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通り雨の旅行士《トラベラー》  作者: 赤黒伊猫
序章:草原騒乱四重奏
8/41

シーン7:深淵奥深くへと、勇み挑む



 -§-



「――言っておくけどね、レーゲン。私、今も納得してないわよ」


 回想を終えたエメリーは、開口一番にそう切り出した。視線は前を行くヴィルの背を射貫くようにしながらも、言葉だけは後方を歩くレーゲンへ向けて、言う。


「アンタは個人的な我儘に私たちを巻き込んだ。それは、分かってるわね?」

「あ、あの、エメリーさん? 私は自分の意思で賛成して……」

「――リウィア。悪いけど、あなたは控えてて」


 フォローに入ろうとしたリウィアを、エメリーは制した。


「今はレーゲンに話してるから、ね」


 なるべく刺々しさは抑えたつもりだったが、リウィアが息を呑む音はハッキリと耳に届いた。少なからず後悔の念が湧き上がる。仲間の和を保とうとする彼女の気持ちは理解できるし、その優しさに対しては申し訳ないが、


(……これだけは、確かめておかなきゃならないもの)


 ごめん、という言葉を喉奥に飲み込み、エメリーは続ける。


「私たちには土地勘がない。この森に入るのだって初めてだわ。そのうえ、さっきの戦闘で体力と装備を消耗している。食事と休息を挟んだからといって万全の状態じゃない。それは理解してるわね、レーゲン?」


 エメリーが行うのは事実の列挙。

 もしもレーゲンがこれらを考慮に入れず行動したのなら、今からでも迷子の捜索を中止するつもりだった。

 当然、他のメンバーがなんと言おうが譲りはしない。なんなら、全員力尽くで引き摺ってでも森を出る覚悟が彼女にはある。


 そんな思いを込めての問いに、果たしてレーゲンは応じた。


「分かってる」


 静寂の中に頷きの気配を感じ、エメリーはそれを聴く。


「……無理を言ってごめん、皆。この“迷子探し”が私たちの旅に関係ない寄り道だってことも、皆の目的を曲げてまで手伝ってもらってることも、自覚はしてる」


 その答えに、エメリーは内心だけで安堵の息を漏らした。


 もしもレーゲンの謝罪が()()()()に向けられていたなら、即座に横面を引っ叩いていたところだ。命が掛かった状況で、理由も分からないままその場しのぎの謝罪をするような奴を、自分は決して仲間とは認めない。認めたくはない。


 故に、一先ず最低ラインは善し。

 しかし追及は容赦なく、尚も行っていく。

 それがこの一党に於ける自分の役割であるからだ。


「なら、重ねて聞くわ。何故、私たちがわざわざ出向かなきゃならないの? それとも、本当にただ善意だけで考えなしに首を突っ込んだわけ?」


 言って、数秒待つ。レーゲンからの返答はなかったが、彼女の沈黙からは明確な否定の意が感じ取れた。それで良いとエメリーは頷く。


 ここで反射的に感情論を唱えるような奴なら、本当に手切れだ。“お人好し”と“愚か者”。両者は行動傾向だけは似ているようでも、本質的な定義としては全く異なるとエメリーは考えている。


(自分だけの命で済む問題と、仲間を道連れにする問題は、全く別だもの)


 ()()()とはそもそも事情が異なる。抜き差しならない危機に対して不可抗力的に挑むことと、本来なら関係なかった面倒事に自ら飛び込んで行くことを、同一視してはならない。


 沈黙を保つレーゲンへ、エメリーは言葉を送っていく。


「確かに一刻の猶予もない状況でしょうね。でも、だったらなおさらよ。私たちがリスクを負ってまでしゃしゃり出る筋合いはなかったはず。アンタはともかく、私は“無償の善意”って言葉、嫌いなの」


 これは絶対に譲ることのできない拘りだった。


 口では好悪として表現したが、実際には決して好き嫌いの問題ですらない。エメリーにとっては信念・信条(スタンス)というより、侵されざる掟(ルール)としての認識だった。


 何故ならば、


「対価を通じて結ばれなかった契約は無責任なものになるわ。なのに感情だけで突っ走るなら、それは自分の行動に責任を持たないということよ。自分だけなら勝手すればいい。怪我をしても自己責任だものね。だけど、曲がりなりにも仲間と呼ぶ相手を危険に巻き込むなら、それ相応の理由は必要でしょう」


 そう。レーゲンが皆を「仲間」と定義するのならば、彼女らを巻き込むような行動をするにあたって、その理由だけは有耶無耶にしてはならない。


 レーゲンと同レベルの“お人好し”であるリウィアや、食欲以外の思考がイマイチ漠然としているヴィルならば、敢えて文句を付けることもないだろう。が、エメリーはこの点について、誤魔化しを許すつもりはなかった。


 故に問う。今、この場で、問わなければならないことを。


「それともレーゲン。アンタにとって私たちは、ただの都合の良い手駒なのかしら? 違うというのなら、今ここでその根拠を示しなさい」


 心臓を突き刺すような鋭さを言葉に乗せて、エメリーは言う。そして、レーゲンは静かに口を開いた。


「……食事と休息、対価は十分貰ったよ」

「それは元々、向こうが“私たちへの恩返し”として提示してきたもの。金銭でも応えられるものに、身を危険に晒してまでの価値があるかしら?」


 強い語気を込めた問い詰めにも、レーゲンは怖じなかった。


「――ある」


 確信の籠った即答。レーゲンは更に言う。


「それはお金を持っていても、提供してくれる人が居なければ手に入らないものだよ。エメリーも知ってるでしょう? 一宿一飯の恩義を蔑ろにするような旅行士(トラベラー)は、……ううん、そういうことをする人間は、誰からも信用されないって」


 エメリーは口を閉ざしたまま、レーゲンが述べる()()を聴いていく。


「今もこの世界は平和じゃない。どこを目指すにしても、生活圏の隙間を渡るのは命懸けだよ。危険も数えきれないくらいある。だったら、安心して食べられるものと気を休められる場所は、他の何にも代えられない価値あるものだよ」


 だから、と。レーゲンは結論を告げた。


「経緯はどうあれ、私たちは命を繋ぐにも等しい恩を受けたんだ。それを無視するなら旅行士(トラベラー)のルール以前に、人としての道理を外れてるよ。だから、私は――」

「そうね。それが分かってるなら、もう良いわ」


 言葉を遮るかたちで、エメリーは首肯した。施しには誠意を(ギブ・アンド・テイク)。そこを履き違えていないなら、これ以上無駄な議論を重ねる必要もないからだ。


(レーゲンの論理は、正しい)


 それはエメリー自身も不本意ながら旅の中で学んだ事実だ。


 例え手元に数千億ゴルトもの価値を秘めた宝石があったとして、荒野のど真ん中で飢えを満たせるわけではない。並ぶ者のない武勇を持っていたとしても、たった一口の水が手に入らなかったために死んでしまう者もいる。


 先行きが常に未知数な旅程において、例え一時であっても警戒の必要なく口へ運べる食料や、夜番を立てず身を休められる寝床を与えられるならば、それは命を救われるに等しい施しなのだ。


 ならば。命を救われた者が返すべき恩とは、やはり命を救うことに他ならない。


(……と言っても、これは想定外だったわ。今日中に首都へ向かうつもりだったから、返礼は相応の金銭で済ませるつもりだったんだけど)


 旅の日程と受けた恩への代価を天秤にかけての判断だった。金銭とてそれが有効に働く環境で用いるならば、十分に価値ある返礼であろう。が、予定が変わってしまった以上は仕方がない。この“迷子探し”を返礼として、全力を尽くそう。


(……そもそも私だって別に、見殺しにしたいわけじゃないもの)


 確かにひねくれている自覚はあるが、冷血漢になった覚えもない。人助けという字面はむず痒いが、人命救助そのものは人として誇りある行動だ。なにより、納得した以上はレーゲンの行動を戒める理由も消えた。


 エメリーが肩の力を抜いたのに合わせ、レーゲンも息を吐いた。


「……試した?」


 どうやら、最初からレーゲンにはこちらの意図が伝わっていたようだ。込み上げてくる安堵が妙に気恥ずかしく、エメリーは早口に返答をする。


「アンタが本当の馬鹿じゃないかどうか、定期的に確認しておかないと身が持たないのよ。道中を共にするにしたって、信頼できない相手に付き合って無駄死にするなんて、まっぴらごめんだもの」

「つまり、普段は信頼してくれてるんだ」

「うっさい、自惚れんな」


 一気に顔に熱が上り、エメリーは無性に苛立たしくなる。


 どうしてこのお人好しはいちいち、人の心の柔らかい部分にまで触れてくるのだろうか。羞恥心というものをどこに置き忘れてきたのか。まったく。


「やっぱりアンタ、馬鹿だわ」

「ええっ」


 レーゲンが愕然とした声を上げるが、エメリーは取り合わない。前後、ヴィルとリウィアが忍び笑いを漏らしていることも無視した。

 どういうわけか、何時も自分はこういう役になる。いっそ、この連中とさっさとお別れできたなら、さぞかし清々することだろうに……。


(ああ、もう!)


 もやもやする気分を振り払うように、エメリーはもう一つの疑問をぶつけた。


「……ついでにもうひとつ言わせてもらうけど、別に私たちだけで踏み込まなくても良かったでしょうに」


 迷子探しなら単純に人手は多い方が良い。森の構造に詳しいオープスト村の人々を伴う方が遥かに効率的だったはずだ。

 もっとも、〈骸機獣(メトゥス)〉と遭遇するリスクを考慮すれば、犠牲者を増やしかねない選択を排除するのは理に適っている。


 よって、指摘すべき内容としてはこうだ。


「さっき“三眼狼”と戦った時、空をシュタルク軍の飛行船が飛んでいたわ」

「うん。エメリーが流れ弾で迷惑かけないか、実は少し冷や冷やしてた」

「余計なお世話よっ」


 話がブレた。咳払いを挟んでから、告げる。


「あれ、間違いなく私たちに気が付いていたわ。派手に空素術(エーテル・ドライブ)を使ったしね。なら、遠からず首都の方から対〈骸機獣(メトゥス)〉の専門家が派遣されてくるはずよ」


 シュタルク共和国という国に関しては一般教養程度の知識しか持たないエメリーも、流石に〈ゲルプ騎士団〉や〈巡回騎士隊〉については知見があった。


「〈骸機獣(メトゥス)〉が倒されたとしても、その事後調査は必ず行われる。なら、それを待っても良かったんじゃない? 装備と規模、力量に関して向こうはプロ。比較して私たちはあくまで素人だわ。効率を考えるなら……」

「それじゃ、間に合わないよ」


 レーゲンの反論が飛んだ。エメリーは眉を顰め、問い返す。


「……あまり言いたくないけれど、もう二、三時間以上は経っているのよ? 迷子になった子はとっくに命を落としているかも知れないわ。それでも?」

「〈骸機獣(メトゥス)〉が出たのは三十分くらい前だよ。帰ってきた子たちも、〈骸機獣(メトゥス)〉に追われて逃げてきたわけじゃない。それなら、まだ生きてるかもしれない」


 呆れるほどの希望的観測だ。なにひとつ根拠はない。


 しかし、だとしても――


「少しでも可能性があるなら、私はそれに賭けたい。だって、助かるかもしれない命を見過ごしたなら、私はきっと明日からの自分を誇れなくなる。それにさ。失敗って結果さえ得ずに逃げ出すような奴が、何かを成し遂げられるって、思える?」


 ――なにかを成すために、この若き旅行士(トラベラー)は旅立ったのだから。


(……本当に、こいつは)


 エメリーは、改めて思う。こいつはこういう奴なのだ、と。


 底抜けのお人好しで、普段の言動は子供そのもので。

 なのに一度決めたことはなにが有ろうとも曲げようとせず。

 少しでも望みに向けての可能性があるなら迷わず突き進んで行く。


 まったく、恐るべき頑固さだ。現実を知らない子供の無謀、あるいは傲慢と評しても良いくらいだろう。


(堪ったもんじゃないわ、本当に)


 心底からそう思う。だというのに、自分たちは全員、この少女に引き摺られるかたちで旅を続けている。そして旅立ちのきっかけにはどういうわけか、レーゲンの行動が大きな影響を及ぼしてもいるのだ。


(……私の場合は、事故みたいなものだけれど)


 自身の“きっかけ”を思い出し、エメリーは大きな溜息を吐いた。

 舌打ち共々、両親から厳しく咎められていた悪癖が最近になって再発したことに思うところはあるが、仕方がない。おそらくレーゲンと行動を共にしている限り、これから何十、何百回と繰り返すことになるのだろうから。


「エメリー」


 そこで、唐突に名前を呼ばれる。なんだろうと思っていると、


「リウィアも、ヴィルもだけどさ。ありがとね、いつも」

「……馬鹿」


 思わず憎まれ口が飛び出た。本当に腹立たしい奴だ。


「礼なんて要らないわ。これはアンタが決めたことで、私も自分で選んだことよ」

「エメリーさんって、なんだか素直じゃないですね」


 ヴィルならともかく、リウィアに言われた。エメリーは全身から力が抜けそうになるのをどうにか堪えた。調子が狂うことこのうえない。ああ、まったく。


「……良いから、さっさと終わらせるわよ!」


 これで迷子を助けられなかったら、それこそお笑い種だ。その時ばかりは、存在するのかも分からない“神様”とやらにだって悪態を吐ける気がする。


 厳しい表情と声色に反して、エメリーの足取りは前向きであった。



 -§-



 ……一行は、さらに森の奥深くへと踏み入って行く。


 道標となるのは道すがらにも見受けられた色鮮やかなリボンだ。等間隔で木々に巻きつけられたそれは、奥へと進むにつれて「緑、黄、赤」と色を変えていく。

 配置としては入口を中心とした半同心円状。オープスト村の人々が森を散策する際の目印として設置した工夫だと、森に立ち入る前にレーゲンたちは聞いていた。


 要するに、奥へ進みたい場合は赤色のリボンを探し、帰る際にはその逆を行えばいいのだ。村の子供たちが普段迷わずに帰って来られるのも、このリボンの道標のおかげだろう。


 また、他に特別に報せるべきことがあるならば、太く結んだ白いリボンに注意書きとして記すらしい。


「……猪注意」


 一行が通りがかった横手、木の幹にシュタルク共和国の公用語で書かれた文字を読み、リウィアが顔を蒼褪めさせた。


「猪って、あの大きな牙がある豚みたいな生物ですよね? 凄い速さで突進してきて、跳ね飛ばされたら大人でも死ぬかもしれないっていう……」

「あの、リウィア? 私たちは猪なんかよりよっぽど恐ろしい〈骸機獣(メトゥス)〉を、これまで何度も倒してるんだけれど……?」

「それはそうですけどぉ……」


 エメリーの指摘にリウィアは泣き声を漏らした。怖がるポイントがおかしくないだろうか。一方で暢気な声を上げたのはヴィルだ。


「猪、良いですねえ。食べると美味しいらしいじゃないですか」

「アンタは食べることしか頭にないの!?」

「エメリー、エメリー。声が大きいよ」


 レーゲンに窘められ、エメリーは口を噤んだ。

 進行ペースは依然として速く、迷子の捜索に手を抜いているわけではないのだが、状況に変化が見られないせいでどうにも緊張感がない。

 まあ、怯えて竦むよりは良いのかもしれないが……。


 そうこうしているうち、赤のリボンが途切れた。

 意味するところは「ここから先、立ち入り禁止」というメッセージである。

 目印の役割を果たす色彩を失った森は、ひときわ黒々と、陰鬱な印象を増したように見えた。


「……迷子はこの奥に迷い込んだのね。帰れなくなるわけだわ」

「うん、早く見つけてあげないとね」


 気持ちも新たに、レーゲンたちは森の深層へと踏み込んだ。


 失われたリボンに代わり、レーゲンが通過地点に目印を残し始める。彼女は木の幹に素早く粘着糊を塗り付け、そこへ拾った葉切れを貼り付けていくのだ。天然樹脂から作られたその粘着糊は、数日間は粘着力を保ち、やがて自然に剥がれ落ちて土へと還る素材であるらしい。


 リウィアが興味深げに首を傾げ、思い出したように呟いた。


「それって前にも使ってましたけど、たしかレーゲンさんの故郷で作ってるものでしたっけ?」

「そうだよ。旅に出るとき、他に役立つものとかと合わせて、いくらか備蓄を持ってきたんだ。目印以外にも色々使えて便利だしね」


 どこか自慢げに言うレーゲンに、エメリーが「野生児だわ」と小さく零した。


 そしてまた更に数分ほど進んだ辺りで、ヴィルがある物を発見した。一行の行く手、湿った土の上に放り捨てられているそれは、


「籠、ですね」


 他の皆も、小さな編み籠の存在を認識した。


 迷子の少女が使っていたものに間違いないだろう。籠の周囲には、地面に落ちて潰れてしまったサクランボの果実が散乱していた。


「勿体ないですねえ」

「……拾い食いしないでよ」

「いや、まさか、流石の私でもそこまでは」


 そう言いつつも、ヴィルの目線はサクランボに釘付けだった。


 無論、この状況で食欲を優先するわけにもいかない。名残惜し気にしつつもヴィルは再び歩き出した。一行は草むらを掻き分け、奥へ奥へと突き進む。


「熱源反応が多少残っていますね。それに、ほら足跡も」


 瞳を輝かせるヴィルが指差したのは、地面に押された小さな足跡だ。そしてそれを踏み躙るように、大きく地面を抉った爪跡が刻まれている。

 一行は思わず息を呑む。これで〈骸機獣(メトゥス)〉の出現は疑いようもなくなった。しかもそいつは明らかに、迷子の少女を追いかけているようだった。


「……この先に、続いていますね」

「行こう」


 レーゲンの提案に否やはなかった。森に入ってから、すでにかなりの時間が過ぎている。猶予はあまり残されていないように思えた。


 それから一行の歩みはますます速まり、駆け足に等しい速度に変じた。会話は立ち消え、耳に残るのはお互いの息遣いだけとなる。

 全員が神経を尖らせて進む。急ぐ必要があるのは当然だが、ここはもはや“敵地”に等しい。いつ何時、物陰から害意持つ存在が飛び出てこないとも限らない。


 その時、微かな物音がレーゲンたちの耳に届いた。


「――ッ!!」


 全員の反応は鋭敏だった。


 レーゲンが剣を抜き、エメリーが魔導具(ガジェット)を構える。“共振杖(ブースター・ロッド)”は腰に差したままだ。遭遇戦で詠唱術(ワード・エフェクト)は不利となると見ての判断である。


「ヴィル」

「来てますね、もうすぐ姿を現しますよ……」


 ヴィルの瞳が輝きを増し、一点を睨んだ。その先で生じる草を掻き分ける雑音は次第に大きくなり、一行が構える地点へと猛スピードで近付いてくる。


 レーゲンの小鼻がひくりと動いた。彼女の鋭敏な嗅覚は、湿った大気に混ざり漂ってきた、微かな鉄錆臭を嗅ぎ取ったのだ。生々しい血の匂いである。()()()()()()()()()()()()までは判断がつかない。


 が、焦げ付くような瘴気の気配は、確かに感じられていた。


 そうして粘着くような一秒が経ち、二秒が経ち、ついにすぐ前方で音が鳴った直後。がさり、と騒々しく葉擦れの音を立てながら、大柄な影が茂みの奥から一行の目の前へと躍り出た!


「――……ッ!!」


 迎撃の為に身を屈めたレーゲンが、ほんの一瞬、唖然とする。視線の先、姿を現したのは〈骸機獣(メトゥス)〉ではなく……、一頭の良く肥えた猪であったのだ。


「……なによ、見当違いじゃ――」


 確かに警戒すべき相手かもしれないが、敵と呼ぶほどの脅威ではない。予想を外されたエメリーが、拍子抜けとばかり目を瞬かせた、その時。


「違いますッ!! その後ろッ!!」


 血相を変えてリウィアが叫んだ直後、悍ましい唸り声を響かせながら、一行の目の前に巨大な影が突然立ち上がった!


「――GuWOOOOOOOOOMMMッ!!」

「――“鉄棺熊”ッ!?」


 “鉄棺熊”。陸上に出現する〈骸機獣(メトゥス)〉としては大型の部類に入り、非常に高い狂暴性と攻撃能力を兼ね備えた個体だ。なにより、猪をその大顎で咥えたまま直立可能な馬鹿力は、到底生身の人間が及ぶものではない。

 太い手足に据わった首。剛毛に覆われた小山の如き胴体と、外見は正しく熊そのもの。一番の違いは大きく左右に広げた両腕に備えた鋼鉄製の鉤爪と、どてっぱらで唸りを上げる大型破砕機(シュレッダー)の存在である。

 一度掴まれたが最期、逃れる術もなく抱き締められれば、生産されるのは血も滴る人の挽肉(ミンチ)だ。この武器こそ、この〈骸機獣(メトゥス)〉が恐れられる最大の理由だった。


 傍らに放り棄てられた猪は、よく見ればすでに死んでいた。胴体を大きく抉られ、腸を残らず掻き出された無惨な有様である。直前に“鉄棺熊”の餌食になったのだろう。レーゲンがさきほど感じた血の匂いの正体はこれだ。


 そして機械と肉の入り混じる異形は、鉄錆と血肉の匂いを撒き散らしながら、耳を覆いたくなるような雄叫びと共に一行へと襲い掛かった! その害意が向いた先は黒髪の空素術士(エーテル・ドライバー)だ!


「私を狙って……ッ!?」


 自身が標的にされたことを察し、エメリーが顔を引き攣らせる。


「おっと、これは……ッ!!」


 エメリーを庇おうと、咄嗟にヴィルが迎撃に向かう。

 が、ほんの少しだけその初動が遅れた。偶然かどうかはともかく、さきほどの猪が囮として作用し、わずかに気が取られたためだ。

 そして先制(イニシアティブ)を相手に取られた以上、状況は一気に不利へと転ずる。“鉄棺熊”は巨大なショベルにも似た腕を振りかぶり、エメリーの前に飛び込んできたヴィルへと、容赦なく叩きつけた。


「――がっ、ぁ……!!」


 鈍い激音が轟き、オレンジ色のジャケットを纏った身が吹き飛ばされていく。


「ヴィルさんッ!?」


 リウィアが悲痛な声を上げた。そしてそれが明確な隙を生む。

 防御か迎撃か、それとも仲間の援護か、ヴィルの救護か。

 エメリーは刹那の間、己の取るべき行動を迷った。


「――GWOOOOOAAAAAAAAッ!!」


 雄叫びを大きく裂けた口から迸らせ、“鉄棺熊”は機を得たとばかり猛然とエメリーへと踊りかかる。その手段は爪ではなく、身体を開いてのボディプレスだ。胸の破砕機(シュレッダー)が耳障りな金属音を掻き鳴らしながら、獲物を呑み込もうと迫る。


「な、しまっ……――」


 対応しようにも、間に合わない。

 “鉄棺熊”の重量を退けられるだけの威力がある魔導具(ガジェット)をこの至近距離で使えば自爆だ。エメリー自身もただでは済まないだろう。

 なにより、そうするだけの時間がなかった。


「エメリーさんッ!? 逃げてぇッ!!」


 リウィアの呼び掛けに応じるより早く、エメリーの全身を影が覆った。


(――あ、これは……嘘……)


 胸の奥が急激に引き絞られるような喉がエメリーを襲った。

 喉が干上がり、胃が持ち上がり、頭の中で火花が飛び散る。

 思考を埋め尽くす「手遅れ」という三文字の乱舞。


 濁流のように流れていく過去の記憶。

 高速で回転する思考も今回ばかりは役に立たない。

 打つ手はなしか。突き付けられた無惨な死を前に、それでも意思までは砕かれまいと見開いたレンズの奥の瞳が、涙で煌いたその瞬間。



 -§-



 ――レーゲンは刹那の間に、右腰から()()()()()()()を抜き放っていた。

 手の内に握れる大きさの、鈍い光を湛える濃黒色(マットブラック)の鉄塊。

 引き金を備えたその武器の名は、()()()()()


 全ては瞬きの合間。凍えるような瞳が照門と照星を通して標的を射抜く。照準には寸分の狂いもなく、射撃体勢は瞬時に整えられていた。


 そして、乾いた破裂音が、神速のスタッカートで鳴り響く。



 -§-



 ほぼ同時に打ち鳴らされたのは、六発分の銃声だ。


「――GuAWOOOOOOOOOOOッ!?」


 大気を引き裂き空を駆けた弾丸はすべて、狙い違わず“鉄棺熊”の眉間へと叩き込まれる。黒々とした粘質の液体が飛び散り“鉄棺熊”が悍ましい悲鳴を上げた。


 発生した現象はそれだけには止まらない。

 着弾地点、弾けるような音と共に煌いたのは、眩いエーテル光だ。一瞬だけ正八面体のイメージを形作った黄色の光は「風属性」の空素術(エーテル・ドライブ)の発動を意味する。

 光は次の刹那には解けて“鉄棺熊”の全身を包み込むように拡散。直後、烈風が駆け抜けた。すると、どこからともなく発生した強烈な上昇気流が“鉄棺熊”の巨体を浮かび上がらせ、そのまま宙へと固定する。


 ()()()()。それこそ、レーゲン・アーヴェントが生まれつき備え持った才覚であり、剣技(ソードスキル)銃術(ガンアート)に比する第三の得物であった。

 彼女の意志に従い、大気に溢れるエーテルは風となる。それは時に(はや)(はげ)しい刃となり、荒々しく暴れる鎚となり、また空駆ける翼にも戒めの檻にもなる。

 今回においては、銃弾に込められたエーテルが着弾時に解放され、そのまま空へ向かって吹き上げる風を生み出したのだ。


 まるで不格好な標本のようにされた“鉄棺熊”は、戸惑うようにバタバタと手足を泳がせるが、無意味だった。いかに人体を容易く引き裂く威力をもつ鉤爪であろうと、大気を掴むことはできないのだから。


「――……ふッ!!」


 そして、自由を奪われた“鉄棺熊”を目掛け、レーゲンが飛ぶ。

 一息に地を蹴り付け、空へと跳ねたその速度は、弾丸の如き凄まじさ。

 ホルスターに素早く納められた拳銃に代わり、彼女の両腕に握られているのは愛用の短剣だ。風を切り裂く切っ先が、鈍い金属光沢を煌かせた。


「――ぉお……ッ!!」


 腰下へ刃を向けた構え。堂、と風を纏い、肩からぶつかるように“鉄棺熊”へと吶喊していくレーゲンが……吠える!


「どぉおおおりゃあああ――ッ!!」


 気勢一声(きおいいっせい)! 逆袈裟から銀閃を引いて切り上げられた刃が、凄まじい勢いで“鉄棺熊”の横腹へとブチかまされた!


「――GuAWOGAAAAAAAAAッ!?」

「お前なんかに、やらせるもんか――」


 鈍い打撃音が響き渡り、そして、それだけでは終わらない。レーゲンの振るう刃から発せられた烈風が、強烈な圧を伴って吹き荒れる。


「――吹っ飛べえええええッ!!」


 轟音一奏! “鉄棺熊”の巨体が弾かれたように吹き飛び、草木を薙ぎ倒し、泥を撒き飛ばしながら地面へと叩きつけられた。小規模な地震と大差のない地響きが木々を軋ませる。その顛末を空中から見届けつつ、レーゲンは声も高く叫ぶ。


「ヴィル! 追撃、お願い!」

「――任されました、っとぉ!」


 応じ、木々の合間から姿を見せたのは、身体中に泥と草切れをこびり付けたヴィルだ。緑髪を靡かせ疾風の如く駆けた彼女は、両の瞳に金の光を煌々と灯しながら、倒れ伏した“鉄棺熊”へと飛び掛かっていく。


「お返しですよ……!!」


 突き出すのは右の貫手。対して“鉄棺熊”もまた、迎撃のために起き上がろうとしている。驚嘆すべき耐久性(タフネス)だ。


 ヴィルの攻撃が届くより先に“鉄棺熊”の腕が持ち上がって行く。このままでは、ヴィルの身体は捕らえられ、粉微塵に破砕されるだろう。だが――


「……よくも、無様を晒させてくれたわね!」


 ――意地によって立つ空素術士(エーテル・ドライバー)の少女が、それを許すはずもない。すでに涙を振り払ったエメリーが、素早く胸のポーチから魔導具(ガジェット)を取り出す。


「これでも、喰らえ――」


 選ばれたのは手の平サイズの十字架剣だ。


 合わせて四本、正確に“鉄棺熊”の四肢へと投じられた魔導具(ガジェット)は淡い光を放ち、一瞬にして巨大化。銀の輝きを煌めかせて飛んだ十字架剣は、“鉄棺熊”の両腕両脚を貫いて地面へと縫い止め、動きを封じた!


「――〈刺縛剣〉よ、ざまあみなさい……! ほら、ヴィル! トドメ!」

「流石! どうもどうも、感謝しますよ……っと!」


 ヴィルの頬に笑みが浮かび、そこからは一方的だった。


 もはや身動きも取れず身悶えするだけの“鉄棺熊”の顔面、ぽかんと開いた口内へと、稲妻のような速度でヴィルの手刀が突き込まれる!


「――GuAWO、GOGAッ!?」


 なにか致命的なものを砕き割る音が響き、“鉄棺熊”が豚のような悲鳴を上げる。それに一片の容赦も見せず、ヴィルはリベンジを達成するための宣言を発する。瞳に灯る金の輝きが弾け、言った。


「《武装選択:超高圧電撃(エレクトリッガー)、――起動(ラン)》ッ!!」


 直後、天を揺るがすような大音響の雷鳴と、けたたましい炸裂音が轟く。ヴィルの放った威力は、目も眩むばかりの閃光として薄闇を掻き消し……森は白く染め上げられた。



 -§-



 ≪――そして淀みは ここに清められ 理の中へと還る≫


 リウィアが口遊むエーテル整調の歌によって、黒焦げになった“鉄棺熊”の亡骸は、周囲に漂っていた瘴気共々風に溶けるように掻き消えた。

 代わりに転がり出たのは、拳大のエーテル結晶。

 一都市分の電力を一日賄うことができるほどの大収穫を前に、それを拾い上げたエメリーの表情は浮かないものだった。


「……ああ、もう! なんて無様を!」


 やがて、彼女は堪え切れないように悪態を吐き出した。


 死にかけた。それも己の力量不足のせいで。

 言い訳のしようもない、完全に油断していた。

 普段から大口を叩いていながら、なんてザマだ。 


 腹の底を焼き焦がすような口惜しさが、エメリーの顔に苦々しい渋面を作らせた。“三眼狼”如きを退けたくらいで、なにを調子に乗っていたのか。それでも、そのツケを自分だけが支払うのならば、まだ良かった。


 だが現実にはレーゲンに救われ、ヴィルは――


「そうだ、ヴィル!?」


 ――そこでようやく思い当たり、エメリーは身を挺して自らを庇った仲間の下へと駆け出した。自身の安全確認と、感情の処理を優先してしまったことを強く恥じながら。



 -§-



 リウィアもまた、目尻に涙を浮かべていた。


 さきほどの自分は、戦いにおいて完全に足手纏いでしかなかった。その悔しさと、緊張と恐怖が解けた反動で全身に汗が滲み、膝がガクガクと笑いだす。


「……ぅ、ふぐ」


 へたり込みそうになる身体と心を、無理矢理立ち直らせる。今は打ちひしがれている余裕もなければ、泣いている場合でもないからだ。


 リウィアは唇を噛み締め、覚束ない足取りで歩き出す。向かうのは当然、“鉄棺熊”の攻撃によって負傷したヴィルのところだ。


「……ヴィルさん、大丈夫ですか?」

「ああ、いやはやどうも……」


 リウィアが呼び掛けた先、頬を泥と煤で汚して地べたに座り込んだヴィルが、相変わらずのヘラヘラ笑いを浮かべていた。生きている。それどころか、傍目には元気そうですらある。しかしその事実はなんの慰めにもならない。


「ご心配には及びません。私はこの通りピンピンしておりますよ」


 その言葉通り、外見的には大きな負傷があるようには思えなかった。しかしリウィアは首を振ると、ヴィルの引き裂けたジャケットへと手を伸ばした。


「あ、ちょ、リウィアさん?」


 戸惑う彼女にも構わず、リウィアはヴィルの右袖を捲り上げる。

 露わになるのは大きく裂けた黒のボディスーツと、裂け目から覗く白い地肌。そしてそこに刻み込まれた、生々しい傷跡だ。

 黒々とした液体が垂れ零れる中に見えたのは、肉の断面ではなく……青白い火花を散らす機械群だった。


「……酷い」


 ヴィルの傷を目にしたリウィアに戸惑いはなかった。彼女はとっくにヴィルの()()を知っており、それは他の面々にとっても同様である。

 拳銃に弾を込めつつ周囲を警戒していたレーゲンも、ヴィルの右腕の様子に目を留め、まるで自分自身が傷を負ったかのような沈痛な面持ちを浮かべた。


「あー……、あのホント、大丈夫ですんで」


 周囲の仲間たちから注がれる感情を前に、却ってヴィルの態度は飄々としていた。若草色の髪(グラスグリーン)を敢えて負傷した方の腕で掻き上げ、ぶらぶらと振り、「なんでもないんですよ」と示して見せる。


「私、ほらこの通り、ロボですし。いわゆる魔導機人(マギノロイド)というやつは、血も涙もなければ苦痛も感じないという便利な身体ですし、そんなに心配しないでくださいよ」


 そう。ヴィル――ヴィルベルヴィント――は、比喩や冗談ではなく、そのままの意味で()()()()()()。彼女の身体を構成する物は髪の毛から内臓まで、ありとあらゆる総てが人工物であり、その人間臭い所作の数々はあくまでも金属製の脳髄から出力されたものなのだ。


 それでもレーゲンたちにとって、ヴィルという()()が、かけがえのない仲間である事実は揺らがない。しかしあまりにも生々しい傷口から覗く、あまりにも無機質な内部構造が、そのギャップを否が応でも突き付けてくる。


「いや、あの、本当に全然痛くないんですよ? ちょっと見た目グロいんであれですが、こんなの私基準では致命傷には程遠いわけでして。だから……」


 普段と全く変わらない軽口に、しかし普段のような反応は返らない。とうとうヴィルの眉尻が下がり、どことなく哀しげな表情となって、その言葉は発せられた。


「えっと、その。完全に()()()わけじゃないんですから……」

「壊れるだなんて、言わないで下さい……!」


 叫ぶ、というにはあまりにもか細い、掠れた声だった。それでもリウィアにとっては精一杯の感情表現である。


 彼女は俯き、ヴィルの腕を取りながら、顔を歪ませて言う。


「約束、ですよね……?」

「……ああ、そうですね。すみませんでした」


 肩を震わせるリウィアの髪を、ヴィルは苦笑を浮かべながら撫でてやった。

 どちらが慰められているのか分からない構図だが、ヴィルにとってはどうでも良い。自分を心底から心配してくれる心優しい少女が仲間にいるという、その有難みこそが重要だった。


「……ヴィル」


 そこで遅ればせながらエメリーがやって来た。

 彼女は駆け寄りながらヴィルの右腕に目を留め、表情の険を強める。そのまま即座に腰のポーチを開くと、チューブ状の容器を取り出し、言った。


「ヴィル、見せなさい。治療するわ」

「ああ、いえ」

「――見せなさい」

「……はい」


 噛み締めるような口調に押し切られ、ヴィルは右腕をおずおずと差し出した。

 エメリーはまずポーチから工具類を取り出すと、漏れ出したオイルをハンカチで拭き取ってから、千切れた配線を可能な限りで繋ぎ合わせた。

 そうして汚れた自身の手を拭うと、今度はそれを受け皿に乳白色のペーストを容器から絞り出す。このペーストの正体は、空気に触れることで急速に固形化し、ヴィルの人工皮膚と同じ硬度と質感になる特殊なシリコン・パテである。

 レーゲンたちがヴィルと出会ったとき、彼女が()()されていた場所に同じく備品として残されていた在庫を回収してきたものだが、


「……残り少ないけど、ケチってる場合じゃないわね」


 言いつつ、エメリーはシリコン・パテをヴィルの患部へ塗り付けて行く。漏れ出すオイルを拭き取りつつ、破損した箇所を覆い隠すように、丁寧な手つきで。

 その作業を二度三度と繰り返せば、大きく裂けたボディスーツを除き、ヴィルの右腕は見た目的にはすっかり元通りになった。


「おお、これで万全ですねえ」


 笑うヴィルへと複雑な表情を向けながら、指にこびり付いたシリコン・パテの残滓を拭い取ったエメリーは言う。


「応急処置よ。あとで時間が取れたら、本格的にやり直すから」

「いやあ、まあ……ともかく助かりました」

「止して」


 ヴィルが口にした礼を、エメリーは撥ねつけた。不機嫌極まりないような口調と表情は、ヴィルに対してではなく、偏に自分に向けた怒りによるもの。エメリーはさらに、吐き捨てるように続けた。


「アンタが受けた傷は、私の無様が原因なのよ。だから、礼なんて言わないで……お願いだから」

「あー……、そのー……」


 なんと言っていいやら分からず、ヴィルは仲間たちを見回した。暗い沈黙が蟠っている。地面を睨むようにしているレーゲンへと目を留め、少し考えてから、ヴィルは問う。


「で、えっと。……行きますか?」

「うん」


 返ったのは、レーゲンが続行を表明する言葉だ。顔を上げた彼女の表情には、森に入る前となんら変わらぬ強い決意が宿っている。


「まだ目的は終わってない、先に進もう」

「そんな……!」


 決断的な指示を受け、リウィアの瞳に一瞬だけ抗議めいた感情が宿り、しかし急激に失せる。リウィアの肩にそっと、ヴィルの手が置かれたためだ。


 そこでリウィアは思い出す。この“迷子探し”は自分で決めたことなのだ。

 レーゲンは村を出る時にこう言った。行くかどうかはリウィアに任せる、と。

 そして自分は応じた。仲間に着いて行き、少女を助けると、誓ったではないか。


 ならば今更になって投げ出すことなど、できるはずがない。


「……すみません、そうですよね! 行きましょう!」


 仲間の身を案じることと、先に進むことは両立できる。それを教えてくれたのが、他ならぬレーゲンたちなのだから。

 故にリウィアは頬を伝っていた涙を拭い、眉を立てた表情を作った。まずは顔つきだけでも強気を保つこと。勇気は後から湧いてくるものだ。


 リウィアが立ち直ったのを見届け、ヴィルもまた頷く。


「ですねえ。早いところ片付けて、ご飯にしましょう」


 相変わらずの食い気を優先した言動。

 しかしここまで一度たりとも、ヴィルは「後退」を進言していない。

 仲間たちが先に進むというのなら、その助けになることこそ己の本懐である。


 少なくとも自分の意思(ゴースト)はそうすべきだと常に囁いているのだから。


「……ええ、そうね。私だって、この程度で膝を折ってなんかいられない」


 そしてエメリーも、力強い目つきでレーゲンを見返した。


「最初から危険は覚悟の上だもの、それをいまさら翻したなら、私はただの臆病者に成り下がるわ。それに、一度やると決めたことを投げ出すなんて、私の誇りと意地に賭けても御免よ」


 いつも通りの断言口調。この傲岸不遜がこそが在るべき姿だと、エメリーは自分自身を定めていく。


 死にかけたくらいがなんだ。今までの旅程を思い返せば、その程度の危機など幾度となく経験してきたではないか。ここ最近が順調だったことで気が緩んだか。ならばなんともお粗末なことだ、いい加減に気を引き締めろ。


「まずは為すべきことを成しましょう。後悔も反省もそれからすればいい」


 そうとも。自分は知らず知らずのうちに“迷子探し”という字面を侮り、油断していたのだろう。ならばこの苦い経験はそのツケだ。だというのに、やり直す機会が与えられたのだから、これ以上望むべくはない。


 エメリーは一行を先導するように一歩を踏み出し、レーゲンへと振り向いた。


「さあレーゲン、なにを立ち止まっているの? まさか言い出しっぺのアンタが、真っ先に怖気付いたわけじゃないでしょうね?」

「言ってくれるね」


 エメリーと肩を並べながら、レーゲンは笑った。


「でも、それでこそエメリーだ」

「アンタほどじゃないわよ、直情径行馬鹿」

「お互い様だね、だったら迷うことなんかない」

「そうね」


 そんなやり取りを交わしながら、ふとエメリーが小声で漏らした。


「……さっき、ありがと」

「ん? なにが?」


 惚けたようなレーゲンの反応に、思わず顔を紅くしつつも、エメリーはハッキリと返した。


「助けてくれたでしょう。だから、お礼を言っているの」

「ああ……」


 レーゲンの頬に浮かんだ笑みが強くなる。そうして彼女は、本当に何でもないことのように、こう言ったのだ。


「友達じゃん、当たり前だよ」



 -§-



 戦闘処理(リザルト)を終えた一行は爪先を揃え、行く手を見据える。

 木々の連なりが作り出した薄暗がりの中、少し先の地面に、より深く沈み込んだ暗黒に塗り潰された巨大な()()()が存在していた。

 “鉄棺熊”を撃破した際の余波で、その一帯を塞いでいた木々が倒れ、隠されていた亀裂が見えるようになったのだろう。


「遺跡、だね。こんなところにもあったんだ」


 レーゲンは言いながら、その入口手前に落ちていた小さな靴を拾い上げた。


 おそらく少女の両親が買い与えたものだ。恐怖を堪えて必死に逃げたのだろう。可愛らしい花柄の模様を汚すように、靴の彼方此方に泥がこびり付いていた。


「きっとこの中に逃げ込んだんだ。なら少なくとも、さっきの〈骸機獣(メトゥス)〉からは逃げられたはず。まだ生きてるって、私は信じるよ」

「……無許可で遺跡に立ち入るのは、バレたら結構な罪状なんですけどねえ」

「フン、前に一度やってるんだからいまさらよ。だいたい、その原因になった当人が言っても説得力がないわよ」

「あの時は大変でしたね……。でも、そのおかげでこうして四人で旅ができてるんだから、やっぱり良かったと思います」


 口々に言い合い、決意を固め。


「――行こう、皆」


 この程度は挫折ではない。生きている限りは前に進める。

 だから、先の見えない暗闇など、怖れはしない。

 一度心に決めたことを、成すために。


 頷き合い、意思をひとつに、四人の旅行士(トラベラー)たちは進んで行く。



 -§-



捕捉1:ゴルト。シュタルク共和国で使用される貨幣の単位。おおよそ20万ゴルト前後がシュタルク共和国における一般市民の平均年収。なお「現実世界における1円=この世界の1ゴルト」として換算する。

(※2022/03/25:旧来の設定では計算が煩雑になるので、無理にこだわる意味がないと判断し、このように設定を変更しました)


捕捉2:レーゲンの自動式拳銃。レーゲンの父が軍人時代に使用していた物と同型の拳銃が原型。様々なカスタマイズが加えられているが、重視されているのは反動軽減と命中精度。レーゲンは弾丸に風のエーテルを込めて撃ち出すことができる。


捕捉3:レーゲンの銃の腕前。実のところレーゲンは斬り合いより射撃の方が遥かに得意であり、純粋な技量値ではそもそも比較にならないほど。特に拳銃の習熟度は極めて高く、その扱いを学んだ父親から受け継いだ天賦の才も併せて、本職の軍人をも軽々と凌駕するだけの腕前を誇る。では何故メインウエポンを剣にしているのかといえば、そちらを教えた“師匠”に対する憧れと、単純に拳銃弾の定期的な補給と大量所持が難しいため節約しているという経済的理由からである。また生命力の強靭な〈骸機獣〉を相手するにあたっては、一撃で首や手足を切断できる武器の方が有用という点もあるようだ。

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