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通り雨の旅行士《トラベラー》  作者: 赤黒伊猫
序章:草原騒乱四重奏
7/41

シーン6:薄闇に溶けた足跡を追って



 -§-



 踏み込んでから数分と経たぬうち、周囲の環境はすっかり様変わりした。


 草木と腐葉土が放つ濃密な匂いが入り混じり、周辺一帯に満ちている。

 髪を淡く濡らし、舌を出せば水の味を感じるほどの、湿り気を帯びた大気。

 足元から這い上がるような冷気が頬を撫で、身体の芯まで染み入ろうとする。


 見渡す限りに薄闇が蟠り、その奥で葉擦れの音が絶え間なく鳴り響く。

 不確かな視界の中、あらゆる物陰に、なにかが潜むような気配が感じ取れた。

 木々の連なりは行く手を阻むようで、合間を掻き分けるように進むしかない。

 

 ここはオープスト村の東に広がる、広大な森の中である。


 入口からおおよそ、数百メートルほど進んだあたり。影が落ち暗緑色に塗り潰された光景の中を、装備を身に付けた旅行士(トラベラー)たちが列を成して突き進んでいく。


 一列縦隊の陣形、先頭を行くのはヴィルだ。その背を追う形でエメリー、リウィアと続き、最後尾にはレーゲンが着けている。

 枯れ木を踏み折り、地下で入り組んだ根が作る起伏を慎重に乗り越えながら、奥へ奥へと向かう彼女たちのペースは速い。


 全員の顔に――各々で程度の差はあれど――張り付く緊張の色。上下左右、あらゆる方向へと神経を尖らせながらの進行は、むしろ進軍と評せられる程度に剣呑な雰囲気を伴ったものだ。


 エメリーはときおりコート下の魔導具(ガジェット)類の位置を指先で確認しているし、リウィアは肩に掛けたストールの裾を無意識に握り締めている。レーゲンの目つきも心なしか鋭い。普段とまったく態度が変わらないのはヴィルだけだ。


 ややあって、殿を務めるレーゲンが口を開く。視線を油断なく巡らせながらも、陰鬱な場にそぐわないあっけらかんとした声色で、


「いやあ、凄い森だね。なんだか、飲み込まれそうだ」

「……へぇ、意外ね。アンタでもそんな風に思うんだ」


 振り返らないまま、エメリーが反応した。


 言葉の始めが妙に詰まった感じなのは、それまで息を詰めていたからだろう。対して、レーゲンは苦笑を零しつつ、言葉を返す。


「それって一応聞いておくと、どういう意味の意外?」

「もちろん、草木に紛れたまま熟睡できるような図太い女が、いまさらそんな繊細なことを言いだすものだから驚いたのよ。このくらいの森、アンタにとっては近所の公園みたいなものだとばかり考えていたわ」


 レーゲンは半目になった。


「……あの、エメリーさ、私はそこまで野生児じゃないんだけど」

「どうだかしらね、随分と楽しそうじゃない。故郷にでも帰った気分?」


 この皮肉交じりのやり取りは、不要な緊張を和らげるためのものだ。

 極度に精神を張り詰め続けていれば疲労で参ってしまうし、強張った身体ではいざコトが起きた時に即応するのも難しくなる。

 ある程度は気楽に構える余裕を保つことが、存外重要なのだ。


 無論、雑談に集中するあまり警戒が疎かになってしまえば元も子もない。お互いにそれを理解しているレーゲンとエメリーは、周囲の物音を掻き消さない程度の声量で会話を続けていく。


「そりゃ確かに、なんとなく懐かしい感じはするけどさ」

「ほら見なさい」


 鼻で笑うエメリーに、レーゲンは首を振った。


「でも……やっぱり()()よ。風景や空気の匂い、踏んだ土の感じとか、故郷の森とは全然別モノだ」


 確かな実感としての違和。レーゲンはそれを口にした。


「なんというか、この森は私を一時的に受け入れはしても、住まわせはしないんだろうなって感覚。森に抱かれるって言うけどさ、むしろ締め付けられてる気分かな。知らない人の家に上がったみたいで、つい遠慮しちゃうというか」

「……ふーん。招かれざる客、って言ったところかしらね」

「うん、そんな感じ。状況のせいもあるんだろうけど、居心地悪いや」


 レーゲンの肯定に、エメリーは肩を竦めた。呆れと感嘆の合わさった声で、


「それだけ違いが分かるんだから、アンタは十分野生児よ。シュタルク人は森と共に生きるって比喩、どうやら本当だったらしいわね。都会派の私には全然理解できないけど」


 切って捨てるようなエメリーの言い様に、レーゲンはあっさりと頷いた。


「実際、こっちの人は自然に親しむ気風、けっこう強いよ。私の父さんも釣りが趣味で、まだ霧の出てる朝早くから、近所の湖までひとりで出かけてたし」


 レーゲンは思い出す。父はそういう時、毎回なにかを()()ような顔つきをしていた。そして帰って来る時には、獲物の有無に関わらず、どこか納得したような雰囲気を纏っていたようにも思う。


(……多分、母さんについて考えてたんだろうな、あれ)


 今ならば分かる。だからこそ父は四年前、()()()()が起きるまで、釣りに自分を連れて行かなかったのだろう。それまで随分と寂しい思いをさせられたが、恨んではいない。朝食の用意を整えた頃に必ず父は帰って来てくれたからだ。


 胸を占めかけた懐かしさを、レーゲンは振り払った。今は別のことに集中すべきだ。追憶の残滓を心に仕舞い込みつつ、エメリーへと問い掛ける。


「……でも、エメリーが都会派かどうかはともかくとして、セーヴェルにもかなり広い森があるらしいじゃん。あとさ、そっちではキノコ狩りが人気で、大人も良くやるんでしょ? 十分自然に親しんでるじゃん、セーヴェル人も」

「……子供か暇人だけよ、そんなことするのは」


 エメリーの返答に、僅かながら照れの感情が混じっていることに、レーゲンは気付いていた。


 実はセーヴェル人のキノコ好きは全国的に有名な話だ。

 他国に比べても多種多様なキノコが生育するかの国では、老いも若きも趣味としてキノコを探し求める人が多く、なんなら「銅像さえキノコを探すポーズを取っている」という冗談もあるほどらしい。


 しかしエメリーはそれを否定する。笑うと悪いかな、とそれ以上の言及を避けたレーゲンだったが、そこで前を歩くリウィアが「あ、そう言えば」と手を叩いた。


「エメリーさん、憶えてます?」


 これまでの行軍によって多少息を荒くしている彼女は、それでもなんの衒いもない、実に嬉しそうな声でこう言った。


「前に野宿をした時に食料が足りなくて、キノコを探して来てくれましたよね?」


 直後、エメリーの肩が跳ねた。


 レーゲンは憶えている。あれはリウィアが仲間に加わったすぐ後のことだ。

 ある事情から食料の補給ができなくなり、あわや飢え死にかと困っていた時、エメリーが渋々といった様子で近くの森から食用のキノコを探し出してきたのだ。

 あの時ばかりはエメリーに甚く感謝したものの、どうして彼女がそんなにキノコの種類に詳しいのかは、訊けないままだったのだが……。


「皆で焼いて食べたの、あれ、すごく美味しかったですね」

「そ、そ、そう、だったかしら?」


 エメリーの返事がやや引き攣っていることに、リウィアは気付かない。むしろ善意に溢れた顔で何度も頷きつつさらに言った。


「はい、あの時のことは忘れられません! キノコにも詳しいなんて、エメリーさんは本当に凄いなあってびっくりしたんですよ? 繰り返しになっちゃいますけど、あの時は本当にありがとうございました」

「そ、それは、どう、いたしまして……」


 レーゲンは苦笑。位置的に見えないが、恐らくエメリーの顔は今、真っ赤に染まっているだろう。子供の趣味と断じた手前、きまりが悪いのだ。そして悪意がない以上はリウィアを責めることもできない。


 そもそもエメリーは普段から、リウィアに対して妙に遠慮するような節がある。もちろん嫌っているわけではないのだろうが、物腰の柔らかいリウィアを相手には強い言葉をぶつけられないので、調子が狂うのかもしれない。


(キノコ、食料の足しになるから助かってるんだけどなあ)


 自分たちの旅にとって有用な知識である以上、レーゲンとしては素直に有難みを感じているのだが、それを素直に示したところでエメリーは、


「恥ずかしがらなくたって良いと思うんだけど」

「……うっさい」


 こうだ。


 どうもキノコ狩りそのものを嫌っているというより、なにかひどく個人的な思い入れがあって、それが却って気に障っているようにも思える。

 ならば無理に訊ねるのは無粋だろうとレーゲンは考えるが、生憎この手の話題が出れば反応せずにいられない者がひとり、この場には存在していた。


「ほほう、エメリーさんはキノコ狩りが得意と」


 ヴィルが喜色を満面に浮かべて振り返った。その瞳は文字通りに光り輝いている。薄闇の中、ぼんやりと浮かび上がる金の色が、緩い弧の形に細まった。


「それはそれは、素晴らしい特技をお持ちですねぇ。いやまったく、なんとも羨ましい。是非、私もご相伴に与りたいものです」

「……黙んなさい食欲魔人。というか、あれだけ食べたのにまだ足りないの?」


 エメリーの渋い声に、ヴィルが怯んだ様子はなかった。


「ふふふ、生きることは食べることですよ、エメリーさん。生きている限りお腹は空くのです。ならば、食のチャンスを余さず掴み取ることこそ命の本題! ……ぶっちゃけ、私がまだ仲間になる前の食事事情ですし、興味は物凄くあるんですよ」

「……筋金入りね、アンタ」


 相変わらずの言説をぶち上げたヴィルに、エメリーはすっかり辟易したようだ。翠玉色の瞳を半目に眇め、肩を落として盛大に溜息を吐いた。


「まともな胃袋があるかどうかも怪しい癖して」

「あ、なんですかそれ、差別ですよ差別」

「うるっさいわね! 良いから周囲の警戒に集中しなさいよ!」


 怒鳴る、というには控え目な音量での指示に、ヴィルは「それはもう誠心誠意、やることはきちんとやってますよ」と嘯いた。


 彼女の両目は今、周囲の空素構成(エーテル・バランス)を読み取るために()()している。そこへさらに熱線映像装置(サーモグラフィ)による暗視と生命探知も加え、探し人と敵対者、両方への探知に抜かりはない。


「私のバイオセンサ類はもう、ビンビンに鋭敏な状態ですからね。たくさん食べた分は働きますよー。まあ、安心しといてくださいって」

「……まあ、やる気があるなら、良いわ」


 言葉とは裏腹、エメリーの態度に納得は見受けられなかった。それどころか、ますます機嫌を損ねたような気配がある。


「……まったく、どうして私がこんな」


 疲労の滲む声を漏らしたエメリーへ、レーゲンは小さく唸る。


(あー、まだ納得してないんだろうなあ……)


 これまでの流れでは敢えて言及を避けていたが、やはり訊いておかねばならないだろう。それはこの森へと踏み込んだ目的に関してだ。


「えっと、エメリー?」

「なによ」


 返ったのは硬い声色。やっぱり止めとこうかな、とレーゲンは一瞬逡巡し、しかし心を決めて問うた。


「やっぱり、今も反対してる? ……この迷子探し」

「当たり前でしょう」


 返答は即座だった。それまでの掛け合いにあった雰囲気からは打って変わり、鋭ささえ帯びた口調でエメリーは言葉を放った。


「そもそもレーゲン。これは、アンタの御節介が原因なのよ――」



 -§-



 ここで時系列は、レーゲンたち一行が森へ突入する直前へと遡る。



 -§-



「ああ、どうしましょう……? どうしたら良いの……?」

「おばさん、落ち着いて! まずは話を聞かせて?」


 狼狽えるおかみさんから詳しく状況を聞いてみれば、以下の通りであった。


 今朝、レーゲンたちが村を訪れるよりも前。友人たちと連れ立って、森へ果実摘みに行った子供たちがいたのだ。人数は六人。子供たちの両親は皆そのことを知っており、昼食前には必ず帰って来るよう厳命もしていたようだ。


「あの森は入口の辺りなら日通りも良いし、よほど奥まで行かなければ危険な獣も出てこないから、普段から子供たちの遊び場にもなっているの……」


 かつては旅人が森で彷徨うこともあったが、それは土地勘のない余所者にのみ当て嵌まる例外だ。少なくともオープスト村の人々は昔から自然の隣人として森に親しみ、季節ごとに豊かな恵みを得ながら共存してきたのだと、おかみさんは語る。


「帰る為の目印は彼方此方に付けているし、それが見えなくなったらすぐに引き返すよう子供たちには教え込んでいるわ。大人も定期的に見回って安全を確認しているし、だから大丈夫だと思っていたのだけれど……」


 事実としてこれまで大きな事件は起こらなかったそうだ。それが今日になって、件の少女だけが帰って来ない。


「不用心な……」


 眉を顰めたエメリーが、おかみさんには届かない程度の小声で呟く。

 どれだけ気を付けようが事故は起こる。否、()()()()()()()()()()()()()、か。

 長年何事もなかったことで、子供たちの警戒心も希薄になっていたのだろう。


 エメリーは少し思案し、訝しむように問うた。


「確認はしたんですか? もしかしたら、行き違いになっただけかも」

「それが、帰ってきた子たちにはもう訊いたらしいのよ。そうしたら全員が口を揃えて、先に帰っていると思っていた、って……」

「そんな……」


 リウィアが口を押えて絶句した。


 つまり件の少女は、ひとりだけ森へ置き去りにされたのだ。慣れ親しんだ場所に対する油断と、幼子特有の無邪気な無責任さが合わさり、事態は最悪の方向へと向かったのである。エメリーは舌打ちを漏らし、重ねて問うた。


「状況が分かったのは、何時のことですか?」

「つい、さっきよ……。〈骸機獣(メトゥス)〉が出たせいで、誰も気が回らなかったのね。落ち着いてからようやく、ひとりだけまだ帰って来てないってことに、その子の両親が気付いたようなの」


 事態が発覚してすぐ、各家庭の大人たちは我が子を問い質した。そうして状況が知られ、村中に騒ぎが広まったというわけだ。

 現在も屋外では村人たちの慌ただしい声が飛び交い、ときおり怒号さえも響いている。耳を澄ませてみれば、捜索隊を組織する段取りが組まれているようだ。


「ああ、本当にどうしたらいいのかしら……!?」


 一通り説明を終えたおかみさんはすっかり弱り切ってしまい、今にも泣き出しそうだった。子供の不在に今まで気が付かなかったことへの自責の念も当然だが、そこに()()()()()が加わったために、ひときわ不安に拍車が掛かっているのだ。


 ()()()()()とは、即ち――


「もし、あの子が〈骸機獣(メトゥス)〉に襲われていたら……!?」


 ――そう。再び〈骸機獣(メトゥス)〉が出現するかもしれないのだ。


「〈災厄の禍年(カラミティ)〉からもう十八年も経つのに、どうして今になって……!?」


 取り乱すおかみさんに対して、レーゲンたちは黙って俯くしかない。


 少女が森に入ったという時刻から、すでに数時間が経過している。〈骸機獣(メトゥス)〉が実際に出現していたとすれば、幼い少女の命など風前の灯火にも等しい。

 仮に運良く〈骸機獣(メトゥス)〉に出会わなかったとして、ならば何故今まで帰って来ていないのか? もしも一度は逃げられたとして、それが何時まで続くだろうか?


 あらゆる想像は最悪の結末を導き出すものでしかない。

 「手遅れ」という言葉が、この場にいる全員の脳裏を過る。

 ならばもはや、待ち受ける未来は絶望以外に有り得ないのか?


 ――否。突き付けられた現実を是として諦めるかどうかは、また別だ。


「おばさん! いくつか聞いて良い!?」


 それまで沈黙していたレーゲンが、不意に力強く顔を上げた。その深い藍色の瞳には、ある決意が宿っている。

 真正面から見据えられたおかみさんは、向けられた感情の強さに戸惑いつつも、頷いた。間髪入れずにレーゲンが問う。


「他の子供たちは皆、無事に帰って来てるの? そのタイミングは何時頃?」

「え、ええ……っと」


 おかみさんは記憶を探った。答え自体は明確だ。


「ええ、無事よ。貴方たちがこの村に来る少し前に、全員が帰って来ているわ」

「そっか、なら――」


 聞くが早いか、レーゲンが立ち上がる。それから壁際へ歩み寄り、そこに立てかけてあった自分の剣を取ると、淀みのない動きで腰のベルトに差し込み固定した。続いて左手の手甲の具合を確かめると、そのまま手早く装備品を点検し始める。


 その様子に目を見開いたのはエメリーだ。レーゲンがなにをしようとしているのか、見当が付いたのである。


「レーゲン、アンタまさか!?」


 レーゲンは振り返った。頷き、意を決した表情で、言う。


「――まだ間に合うかもしれない。助けに行こう、今すぐ」



 -§-




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