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通り雨の旅行士《トラベラー》  作者: 赤黒伊猫
序章:草原騒乱四重奏
23/41

シーン22:天翔ける風が断つものは〈前編〉



 -§-



 ――奇妙な浮遊感が全身を取り巻いている。

 

 風前の灯火めいて明滅する意識が、不意にそんな感覚を得た。

 同時、僅かに生き残った体表感知器(スキン・センサー)が捉えたのは、外殻を擦りながら腹から背へと流れ抜けていく風の存在。


 ――浮いているのではない。自分は今、重力に引かれるまま落下している。


 導き出された現状予測は単純明快だった。が、何故そうなっているのかは分からない。論理回路が焼き切れて(ショートして)いるのか記憶領域に所々欠損が見られ、直前の状況を把握することさえ困難になっている。


 それでもひとつだけ確実に判断できるのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということだった。


 ――全身の骨格が軋み、甲高い悲鳴を上げているのが分かる。


 各部サーボモータの大半は破損し、いくら力を込めても空転するだけだ。

 過熱した機関部では、断線による火花放電(スパーク)が原因の火災も発生しており、弾薬生成器官に累が及べば遠からず誘爆を引き起こすだろう。

 伝達信号が各所で次々と途絶し、指先を軽く動かすことでさえ億劫になってきた。知覚機能も徐々に砂嵐(ノイズ)で埋め尽くされていく。


 この段に至れば否が応でも理解せざるを得ない。今やこの身は死に体であり、もはや生卵にも劣って脆弱な、廃棄物(スクラップ)も同然の代物なのだと。

 一国を滅ぼす威力を有していた武装類も、天を突くばかりの巨体を正確に駆動させるための各種機能も、今となっては単なるデッドウェイトへと成り果てた。


 しかしその一方で、この身が持つ莫大質量自体は丸々残っている。


 計測結果が正しければ落下の速度はすでに終端速度に到達している。運動の第二法則が不変の理である以上、着地の瞬間に発生する衝撃の威力は、崩壊寸前の自身に対して確実なトドメとなるに違いなかった。


 せめてもの抵抗として受け身を試みようとするも、前腕部がまったく動作しないことに気付く。いつの間にか肩部機構が破断しているのだ。

 記憶領域の隙間からノイズ塗れのログをようよう引き摺り出してみれば、どうやら起動直後に行った強引な壁面登攀と、大量の瓦礫を跳ね除けた際に発生した負荷が、故障の間接的な原因であるということが判明した。

 もっとも、そんな状況を生んだ経緯すら、今では思い出せないのだが。


 気が付けば荒れ果てた地表がすぐ目前にまで迫っていた。到達までの予測時間は残り五秒弱。激突を回避するために有効な手立ては、ない。


 ――遅まきながら悟る。決定的な敗北が、避けられ得ぬ死が、今まさに突き付けられているのだと。


 故に()()は結論した。なかば無意識の閃きめいて、理屈も定まらぬままに、それでも確信的に「()()()()()()()()()()」と。


 重さを、硬さを、巨体を。

 火力を、機能を、兵装を。

 武威を、特権を、畏怖を。


 ただ歩むだけで立ち塞がる全てを蹂躙し尽くすことが可能な暴力を。

 世に存在するあらゆる兵器にも増して優れた性能を発揮する五体を。

 そこに居るという事実ひとつが何人をも畏れさせ跪かせた存在感を。


 超越者として生まれながら持ち得た特権の尽くを、ただ「生き残るため」だけに棄て去るという、まるで追い詰められた小動物のような選択肢を、しかし()()は極々自然のうちに受け入れた。


 屈辱はなかった。恐れや迷いに関しても同様だった。ただひたすらに「このままでは終われない」という決断的思考が己の本能に近い部分で叫んでいた。


 そうだ。これだけははっきりと憶えている。己は人間という生物が見せた知恵と底力の前に敗北したのだ。


 なればこそ、逆襲しなければならない。どのような手段を使ってでも、()()()()()()()()()()()()()()()……!


 ()()は狂熱を帯びた衝動に任せ、己自身に許可を出す。()()()()()()という、本来ならば備わっているはずもない機能が、当然の如く可能であると信じて。


 ――果たして、変化は即座にかつ劇的に生じた。


 まず、度重なる過重駆動(オーバードライブ)の末に自ずから壊れていくのを待つだけだった全身が、役目を終えた瘡蓋のように自発的に剥がれ落ち(パージされ)ていく。


 分厚く鋭い凶悪な形状の爪も。

 無双の防御力を秘めた頑健な外殻も。

 艦砲射撃に匹敵する威力を誇る砲塔も。

 比類なき巨体を支えて余りある強靭な骨格も。


 荷重として停滞に繋がるすべてを、惜しむことなく片端から切り捨てていく。何故ならばこれらはもはや、無用の長物でしかないからだ。


 次いで、生き残っている機能を全身から掻き集める。そのためにまずは論理回路の再構築を最優先とし、余分と判断した記憶領域に関しては躊躇なく、ログも含めて残らず抹消した。


 途端、思考が極めてクリアになる。


 骨の髄まで浸み込んでいたなにか――それは人間でいうところの「驕り」と呼ぶべきものだろう――が綺麗に抜け落ちたようだった。そうして残ったのは、極めて無機質かつ正確無比な戦闘論理と、不純物なく研ぎ澄まされた殺意のみ。


 復活した思考機能はやるべきことを淀みなく片付け始める。


 残存エネルギーを心臓部に集中し再起動。

 その周りに骨格を再構築し、無事な部品で肉付けする。

 足りないものは弾薬生成器官を利用して新造した。


 結果として以前の体格に比べ、総質量の九割九分近くを減じることになったが、むしろ望むところだった。


 ――()()は、不要だ。


 過剰なそれらが敗因となったのだから、いまさら頓着する理由はない。


 また、装甲と武装に関しても、新たに得るのは必要最低限で良い。

 代わりに求めるのは、手数と、速度と、確実性だ。

 すなわち、取り回しが良く切れ味に優れた近接武装と、敵の行動に先んじることのできる俊敏性と、それらを支える鋭敏な知覚機能である。


 今なら理解できる。単純明快にして精密な殺傷力こそが至上なのだと。


 並行して生き残った体表感知器(スキン・センサー)を全身から回収し、頭部へ集中的に再配置することで知覚機能を復帰させていく。


 これまでのように彼方此方に分散して「目」を付ける必要はない。

 新たな身体に必要なのは、肉食獣の如き鋭敏で貪欲な視野だ。

 それは油断も隙もなく、ただ狩り立てる相手の一挙手一投足にのみ集中し、好機を見逃さぬ目である。


 組み立ては一瞬で完了する。

 すべてがあるべき箇所へ最大の効率を発揮できるように設置され、再始動した心臓部が一層激しく脈を打ち、全身の隅々にまでエネルギーを行き渡らせる。


 ――好し。


 仕上がりは上々であるように思えた。全身に漲る力には無駄がなく、指先の一本一本にまで、己の意志がわずかな誤差もなく通うのが自覚できる。


 身軽で、軽く、しなやかな構造体。


 以前とはまったく対照的な自分自身の姿に、()()はふと――あえてそう表現するならば――可笑しさを覚えた。


 何故なら、利便性と応用性を追求して形作られたこの姿は、まるで……。


「――Ku、ぅ、ック」


 その時反射的に喉奥から零れた音には、明確な音階が伴っていた。

 それがますます「らしく」思えるが、意外なほどに不快ではない。

 「かつての自分」に敗北を与えた者たちと等しいこの姿こそが「強者の構造」であるのならば、拒む理由などないからだ。


 さあ、準備は整った。

 新造された知覚機能(カメラアイ)に曇りはなく、眼前を怒涛に崩れ落ちていく残骸の彼方に、斃すべき敵の姿を正確に捉え込む。

 新たな目は効果的に機能し、一人ひとりの細かな表情さえ鮮明に識別する。まだ誰もこちらの様子には気が付いていないようだった。


 ならば、先手を打つのが最上であろう。()()は大地に爪先が到達するや否や、再構築した「武装」を起動させた。


 用いるのは新しく腹部に備えた一門の火砲。

 否、その小口径短銃身の機構に、もはや砲と呼べるほどの威容はない。少なくとも周辺一帯を焦土と化すような真似は、もう二度とできないだろう。

 しかしこれでいいのだ。以前の最大火力を発揮するにはあまりに不足なこの得物こそ、()()が勝利を得るために欲した武装だった。


 そうだ。攻撃は当てずっぽうにばら撒けば良いというものではなく、ましてや蟻を一匹潰すために全精力を傾ける必要はない。


 これは侮りでなく、純然たる事実として人間の身体は脆弱だ。

 つまり必要最低限の火力を的確に急所へ送り込めるならば事は足りるのである。

 故に過剰な火力は無駄になるどころか、却って敵に付け入る隙を与えるだけの害悪だ。蟻は小さいからこそ加害範囲の隙間に身を隠せるのだから。


 そう。戦闘とは思考の読み合い、細かな駆け引きの集合体だ。

 あくまで重要なのは、勝利への布石を如何に置き、何時発動させるか。

 「かつての自分」が理解していなかった、そして人間から得た教訓である。


 そんな思考を論理回路に巡らせながら、


「――GoWuAGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!!!」


 ()()は迸らせた()()によって己が存在を知らしめつつ、澄み切った殺意を込めて、静かに引き金を弾いた。


 轟音が奔り、災禍を齎す一撃が放たれる。



 -§-



 最初に危機を察知し、実際的な対応を行ったのはレーゲンだった。


(――来るッ!!)


 彼女は怖気を震う咆哮が大気を引き裂いたのとほぼ同時、限界まで見開いた深い瑠璃色の瞳を真正面へと向けたまま、総毛立つ身を抑えて声を張り上げた。


「――ヴィルッ!! 防御ッ!!」

「――合点承知ですよッ!!」


 唐突に叫ばれた指示に、ヴィルは疑問を差し挟むことなく応じる。

 魔導機人(マギノロイド)である彼女のバイオセンサは、迫る脅威をはっきりと認識していた。

 遥か彼方、地響きを立てて次々と落着する“恐嶽砲竜”の残骸が巻き上げた砂煙の中を、僅かな停滞もなく突き抜けてくる()()()の存在を。


 ヴィルはすで理解している。彼我の距離が詰まるまでは数秒にも満たず、その到達を看過すれば、間違いなく致命的な結果が発生することを。


 だからこそ、レーゲンを除く周囲の誰もが現状の把握さえままならず、取るべき行動を迷い戸惑う中で――


「《武装選択:電磁斥力場(バリア・フィールド)――起動(ラン)》ッ!!」


 ――ヴィルだけが与えられた要求を間に合わせた。


 声高く発せられた宣言と同時、これまで旅行士(トラベラー)一行を幾度となく救ってきた不可視の物理障壁が、かすかな放電音と共に展開される。


 あくまで機械であるヴィルは、人間が思考と行動の間に発生させがちな停滞(ラグ)とは基本的に無縁の存在だ。咄嗟の行動力(イニシアティブ)において彼女に先んじる者はそう多くなく、故にその時、皆へ警戒を促す余裕を得ることもできた。


「来ますよッ!! 全員、姿勢を低く、衝撃に備えてくださいッ!!」


 鋭く飛んだ明確な警句に、皆の表情に緊の一文字が浮かぶ。そして対応の早い者が身構えた直後、身から魂を引き剥がされるような凄まじい衝撃音と、強烈な運動エネルギーによって発生した大気振動が、一同の身に襲い掛かった!


「きゃあああ――ッ!?」

「ちょっと!? 何が起きたのよ!?」

「うぉおおおッ!? なんだ、攻撃か!?」


 リウィアが悲鳴を上げ、エメリーが困惑し、隊員たちが周囲に視線を巡らせた。その中の何人かは電磁斥力場(バリア・フィールド)を通して伝わった衝撃波をまともに喰らい、眩暈を感じて地面に膝を突いてしまっている。


「クソ、なんだってんだ……ッ!?」


 自前のもの(電磁防御)も含めて二重のバリアで守られているため、比較的影響を免れたイーリスでさえ、頭が痺れるような感覚を味わった。


 こうなっては一同が浮足立つのも致し方ないだろう。

 特に皆を激しく動揺させたのは、奇襲を受けたという事実そのものだ。

 なにせ、苦闘に次ぐ苦闘がようやく終わりを迎えたと、そう確信していたところにこの一撃である。安穏を打ち破られた反動が、目に見える混乱として生じるのも無理はない。


「攻撃の正体は、()()()()です!」


 そして直後にヴィルが叫んだ報告が、いっそう皆の顔を強張らせた。“シュレーダー隊”の一人が、絶望的な声色で呟く。


「おい、まさか……()はまだ生きてやがるのか?」


 轟いた凶悪な咆哮、砲撃という攻撃手段、なにより砲弾が飛んできた方角。それらはすでに倒したはずの脅威の生存を予感させるのに十分過ぎる証拠だった。


 “恐嶽砲竜”。よもやあの怪物は、頭部を撃ち抜かれ身体を粉微塵と喪失してもなお、殺戮と破壊を撒き散らそうというのか。


「ふ、ふざけんなよ……!?」


 隊員の一人が声を震わせる。百戦錬磨の騎士たちと言えども人間だ。疲労困憊の身に最悪の想定外をぶつけられては、取り乱すのも当然であった。


「い、いくら〈骸機獣(メトゥス)〉とは言え、殺しても死なない不死身の怪物なんてもんが、本当に居て堪るか! だいいち、奴が粉々になりながら落ちていく様を、俺たちはこの目で見たじゃねぇか! どうなってんだよ……!!」


 不可解が生み出す恐ろしい想像に、誰もが思わず身を縮こまらせかけた時――


「狼狽えてんじゃねぇッ!!」


 ――イーリスの鋭い一喝が、皆の耳朶を打った。


「正体不明の新手だろうが、死に損ないの化物だろうが、敵が出たってんなら改めてブチ殺すだけだろうッ!! アタシたちのやるべき事ぁ、なにも変わっちゃいねぇッ!! そうだろうがッ!!」


 先の砲撃音にも劣らぬ烈しい声が、その場を支配していた冷たい緊張感を吹き飛ばす。すると隊員たちの表情に滲んでいた恐怖の気配が一気に薄らぎ、彼らの凍えるようだった顔色に確かな血色が復活する。


 兵士が奇襲に臆して動けなくなる危険性を、イーリスは実体験として理解していた。故に彼女は、誰より迅速に怖れを打ち消し、良く通る声で皆の意気に「熱」を叩き込んだのである。


「「「――ッ!! 了解ッ!!」」」


 そして、戦闘鎧(コンバット・メイル)姿の騎士たちは立ち直った。


 元より、ここに槍を構えるのは何れ劣らぬ猛者揃いである。

 過酷な連戦によって心身共に消耗していようが、「戦いの放棄」という選択肢はそもそも彼らの心魂に存在しない。ただ一瞬のみ、それを失念していただけで。

 しかし恐怖は取り払われた。そして一度指揮官が指針を定めたならば、何処までも追従し目的を達成するのが、彼らにとっての絶対的な掟であった。


「……陣形を再構築し、迎撃態勢を整えろッ!! 前方警戒、敵性存在の正体把握、急げッ!!」



 -§-



 あっという間に態勢を立て直した“シュレーダー隊”の様子を間近に眺め、若き旅行士(トラベラー)たちもまた混乱から醒めた。踏んだ場数の絶対的な差を痛感し、少なからず口惜しさを覚えつつも、この場ですべきことを各々が模索し始める。


(……ああ、もう! 私としたことが、対応もできずに喚くだけなんて!)


 音頭を取るのはエメリーだ。

 彼女は冷や汗に濡れた髪を苛立たし気に掻き上げると、仲間たちへ声を飛ばし、現状把握を進めていく。


「レーゲン、リウィア、ヴィル!? 全員、無事ね!?」


 その問いには三者三様の応答が返った。ならばまずは好し。胸中に広がる安堵を感じつつ、エメリーは逸る気持ちを必死に抑えつける。

 焦燥に任せて方針も定めないまま動き出せば、却って敵の思う壺だ。

 初撃を防いだという事実を、まずは勿怪の幸いとして捉え、ここからは冷静に行動しなければならない……。


「なら、ヴィル? 貴方のバリアは、あと何発なら砲撃に耐えられそう?」

「同じ威力なら十発やニ十発は余裕ですよ! まだまだ腹ペコには遠いので!」

「防御面での不安はなし、と。それだけでも今は助かるわ、貴方はそのまま防御に専念して! そしたら次、……レーゲン!?」


 呼び掛けに素早く振り返った灰白髪(ホワイトアッシュ)の少女へ、エメリーは懐のポーチから取り出した双眼鏡を放り投げた。レーゲンが「おっと!」と、咄嗟に双眼鏡を受け取るのを確認し、告げる。


「アンタの役目は索敵よ、なにか見つけたらすぐに報せなさい!」

「……うん、分かった! 任せといて!」


 明朗な返事に、エメリーは笑みを得た。こんな時でも相変わらずの態度が妙に心強い。それにさきほどの奇襲を最初に察知したのは他ならぬレーゲンだ。彼女の野生勘じみた危機察知能力は信頼できる。


 レーゲンが正面、砲撃が飛んできた方角へ双眼鏡を向けたのを見やり、エメリーは最後に残った一人の仲間へ向き直った。


「リウィア、貴方は……」

「――ッ! は、はい! なんでもします!」


 待ち構えていたような素早い反応だった。

 生来のどこかおどおどした態度は相変わらずだが、彼女の左右で色を違えた瞳には、確固たる決意が宿っている。

 その張り切りぶりに対し、エメリーはそこはかとない罪悪感を得つつも、彼女に皆とはまったく異なる指示を与えた。


「……貴方は、今は休んでいて」

「えっ――」


 リウィアが呆然とする。


 言外に「役立たずである」と告げられたと感じたのだろう、深い哀しみとショックが彼女の顔に現れたことを見て、エメリーは首を振った。否定の方向へと。


「安心しなさい、そういう意味じゃないわ。むしろこれから起こるだろう戦闘には、貴方の歌が必要不可欠なの。つまり、私たちを万全にサポートしてもらうために、喉を休めておいてほしいってこと」


 そう聞かされたことでリウィアは安堵したようだった。「わかりました」と言いかけ、途中で慌てて口を手で抑える。そこまで徹底しなくても良いのに、とエメリーは苦笑しながら、一先ず仲間たちが落ち着きを取り戻したことに頷いた。


 そこでエメリーはふと、すでに部下たちに防御陣を構築させ終えたイーリスが、興味深げにこちらを見つめていることに気付く。なんだろう、とエメリーが訝しんでいると、赤銅髪の軍人は「にやり」として、


「良いチームワークじゃないか。なるほど、その歳で旅行士(トラベラー)やってるのは伊達じゃなさそうだな。なかなか立派な司令塔ぶりだぜ、お嬢ちゃん」

「……それは、どうも。本職の貴方たちからしてみれば、所詮子供の飯事に見えるかも知れませんけど」


 お嬢ちゃんという呼び名が気に食わず、いつもの癖で皮肉っぽい返事をしてしまい、直後にエメリーは「しまった」と背中に嫌な汗をかいた。

 イーリスは外見こそ若々しいが、実際には自分よりも年上であり、さらには豊富な実戦経験を積んだ軍人だ。そんな彼女からすれば、素人に毛が生えただけの自分など、文字通り「お嬢ちゃん」に違いないのだろう。


 そう理解しつつも業腹ではある。が、礼節の観点からは褒められた態度ではなかった。なにより無意識に自分を卑下したのが最悪だ。


「……すみません、生意気なことを」


 己が不用意に示してしまった不遜に、エメリーは苦虫を噛み潰したような表情になる。対してイーリスの方はといえば、特に気にした風もなく、それどころかますます笑みを深めた。


「謝らなくていい。むしろ気に入ったぜ、良い跳ねっ返りぶりだ。お嬢ちゃんなんて呼んで悪かった。名前は確か、エメリーだったな?」

「……はい、エメリー・グラナートです」

「オーケイ、エメリー。その調子で今後も頼むぞ。お前たちは現状、立派な戦力だ。場合によっちゃあ、働いてもらうかもしれねぇ」


 どうやらさきほどの褒め言葉は本心からだったようだ。面映ゆさと引け目に頬を赤らめたエメリーは、しかしそこでひとつの違和感に思い当たる。


「……撃ってきませんね」


 敵からの砲撃、第二射目が未だに来ないのだ。その疑問を口にしたところ、彼女も同じく気付いていたのだろう、イーリスが神妙に頷いた。


「もしかすると、鼬の最後っ屁ってやつだったのかもな。ンなものに右往左往させられてたってんなら、それこそお笑い種だが」

「死に際の一発にしては、照準が正確過ぎる気もしますが。威力も、明らかにこっちを殺すつもりの一撃としか……」

「それが防がれたんで出鼻を挫かれたって可能性もあるが、相手に態勢を立て直す余裕を与えるのは愚策だぜ。直接的なダメージが見込めなくても、制圧射撃のつもりなら普通は二撃、三撃と畳み掛けてくるもんだが……?」


 これまでとは正反対の不気味な静寂に包まれながら、イーリスとエメリーは慎重に言葉を交わし合った。


「そもそも、本当に“恐嶽砲竜”が生きてるとも限らねぇしな」

「奴が撒き散らした瘴気の影響で新たに生まれた〈骸機獣(メトゥス)〉が、攻撃を仕掛けてきた可能性もある……と?」

「あんなクソデカ威力の砲撃を行えるような敵が、二体三体とぽこじゃか湧いてこられたら堪ったもんじゃねぇがな。警戒はするべきだろう」


 攻勢か、撤退か、あるいはこのまま防御に徹するか。イーリスは数秒ほど考え、決断した。金色の瞳を輝かせるヴィルへとイーリスは問う。


「ヴィル、バリアを張ったまま移動することはできるか?」

「残念ながら無理ですね。電磁斥力場(バリア・フィールド)は全方位を閉じれる代わりに、使用中は移動ができない仕様なので」

「何事も一長一短、そう都合良くは行かねぇか。なら、アタシが合図したら一瞬だけバリアを消してくれ。走鋼馬に乗って、全員でここを離脱する」


 その提案に、ヴィルは眉を顰めた。


「……敵の正体も分からない段階で、それはちょっとばかり危険では? 防御を解いた途端に二撃目が撃ち込まれたら全滅ですよ?」

「敵の正体も分からねぇまま、遮蔽物もない平地の一ヵ所に釘付けされてる方が危険だ。こっちの人員は多くが疲労困憊、消耗戦に持ち込まれたらどう転ぶか分からねぇ。お前のバリアも永遠に出しておけるわけじゃないんだろう?」


 言いながら、イーリスは鋭い視線を正面へ向けた。

 いまだに晴れない巨大な砂煙が彼方を覆い尽くし、ほとんど視界が閉ざされてしまっている。これでは敵の姿を捉えることは難しいだろう。

 現状を再確認し、イーリスは忌々し気な舌打ちを漏らした。


「もちろん、離脱開始は相手方の正体と位置が把握できてからだ。そうしたら煙幕焚いて、全速力でこの場を離れる。撤退するにしろ、あるいは戦いを継続するにしろ、まずは安全を確立してからだ。足元が疎かじゃあ踏ん張りも利かねぇからな」


 彼女はそこで、未だに目を覚まさないリーンハルトを一瞥する。


「……なにしろ我らが隊長殿は、まだ夢の中なんでね。こいつが万全なら突っ込ませるところだが、流石に今から無理をさせるのは気が引ける」


 嘆息ひとつを経て、イーリスは“シュレーダー隊”の皆に呼び掛ける。


「というわけだ、いいな? 野郎ども?」

「「「了解です、副長!」」」


 実質的な敵前逃亡の宣言に、隊員たちから不満の声は上がらなかった。

 さきほどイーリスがぶち上げた過激な演説は、あくまで士気高揚を目的としたものであり、継戦に伴う危険を“シュレーダー隊”の隊員たちは正しく理解している。

 彼らは確かに勇猛果敢な騎士だが、その一方で無策不必要に虎口へ飛び込んで、あたら命を散らす猪武者というわけではない。

 退くべき時は退き、その先に確実な勝利を望む、敗北を許されない兵隊(プロフェッショナル)なのだ。


「幸い、首都からの増援も出撃済みだと、今しがた通信が来た。上手くいけば合流できるだろうし、戦力さえ揃ったなら、仮に“恐嶽砲竜”が相手だろうが真正面からやり合える。かつて大陸全土に覇を唱えたゲルプ帝国軍の系譜は伊達じゃねぇ。砲撃ぶち込んできやがったのが誰だかは知らねぇが、吠え面かきやがれってんだ」


 最終的にイーリスが立案したのは「離脱及び撤退を優先、必要に応じて迎撃殲滅に切り替え」という、堅実な行動方針であった。当然ながら、本職の軍人が提示した作戦に対し、若き旅行士(トラベラー)たちが否やを唱える資格はない。


 しかしそこで、白く細い手がおずおずと挙げられた。


「あの、すみません。ひとつだけ良いですか……?」


 控え目な声に皆がそちらを向けば、発言者はリウィアだ。視線の集中を喰らい「ひぅ」と呻いた彼女は、それでも怖じずに言葉を続けた。


「その、逃げるのは構わないんですけど。私たち、女の子を一人、森の中に待たせているんです。どうにか迎えに行ってはあげられませんか……?」

「……そういやあ、さっきお前らを走鋼馬に乗せた時にそんなことを聞いたな。森で迷子になった子を助けた後、即席で作ったシェルターに匿ったまま、ここまで駆け付けてきたって」


 イーリスは「ふん」と鼻を鳴らすと、部下たちへ向けて決断的に言った。


「寂しい思いをしてる女の子を迎えに行きたい奴、手ぇ挙げろ」


 間髪入れず、すべての隊員が勢い良く手を挙げた。


「馬鹿野郎ども、むさ苦しいのが大挙したら逆に怖がらせるだけだろうが! もう良い、人員選出は後でアタシがやる! 文句言うんじゃねぇぞ!」


 ブーイングを飛ばし始めた部下たちを「うるせぇ!」と一喝してから、イーリスはリウィアへ向き直った。


「……そういうわけだ。離脱の途中で体力に余裕がある奴を選出してそっちに向かわせるよ。日が暮れる前には迎えを寄越す手筈もどうにか整える。今すぐに彼女を家まで帰すとまではいかないが、これでどうだ?」

「えっと……、エメリーさん?」


 戸惑い気味にリウィアが問えば、エメリーは「現状ではそれ以上を望むべくもないでしょうね」と頷く。それでようやくリウィアも納得することができた。


「あの、こんな時に無理を言って、すみません。私たちがやり残したことの後始末をさせてしまって……」

「ああ、ああ、遠慮しなくたって良い。元々あのデカブツが出なけりゃ、迷子探しはアタシらが請け負ってたんだしな。それに〈骸機獣(メトゥス)〉避けの護符と、飲食物はある程度置いてきたんだろう? 緊急事態の対応としちゃあ、十分及第点だよ」


 と、そこでイーリスが「にやり」と凶暴な笑みを浮かべて、


「……なんなら、視界が開けて敵の姿が見えた瞬間、アタシが雷撃ぶち込んで派手にトドメくれてやっても構わねぇ。そうなりゃあ話は早いぜ。いざとなりゃあ一戦交える覚悟はあるからよ。そうだエメリー、なんなら一緒にやるか? どデカい花火が上がりゃあ気持ちが良いぜ、きっと」


 その言葉に、一瞬だけ、沈黙が生まれた。


「――それは、その、魅力的な提案ですね……?」

「なんだ、煮え切らねぇな。攻撃系の詠唱術士(ワード・キャスター)に大事なのはノリと勢いだぜ。こう、燃えるだろ? 目の前の糞野郎をぶっ潰すと決めた時に、下っ腹に熱っぽい波がクる感じの……」

「へ、変なこと言わないでくださいよ……!?」


 唐突に水を向けられたエメリーがタジタジとなる。彼女にとってイーリスは今まであまり接したことのないタイプなのだ。付き合いが浅いことも手伝って、会話が微妙に噛み合わない。


 二人のそんなチグハグな様子と、状況が好転しつつあるような感覚に、周囲の皆はほんの一瞬だけ和み――


「――エメリーッ!! 敵、右側ッ!!」


 ――その弛緩を狙い澄ましたかの如く、脅威が容赦なく到来した。



 -§-



 鋭い警句を発したのはヴィルでなく、索敵に集中していたレーゲンであった。

 彼女はいつの間にか双眼鏡を顔から外し、何故か砲撃が飛んできた正面でなく、右側面を焦燥に満ちた表情で睨んでいた。


「新手ッ!? ああ、もう――」


 そちら側には敵など居ないはず。そう思いつつも、エメリーは即座に応じて黒檀の”共振杖(ブースター・ロッド)”を構えた。

 レーゲンは確かにお気楽能天気の考えなしだが、こんな時に冗談を言う奴ではないし、なにより索敵を任せたのは自分自身である。

 ならば、彼女の言葉を信じない理由はなかった。


 エメリーは引き金に指を掛けたまま素早く振り返る。

 選ぶべきは攻撃か防御か。ともかく有効な発動詞(トリガー)を唱えようと、意識を集中しかけた彼女の翠玉色の瞳に、高速で接近してくる影が映り込む。

 敵だ。反射的にそう判断し、戦意を燃やすエメリーの口から漏れ出たのは――


「――は?」


 ――力ある(ワード)などではなく、疑問と唖然を意味する吐息だった。


 エメリーは己の目を疑っていた。

 知覚したものが現実であると受け入れられなかった。

 一刻一秒を争う状況下にありながら、彼女は完全に我を忘れてしまった。


 何故なら、レンズを通して彼女が見た()()は――


「――GoWuAGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!!!」


 ――聞き覚えのある咆哮を轟かせながら、こちらへ向けて猛然と襲い掛かりつつある、まさしく異形と呼ぶに相応しい存在であった。


 否、それだけならばエメリーは問題なく対応したであろう。ただ一点、彼女に茫然自失を生むほどの衝撃を与えた理由、()()()()()()()()さえいなければ。


 彼我の距離は、すでに、目前。


 一瞬の対応の遅れが、彼女たちに残酷な現実を突き付ける。



 -§-



 ……初撃を防がれたのは予想の範疇だ。


 意外だったのは、人間共の立て直しが想定より遥かに迅速だったこと。おかげで混乱に乗じて一網打尽にするという方針は棄てざるを得なかった。やはり、敵側には良い指揮官が居るらしい。


 高速で流れていく風景を横目に、()()は判断する。参考資料として残しておいた記憶領域から読み取れた、赤銅髪の空素術士(エーテル・ドライバー)が該当者であると。


 彼女の面構えを想起することに、もはや苛立ちや憎悪は起こらない。

 ただ純粋に「最優先で排除すべき敵」としての、冷めた殺意があるだけだ。

 彼女が行使する雷撃に煮え湯を飲まされた記憶のログが論理回路に走っても、むしろ素直な賞賛めいた感想が第一に浮かぶ。


 人間とは群れ集うことで戦力を増す生き物だ。

 その定義は群れでの狩りを行う生物全般に当てはまるものだが、とりわけ人間が異質なのは、頭目の指揮能力の優劣によって総合的な戦力値に明確な差が生まれることだろう。

 つまり、優秀な個体に率いられた群れは、個々が本来持ち得る能力を遥かに凌駕した働きを見せるのである。


 そこまでを考え、()()は笑った。個として比類なく優れていた「かつての自分」が敗北した原因は、まさしくその点にあるのだ、と。そう理解しておきながら、行動方針に些かの変更もないのが、少しばかり可笑しかった。


 ……さて、理想値としての目論見は外れたが、構わない。


 元より狙いは最初から一人だけである。少なくとも、砂埃と瓦礫を利用し、人間共の視線を切ることはできた。


 そう、砲撃はあくまでもブラフだ。

 警戒すべき方角を誤認させ、()()()()()を達成するための布石でしかない。

 敵方が混乱の坩堝に陥っていた頃、自分はとっくに走り出し、連中が構えた防御陣の右側面へと大きく回り込んでいた。


 自分は人間どもの警戒を、まったく的外れの方向へ逸らすことに成功したのだ。


 「読み勝つ」とは、こういうことか。

 生まれて初めての――そう呼ぶには簡易だが――策略が上手くハマったことに、良い知れない快感と達成感が湧き上がる。

 知恵を用いるとは、こういうことなのか!


 ……そして、今。


 襲撃準備を整えた己は、隙を見せた敵群を目掛け、一直線に疾走。

 瞬発としての一歩目を踏み込み、真正面へ向けて一直線にかっ飛んだ。

 もはや、己を大地に縛り付け遅々たる歩みを強制してきた重量から解き放たれ、思うが儘に躍動する五体への歓喜に満たされながら。


 大地を蹴り立て、身体の鋭角部で風を裂き、数百メートルの距離をわずか数秒間で一気に詰めていく。


 これだ。やはり、この機動性こそが必要だったのだ。

 見る見る獲物の姿が大きくなり、やがて目前となる。

 射程圏内。文字通り、手を伸ばせば届く距離だ。


 その時、人間共の中で灰白髪(ホワイトアッシュ)の少女だけが、こちらの接近を察知した。

 驚くことに、彼女はなんの前触れもなく不意に双眼鏡を下げると、弾かれるような勢いでこちらへ首を向けたのだ。

 足音が届いたか、それとも第六感とやらが働いたか。


 そして今、彼女は仲間たちへ警戒を呼び掛けている。

 なるほど、意外な伏兵がいたものだ。彼女の気付きがあと数秒でも早ければ、こちらの襲撃は失敗していただろう。

 しかし、手遅れだ。どのような手段を講じても、もう間に合わない。


 目標まで三メートル。


 ふと、黒髪の空素術士(エーテル・ドライバー)と目が合う。

 驚愕に歪んだ良い表情だ。そう思った。

 そこから得た「快」の衝動が、自分が未だに〈骸機獣(メトゥス)〉の一個体に過ぎず、その本能に縛られている自覚を呼び起こす。


 目標まで二メートル。


 こちらを視認した若草髪(グラスグリーン)魔導機人(マギノロイド)が、即座に電磁斥力場(バリア・フィールド)の出力を引き上げたことを、急激に増大したエネルギー量から感じ取る。

 無駄だ。それはさきほどの砲撃結果から得た分析によれば、誤差0.00000001%未満の相似周波を纏わせた打撃によって突破可能であると分かっている。

 これもまた()()である、障害は存在しないも同然だった。


 目標まで一メートル。


 遅ればせながら、他の面々もこちらの接近に気付いたようだ。

 戦闘鎧(コンバット・メイル)姿の者たちが武装を構えるが、照準から射撃に至るまでの隙は埋め難いだろう。それにあの鈍重な武装は近接格闘には不向きだ。

 事実、彼らの何人かはこちらが()()()()()()()()を悟ったらしく、迎撃よりも身を投げ出しての防御を図ろうとしている。

 しかし生憎、その程度で止まるほど、己の爪は鈍くはない。


 轟、と大気をぶち抜いて目標に襲い掛かる()()は、ふと生じた好奇心に応じて、己がこれから為す行為を表現しようと試みた。

 吸気と排気を繰り返しながら、喉奥に生じた新しい機構を操り、これまで単なる威圧目的に過ぎなかった()()へ別の意味を与えていく。


「――Ko、ろ……こロSu、ころす――」


 生まれて初めて口にしたその()()が、なんとも甘美な響きとなって論理回路を揺らすのを、()()()()は感じた。


 なるほど、これが己の意志を世界に示すということか。

 またひとつ敵対種に対する理解が深まったような、なんとも不思議だが、それでいて深い満足感が胸に染み渡る。


そして、()()は――


「――皆殺しだ……ッ!!」


 ――感触を愉しむようにそう呟くと、全身に漲る殺戮意志を解き放った。


 さあ、目標まで、零メートル。



 -§-



 物理エネルギーに対して絶大な防御力を誇るはずの電磁斥力場(バリア・フィールド)がいとも容易く切り裂かれた瞬間、魔導機人(マギノロイド):ヴィルベルヴィントは、論理回路に発生した重大なエラーを実感した。


(馬鹿な――)


 それは人間の感情に照らし合わせれば「驚愕」と呼ぶべきものだ。幾つもの想定外が束なり、電気信号の濁流となって思考を埋め尽くしていく。


 ひとつは、敵の接近を今まで察知できなかったこと。

 電磁斥力場(バリア・フィールド)の展開に集中していたとは言え、まさかバイオセンサを振り切る速度での高速移動を、敵が行ってくるとは。


 ひとつは、敵の姿が己に内蔵されたデータベースと一切合致しないこと。

 光速度思考による分析処理は敵影を捉えた時点で完了する。

 身体組成及び内部構造から、誤差0.0000000028%で〈骸機獣(メトゥス)〉と相似するその敵は、完全なる新種であるらしい。


 ひとつは、こうもあっさりと防御を破られたこと。

 無論、電磁斥力場(バリア・フィールド)とは正真正銘、完全無欠の防護ではない。

 飽和攻撃によるエネルギー切れを狙ったり、より大きなエネルギーをぶつけて強引に押し破るなど、突破方法自体には幾つかの選択肢がある。


 そのうえでヴィルを驚愕せしめたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()を持ち合わせていなければ、到底不可能な方法で電磁斥力場(バリア・フィールド)を打ち破ったことだ。

 接触までの刹那の間に電磁斥力場(バリア・フィールド)の構造を解析し、それを突破可能な相似周波を計算し、あまつさえ実際に攻撃として成立させるとは。


(――有り得ない。そんな存在が、私の他にこの世界に存在しているなんて!?)


 自分という個体が、いわゆる「例外(イレギュラー)」に属している自覚はあった。

 レーゲンたちにはあえて説明していないが、そもそも自分は魔導機人(マギノロイド)という括りに収められてこそすれ、その成り立ちにおいては大きく趣を異にする存在だ。

 少なくとも自分の「生みの親」が参照した技術とは、超越技術(オーバーテック)の中でもとびきり反則めいた代物であろう。


 その詳細な情報にアクセスする権限が与えられていない以上、己の全機能を把握することは未だにできていないが、現時点でも燃費の悪さを除けば自分の性能は間違いなく「最強」に近い立ち位置にある。


 故に単純な機体性能(スペック)で自分と並び立つ存在など、この世界にそうそう居るはずがなかったのだ。……今、この瞬間までは!


(――自由思考を強制停止、危機的状況に対する対応に注力ッ!!)


 ヴィルはそこで、あらゆる疑問に対する思索を一時保留とした。答えが出ない問いに対し、これ以上余計な思考能力を割いている暇はないと判断したためだ。

 迎撃動作はすでに開始されている。我が身は半ば自動的に、最優先事項である「仲間たちの保護」のため最適化された動きを取っていた。


 しかし、彼女の卓越した計算能力は、これから待ち受ける残酷極まりない答えを既に導き出していた。


(敵性存在の進路予測、完了。標的は99.98%の確率でイーリス・アーベライン。緊急事態につき加速装置(アクセラレイター)を起動、……失敗(エラー)。該当機構の喪失を確認。当機の通常運動性能では、身体を割り込ませることも、できない……!!)


 おそらく敵の狙いは初めから彼女であったのだろう。そしてこういった状況で用いるべき機能は破損している。間に合わない。それが揺るぎない現実だった。


(詰み、ですか……!?)


 そして極度に引き延ばされた時間感覚の中で、ヴィルは次の瞬間に起きた出来事のすべてを、ありのままに捉えた。


 迎撃を諦めず拳銃を引き抜こうとするレーゲン。

 詠唱を取り止め“共振杖(ブースター・ロッド)”で殴りかかろうとするエメリー。

 目を真ん丸に見開いて硬直するリウィア。

 決死の表情で割って入ろうとする“シュレーダー隊”の騎士たち。

 己の死を半ば悟りながらも、最後の抵抗を行うべく身構えるイーリス。


 彼女らの抵抗は襲い来る襲撃者に対してあまりに無力だ。鋭い凶爪が騎士たちを跳ね除け、イーリスの命を抉り取ろうと迫る。接触までコンマ一秒足らず。


 深紅の色彩がブチ撒けられる、その寸前――



 -§-



 ――それまで意識を失っていたはずのリーンハルト・シュレーダーが、猛獣の如き絶叫を発しながら跳ね起きた。



 -§-



 刹那、他の一切合切はリーンハルトにとって考慮外だった。


 敵が居る。敵が部下たちを、イーリスを殺そうと、狙っている。ならば俺が守らなければならない。〈烈刃〉と呼ばれた男の思考を埋めていたのは、まさにその考えひとつだけだった。


「――ぉおおおおおおおあああああああああああッ!!!!」


 裂帛の気合を以て、リーンハルトは軋む身体を起こす。

 ただ起きるだけでは間に合わないと直感し、両肘で大地を打撃した反動を用いての強引な立ち上がりだ。

 同時に〈クリンゲ(刃の)ウンティーア(修羅)〉を発動。全身に回す分のエーテルはない。効果を発揮するのに最低限必要なだけを、右腕のみに集中して巡らせる。


 立ち上がる。地に足が付く。ほぼ同時、敵が拳を放つ。風を割いて奔る凶爪は、間違いなくイーリスを狙っていた。


 そうはさせるものか。

 姿勢を整える暇はない。

 技を繰り出す余裕はない。


 あるのはただ、守護の意志を込めて突き出す、一振りの拳だけ。


(――イーリスは、俺が、守る……ッ!!)


 そして眩いエーテル光を纏う右腕が、音速突破の衝撃波を生みながら、襲撃者の腕へと真正面から叩きつけられた。



 -§-



 結果として、攻撃は逸れた。

 リーンハルトは、イーリスの命を守り抜いた。

 しかしその代償として鳴り響いたのは、肉を裂き骨を断つ音。


 激突の直後、無双の守護力を発揮するエーテル光は絶えていた。

 急場凌ぎに発動された術の効果は、ほんの僅かな時間しか保たず、敵の一撃を弾いただけで消費されたのだ。

 そうして、もはや脆弱な生身と化したリーンハルトの拳に対し、襲撃者の凶爪は威力を減じないままに突き進んで行く。


 リーンハルトの右腕が、二の腕の辺りから断たれ、鮮血と共に宙を舞った。



 -§-



「ぅあああああ――ッ!!?! リーンハルトォ――ッ!!?!」


 イーリスが凄まじい悲鳴を上げた。

 噴き出した大量の血液で顔面を汚しながら、倒れ込むリーンハルトの身体を必死に支え、彼女は幼子のように喚き続ける。

 周囲一帯が深紅に染まる。凄絶な光景を前に、激怒を以て即応したのは彼女の部下たち、すなわち“シュレーダー隊”の面々だ。


「「「貴様ァアアアアア――ッ!!!!」」」


 激憤でその身を満たしながら、しかし一糸乱れぬ連携によって襲撃者へ反撃を試みた騎士たちに返ったのは、無慈悲にして圧倒的な暴力だ。

 それは激突と呼ぶことさえ憚られるような、敵の一方的な攻勢であった。

 破砕音が多重に鳴り響き、前へ出ていた五人の騎士が戦闘鎧(コンバット・メイル)を粉砕されながら、成す術なく後方遠くへ吹き飛ばされた。


「……糞ッ!! 怯むなッ!! 隊長たちを、守れェ――ッ!!!!」


 それでも怯まず吶喊した残りの者たちもまた、ほんの数秒ほどの時間を稼いだだけで、先行した同僚と同じ運命を辿った。


 爪が、牙が、尾が。

 殺意を宿す漆黒の暴風と化した影が閃き、意気を示して立ち塞がらんとした騎士たちが、まるで案山子のように薙ぎ払われていく。

 腕を、足を、肩を。

 枯れ木を纏めて握り潰すような耳障りな音と共に圧し折られ、揃って大地に転がった彼らの身体から、決して少なくはない量の血液が漏れ出す。

 息も絶え絶えの騎士たちは、もはや戦える状態ではなくなった。


 まさしく鎧袖一触。一瞬にして絶望的状況に追い込まれた人間たちの中で――


「――“冷にして乾なりしエーテルへ”、“我は求め訴えたり”、“土よその密と硬とを以て”、“我らを守る壁となれ”――」


 ――黒髪の空素術士(エーテル・ドライバー)が、≪障壁≫の詠唱術(ワード・エフェクト)を唱えていた。


 引き攣り歪んだ表情、目尻には涙さえも浮かべながら、平時の彼女とは懸け離れた嗄れた声色で発動詞(トリガー)を完遂させる。


「――≪障壁≫ッ!!」


 術の成立と同時、エメリー十八番(おはこ)の堅固なる壁が地響きを立て、襲撃者と皆を分断するように一同の前方にそそり立つ。

 それだけではない。続けて発生した土壁が、襲撃者の四方を取り囲むと、空高く伸びる煙突のようにその身動きを封じた。

 騎士たちの尽力は少なくとも、エメリーが詠唱を終えるだけの時間を、彼女に与えることに成功していたのだ。


 加えて≪土の歌≫の影響により、周囲の空素構成(エーテル・バランス)は、土属性が強化された状態をいまだに保っている。そのため≪障壁≫の硬度も平素の数倍以上に跳ね上がっており、物理的な防御力は決してヴィルの電磁斥力場(バリア・フィールド)にも劣らない。


 防壁を完成させ、エメリーはすぐさま皆へと呼びかけた。


「全員、撤退ッ!! 逃げるわよッ!!」

「ちょっと待って、この人たちはどうするの!?」

「全員を抱えていくのは無理よッ!! 今はまず反撃態勢を整えるのを優先しないと、共倒れになるわッ!!」


 エメリーが発した血を吐くような叫びに、しかし応じられた者は居ない。否、応じる暇さえなかった。


 構築からほとんど間を置かず、並大抵の攻撃では押し破ることができないはずの≪障壁≫が、()()()()()()()()()()からだ。


「――嘘、でしょう」


 強化されているはずの≪障壁≫は、地響きと砂埃を巻き上げて呆気なく崩れ落ちた。そして開けた視界の先、そこに立っていた襲撃者の風体は、まさしく異形と呼ぶに相応しかった。


 その姿を強引に例えるならば「人間の骨格を持つ黒鋼の竜」だ。


 全身を覆う夜闇の如き漆黒の装甲は、戦闘鎧(コンバット・メイル)めいた滑らかな曲線のフォルムで、動きを阻害せぬ箇所へと的確に配分されている。

 その隙間に覗く関節部は、材質不明のしなやかな素材で埋められている。

 所々にあるスリットからは、()()が行う呼吸だろうか、一定の間隔で力強い吸排気が為されている。


 すらりと伸びた手足には鋭い鉤爪を備える五指が。

 腰の後ろからは先端部に鋭い穂先を持つ太く強靭な尾が。

 背には大気の壁を軽々と切り裂くであろう一対の鋭角な翼が。

 浅く上下する分厚い胸板の下には黒々とした闇を湛える砲口が。


 そして竜の顎を模したような兜の奥から、灼熱の憤怒と粘着く殺意を秘めた深紅の瞳が、生き残っている者たちの姿を真っ直ぐに射貫いていた。

 それはまるで、羽と足を千切られて死を待つだけとなった羽虫がもがく様子を観察するように、不気味なほどの静けさで。


「……なんなのよ、こいつはッ!?」


 凄まじい威圧感を真正面からぶつけられたエメリーが狂乱気味に喚く。


 彼女は今、心臓を握り潰されるような息苦しさを感じていた。

 体格としては二メートル強。人の尺度に合わせればかなりの身長だが、今まで戦ってきた〈骸機獣(メトゥス)〉に比べれば、むしろ小柄と評してもいい。

 それこそ、あの“恐嶽砲竜”の足元にも及ばないのは明白だ。


(この身体の芯から凍り付くような恐怖感は、なに!?)


 エメリーは本能的に悟る。否、強制的に理解させられてしまった。

 それは「絶対的捕食者に対峙した被捕食者が抱く恐怖」であると。

 “シュレーダー隊”を難なく蹴散らし、悠然とした立ち姿を見せつけるその異形は、明らかに人間とは隔絶した強さを持つ存在なのだ。


(こんな奴と、どうやって、戦えば……!?)


 ヴィルの電磁斥力場(バリア・フィールド)を無力化し、エメリーの≪障壁≫も軽々と切り裂いた。単純な戦闘能力に関しては今しがた見せつけられた通りだ。こんな相手に対して、どう立ち向かえば良いのか。


 エメリーが思考を放棄しかけた、その時。彼女のすぐ背後で、タールのように黒々と濁り粘着く、怨嗟に満ちた詠唱が響いた。


「――≪ブリッツ・ラケーテ≫ェエエエエエッ!!!!」


 直後、大気を焼き焦がしながら一閃の雷撃が迸った。

 それは刹那の間に空を駆け抜け、異形の襲撃者を激しく打ち据えると、乾いた炸裂音と共にその五体を弾き飛ばす。

 驚きと共にエメリーが振り返れば、そこには怒り狂う獣の如き形相を張り付けた、イーリス・アーベラインが居た。


「ぅ、ぅううううううああああ”あ”あ”あ”あ”あ”……ッ!!」


 真っ直ぐに突き出された長大な“共振杖(ブースター・ロッド)”の矛先は、身を弾かれ宙を舞う異形の襲撃者へと向けられている。

 真鍮色の瞳を血走らせ、止め処なく流れる涙を拭いもせず、歯を剥いた怒りとも笑みともつかない壮絶な表情のままに、彼女は再び雷撃の術を行使した。

 

「――≪ブリッツ・ラケーテ≫ッ!! ≪ブリッツ・ラケーテ≫ッ!! ≪ブリッツ・ラケーテ≫ッ!! ≪ブリッツ・ラケーテ≫ッ!! ≪ブリッツ・ラケーテ≫エエエエエッ!!」


 真昼間の空よりなお明るく、鋭い焦音を響かせながら駆け抜けた紫電の槍が、異形の襲撃者を強かに穿ってその身をより遠くへと吹き飛ばす。数秒間の滞空を経て彼方に墜落した異形の襲撃者は、仰向けに倒れたまま身動きを止めた。


 都合五度の詠唱術(ワード・エフェクト)は、驚くべきことに発動詞(トリガー)も無しに連発されていた。

 もっとも、これは決して不可能ではない。

 ある程度の才覚を持つ詠唱術士(ワード・キャスター)にとって、詠唱末尾に置かれる術名だけでの術行使は、実際には多少難しい裏技程度の扱いでしかないのだ。


 しかし、それは基本的に≪点火≫や≪浮遊≫と言った発動に際しての負担が少ない、極々初歩的な易しい術のみに限っての話である。それを〈骸機獣(メトゥス)〉にも有効な軍用攻撃術に適用するのは、正しく己が身を顧みない禁じ手であった。


 故にこの場において行われたのは、イーリスの優れた才覚と己が身さえ焼き焦がすような激情が合わさり、奇跡的に成立した魔技と呼ぶべき代物だ。


 ……そして道理を無視した行為には、それ相応の代償が支払われる。


「――げ、ぁが、……っふ」


 喉奥から血の塊を吐き出し、白目を剥いて、イーリスは頽れた。

 体内を巡るエーテルを短時間のうちに過剰に消費したせいで、心肺機能に重篤なダメージが及んだためである。

 リーンハルトと折り重なるようにして倒れたイーリスは、血泡と共に不規則な呼吸を口の端から零し続ける。


「あ、ああ……ッ!? イーリスさんッ!?」


 リウィアが慌てて駆け抜り、必死になってイーリスの容体を確認した。

 幸い、彼女は生きていた。が、生きているだけだ。

 彼女は焦点の合わぬ目で薄青色(アイスブルー)の少女を見返すと、か細く濁った声で「リーンハルトの方を、観てやってくれ」と伝え、意識を手放す。


 リウィアは泣き出しそうになりながらも、自身のポーチから包帯を取り出すとリーンハルトの止血を試みる。しかし、すでに大量の血液が彼の体外に漏れ出ており、その程度の処置だけで命を繋ぎ止められる目算は薄い。


「ヴィルさんッ!! 来てください、ヴィルさんッ!! 早くぅッ!!」

「大丈夫、分かってます……!!」


 リウィアの悲痛な声が響いた時、すでにヴィルは駆け付けていた。


「《武装選択:極小機械注入装置ナノマシン・インジェクター、――起動(ラン)》」


 屈み込んだ彼女は、地下でレーゲンの負傷を癒した医療用極小機械群メディカル・ナノマシンを、素早くリーンハルトの身体に注入する。

 すると彼の右腕断面から迸っていた出血は即座に止まり、弱々しかった鼓動も徐々に復活の兆しを見せ始めたが、ヴィルの表情は優れなかった。


「助かりますよね? この人、助かりますよね!?」

「……短時間に全血液量の20%を喪失すると、人間は出血性ショックに陥ります。30%ならばさらにリスクは跳ね上がり、そのまま死亡する可能性が濃厚です。私の医療用極小機械群メディカル・ナノマシンにはある程度の造血機能が備わっていますが……」


 ヴィルは周囲、大地にほとんどを吸収されてしまった血液の残滓を見ながら、胸の内だけで「間に合わなかったかもしれない」と呟いた。

 斬り飛ばされた右腕の断面は大きく裂けるように破損しており、仮にリーンハルトが生き残ったとして、再び繋げることは不可能だろう。


「なんなのよ、これは……!!」


 度を失ったエメリーが喚く。


 ほんの数秒足らず。それだけで状況は考え得る限りの最悪にまで急転した。またイーリス並びに“シュレーダー隊”の隊員たちも早く処置をせねば危険だ。今は戦いより、どう逃げるかを考えねばならない状況である。


 それなのに――


「……ねぇ、冗談でしょう? ……あれで、死んでないの?」


 ――若き旅行士(トラベラー)たちが畏怖を込めて向ける視線の先。雷撃の掃射をまともに喰らったはずの異形の襲撃者が、まるで昼寝でもしていたような気楽さで、むくりと起き上がったのだ。



 -§-



 やはり、人間とは侮れない。


 異形の襲撃者は身を起こしながら、改めて深い感慨と興味に浸っていた。よもやあの状況から、ほんの一瞬とは言え自分の攻撃に拮抗して見せ、剰え反撃を叩き込んでくるとは!


(直撃を喰らっていれば、危うかったかもしれんな)


 こちらへ放たれた雷撃術の威力は中々のもので、ただでさえかつてより薄くなった装甲では全てを受けきれない可能性が高かった。咄嗟に装甲の一部をパージし、避雷針代わりとしていなければ、おそらく戦闘不能に陥っていただろう。


(それでも、エネルギーの余波だけであれほど吹き飛ばされたのだ。人間の底力というものは、つくづく警戒すべきものだな……)


 さすがに装甲パージは何度も使えるような手段ではない。厄介な敵を「自滅」というかたちで排除できたのは、勿怪の幸いとでも言うべきか。


 そこでさらに、ふと微かな痛痒を感じて見てみれば、攻撃に用いた爪が欠けていた。あの男の迎撃が砕いたのだ。無力であるはずの生身の拳で。


 ああ、まったくもって……。


「……面白いものだ、人間とは」


 そう呟くと、敵対者である少女たちはあからさまに狼狽えたようだった。


 特に黒髪の空素術士(エーテル・ドライバー)が見せた反応は激烈だ。彼女はただでさえ顔面蒼白であったところを、いっそう血色を失った白紙のようにして、


「……〈骸機獣(メトゥス)〉が、……喋った?」


 彼女が喉を鳴らす音が感じ取れる。恐怖と驚愕に早鐘を打つ心臓の鼓動も。それを「快」と感じた異形の襲撃者は、彼女たちに対する幾ばくかの賞賛と、会話という行為への純粋な興味から再び口を開いた。


「そうだ。(おれ)は、人間に識別可能な言葉を行使できる。身体を再構築した際、想定外に生じた変化であると推察しているが、中々どうして興味深いものだな」


 自分と相手の意志は一切の誤謬なく通じているのだと、そう伝えてやる。

 すると黒髪の空素術士(エーテル・ドライバー)は完全に口を閉ざし、引き攣った表情のままで硬直してしまった。


「……どうした? (おれ)は会話を試みようとしている。人間とはコミュニケーションの手段として、主に会話を用いるのだろう。その、意思を他者へ投げかけるという行為を、人間は楽しむのではなかったか?」


 重ねて訴えかけるも、やはり反応はない。

 これでは張り合いがないと、異形の襲撃者が首を傾げた時、若草色(グラスグリーン)の髪を持つ魔導機人(マギノロイド)が平坦な口調で問い掛けてきた。


「ならば、私の方からも質問して宜しいでしょうか」

(おれ)は、構わない。分かる範囲で答えよう」


 言うと、彼女は「ありがとうございます」と僅かにも謝意の感じられない声を挟んでから、本題に入った。


「分析の結果、貴方は完全な新種であるように思われます。しかし同時に、私はこうも推察しています。貴方はあの“恐嶽砲竜”と同個体なのではないですか? なんらかの理由によって、……そう、生まれ変わったとでも言うべき」


 今度はこちらが驚かされる番だった。

 向こうはこちらの事情をほぼ正確に言い当てているではないか。

 異形の襲撃者は感心がさらに強まるのを感じながら、相手に頷いてみせた。


「その通りだ。(おれ)は一度敗北した。人間の知恵と底力の前に。そうして身体機能を喪失し、完全なる破壊が訪れる瞬間、こう思った。負けられない、と。故に(おれ)は不要なものを切り捨て、新しい身体を作り上げた。すべては人間に勝つためだ。そしてその結果は、今のところ上手く行っている」


 正確には()()()()上手く行っている。一部の例外を除いて。


 それはこちらの襲撃に対し、人間が見せた予想外の抵抗に因るものだ。

 本来の想定ならば、今頃はこの場の全員を殺害し終えていたはずである。

 それが覆されたことには驚きこそあれ、決して不愉快な感情はなかったが。


「ああ、そうだな。(おれ)は上手く行っている。満足していると表現しても良い。以前の(おれ)にあったのは憎悪と怒り、そして驕りだけだった。しかし今では新たな価値観、試行錯誤、目的達成の喜びを得ている」


 くく、と。思わず漏れた笑みを隠さずに言う。


「面白い。成長とは、経験とは、実に面白い……」


 人間もそうなのだろう? そう問い掛けるように言ってみると、それまで俯いて肩を震わせていた薄青色(アイスブルー)の髪を持つ少女が、突然顔を上げてこう叫んだ。


「……そこまで!! そこまで分かっていて、どうして人間を殺すんですか!?」


 彼女は左右で色を違えた瞳に涙を潤ませながら、怒りよりも強い哀しみを表明しつつ、こちらへ必死に訴えかけてきた。


「貴方が言ったことは、人間にとっても大事なことです!! 日々新しい喜びを得ながら、なにか目指すもののために、頑張って生きているのに!! どうしてそれを奪うんですか!? 成長や経験を面白いものだって、分かっているのに、……どうして他者からその素晴らしいものを奪うんです!? こうして、言葉を交わすことさえできているのに!!」


 異形の襲撃者は、投げ掛けられた疑問について考えてみた。考えて、即座に結論を出した。それは問い掛けをそのまま返すかたちで発せられる。


「人間も、他の人間を殺すだろう」


 薄青色(アイスブルー)の髪を持つ少女が息を呑んだ。こちらは構わず続ける。


「何故、と問われてもそういうものだろう。人間とはそういうものだ。そもそも目的達成の手段として、殺傷を選択肢に含んでの敵対者の排除は、自然界においても普遍的なものだ。そして(おれ)は、人間が呼ぶところの〈骸機獣(メトゥス)〉だ。人間を殺すためにだけ生まれてきた存在だ。ならばなおさら、人間を殺さない理由はない。それが目的で、存在意義なのだから」


 付け加えて「お前たちに対してもそうだ」と異形の襲撃者は告げた。

 今は経験の蓄積と、単純な好奇心のために会話を試みているが、ある程度の納得が得られた時点で打ち切る予定である。

 そうなれば後は殺しだ。殺し「合い」になる可能性も否定はできないが。


 さて、残るはあと一人。灰白色(ホワイトアッシュ)の髪を持つ少女のみ、まだ会話を交わしていない。彼女はこちらの襲撃を唯一事前に察知した人間であり、その点を含めて色々と聞きたいことがあったのだが、


「何故、黙っている?」


 仲間たちへの警句を叫んだ後から、一言たりとも彼女は発していないのだ。


 怯えているわけでなさそうだ。

 彼女の深い瑠璃色の瞳は、こちらを真っ直ぐに見つめている。

 パニック状態に陥っているわけでもなさそうだ。

 彼女の呼吸も脈拍も見る限り落ち着いている。

 呆然としているわけでもなさそうだ。

 彼女の幼さを残す顔つきは、明らかな意志を宿している。


 異形の襲撃者は知っている。なによりも良く理解している。彼女がこちらに向けてくる感情、それを端的に表現するならば――


「そうか、(おれ)を、殺したいのか」


 ――何処までも、暗く、深く。それでいて透き通るまでに研ぎ澄まされた、純然たる殺意であった。


 呼び掛けに対して、灰白色(ホワイトアッシュ)の髪を持つ少女は頷きさえしなかった。


 ようやく唇を開いた彼女は他の仲間たちと比べ、明らかに起伏の乏しい声色で、ただぽつりと呟いた。


「赦さない」



 -§-



 冷たく響いたその言葉に、リウィア・カントゥスは思い出していた。


 以前、自分の知る限りで一度だけ、レーゲンは同じ態度を見せたことがあった。

 それは少し前、ヴィルが仲間に加わった直後、とある事件に挑んだ時のこと。

 普段は晴れ渡る空から注ぐ陽光にも似て朗らかな彼女が、まるで人が変わったように、冬の夜闇に溶け込む氷雨の如き冷たい雰囲気を露わにしたのだ。


 最初は見間違いだと思った。なにせ次の瞬間には、いつもの明るく朗らかなレーゲンに戻っていたのだから。


 だから、正直に言うと今の今まで忘れていた。

 そんな彼女をたった一度だけ、とても「恐い」と感じたことを。

 良く知る表情の裏に、こんな一面を隠していたのだと、考えたくもなくて。


 それでも、今ならば、分かる。レーゲンは、本当に心の底から赦せないものに出会った時、己の心から容赦を消すのだ。


 彼女は誰に対しても分け隔てなく優しく、手を繋ごうと歩み寄っていき、己の命と引き換えにでも守ろうとする。それ故に決して分かり合えず、放置すれば大切なものをなにもかも壊していくだけの存在を、絶対に受け入れない。


 それは寛容の裏返しか。あるいは絶対的な拒絶なのか。どちらがレーゲンという少女の本質なのか、そこまではリウィアにも分からない。


 ただ少なくとも、彼女は何時だって「誰かのために」泣いて、笑って、怒っていた。そして、彼女自身が「自己満足だ」と気恥ずかしそうに言ったとしても、リウィアはそんなレーゲンに救われたのだ。


 だから、怖れず、信じる。


 相手は〈骸機獣(メトゥス)〉だ。仮に言葉が通じたとしても、心が通うことは永遠に有り得ない、人類の敵であり怪物だ。命あるものを殺したくない、分かり合いたいという、そう願い求めた可能性さえ食い潰していく「絶対的な敵」なのだ。


 そう考える自分自身に恐れを抱き、忘れないよう誓いつつも、仲間であるレーゲンが「そうする」と選んだ行為をリウィアは肯定する。しようと思う。

 彼女が戦うと決めたならば、自分も着いていく。足手纏いだろうが、臆病者の泣き虫だろうが、彼女の助けになれるのならばどこまでだって。


 それに、そう、レーゲンだけじゃない。


 あの〈骸機獣(メトゥス)〉を赦せないのは、私だって、同じなのだから。



 -§-



 レーゲン・アーヴェントは考える。


(どうやって、奴に勝つ?)


 腹の底に滾る怒りとは真逆、氷点下にまで冷え込んでいく思考を回転させて、視界に映る状況をつぶさに観察する。自分自身が持ち得るものも含めて、だ。


 眼前にはこちらの身の丈を超えた怪物。単純な戦闘能力では及ぶべくもなく、速度においては完全に上を行かれている。

 まともに当たっても一瞬で磨り潰されてお終いだ。おそらく、こちらが一撃を加えるより早く、全身を細切れにされるだろう。


 対する手持ちの武器は、故郷の鍛冶屋が鍛えた短剣が一振りと、父から与えられた拳銃が一丁。これらは心から信頼の置ける武器ではあるが、相手を考えれば頼りなさは否めない。


 ただの斬撃では、奴の四肢を断ち切れないだろう。

 ただの銃弾では、奴の甲殻を穿ち貫けないだろう。

 風のエーテルを駆使しても、()()()()かどうかさえ怪しい。


(そもそも疾風と雷光なら、後者の方が何倍も速い……)


 それが通じなかった相手に、どう立ち向かえばいいのだろうか。


 そもそも、自分はこの異形の襲撃者を相手に、碌な対応ができなかった。

 攻撃の予兆に気付いていながら、誰ひとりとして守ることはできなかったのだ。

 先に接近を察知したからなんだというのか。もしも、攻撃の矛先がイーリスでなく仲間たちに向いていれば、犠牲になっていたのは彼女たちだ。


 なにより自分が狙われていた場合、断言するが、間違いなく殺されていた。


 改めて思う。自分は、無力なのだ、と。


 才覚と言っても他人と比べて少しばかり傷の治りが早く、五感に優れ、エーテルを上手く扱えるだけ。師と父に鍛えてもらった剣と銃の腕も、今目の前に立つような本物の「怪物」を前には歯が立たない。


 これまでの旅路だって、持ち得る武器を必死に遣り繰りし、なにより仲間たちの助力に頼ってどうにかこうにか切り抜けてきただけだ。

 希望を語り、意志を胸に歩もうとも、力が伴わねば命脈は潰える。

 どう足掻こうとも、それがこの世界の絶対に変えられない現実である。


 もしかすると、自分は旅立った時から。否、幼き頃のあの日あの夜。自分を呑み込もうとする悪意に迷い怯え、抗うことさえできずに泣いていた時から、なにひとつ変われていないのかもしれない。


 自信が揺らぐ。戦意が竦む。

 過去に封じた「臆病者(素の自分)」が顔を覗かせる。

 いつか追い付きたいと、そう願い続ける師匠の背中さえ、遥か遠い。


 ならば、すべてを諦めてしまうのか。ここで諦観に足を止め、旅に終止符を打たれることを、よしとするか。


(――冗談じゃ、ない)


 周囲で呻き声をあげる勇敢な騎士たち。

 彼らはまだ生きている。生きて、我が身も顧みず、こちらへ必死に「逃げろ」と声を送ってきている。

 彼らを見捨てるわけにはいかない。


 森にただ一人残してきたローゼ。

 彼女は寂しさと不安に耐えながら、今も迎えが来ることを信じて待っているのだろう。自分が渡したお守りを握り締めて。

 その信頼を裏切るわけにはいかない。


 大切な人を守ろうと、お互いを庇い合ったリーンハルトとイーリス。

 これほどまでに想い合う二人を死なせたくはない。今、自分がなにもせずにいれば、二人は殺されるだろう。

 そんな未来が赦せるものか。


 他にも、オープスト村の人々や、自分の帰りを待つ父親と故郷の人々。

 そしてなにより、共に旅をする仲間たちのためにも、自分はこんな場所で殺されるわけにはいかない。

 救いたい、守りたい、また会いたいと思う人がいる限りは止まれない。


 生きて、すべてを掴み取る。

 それが途方もない強欲であると知りつつも、この胸の奥で唸る鼓動が続く限りは、なにひとつとして手放したくなかった。

 なによりもう一度、あの太陽のような髪を靡かせて立つ雄々しく美しい師に巡り合うまでは、絶対に歩みを止めるわけにはいかないのだ。


 世界は、現実は、変えられない。


 ましてやこの小さな手の平に動かせるものなど、端から高が知れている。

 それでも、抗うことはできるはず。力の限り立ち向かうことはできるはずだ。

 全身全霊を掛けて目の前の障害に挑み、行く手を塞ぐ悪意を打ち壊そうとする権利だけは、誰にも奪えないとかつて教えられたではないか。


 だから、そう、だから。


「ヴィル。――“奥の手”、使うよ」


 きっと、使い所はここしかない。



 -§-



 その言葉を聞いた時、ヴィルは「とうとう来たか」と思った。


 “奥の手”。それはいわゆる「決戦機能」である。

 活力十分のレーゲンとエネルギー満タンのヴィルが二人揃っていて、初めて使用が可能な文字通りの裏技だ。

 今ならば、確かに条件は満たされている。そして、この難局を乗り切るためにはそれ以外の方法はない。


「いいんですね、レーゲンさん」


 しかしそれでも、ヴィルは一度だけ念を押すようにレーゲンへ問い掛けた。無論、わざわざリスクについて語る時間も必要もない。彼女がとっくに覚悟を決めていることは分かり切っていた。


 何故なら、ヴィルは見たからだ。

 瑠璃色の瞳に煌く意志の光。希望を焚べて燃え盛る、諦観を打破し絶望を覆そうとする、今を生き抜く命だけが発する熱く眩い輝きを。

 そしてそれこそが、鋼鉄(はがね)半導体(シリコン)で構成された己の無機質な思考計算(0と1の集合体)には本来あり得べからざる、不思議な熱量を生むのだ。


 故に、己が発すべきはただひとつ、約を契る言葉のみ。


「〈我が名、吹き荒ぶ旋風(ヴィルべルヴィント)が問う。汝、力を求めるならば誓いを立てよ〉」


 紡がれたのは、詩または歌に似た、淀みなく流れる短い一節。

 それはヴィルが一個の機械として、機能行使の許可を所有者(マスター)であるレーゲンへと求める、順序立てた手続き(起動シークエンス)だ。


 対する灰白髪(ホワイトアッシュ)の若き旅行士(トラベラー)は、迷いと恐れを一切見せずに返答した。


 堂々と胸を張り、意気を以て喉奥を震わせ、


「〈我が名、通り雨の運び手レーゲン・アーヴェントが応じる。風を纏い雲を呼びて、烈なる流れの担い手と為らんことを〉――ッ!!」


 澄んだ声が世界を揺らす。契約口上(認証コード)の成立を受け、魔導機人(マギノロイド):ヴィルベルヴィントは、静かに笑って呟いた。


「それじゃ、まあ。頑張ってやってみましょうか」


 そうして、交わされた契約を皮切りに、変化は一瞬で発生する。

 己の全てを受け渡し、彼女の全てを受け入れる、その前段階として。

 ヴィルの身体が、幾百幾千本もの細い糸の集合体として、()()()


 

 -§-



(――暖かい)


 レーゲンがヴィルと()()()()()時、まず最初に思うことがそれだ。


 まるで微温湯に全身を包まれているような、それでいて息苦しさなどは微塵もなく、むしろ永遠に身を任せていたいと思うほどの心地よさ。

 それは素肌に温度が触れているというよりも、自分自身が溶けて液状になり、感じている温度そのものと同化するような感覚だ。


(――なんだか、気持ち、良いな……)


 レーゲンは思わず意識を手放しかける。

 自分が自分でなくなっていくような、なにもかもがぼやけて薄らぎ遠ざかっていくような、ある意味では入眠時にも似た喪失感。

 頭の片隅では取り返しのつかない危険を理解しつつ、どうにも抗い難い誘惑に引かれて、そのまま永遠の闇に落ちて行く寸前――


『――ああ、駄目ですよ! あわわ、意識同化時のコンフリクトが……! チューニング開始、脳波同調……よし! ほら、お昼寝にはまだ早いですよ、レーゲンさん! 起きてください!』


 ――平手打ちめいたヴィルの声を浴び、レーゲンは寸でのところで自我を取り戻した。慌てて意識を引き締め、己という認識を手繰り寄せ、人格の輪郭を定める。途端に心地よい暖かさは掻き消え、冴えた現実の重みと冷たさが帰ってきた。


『――ッ!! ごめん、ヴィル。ぼんやりしてた』

『いえいえ、まだ二回目ですからね。慣れないうちは仕方がないですよ。それより、ひとまず無事に成功してなによりと、喜びたいところですが……』


 ヴィルの慰めにそこはかとない引け目を感じつつ、レーゲンはすぐさまその思考を打ち消した。今は最優先で対応すべきものがあるからだ。


(――まずは、為すべきことを)


 レーゲンの意識は急速に醒め、感覚は研ぎ澄まされていく。

 

 最大限の集中によって彼女が思い描くのは、かつて見た「最強」の姿。襲い掛かる不条理を跳ね除け、皆に希望と未来を与える、不敗にして無敵の英雄だ。


 それは、あるいは御都合主義の塊と蔑まれる代物であるかも知れない。

 しかし、そう、しかしだ。この世界に生きる者は、知っているではないか。

 正真正銘、世界を救った英雄の実在を。十八年前に世界を覆い尽くした絶望を仲間たちと共に切り裂き、明けない夜を祓った一人の女性のことを。


 レーゲンもまた彼女を知っている。否、それだけではない。声も、顔も、その強さも、実際に目に焼き付けている。


 そう、目蓋を閉じればいつだって、鮮明に思い浮かべることができるのだ。あの太陽にも似た微笑みと、雄々しく立つ凛とした背中を。 


 故に、レーゲンはイメージを実像として結び、その完成を確信したと同時に視界を開き――


『……ッ!!』


 ――直後、己の視界を満たす暖かな闇を抉じ開けるようにして突き込まれてきた凶々しい爪を、目撃した。



 -§-



 ――止めねば、危険だ。


 目の前で起きた変化に対し、異形の襲撃者は直感めいてそう判断した。


 彼の高速化した知覚機能が捉えた光景は、突如として身を()()()魔導機人(マギノロイド)が、一瞬のうちに灰白髪(ホワイトアッシュ)の少女の全身を包み込んでいくという、想像だにしていなかったもの。


 全ては刹那だ。


 光の糸が宙を奔り、少女の周囲に繭のような構造体を形成する。一旦完成した繭はしかし直後に縮小し、急速に別の形へと変わっていく。

 それは大雑把な人型だ。造作を喪失したマネキン人形の如き、光沢を持つ滑らかな表面を備えた五体のシルエットである。

 それも、内側に納められた灰白髪(ホワイトアッシュ)の少女と比較して明らかに、四肢と胴体部を長く延長――或いは()()――させたような。


 未知を前に膨れ上がる好奇心を、異形の襲撃者は強引に捻じ伏せて動き出した。論理回路にけたたましい警鐘が鳴り響いている。〈骸機獣(メトゥス)〉としての戦闘本能が、その変化を看過することで起こる「重大な危機」を予測していた。


 もはや、人間の立ち振る舞いを観察している場合ではない。今、目の前で「造り上げられようと」しているのは紛れもなく、己の「敵」と成り得る存在だ。それは戦力面で競合し、拮抗し、場合によっては凌駕さえするかも知れないほどの。


 根拠はない。それでも確信がある。その在り方がどこまでも交わらぬ対極であるが故に、むしろ己がことのようにはっきりと理解(わか)る。

 こちらが無駄を省いて機能を絞り、結果として至高の戦闘存在と化したように、向こうは身体を重ね合うことで互いの不足を補い、相乗的にその能力を増そうとしているのだと。


 結論は出た。「敵」が完成する前に潰す。


 異形の襲撃者は、蹴り付けた大地が砕けるほどの速度を以て踏み込み、その反作用を乗せた全身全霊の貫手を繰り出した。


「――死ねッ!!」


 武を極めた超一流の戦闘者にも匹敵する、芸術的にして理想的なフォーム。

 大気を打ち抜いて飛んだ凶爪が、光を纏う五体のシルエットへ迫る。

 敵は微動だにしない。接触までは一ミリ秒足らず。当たる。


(当たった)


 そして異形の襲撃者は爪先に確かな手応えを感じた。形あるものを貫き通し、粉微塵に砕き割る感触を。間に合ったという思いが生んだ安堵は、しかし即座に違和感を経て、やがて莫大なる驚愕へと変じる。


 異形の襲撃者は見る。再構築の果てに得た、鋭敏にして正確な知覚機能で以て、己が穿った物に()()()()()という純然たる事実を。


 繭は既に空洞と化している。

 道理で手応えが軽すぎた筈だ。

 ならば中身はどこへ消えたのか。


 思いもよらぬ事態に狼狽える異形の襲撃者は――


「――探し物?」


 ――唐突に耳元で囁いた、その涼し気な声に身を震わせた。


 躊躇なく振り向き、そしてかち合う。息がかかるほどの間近から、こちらを見つめる深い瑠璃色の瞳、絶対零度の殺意を滲ませた双玉が発する視線と。


「お前は、まさか――」


 異形の襲撃者が言葉を末まで発することはできなかった。どてっ腹に鮮烈な打撃感を受け、身を鋭角な「く」の字に折りながら吹き飛んだために。


「――ぐ、ぉ、がああ……ッ!?」


 抵抗を試みる暇さえない、完全なる不意打ちだった。

 咄嗟に認識できたのは、攻撃に使われた武装の正体が、白一色に染め抜かれた長剣であるという事実のみ。

 しかし、先の一撃は単純に「斬撃」と呼ぶにはあまりに圧倒的な威力を見せた。


(不可解だ。人間が振るうただの長剣に、そんな威力があるはずがない)


 考える間にも状況は進んでいく、己にとって明確に悪い方向へと。


 景色が凄まじい速度で遠ざかっていく。

 背部装甲を急激な風圧が襲う。

 論理回路がエラーを吐く。


 なんだ、これは?

 一体なにが起きている?

 己はなにを相手にしているのだ?


 思考を埋め尽くす不可解と焦燥に、異形の襲撃者はそれでも抗った。背部に備えた一対の鋭翼を広げ、吹き飛ばされるだけの我が身にブレーキを掛ける。


 途端に全身を襲う、強烈な反G。

 喉奥から漏れる苦悶を噛み殺し、強引に体勢を立て直す。

 頭部を空へ、両脚を大地へ。本来あるべき正しい位置へと。


 そして爪先が大地を掴んだ時、異形の襲撃者は躊躇わず自身の停止を試みた。削り抉られた土塊を盛大に飛び散らせながら数メートルほどを進み、やがてようやく静止が叶う。


 そうして。深々と刻み付けられた裂痕の彼方、顔を上げた異形の襲撃者が前方に捉えた「敵」の姿は――


「その、姿は……ッ!?」


 ――どこか、旧い記憶を呼び覚ますものであった。


 異形の襲撃者はその名を呼ぶ。記憶の奥底に眠る忘れ得ぬ影。〈骸機獣(メトゥス)〉としての本能に刻まれる、最大の怨敵にして天敵に等しい一人の女性。


 かつて〈災厄の禍年(カラミティ)〉を終息せしめた一行を率い、常に最前線で剣を振るい続けた人類の救世主、絶対的な絶望を覆した反抗者(カウンター)――


「……〈明星の剣〉、だとッ!?」


 ――世界を救った英雄。


 まさにその生き写しと見紛う長髪の女性が、吹き荒れる疾風の只中に剣を構え、雄々しく立っていた。



 -§-




捕捉:〈明星の剣〉について。


 〈災厄の禍年〉終息において、多大にして直接的な貢献を行った〈黎明の翼〉の実質的な頭目を務めた、当時齢二十歳そこそこの女性。

 極北圏に位置する、一年を雪に閉ざされた小国を故郷とし、凍空を覆う極光を眺めながら幼少期を育った。

 彼女が振るった力は人類の範疇を大きく超えた絶大なるものであるとされ、今なおその正体には多くの謎が付き纏うが、彼女と直接に関わった者は口を揃えて言う。「眩い陽光を集めて人型にしたような女性」と。

 彼女こそは人類の救世主。あるいは潰えることのない希望の象徴。もしくは最強にして不敗の絶望に対するカウンター。

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