閑話:虹を見上げる影の中
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「これでひとまずは、一件落着か」
こちらに背を向けて意気揚々と去っていく四人の旅行士と、彼女たちの後を楽しそうに着いていく一人の少女を物陰から見送りながら、イーリス・アーベラインは穏やかな微笑みを浮かべていた。
一時はどうなることかと思ったが、どうやら彼女たちは彼女たちなりの解決を得て、これから先の旅路を進んでいくらしい。
「いやあ、若いってのは良いねえ」
「……きみも別段、彼女らと比べて歳を重ねてるわけではあるまいに」
しみじみと呟くイーリスの声に重ねて、男性の落ち着いた声色が生まれた。イーリスがそちらを向けば、木陰が作る薄闇の中から歩み出てくる姿がある。
あの〈ゲルプ騎士団〉所属の小隊長であった。
すでに戦闘鎧を脱いだ彼の顔つきは、意外にも温和な中年男性のものだった。如何にも人の好さそうな風貌から連想されるイメージは「精鋭無比の騎士」というよりも、子供たちを相手に教鞭を執っている姿の方が似付かわしい。
しかしイーリスは彼に対し、あるいは両親に対するよりも深く濃い敬意と親しみの籠った視線を向けて、深々と頭を下げた。
「……この度は多大なるご迷惑をお掛けしてしまい、誠に申し訳御座いませんでした。私どもの不始末の尻拭いまでさせてしまった上に、私個人の身勝手な行動に対してまで補佐をして頂き、感謝の念に堪えません。リーンハルト・シュレーダー以下部隊総員に代わり、ここに心より御礼申し上げます」
イーリスは普段の蓮っ葉な物言いとは打って変わった真摯な態度で言葉を紡ぐ。対する小隊長は「構わないよ」と鷹揚に応じて微笑んだ。
「民と国、そして勇敢なる騎士たちの命までも救ってくれた真の功労者を体面のために罰するようなら、我々はその時こそ国家の守護者たる誇りを見失うことだろう。むしろあの子たちは、本来ならばきみたちと共に叙勲を受けるに値するほどの働きを示したというのにな……」
そう言い終えると、小隊長はすでに歩み去って行った四人の旅行士たちへ送るようにして、心の籠った敬礼を行った。
同時、その優し気な眼差しに浮かんだ感情は懐旧である。
「それにしても、……彼女の姓が“アーヴェント”とはね――」
笑みを含んだ口調で語られるのは、あの灰白髪の少女の素性に関するひとつの事実だ。それは、
「――〈黎明の翼〉にその名を連ねた〈浮雲銃士〉の娘さんが、時を経て旅行士となり我々に助力をしてくれたとは、まさしく奇縁と呼ぶほかないな。イーリス、きみは初めから知っていたのか?」
問われ、イーリスは首を振った。否定の方向へと。
「まさか。ゲルプに辿り着いてからフルネームを訊いて、そこでようやく思い当たったくらいなんですから。それでも初めは半信半疑でしたよ。確かに珍しい姓ですが、同じ姓のシュタルク人なら、他にも大勢居ますからね」
なので、とイーリスは苦笑交じりに一言挟んでから、
「……そのうち〈浮雲銃士〉本人が父親を名乗って現れた時は、心底から驚きましたよ。なにせ、私たちからすれば文字通りの『英雄』ですからね。結局、まともに会話する機会はありませんでしたが、そちらは?」
水を向けられた小隊長は、そこで苦虫を噛み潰したような表情になった。
「どうしました」
「……いや、あの男の性根がまったく変わっていないことを再認識させられてな」
怪訝そうに眉を顰めたイーリスへ、小隊長は苦り切った口調で告げた。
「再会して早々、思いっきり文句を言われたよ。明け方にいきなり押し掛けられて迷惑だとか、送迎車の硬いシートに何時間も座らされて尻が痛いとか」
「……それはまあ、その、向こうの気持ちを考えたら無理もないかと」
「他にも途中で出された食事が不味かっただの、送迎を担当した兵士の融通が利かなくて苛々しただの、個人的なことばかりだったがな。……とっくに前線を退いた人間を引っ張り出さないとならないくらい人員不足なのか、とも」
なんとも言えず肩を竦めたイーリスへ、小隊長は「最後のは痛いところを突かれただけに困った」と、苦い笑みを浮かべながら付け加えた。
「表舞台を去った『英雄』たちに、いつまでも頼っていてはいかんよな。役目を終えた彼らはもはや、我々が守るべき『民』の一人となったのだから」
かつて世界を救った英雄たちの現況は、その大半が『行方不明』というものだ。理由としては当人の意志で隠遁生活を送っているか、政治的な思惑から身柄を保護されているか、単純に所在が分からなかったりなど、様々である。
その中で〈浮雲銃士〉は所在が明らかになっており、かつ連絡手段を保有する数少ない一人であるが、それでも公的な扱いとしては一般人である。事件が起こる度に召集されては堪らないだろうし、また本来ならば彼には応じる義務もないのだ。
「ようやく勝ち取った平穏を、誰より享受すべき者たちに手を借りねば事態を収拾できないなど、人民の守護者たる騎士団の名が泣くというものだよ」
それでもヴォルケがわざわざやって来たのは、今回の事件に彼の娘が中心人物として関わっていたからに過ぎない。裏を返せばそれ以外の理由はなかったのだ。
「……まあ、あいつも娘が心配だったんだろう。そう考えると、あの頃に比べて幾分かは丸くなったのだろうな。丸くなってアレなのが余計に性質が悪いと言えなくもないが。……と言うか、あの男を父親に持って、よくあのレーゲンという子はあそこまで真っ直ぐに育ったものだな? 反面教師というやつだろうか」
「……その口ぶりから察するに、もしかして彼とはお知り合いで?」
イーリスの言葉に、小隊長は眉間を揉みながら頷いた。
「単なる腐れ縁だよ。偶々入隊した日が同じで、初めて実戦に出た日が同じで、兵舎で割り当てられたのが同じ部屋だったというだけのな。私からすれば奴は『英雄』というより、常に斜に構えていた『兵士不適格者』だったよ。個としての突出した力を持て余していただけの、な」
そう悪し様に言いつつも、小隊長は〈浮雲銃士〉という名を与えられた男へ向けた評価の締め括りを、こう結んだ。
「……そんな男だったからこそ〈黎明の翼〉に加わったのかも知れんがな」
「なるほど。しかし随分と饒舌に語られますが、機密とかは大丈夫なんですか?」
「単なる思い出話如きに、機密もなにもあるまいよ。すでに十八年も経っていることだし、なおさらだ……」
そこで小隊長はイーリスへ向き直ると、幾分か潜めた声で、
「……もっとも、どうやらきみの方では隠し事がまだ幾らかありそうだが、な?」
鉄板をも貫き通すのではないかと思えるほどの、研ぎ澄まされた槍の穂先めいて鋭い視線を受け、むしろイーリスは大胆不敵な笑みを返した。
「生憎、こっちはあの子たちに隊員共々、命を救われてるんでね。こればかりは口が裂けても言えませんぜ、おやっさん。ンなことすりゃあ、アタシは部下たちから一生口利いてもらえなくなる」
小隊長は、普段通りの口調と顔つきに戻ったイーリスを「無礼」と咎めることはせず、代わりに呆れたように首を振った。
「……きみは昔から変わらないな。否、あの〈溝攫い〉に志願して以来変わってしまったというべきか。リーンハルト共々、前向きになってくれたのは喜ばしいが、これ以上頭痛のタネを作るのは避けてくれ」
「おやっさんには感謝してますよ、本当に。どうしようもなく女々しい餓鬼でしかなかったアタシらを、軍に入った時からずっと支えてくれた恩人ですからね。特に、リーンハルトを今まで庇ってくれたのは、アンタだけだった」
小隊長は深々と嘆息した。
「……そう思うなら、もう少し従順になってくれ。上の連中も苦労してるんだ。私はヴォルケみたいな前例を知ってる分まだ良いが、彼らの堪忍袋の尾はきみが思う以上に短いぞ。あまり無茶をされると庇いきれなくなる」
「それとこれとは話が別ですよ。アタシの優先度はリーンハルトが一番、次に恩のある人間、それ以外はその下なんでね。ここだけは譲れねぇっす」
「やれやれ。〈巡回騎士隊〉に推薦したことを、いまさらながらに悔やんでるよ。せめて、私の手元で教育するべきだった……」
声を落とす小隊長に、イーリスは朗らかな笑みを返す。
「ははは。もちろん、騎士として民草を守ることは別枠ですよ。その辺りの自覚というか義務感というか、誇りと呼ぶべきものはちゃんと胸に刻んでますから」
「その誇りの在り方が、きみの好き嫌いで左右されるのが問題なんだよなあ……。少なくとももう少し、気に食わない上官相手にも最低限の礼節は通してくれ。表面上でいいから。齢を重ねると面子を気にするようになる奴、多いんだよ」
嘆かわし気に首を振る小隊長へ、しかし今度はイーリスが切り込む番だった。彼女は一歩踏み込み、薄闇の中に身体を溶かすと、鈍い光を放つ金色の瞳を小隊長へ差し向けて口を開いた。
「それで、……調査報告書の残り、貰えませんかね?」
「なんのことだ? 渡すべきものは、すべて渡したはずだが」
「オープスト村近隣の森林地帯に存在した、地下遺跡の件ですよ」
誤魔化しも虚偽も赦さないとばかりの口調で、イーリスは続けていく。
「いや、どうにもキナ臭い噂を耳にしたんでね。瘴気が漏れ出た原因となった地下遺跡へ続く亀裂は、あくまでも自然発生したものだって結論されたようですが、どうもアタシの調べだと話が違ってるらしく……」
「……あの亀裂は人為的に抉じ開けられたもので、実際の調査ではその痕跡が確認されていたと、そう言いたいのか?」
小隊長は「馬鹿な」と鼻白んでみせた。
「痕跡もなにも、あの一帯はほぼ完全に吹き飛んでしまっているだろうに。当然、遺跡の露出状況など、後から調べられるはずもない……」
はぐらかそうとする小隊長へ、むしろイーリスは好機とばかりに喰らい付いた。何故なら彼女は知っていたからだ。現地調査にどのような人員が、どれだけの規模で導入されたかを。
「いやあ、それはどうですかねぇ。なにせ事後調査のために、世界に名立たる〈ゲルプ騎士団〉お抱えの精鋭空素術士を総動員したらしいじゃないですか」
指摘に対して黙り込んだ小隊長へ、イーリスはトドメとなる一言を放った。
「土属性が得意な連中を十人かそこら集めれば、ほぼ完全な≪形状復元≫の術くらい使えたんじゃないですかね? 失われた命を取り戻すことはできずとも「土の記憶」を辿り、数日前まで遡って当時の周辺環境を短時間だけ再構築することは、決して不可能じゃなかったはずだ」
イーリスはすでに確信を掴んでいた。
そう、調査団は必ずや目撃したはずなのだ。大地の亀裂がどのように生じたかの詳細な推移を。崩落する前の遺跡内部の精確な構造を。そして、その深層になにがあったのかを。それがどういう性質のものだったのかを。
連中は真実を知っていて、しかしすべてを隠しているのだ。
「……いい加減に答えてくれませんかね、そこで奴らはなにを見たんです?」
小隊長は、……諦めたように懐から紙束を取り出した。イーリスは素早くそれに手を伸ばし、掴み取る。小隊長は抵抗しなかった。
「いいか、イーリス。このことは誰にも言うな。特に、リーンハルトにだけは絶対に言うな。隠し通せ。知れば、彼は取り返しのつかない傷を負う」
小隊長は抑えた声色で、しかし強く念を押した。
「本当に、私の手元で教育するべきだったと思うよ。軍人なんかやってると、知らなくて良いことを不意に踏み付けるものだ。それでも大概は、酒場の床に散らばるビール栓みたいなもので、大したことはないんだが……」
半ば引っ手繰るように奪われた紙束を醒めた目で見つめながら、小隊長は吐息交じりに言う。文を追うイーリスの目が見開かれたと同時、調査報告書の内容が事実だと裏付ける、決定的な一言を。
「……今回ばかりは特大の地雷だな。そして結末としては最悪だ。なにせ、三流新聞社の取るに足らない陰謀論が、最も真実に近い部分を抑えていたんだから――」
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「――件の“恐嶽砲竜”に、人工的に造られた可能性があるなどとは」
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調査報告書には、こう書かれていた。
【地下遺跡内部、立坑の最深部に不審な構造物を発見。追調査の結果、該当構造物は「〈骸機獣〉製造機」としての機能を有する可能性が認められる。また、該当構造物の起動日時は、人為的に指定できた可能性が極めて濃厚】と。
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