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通り雨の旅行士《トラベラー》  作者: 赤黒伊猫
インターミッション:騒乱劇のその後に
34/41

シーン7:疾風の如く走れ



 -§-



 例えるならば、人工的に造られた峡谷。そうとでも表現するしかないような風景が、周辺一帯に広がっていた。


 ほとんど隙間もなく等間隔で立ち並ぶ、のっぺりした外観を持つ鈍色の巨塔めいた物体は、幾つも階層を積み上げて建てられた()()の一種である。

 否、家という呼び名は、正確には相応しくないかもしれない。

 遥か遠い海の向こう、イグルスタ合州国においては「ビルディング」とも呼ばれるこれらの建造物が果たすべき役割は、住居ではなく職場なのだから。


 ここは“ゲルプ”王城内の『行政区』。


 鈍色の高層建造物(ビルディング)が列を為すその谷間、規則正しい幾何学模様を描くように拓かれた混凝土(コンクリート)製の道路上を、肩を並べて進むふたつの人影がある。


「……本当に、面目ない。余計な手間をかけさせてしまって」


 隣を歩く若い騎士団員の女性に、リーンハルトは腹痛でも堪えるような渋い表情を見せながら、もう何度目かになる謝罪を口にする。


「おまけに付き添いのような真似までさせてしまい、なんと詫びればいいか」

「いえいえ。私も丁度シュレーダー大尉と同じ場所に用事がありますから」


 小川のせせらぎのように静かなその声は、リーンハルトの肩の高さよりも、さらに頭二つ分は低い位置から発せられていた。


「それに本音を言わせてもらうと、私も大尉と一度くらいはお話をしてみたかったですしね。だから今回のこれは、ある意味では良い機会なんですよ」

「……だとしたら、なおさら申し訳ない。おそらく俺は、君を楽しませられるような話題など、何一つとして持っていないだろうからな。と、君の名前は――」

「あ、テアです。テア・アインホルン。そういえば名乗ってませんでしたね」


 くすりと微笑んだテアに、リーンハルトは頷き、苦い声を漏らす。


「俺は、その。……控えめに言っても口下手だし、趣味や嗜好として語れるようなものも、ほとんど持っていないんだ。唯一長続きしていることと言えば、ただひたすら〈骸機獣(メトゥス)〉どもを叩きのめしてきただけだから、けっして愉快な話題にはならないだろうし。だいいち、俺自身があまり面白味のある人間じゃないからな」


 正真正銘、腹の底から出た嘘偽りない本音であった。だというのに、せせらぎのような声は、かすかに笑みを含んだ調子でこう言うのだ。


「趣味や嗜好はともかく、大尉の為人について判断するのは、もう少しちゃんとお話をしてからでも遅くないと思います。と言いますか、むしろ私は大尉のそういうところを詳しく知りたいから、貴方とお話をしてみたいって考えたんですよ?」


 その言葉に、リーンハルトは純粋な驚きと、やや塩気の強い困惑を得た。


(……まさか俺のような人間に興味を持つ人がいるとはな)


 自嘲気味にそう思いつつ、彼は改めて、傍らの若い女性団員――テア・アインホルンと名乗った彼女――に目を向ける。


 外見から判断する限り、歳の頃はおそらく十代後半といったところ。

 騎士団員としてはかなり若い部類、それこそ最年少に近い年齢のはずだ。

 薄墨色の髪をボブカットにした彼女は、どこか澄ましたような顔立ちを保ったまま、歩幅の差に苦労した様子もなくリーンハルトの脇にぴたりと着けている。


 入団してまだ一年未満の「見習い」だというテアは、リーンハルトが再びトラブルに巻き込まれぬよう、目的地までの同行を申し出てくれたのだ。

 ただし、目的地までの道順についてはさすがのリーンハルトもしっかり把握しているので、()()()()()()()といった危険性は最初から排除されている。


 つまり、彼女の同行は完全に「お目付け役めんどうごとをおこすなよ」的な意味となるのだ。


(情けない……)


 すでに二十歳(はたち)を過ぎた身としては、あまりに気恥ずかしい展開である。ましてや問題を起こすまいとして、精一杯に気を張って行動した結果がこの有様なのだから、つくづく裏目に出たものだ。


 もっとも、テアの行動があくまでも純粋な善意から出たものであることはリーンハルトにも理解できているため、突っ撥ねることもできない。


「……少なくとも。これまでの経緯から、俺がまったく尊敬に値しない不心得者であるということは、君も重々理解できているだろうな」


 自己嫌悪から思わずそう漏らしたリーンハルトに、テアは「うーん」と浅く眉根を寄せてから、瑞々しい桜色の唇を開く。


「そもそも、大尉はなんらかの罪を犯したわけではないのですから、あまり気に病まないでください。あれはただ単純に、巡り合わせが悪かっただけだと思います」


 ……ちなみに結論から言って、トラブルの解決にさしたる混乱は生じなかった。


 リーンハルトの入城記録が残されていたことと、そこから迅速に身元の照会ができたこと。また彼の存在が〈ゲルプ騎士団〉の間でもそれなりに有名であったことと、なにより現場に現れた騎士団員が偶然顔見知りであったことなどが幸いし、最終的には「政府職員の早とちり」というかたちで片が付いたのである。


 よって、リーンハルトに処罰が与えられることはなく、また不名誉な風評の類についても早々に誤解が解けたため流行は指し止められた。そもそも、ただ歩いていただけの彼に罪があるわけはないのだから、当然の決着ではあるのだが。


 とはいえ、リーンハルトの心中は穏やかではなかった。


(イーリスと部下たちに顔向けができん……)


 穴があったら入りたい。羞恥と悔恨に苛まれる彼の顔色は悪く、常ならば強固に保たれているはずの鉄面皮は見る影もなく崩れ去り、頬には一筋の冷や汗が伝っている。身体付きに関しても、心なしか普段より小さく見えるほどだった。


「……あの、本当に大丈夫ですからね? シュレーダー大尉?」


 完全に意気消沈(しょんぼり)してしまった様子のリーンハルトを励まそうと、テアはやや背伸びしつつ彼の顔を見上げ、気遣わしげな微苦笑を浮かべて口を開いた。


「貴方は騎士たる礼と義と法を誓って入城を認められ、かつそれらに則った行動を心掛けていただけなのですから、責められる謂れなどないのですよ」

「……しかし、俺が皆を不安にさせ、混乱を招いてしまったのは事実だ」

「それは純粋に認識の齟齬が原因です。むしろ些細なことで動揺し、妄りに誤った風説を流布しかけた我々こそ、本来なら反省すべき立場なのですから」


 彼女の口調は静かだが、それを聴く者の意識に染み渡るような、率直な響きを持っていた。そのおかげか、リーンハルトは多少なりとも落ち着きを取り戻した。


「……気を遣わせて、すまなかった。さっきから延々と愚痴ばかり聞かせて、不快にさせてしまったかもしれない。だが、おかげで気が楽になった。ありがとう」

「礼には及びませんよ。でも、そうですね。もし次の機会があるとすれば、その際は誰か案内役を、予めお付けしたほうが良いかもしれませんね」


 なにせ、とテアは言葉を続ける。


「ただでさえ、この王城は広大ですから……」



 -§-



 ……シュタルク共和国の中枢機関を一箇所に凝縮したといっても過言ではない“ゲルプ”王城の在り方は、世間一般的な「城」の枠を超えた超大型複合施設、あるいはそれこそ「小規模な独立都市」と称す方が相応しいだろう。


 主要施設のみに限定して、大雑把に区分けをすると、以下の通りになる。


 まず王城全体の中心点となるのが、全施設内でもっとも歴史が古く、また唯一正式な意味で「城」と呼ぶべき部分である『旧王城』である。

 周囲に比べてやや小高く盛り上がった丘の上、豊かな木々に紛れるように存在するこじんまりとした造りのこの「城」は、初代“褐色皇帝”に由来する建造物だ。

 実用性を突き詰めた素朴で頑健な外観から分かる通り、本来の用途としてはむしろ「砦」に近く、老朽化が著しい現在では立ち入り禁止区画に指定されている。


 そんな『旧王城』の姿から、やや東側へと視点を移せば、今度は絢爛豪華な造りの『宮殿』が現れる。白磁の壁が眩いこの建造物は、築城当時より現代に至るまで、歴代“褐色皇帝”とその一族が生活する住居として保たれ続けており、時節に合わせた催し物や祝賀会などはこの一角を借りるかたちで行われるのが通例だ。


 次にその『宮殿』を南北に挟み込んで護るように、二棟に分かれた『騎士団本部』が置かれている。騎士団員が生活するのは主にこの施設であり、そのために彼らが必要とする設備は、ありとあらゆるものが揃えられている。

 例を挙げれば『練兵場』であり、武具類を製造・修繕するための『工房』であり、多種多様な知識を身に付けるための『図書館』であり、その他にも各種倉庫や技術研究所など、もちろん生活スペースも広く確保されている。

 ちなみに主要施設の中でもっとも面積が広いのは、何を隠そうこの『騎士団本部』であり、帝国時代の初期はこの場所に城下町が敷かれていたのだ。


 そして『騎士団本部』を中心とした同心円状に、それぞれ『行政府』『司法府』『立法府』が存在している。これらは読んで字の如く、国家運営に携わる政府職員たちの職場であり、時には夜遅くまで施設内の明かりが絶えることはない。


 また各施設の間には田園や牧場を有する緩衝地帯が設けられており、そのさらに外側を囲むように、騎士団員が詰める『騎士団出張所』が等間隔で配置されている。これらは首都の警邏任務に就く騎士団員の待機場所であり、言うなれば王城内と首都の治安を同時に見張る「物見櫓」の役割を果たす施設だ。


 王城内の構造は、おおむねこのような具合となっている。


 また前述の通りこの王城は、総勢四千二百人もの騎士団員と、そこへさらに数万人単位の政府職員を加えた大所帯が同時に活動する空間である。

 その事実の裏を返せば、王城とはそれだけの人数が揃って初めて十全に機能する構造体であり、かつ内包する人員が過不足なく生活できるだけのキャパシティを備えていなければならないということにもなるのだ。


 つまり端的に言って、王城はとてつもなく、想像を絶するほど広い。具体的には各施設を移動するための専用路線車(バス)が走っているほどである。


 その他、上下移動用の昇降機(エレベーター)が物資運搬と人員輸送それぞれの用途に合わせて各地に設置されていたり、エーテルを利用した情報通信装置の回線が文字通り()()()()()()()張り巡らされているなど、広大さ故の孤立化を防ぐ仕組みは万全だ。


 加えて有事の際に市民を避難させられるよう、衣食住に関するある程度の生産供給能力すらも備えているのだから、まったく至れり尽くせりというほかない。


 リーンハルトは、そのような場所を突っ切ってきたのだ。



 -§-



「……そうだな。この広さには何度来ても慣れない。なにより、首都市街ではまず見ないような高さの建物ばかりに取り囲まれているから、目が回りそうだ」


 周囲を取り巻く風景は、天を突く高層建造物の群れに埋め尽くされている。まるで自分は峡谷の狭間に落ち込んだ一匹の蟻だ。そんなことを考えながら、しみじみ語るリーンハルトに、テアは忍び笑いを漏らした。


「……俺はなにか、妙なことでも言っただろうか」

「いえ、そういうわけじゃないんですが、すみません」


 リーンハルトが戸惑ったような視線を向ける。問われたテアは、焦茶色の瞳を弧の形に細め、どこか感慨深げに言葉を紡ぎ始める。


「ただちょっと、おかしくて。だって、面積で言えば王城より“ゲルプ”市街の方がよっぽど広いはずなのに、そこから来た人はみんなそう言うんですもの」

「……確かに、言われてみればその通りだ。何故、そう感じるんだろうな」


 唸るリーンハルトに、テアは「いくつかの錯覚が原因でしょうね」と答える。


「ひとつは単純に形状の違いです。上空から見ると王城は円形ですが、それを取り巻く市街はドーナツ状になっていますよね。そうすると外から内へ向かってまっすぐ歩いた場合、前方に王城の外壁がどうしても目に入りますから……」

「行く手が塞がれているように感じて距離感が狂うのか」

「はい。それに王城内は高い建物が多いので、自然と視線が上に向きます。すると相対的に自分の身長が縮んだように感じられて、余計に周りが大きく見えるんでしょうね。あとは王城は門によって外界と隔てられた『閉ざされた空間』なのに、実際に入ってみると物凄い広さがあるから、その認識のギャップもあるのかと」

「なるほど、ギャップか。しかし、だとするなら君たちは凄いな。ずっと同じ風景を眺め続けて、飽きることも圧倒されることもなく、任を全うするのだから」


 感心して頷くリーンハルトに、彼女は一息を挟んでから、続ける。


「そうですね。私たち騎士団員は入団時に、身と心と魂、己が存在の総てを皇帝陛下と彼が愛する民草および国家のために捧げることを誓います。もちろん、それは何があろうともけっして揺るがぬ誇りであり、何にも代えがたい尊ぶべき使命なのですが、同時に俗世との縁の大半を断つということでもあるのです……」


 まあ、市街警邏などで王城の外に出る機会は、度々あるんですけれどね。そう付け加えたテアに、リーンハルトは「ふむ」と首を傾げる。


「……両親に会いに行ったりは、しないのか? 騎士団員にも休暇はあるはずだ。年明けの数日間くらいは、家族と一緒に過ごしても問題はないだろうに」

「実は私、孤児なんです。だから、両親は顔も名前も知りません」


 あっけらかんと言い返され、リーンハルトは思わず言葉に詰まった。


「それ、は――」


 手痛い不意打ちを喰らったリーンハルトの顔が、苦渋に歪んだ。


 迂闊だった。自分の馬鹿さ加減が嫌になる。傷付けてしまっただろうか。どう言葉を返せばいいのだろう。益体もない考えが、頭の中を駆け巡る。


 そこで彼はさらに、あまり愉快ではない想像に思い当った。


(……彼女の年齢は、もしかすると、十八歳前後ではないか?)


 不意にリーンハルトの脳裡を、〈災厄の禍年(カラミティ)〉という単語が過る。その終息は今から十八年前。これは彼女の外見から推測される年齢とほぼ一致するし、またそれは、騎士団員として採用される年齢の下限でもある。


 ならば、この符合が意味するものはひとつ。


 彼女もまた〈骸機獣(メトゥス)〉の、そして奴らに因する惨劇の被害者なのだ。


(……これはなにも、珍しいことなんかじゃあ、ない)


 〈災禍の禍年(カラミティ)〉の傷跡は、いまなお彼方此方に残っている。


 命を、故郷を、想い出を。当時を過ごした人々は、誰もがなにかしら大切なものを奪われ、その癒えぬ痛みを抱えながら生きている。生きていくしかない。

 それでも、数えきれない喪失から齎された数えきれない哀しみは、あらゆる場所にあらゆるかたちでばら撒かれている。孤児はその最たる例だ。

 身寄りもなく、生きる術もなく、両親から与えられるはずだった当たり前の温もりも知らぬまま、ひとりぼっちで彷徨い歩くことを強いられた無垢な魂たち。


(そうだ。だというのに。俺は何故、忘れていたんだ……!?)


 その受け入れ口が王城政府の運営する孤児院であり、そしてそこで育った子供の進路の大半が〈ゲルプ騎士団〉であることを、リーンハルトは知っていた。


 そもそもテアの名前(フルネーム)からしてそうだ。アインホルンという姓は、そのまま“アインホルン孤児院”から取ったものだろう。首都の北側にある小さな古い孤児院だ。資料で何度か目にした記憶がある。なぜいままで気付かなかったのか。


(俺は、馬鹿か!? 知っていた、はずだったのに……!!)


「あの、大尉……?」


 不意に足を止めたリーンハルトに、テアは戸惑った顔を向ける。


 気まずい沈黙が、二人の間に落ちる。リーンハルトは返答を悩み、しかし結局、彼の口から出たのはひどくありきたりな一言であった。


「――すまなかった。余計なことを、ずけずけと」

「えっ? ……あ、ああ! 別にそんな、気にしないでください!」


 リーンハルトの沈痛な面持ちから、彼が何を考えているかを悟ったのだろう。テアは焦った様子で手を振った。


「私、本当に気にしてないんですよ。物心がついたときにはもう、首都の孤児院で暮らしてましたし、そこでの生活はとても楽しかったんですから。騎士団員の人たちも好い人ばかりで、だから、今の私はこれっぽっちも寂しくなんかないんです」


 それに、と。彼女は前置きしてから、


「騎士団に入ることを決めたのも自分の意志ですし、厳しい訓練を乗り越えて掴み取った今の立場には、心から満足してますから。だって私の働きが首都を守り、それは巡り巡って、孤児院の皆を守ることにも繋がるんですからね!」


 そう言ってはにかんで見せた彼女の顔には、揺るぎない力が宿っていた。絶対的な孤独という絶望と向き合い、乗り越えた者だけに宿る力が。


「そう、か」


 故に。リーンハルトは頷き、テアの言葉を受け止めた。心の底からの安堵と、喜びと、それ以上に強い尊敬を感じながら。


「君は、……強いな」


 俺などより、よっぽど。言下にそう告げたリーンハルトに対し、テアはいっそう誇らしげに微笑みを濃くする。その頬は淡い紅色に染まっていた。


「ふふ、ありがとうございます。他でもない〈烈刃〉の名を頂く騎士にそう言ってもらえるのは、なんだかちょっと照れ臭いですけれどね」

「……さっきも言ったが、そんなに大した人間じゃないぞ、俺は」


 謙遜というよりは純粋な自認から出た言葉だったが、それを聞いたテアの反応は芳しくなかった。直前までの嬉しそうな様子とは打って変わって、明らかに不機嫌と分かる感情が、そのまだ幼げな顔つきに表出する。


「すまない。俺はまたなにか、気に障ることを言っただろうか」


 頬を膨らませて目を逸らした彼女に、リーンハルトは戸惑いつつ問うた。するとテアは「そういうわけじゃないんですけど」と一旦は口ごもるが、やはり思うところがあったのか、躊躇いがちにぽつりと呟いた。


「……大尉はもっと、その、自信を持つべきですよ」

「そう、だろうか。しかし実際、俺は至らない部分ばかりで――」

「だって大尉に救われた人や、大尉のことを大切に想ってる人だって、たくさんいるはずなのに。当の大尉が自分を卑下してたら、そんなの辛いじゃないですか!」


 リーンハルトの自虐を遮るように発せられた強い口調に、むしろ驚いたのはテアの側だったらしい。彼女は顔を蒼褪めさせると、慌てて頭を下げた。


「も、申し訳ありません! た、大尉に対して無礼な態度を……!」

「いや、こちらこそすまなかった。さきほど自戒したばかりなのに、また同じ愚を繰り返すところだった。謝るのは俺の方だ、……赦してくれ」


 言って、リーンハルトも頭を下げる。そうすると、往来のど真ん中で長身の男性と小柄な女性が向き合って同時に謝罪している、という奇妙な光景が生まれ――


「……くっ」

「……ふふ」


 ――その不自然さを互いに自覚したのか、やがてどちらともなく笑いが起きた。


 そのまましばらく肩を震わせていた二人が、ややあってから身を起こしたとき、わだかまっていた陰鬱な雰囲気はどこへやら消えていた。そしてリーンハルトが珍しく――彼を知る者ならば仰天するだろう――上機嫌な様子で口を開く。


「どうやら俺たちは、妙なところが似ているらしいな」

「うふふ、そうかもしれませんね。でも、だとしたら光栄です」

「そして君は、……こう言ってはなんだが、やはり少し変わっているな。俺に似ていると言われて喜ぶような奴を、俺はいままで見たことがない」

「そうですか? 大尉の親しい人たちなら喜ぶんじゃないでしょうか」


 そう言われてリーンハルトは考える。親しい人々。


(……いや、イーリスでさえ嫌がるだろうな)


 確信があった。なんなら本気で怒られるかもしれない。彼女とは誰より深く心が通じ合っている自覚があるが、裏を返せば互いの欠点にも自覚的ということになる。もちろん、いまさらそれが原因で嫌い合ったりはしないだろうが。


「そもそも、俺には親しい人というのがあまりいなくてな……」

「え……。そ、そう……、なんですか?」


 苦笑交じりに告げると、テアの顔が曇った。咄嗟にリーンハルトは首を振る。


「ああ、いや。一人もいないというわけじゃない。だが……」


 故郷の友人はほとんど死んでしまったし、現在(いま)を考えるにしても〈巡回騎士隊〉の任務性質上、部隊員以外との関係性はどうしても薄くならざるを得ない。

 また、元よりリーンハルトは自ら交友関係を広げるのに積極的な性質ではなく、なにより諸々の悪評のせいでわざわざ近寄ってくる人間など皆無であった。

 そうなると「知り合い」の範疇に含められるのは、イーリスや部下たち、あるいは昔から世話になっているとある小隊長氏くらいのもので……、


「……ん、そうか。一人だけいる、か?」


 リーンハルトの脳裡を、一人の男の面影が過った。


「中央軍時代の同期だ。そいつとは昔、よく話をしたな」

「へえ……。その方が大尉の御友人なんですね?」


 問われ、しかしリーンハルトは首を捻った。


「どうだろうな。確かにそれなりの付き合いはあったが、最近では顔を合わせる機会もほとんどないから。それに向こうはきっと、俺を嫌っているだろう」

「……えっと、御友人、なんですよね?」

「少なくとも俺はそう考えている。あいつは間違いなく尊敬に値する男だ。なんというか、良いやつなんだよ。ただ、俺はそれに甘えすぎた。そのせいで色々と迷惑をかけたのも事実だからな。恨まれていても不思議じゃない」


 そもそも「よく話をした」というのも実際にはやや誇張した表現であり、正確には「他に話せる相手が中央軍にいなかった」というのが実情だ。

 加えて件の人物とリーンハルトが交流を持つに至ったきっかけも、いくつかの偶然と双方の認識のズレから生じた「奇妙な勘違い」によるもので、それがなければおそらく一生口を利く機会さえなかったはずだ。


(実際に一度、あいつには「君と関わったことが人生最大の過ちだ」とまで、面と向かって言われてしまっているからな……)


 そんな男に、自分はこれから会いに行くのだ。さて、どんなことを言われるだろうか。奇妙な可笑しさが胸に沸き、リーンハルトは思わず苦笑した。


 その様子を不思議そうに眺めていたテアが、不意になにかに気付いたように目を瞬かせた。彼女は急いで腕時計を見やり、一呼吸の間を置いてから口を開く。


「……、ああーっ!!」


 何事かと身構えたリーンハルトに、彼女は「急がないと!」と告げる。


「話し込んでたら、もうこんな時間になってしまいました! シュレーダー大尉、待ち合わせをしているんですよね? 約束の時間は大丈夫ですか!?」


 リーンハルトは一瞬だけ黙り、自分の腕時計を確認して、


「……バス停まで、走れるか?」


 真剣な表情で、そう言った。



 -§-



 リーンハルトは走る。風を裂いて、大地を蹴って。


「――聞いたか? なんか市街の方じゃあ、緑髪の女性が物凄い勢いで、各地の料理店やら屋台やらを片っ端から巡ってるって話だぞ」

「――ああ、彼女か。知ってるよ、わりと有名人だからな。一ヶ月前くらいから首都に滞在してる、例の旅行士(トラベラー)一行のメンバーで……」


「――なあ、ヴァルト小隊長を見なかったか? さっきから呼び出してるんだが」

「――あの人なら確か、市街の警邏任務に出てるよ。もうすぐ帰ってくるはずだ」


「――そういえば、次期の騎士団総長には誰が選ばれるんだろうな? 俺は“護帝剣”の中でも、ウルリックさんが適任だと思うんだが……」

「――どうだろうな。確かにあの人も俺たちなんかじゃ及びもつかない、傑物中の傑物だが、マーギット総長に比肩するかと言われれば……」


 道中で耳朶を掠めた会話の数々を、一々吟味している暇はなかった。何故かと言えば理由は単純、結局リーンハルトたちはバスに乗り遅れたのだ。


「た、大尉……! わ、私のことは、置いて行ってくださいぃ……!」


 腕の中に抱え込んだ重みが発したか細い声を、リーンハルトは聴き流す。彼は走りながら腕時計を見た。時刻は午前八時四十五分。約束の時間まで、残りわずか。


 全速力で走れば、おそらく、ギリギリで間に合う。


「わ、私は別に、急いでるわけじゃないんですよぉ……!!」

「喋ると、舌を噛むぞ……!」


 リーンハルトはそれだけ言って、さらに強く一歩を踏み込んだ。



 -§-



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