以上、武器は在るべき場所へと収められるのが道理だ。そもそも〈ゲルプ騎士団〉本来の職務は首都防衛なのだから、首都の防御を手薄にしてしまえば本末転倒である。どんな形であれ目的が達成された以上、早急に首都へと帰還するのは当然の判断だった。
ただしもちろん、事案に対しての対処を放棄するわけでもない。小隊長はさらにこうも言った。
「私は予定通り、これからオープスト村へと向かう。直接的な問題が片付いたとしても事後の調査は必要だ。村人たちや、例の旅行士たちにも話を聴かねばならないし、〈骸機獣〉が突然出現した原因も気にかかる」
小隊長は一応念を入れ、団員を三名指名し己の随伴員とした。それ以外の者たちは一糸乱れぬ動きで隊列を反転させ、来た道を辿り去って行く。その際に団員の一人が肩を竦め、小隊長へと苦笑交じりに告げた。
「では、我々は一足お先に首都へと帰還します。ああ、そうだ。我々を駆り出した慌て者の曹長になにか言付けがあるなら、代わりに預かりますが……」
「いや、それには及ばない」
小隊長は首を振った。
「彼は〈骸機獣〉の脅威を知る者として正しい判断をしただけなのだから、そこに文句を付けるのは筋違いというものだし、処分など以ての外だ。間違っても、シュタルク軍人の鏡と呼ぶべきヨーゼフ・カント曹長に恨み言など言わないように」
そのフォローをもし件の中年曹長が聞いたならば、気恥ずかしくて堪らなかっただろう。むず痒くなった全身を掻きながら、あらん限りの皮肉を次々に垂れ流すに違いない。
ともかくそんなやり取りを挟みつつ一同は別れた。見送りを終えた小隊長は、出発時に比べ随分と身軽になった小隊へと激を飛ばす。
「では諸君、状況は少し変わったが我々の仕事を果たそう。全隊、進め!」
四人の騎士は再びオープスト村への往路を進み始めた。首都を飛び出してきた時とは異なり、余裕のあるゆっくりとした行軍である。なにせ今の彼らにとっては、もはや急ぐ旅路ではないのだから。
そこでふと、小隊長のすぐ後ろに着いた団員が「そう言えば」と、前置きしてから訊ねた。
「我々とは別に連絡がいった〈巡回騎士隊〉の方はどうなっているのでしょう」
至極当然の疑問に、小隊長は肩を竦めて応じた。
「それについてはどうやら、我々より現場に近かった隊が、すでに先行しているらしい。もしかすると、我々が着く頃には仕事が済んでいるかもしれないな」
「なるほど。まあ、連中の足は速いし、我々ほどではないにしろ腕も立つ。とはいえ、お世辞にも柄が良いとは言えない奴も多いからな。オープスト村の皆さんを怖がらせたりしなければ良いんですがね」
団員が飛ばした冗談に、他の二人は声を上げて笑った。一方で小隊長は笑わなかった。彼は兜の下、整った形の眉を浅く歪めて、ぼそりと呟いた。
「……そうだな。その隊を率いているのが〈烈刃〉でなければさらに良いんだが」
挙がった名前に団員たちはぴたりと笑いを止め、揃って顔を引き攣らせた。
「向かったのは、よりにもよって〈烈刃〉リーンハルトの隊ですか……」
〈烈刃〉の綽名で呼ばれるリーンハルト・シュレーダー中尉とは、挙げた功績と書いた始末書の数がほぼ同数と噂される、いわゆる問題児である。
本来ならば〈ゲルプ騎士団〉に入団できるほどの能力を持ちながら、人格面を不適格とされて〈巡回騎士隊〉に流れたといういわくつきの男であり、軍内部でも毀誉褒貶の差が非常に激しいことで有名だった。
例えば、毀に関しては、手当たり次第に暴れるだけの制御不能な怪物。
例えば、誉に関しては、恐れを知らない無二の勇士にして不死身の豪傑。
例えば、褒に関しては、単騎にて万軍をも相手取り必ず打ち倒す無双の盾。
例えば、貶に関しては、命令違反と独断専行が日常茶飯事の唾棄すべき狂人。
そういった評価の数々を、小隊長なりに纏めると、
「間違いなく力は有るんだが、ほとんどの場合そこに“暴”が付くのが問題だな。けっして悪い男ではないのだが、どうにも人に誤解を与えやすいというか、気質がそもそも軍人に向いていないというか……」
これでもかなり好意的に表現した方なのだ。今でも軍内には本気でリーンハルトの除隊を具申している者も相当数おり、数人ほどの将校に至ってはその意見を真剣に検討しているほどである。実際、この場に居合わせた団員たちも渋い顔で、
「〈骸機獣〉の個人討伐件数だけは軍内でも群を抜いてるんだがな」
「同じくらい不祥事も多いんじゃ話にならないだろう。特に器物損壊系の頻度が酷すぎる。いくら人命救助を優先したとしても限度があるぞ」
「一度だけ本人に注意する機会があったが、理解してるんだかしてないんだか。まるで壁にでも話してるような感じだったな。あんな調子ではクビになるのも――」
「んん……、ごほんっ」
小隊長が発した咳払いにより、彼らの会話は速やかに中断された。いつの間にか陰口に近い内容になっていたこと対する後ろめたさもあったのだろう。が、そこで一人の団員が何かに気付いたようで、恐る恐る口を開く。
「……いや、ちょっと待ってください。たしか“シュレーダー隊”の管轄は、首都西側だったはずでしょう。それがなんで北側の現場に?」
その疑問に小隊長氏、答えて曰く。
「それがまったくの偶然なんだよ。現場に一番近い位置の部隊に通信を繋いだら彼らだったらしい。定期の巡回任務を終えて首都に帰還する途中だったそうだ」
「それはまたなんとも、間の悪いというか、運が悪いというか」
とはいえ、緊急事態に選り好みをしているわけにもいかず、そのまま“シュレーダー隊”に出動命令が下ったらしかった。
「……まったく、世話の焼ける男だよ、彼は」
小隊長はなんとも言えない微妙な顔つきで首を振った。
彼はとある事情から、リーンハルトと公私両面でそれなりの付き合いがあり、彼の人となりについてよく知っていた。故に、あまり悪し様に評したくはないのだが、一方で迷惑を被った回数は十や二十では効かないのも事実。
「……まあ、あれこれと言っていても仕方がない。お目付け役代わりの彼女が、奴を上手く制御してくれることを祈ろう。……もっとも、あの隊に関しては、そもそもリーンハルト以外の問題も多いんだが」
ややあってからそう呟いた小隊長の顔は、胃痛を堪えるように歪んでいた。
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――その連絡が“シュレーダー隊”に飛び込んできたのは、定期巡回任務を終えた彼らが首都へと帰還する、まさにその直前のことであった。
いつものように担当区域を西から東へ、道中で遭遇した揉め事を解決する以外には取り立てて異変もなく。帰還前の最後の昼食を摂り終えた隊員たちが野営設備を片付け終え、出発しようとしたその矢先、空素無線機に着信が入ったのだ。
そして、そのタイミングと内容が、まったくもって最悪だった。
「――おい、こら!! リーンハルト!! 待て!!」
イーリス・アーベライン中尉が呼び掛けた時、長身痩躯の軍服姿は疾うに彼方へと走り去った後だった。人間業とは思えない猛スピードで遠ざかっていくその男の背中を睨みながら、イーリスは地団太を踏み甲高い声で喚き散らす。
「だああああッ、あの馬鹿!! 唐変木!! 隊列を乱すなって何度言ったら分かるんだ!! 毎回毎回毎回、ブレーキの壊れたトロッコか何かみたいに走り出しては、こっちの都合もお構いなしに暴走しやがって!! いつも後始末をさせられるアタシの身にもなってみろってんだ畜生!!」
草原の上に虚しく木霊する彼女の言葉を聞きながら、背後に控える“シュレーダー隊”の隊員たちは「やれやれ」とばかり、すっかり慣れた様子で肩を竦めている。実際、この流れは彼らにとって平常運転だった。
「またリーンハルト隊長の悪癖が出たか……」
もはや呆れるまでもない。気にしても仕方がない。いつものことだから。苦笑交じりにそんなことを言い合う隊員たち。イーリスは彼らを勢い良く振り返ると、虎も射殺さんばかりの吊り上がった眼を向けて、苛立ちも露わに言い放った。
「テメェらもテメェらだ、なにをぼさっと突っ立ってたんだ!!」
口角泡を飛ばす彼女に、隊員たちは揃って眼を逸らした。
「いや、だって……。あの人、ああいう人ですし……」
「分かってんなら偶には止めろよ!! 知ってんだろ〈骸機獣〉が出たって聞いたらアイツがああなるの!! 何年付き合ってると思ってるんだ!!」
納得のいかないままイーリスは叫ぶ。しかし隊員たちはむしろ開き直ったように、半目でイーリスを見つめ返すと、口々に言い返す。
「いや、付き合いでいうなら副隊長の方が俺たちよか長いじゃないですか」
「確か、幼馴染なんでしょう? なら副隊長に任せるのが筋かなって」
「副隊長で抑えが利かないのに、俺たちになにができるって言うんです」
イーリスが投げつけた責任転嫁は、そのまま真っ向から打ち返された。
「お、お前らなぁ……ッ!!」
イーリスの小柄な――成人を迎えた女性としては、かなりの低身長である――体躯が、わなわなと震えた。
イーリス・アーベライン。“シュレーダー隊”の副隊長にして、リーンハルト・シュレーダーのお目付け役。あるいは外付け制御装置。はたまた舵取り役。それがどうやら今回は、盛大に舵を切り損ねたらしい。
「クソ、上司相手に好き勝手言いやがって!! それでも部下か!?」
ばっさりと乱雑に切られた赤銅色の髪が、感情の昂ぶりを示すように逆立つ。大きく見開かれた真鍮色の瞳は血走り、眉間には太い青筋が浮かんでいた。
実際のところ顔立ちそのものは美人の範疇に入る彼女だが、小柄な体形に見合わず全身から発せられる好戦的な雰囲気が獲物に針を向けるヤマアラシめいた印象を与えており、温いチンピラ程度ならひと睨みで押し退けるほどの迫力がある。
どう評価しても、年頃の淑女がしていいような表情ではなかった。
しかし“シュレーダー隊”の隊員たちは、そんな彼女に一片の同情も怯えも見せず、口を揃えてこう言い放った。
「てか、そもそも〈骸機獣〉が出たって教えたの、副隊長じゃないですか」
「うぐッ!?」
図星を突かれたイーリスが顔を顰める。そう、リーンハルトが暴走したそもそもの原因は、イーリスの些細な錯誤によるものであったのだ。
「あ、あれは……だって、アイツが後ろに居るなんて……」
慌てて言い繕うイーリスに、隊員たちは首を振った。
「いや、隊長はあの時「どうした」って声かけてたじゃないですか」
「なのに、副隊長があっさり「〈骸機獣〉が出た」って答えちゃうから」
「しかも相手もろくに確かめないまま、なんかキメ顔まで作って、こう……」
「だあ――ッ!! うるせぇ!! うるせぇ!!」
口々に正論をぶつけられ、とうとう反論の余地を失ったイーリスは髪を掻きむしりながら喚いた。が、そこからはむしろ吹っ切れたように堂々と胸を張って部下たちを見据えると、一声「わかった!!」と大きく頷いて、
「起きちまったもんはもうしょうがねぇ!! それにどうせ〈骸機獣〉が出たってんなら、それを問答無用でぶっ殺すのがアタシたち〈巡回騎士隊〉の役目だ!! そうとも、なにも問題ねぇ!!」
だん、と。威勢も猛々しく、愛用する〈大鷲式〉の長大な“共振杖”を地面に突き立て、イーリスは宣言した。
「あの馬鹿追って、アタシらも行くぞ!! “シュレーダー隊”、総員出撃だ!!」
返ったのは鬨の声。隊員たちは口元に狂暴な笑みを浮かべると、地を揺るがすほどの怒声を以て副隊長の指令に応じたのだが。
「うるせぇぞ馬鹿野郎ども!! 耳が壊れるだろうが!!」
理不尽極まりない罵声が飛んだ。しかし隊員たちも隊員たちで、委縮するでもなく即座にブーイングを返すのだから、まったく図太い連中揃いである。
「ほらほら、口から屁ぇ垂れる前にきびきび動け! リーンハルトを放っておいたら何をしでかすか分からねぇからな、急ぐぞ!」
隊員たちから向けられる不平には取り合わず、イーリスは待機状態にある自動車両に駆け寄ると一息に飛び乗り、起動した。内蔵された空素機関が轟かせる甲高い駆動音にも負けじと、声を張り上げ部下たちへ告げる。
「そら、全員クルマ出せ!! 〈骸機獣〉共は皆殺しだ!!」
号令一下、黒鋼の鎧を纏った軍団が、猛烈な勢いで草原を駆け抜けていく。
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なお、オープスト村へと向けて意気揚々と飛び出して行った“シュレーダー隊”の面々が「出現した〈骸機獣〉は、居合わせた旅行士たちによってすでに駆除された」という追加報告を受け取ったのは、彼らが現場に到着する直前であった。
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捕捉1:騎士。現在のシュタルク共和国においては、戦闘技術面で特に優秀と認められた兵士に与えられる名誉称号的な扱いであり、転じて〈ゲルプ騎士団〉や〈巡回騎士隊〉などのいわゆる特殊部隊に属する者を指す。よって、かつての貴族階級の出身者や戦場で多大な殊勲を挙げた者のみに与えられていた特権的身分としての効力はほぼ失われ、現在では年に一度首都で行われる審査に臨み、半年以上にも及ぶ過酷な訓練と試験を経て取得する形式に変わっている。が、やはりその肩書きを持つ者へは、いまだに一定の羨望と敬意が向けられるのが常である。
捕捉2:走鋼馬。主に騎士の移動手段として用いられる。馬と名が付いているが実際には二輪駆動車の一種であり、四足歩行形態と二輪駆動形態の切り替えが可能。なお、当然ながら現代の騎士にとって走鋼馬の操作は必須科目であり、これを十全に扱えなければその戦闘教義を最大限に発揮することは難しい。
捕捉3:大鷲式。詠唱士が用いる詠唱術の分類の一つ。かつてゲルプ帝国が開発した鉄十字式の改良発展形であり、発動詞が非常に簡素かつ短い為に一般兵士にも広く利用されている。その分空素術としては起こせる現象が画一的であり、個人の才覚に殆ど依存しない分アレンジの幅も狭い。よく比較対象にされる極北星式が目指した「空素術の汎用化」をより極端に推し進めた形となる。