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通り雨の旅行士《トラベラー》  作者: 赤黒伊猫
序章:草原騒乱四重奏
4/41

シーン3:かつて“恐怖”と呼ばれたもの



 -§-



 〈骸機獣(メトゥス)〉。


 旧い言葉で“恐怖”を意味するその名を、この世界に生きる者として「知らない」ことはまずありえない。同様にそれが「どのような存在であるか」についても、そらで唱えることはさして難しくないだろう。


 例えば、空素構成(エーテル・バランス)の崩れた場所に、無から湧き上がるように現れること。

 例えば、生物と機械が溶けて混ざり合ったような極めて醜悪な姿であること。

 例えば、周囲のエーテルを汚染し生命体に極めて有害な瘴気へ変質させること。


 ここまでは一般にも衆知された知識だ。もし学校や図書館などの教育機関がある地域に育たなくとも、必ず一度は親か()()()を通して学ぶ機会がある。それだけ〈骸機獣(メトゥス)〉とはある意味で身近な存在なのだ。


 やや専門的な分野に寄れば他に、身体組成が「反エーテル的存在」と定義されること。自ら撒き散らした瘴気を、再び取り込み動力源にすること。多くの場合は姿を現す前兆として、特定の周波数を持つ空素振動を発すること。外見や大きさに大幅な個体差があり、それによって種族的な分類が可能であること、など。


 これらの情報は、今日までに数多くの知識人、科学者、空素術士(エーテル・ドライバー)たちが取り組んできた研究の成果に因るものだ。なにより〈骸機獣(メトゥス)〉が初めて人類に観測されてから、記録を辿れる限りで実に三百年以上が経過しており、その間に行われた実証実験からも正確性に関する裏付けが取れている。


 このように〈骸機獣(メトゥス)〉について多くが明らかになっていく一方で、しかし、その本質的な正体を掴んだ者は未だ誰ひとりとして現れていない。


 どこでどのように生まれたのか?

 なにを最終目的として行動しているのか? 

 そもそも分類としては生命体なのか、自動機械なのか?


 出自については「月の裏側からやってきた」「地底深くに封印されていた」「古代の科学者が造り出した」はたまた「歴史も常識もまったく異なる世界を越えてきた」と、怪談めいたゴシップも含めた数多の仮説や推測が上げられてはいるが、どれも確定には至っていない。


 かの異形は、まさしく“既知にして不明の存在”と言えた。


 ただ、その()()()()については、ひとつ明確な事実がある。

 それは〈骸機獣(メトゥス)〉が、あらゆる生命体に対して例外なく明確な害意を抱いており、その身体に備えた機能すべてを「殺戮」のためだけに用いる、ということだ。


 それが例え生まれたばかりの赤子であろうとも、足腰の立たぬ老人であろうとも、偶然通りかかっただけの無抵抗な野生動物であろうとも、奴らは等しく殺傷対象として認定する。


 〈骸機獣(メトゥス)〉は「一欠片の慈悲も持ち合わせない殺戮者」と同義語なのだ。


 人類はこの和解不能の敵対種を長年に渡って相手取り、時には軍隊まで出動させて戦火を交えてきた。

 そして大抵は数と装備を頼みに対応し、尽くを打ち破ることに成功している。

 こればかりは人類がこの世界に誕生して以来、連綿と積み上げてきた数々の戦闘技術と、それらを十全に操る能力が存分に発揮された結果だろう。


 故に人々が〈骸機獣(メトゥス)〉に抱く認識は、近世に至る頃になると「時折現れる危険な害獣」程度の、取るに足らないものになっていた。

 つまり、早急に駆除すべき対象ではあるが、人間社会を脅かすほどではない。

 “恐怖”の名はまだ文明が未発達な時期に与えられたもので、人間が十分な武力と技術を得た現在では単なる虚仮威(こけおどし)に過ぎないのだ、と。


 ……その認識が塗り替えられる事件が十八年前に起きた。


 そう。〈骸機獣(メトゥス)〉とは文字通り“恐怖”を体現する存在なのだと、安寧に胡坐をかいていた人類は身を以て思い知らされる。それが世界中を悲鳴と恐慌に包み込んだ地獄絵図の如き一年間。


 〈()()()()()〉である。



 -§-



 すべての始まりは、年の瀬に差し掛かったある日のことだ。

 人々が寝静まった深夜、中央大陸の奥地ザラームから突如として〈骸機獣(メトゥス)〉の大軍が湧き出した。それも観測史上における最大の勢力として。

 予兆らしきものはなく、突然の出来事だった。夜天の星を覆い隠し大地を埋め尽くす勢いで膨れ上がった異形の軍勢は、畑も村も人もなにもかも、目に付くものすべてを破壊しながら四方八方へ向けて突き進んだ。


 この最初の一夜だけで数百万人単位の死者が出たと、後の調査にはある。


 とりわけ真っ先に標的とされたザラームの人々はまさに寝耳に水、ろくな抵抗もできぬまま襲撃を受け、日が昇る頃には国土の大半が焦土になっていた。

 何も知らず年越しの準備に追われていた市民たちは、明け方に地平線の彼方から突如として襲来した脅威に対し、それが何であるか理解する間もなく死んだ。

 幸運にも最初の襲撃を生き残った者たちも、しかし安全圏への脱出は終ぞ叶わず、異形の爪牙あるいは瘴気の毒によってことごとく命を絶たれた。


 この無差別奇襲に端を発し、やがて間を置かず、全世界規模での抵抗戦が繰り広げられることになる。そう、人類は()()()の立場に追い込まれたのだ。


 〈骸機獣(メトゥス)〉の襲撃が本格化した翌日から、被害はまるで積み上げたマッチ棒に火種を投じたかの如く、連鎖爆発的に増加することになる。


 当時は現在ほど国家間の連絡網が整備されていなかったので、正確な被害状況とそもそもの原因が共有されるまでに、かなりの時間を要したのも災いした。

 各国がようやく異常を察知し、本格的な対処に乗り出したときにはもう手遅れだった。〈骸機獣(メトゥス)〉の侵攻範囲はすでに国ひとつを呑み込むまでの規模に達しており、手が付けられない状態になっていたのだ。

 もちろん各国は即座に軍隊を派遣し、決死隊として現地に赴いた兵士たちは各々最大限の努力を払って必死の抗戦に挑んだが、怒涛に押し寄せる〈骸機獣(メトゥス)〉の大軍を相手には餌をくれてやるようなものだった。


 初動の致命的な遅れによって、被害の抑え込みは完全に破綻した。そして人類が頼みとする数と知恵と技術が通じないのであれば、あとはもうなし崩しであった。


 血に染まる海。屍に埋め尽くされた大地。空には黒煙。風には鉄錆臭。草木は枯れ果て、鳥の鳴き声すらも立ち消えた。

 街道には難民が数キロにも及んで列を成し、頑健な防壁と精強な軍隊に守られた主要都市にさえ、色濃い絶望が蔓延した。

 一ヶ月が過ぎる頃には、全世界規模で死が蔓延した。老いも若きも平等に降りかかる虐殺の波を恐れ、人々は絶望と恐怖を抱いたまま、長く眠れぬ夜を過ごすことになる。


 やがて有志による国際連合軍が組織され、迎撃の態勢が整う段になっても、先の見通しはけっして明るくなかった。

 シュタルク共和国。独立国家共同体セーヴェル。イグルスタ合州国。統華帝国。菊花皇国。戦線構築の中心となったのはこの五ヵ国だ。

 かつて世界の覇権を争い合った大国同士が手を結んだことは前代未聞であり、ある意味では歴史的快挙と言えるのだろうが、到底喜べるような状況ではなかった。


 永遠に終わらない地獄。明けることのない惨劇の夜。そんな流れを断ち切ったのが、後に〈黎明の翼〉と呼ばれる勇士たちの出現である。


 ある者は、死に場所を求め。

 ある者は、己の力を試すため。

 ある者は、国王直々に命を帯び。

 ある者は、成り行き任せの偶然として。

 ある者は、目の前に迫る理不尽に一矢報いてやろうと。

 そしてまたある者は、己が胸に抱いた夢と希望を現実にするために。


 世界各国からひとりまたひとりと集った彼らは、やがて運命の糸に導かれるようにして出会い、一党を組んで人々を救うべく動き出した。そこからの展開は、まさに「奇跡」の二文字を冠するに相応しい、目覚ましい快進撃の始まりであった。


 拓かれた〈骸機獣(メトゥス)〉討伐及び救世の旅路は、数多くの苦難と逆境の果て、最終的にザラームでの決戦を結末として終わりを迎える。

 各国軍の全面的な支援を受け、総力を以て奮戦した〈黎明の翼〉は、数多の犠牲の末に悲劇の根源たる〈虚獄穴〉を封印することに成功する。


 世界中を覆っていた暗夜は、ついに祓われた。人類は待ち望んだ夜明けを、ようやく迎えることができたのだ。


 時は流れ、かつての英雄譚は若い世代に御伽噺として語り継がれている。軍隊という“群の力”の究極系でさえ歯が立たなかった相手を打破した、人知を超えた凄まじい“個の力”は、実にわかりやすい希望の象徴として人口に膾炙した。 


 その一方で悪夢の記憶もまた人々から徐々に薄れつつあるが、刻み付けられた傷跡はいまだ癒えておらず、無論〈骸機獣(メトゥス)〉もまた滅んだわけではない。

 出現頻度を極端に減少させ、表舞台から姿を消しこそしたが、時折は人類の前に姿を現し破壊と殺戮を振りまいては消えていく。

 ()()()()()()として、定められているかの如くに。


 そして今もまた、若き旅人たちの行く手を阻むように、奴らは現れたのだ。



 -§-



 輸送飛行船の左舷観測員室は、俄かに喧噪に包まれていた。


「曹長殿ッ!? あれは、まさか〈骸機獣(メトゥス)〉ではッ!?」


 双眼鏡を覗き込んだまま若い兵士が叫ぶ。

 彼が見下ろす視線の先、草原の上に陣形を組んだ少女たちを、八体の異形が取り囲んでいる。大まかなシルエットを狼に似せたそれらは、しかし紛れもなく、かつてより人類の敵と呼ばれてきた存在であった。


「……馬鹿な、なんでこんなところに出てきやがる!?」


 続いて事態を確認した中年曹長も、疑念と困惑の入り混じった表情で呻いた。

 彼が一応の義務と考えて目を通していた歴代の〈骸機獣(メトゥス)〉出現例報告書には、オープスト村周辺一帯に関する記載は極少数であり、わずかな例外に関してもすべて〈巡回騎士隊〉が警ら中に問題なく処理していると記されていた。


 つまり現状は完全な想定外であり、また抜き差しならぬ異常事態であった。


「だいたい首都の近辺なら“ゲルプ”の空素術士(エーテル・ドライバー)たちが定期的なエーテル整調をやってるはずだ。実際にこの辺りで〈骸機獣(メトゥス)〉が確認されたのも、十五年前を最後に、そこから一件も報告は上がってねぇ……」

「しかし曹長殿、現にああして……!?」


 唐突に鳴り響いた硬質な撃音によって、その言葉は中断させられた。

 若い兵士が思わず音のした方を振り向けば、顔面蒼白となった中年曹長が壁を殴りつけていた。彼の常ならぬ様子に絶句する若い兵士には目もくれず、中年曹長は荒い息を吐きながらじっと壁を睨んでいる。


「そ、曹長殿? め、〈骸機獣(メトゥス)〉が……」

「ンなこたァ分かってんだよ、見りゃあ!」


 中年曹長は反射的に叫び返し、直後に顔をくしゃくしゃに顰めた。完全に八つ当たりであると気が付いたためだ。


 彼は予想外の出来事に、柄にもなく狼狽えている自分を自覚していた。久しぶりに目の当たりにした()()姿()に、トラウマを掘り返されでもしたか。

 いや、言い繕うまでもない。その通りだ。中年曹長は〈骸機獣(メトゥス)〉を恐れていた。それが引き起こす惨事に怯えていたのだ。


(十八年前の死に損ないが、いまさら怖気づきやがって……! 見っともねぇにもほどがあんだろ、クソッタレが……!)


 中年曹長の脳裏を、情景が濁流のように過っていく。

 そこでは必ず人が死んでいた。それも、ひとりやふたりではない。

 同じ釜の飯を食った同僚や友人も、気に食わなかった上司も、偶然に共闘した気の善いセーヴェル人の兵士も、一度は戦火から救い出したはずの幼い兄弟も、自分なりに愛を向けていた女性も。


(俺はなにも守れなかった。なにもできなかった。誰かの盾になることも、ただ一発の弾丸として命を投げ捨てることも。死に物狂いで駆けずり回っちゃあ、いつだって間に合わず、力が足らず。どうしようもねぇ、生き恥晒しの死に損ないでしかねぇってのに……!)


 やがて、吐息をひとつ。中年曹長は苦い記憶の数々を必死に振り払った。

 まずは現実を見なければならない。曲がりなりにも自分は曹長位なのだ。

 過去に囚われるより先にするべきことがあるだろうと、自戒を胸に落としながら彼はどうにか言葉を作っていく。現状に向き合い、対応するための言葉を。


「……マルトリッツ上等兵、指令室に状況を報告しろ」


 その言葉に若い兵士は一瞬面食らったようだが、中年曹長の「急げ」という一言を受けて即座に動いた。彼は無線機を通して、口調はぎこちなく緊張を含みつつも、正確な状況報告を送っていく。


(やりゃあできるじゃねぇか、若いの。そうとも、お前は俺なんかとは違うんだ。やるべきことを、しっかり果たせば良い。ケツは俺が持ってやる……)


 赤らめた頬に冷や汗を流す若々しい横顔へ内心で賞賛を向けつつ、中年曹長はさらに要求を付け加える。しかしそれは、どうにか快調に回り始めた若い兵士の弁舌を、再び凍り付かせるような内容であった。


「よし。そしたら、指令室から首都へ〈巡回騎士隊〉の派遣要請を送らせろ。ついでに、〈ゲルプ騎士団〉にも手の空いてるのが居たら出てもらえ、大至急だ」

「は、了か――ッ!?」


 そこまで言いかけ、若い兵士は目を剥いて硬直した。

 顎を落としたまま数秒ほど茫然とし、中年曹長の叱咤でどうにか復帰するも、はきはきしていたこれまでとは変わって明らかな狼狽がその顔には浮かんでいた。


 それもそのはず。それぞれシュタルク共和国の“矛”と“盾”とも称される〈巡回騎士隊〉に〈ゲルプ騎士団〉とは、国難打破の最大戦力にして国家防衛の要とも呼ぶべき、桁外れのエリート集団なのだ。


 〈巡回騎士隊〉は名称通り、首都近郊の警ら任務を担当する機動遊撃部隊だ。

 その歴史は古く、原型となったのは帝国時代に存在した〈猟兵団〉とされ、現在は首都の四方にそれぞれ対応する四部隊が存在している。

 そこからさらに幾つかの実働隊に分かれ、交代制で任に当たる彼らの任務内容は、首都と提携した各市町村の保護管理と内情調査。そして、外敵や不審存在に対する示威と、必要に応じた直接的な打撃殲滅だ。

 即ち彼らはいわゆる国家憲兵の一種であり、同時に「国家に叛意を抱くあらゆるものを排除する」という任を帯びた、非常に攻撃性の高い部隊でもある。


 一方の〈ゲルプ騎士団〉は首都全域の守護と警察行為を任務とする防衛組織だ。

 〈巡回騎士隊〉よりもさらに発祥の古い組織であり、帝国時代には〈褐色皇帝〉貴下、その威光と威力を一手に担う選りすぐりの猛者の集合体として、前線において数々の武勲を上げてきた由緒正しい精鋭部隊でもある。

 共和国大統領直属の親衛隊として再編された現在でも、有事に備え常日頃から弛まぬ訓練を欠かさない実戦派の部隊でもあり、ここに席を置く者は「国家と民をあらゆる脅威から守り抜く」ことを至上の義務として背負うことになるのだ。

 また〈災禍の禍年(カラミティ)〉においても、彼らが果たした役割は大きい。


 市民や兵士から畏怖と崇拝の視線を以て仰ぎ見られるこの両部隊の名前を、しかし中年曹長は給仕(ウェイター)に料理の注文をするような気軽さで持ち出した。


「どうせ暇に飽かせて体力持て余してるような連中だ、理由を作ってやればすぐにでも飛んでくる。むしろその方が良いんだ、早けりゃ早いほどな」

「じ、〈巡回騎士隊〉はともかく、〈ゲルプ騎士団〉もですか? 後で上層部からなにを言われるか……」


 若い兵士の躊躇は無理もなかった。


 なにせ〈ゲルプ騎士団〉の主任務は首都の防衛であり、よほどのことがない限り都外への派遣は行われないのが通常だ。さらに彼らは通常軍からは独立した指揮系統に属し、独自の裁量権すらも一部で認められているほどである。


 つまり若い兵士にとっては文字通り「遥か格上」の存在であり、また本来ならば現場の判断のみで出動を命じられるような相手ではないのだ。


 しかし、中年曹長は対応に妥協を許すつもりはなかった。何故ならば、今この瞬間こそが「よほどのこと」であるという確信を得ていたからである。


「無駄足なら責任は取るさ。なんなら、俺が直接()()()()()()に掛け合っても良い。……今は()()()()()()()()()()()奴らを呼ばねぇと、手遅れになりかねない状況なんだよ!」


 そこまで言われて腹を括ったのか、若い兵士は中年曹長の要求を飛行船の指令室へと告げた。直後、その向こうから明らかに躊躇するような気配が漏れ出す。即座に中年曹長は無線機をもぎ取り、叫んだ。


「責任は俺が取るっつってんだろうが!! 良いから早くしろ!! 危機感がねぇのかテメェら!!」


 あまりの剣幕に周囲の兵士たちが一斉に振り返ったが、中年曹長は一顧だにしない。彼は鬼気迫る声色で、無線機の向こう側にいる相手へと絶叫した。


「〈骸機獣(メトゥス)〉が出たんだぞ、ちんたらしてる暇はねぇはずだろうが!! 五年前の“フェーデル市”の一件もそうだ、初動が遅れて何百人死んだと思ってる!? 奴らが放っておけば次々増えるのを知らねぇわけじゃないだろう!!」


 そう、〈骸機獣(メトゥス)〉は増える。奴らは汚染変異したエーテルを養分として再び取り込み「繁殖」を行うのだ。たった一体の〈骸機獣(メトゥス)〉が放置された結果、街ひとつを脅かすほどの勢力に育つことも在り得る。


「おい、聞いてるか艦長さんよ!! アンタだって、十八年前の当事者のはずだ!! それとも後方勤務が長すぎて、あの光景を忘れちまったのか!? ああ!? そうじゃねぇってんなら、さっさと俺の言うことを聞きやがれ!!」


 中年曹長の必死の訴えは、果たして通じた。数秒の間を置いて指令室から返ったのは、ごく短い「了承」の答えであった。

 が、その声色は明らかに不機嫌であった。言い方のせいで先方の心証を損ねたらしい。どう転んでも何らかの処分は免れないだろう。

 中年曹長は苛立ちをぶつけるように荒々しく無線機のスイッチを切ると、立ち尽くしている若い兵士へ押し付け返し、腕を組んだ。


「……ったく、平和ボケしやがって」


 と、そこまで言ってから彼は舌打ちを漏らす。平和ボケなら自分自身も大概だったのだから、他人を責めるのはお門違いというものだ。そう気付いたために。


 そうとも。誰だって考えたくはないだろうし、認めたくはないはずだ。再び〈骸機獣(メトゥス)〉が首都付近に現れたなどという現実は。


(……だが、分かってたはずだ。まだ復興が進んでない地域や、被害がデカすぎて放棄された辺りには、まだまだ奴らが月一か、悪けりゃ日産ペースで湧き出てるってことはな)


 〈骸機獣(メトゥス)〉を生み出す要因となる空素構成(エーテル・バランス)の乱れは、何らかの手段で整調しない限り徐々に大きくなっていく。人手の届かない地域では当然ながらその乱れが放置されることになり、結果として〈骸機獣(メトゥス)〉の出現を許してしまっている。


 結局のところ「平和」になったのは、この世界のごく一部だけだ。目を逸らしていた事実とは、やはり向き合わなければならないらしい。

 苦い薬を飲むような感覚を得つつ、改めて中年曹長は双眼鏡を手に取った。そこに無線機を仕舞った若い兵士が、躊躇いがちに声を掛ける。


「……曹長殿、彼女たちは」

「間に合わねぇだろうな」


 即答。中年曹長の目にも、若い兵士が息を呑んだことが分かった。


 もし滞りなく派遣要請が通り、両部隊が迅速に装備を整え、首都から全力で駆け付けたとしても小一時間はかかる。

 気を利かせて自動車両などを用いて先行するような連中がいたとして、短縮できて精々十分そこらだ。〈巡回騎士隊〉が運よくこの近辺に来ていたなら状況は変わって来るが、それでも今すぐにとは行くまい。


 ほんの数分。それだけあれば、若い女性四人程度を〈骸機獣(メトゥス)〉どもが食い散らかすには長すぎる。


「……どうにか、できないのでしょうか」


 苦渋を滲ませて唸る若い兵士に、中年曹長が頷くことはできない。


「……どうにもならねぇよ。オープスト村の方は出入り口を閉じて防衛に集中すれば、なんとか持ち堪えられるかね。最悪、数人程度は犠牲者が出るかもしれんが、全滅はしなくてすむ、かも知れん」


 それもあくまで希望的観測だ。


 防柵といっても木製だ。〈骸機獣(メトゥス)〉の侵攻を長時間は防げないだろう。

 そうして村の中に奴らが入り込めば、即座に蹂躙めいた虐殺が始まるのだ。奴らには血も涙も情けすらもない。動く肉を引き裂き、土と混ぜ合わせることに喜んで躍起になるだろう。


 ふと、若い兵士の固く握り締めた手が震えているのに中年曹長は気が付き、やり切れない思いを抱いた。

 彼は理解しているのだ。〈骸機獣(メトゥス)〉の残虐性については、軍に入隊した者ならば必ず教え込まれる。

 根が真面目なこの若き上等兵は真摯に教えを受け止め、だからこそ眼下の少女たちがこれから辿る運命についても、正確に予想できてしまったのだろう。


「……せめて、援護が、できれば」

「この飛行船に、武器は積まれてねぇ」


 絞り出すような声に、中年曹長は敢えて現実を突き付ける。


「俺たちが持ってる装備といえば拳銃くらいだ。当ずっぽうに撃ちまくっても、ここからじゃあ届かねぇよ」


 なんなら飛び降り自殺でもしてみるか? 数秒くらいは気が引けるかもしれないぞ? そんな質の悪い冗談が口から出かけたのを押し止める。この時ばかりは自分の皮肉屋ぶりが恨めしかった。


 今や、左舷観測室に蟠る雰囲気は沈痛なものに成り果てていた。

 恐らくは右舷観測室、状況を伝え聞いた他の部署もそうだろう。

 指令室とて例外ではあるまい。艦長とて役職と状況が違えば、自ら銃を持って彼女たちを助けに行っていたはずだ。


 組織への忠誠、職務への意識。そこに個人的な差異はあるだろうが、軍人の道を選んだ以上その本分は、抗う力を持たない誰かを守り、その為に敵と戦うことに他ならない。

 

 だと言うのに、本来矢面に立つべき自分たちが何も手出しできないまま、化物共に人が殺されるのを黙って見ているしかない状況というのはあまりに酷だった。


(……許せよ、嬢ちゃんたち)


 彼女たちを不用心と罵ることはしまい。


 〈骸機獣(メトゥス)〉の出現は災害のようなものだ。あるいは旅行士(トラベラー)として、危険を承知でそうしているのかも知れないが、国内で起きた不始末は民を守るべき軍の責任だ。少なくとも中年曹長はそう考えている。


(……知り合いも全員死んじまって、なのに平和になっていく世の中に現実感もねぇまま、ただ薄ぼんやり過ごしてきただけの俺は、それくらいの自罰意識を背負うべきだろう。ああ、そうとも。俺は結局、見てることしかできねぇんだ)


 ロクデナシの不良軍人でも最低限の一線というものはあるはずだ。仇を討つことすらも恐らくはできない以上、彼女たちの死に様をしっかり目に焼き付けて、墓場まで抱えて持っていくのが――


(……馬鹿が。そんなことをしたって、弔いなんかにゃならねぇってのに)


 ――そうとも、これは、ただの自己満足に過ぎない。烏滸がましいにもほどがある。それでも、そう考えなければ堪らなかった。怖気付きそうな身を奮い立たせ、覚悟を決めて双眼鏡を覗き込んだ中年曹長は、


「……なんだと?」


 そこに信じられないものを見て、絶句した。


 周囲、中年曹長に続いて双眼鏡を覗いていた他の兵士たちも、やはり身を固くした。彼らが一様に胸に浮かべた感情の名前は「驚愕」だ。


 拡大鏡を通した先、中年曹長は目にした「理由」を思わず口走った。


「あいつら、まさか……戦ってるのか!?」



 -§-



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