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通り雨の旅行士《トラベラー》  作者: 赤黒伊猫
序章:草原騒乱四重奏
22/41

シーン21:四重奏の幕が上がる



 -§-



 ――駆け抜けた疾風の余韻が、イーリスの目尻から涙を吹き飛ばしていた。


 乾いたタオルで乱暴に拭われるような感覚は一瞬。陽光に育まれた土と木の匂いを残して疾風は去っていく。そうして、瞬きひとつを経て明瞭となった視界に、イーリスは自分を守った者たちの姿を改めて捉えた。


「誰、だ……? どうして、こんなところに……」


 並び立つ四人の背格好は、いずれも年若い少女のそれだ。服装も装備もてんでばらばら、統一性という言葉を何処かに置き忘れてきたような、なんとも奇妙な取り合わせの一行である。


 立ち振る舞いにはどこか()()()()()雰囲気があるが、稚気染みた隙もまた目立つ。精々が「ある程度の修羅場を乗り越えた素人」といった印象で、間違っても正規の訓練を受けた戦闘者の類でないことは明白だった。恐るべき脅威を相手取るための救援として考えるには、若干、心許ない。


 その一方で、イーリスは決して無視することのできない事実をも目の当たりにしていた。尻尾のような灰白色(ホワイトアッシュ)の髪を風に靡かせて立つ少女は、確かにこう言ったではないか。「助けに来た」と。


 そしてその少女は、実際にその宣言を達成してのけた。イーリスは紛れもなく、彼女に命を救われたのである。


 両の腕に抱き留めた体温がその証明だった。

 リーンハルトが、そこにいるのだ。

 衣服を通して伝わってくる息遣いはか細く、鼓動とて弱々しいものだが、彼の命は失われてはいない。


 自分も彼も確かに生きている。

 その実感が確固たるものとして結ばれた時、イーリスは込み上がってきた感情を堪え切れず、零した。

 くしゃくしゃに歪んだ彼女の顔を止め処なく伝い落ちていく雫は、さきほど流されたものとは正反対に、暖かく柔らかな涙だった。


 疾風を纏う一撃は確かに、イーリスに襲い掛かった絶望と悔恨を、諸共に跳ね除けたのだ。周辺に蟠っていた瘴気も吹き散らされ、代わりに流れ込んだ新鮮かつ清浄な空気が皆を包み込む。


 奪われるはずであったものは、ひとつも欠けることなく、ここに保たれたのだ。


 ……もっとも、問題がすべて無事に解決したわけではない。


「――ああ、“恐嶽砲竜”が倒れる!」


 鼓膜を叩いた鋭い指摘に、イーリスはハッと顔を上げる。その表情には騎士としての凛々しさが戻っていた。彼女は素早く袖で顔を拭い、赤く腫れた目元の痛みにも構わず、力強い真鍮色の瞳を「敵」へ差し向ける。


 果たして、イーリスが想像した通りの光景がそこにあった。“恐嶽砲竜”の身体がゆっくりと傾いでいくのだ。


 極大熱閃光砲(プラズマ・キャノン)の二連続射撃という暴挙に加え、反撃により頭部の半分近くを抉り削られたならば、如何に生物としての範疇を大きく逸脱した耐久力を持つ超巨大型〈骸機獣(メトゥス)〉とて深刻な状態に陥ることは避けられない。


 それは暴威の体現者たる“恐嶽砲竜”と言えども、決して看過できない重篤なダメージであったようだ。


 ましてや、そんな状態で不意打ち気味に足を払われたのだから、バランスを崩すのが当然だ。超越者としての意地か、あるいは卓越した身体機能の為せる業か、一旦は踏み止まろうとした“恐嶽砲竜”はしかし耐えられなかった。


「GWOOOOOAAAAA……ッ!!」


 力なく掠れた咆哮は断末魔にも似ていた。頽れかける“恐嶽砲竜”の姿に、イーリスは戦いの終わりを予感する。


 なにせ、あれだけの巨体だ。受け身も取れないまま大地に打ち付けられれば、自重によって受ける衝撃だけでも、すでに瀕死気味の“恐嶽砲竜”には十分なトドメとなり得るだろう。


(クソッタレの殺戮兵器め。破壊のためだけに肥え太った自業自得を、ようやく味わう時が来たってところか……! 五体のすべて、微塵に砕け散りやがれ!)


 無論、それによって起こるであろう地震の被害は憂慮すべきだ。

 このままでは“シュレーダー隊”も巻き込まれかねないので、なんらかの防御手段を構築せねばなるまい。

 それにさきほど戦場に現れた四人の少女たちにも、避難を促す必要がある。


 幸いここは見渡す限りの平地だ。

 倒壊するようなものは周囲にないので、警戒すべきは揺れと地割れ、落着に伴う飛散物に限られるだろう。

 前者は身を屈めて安定姿勢を取ることでやり過ごし、後者に関しては、


(……部下たちは≪クラフト()シルト()≫を展開すりゃ凌げるだろう。あと一回程度なら発動できるはずだし、最悪、走鋼馬を遮蔽物にすりゃいい。そのくらいの判断は自分でできる連中だ)


 イーリス自身は≪エレクトリ・シュッツ(電磁防御)≫の出力を上げることで対処可能だ。いまだに目を覚まさないリーンハルトは元より、救い手となった少女たちについても、同様に守ることができるだろう。


 方針は定まった。リーンハルトの身体を抱き締め、前に見える四人の少女たちに「こっちへ来い」と声を掛けようとしたイーリスの視線が、その時一瞬だけ“恐嶽砲竜”から外れた。


 ……故に、彼女は“恐嶽砲竜”が行ったある動作を見落とした。


 それは、疲労し破損した身体にも容易い、極々小さなもの。払われた側とは逆、()()()()()()()()()()()()()()という、最低限の動きだった。


「……おい、なんでだ!?」


 皆が状況の変化に気が付いた時、すでに事態は抜き差しならぬ段階へと成っていた。見上げる人々の視力が優れていたならば、“恐嶽砲竜”の目元が、ある感情のためかすかに歪んでいることに気付けたかもしれない。


 それは――


「方向が変わった!? ……こっちに倒れてくるぞッ!?」


 ――してやったとばかりの昏い喜悦である。


 そう。


 もはや“恐嶽砲竜”はその殺戮本能でも身に秘めた数々の武装でもなく、己が質量という単純にして不変の絶大攻撃力により、眼下の人間たちを纏めて圧し潰さんと目論んでいたのだ。



 -§-



「副長ッ!! 早く、こちらへ!!」


 すぐ傍で響いた声にイーリスが振り向けば、“シュレーダー隊”の面々が手を差し伸べていた。誰もが疲労困憊の有様で、立つことさえもやっとの具合だが、二人のリーダーを救うために半死半生の身体に鞭打って駆け付けたのだ。


「……悪い、助かった!」

「礼なら後で! こっちも正直、限界ですからね!」


 手を掴み呼吸を合わせ、なんとか立ち上がったイーリスへ、救援に来た隊員は焦燥も露わに言った。


 実際、彼の足取りは覚束ないもので、イーリスが下手に身を預ければ一緒に倒れかねない。横では数人がかりでリーンハルトを助け起こした者たちが、よろめきながら逃げ出そうとしている。その歩みは蝸牛が這うように遅々としていた。徒歩での離脱は不可能だろう。


「……てか、なんで走鋼馬をここまで持ってこなかったんだよ!?」

「すいません!! とりあえず助けに行くことで頭が一杯で!!」

「愛されてることが再確認できて嬉しいぜ馬鹿野郎ども!!」


 経験豊富な隊員たちにはらしくない判断ミスだ。気が動転していたか、激戦の直後で気の緩みが出たか。

 とはいえ“恐嶽砲竜”の動きを見落とした点ではイーリスにも過失の自覚があるのでお互い様だ。なによりここで責任を押し付け合う意味はない。


 故に、今はただ、走れ。


 皆は走鋼馬(唯一の脱出手段)の下へ辿り着こうと懸命に足を動かすが、覆い被さる影は急速に濃度と面積を増していく。

 これではとても間に合いそうにない。よしんば走鋼馬に跨れたとして、アクセルを吹かすと同時に潰されかねなかった。


「うわああああ――!? 来るぞ来るぞ来るぞ!?」

「死にたくなきゃあ走れ、走るんだよ馬鹿野郎!!」

「うるせぇな、足が動かねぇんだよ!! 糞が!!」


 口々に罵り合い、半狂乱となりつつ、誰も重石同然のリーンハルトとイーリスを置いて行こうとはしなかった。

 特に古参の隊員たちにしてみれば、単なる信頼や敬愛にも勝して、二人を守るべき強い理由があるのだ。


(……俺たちを〈溝攫い〉の地獄から引き揚げてくれた恩人を、こんなところでむざむざ死なせて堪るかよ!!)


 〈溝攫い〉。


 それは軍規違反や不服従などの問題行動を繰り返した者が送り込まれる懲罰部隊の名にして、いわゆる()()()()()の名だ。

 その主任務は未整調地帯での〈骸機獣(メトゥス)〉討伐であり、隊員たちは常に蔑視の視線に晒されながら、生き地獄を味わう羽目になる。


(ああ、そうさ。“シュレーダー隊”に入る前の俺たちは、騎士を名乗るどころか兵士としてさえ落第点の、どうしようもないロクデナシだった……!!)


 劣悪な環境下で連日行われる〈骸機獣(メトゥス)〉掃討作戦は過酷の一言に尽き、〈溝攫い〉たちは人間の尊厳など省みられることのない掃き溜めの中で、文字通り汚泥に塗れながら死んでいく。


 その定めからは誰も逃げられない。しかし所詮は身から出た錆。落魄(おちぶ)れた理由こそ各人様々にしろ、その多くは自業自得の顛末だ。


 そうして、延々と湧き続ける異形の群れを相手取るうち、やがて誰もが淀んだ眼に昏い炎を湛えた地獄の亡者と化す。終わりの見えない絶望に頭の天辺まで漬かりながら、擦り切れた心身を引き摺って死ぬまでの日々を過ごしていくのだ。


(そんなクソッタレのどん詰まりを、あの二人が変えてくれたのさ)


 あの思い出すことさえ躊躇うような惨劇に彩られた数日間。多大な犠牲を払って乗り越えた先に拝んだ朝陽の美しさ。すべては中央軍から派遣されてきた「物好きな新兵二人」との出会いがきっかけだった。


(振り返ってみればクソみたいな記憶さ、わざわざ人に語って聴かせるようなモンじゃねぇ。だが、俺たちにとっては命を賭して守るべき誓いの原点だ。だからこそ、あの二人だけは死んでも生かす……!!)


 決意がひとりの古参隊員に進足の力を甦らせた。

 彼は浮腫んだように感覚もおぼろな足裏で力強く地面を踏み締め、蹴り付け、全速力で走り抜ける。

 走鋼馬は目前だ。残り三歩、二歩、最後の一歩は跳ねるように消費。そこでようやく鉄の愛馬に手が届く。


 一番乗りに辿り着いた古参隊員は、防塁形態のまま放置されていた走鋼馬を素早く駆動形態へ組み換え、空素機関(エーテル・エンジン)が問題なく起動することを確認し、振り返る。

 仲間たちに早く来いと呼び掛けるために。


 しかし、彼の口からその言葉が発せられることはなかった。


「――……ッ!!」


 古参隊員が凍り付いた表情を向けた先。彼の限界まで見開かれた両の目が、今にも“シュレーダー隊”を圧し潰さんとする巨体を映し出していた。

 すでに一帯は“恐嶽砲竜”の身体が作り出した薄暗闇に呑まれかけ、その中を必死に駆ける皆の姿が、まるで底なし沼に引き摺り込まれるようにも見えた。


「――畜生がッ!!」


 古参隊員は一声そう叫ぶと、アクセルを全開に吹かして飛び出した。

 無論、一人だけで逃げるつもりなどは毛頭ない。

 鉄の嘶きを迸らせる走鋼馬の鼻先は、救うべき仲間たちを指していた。


 無数の線を引いたように高速で流れていく景色の中で、それよりも素早い閃きとして、冷徹無慈悲な状況判断が古参隊員の脳裏を過る。


(……全員は助けられねぇ! 隊長と副長をどうにか乗っけて、それでギリギリ間に合うかどうか……!?)


 そこまでを考えた時、古参隊員は不可思議な光景を目撃した。全速力を以て目指す先、リーンハルトとイーリスを抱き抱えた隊員たちが、どういう理由か足を止めているのだ。


(馬鹿な!? なにをやってやがんだ!?)


 まさか、諦めてしまったのだろうか?


 ……否、生き汚さでは〈ゲルプ騎士団〉など及びも付かないと自他共に認める〈巡回騎士隊〉の面々が、この程度の窮地に心折られる道理はない。

 常々「死ぬまで動ける」と息巻いていたような荒くれ者たちが、坐して死を待つことなど、絶対に有り得ないはずだった。


 ならば何故だと己に問いかけ、直後に古参隊員は気付く。


 彼らは、救い手がリーンハルトたちを受け取り易いようにと、態勢を整え待ち構えているのだ。己の生存可能性をかなぐり捨ててまで、生かすべきと判断した二人を救うべく、彼らなりの最適解を実行しようとしているのである。


(……馬鹿野郎どもが)


 古参隊員が内心で毒づいたのとほぼ同じタイミングで、イーリスも隊員たちの意図に気が付いたようだ。


「おい、……お前ら!? 馬鹿野郎、死ぬつもりか!?」


 抵抗し喚き出す彼女に対し、皆は頑として態勢を保った。誰もが一様に、庇の下で恐怖に引き攣る表情を、無理矢理の笑顔と変えて固定している。


 そして古参隊員は見た。霞む視界の中、自分へ向けられた皆の口元が「頼んだぞ」と動いた事実を。


(……この、大馬鹿野郎どもが!!)


 胃の腑が無力感と罪悪感で焼け焦げそうだった。


 込み上がる苦々しさを、古参隊員は奥歯を割れんばかりに噛み締めることで堪える。もしもここで意地を張り欲を出せば、それこそ皆の覚悟と決意を無為にすることになるからだ。


 決断は瞬時に定まった。古参隊員は力強く操縦桿を握り締め、さらに走鋼馬を加速させる。


 一時停止の猶予はない。

 受け渡しの可否は擦れ違い際の一瞬で決まる。

 僅かにでも手元が狂えば、それだけでこの作戦は失敗だ。


 イーリスには飛び乗ってもらう必要があるが、皆が無理やりにでも押し出してくれるだろう。未だ目覚める気配のないリーンハルトは、どうにかこちらで保持しなければならない。


(やれるのか)


 心に浮かんだ弱気を、打ち消す。


 そう、やれるか、ではない。


(やるんだよ……ッ!! なんとしてでも……ッ!!)


 見る見るうちに近付いてくる仲間たちの姿。古参隊員の神経は極限まで張り詰められ、視野角が狭まっていく。必要な情報以外をシャットアウトし、仲間たちへの情も今だけは脇へ置き、一世一代の賭けを実行に移すその寸前――


「――おい、嘘だろ」


 ――こちらに背を向けて佇む四人の少女の姿が、視界の端に這入り込んだ。


「あの子たち、なんでまだあそこに居るんだ!?」



 -§-



 戦いの舞台に躍り出た瞬間から、どのような些細な変化も見落とすまいと、エメリーは敵の動向に細心の注意を払い続けていた。

 仲間たちと戯れ合うような会話を交わしつつも、彼女の透き通った翠玉色の冷徹な瞳は、常にレンズの奥から研ぎ澄まされた視線を“恐嶽砲竜”に注いでいたのだ。


 それは今日一日で彼女が味わった幾度かの失敗と、そこから生じた流血の苦い経験から導き出された警戒心であり、二度と自分の油断のせいで仲間を危険に晒すまいとした決意の表れであった。


「あいつ、わざと……!?」


 だからこそエメリーは“恐嶽砲竜”の踵が動いた時、誰よりも早くその行動に秘められた悪意を察知することができた。

 そして迅速かつ正鵠を射た気付きは、彼女に迷いのない行動を選択させる。

 巨山の如き巨体が自分たちへ向けて倒れ始めたのを見るや否や、エメリーは仲間へと呼び掛けていた。


「――リウィア!! 手伝って!!」

「――ッ!! はいッ!!」


 リウィアの返答には驚きの様子こそあれど戸惑いは一切なかった。

 それだけ彼女が自分の判断を信頼してくれているのだと、エメリーはむず痒さにも似た感情を覚える。

 かつては周囲から孤立し、他人との関係を途絶することで己を保とうとしていた自分が、随分と変わったものだ。


 ただ、そう、……悪い気はしない。


 今ならば協力という言葉の意味が分かる。孤独に浸っていた頃には蔑んですらいた「頼り合う」という行為は、個々の弱さを補うためだけではなく、強さを繋ぎ束ねることで何十倍もの力を生み出すことにも繋がるのだと。


 仲間と呼べる存在の、なんと心強いことか。背を預け、隣に立ち、爪先を揃える者を想うだけで不思議な力が胸の奥から沸き立つ。絶望に打ち負けまいとする意志が、胸を焦がさんばかりの熱さで燃え盛る。


 加えて、なによりも――


(その信頼に応えたいと思う……、心から!!)


 ――己が内に宿る誇り(プライド)が、深紅の焔のように猛り叫ぶのだ。この程度の危機に屈して堪るものか、と。


 故に、エメリーは黒檀の“共振杖(ブースター・ロッド)”を構えた。

 分厚いサンドコートを翻し、手指を引き金に添え、意識を集中(コンセントレイト)する。

 落ちてくる影に対して、意地と誇りを志とする若き空素術士(エーテル・ドライバー)が向けるものは、逃走する背中ではなく立ち向かう戦意だ。


「――“冷にして乾なりしエーテルへ”――!」


 空素術(エーテル・ドライブ)を唱え始めたエメリーに、リウィアもまた最も適した歌で応じる。エーテル光の煌きが激しく高まり、不可視の力が膨れ上がっていく。荒れ狂うエーテルの奔流の只中に立つ彼女へ、不意に声が掛けられた。


「早速見せ場が来たね、エメリー」


 レーゲンだった。


 彼女もまた圧死の危険に晒されていながら、なにひとつ不安など感じていないという表情で、傍らで相変わらず暢気な様子のヴィルと共に、エメリーの紡ぎ出す術の完成を見守っている。


 今度はいったい、なにを言いだすのやら。

 詠唱中なので返事はできず、代わりに視線だけを投げ掛けることで応答とすると、レーゲンは期待に満ちた笑みを浮かべてこう言った。


「それじゃ、やっちゃえ! あんな奴の好きにさせるな!」


 対し、エメリーもまた、口元の笑みを益々濃くして、


(当然、言わずもがなよ……!!)


 完成した発動詞(トリガー)を以て、引き金を弾くことでその意志を示した。そして抗うための力が顕現する。



 -§-



(――まだ、逃げてなかったのか!?)


 一刻一秒を争う状況下、突然の闖入者である少女たちに対しての配慮までを“シュレーダー隊”の面々に求めるのは、流石に酷というものだろう。

 なにせ、誰もが無意識にこう思っていたのだ。「とっくにあの少女たちは、状況を見て逃げ出している」と。


(馬鹿な、彼女たちには離脱する余力も時間もあったはずだろう!? ……まさか足が竦んで動けないのか!?)


 予想を完全に裏切られた古参隊員は己の迂闊さを呪ったが、しかし、今からではどうすることもできなかった。


 走鋼馬は基本的に一人乗りだ。空素機関(エーテル・エンジン)が生み出す大馬力はある程度の「過剰積載」も不可能ではないが、それでも成人三人も積めばスペース的な問題も含めて限界となる。とてもではないが、さらに四人分を加えることなどできはしない。


 そしてなにより、今から彼女たちの下へ辿り着くには時間が足りない。故に、導き出される結論はたったひとつの残酷だ。


(糞! 糞! 冗談じゃねぇ……ッ!! 俺に、子供を見殺しにしろってか!?)


 それでも古参隊員は行く。喉奥から迸ろうとする悪罵を強引に噛み殺し、滾る感情のなにもかもを呑み込み。救える分の命だけでも掴み取るために、他の全員を切り捨てるという選択を果たすために。


 よしんば生き延びたとしても、一生背負うことになるだろう十字架の数々を思いながら、彼は前だけを見据え――


「……は?」


 ――そこで、決死の脱出劇を演じる最中に在りながら、すべての思考を停止させてしまった。


 その理由は至極単純だった。“恐嶽砲竜”の落下が、()()()()()()()()()()様を、目の当たりにしたためだ。


 古参隊員は思わず走鋼馬を急停車させ、忘我のままに頭上を見上げた。

 彼の到着を待ち構えていた面々も、何時まで経っても訪れない破滅の瞬間に疑問を感じて同じようにした。

 そうして、今起きている事態を正確に認識した彼らは、全身を貫く衝撃に揃って顎を落とした。


「おいおいおい。いったいなんの冗談だ、こりゃあ……ッ!?」


 驚愕する一同を代表し、歪んだ半笑いを浮かべたイーリスが吐き捨てた。


 皆の視線の先、大地からそそり立った()()()()()()()()()が、“恐嶽砲竜”の巨体を支えていたのだ。


 ざっと数えただけでも五十本弱。古い御伽噺に登場する「空を支える柱」の如き威容を示す分厚い土壁は、“恐嶽砲竜”の超重量に軋みを上げつつも崩壊を免れ耐え続けている。


「これだけの空素術(エーテル・ドライブ)を、いったい誰が……!?」


 驚愕へと変じた衝撃は、やがて困惑を経て理解へと移る。


「……あれは?」


 “シュレーダー隊”の皆がふと、視界の端に瞬いた緑色の光につられてそちらを向けば、ロングコートを着込み杖を構えた少女が一人。

 その周囲、薄暗闇へ紫煙の如くに溶けてゆくエーテル光をくゆらせながら、彼女は艶やかな黒髪を掻き上げて呟いた。


「――ざまあみなさい」


 その言葉に皆は知る。自分たちが再び命を救われたという事実を、そして、傍目にはまだ幼く見えるその少女が――


「……まさか、彼女も空素術士(エーテル・ドライバー)なのか!?」


 ――世界法則さえ書き換え得る、力ある(ワード)の繰り手に他ならないことを。



 -§-



 陽光はほぼ完全に遮られていた。


 頭上の景色を占めるのは青空ではなく、闇よりもなお深い色彩を持つ漆黒の甲殻。圧し潰されるような――否、実際にその巨体が降り注いだならば、人間など紙切れより薄く引き伸ばされてしまうだろう――威圧感に改めて怖気を覚える。


 それでもエメリーが取り乱さずにいられるのは、己が行使した術に確かな成功の手応えを感じているからだ。


「……成功、ね」


 上空からはパラパラと僅かな土塊の破片が落ちてきているが、作り出した≪障壁≫はすべてが健在のまま、“恐嶽砲竜”の巨体をその場に留めていた。


「無様な格好ね、まるで標本にされた干し蜥蜴よ」


 もはや身動ぎの気配すらない“恐嶽砲竜”に悪罵を飛ばし、額に滲んだ冷や汗を手の甲で拭いつつ「我ながら大した離れ業だ」と、エメリーはそう思った。


 少なく見積もっても数万トンはあるだろう巨体をただの土壁で支え切ることなど、どれだけ本数と分厚さを増そうが、通常ならまず不可能だ。

 如何に≪障壁≫が――グラナートの系譜を汲む者としては不本意だが――自分の最も得意とする土属性のエーテルを用いる術とはいえ、作り出した端から“恐嶽砲竜”の重量に負けて、折り砕かれてしまうのが自然な成り行きだろう。


 ……あくまでも、通常の物理法則に従うならば、だが。


 そう、エーテルに訴えかける空素術士(エーテル・ドライバー)の御業は、偏に世界が定めたルールに叛逆するも等しい行為である。意志と詞によって練り上げられた力は、ただの土塊にさえ砲弾を弾き返す防御力を与え得るのだ。


 況や、防護の権能を果たすべく作り出された術が、その行使者を守るために力を発揮するのは当然だった。


(……それでも、私だけなら、無理だったでしょうね)


 〈皇都魔導学院クラースナヤ・ズヴェズダー〉創設以来、五指に入るほどの才覚を示したという姉ならばともかく、()()()とまで蔑まれた自分では力量が届かなかったに違いない。


 故に、不足分を埋めたのは――


≪――土よ 土よ 冷にして乾の象徴たるエーテルよ≫


≪――其は堅きもの 其は重きもの≫

≪――総てを支え繋ぎ止めるもの≫


≪――其は密なるもの 其は閉じ込めるもの≫

≪――総てを留めて護るもの≫


≪――其は中心として在るもの 其は揺るがぬもの≫

≪――総てを創り保ち続けるもの≫


≪――均し 固め 維持せし緑の正六面体よ≫

≪――原初の泥より出でて 生命に形を与えしエーテルよ≫


≪――そうあれかし 土の理よ 永久に 永久に≫


 ――その紡ぎ手たるリウィアが口遊む≪整調≫の歌だ。


 地下で“恐嶽砲竜”の火焔を押し返した時のように、歌詞と曲調を変じた彼女の歌が今度は土属性のエーテルを活性化させ、≪障壁≫の強度と規模に莫大な強化を及ぼしているのだ。


 浅く目を伏せ、上下する胸に合わせて薄青色(アイスブルー)の髪を揺らしながら歌う彼女の顔には、どこか楽し気な微笑みさえ浮かんでいる。

 普段こそ奥手でおどおどとした雰囲気を放つ少女だが、こうして改めて眺めてみれば、己の歌が持つ力に対する自信のほどがまざまざと感じ取れた。


(いえ、むしろ……リウィアは自信を通り越して、そうなることが当然とすら捉えているのかもしれない。この子はエーテルを操るどころでなく、意のままに支配し制御する術を、無意識に身に付けているんだわ)


 歌でエーテルを≪整調≫することは彼女にとって「当たり前」の行為なのだろう。あるいはそれが自信のなさに繋がっていた可能性さえある。地下で聞いた感情の吐露からしても、リウィアは己の凄まじい天与の才に無自覚すぎるのだ。


 世が世なら、そして生まれがほんの少しでも異なっていたならば、今頃は国家的英雄めいた立ち位置にいたことだろう。

 そうならなかったことへの残念と、どうにも否定できない羨望が同時に生まれるが、エメリーはその両方を苦笑ひとつで振り払った。


(昔なら嫉妬してたかもしれないけど、いまさらそんな馬鹿げたことしても、ね)


 もっとも、リウィアの側には任された仕事を成し遂げた達成感のみがあるらしい。エメリーの視線に気付いた彼女は小首を傾げると、照れ臭そうに頬を染めてはにかむ。一切の厭味を感じさせないそんな仕草に、ついエメリーは毒気を抜かれてしまった。


(……本当、どうして()()()()でここまで良い子に育ったのかしら?)


 初めて出会った時のことを思い出し、エメリーは苦笑する。


 それに、彼女が自分をやたらと尊敬し持ち上げてくる理由も、実はいまだに分からないままだ。共に旅を続けていけばその理由も分かるのだろうか? 詮無い考えが生まれた時、ふと、すぐ傍で起きた乾いた足音が耳朶を打った。


「やったねエメリー、流石! リウィアも凄かったよ、二人ともありがとう!」


 そちらへ振り向けばレーゲンが駆け寄って来ていた。濃厚な影の落ちる中に在ってなお、彼女の明け透けな笑顔はやたらと際立つ。

 そうしてまたしてもVサインを送ってきた彼女へ、自負を以て応えようとしたエメリーは気付く。リウィアがそそくさと背の後ろへ隠れたことを。


(……この子は、まったく)


 どうやら改めて賞賛を受けるのが恥ずかしくなったらしい。もしかしなくとも、地下での一件がその原因だろう。


 エメリーは苦笑を漏らすと、リウィアの手を取って前に連れ出した。慌てて逃げようとするその背を抑えてやると、どうやら観念したようで、耳まで真っ赤にして黙り込んだ。


「ほらほら照れないの。皆、貴方に感謝してるんだから」


 エメリーがそう言うと、リウィアは「あうぅ……」と子犬めいた呻き声を発しつつ、なんとか頷いた。彼女がその得難い才能に対する評価を素直に受け入れるようになるまでは、もうしばらく時間が掛かりそうだった。


 さて、一旦危機を乗り越えたとはいえ、何時までものんびりとしているわけにはいかない。エメリーが言う。


「まずはこの場を離れましょう。頭の上のデカブツが暴れ出さないとも限らないし、体勢を立て直す必要もあるしね」


 一行は頷き、そこでレーゲンがつと南側に指を向ける。その先には地面に蹲ったまま一行を見やる騎士たちの姿があった。レーゲンは敬意を込めた眼差しで彼らを見つめると、


「なら、あの人たちも一緒に連れて行こう。手助けが要りそうだし、きっと私たちが来るまで“恐嶽砲竜”を食い止めてくれてたんだと思う。……美味しいところだけ持って行った私より、よっぽど英雄に相応しいや」


 その言を否定する者は誰もいなかった。


「そんな人たちを救えて、本当に良かったと思うよ」


 レーゲンたちは揃って歩き出す。文字通り身を張って土地と民を守り抜かんと奮戦した、勇敢にして誇り高い騎士たちの下へと。



 -§-



 レーゲンたちを出迎えたのは、赤銅色の髪を乱した軍装の女性、すなわちイーリスである。彼女は部下の騎士たちに支えられながら立ち上がり、そこはかとない口惜しさを含んだ苦笑を見せつつも、


「……よう、なかなか面白いモンを見せてもらったよ」


 発せられた声には確かな気勢があった。真鍮色の瞳には鋭い眼光が宿り、彼女のいまだ尽きることのない戦意を十分に示している。


 イーリスはレーゲンたちを見回すと、感嘆とも呆れともつかない口調で言う。


「若いのに大したもんだ。特にその空色パーカーのお嬢ちゃんは、アタシよりも小さいくせにあのクソッタレの足をぶっ飛ばしたんだからな、見所あるぜ」

「え、あはは。いやあそれほどでも……」


 物言いこそ乱暴だが、そこには確かな謝意が込められていた。思わず照れ臭そうにするレーゲンへ、イーリスは突然頭を下げた。見れば他の騎士たちも揃って平伏している。旅行士(トラベラー)一行が驚いていると、彼らは声を揃えてこう言った。


「――貴君らの助力に心より感謝する……!! この恩は何れ必ず報いると誓おう、騎士の名と誇りに懸けて……!!」


 片膝を突き、首を垂れ、胸に手を当て。誰もが戦闘鎧(コンバット・メイル)を破損させ疲労困憊の状態にありながら、それは一糸乱れぬ堂々とした騎士としての敬礼であった。


 まさかここまでされるとは思わず呆然としていたレーゲンたちへ、たっぷり数秒間を掛けてから頭を上げたイーリスは、どこか悪戯を成功させた幼子にも似た表情を浮かべていた。


「……驚かせて悪かった。こんな場所じゃあこれ以上の礼はできねぇが、これくらいはしなきゃ気持ちが収まらないんでな」


 と、そこでイーリスは表情を真剣なものへと変える。


「改めて言わせてくれ。アタシとリーンハルト、そして部下たちの命を救ってくれて、ありがとうな。このイーリス・アーベライン、受けた恩は一生忘れねぇ」


 真っ向から力強く言い切られ、レーゲンたちは曖昧に頷くのがやっとだった。一方で自らの誓いが受け取られたことを確認したイーリスは、そこで急に雰囲気を解すと、彼女本来の蓮っ葉な口調で語り出す。


「堅苦しいのはここまでにしとこう。他にも訊きたいこと、言いたいこと、色々あるがとりあえずは脱出が先だな。こんな陰気臭いにもほどがある場所じゃあ碌に話もできなさそうだし、構わないよな?」


 その提案にレーゲンたちは一も二もなく頷いた。

 それから皆で手分けをして走鋼馬を組み直し、それぞれに跨ると一気に“恐嶽砲竜”の直下から逃れていく。

 それまでの停滞が嘘のような瞬く間の脱出であった。


 影を抜け出れば、ようやく頭上に皆の待ち望んだ青空が戻った。

 安全圏に到着した皆――二陣営の合流が果たされた現在では二十八名もの大所帯だ――は、疲弊した身体を地面に投げ出したくなる衝動を堪え、車座を組んだ。

 もちろんその目的は、各々が持つ情報の交換と共有、そして今後の動きについての作戦立案である。


「さて、それじゃあ楽しい自己紹介と行く前に、だ――」


 イーリスは自身の“共振杖(ブースター・ロッド)”で彼方の“恐嶽砲竜”を指した。

 まるで()()()()の如くに動きを封じられた巨体は、今もなお不気味なまでの静寂を保っている。

 完全に力尽きたのか、それとも再び動き出すまで力を蓄えているのか。


 後者であるとイーリスは判断した。


「――奴さんがこれからどう動くか、だな。蓄積したダメージがまだ抜け切らねぇんだろう、暫くは放置しても大丈夫なはずだが……」


 言葉尻は曖昧に濁った感じとなった。さきほど死んだと思っていた“恐嶽砲竜”の逆襲によって手痛い目を見た彼女としては、生半可な予測を当てにするのは危険だという思いがあるのだろう。


「――いや、おそらくは問題ないでしょう」


 そこに口を挟んだのはヴィルだった。


 途端に周囲から浴びせかけられる訝し気な視線に、わざわざ「どうもどうも」などと会釈を返しながら、まるで怯んだ風もなく彼女は言う。


「では改めまして。私、不肖ヴィルベルヴィントと申します。僭越ながら魔導機人(マギノロイド)というモノをやっております」


 告げられた魔導機人(マギノロイド)という単語にはざわめきが起きた。イーリスでさえ驚きを隠さず、興味深げにヴィルを見やる。


「……ほお、こりゃまた珍しい代物が出てきたな」

「おや、現物をご覧になるのは初めてで?」

「完品で、しかも稼働してる奴はな」


 イーリスは実物を前にした上で、それでも半信半疑といった表情で続ける。


「首都にも何機か保管自体はされてるが、大概は機能停止してるか、部品単位でバラけた状態だ。てか、そもそも起動さえできてねぇ。なにせ超越技術(オーバーテック)の塊だしな。アタシからすりゃあ、亡霊でも眺めてる気分だよ」


 と、そこで彼女は強い視線の気配を感じて振り返った。

 見れば薄青髪(アイスブルー)の少女が頬を膨らませている。態度こそ控え目だが、イーリスへ注がれるその眼差しには明らかな抗議の意思が滲んでいた。

 何故かと考えたイーリスは、そう間を置かずに理由に思い当たった。


「お嬢ちゃん、名前は?」

「ふえっ? あ、ぅ、リ……リウィアです」


 唐突に視線を合わされ名前まで問われたことで怯えるリウィアだが、イーリスは双眸を細めると和らいだ声でこう言った。


「そうか、じゃあリウィア。お前の友達を亡霊扱いしてすまなかった。幾ら何でも口が過ぎたな、不躾な詮索共々、心よりお詫びする」


 そうして頭を下げたイーリスに、むしろリウィアの側がしどろもどろとなってしまう。元々人見知りのきらいがある彼女だ。流石に初対面に等しい相手では、レーゲンたちを相手にするようにはいかないようだった。


「え、あ……い、いえ。私は別に、その、私も子供みたいなことをして、すみませんでした……。えっと、それよりも……」


 と、リウィアが向けた視線を追う形で、イーリスは改めてヴィルへ向き直る。眉尻を下げた笑みで佇む彼女を見上げ、


「分かってる。ヴィルベルヴィント、だっけか?」

「ああ、ヴィルで結構ですよ。皆さんはそう呼びますから」

「じゃあ、ヴィル。さっきの無礼は詫びるよ、申し訳ない。悪気はなかったが、ちょっとばかり物珍しさが勝ってな……」


 ヴィルの方はまったく気にした素振りもなく「いえいえ」と鷹揚に手を振った。


「それでは話を続けさせて頂きますね。あの〈骸機獣(メトゥス)〉が、まだしばらくは動けないという根拠についてですが――」


 言いつつ、ヴィルは自分の瞳を指差す。

 奇遇にもイーリスと近しい色彩を持つそれには、非常に細かな幾何学模様が映り込んでいる。彼女の機能が起動している証だ。


「――実はさきほどからスキャンを行っておりまして。要は“恐嶽砲竜”の稼働状態を調べていたわけですね。内部構造から各部器官のコンディションまで、今ではすっかり丸裸にしてやりましたよ」


 そんなことができるのか、と甚く感心するイーリスに、ヴィルは頷いた。


「それによると、いやあ酷いもんですよ? 全身が過熱状態(オーバーヒート)寸前な上に、機構が誤作動を起こしているのか排熱も不可能らしく、放っておくだけでどんどん壊れていくでしょうね。すでに知覚機能の大半はダウンしていますし、弾薬生成器官もそのうち暴発しますよ、あれじゃ。各部駆動系も無理な動きの所為で歪み、特に破損が酷い頭部はそれこそ()()()()()()()()みたいな感じで……」


 ヴィルの結果報告はまさに惨憺たる有様を示していた。これにはイーリスも驚愕し、勢い良く“恐嶽砲竜”へと振り返る。

 すると、陽光に照らされながら天への捧げ物の如く突き上げられた巨体の各部からは、確かに激しい火花閃光(スパーク)と黒煙が漏れ出ていた。


 なるほど、冷静に確認してみれば、あれはもはや……


「死に体ですよ、虫の息も同然です。正直に言わせてもらうと、あれをあんな状態になるまで追い込んだ貴方たちの手腕には感服しますよ、本当に。歴史の教科書に載ってもおかしくないくらいの偉業ですね、冗談抜きに」


 しみじみと告げられたヴィルの言葉に、イーリスは思う。すべては“シュレーダー隊”決死の奮戦が導いた成果なのだと。

 万感の思いで部下たちを見回せば、彼らは難局に挑みそれをやり遂げた者としての満足に満ちた笑みを浮かべている。

 イーリスは傍らに寝かせたリーンハルトの隣に屈み込むと、彼の煤に汚れた頬を優しく撫でて、囁いた。


「……頑張ったんだな、アタシたち」


 リーンハルトからの目立った反応はなかったが、彼が息をしているというだけで十分だった。影下からの脱出後、レーゲンが治療と称して彼の身体の彼方此方に塗りたくった奇怪な軟膏の匂いが鼻につくが、それは大した問題ではない。


「いや、やっぱ臭いなこれ。服に付いたりしないよな?」

「えっと、洗えば落ちると思う、多分」

「多分かよ……」


 そんな他愛のない冗談にも笑えるだけの余裕がイーリスに戻ってきていた。そうなってくると、次なる一手は“恐嶽砲竜”への完全なるトドメである。


「なにか良い手段はあるか? もう一発くらいなら、アタシが雷撃をブチ込んでやっても構わねぇんだが……」


 応じたのはヴィルだ。彼女は「ふむ」と瞳を一際輝かせてから、


「その場合は私が着弾地点を指示しましょうか。そうですねぇ、弾薬生成器官を貫けば誘爆して粉微塵になりそうですし、もう停止寸前ですが心臓部の破壊もトドメとしては確実でしょう。狙うならその二ヵ所がお勧めですかね」


 それにイーリスは少し考え……、首を振った。


「……いや、止めとこう。アタシはもう、奴の甲殻を貫ける威力の空素術(エーテル・ドライブ)は使えなさそうだ。奴の頭を吹き飛ばした一撃も、言ってみりゃあアタシ個人で出せる出力じゃあないしな。撃つだけ無駄だろうよ」


 次に手を挙げたのはレーゲンだった。彼女はエメリーを見ると、


「それじゃあ、エメリーに焼いてもらう? 地下でも結構な威力の炎を出せたし、もう一回やれば今度は上手く中までこんがり行けるかもよ? エメリーもトドメ刺したいでしょ?」


 焼いた、という言葉に騎士たちの間から再びのざわめきが起きた。


「まさか、あいつの上半身の焦げって……。もしかして、この子が……?」

「なら、飛行船からの報告にあった凄い炎の空素術(エーテル・ドライブ)を使う少女ってのは……」

「おいおい……。副長の雷撃とタメ張れるんじゃねぇか、もしかして……」


 思わぬかたちで注目の的となったエメリーは、居心地が悪そうに顔を顰める。周囲からの賞賛の声にはリウィアが何度も首を縦に振っているが、それにも努めて無視を貫いた。


「へえ。首都に着いたら、アタシと模擬戦でもやってみるかい?」

「勘弁してください……」


 イーリスまでが興味津々とそんなことを言いだすものだから、エメリーはすっかりげんなりしてしまった。そうして苛立たし気にこめかみを叩きつつ、彼女は「あのね」と前置きをしてから、


「正真正銘私の全力で、しかもリウィアに術を強化してもらったうえで、それでも致命傷は与えられなかったのよ? なら、同じことをしても無駄よ」

「でも、今度は相手が動く心配はなさそうだから、じっくりやれば……」

「そんな悠長なことしてられないわ。あれだけ巨大な相手を外から炙り続けて致命傷に至らせるまで、何時間かかると思ってるのよ」


 エメリーは嘆息した。


「思い付きは結構だけど、もう少しモノを考えてから発言しなさい」


 忌々し気な睥睨も加えて言い切られ、レーゲンは頬を掻く。が、そこにエメリーは一言だけ付け加えた。


「……だけど、まあ。リベンジの機会を作ろうとしてくれたことについてだけは、一応お礼を言っておくわ。……余計なお世話だったけど」


 思わずレーゲンが見返すと、エメリーは「話はここで終わりだ」とばかりにそっぽを向いている。その頬はわずかに赤く染まっていた。


「青春だねえ」


 微笑みひとつを溢し、イーリスが言う。


「……しかし、雷撃も火焔も効果はいまひとつか」


 そうなると手段は限られてくる。元よりあれだけ堅固な装甲を貫くには、生半可な攻撃では意味がないのも事実だ。

 翻ってリウィアには直接的な攻撃手段がなく、騎士たちは疲労困憊にして火力不足、リーンハルトは動けるような状態ではない。


「私も流石に、あの大きさを解体するのはちょっと御免被りたいですねえ」


 ヴィルも辞退し、レーゲンも「普通のやり方じゃ無理」と言うので、


「……じゃあ結局、一番手っ取り早い方法をとることになるわけだ」


 最終的に「≪障壁≫を解いて自由落下させる」という、なんとも原始的かつ直接的な手段に皆の議論は決着する運びとなった。


「まあ、高い所から落とすってのは、いつの時代どんな場所でも有効な手段さ。エネルギー保存の法則ってのは、つくづくよくできてやがる」


 結論が決まれば準備は早い。騎士たちは飛散物に備えるために走鋼馬で防塁を築き、防御術の用意を整える。役割を持たない者は背後に控えて身を守り、エメリーは黒檀の“共振杖(ブースター・ロッド)”を構えて、合図を待つ。


「――よし、やれ」


 そしてイーリスが指を鳴らしたと同時、エメリーは自身が構築した術の解除を行った。途端にそそり立つ≪障壁≫はその構造を解き始め、細かな砂と化して跡形もなく崩れ去っていく。“恐嶽砲竜”はその最中を無防備に落下していった。


「……“奥の手”は、とうとう使わずに済んだかあ」


 安堵に満ちた呟きを零しつつ、皆と共に“恐嶽砲竜”の最期を見守ろうとしたレーゲンは、しかしその瞬間――


「…………ッ!!?!」


 ――今までに味わったことのない怖気に襲われ、思わず顔を引き攣らせた。


 まるで脊柱に煮え滾る溶岩を注ぎ込まれたが如き、身体が跳ね上がるほどの凄まじく()()()()。それはもはや「痛み」に近いほどの鋭さでレーゲンを襲った。


 レーゲンは経験則から知っている。こういう場合、自分の勘は常に当たるのだ、と。故に皆へと警戒を促そうとする、その直前。


「おい、なんだ、ありゃ……?」


 “シュレーダー隊”の隊員が一人、彼方へ向ける目を凝らして言った。


 砂と共に落ちていく“恐嶽砲竜”の身体が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()様を不思議そうに眺めながら、


「なにか、あそこに、居るぞ……!?」



 -§-



 その直後、大気を引き裂き蹂躙する叫びが、四方世界を渡って轟いた。



 -§-



 それは、憤怒である。

 それは、歓喜である。

 それは、殺意である。


 そしてそれは、産声である。


 戦いはまだ終わらない。

 戦局は真の終端(クライマックス)へと移行する。

 抗う者たちは新たな絶望と直面し、しかして希望を以て相対する定めに向かう。


 世界を焼き尽くさんとする邪悪なる黒炎を、明日を目指す疾風は果たして掻き消すに能うのか。全ては四人の若き旅行士(トラベラー)たちの双肩に託された。



 -§-



        次回、今章「草原騒乱四重奏」完結話。


            通り雨の旅行士(トラベラー)


        シーン22「天翔ける風が断つものは」



 -§-



 足音も高く近付きつつある結末の時。その風景に立つ者は、人か魔か。



 -§-



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