シーン11:銀の弾丸を継ぎし者
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やがて、そよ風が吹く。
春めいた温もりをたっぷりと含んだその穏やかな風が、練兵場に漂う決闘の余韻を優しく拭い去っていく。雄々しく空を揺らした勝鬨の残響も、汗と血の匂いを孕んだ熱気の残滓も、すべては徐々に薄れて消えていく。後には残らない。
そうして静寂を取り戻した舞台の傍ら、騎士二人の誇りと正義を賭けた壮絶なる戦いの見届け人となった少女が、どこか躊躇いがちに口を開く。
「……凄かった、です」
テア・アインホルンはその一言を発するだけで精一杯らしかった。
上気した頬と、虚脱したような表情。小さな肩が小刻みに震えている理由は興奮か、はたまた畏れのためか。その胸の奥で高鳴る心音がおそらく答えだろう。
少なくともこの幼げな騎士見習いは、もはや迸る鮮血に怯えてはいなかった。
「――≪銀の弾丸≫、か」
傍ら、コルトン・ヴェーバーが黒瑪瑙色の瞳を細め、溜息混じりに呟く。
その耳慣れない単語にテアが反応した。彼女はぱちくりと目を瞬かせてから、こくりと小首を傾げて「なんです、それ?」と問う。
するとコルトンは「いや、なに」と微かに微笑んでから答えた。
「古い空素術……、否。我々がいま操る超常を引き起こす術が、その名で呼び表されるより以前の時代に用いられていたという、攻撃術の一種だよ」
「えっと……、聞いたことがないです。すみません、不勉強で……」
「それは当然だよ。なにせ現在使われている術式教本には名前すら載ってないからね。それこそ歴史書の類を紐解かなければ、まず記述は見つけられないだろう」
少なくとも自分が特別無知なわけではないらしい。そう安堵の表情を浮かべたテアは、次いで沸き起こった素朴な興味に従うまま疑問を口にする。
「それって、どんな術なんですか? もしかして、物凄い威力があるとか……」
テアの口調にはそこはかとなく期待が込められていた。話に出たタイミング的にリーンハルトが放った拳と件の術名に関連性があるのは明らかで、ならばリーンハルト贔屓の彼女としては自然とプラスのイメージを抱いたのだろう。
「残念ながら、そういう類の代物じゃないな」
が、コルトンの返答はにべもなかった。
「なにせ生まれた時代が時代だ。威力は現在使われている攻撃術と比較対象にもならないだろう。原理としても“エーテルを高圧化して弾丸のように撃ち出す”だけのひどく単純な……、そんなに不満そうな顔をしなくても良いと思うんだがね」
「いえ、そのう。私が勝手に期待してただけなのは、分かってるんですが」
気落ちした様子のテアに、コルトンは苦笑を濃くする。
「悪い術ではないんだよ。これを基に≪エーテル・アロー≫が作られたという説もあるほどだし、威力については技術水準の差によるものでしかない。……現にリーンハルトが使って見せたそれは、ああして凄まじい威力を発揮したんだからね」
「えっ? 大尉が、その≪銀の弾丸≫を使った、んですか……?」
コルトンが頷くと、しかしテアの顔には戸惑いが浮かぶ。
「で、でもそれって空素術の一種、なんですよね? けれど大尉はさっき、発動のために描画も詠唱もしてなかったと、思うんですが……」
「ああ。≪銀の弾丸≫は描画術でも詠唱術でもないからね」
その説明にますます混乱した風のテアだったが、不意にパッと表情を明るくすると、よく通る声で己が得た気付きを口にする。
「ああ、そうか! そういう分類が出来上がる前の術なんですね?」
「その通り。≪銀の弾丸≫は本当に単純な術なんだよ。発動に必要なのは記号でも発声でもなくエーテルを圧縮する手段だけなのだから。そして今回はリーンハルトの義手に仕込まれた機能がその役目を果たしたというわけだ」
コルトンは語る。褒めて良いものか、呆れるべきかと悩むような表情で。
「おそらく偶然の気付きだろう。そもそもリーンハルト自身も≪銀の弾丸≫という術は知らなかったはずだ。それをあの土壇場で“拳を急加速させる”手段に転用するとは、……いやはや、こればかりはヴァルト小隊長も予想できなかったろうな」
「……ヴェーバー小隊長は、シュレーダー大尉の勝利が偶然と仰るんですか?」
「まさか。実戦から運の要素は排除できないものだが、それだけで勝敗が決まるほど騎士の決闘は甘くない。リーンハルトは己が正義と誇りを、確固たる意志と力で以て貫き通し、そして勝利を掴み取った。それは決して揺るぎない事実だよ」
コルトンがそう答えると、テアは安心したようだった。
肩の強張りを解いた彼女を眺めながら、コルトンもまた一種の感慨に耽っていた。それはリーンハルトが「勝利」への強い渇望を口にしたことへの意外や、重ねて彼があまりにも重すぎる不敗の誓いを叫んだことへの驚きもあったが、
(決着の要因となったのが、よもや≪銀の弾丸≫とはな……)
≪銀の弾丸≫。魔を討ち払う力を名に込められたその術の、本来の使用目的および開発経緯は、この世界で初めて実用化された対〈骸機獣〉討伐術とされている。
(かつて凶悪なる侵攻者に対抗すべく例え粗削りでも人類が身に着けた牙を、現代を生きる騎士が受け継いだというのは、どこか運命的なものを感じてならない)
そしてその運命は今後もリーンハルトの力となるだろう。
己が誇りと正義の何たるかを心得た騎士が、今日この場で手に入れた誓いと勝利を胸に戦い続ける日々に幸あれと、コルトンは願わずにいられなかった。
「――ぁあああああああッ!?」
と、不意にテアが大声を張り上げた。
何事かと咄嗟にその視線を追ったコルトンは、練兵場の中央でリーンハルトが仰向けに大の字で倒れている状況を目の当たりにする。急ぎその様子を窺うが、
(……呼吸も正常だし、顔色も悪くないな。単純に疲労が限界に達しただけだろう。まあ、あれだけ烈しい戦闘を繰り広げたのだから無理もないか)
遠目にも直ちに危険な状況ではないと判断し、取り立てて慌てることのなかったコルトンだが、テアの方はすっかり狼狽してしまったようで。
「し、し、シュレーダー大尉!! 死なないでくださいぃいいいッ!!」
コルトンが止める間もなく、観覧席の出口へと泡を喰って駆けて行ってしまった。ひとり取り残されたコルトンは肩を竦めて立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。
その数秒後。バケツか何かを蹴飛ばしたような騒音と、驚き慌てる数人分の声に混じって、テアの必死に謝る声がかすかに聞こえてきた。どうやらリーンハルトを迎えるその前に、少々寄り道をしなくてはならなくなったらしい。
「やれやれ。……まあ、急ぐ必要はないか」
ふと見上げれば、青空が広がっている。麗らかな陽光に照らされながら、さてリーンハルトと何を話そうかと考えつつ、コルトンは観覧席を立ち去った。
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視界いっぱいに広がる透き通った蒼色を、リーンハルトはただ茫然と眺めていた。背中をくすぐる芝の感触。頬を撫でる風と、そこに混じる土の匂い。
(――、……疲れた、な)
全身が鉛のように重く、指先一本たりとも満足に動かせない。
精も根も尽き果てた、まさしく完全燃焼の体だった。
そのうえ身体の彼方此方がギシギシと軋むような、あるいは芯まで響くような鈍い激痛を訴えてきていて、思わず顔を顰めてしまう。
なのに。その疲れも痛みも、すべてが心地好かった。嬉しかった。
(……勝った。俺は、クリストフ・ヴァルトに、――勝つことができた)
その揺るぎない現実を噛み締めるたび、言いようのない歓喜が胸の奥に広がる。ともすれば夢幻かと疑いかねない現状を、今もなお全身に滾り続ける灼熱の余韻が真実であると裏付けてくれる。ああ、燃えている。魂がまだ燃え続けている。
「……嬉しそうだな、リーンハルト」
「――ッ、クリス! 目が覚めてたのか?」
「ああ、ついさっきな。起き上がることはできんが」
不意の呼びかけに応じてみれば、クリストフの声はさほど遠くない。身体が動かないため位置を探ることはできないが、彼も案外すぐ近くに倒れているのだろう。
そうと分かれば訊かなければならないことがある。
リーンハルトは仰向けに倒れたまま、クリストフへと向けて声を放った。
「クリス、大丈夫か? 怪我はないか?」
「殴った本人にそう訊かれるのも妙な話だな」
「それはそうだが。……まともに喰らってたからな」
「そうだな、見事な一撃だった。悔しいが、認めざるを得まい」
続く、呻き声。思わず心配するリーンハルトに「大丈夫だ」とクリストフ。
「……見た目ほど、深刻な負傷じゃない。肋骨の数本は折ったかもしれんがな、このくらいはよくあることだ。すぐに治るさ。後遺症も残るまい」
「そうか。……なら、良かった」
リーンハルトの胸中を安堵が占める。自然、深い溜息が零れた。
本気の勝負だった。命を賭けた一撃だった。結果として死人が出てもおかしくない、正真正銘の真業の打ち合いだった。振るわれた拳と刃に嘘はなかった。
けれど、それでも。こうして決闘を終えた二人が、無事に話をできている事実が、リーンハルトには喜ばしかった。護る拳で人を殺めずに済んで良かった。
ましてや尊敬する騎士であり友と呼ぶべき同胞を、
「――失わずに済んで、本当に良かったよ」
「……なあ、リーンハルト。前々から訊きたかったんだがな。何故、君はそこまで私に、その。……敬意を向けているんだ? 自分で言うのも恥ずかしいが、これまで私が君に接してきた態度は、決して褒められたものではなかったはずだ」
彼にしては珍しく、心底から戸惑ったような、歯切れの悪い言い方だった。だからリーンハルトは、再び誤解されぬよう、正直に答えることにした。
「お前が俺にはできなかったことを、立派にやり遂げた男だからだ」
リーンハルトは語った。自分がクリストフ・ヴァルトという男に対して抱いていた強烈な憧れ、そして劣等感の一切を、包み隠すことなくただ率直に。
「……君には、こう、なんだ。……羞恥心というものはないのか?」
すべてを黙って聴き終えたクリストフの返事は、どことなく痒みを堪えているような震え声だった。それからクリストフは「ないんだろうな」と独り言ち、何度も何度も言い淀むような仕草を挟みながら、ようやく意を決して口を開いた。
「……正直に言うぞ。私はな、リーンハルト。君が嫌いだった」
「だろうな。お前には色々と迷惑をかけてきたから、すま」
「そこで君に謝られると私の立つ瀬がないんだが?」
リーンハルトは口を閉じた。今は静かに相手の言葉を聴く時なのだ。
「……まあ、そういう空気を読めないところもだが。とにかく私にとって君は不可解であり不気味だった。何一つとして噛み合わない存在だった。なのにいくら遠ざけても喰らい付いてくる。迷惑というより、ハッキリ言って怖かったよ」
一息。浅い溜息のような、かすかな苦笑をクリストフが漏らす。
「同時に、憐れんでいた。〈骸機獣〉災害の被害者がその仇討ちのため、軍に入隊するなんて話はよくあることだ。そして遠からず死ぬか、再起不能となる。だからそうなる前に引導を渡してやるべきだと、思い上がったことを考えてもいた」
聴いているうち、段々とリーンハルトは居た堪れなくなってきた。
なにせ返す言葉がない。クリストフの言う通り、入隊当初の自分の振る舞いは、まさしく自殺志願者以外の何物でもなかったから。
その上で関わった人間すべてに迷惑をかけ、一切顧みることもなかったのだから、なるほど軍にとっては一刻も早く排除したかったに違いない。
(そんな奴が無遠慮に絡んでくるんだ。クリスが俺を厭うのも当然だろう)
あの頃、なんの気なしにしてきたことがクリストフに多大なストレスを与えていたのだと分かってくると、今更になって申し訳なさが募っていく。
やはり謝るべきだろうか。そんなことを考えていたものだから、
「だが、……結果として君という存在が、私を鍛える一因になったのも事実だ」
続くクリストフの言葉に、リーンハルトは思わず目を瞠った。
「君が私に敗けたことを悔いたように、私も君に敗けたことで己を見つめ直した。もっとも、鍛え上げられたのは技術ばかりで、肝心の心意気が追い付いていなかったようだがな。今回、君に敗北したことで、己が不出来を思い知らされたよ」
違う、と。咄嗟にリーンハルトは叫びそうになった。お前ほどの男が不出来ならば、俺は落第もいいところだと伝えたかった。辛うじてその衝動を抑え込めたのは、クリストフの声色がそれほどネガティヴでないことに気付けたからだ。
「リーンハルト、私はまだまだ強くなるぞ」
「――……ッ!!」
だから。クリストフの誇りがいまだ穢されていないことも、それどころか更なる磨きをかけようと彼が決意を固めていることも、するりと呑み込めた。そして彼が言外に「そっちはどうなんだ?」と問い掛けてきていることも。
「……クリス。俺はずっと、お前のようにはなれないと、そう思っていた」
故に、誓う。肚の底から憧れた男がそうしたように。
「お前のような立派な騎士には、絶対になれないんだと思い込んでいた。だから修羅になろうとした。憎むべき怨敵をひたすら討ち滅ぼすだけの、身を削り魂を焦がして戦い続けるだけの、血と泥に塗れた修羅でいいんだと――」
一呼吸。土の匂いを含む清涼な空気が、誓いを言葉にするための力をくれる。
「――けれど、今は違う。そんな諦めに縋るんじゃなく、俺自身が本当になりたい姿が、目指した理想が今は見える。だからこれからは、それを追っていくよ。誰にも誇れる騎士として、総てを護り抜けるような、そんな在り方を……誓いたい」
輝かしい理想を語る堂々とした宣誓には、直後に現実を知る者からの冷や水が浴びせられた。クリストフは冷め切った口調でこう告げる。
「だとすれば、だ。リーンハルト、これから君が背負うものは重いぞ。非公式とはいえ正々堂々たる決闘で〈ゲルプ騎士団〉の小隊長を君は打ち負かしたんだ。噂は広がる。向けられる視線には期待と嫉妬が色濃く滲む。窮屈に、なるぞ」
その光景を脳裡に描き。けれども、リーンハルトは怯まない。
「覚悟している」
「そうか。なら、いい」
クリストフは、ただ静かに微笑みを浮かべ、頷いた。
「……その在り方を貫けよ。君らしい愚直さで、どこまでもな」
そして、刃の騎士は立ち上がる。リーンハルトは思わず声をかけた。
「おい、大丈夫なのか。もう少し、休んでいた方が……」
「問題ない。それにまだ、警邏任務が残っているからな」
その姿を見よ。砕け拉げた戦闘鎧に、汗と砂埃で無残に乱れた金髪、千切れた芝と飛び散った泥に塗れた衣類。口の端には乾いた血の跡がこびり付き、眉目秀麗な顔立ちは見る影もなく。決闘前とは別人のように薄汚れた格好だ。
誇りと正義を懸けた決闘に敗れた騎士の姿である。
しかし、その姿を見よ。
彼から誇りは失われただろうか。
その正義は穢されただろうか。
否だ。断じて否である。故に彼は敗北者ではない。だからこそ刃の騎士は、傷付いた姿を晒しながら、堂々たる歩みを以て立ち去って行くのだ。
「リーンハルト。……ひとつだけ、君に伝えておく」
去り際、ふとクリストフがそう切り出した。
「君が最後に放ったあの拳は、おそらく技としては未完成だ。現に私がこうして歩けているんだからな。トドメの一撃と定めるにはまだ不完全だろう」
リーンハルトはその忠告を素直に受け止めた。他でもないクリストフ・ヴァルトがそう評するのだ。ならば真剣に検討して然るべきだし、
「……ならば、より完成度を高める余地があるということだ」
「その前向きさ、以前の君にはなかったものだ。磨き上げろよ」
そして、最後にたった一言。
「〈烈刃〉リーンハルト・シュレーダー。次は、私が勝つ」
クリストフはそれだけを告げて、振り向かぬまま去っていく。その誇り高き背へ向けて、リーンハルトは右の拳を突き出した。込める意思はただひとつ。
「〈迅光〉クリストフ・ヴァルト。次も、俺は敗けん」
遠ざかる背中を見送って、そこでリーンハルトはふと気付く。己が掲げた右拳に刻み込まれた、無数の裂傷と摩耗痕に。それはかつての“右腕”と酷似していて、
「……たった一日で、元通りか」
けれどきっと、込めた意志の重さは増している。
「――シュレーダー大尉~~ッ!!」
その呼び声に振り向けば、こちらへ駆け寄ってくるテアと、その後ろをゆっくり歩いてくる苦笑顔のコルトンがいる。何故、彼女がここに居るのだろう。一瞬だけ思考を過った疑問は、すぐに「どうでもいいことだ」と溶け消えた。
(俺を迎えてくれる人たちがいる。その有難さの方が、俺には大事だ)
近付いてくる彼女らへ向け、リーンハルトは親指を立ててみせた。
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一方、出迎えがあったのはリーンハルトだけではなく。
「――よ! ヴァルっちお疲れ! いやあ、敗けたねえ!」
練兵場の出口付近。胸部の激痛を堪えながら退場してきたクリストフの眼前に、突如として一人の女性が立ちはだかった。
目の覚めるような鮮烈な金髪をオールバックにして背中側へと流し、ぎらつく深紅の瞳をまるで大型ネコ科動物めいて爛々と見開き。愛嬌があると評するには好戦的過ぎる笑みを満面に貼り付け。スレンダーな肢体を包み込むのはブラックスーツと、極め付きはその上から羽織った虎柄模様の毛皮のコート。
強烈な印象を撒き散らすように存在する彼女は、いっそ場違いなほどに明るい声音で、クリストフへ気安い言葉を吐き出し続ける。
「うわー、顔色悪いね。そりゃそうか、あんなパンチ喰らってんだもんね。立ってるのもやっとだろうに意地張ってんだ。男の子だねえ!」
「……どうしてあなたがここに居るんですか、ガーレン師匠」
「いやさあ、ちょっと暇ができたもんだから戻ってきてたんよ。そしたらなんか、キミたち面白そうなことやってんじゃん? こりゃ見物せにゃと思って仕事ほっぽらかして覗き見してたってワケ! 面白かったよお、若いっていいねえ」
景気よく捲し立てるガーレンを、クリストフはなんとも言えない表情で睨んだ。するとガーレンは急に拗ねた幼子のように口を尖らせて、
「なんだよう。可愛い弟子の活躍を見に来ちゃいけないのかよう。冷たい奴だなあ、私は哀しい! こうして若者たちは人を思い遣る心を失っていくんだなあ!」
「仕事の話なら手短にしてください。あなたも口ぶりほど暇なわけがないでしょう。……“護帝剣”の一席ともあろう方が、ただの暇潰しで来るはずがない」
「うん。じゃあ言っちゃうけどさ、キミ、七回目の遠征に来る気ある?」
唐突に。それまでの稚気じみた気配を消し去って彼女は――〈乱輝流〉グリゼルダ・ガーレンは――その誘いを投げかけた。地獄への招待状に等しい誘いを。
「……急、ですね」
クリストフは、動揺しなかった。この奇天烈めいた師が直接会いに来る時は常に唐突で、そしてほぼ確実に差し迫った事情を抱えていると知っているから。
「……群体発生ですか? それとも異常個体?」
「湧いちゃった方。最近見つかった巣が、もうね、ちょーっとヤバめのデカさ。まあ、テオくんは確定として、下手するとデアっちょも連れてかないとダメかも」
「〈覇道砲〉と〈壊断児〉。“護帝剣”を二人も投入するほど、ですか」
「そこに私も加えて三人。いやあ、大盤振る舞いだね! お祭りかな?」
挙げられた名前とその人数に、今度こそクリストフは戦慄した。“護帝剣”が三人も出撃するほどの群体発生案件。それは即ち、州喪失クラスの危機に等しい。
「ま、そんなに心配しなくていいよ。あの大暴れコンビがいれば殲滅自体は問題ないし。だから重要なのは、どれだけ人員損耗率を下げられるかって点。そのためには君がいてくれると助かるんだよね、……クリストフ・ヴァルト小隊長」
「……ヴェーバー小隊長には? 防衛線構築には、彼の力も不可欠です」
「これから声掛けに行くところ。まあ、断んないでしょ。あ、なんならあの子も誘う? ほら、さっきまでキミが決闘してたさ、リーンハルト・シュレ――」
「――師匠、私だけで十分です」
ガーレンが。そしてクリストフ自身が驚くほどの過敏さで、彼は咄嗟に師の提案を退けていた。眼前、表情を消したガーレンと目が合う。クリストフの喉が鳴る。鉛のように重い唾が、喉に張り付いて、なかなか落ちて行かない。
それを強引に、鈍痛と共に飲み下しながら、なんとか言葉を発する。
「……奴の手を、借りるまでもない。今回は、不要です」
「ふぅん。……私の見立てが間違ってるって言いたいんだ」
じとり、と。見開かれた獣の目が、睨みつけてくる。
「十分、通用すると思うんだけどな。少なくとも、死にはしない。キミだって同じように地獄で自分を磨いたクチじゃん? 彼もおんなじ素質あると思うんだけどな。それとも……私が彼を、殺そうとしてるとでも、思ったわけ?」
「……そういう、わけでは」
永遠にも思える、粘つくような数秒間が、過ぎ。
「……ま、いっか。分かった! じゃ、そういうことで。出発、十日後でヨロ。王城正門前に朝五時までに集合ね。それまでに怪我は治しときなよ」
思いのほか、素直にガーレンは折れた。軽快な足取りで去っていく彼女は、去り際に一言だけ「ごめんね、余計なこと言って」とだけ言い残していった。
そして、足音の余韻が完全に消えてから、ようやく。
「……今は、駄目だ」
痛みによるものか。あるいは焦燥か。額から滲む脂汗を拭いながら、その場に残されたクリストフは独り言ちる。そう。少なくとも、今だけは駄目なのだ。
リーンハルトはきっと、いずれ未整調地帯で拳を振るうほどの騎士になれるだろう。地獄の真っ只中を駆け抜け、数多の〈骸機獣〉を討ち滅ぼす烈士となろう。
けれど、今だけは駄目だ。今、彼があの地獄に赴けば、彼の周りで人が死に過ぎる。総てを護ると誓った男に、あまりにも重すぎる現実が圧し掛かる。
(もう少しだけ時間が欲しい。せめて奴があと一段階、力を磨き上げるまでは。少なくとも、あの拳を完成させるまでは、どうにか……)
これは紛れもないお節介だ。公私混同も甚だしい、身勝手な決断だ。
そこまで考えて、クリストフは苦い笑みを零した。以前までの自分なら、よりにもよってあの男の今後を案じることなど、有り得なかっただろうに。
だが、知ってしまったのだ。そして認めてしまった。リーンハルト・シュレーダーが騎士に足り得る男だと。その誓いが尊いものであることを。
だから、いずれだ。
「……いつか来る未来のため、今は私が先達となろう」
いずれ、もしかすると。肩を並べて地獄を駆ける、有り得るかも知れない未来のために。今は。今だけは、その可能性を護るために戦いたかった。
「そうと決まれば、……やることは多いな」
まずは負傷を治し、本日の分の警邏任務を終わらせる。そうしたら遠征に向けた準備に取り掛かろう。シフトの調整と、各部署への通達と。損傷した装備の更新もしなければならない。やるべきことは山積みだ。そう、いつも通りに。
「それが、……騎士が担うべき勤めなのだから」
クリストフは歩き出す。地獄へ向けて。その先にある未来を信じ、護るために。
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通り雨の旅行士:次章「災禍鳴動狂騒曲」へ続く...
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2023/07/04:文章を追加・修正。誤字脱字を修正。“護帝剣”テオドール・ゴッドフリーの綽名を変更しました。(変更前〈無欠城塞〉⇒ 変更後〈覇道砲〉)
2026/01/01:セリフを追加しました。




