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通り雨の旅行士《トラベラー》  作者: 赤黒伊猫
序章:草原騒乱四重奏
24/42

シーン23:天翔ける風が断つものは〈中編〉



 -§-



 轟、と唸りを上げて吹き荒れた暴風が、もはや原形を留めぬほど損壊した草原を薙ぎ払い、剥き出しとなった大地を揺るがして深々と抉る。


 強引に圧された大気は刃の如き鋭さを得ていた。その暴力的な勢いはわずかに生き残った草群れを激しく波打たせ、そのまま残らず刈り上げていく。

 斬、と根こそぎ千切り飛ばされて空に散った緑色の破片たちは、諸共に吹き上げられた砂礫と激しく擦れ合い粉々に砕かれ、舞い落ちることさえも許されずそのまま何処へか吹き飛ばされていった。


 荒れ狂う風は、さらなる現象を生ずる。


 生まれたのは「白い海」。あり得べからざる光景だった。急激に変化した大気圧と、瞬時に混合された暖気と冷気が、地上に局地的な雲海を作ったのだ。


 そのまま揺蕩うかに思えた叢雲は、直後に新たに生じた烈風に吹き散らされて、跡形もなく溶け消える。しかし、瞬き一回にも満たないわずかな間隙であれど、確かにその一帯には「空が降りてきた」のだ。


 人と魔。相見(あいまみ)えた二者が起こした一連の駆け引きは、このように幾つかの破壊的な変化を連鎖的に発生させていた。

 そのきっかけはたった一度の斬撃。

 理外の超高速度で振るわれた剣閃が、周辺の大気を猛烈に押し退け搔き乱し、結果として局所的な嵐を作り出していた。


 そして当然ながら、影響を被ったのは物言わぬものだけに止まらない。


「きゃあああッ!?」

「リウィア! 掴まって!」


 リウィアとエメリーが、叩きつける風圧をもろに受けて悲鳴を上げた。真空波と化して襲う風とそこに含まれる細かい砂礫の暴威から、彼女たちは身を寄せ合って互いを庇い合いつつ、地に伏せるようにしてどうにか転倒を防ぐ。


 そうして、髪や衣服の裾を強引に毟り引き千切るように弄ぶ烈風に、負けじと顔を上げて――


「……エメリー、さん! あれ!」

「……ええ。分かってるわ、リウィア」


 ――それを、見た。


 疾風を纏い、叢雲を呼びて、烈なる威を示し現れた一人の女性。

 ただ一撃を振るっただけで、小規模な大気変動さえ引き起こしてみせたほどの、隔絶した力の担い手を。


 いまだ吹き荒れる暴風の真っ只中に在りながら、小動もせず立つその勇姿を翠玉色の瞳に映し、エメリーはどこか魅せられたような表情になる。

 ひどく乱れた黒髪もそのままに、眼前に成立した事実を確かめるかの如く、彼女は半ば呆然と呟いた。


「……レーゲンとヴィルの≪合一≫が、成功したんだわ」



 -§-



 風に揺れる長い髪。

 凛と立った高身長。

 右手に提げた長剣。


 その女性の外見的特徴は、今となっては十数枚のみが現存しているだけの記録写真に伝わる、〈明星の剣〉を彷彿とさせる出で立ちであった。


 要素として真っ先に目立つのは、やはり女性としては高めの背丈だ。

 続いて、ピンと伸びた背筋に沿って流れる豊かな長髪と、躍動感に溢れる(しなやか)にして強靭な肢体。

 滑らかな流線型を描く全体のシルエットは、戦闘行為を日常とする者特有の、無駄なく絞り込まれた機能美に溢れている。


 一見すると儚げな印象を持つ雪色の頬には、彼女の体内を巡る熱い血潮によって、溌剌とした朱色が差している。目鼻立ちのくっきりした顔立ちは愛嬌に溢れ、笑みのひとつでも浮かべれば、誰もが胸を高鳴らせることだろう。


 惚れ惚れするようなその容姿は、確かに「世界を救った英雄」と呼ばれる女性に相応しい美器に思えるが、実際にその内側に注がれた意志は異なる人物のものだ。


 その事実を証明するかの如く、彼女には〈明星の剣〉本人と明らかに異なる点が幾つかあった。


 ひとつに、髪の色。


 本来ならば夜明けの空に輝く星が放つ瞬きのような、あるいは降り注ぐ陽光のような眩い黄金色であるはずの髪は、あの若き旅行士(トラベラー)と同じ灰白色(ホワイトアッシュ)になっている。

 加えて、彼女と()()()()()()()の存在を示すかのように、前髪の一房だけが明るい若草色(グラスグリーン)に色付いていた。


 ひとつに、瞳の色。


 記録に因れば琥珀色(アンバー)であるはずの双眸もまた、〈明星の剣〉本人とは異なり、深い瑠璃色に染まっている。また、その水晶体の表面には精緻な幾何学模様が金色で刻み込まれ、どこか無機質な趣を醸し出していた。


 ひとつに、服装。


 〈災禍の禍年(カラミティ)〉において〈明星の剣〉は、漆黒の装束に緋色のマフラーを好んで着用していたと伝えられている。

 一方でここに居る女性が纏うのは、空色を基調とした色彩のロングジャケットと、その下に着込んだ弾性素材の白いボディスーツだ。

 加えて、身体各所に付加された金属質のパーツ類が、全体的な印象にいっそう機械的なイメージを助長している。


 そしてなにより、一番の違いは表情である。


 常に自信と希望に満ち溢れた笑みを浮かべていたという〈明星の剣〉に対し、その生き写しめいた女性が顔に張り付けているのは、研ぎ澄まされた氷刃の如き鋭い戦意だ。無表情に近いその造作には、内から滲み出る威圧感が露骨だ。


 もし仮に〈明星の剣〉本人を良く知る者が間近で観察したならば、諸々の差異について論じるまでもなく、顔の造り自体が微妙に異なっていると気付いただろう。


 すでに自明の通り、この人物は〈明星の剣〉ではない。


 故に、今この場に立つ()()()()を指して用いるべき表現は、それ以上でも以下でもなく文字通りの「模倣(コピー)」にほかならず――


「……これは、私が知る限り、この世で一番強い人の姿だ」


 ――その実態は、レーゲン・アーヴェントが思い描いた「最強の虚像」であり、彼女がかつて憧憬と共に仰ぎ見た師の姿の()()であった。



 -§-



 地に足が付くと同時、レーゲンの脳裡を幾つかの文言が流れた。


『――合一実体の構築、成功。自己診断(セルフメンテナンス)開始』

『筋骨格の再構成、完了。警告:右腕部及び背部に損傷発見。短時間ならば戦闘行動に支障なし、許容範囲と判定』

『神経系の構築、完了。空素系(エーテル・パス)も含め全て正常』

『各臓器の封鎖保護(パッケージング)完了、正常な動作を確認』

『共有思考に障害(ノイズ)なし。伝達誤差0.00000012未満、規定値と確認』

『その他、特に留意すべき点は見つからず。「レーゲン・アーヴェント」と「ヴィルベルヴィント」の≪合一≫は正常に完了しました』


 それらの確認に要した時間は一瞬。頷いたレーゲンへ「呼び掛け/発せ」られたのは、普段通りに落ち着いたヴィルの声だった。


『……どうやら、おおむね上手く行ったようですね』


 その声は空間内に木霊するようであり、また己の内側から響いてくるようでもあった。レーゲンは不思議な感覚を味わうが、そこに戸惑いや不安はない。何故ならば今、二人は文字通りの一心同体、身も心も共有した状態であるからだ。


『……どう、ヴィル? やっぱり右腕と背中に怪我の影響があるみたいだけど、あまり派手な動きはしないほうが良いかな?』

『いやいや、ご心配なさらず。エンジン自体は絶好調にフル稼働中ですし、なにより今はレーゲンさんの身体でもあるわけですから、私にはお気遣いなくご自由にどうぞ。アクセルベタ踏み大歓迎ですよ』


 ヴィルからの返事はレーゲンの問い掛けとほぼ同時のタイミングに生まれた。


 ≪合一≫を果たした二者の思考は共有されており、その間では光速度を遥かに超えた「零時間」による意思疎通さえも可能となっている。それは、一歩間違えれば互いの自我崩壊を招くリスクを背負っているが、


『レーゲンさん、今の貴方は最強の肉体を手に入れたも同然です。貴方が理想とした強さ、力と技が、現実のものになりました。普段と勝手は違うでしょうが、大丈夫。諸々面倒な部分は私がサポートしますから、思うままやってみてください』

『……分かった。ありがとう、ヴィル。いつも通り、頼りにさせてもらうよ』


 信頼し合う者同士が心を重ね合っているならば、短時間は無視できる問題だ。なにより、現実時間においては一瞬で過ぎ去る時間の中にも、多数の情報のやり取りができることは、戦闘において非常に大きなアドバンテージとなる。


 これこそが、レーゲンの言う“奥の手”だ。


 すなわち魔導機人(マギノロイド):ヴィルベルヴィントと心身を重ね≪合一≫し、相互作用的に強化された二人分の能力をひとつの身体に納めることで、戦闘能力の爆発的な底上げを図る荒業である。


 その強化度合いは控え目に評しても「超人的」の一言に尽きる。

 言うなれば「触媒活性」の概念だ。

 異なる二種類の物質が混合すると、通常の酸化・還元を遥かに超えた激しい反応を示す例があるが、レーゲンが行った≪合一≫はそれを故意に試みるのに近い。


 人間(レーゲン)の側からは、水と風のエーテルを操る権能を。

 機械(ヴィル)の側からは、魔導機人(マギノロイド)としての身体能力を。


 片方だけでも十分に用を成す素材をあえて混ぜ合わせ、それぞれの性能に本来定められた限界点を、無理矢理に突破するという具合だ。

 レーゲンが生まれ持った類稀なる水属性エーテルの素養と、ヴィルが秘める特殊機構の組み合わせが可能とした、紛れもない「異常現象(イレギュラー)」である。


『……ただ、これは前回も言ったことですが――」


 無論、その無理筋を達成するために、人機二者が負うリスクは大きい。


『――()()()()には気を付けてください。もしも合一可能時間を超過してしまった場合、私たちは二人とも物理崩壊を起こして、死亡します』


 容量を超えて注がれた水は当然ながら器から零れる。

 しかし蓋を閉じて圧力の逃げ場をなくしてしまった場合、それでも無理矢理に水を注入し続ければ、やがて器自体が内側から弾けるだろう。

 ましてや、今レーゲンの体内を駆け巡るエーテルは、常人ならば耐え切れないほど極度に活性化されているのだ。


 そもそも人間や機械が持つ限界点とは、過剰な出力による自壊を防ぐために設けられた、一種の制限装置(リミッター)である。

 過剰駆動させた内燃機関が焼け付いて破損するように、負荷を考慮せずに発揮された力は、最悪の場合≪合一≫を行った者たちの死すら招きかねない。


『残り時間は……、四分とちょっとか。それまでにはカタを付けないとね』


 早い話が、現在のレーゲンは破裂寸前の風船にも等しい存在なのだ。


 言うなれば、ごく限られた時間のみ顕現を赦された英雄幻想。不条理な悲劇を打ち破るために繰り出された、絶望に対するカウンターとしての希望。破滅と隣り合わせに身を置かねば成し得ない、理不尽なる奇跡のカタチであった。


 だとしても、レーゲン・アーヴェントは躊躇わずにその理不尽を握り締めた。

 全ては望む未来を掴み取り、生きようと願う人々の可能性を閉ざさぬため。

 例えその手段が時間制限付きの「仮初の英雄」になることであろうとも。


 とうに覚悟は決まっている。

 諦める気も最初からない。

 自分含めて全員を救う。


 若き旅行士(トラベラー)はか細く儚い可能性を現実とするべく、その身の丈に似合わぬ並外れた強欲を、不退転の決意で覆って歩み続ける。意志と身体の両方が朽ちて潰える瞬間まで、ただひたすらに前へ前へと進んでいくのだ、と。


『そのためには、……あいつを越えて行かなきゃね』


 レーゲンが視線を彼方へ見据えれば、敵の姿がある。


 異形の襲撃者。


 さきほどの斬撃は奴を大きく後退させはしたが、致命傷を負わせるには至らなかったらしい。なにより今は膝を突いているが、その漆黒の装甲に秘められた生命力は、依然として衰えていないように思えた。


 もっとも、レーゲンは最初からダメージを狙っていたわけではなく、あくまでも敵をこの場から遠ざけることを最優先目標としていた。


 先制攻撃の機会(アドバンテージ)を棄てるも同然の行いには、明確な理由がある。


「――レーゲン!」

「――ヴィルさん!」


 呼び掛けに視線のみで応じれば、その先には共に旅をする仲間たちが居る。そしてその周囲、力なく倒れ込む“シュレーダー隊”の面々も。

 そう。レーゲンが戦場を遠ざけたのは、これから己が振るう絶大なる力の余波に、彼女たちを巻き込むわけにはいかなかったからだ。


 レーゲンは、不安げにこちらを見つめてくるエメリーとリウィアへ「大丈夫」と頷いてみせた。そうして視線を正面へ戻せば、一撃を加えてからまだ数秒と経っていないにも関わらず、敵が徐々に立ち直りつつある様子が確認できる。


 細身な外見とは裏腹に中々タフだ。


『……ヴィル。あいつ、思ったよりも回復が早いね』

『曲がりなりにも〈骸機獣(メトゥス)〉ですからね。耐久性は通常の生物を大きく凌駕しているでしょうし、おそらく生半可な攻撃では致命までは至らないかと』

『下手な攻め手は、かえって相手に余裕を与えるだけかな』

『ええ。なので選択肢としては、連撃を叩き込んで一気に削り切るか、大技を用いて一撃で倒すかのどちらかを推奨します』


 ヴィルの提言にレーゲンは頷いた。


 どちらにせよ、まずは隙を作らねばなるまい。

 限られた時間の中でどこまで都合良く行くかは未知数だが、やるしかない。

 一度動き出した時計の針は止まってくれないのだ。伸るか反るか、望む結末を手繰り寄せる力は、自分自身が生み出さねばならない。


「…………、」


 レーゲンは感触を確かめるように、異形の襲撃者を斬り付けた方の手に力を込め、染みひとつない白の長剣を握る手指に狂いがないことを知ると――


「行くよ。――次は手足のどれか一本くらいは貰う」

 

 ――どこまでも端的かつ一方的な宣言を発してから、力強く地を蹴った。



 -§-



(……あれは〈明星の剣〉ではない!)


 ダメージから立ち直った異形の襲撃者が最終的にそう判断した理由は、至極単純に相手の「外見的差異」によるものだった。


 むしろ、敵の姿を改めて詳細に観察し直せば、〈骸機獣(メトゥス)〉の集合記憶の中にある〈明星の剣〉と共通している要素の方が少ないほどだ。


 髪や瞳の色、服装などの明確な違いは当然として、強化された知覚機能は筋肉の付き方から睫毛の本数に至るまでの些細な違和までも精密に捉えている。

 ならばどう考えても、奴と別人であることは自明の理だ。

 そうとも。人間相手ならば騙せるかも知れないが、自分に対しては通じない。精神的な動揺を狙うにしても、奴のそれはお粗末な偽装でしかなかった。


 そもそもからして、敵の正体は明白ではないか。


 原理こそ不明瞭だが、あの灰白髪(ホワイトアッシュ)の少女と若草髪(グラスグリーン)魔導機人(マギノロイド)()()する瞬間を実際に目の当たりにしている以上、誤解が生まれる余地などありはしないはず。


 だというのに。己の感覚が一瞬でも誤認を起こしたのは、どういうわけか?


(……理解(わか)らない。実に奇妙だ。単純な認知エラーとも思えない。何故、(おれ)は奴を〈明星の剣〉と誤認したのだ? 正確な状況判断こそが戦闘遂行には必須であると、そう理解したばかりだというのに)


 異形の襲撃者の混乱は、そこで一度停止した。疑問の解決によってではなく、敵が起こした行動のために。


 正面、周囲の様子を窺っていた敵が不意にこちらを見る。かと思った直後、体重を感じさせぬほどの気軽さで地を蹴り、想像を絶する凄まじい速度で迫ってきた。


「――ッ!!」


 攻撃が来る。どうやら、余計なことを考えている暇はなさそうだ。風を纏い空を駆けてくる敵は、既に最大加速を終えている。接敵までは一秒もないだろう。


(だが……、あの雷光よりは遅いッ!)


 ならば、対処は可能だ。


 瞬時に意識を切り替えた異形の襲撃者は、最大限の警戒を論理回路に走らせながら、虚空を穿ち貫いて襲い掛かる敵へ迎撃の構えを取った。


 両脚を肩幅に開き、左手を緩く前へ差し出す半身の姿勢。脇腹当たりに添えた右拳には十分な力を溜めている。イメージとしては引き絞った弓だ。カウンターとして撃ち出す拳には、爆発的な速度とそれに比例する威力が伴うだろう。


(計算では少なくとも、人間の身体を一打ちで爆裂四散せしめる……)


 異形の襲撃者は、虚空に鮮血の花火が咲く光景を鮮明に思い浮かべ、口元を禍々しく釣り上げた。


(先の一撃は授業料として甘んじて受けよう。しかし、真正面からの攻撃を二度も黙って喰らうほど、(おれ)は容易くないぞ……ッ!!)


 戦意を胸に迎え撃つのは、氷刃の如き鋭く透明な、殺意。



 -§-



 レーゲンは灰白色(ホワイトアッシュ)の髪を靡かせ、空色のロングジャケットの裾を翻し、もはやただ一陣の疾風と化して真正面一直線にかっ飛んでいく。

 踏み込みに際して、地を打つ音はほとんど生じなかった。

 代わりに、空を断ち割る鋭い裂音のみが一音、尾を引いて響き渡る。


 目指す先に立つのは、漆黒の装甲姿。もはや斬撃のダメージなどなかったかのように、力感溢れる身構えを取った、異形の襲撃者だ。

 やや斜に捻った上半身を浅く前傾し、力を込めた右腕を背中側へと引き絞ったその体勢は、紛れもなく迎撃を試みようとするもの。

 一分の隙も無い構えに、やはり相手が一筋縄ではいかぬ難敵であることをレーゲンは知るが、


「……望むところだ」


 呟いた言葉は、轟と唸る風の流れに容易く掻き消えた。

 対し、胸に抱いた戦意はより強く熱く皓々と燃え盛る。


 そうとも。己が心中に恐れはない。迷いもない。

 曲がりなりにも命と意志を持つ相手と戦い、その果てに起きるのが「どちらかの死」であるという事実に対しても、レーゲンはなんら頓着を感じていなかった。

 しかしそれはきっと、向こうも同じことを考えているはずだ。すでにかち合った相手の視線が、なにより如実にその事実を示している。


 瑠璃と深紅。

 静謐と灼熱。

 殺意と殺意。


 向かい合う二対の瞳は、色彩から宿す気配までどこまでも正逆でありながらも、本質的にはまったく同じものを見つめているのだ。


(同じ、か。私と、あいつ)


 空を駆ける一瞬の最中に、ふと、レーゲンはそんなことを考える。


 ここから先に巻き起こるものは、英雄と怪物の決闘などではない。

 後世に子供たちが目を輝かせて語るような、活劇シーンにはならない。

 どこまでも無機質にして情け容赦のない、命の奪い合いなのだろう、と。


 自分はきっと、師匠のようにはやれない。

 血が凍るほどの命懸けの戦いですら、皆を沸き立たせる愛と勇気の「英雄譚」に変えてしまう彼女のような、明るく照らす陽光そのものな在り方は示せない。

 倒すべき相手に本気で立ち向かおうとすればするほど、燃え盛る戦意の内側に潜む、冷たく凍えるような殺意を強く自覚してしまうからだ。


 それは、実際に師匠から剣を教わっていた時にもずっと思っていたことだし、彼女が去ってからの特訓に付き合ってくれた父からはハッキリと「お前の攻撃には殺意が溶け込んでいる」とまで評されてしまっていた。


 彼はその台詞の後で、いつも通りの皮肉めいた苦笑を浮かべながら、しかしどこか後悔と自嘲の入り混じった口調で「俺の血が出たな」と付け加えた。それ自体はむしろ嬉しかった。父との確かな繋がりを得た証拠だったから。


 ただ、それでも。旅を続ける中でどうしても敵対者を退けなければならなくなったとき、剣を振るい引き金を弾く度に無意識に滲む殺意を自覚する都度、「自分は正しい戦いをできているだろうか」と悩んだことは何度もあった。


 だけど、今だけはきっと、それで良いのだ。なにせ――


(……敵は〈骸機獣(メトゥス)〉だ)


 ――刃を交える相手が相手だ。


 正しい命を持たず、無から湧き出ては人を襲い、哀しみばかりを振り撒く怪物。そんな相手に容赦をする必要などありはしない。「正しい戦い」もなにも、そもそも〈骸機獣(メトゥス)〉という存在自体が、人間にとっては「間違っている」のだから。


 そこまで考え、レーゲンは内心のみで苦く笑う。


(……責任転嫁だなあ、これ)


 大体、結局のところ自分はまだ――幸運にも、と言うべきだろう――人の血で手を汚したことがない。そんな状態で「戦いの正しさ」を語ること自体が、心構えとしては生半可も良いところ、それこそ傲慢というものだろう。


 だとしても、戦うことで守れるものがある限り、刃を振るうことに迷いはない。

 その上、現在の状況はひたすらに、いっそ御膳立てされたように単純明快だ。

 ここで敵を倒さねば仲間たちが死ぬ。逆に敵を倒せれば多くの命を守れる。


(躊躇う理由が、ひとつもない)


 射程圏内に至る頃、レーゲンの心は定まっていた。あるいは地を蹴った瞬間にはすでに。だからこそ、捉えた敵を前に斬り付けた刃の軌跡は、どこまでも冷たく冴え渡っていた。


 直後。剣戟の残響が大気を割り、晴天遥か高くへと突き抜けた。 



 -§-



 そして、激突は起きた。


 片や、疾風の如く空を駆けた人。

 片や、大山の如く迎え撃った魔。


 刹那に交錯した両者以外、攻防の実態を把握できた者はこの場に一人もいなかった。唇を引き結び瞠目しながら見守るエメリーとリウィアさえ、線と線の集合体が火花を散らして激しくぶつかり合った、としか認識できなかったのだ。


 余人の五感が捉えたのは、幾つかの音のみだった。

 ほんの微かな地を蹴る音と、甲高く鋭い裂音と、重く鈍い破砕音。

 そして、草切れを踏み締めて散らした着地の音が、大小合わせて二つ分。

 

 大きな一つは、白の長剣を前方へ向けて振り抜いた姿勢のレーゲン。小さな一つは、さきほどよりもさらに後退した位置で尻餅を突く異形の襲撃者から分離したと思しき、漆黒の装甲が一欠片。


「あれは……!!」

 

 此度の激突における勝者を示す、明確な光景であった。観客の立場に甘んじざるを得ないリウィアが、それでも喜色を満面に浮かべて叫ぶ。


「レーゲンさんが、圧し勝っています!!」



 -§-



 異形の襲撃者は目を疑った。


(――防いだ。……そのはずだったが、これは!?)


 驚愕と共に彼は見る。

 迎撃のために差し出した右腕、その肘付近に備わっていた鋭刃が、腕の肉ごと抉るように根元から断たれている事実を。

 強度的には厚さ二十センチメートルの鉄板を生クリームのように切り裂けるはずのそれが、鏡のように滑らかな断面を晒して喪失していたのだ。


(不可解、……否! 不合理だ!)


 異形の襲撃者は、論理回路を埋め尽くそうとする膨大なエラーの群れを強引に捻じ伏せ、改めて冷徹に思考する。


(激突の瞬間、自分は確かに敵の動きを完全に捉えていた)


 分析によるとその速度は音速を超えており、斬撃に至っては人間の目に捉えられる水準を遥かに凌駕していた。これは生身の人間が発揮したにしては、明らかに異常な威力である。


 それでも、強化された自分の知覚機能は「入りから抜き」までの軌道を正確に読み取り、それに適切な対応を行った……はずだった。


(踏み込みによる加速度を利用した、左腰から右肩への斬り上げ。迎撃に伸びた右腕を弾くか脇から断ってそのまま首を刈り取る、極々単純な、むしろ素直と表現しても良いほどの軌跡だった……)


 異形の襲撃者はその攻撃が、こちらの生命を脅かすに十分な威力を持っていると判断した。そのうえで「こちらの方が速い」と、迎撃の成功を確信してもいた。

 故に一切の恐れもなく、射程圏内に敵の姿が入ったと同時、溜め込んだ力を撃ち放ったのだ。


(当たる、という確信があった。(おれ)の拳は、敵の頭部を寸分の狂いもなく打ち抜き、確実に粉砕するはずだった。軌道計算では間違いなくそうなるはずだったのだ……!) 


 そう、ここまでは良い。なにも問題はなかった。

 奇妙な現象が起きたのは、ここからである。

 眼前に捉えていた敵が、消えたのだ。


(……まさに一瞬の出来事であった)


 音速超過の拳が飛んだ先。その座標に確実に存在するはずの、存在しなければおかしいはずの敵の頭部が、衝突寸前に忽然と消失していた。

 消えたのはそれだけではない。

 灰白色(ホワイトアッシュ)の髪も、空色のロングジャケットも、無垢なほどに白い長剣も、敵を構成するすべてが目の前から消えていた。


 そしてこちらが事態を把握するより早く、敵の攻撃が迫っていた。

 煌く白刃がいつの間にか、まるで短距離転移(ショート・テレポート)でもしたかの如く、こちらの頸部真横に置かれていたのだ。

 それだけではない。斬撃の軌道までも「真正面からの斬り上げ」が瞬時にして「首刈り狙いの横薙ぎ」へと変化していたのである。


(そう、すべてが刹那の間に変化していた。立ち位置、姿勢、剣の握りに至るまでのあらゆるものが! (おれ)の目の前で、しかしその過程をいっさい報せることなく、……いつの間にか!?)


 そんな状況から回避が間に合ったのは、ほとんど偶然に近い理由だった。頭部の体表感知器(スキン・センサー)が、かすかな風の流れを察知したのだ。

 それを受けて反射的に上体を思い切り後ろに逸ら(スウェー)し、同時に強引に振った右肘で敵の斬撃を跳ね上げていなければ、今頃落ちていたのは武装ではなく首であっただろう。まさに紙一重の回避だ。


(それでも、仕掛けは理解できた)


 無様に姿勢を崩し背側へ倒れ込みながらも、異形の襲撃者は攻撃の仕掛け(トリック)を見抜くことには成功していた。


 敵が行ったのは横軸移動(サイドステップ)持ち替え(スイッチング)の単純な合わせ技だ。要は身体を素早く真横に跳び退かせながら、剣の柄を親指を軸に手の平で回し刃先の順逆を入れ替えただけである。


 問題は、その単純な動作が恐ろしく素早く、また一切の予備動作や物音を伴わなかったことだ。特に横軸移動(サイドステップ)に関しては、身を捻る動作も地を蹴る音も、なにひとつとして感知できなかった。


 敵はどのような「手品」を使ったのだろうか。まるで盤上遊戯(チェス)の駒の如く、見えざる手に摘まんで動かされたかのような、あまりにも不自然な移動方法である。


(……しかも、そこで敵の攻撃は止まらなかった)


 敵は首斬りが失敗したと見るや否や、今度は弾かれた刃を返すかたちでの唐竹割りを放ってきた。回避のために姿勢を崩していたこちらには避ける術もない。

 あやうく脳天を割られかけた自分を救ったのは、新造した腹部砲であった。


(おれ)は崩れた姿勢のまま、空砲を撃ったのだ)


 今の身体は「かつての自分」から九割九分以上の体格を減じており、その分体内の余剰空間も減った関係上、次弾を蓄えておくことができなくなっている。

 そのため、二発目以降を撃つ場合は再生産をしなければならず、往時の大連射はもはや不可能になった。


 しかし、今回に限ってはむしろそれが幸いした。


 異形の襲撃者は、各部スリットから取り込んだ吸気を、一種の空気砲として残弾切れ状態の腹部砲から排出したのだ。その結果、背中で大地を擦りながらも後方へ大きく吹っ飛んだ自分は、敵の斬撃を無事に回避することに成功した。


 そうして距離を取ったところで、ようやく右肘部の破損に気が付いたのだ。大地に落ちた身体の一部を改めて見やり、異形の襲撃者は胸中に湧き上がる危機感と不可解を吟味する。


(……いったい、なにが起きた? ……否、それよりも、だ) 


 いまだ正体を掴めぬ謎めいた移動方法。無論、真っ先に思案するべきはその対処方法だが、それ以前に差し迫った脅威として、


(純粋にこの敵は、……強い!)


 紙一重で躱したは良いが、敵はこちらに届く速度での攻撃を、三度に重ねて繰り出して来た。敵は明らかに常人離れした速度と技巧の持ち主だ。特に速度に関しては、あの長身痩躯の騎士など及びもつかないだろう。


 しかしそれは、不自然でもあった。


(それほどの戦闘能力を身に付けるまで、どれほどの修練を重ねた? あの少女の年齢はどう見ても十代前半だ。仮に人間として最高クラスの才覚を持ち得ていたとしても、一朝一夕で身に付くようなレベルの技術ではあるまい。ましてや、(おれ)の反応速度と同等の斬撃を繰り出せるまで、となれば……)


 そこで「もしや」と異形の襲撃者は推察する。


(……力と技を与えているのは、あの魔導機人(マギノロイド)、か? それなら然程不自然ではない。先の奇襲においても奴は(おれ)の攻撃に合わせられていた。それが奴の持つ戦闘能力の基準だとすれば――)


 異形の襲撃者がそこまで考えた時、すでに敵は灰白色(ホワイトアッシュ)の髪を躍らせて、再びこちらへと襲い掛かって来ている!


(――侮れない、どころではない。今、(おれ)が対峙しているのは、こちらと同等かそれ以上の戦闘能力を備えた難敵だッ!!)


 踏み込む音はやはり聞こえなかった。正体不明の移動方法が再び行われている。


(この相手から視線を僅かでも外すのは、あまりにも危険だ!)


 異形の襲撃者は、もはや全身全霊をかけて対応を試みた。


 ひゅおう、と唸りを上げて迫り来る太刀筋には迷いがなく、煌く白刃は死神の鎌にも等しい圧力を伴っている。異形の襲撃者の論理回路に「脅威」の二文字が激しく点滅した。


 軌道予測によれば、敵の斬撃は――


(再び、斬り上げか!?)


 ――それも、さきほどとまったく同じ軌道。


 脳裡を過る「舐められたものだ」という思考は一瞬で棄て去った。

 敵の刃が見せた変幻自在ぶりを考慮すれば、それはワンパターンなどではなく、むしろ直前まで正体の掴めない危険な攻撃となる。

 ましてやこちらは武装を一部喪失している。前より条件は不利だ。


(雷光よりは遅く、しかし変幻自在の疾風、か……!)


 敵の踏み込み姿勢にはすでに十分な勢いが乗っている。退けば相手の思う壺、一方的に追い込まれるだけだ。ならばどうするか。異形の襲撃者は決断した。


(あえて、前に出る……ッ!!)


 無論、やぶれかぶれの選択ではない。敵の攻撃が変化するというならば、変化する前の段階で潰してしまえば良いのだ。さらには――


()()()()()()()()()()()()()()ッ!!)


 ――斬撃軌道の内側には、殺傷力を持たない空間がある。


 そして拳と剣、射程が長いのは後者だが、()()()()()()()()()()()()の攻防で勝るのは前者だ。


(無論、僅かにでもタイミングが遅れれば無防備な胴が真っ二つだろう)


 しかし、斬撃において最大威力が発揮されるのは振り抜く直前だ。

 逆に加速が十分ではない振り始めならば、比較的威力は乏しい。

 仮に直撃したとしても、自分の装甲ならおそらく受け止められる。そう信じた異形の襲撃者は、刃が描く銀閃の内側に自ら踏み込んで行ったのだ。


(仮に間に合わずとも、相討ちは狙える! そしてその場合、生命力において勝る(おれ)の方が有利! よしんば身体を掴めたらならば儲けもの、膂力に任せてその細腕を圧し折ってくれる!)


 果たして、その賭けは功を成した。異形の襲撃者は、敵の斬撃に身体を断ち割られるよりも早く、その懐に飛び込むことに成功したのだ。


「――ッ!!」


 こればかりは想像していなかったのだろう。息がかかるほどの間近、敵の表情に驚きと焦りが浮かんだ。対してこちらの右腕には既に、敵の命を断つ正拳が発射準備万端に整っている。


 殺った。そう確信した異形の襲撃者は――


「ぬ、ぐぉッ!?」


 ――突然胴体に強烈な打撃を受け、再び背後へ吹き飛ばされた。


 遠ざかる視界に見れば、敵は膝蹴りを放っていた。鋭く重い、コンパクトな一撃。どうやら徒手空拳においても技があるらしい。


(失策ッ!! だが、ただの膝蹴りに何故、(おれ)を吹き飛ばすほどの威力がッ!?)


 加えて、腹部装甲には打撲痕でなく、何故か裂傷が生じていた。異形の襲撃者が困惑する間にも、素早く体勢を立て直した敵の攻め手は絶え間なく――


(今度は、……胴薙ぎッ!!)


 ――息つく暇もなく、こちらは続けての回避を選択せざるを得ない。


 地を蹴って飛び退くこと、二度三度。

 重ねて大きく距離を開けたこちらへ、敵はそのままの勢いで白刃を突き込んで来る。無駄のないコンパクトで鋭角な軌跡。

 一瞬、鋭い剣先が白い傘のようなエフェクトを纏い、突き破った。敵の刺突は音速を容易く超えているのだ。


 異形の襲撃者は急いで身を躱す。が、完全な回避には失敗。

 脇腹が浅く切り裂かれる。刃筋の通りは極めて滑らかで、不気味なほどに抵抗がない。ひやりとした感覚がその切れ味を物語っていた。

 間違いなく、敵の攻撃はこちらの命に届く威力を伴っている。首を刈られれば、あるいは心臓部を貫かれれば、今度こそ確実な死が訪れるだろう。


 滑らかな断面を見せる裂傷に、しかしここでまた再び、異形の襲撃者の脳裡に「不可解」が浮かぶ。


(刃自体は、躱したはず……ッ!?)


 そう。自分の目は確かに見ていた。敵の放った刃が、実際にはこちらの肌にはわずかに届かず、表面さえ掠ることもなく通り過ぎていった様を。


(なにが起きている? 敵の攻撃はただの斬撃ではないのか?)


 異形の襲撃者は歯噛みした。いつの間にか完全に敵のペースになりつつある。自分は紛れもなく、敵の不可解なる力と純粋な技量に因って、翻弄されていた。


 このままではいけない。焦れる心とは裏腹に状況は刻一刻と悪化していき、


(――また、かッ!!)


 敵の攻撃は依然として、止む気配を見せようとしなかった。



 -§-



「――GoWuAGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!!!」


 憤りに満ちた咆哮を迸らせて、異形の襲撃者が地を蹴る。勇ましい態度とは裏腹に、しかし彼の身が飛んだのは前方でなく後方。全力を以ての回避運動だ。


 その数瞬後、漆黒の残像を断ち割るように横薙ぎの剣閃が奔った。


「……、こいつッ!!」


 望んだ手応えが得られなかったことに、レーゲンは奥歯を軋らせた。


 しかし彼女が眉根を詰めたのは空振り直後の一瞬のみ。すぐさま表情をフラットに戻し、凍てつくような視線を標的に突き刺したまま、いっそう果敢に前へ前へと踏み込んでいく。


「おぉ……ッ!!」


 呼気と共に地を蹴れば、(しなやか)な肢体が弾かれた発条の如くに跳ぶ。異形の襲撃者が稼いだ距離はそれだけで殺された。


 再び敵を射程圏内に捉えたレーゲンは、左の爪先が大地を踏んだと同時に右へ振り抜いていた剣を引き戻しに掛かる。

 そうして今度は右半身ごとぶつかるように、片手を伸ばしたリーチの長い斬り返しを叩き込んだ。斬撃軌道が風を鳴らして大きな扇形を描く。


 対して、異形の襲撃者はすぐに動けない。レーゲンの攻撃は彼の着地際を狙ったものだ。飛び退ろうにも足場がなければ、普通はどうすることもできない――


「――喰らう、かッ!!」


 ――が、異形の襲撃者の背には、人間が持ちえない器官が備わっている。それは鋭角なシルエットを持つ一対の翼。異形の襲撃者は空中での姿勢制御能力、及び、移動手段を有していた。


 羽撃きは破裂音を響かせて空を打ち、漆黒の姿が身体一つ分後退した。


 二撃目も空振り。そう確信した異形の襲撃者の視線が、予想外の事実を目の当たりにする。レーゲンが放つ太刀筋が、突然伸びたのだ。


「なに……ッ!?」


 仕掛けは単純。レーゲンは剣を振りながら握力を僅かに緩め、遠心力を利用して鍔から柄頭まで把持位置(グリップ)を滑らせたのだ。

 伸びたリーチはほんの数センチ程度。しかしその数センチこそが、戦闘において生死を分かつ境目と成り得る状況は数多い。


 果たして、レーゲンの「技」は異形の襲撃者の胸部装甲を見事に捉え、果物の皮でも剥くように鋭く切り裂いた。


 横一文字に刻まれた裂傷に、漆黒の人型〈骸機獣(メトゥス)〉が呻き声を上げる。苛むのは痛みよりも屈辱だ。そもそも、リーチを代償に威力を明確に減衰するはずの一撃が、何故ここまで明確なダメージを生んでいる?


 おのれ、と歯噛みする異形の襲撃者に対し――


「逃がさないよ」


 ――レーゲンは更なる追撃を行っていく。


 敵へ向かって三度踏み込みながら、彼女が次に繰り出したのはフェンシングの如き刺突。前方に置いた刃先はそのままに、身体を引き寄せるようにして発条を作り、四度目の踏み込みで腕を突き込んだ。


 真っ直ぐに胴体中心を狙う一撃に対し、異形の襲撃者が用いた回避手段は「尾」によるもの。彼は強靭な尾で大地を叩き、真横へ向けて飛び退ったのだ。脇の下ギリギリを通過した長剣を見やりつつ、体勢を立て直そうとした異形の襲撃者は、


「……逃がさないって、言ったよね?」


 何故か背後から聞こえたレーゲンの声を受け、絶句する。


 またもや「あの移動方法」だ。この短時間に連発まで可能なのか。混乱に陥りかけた異形の襲撃者は、もはや防御姿勢を取ることすらも叶わず――


「……っがあああああッ!!」


 ――背中に強烈な斬撃をまともに受け、今度こそ叫び声を上げた。


 武威を示す雄叫びとはかけ離れた、ただ痛みに悶え苦しむ情けない悲鳴。そしてそれは、生まれ変わって間もない彼が手に入れた「誇り」を木端微塵と打ち砕くには、十分過ぎるほどの痛手であった。



 -§-



(――おのれ、おのれ、おのれ……ッ!!)


 異形の襲撃者の論理回路を、煮え滾る溶岩の如き激怒が埋め尽くしていく。


(なんなのだッ!? この有様はッ!? 人間如きに、なにを手古摺っているんだ、(おれ)はッ!?)


 戦いが始まってから碌なことがない。迎撃さえ満足に叶わず、それどころか一方的な攻撃に対して自分は、狩られる獲物めいて回避に専念するだけ。せっかく獲得した俊敏性も、柔軟に稼働する五体も、これでは宝の持ち腐れではないか。


 これではなんのために身体を作り変えたのか?

 破損を恐れて、無様に逃げ回るためか?

 否、断じて否。敵を屠るためだろう!


 そうだ、腕の一本や二本程度はくれてやれば良い。忌々しいが「肉を切らせて骨を断つ」と人間の言葉にもあるではないか。要は死ぬより先に殺せばいいのだ。


 敵の技量が優れていることは理解した。だが、こちらには人間如きの柔な肉体など、一撃で屠る攻撃力がある――


(――落ち着けッ!!)


 爆発寸前の怒りと屈辱を異形の襲撃者はどうにか堪えた。自暴自棄に至る道筋の一歩手前で、彼は踏み止まったのだ。〈骸機獣(メトゥス)〉として本来有り得ない「忍耐」という感情を以てして。


 冷静な思考を失うことは敗北に直結する。文字通りに身を削って得た教訓だ。勝利を目指すならば、決して短絡的な結論に飛びついてはならない。耐えて、堪えて、待つのだ。あの人間のように。


 そうとも。少なくとも自分は、新しい身体を十全に使い熟せている。

 思った通りに五体は動き、咄嗟の判断に応える高度な応用性も備わっている。

 ならば戦闘能力自体に不足はないはず。そのうえで戦況に問題が生じている理由は、偏に敵の攻撃に関する分析が済んでいないためだ。


(故に、まずは、敵の戦術を探る!)


 いわば、これは試練と呼ぶべき工程だ。己が真に絶対的なる超越者として再び人間を蹂躙するために必要な、成長の機会に他ならない。


 ならば、傲慢さは捨てろ。怒りと屈辱を甘んじて受けろ。全ては不可欠なのだ。己を、真の強者と鍛え上げるためには。


 視て、感じ、奪え。


(おれ)は、)


 敵の技を。

 敵の力を。

 敵の命を。


(おれ)は、)


 そして、その果てに――


(おれ)は、勝つ……ッ!!)


 ――掴んで握れ。生まれて初めての、勝利を。

 


 -§-



 ごくり、と生唾を呑み込む音が、鋼と鋼の弾ける剣戟音に混じって聞こえた。


 それは自分のものか、それとも傍らに立つリウィアのものか。

 汗で額や頬に張り付いた薄青色(アイスブルー)の髪を払うでもなく、真剣に彼方の光景に食い入っている彼女は、期待に目を輝かせていたさきほどまでとは打って変わり、いまや緊張感に満ちた面持ちで唇を引き結んでいる。


 きっと自分も似たような表情をしているのだろう。そう思うエメリーへ、不意にリウィアが顔を向けた。彼女は強張り気味の口元を躊躇いがちに開き、


「……エメリーさん、あれは――」


 そこで、一呼吸分の戸惑うような空白を挟み、続けた。


「――レーゲンさんとヴィルさんが、……勝ってるんですよね?」


 その問い掛けに否定も肯定も返せないまま、エメリーは我知らず拳を握り締める。その所作を生んだのは、信頼と不安の、相反する二種類の感情だ。


 エメリーは目を凝らして見る。もうここからは遥かに遠く離れてしまった、レーゲン/ヴィルと異形の襲撃者による壮絶な戦いの様子を。


 確かにリウィアの言う通り、一方的な攻勢に立っているのはレーゲンの側だ。


 彼女は瞬時に立ち位置を変えながら、四方八方より猛烈な勢いでの斬撃を敵に叩き込んでいる。突き、薙ぎ、払い。目にも止まらぬ超高速での連撃は、人の形をした嵐と呼ぶべき、微塵も容赦のない怒涛の攻め手だ。


 対する異形の襲撃者は、いっそ無様なほどに逃げ惑っている。地を駆け、飛び跳ね、伏せて転がり。漆黒の身体を草切れと泥と裂傷に汚し、ときおり攻撃を躱しきれず装甲を削られ、その破片を飛び散らせていた。


 加えて異形の襲撃者は、疲労か損傷に因るものか、徐々に動きを鈍らせつつある。このまま順当に行けば、勝つのは間違いなくレーゲンだろう。遠からず致命的な一撃を叩き込み、長きに渡る死闘に文句のない終止符を打ってくれるはずだ。


 だというのに――


「――ぉおおおおおりゃあああああああッ!!」


 風に乗って届くレーゲンの叫びには、いまや、隠しようもない苦悶が含まれている。その理由をエメリーは知っていた。今のレーゲンは向き合う敵だけでなく、自分自身の身体を蝕む激しい苦痛とも戦わねばならないのだ。


 エメリーは思い出す。レーゲンが以前にヴィルと≪合一≫を行った時のことを。それは、ほんの数秒という僅かな時間のみに発生した出来事であったが、


(……≪合一≫を解いた時、レーゲンは今まで見たことがないくらいに消耗していた。あの体力馬鹿が息も絶え絶えになって、立ち上がることすら満足にできず、その後丸一日は寝たきりになったほどに)


 結局、十分な栄養と休息を摂ったレーゲンは翌日には問題なく回復したが、それ以来≪合一≫はリスクを鑑みて正真正銘の“奥の手”として封印されることになった。他ならぬヴィル自身も、事後の安全を確保できない状況では使うわけにはいかないと、念を押していた。


 そして、実際に≪合一≫を用いたレーゲンが今、心身を擦り減らしながら戦っている。悲壮苛烈な意気込みで剣を振るい、傷の痛みに吠え猛りながら獲物を追い続ける野獣の如き有様で、だ。


 そこに嘘か真か彼女が師と仰いだという英雄〈明星の剣〉の面影はない。あるのは、歳も背丈も自分より一つ分小さな少女が、血を吐くような叫びを上げて戦っているという現実のみ。


(……私は、――ッ!!)


 手を貸したい。

 今すぐにでも駆けて行きたい。

 命懸けでもあいつの援護をしてやりたい。


 己が内に荒れ狂う衝動を、エメリーは歯を食いしばって押し殺した。仮に自分が飛び込んだところで、十中八九無駄死にだろう。そもそも、レーゲンが戦場を遠くへ移したのは何故か?


(決まってるわ、……私たちをあの激戦に巻き込まないためよ)


 彼方、レーゲンと異形の襲撃者の戦いは益々激しさを増している。攻防に因って巻き起こる烈風は一種の結界のように二者の周囲を閉ざし、生半可に立ち入る者があれば、戦闘に加わることすらできずに全身を切り刻まれるだろう。


 示されるのは残酷にして明解な事実。エメリーには、あの中に割って入るだけの力がなかった。


(……私は、あと何回、自分の無力さを突き付けられれば良いのッ!? この期に及んで、ただ眺めていることしか、できないだなんてッ!!)


 悔しい。胸に渦巻く感情はそれだけだ。


 無論、大口を叩くだけの責任と成果は示してきたはずだ。

 才能だとか境遇だとか、そんなものに囚われて心を腐らせることはもう止めた。

 幾たびも降りかかる窮地の前に挫折を繰り返し、それでもと構えた意志と機転で挑み踏破して、今の自分は着実に成長しているという実感だってある。


 なのに、届かない現実は、なおもこうして立ち塞がる――


「……ふざけんじゃないわよ」


 ――だとしても、それが、どうした。


 自分に才能がないのは分かり切ったことだ。

 万軍を蹴散らすような武力も、大山を吹き飛ばすような絶技も、あらゆる可能性を見通す知略もない。空素術(エーテル・ドライブ)の御業がなければ、自分はただの小生意気で性根の悪い捻くれた娘でしかない。

 それでもその場その場で必死に思考を練り、意地を縁に頼りない手札を最大限に活用して、これまで生き残ってきたのだ。


 ならば少なくとも、「レーゲンとヴィルが全てどうにかしてくれる」などと甘ったれた考えに浸りながら、己の無力を理由に立ち竦んで状況に身を任せているだけの無様は――


「必死に戦ってる仲間を、よりにもよってこの私が、ただ突っ立って眺めてるだけなんて……ッ!!」


 ――断じて、エメリー・グラナートの生き方ではない。


 故にエメリーは考える。己が意地を示すためではなく、あくまでも一党の参謀役として「自分に何ができるのか」を。


 思考停止は愚行だ。ほんの少しでも仲間に助力が行える可能性があるならば、まずは検討するべきだ。立ち止まるのは取るべき手段を全て模索し終え、本当に自分にやることがないと、確信を得てからでなければならない。


 二者の戦況を見る限り、確かに現在はレーゲンの側が圧倒的有利だ。一見すれば異形の襲撃者は為す術もなく打ちのめされているだけに見える。しかし胸奥でチリつく「違和感」が、エメリーにひとつの可能性を思わせた。


(……どうして、奴は真っ向から打ち合おうとはしないの?)


 レーゲンに圧されてはいるが、それでも敵の戦闘能力は控え目に言っても異常だ。一度だけレーゲンに反撃を試みていたように、反応速度自体は恐らく同等のはず。ましてや、奇襲時には智謀を用いて襲い掛かってきた敵が、今更「なんの考えもなく逃げ回っているだけ」とは思えない。


(……まさか、奴はレーゲンの動きを、学ぼうとしている?)


 唐突な閃きが像を結び、明確な恐れとなるのをエメリーは感じた。

 もしこの想像が事実ならば、時間を掛けるのは二重の意味で危険だ。

 ただでさえ時間制限に焦っているであろうレーゲンが、決着の一撃を放つ前後、必ず生じるであろう僅かな隙を突かれたならば――


「――リウィアッ!!」


 ――エメリーの鋭い呼び掛けに、リウィアは肩を震わせた。


 しかしエメリーが視線を合わせた時、すでに彼女は「自分に何らかの重要な役目が与えられようとしている」ことに気付いていたようで、左右で色彩を違えた瞳には明確な決意が宿っていた。


(……土壇場で一番肝が据わってるのは、もしかしてこの子かもね)


 つくづくいい仲間と出会えたものだ。そしてエメリーが手短に伝えた「作戦」に、リウィアは一切の異を唱えることなく頷いた。


「それで、レーゲンさんたちを助けられるんですよね?」

「それは、……分からないわ。実際にそんな状況になるかも、なったとしても上手くいくかどうかさえ。でも、なにもしないよりはマシだと思う」


 問い返され、かすかに躊躇いを見せたエメリーに対し、リウィアは躊躇う素振りを微塵も見せずに首を振ってみせた。


「エメリーさんが気付いたことなら、私は信じます。それに私だって、レーゲンさんとヴィルさんを助けたい。だったら疑う理由も、躊躇う理由も、私にはありません……!」


 真っ向からそう言われたことで、エメリーの決意は完全に定まった。


「ありがとう、リウィア。……それじゃあ、今から用意を始めるわよ。もし本当に私の想像が当たってたなら、この作戦の成否に私たちの命運が掛かってるからね」


 言いつつ、エメリーは未だに鳴り止まない剣戟音の連なりへと視線を向けた。攻防の勢いは数秒毎に増しているようで、徐々に竜巻めいた風の流れが形作られつつある。向き合えばあまりに大きな存在感だ。


「……レーゲン、ヴィル。アンタたち二人だけに重荷は背負わせないわよ」


 それでも、エメリーは挑むことをもはや躊躇おうとはしない。

 共に旅をする仲間たちがそうするように命を賭して。

 己自身も決戦舞台に上がるために。



 -§-



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