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通り雨の旅行士《トラベラー》  作者: 赤黒伊猫
序章:草原騒乱四重奏
21/41

シーン20:悲劇では終わらせないために



 -§-



 ……ここで時間を少しだけ巻き戻し、四人の旅行士(トラベラー)がどのようにして地上への帰還を果たしたのか。また、立つこともできなかったはずのレーゲン・アーヴェントが何故復活できたのか、その顛末について語らせて頂きたい。



 -§-



「――ほぉあああああ漲るゥ――ッ!!」


 休止状態(スリープ・モード)から目覚めたヴィルの発した第一声である。


 脱力し切った伏臥位(ふくがい)姿勢から、出し抜けに奇声を上げつつ発条仕掛けの玩具めいて直立する様は率直に評してなかなかに不気味であり、付き合いのあるリウィアでさえ「ひぇっ」と小さく悲鳴を漏らすほどだった。


「…………」


 ましてや、ヴィルの為人(ひととなり)についてほとんどなにも知らないローゼが受けた衝撃たるや、筆舌に尽くし難いものがあったのだろう。純粋無垢な幼子は異様な光景に言葉を失い、目と口を真ん丸に広げたまま、呆然としてしまっていた。


(変なトラウマにならなきゃいいけど……)


 エメリーはこめかみを抑えながら、可哀想な少女の今後を案じた。


「うぉほ――ッ!! うぉっほほ――ッ!!」


 一方のヴィルはといえば周囲の様子には目もくれず、手足をワキワキと無意味にバタつかせたり、首を上下左右にガクガクと揺さぶるなどの奇怪な動きを開始。その両目からはサーチライトめいた眩い光が放たれ、豊かな若草色(グラスグリーン)の髪が逆立ち、まるで妖怪変化もかくやとばかりの奇天烈具合である。


 超越技術(オーバー・テック)空素術(エーテル・ドライブ)の粋を極めた至高の工芸品とまで称される魔導機人(マギノロイド)も、こうなってしまっては形無しだ。なにより眺めていて気持ちの良い光景でもない。いい加減に見かねたエメリーが窘めようとするが、


「……ヴィル、少し落ち着きなさい」

「おやエメリーさんお元気ですかお元気そうですねなによりですあはは私ですか私はもうなんだか絶好調ですよどうしたんでしょうねえちょっとおかしくなってるかもしれませんふへへああこんなのは私のキャラじゃない低燃費がモットーなんですよああでもこの昂る気持ちはなんだか破壊的なまでに爽快というか――」


 ヴィルはまったく聞く耳をもたず、暴れ続ける。どうやら、エネルギーを過剰に供給されたおかげで、人間でいう「(ハイ)」になっているようだ。おそらくは彼女自身、暴走する思考と身体をどうにもできないのだろう。


「こ、怖い……。なに、このお姉ちゃん……」

「だ、大丈夫ですよ? 普段は、その、こうじゃないから……」


 そして、目の前で繰り広げられる奇態に堪えかねたローゼは、とうとう半泣きでリウィアにしがみ付いてしまう。リウィアは怯えるローゼをどうにか宥めてやろうとするのだが、彼女自身も戸惑っているようで歯切れが悪い。


「ど、どうしましょう、エメリーさん……?」

「……どうもこうもないわね」


 縋るように向けられた問いに、エメリーは深々とした嘆息を返す。

 普段なら放っておくところだが、わざわざ貴重なエーテル結晶を消費してまでヴィルを目覚めさせたのは、こんな下らない蛸踊りを見るためではない。

 なにより、今この瞬間にも苦しんでいる仲間がいるというのに、それを放ったままこの乱痴気騒ぎを続けるなど、誰であろうヴィル自身が赦せないはずだ。


 だからこそ仲間たちの精神衛生上、また差し迫った問題の迅速解決のため、エメリーは単純にして最も手っ取り早い手段に出ることにした。


 つまり、古式ゆかしい「叩いて直す」方式である。


「――いい加減に、……しなさいッ!!」

「おごっ」


 ≪障壁≫のシェルター内に鈍い音が反響した。


 エメリーの“共振杖(ブースター・ロッド)”は、打撃武器として〈骸機獣(メトゥス)〉相手に用いても、折れたり曲がったりしないほど頑丈な造りの黒檀製だ。であれば当然ながら、殴打に用いた際の威力には目を見張るものがある。


 エメリーはそれを思い切り振りかぶり、ヴィルの頭を強めに殴りつけたのだ。下手をすれば首がもげるのではないかという勢いでヴィルの頭部が振れ、突発的な一幕の暴力沙汰(バイオレンス・シーン)に、リウィアとローゼが揃って悲鳴を上げる。


(……なんか段々、やり方が力任せになってないかしら、私)


 エメリーはそこでふと、この手段が問題解決の方法としては粗暴過ぎやしないかと、僅かに後悔めいた感情を覚えたが――


(まあ、不可抗力よね。うん、仕方がない。だって、埒が明かないもの)


 ――今回はあくまで必要だったのだと判断し、それ以上は煩うこともなかった。ほんの一瞬だけ、旅に出る前の生活環境を想起し、言いようのない据わりの悪さを感じはしたが。少なくとも礼儀作法に厳しかった母は大層嘆くことだろう。


(人間、変われば変わるものよね……)


 エメリーはしみじみそう思った。


 ともかく、この手段はどうやら功を奏したらしい。ヴィルは数秒間ほど首を奇妙な方向に傾がせたまま無言で佇んでいたが、やがて半開きになった唇から無機質なメッセージの数々を――人間には聞き取れないほどの――高速で吐き出し始める。


「――脳殻に許容値以上の衝撃を感知、危険と判断。

 情報保全のためシステムを再起動します……完了。

 自己診断……警告、当機は過負荷駆動状態にあり。

 機能回復開始。余剰エネルギーに対処、臨時迂回路(バイパス)を確立……完了。

 脳殻の異常過熱に対処、自制回路トランキライザー・サーキット作動。緊急排熱開始……完了――」

 

 そうして、若草色(グラスグリーン)の髪をぶわりと捲き上げるほどの勢いで、(うなじ)の辺りから大量に熱気を噴き出すと――


「――論理回路、身体機能、各部全て正常状態に復帰コンディション・グリーン


 ――ヴィルの様子は覿面に落ち着いた。


「……いやはや、色々と御迷惑をおかけしてしまったようで、申し訳ありませんでした。不肖ヴィルベルヴィント、深くお詫び申し上げます」


 再び唇を開いた時、彼女は普段通りの飄々とした口調に戻っていた。

 一時は干乾びた死体のようにくすんでいた肌には瑞々しい張りとつやが戻り、金の瞳には遺跡に踏み込む以前にも増して力強い輝きが宿り、しなやかな五体には溢れんばかりの力が完全に制御されたかたちで漲っている。


 ヴィルと名付けられた魔導機人(マギノロイド)は、ここに完全な復調を果たしたのだ。



 -§-



「ヴィルさん、良かった……!」

「おおっと、リウィアさん?」


 直後、居ても立っても居られぬようにリウィアがヴィルに抱き付いた。彼女は喜色を満面に浮かべながら、戸惑うヴィルの肩口に頬を擦り付ける。エメリーはその時、リウィアの目に涙が滲んでいることに気が付いた。


(まったく、リウィアらしいというか……)


 仲間の無事を尊び、いっそ無防備なほどに喜びを露わにできるのが、リウィアという少女の性格である。一気に和んだ雰囲気に、エメリーも思わず頬を緩めた。


 もっとも、喜んでばかりもいられない。やがて自ずから身を離したリウィアに頷くと、ヴィルは歩き出す。地に伏せったままのレーゲンの下へと。


「……おはよう、ヴィル。元気になったみたいで、ホント、良かった」


 荒い息遣いに乗って発せられたその言葉には、隠し切れない苦痛が滲んでいた。

 それでもレーゲンは蒼褪め歪んだ顔に、精一杯の笑顔を浮かべてみせる。エメリーとはまた違ったかたちでの「強がり」だった。

 対し、ヴィルの表情からは笑みが消えていた。彼女は浅く眉尻を下げてレーゲンの傍らに跪くと、訥々と言い始める。


「……機能停止に陥った私を、助けてくれたんですね?」


 ヴィルの言葉には、真剣な労りと謝意が込められていた。


「本当に申し訳ありませんでした。私の不始末のせいで貴方にそんな大怪我を負わせてしまったことが、……心苦しくて堪りません」


 ヴィルはレーゲンの負傷に深い責任を感じていた。救われた瞬間こそ目にしておらずとも、こうして傷付いたレーゲンの姿と彼女の性格を照らし合わせれば、なにが起きたか察せないほうがおかしい。


「……無茶をしたものです」


 レーゲンの負傷状況をスキャンしたヴィルが沈痛な面持ちとなる。彼女が機械的に行った「正確な診断」からしても、レーゲンの容体は芳しくはないようだ。


「……貴方らしいと言えばこれ以上ないほどですが、お願いですから二度とこんなことはしないでください。人間の身体欠損は、私のような機械とは違って、取り返しがつかないものなんですよ」


 平時からは考えられないほど、この時のヴィルが放った言葉は厳しい声色を帯びており、エメリーでさえ少し面食らうほどだった。


 普段は次に食事をするタイミングのことしか考えていないような彼女が、ここまで誰かのために真剣な「憤り」を――エメリーは極々自然のうちにそれを「感情」として捉えていた――露わにしようとは。


「……ごめん。逆に心配させてたら、世話ないよね」


 しかし、それでもレーゲンは言うのだ。


 件の軟膏はやはり気休め程度にしかならなかったようで、先程よりも痛みが増してきたのか、苦しげに息を吐きながらゆるゆると首を振り、


「だけどさ。……取り返しがつかないのは、ヴィルも同じだよ」


 その言葉に目を見開いたヴィルに対して、レーゲンはさらに続ける。


「……反射的なんだ、いつも。私は、死ぬかもしれない危険より、私が動かないことでなにかが喪われることの方が、ずっと恐いんだと思う。別に、死にたいわけじゃ、ないんだけどさ。はは――」


 そこで数秒、呼吸を整えるためにレーゲンは沈黙する。ヴィルはその間待った。自分に向けられる言葉を余さず受け取ることが、今は必要なのだと理解していたからだろう。


「――ちょっと、おかしいのかもね、私。自覚はあるんだ。ヴィルが大事な友達だからってより、……いや、もちろんそれもあるんだけど、根本的にはエゴってやつなのかなあ? まあ、だからさ、なんというか」


 一呼吸を挟み、レーゲンは告げた。


「……私が自分勝手にこういう馬鹿をやって、それでもどうにか死なずに済んで、結果としてヴィルも助かったんなら良いんじゃないかなって。……駄目かな?」


 迷いも後悔も一切を含まないその疑問符に、ヴィルの頬が微かに震えた。彼女の背に流れる若草色(グラスグリーン)の髪が揺れる。肯定とも否定ともつかない曖昧な方向へと。


 そのうえで彼女はなにかを言おうと、口を開きかけ――


「…………、」


 ――止めた。まるで自分にはそうする資格がないというように。


「ヴィル……。この馬鹿に、なにか言いたいことがあるんなら、言ったら?」


 エメリーが思わず口を出すが、振り返ったヴィルは普段通りの和らいだ笑みを浮かべ、肩を竦めるだけだった。


「……いえ、まずは早急にレーゲンさんの傷を治してあげないといけません。リウィアさん、手伝ってもらえますか?」

「え、あ、はい! 分かりました!」


 ヴィルの呼び掛けに、リウィアは素直に応じて足早に駆け寄った。そうして二人並んでレーゲンの傍に跪き、これから行うべき行動を確認する。


「えっと……≪水の歌≫、で良いんですよね? この場合は」


 おずおずと問うたリウィアに、ヴィルは深く頷いた。


「ええ、レーゲンさんの高い自然治癒力は皆さんも知っての通り、彼女の体内を巡る強力な水属性のエーテルに因るものです。言わば普通の人よりも遥かに自己再生機能が優れているのですが、リウィアさんの歌で水属性のエーテルを活性化させれば、さらに飛躍的な効果の上昇が見込めるでしょうね」


 しかし、


「それはレーゲンさんの体力が十分に確保されている場合の話です。流石にここまでの重傷に対しては生命維持が最優先されるので、回復までは長い時間が掛かってしまいますし、下手にエーテルの流れを強めると逆効果になりかねません」


 例えるならば「堤防」のようなものだ。土台が緩んだ状態では、普段ならば受け止め切れる水の流れにも綻びが生じかねず、ましてや水量と勢いが一気に増加したならば致命的な決壊さえ引き起こされるだろう。


「薬も過ぎれば毒。治療のために正しい調整をされた専用の空素術(エーテル・ドライブ)ならともかく、今のレーゲンさんでは()()()()()()()()()()()()()()を受け止め切れず、却って深刻な事態を招くでしょう。最悪、肉体崩壊に至るやも……。なので――」


 言いつつ、彼女は自身の人差し指を摘まんでグルリと百八十度回転させた。

 生身の人間ならば複雑骨折間違いなしの所業だが、機械であるヴィルにとっては「機能の一つ」を起動するための予備動作でしかない。


「――私の()()を使うわけです。《武装選択:極小機械注入装置ナノマシン・インジェクター、――起動(ラン)》」


 その宣言を起点とする()()は一瞬で完了した。

 ヴィルの人差し指は瞬く間に注射器のような形となり、極細針の先端からは無色透明の液体が滲み出ている。

 一連の行動を興味深げに覗き込んでいたローゼが驚いた声を上げる。


「それ、もしかして……お注射、するの?」


 後退りしながら恐々と問うた幼い少女に、ヴィルは「おや」と反応した。


「意外ですね、経験があるのですか?」


 ローゼは小さく頷き、ヴィルの人差し指をチラチラと見つつ、記憶を確かめるように首を捻りながら語り始める。


「うん……。たまに首都からお医者様が来て、ワクチン? の、ヨボーセッシュ? とかっていうのをするよ。私は、その、我慢できるけど……。皆、嫌がって隠れたりするから、その日はどの家のお父さんもお母さんも大変そう」


 最後に付け加えて「ワンちゃんや牛さんとかにもするんだよ、どうしてなんだろう?」と顔を顰めて話を結んだローゼに、ヴィルはどこか満足気な笑みを見せた。


「それはそれは、シュタルク共和国の医療技術もなかなか進んでますね。抗生物質はすでに開発されていると聞き及んでいましたが、衛生管理自体も徹底されているようでなによりです。感染症は時として国家さえ蝕み死に至らせますからねえ。黒死病に天然痘に……おっと、難しかったですかね、失礼しました」


 挙がった単語に理解が及ばなかったのだろう、訝しげに眉根を寄せるローゼに、ヴィルは「今は分からなくても大丈夫ですよ」と頷いた。


「ただ、もし興味があるなら免疫学を学んでみると良いかもしれませんね」


 あまりに日常生活とかけ離れた単語であったためか、ローゼの反応はいまいちであった。ただ、幼いなりに琴線に触れるものもあったのか、さきほど「先生になりたい」と語った彼女は鳶色の瞳に意志の煌きめいたものを灯して、問うた。


「……メンエキガクって、知ってると、役に立つ?」

「ええ、それはもう間違いなく」


 返ったのは即答だった。


「それに、本格的に医者や科学者を目指すのでなくても、正しく身に付けた知識は必ずどこかで役に立ちます。それは巡り巡って誰かの助けになることもあれば、自分自身の将来に大きな可能性を切り開くことに繋がったりもします。生きてる間に学ぶことに、無駄なものなんてひとつもないんですよ」


 まだ幼い少女にその言葉はどう捉えられたのか定かではない。しかし、彼女の眼の中で煌くものが、明らかに強い輝きへと変わったことは確かだった。


「へえ、ヴィルの癖に言うじゃない。だけど今は、別のことに集中したら?」


 今日一日で意外なものばかりを見ている、エメリーはそんな感嘆に近い思いを抱きつつも、ヴィルをせっついた。今取り組むべき本題は、あくまでレーゲンの治療なのだから。


「……とと、話が脇道に逸れましたね、すみませんレーゲンさん」

「あはは、まるで学校の先生みたいだったよ、ヴィル」

「いやはや、勘弁してください。私なんぞにはとてもとても」


 気を取り直したヴィルはレーゲンの服を丁寧に捲り上げると、その背に毒々しく腫れ上がった患部へ注射器の先端を当てがった。接触で痛みが生じたか、顔を歪ませたレーゲンに、ヴィルは訊ねる。


「麻酔、しときます? 痛くなくなりますよ?」

「……それって、例えば打ったところに痺れが残ったりする?」

「ええ、まあ。感覚はかなり鈍くなるでしょうね。少し経てば治りますが」


 その言葉で、レーゲンの覚悟は決まったらしい。彼女は食い縛るように笑うと、言った。


「じゃあ、しなくていいや。このまま、やって」

「分かりました。それじゃあチクッとしますよー」

「ええっ、ちょっ、軽――」


 口調の軽さと似て、注射針の刺し込みは実にあっさりと行われた。極細の鋭針は殆ど抵抗もなくレーゲンの皮膚を貫き通し、充填物を内部へと注入していく。


「痛、ぅ――ッ」


 そして、レーゲンが小さく呻き声を上げるのと、針が抜き取られるのはほぼ同時であった。注射はほんの一瞬で終わり、痕には極めて小さな血の玉が浮かんだのみ。ヴィルの処置は精密機械さながらの手際である。


「さて、ではお願いしますリウィアさん」


 役目を終えた人差し指を元の形に戻すヴィルへ、頷きを以て応じたリウィアは、柔らかな桜色の唇から滔々とエーテルへ訴えかける旋律を紡ぎ始める。


≪――水よ 水よ 冷にして湿の象徴たるエーテルよ≫


≪――其は流れるもの 其は運ぶもの≫

≪――総てを移ろわせていくもの≫


≪――其は柔らかきもの 其は産み出すもの≫

≪――総てを変じて形を留めぬもの≫


≪――其は潤すもの 其は浄いもの≫

≪――総てを清め洗い癒すもの≫


≪――満たし 沈め 凝華せし青の正二十面体よ≫

≪――原初の雫より零れ落ち 血と肉に交じりて宿るエーテルよ≫


≪――そうあれかし 水の理よ 永久に 永久に≫


 穏やかに注ぐせせらぎにも似た歌が空間を満たしていく。地の底に設けられた息詰まるような場が、不思議と柔らかく清められるような感覚を皆が味わい、そしてなによりも劇的な変化として――


「う、く……ッ!!」


 ――痛々しい紫黒色の打撲傷に埋め尽くされたレーゲンの背が、見る見るうちに癒されていき、本来の白く滑らかな地肌を取り戻していくのだ。驚きの声を上げる皆へとヴィルは説明を始める。


「私が今注入したのは、医療用極小機械群メディカル・ナノマシンと呼ばれるものです」

「……確か、目に見えないほど小さな自律機械、だっけ? 超越技巧(オーバーテック)の一種よね。実演を見てなければ、俄かには信じ難い代物だけど」


 口ではそう言いつつも、内心の訝しみを露骨な表情として表すエメリーに、ヴィルは苦笑と共に頷いた。


「その通りですエメリーさん、よく覚えてましたね。これ単体でも骨折や打撲を修復し、早期かつ清潔な状態なら切断された手足を繋ぎ合わせる程度の効果はあるんですが、代償として接種者のカロリーを大量に消費するんですよね」


 ローゼが首を傾げたので、ヴィルは捕捉をする。


「要は物凄くお腹が減るってことですよ。それこそ、立ち上がれなくなるほどの飢餓感と虚脱感に襲われるでしょうね。今後の展開を考えるなら、レーゲンさんが行動不能になるのはあまり歓迎できません」


 なので、


「レーゲンさんの空素系(エーテル・パス)に限定する形で補修と保護を行いました。人間がエーテルを体内で循環させるために形成する器官系(システム)の一つですね。東洋では経絡とも呼ばれましたっけ。ともかく、これなら患部自体を直接広範に修復するより、遥かにカロリー消費量はマシになります。つまり、必要最低限の補助をしたうえで、レーゲンさんには()()()()()()()()()()()わけですね」


 そこでヴィルは一度言葉を区切り、指を立てると、


「組み合わせの妙というヤツですねえ。レーゲンさんの回復能力、私の補佐、そしてなによりリウィアさんのエーテル整調。それぞれから必要な部分だけを抜き出して、最適な形で運用する。これぞ正しい意味での省エネの体現というものですよ」


 すると、エメリーが口を尖らせた。その見るからに不満気な表情にヴィルが「どうかしましたか」と問うと、


「……ねえ、私が含まれてないんだけど?」

「あれ、エメリーさん、今回なにかしましたっけ?」

「アンタを起こすためにエーテル結晶を供出したわ。“鉄棺熊”から出たやつ」


 ヴィルは納得したように手を打った。


「ああ、それで私の目覚めがやたらと過激になったわけですか」

「分かったんなら、労いの言葉ひとつくらい貰えても良いと思うけど?」


 半目を向けるエメリーに、ヴィルは「ふむ」と顎に手を当てると、


「どうせなら山盛りのご飯の方が良かったですねえ」

「その食欲だけに支配された思考、もう一回叩けば正常になるかしら」

「冗談ですよ、冗談。あ、ちょっ、二度は止めてください! 二度は!」


 再び黒檀の“共振杖(ブースター・ロッド)”を振り上げたエメリーからヴィルは後退ってみせた。

 いまだ窮地を脱したとはいえない状況。それでもどこか弛緩した雰囲気が生まれたのは、彼女たちの仲間がゆっくりと、しかし確実な力感と生気を伴って起き上がる様子を、皆が目の当たりにしたためだろう。


「――あはは。なんだか、すっかり普段通りって感じだね」


 立ち上がったレーゲンがそう言った。


 皆が見つめる中、レーゲンの顔色には健康的な血色が戻り、地を踏む足取りも危なげない。レーゲンは具合を確かめるように身体を捻り、動かし、やがて納得したように頷いた。


「まだ少し疼く感じはあるけど、動く分には問題無さそうだ」


 そうして彼女は片足を起点に軽やかな一回転をしてみせた。尻尾のような後ろ髪が翻り、中空に綺麗な弧を描いて流れる。己の無事を仲間たちに示すための実演行為であった。


「……というわけで。皆のおかげで私、レーゲン・アーヴェントは、無事に復活を果たしました! いぇい!」



 -§-



 すっかり元の調子を取り戻し、Vサインまで掲げて見せたレーゲンの姿に、皆は様々な反応を見せた。

 呆れたように目を細めつつ安堵の溜息を漏らすエメリー。普段通りの飄々とした笑みで「おめでとうございます」と拍手を送るヴィル。それに釣られて「お姉ちゃん、凄い!」と無邪気に喜ぶローゼ。


 中でもリウィアは花が咲くような満面の笑みを浮かべ、何度も「良かった」と繰り返していたが、不意にその赤らんだ頬を一筋の雫が滑り落ちた。

 彼女はいつの間にか泣いていたのだ。


「え、ちょっと、リウィア!? ど、どうしたの!? お腹痛い!?」


 素っ頓狂なことを言いだすレーゲンへ、リウィアは笑い泣きの表情のまま首を振った。よく熟れた林檎のように赤く染まった顔を俯かせ、胸の前で組んだ手指をもじもじと動かしながら、彼女はぽつぽつと呟き出す。


「違うんです。本当に、嬉しくて嬉しくて、仕方なくて……」


 それは何故か。答えは即座にリウィア自身の口から語られた。


「だって、歌以外になんの取り柄もない私が、その唯一の得意で苦しんでいる友達を助けられたんですから……! ずっと守られてばかりで、足手纏いなんじゃないかって、でもいまさら離れることもできなくて。私だけの力じゃないし、こんなことを喜ぶなんて、本当は駄目なのかも知れないけれど……。やっと私がレーゲンさんを助ける側になれたんだって、そう思ったら、なんだか……」


 取り留めもなく零れる言葉は、最後の方になると消え入るようなか細い声になっていた。言っているうちに恥ずかしくなったのか、リウィアは俯いてしまう。


 そんな彼女へとレーゲンは歩み寄り、小刻みに震える両手を、上から覆うように優しく握った。


 不意に与えられた暖かい感触にハッと顔を上げたリウィアへ、その瞳を真正面から見返しつつ、レーゲンは放つ。誰より心優しくしかし常に己を退いてしまいがちな少女が、ようやく垣間見せた本音に応えるための言葉を。


「あのさ、リウィア? まずひとつだけ、間違いを訂正させてね?」

「え、あ、は……はい? 間違いって、なんでしょうか……?」


 不安げに睫を震わせたリウィアへ、レーゲンは苦笑と共に言ってやった。


「リウィアを足手纏いに思ったことなんて一度もないよ。あのでっかい奴を追っ払うのにも力を貸してもらったし、そもそも普段から〈骸機獣(メトゥス)〉と戦うときにはリウィアの歌が頼りなんだから。それ以外にも色々と助けてもらってるし、命を救われたことだってたくさんあるんだよ。皆もそう思うでしょ?」


 同意を求めるレーゲンの声に、ヴィルが迷うことなく頷いた。


「ですねえ。リウィアさんがいなかったら、私たちは今頃全員揃って丸焼けですよ。それにエーテルを視ることに関しては私なんか足元にも及びませんし、“鉄棺熊”の囮を最初に看破したのはリウィアさんじゃないですか」


 もしもあの警告がなかったら、エメリーさんを助けられなかったかもしれません。そう言ってヴィルは小さく肩を竦め、


「それに私たちがちょっと険悪になったとき、……まあこれは大体エメリーさんとレーゲンさんの喧嘩が原因なんですが、そういう場合に収めてくれるのは必ずリウィアさんですし。ね、エメリーさん?」


 当然、エメリーにとっても否定する理由などあるはずがない。最後の問い掛けに関しては「余計なお世話よ」と渋い顔になりつつも、


「……そうね。助けるってことに関しては、むしろ私たちの中でも貴方が一番役割を果たしていると思うわ、リウィア。それはもちろん歌の力もだけど、日常の細かい部分で気を遣ってくれたりするの、私としてはすごく有難いのよ?」


 エメリーは他の二人を順々に指差して、


「他の連中は揃いも揃ってマイペースだし、私だけじゃこいつらの面倒は見切れないわ。それに貴方は「唯一の得意」って謙遜するけど、それだけで立派な戦力になってるのなら胸を張るべきよ。少なくとも私には真似できないもの」


 そうして、三人分の確信を込めた首肯に戸惑うリウィアへ、レーゲンは駄目押しとしての一言を打ち込んだ。


「ね? だから、足手纏いなんてこと、あるわけない! 今の私たちには、リウィアが居なくちゃ駄目なんだよ! 絶対に!」


 それで、すべて伝わったようだ。


「はい……、はい……!」


 リウィアは今度こそ否定や遠慮を前に置かず、仲間たちから送られた賛辞を受け入れた。何度も何度も、涙と喜びに塗れた顔を縦に振り、頷くことで。


 自分は「四人の旅行士(トラベラー)」の一員として、胸を張って良いのだと。



 -§-



「さあさあ、いつかの御返しです。今度は私がリウィアさんのお顔を綺麗にして差し上げましょう。大丈夫大丈夫、ほら遠慮なさらずに。諸々洗えば落ちますから」


 などと言いながらヴィルがリウィアの顔を拭ってやっている間、エメリーはこっそりレーゲンの傍へと近付き、耳打ちを交わした。


「……で? 実際のところ、アンタはどれだけ動けるの?」


 端的な問いは虚偽も誇張も赦さぬ鋭さを秘めていた。それにレーゲンは「バレてたか」と頬を掻きつつも、正直に返す。


「……体調だけでいうなら普段の八割くらい。時間でいうなら全力で動いて五分そこそこかなあ。それでも“奥の手”を使うだけの余力はあるし、本気を出すタイミングさえ間違えなければ、ちゃんと最後までやれるよ」


 深い瑠璃色の瞳には決意と確信が込められていた。

 エメリーはその視線を真正面から見返し、レーゲンが普段の楽観からものを言っていないことを理解する。

 故に溜息を吐き、肩を竦め、心底呆れたとばかりの口調で、


「なら、良いわ。精々頑張りなさい、アンタの意志を貫くために」


 突き放すような物言いを受け、レーゲンは眉尻を下げた笑みで、やや遠慮がちに訊ねる。


「あのさ。……やっぱり、少し怒ってる?」

「当然よ。今から少しお説教するけど、良いわね」

「……あはは、お手柔らかにお願いします」


 エメリーはヴィルとリウィアのやり取りを横目に見やりつつ、二人には聞こえないように声を潜め、レーゲンへと言う。


「……今回はアンタのやり方にトコトン付き合う、その前言を翻すつもりはないわ。ヴィルを救った時の無茶も、ヴィルにその責任を負わせなかったことで、目を瞑ってあげる。アンタはあくまでも()()()()の範疇で、可能性に賭けて、実際に勝ち取った。そこまでは良いわ――」


 だけどね、と。


「――それでもしアンタが死んでたら『ヴィルがどう感じたか』くらいは想像しておきなさい。リウィアもそうよ。私がアンタを赦すのは、アンタが今回()()()()()()()()に過ぎないって、肝に銘じておくことね」


 言いながら、エメリーは自分の言葉に苦さが混じるのを感じていた。


 レーゲンは「人助け」とあらば躊躇いもなくどこまでも突っ込んでいく。

 無論、今回に限っては抜き差しならぬ状況であったことは明らかであり、レーゲンが行動を起こしていなければヴィルは助からなかっただろう。

 彼女は彼女の行動理念に於ける「正しさ」を貫き通したのだと、エメリーだってそんなことは重々承知しているのだ。


「だから、よく聞きなさい。そして忘れないで」


 しかしそれでも、エメリーはあえて深く釘を刺していく。自分は一党の、特にレーゲンの抑え役(ブレーキ)なのだと、強く自認がある故に。


「私は、自殺志願者の仲間になったつもりはないのよ、レーゲン」


 実際に上手く行ったかどうかはこの際問題ではない。認めれば認めただけレーゲンが多くの成果を求めるようになるのは想像にも難くなかった。

 それが「人助け」の範疇で済むうちは良いが、自殺紛いの行為にまで発展すれば、それこそ取り返しが付かない。

 だから「キツめ」に言うのだ。そのせいで敬遠されても構わない。

 誰かを助けて自分は死ぬなどという結末を、少なくともエメリーはレーゲンに対し、絶対にさせるつもりはないのだから。


「アンタが私たちを仲間だと思ってるのなら、自己犠牲を前提とした行動を取るのはやめなさい。少なくとも、旅の終わりまで死ぬのは禁止よ。いいわね?」


 そう。この()()()()()()には、ひとりくらいバランスを取る者が必要なのだ。


 言葉を放つ間、エメリーは瞬きひとつせず、またレーゲンと合せた視線を外すこともなかった。そしてレーゲンもまた、切り裂くような鋭さを込めたエメリーの説教から退くことはせず、その結びに頷いてみせた。


「分かってる。私は死なないよ、エメリー」

「これほど信用できない言葉もないわね」

「じゃあ、私のしぶとさについては?」


 レーゲンが見せた挑むような目つきに、エメリーは片眉を上げて鼻を鳴らした。


「そうね、それをアンタが今後も証明し続けるのなら、考えてあげても良いわ」

「あはは。なら、エメリーはこのままずっと着いて来てくれるんだ?」

「お生憎様でした、妄言は耳に入れないことにしてるの」


 釣れないなあ、とレーゲンは笑った。その上で、


「でも、ヴィルは起きたし、私は立ち上がった。つまりここからが第二ラウンドだ。ここを出て、邪魔者を蹴散らして、ローゼを家へと送り届ける。エメリーもやる気でしょ? 特に、あいつへのリベンジに関しては」


 対して、エメリーははっきりと頷いた。


「当然よ。あの美的感覚の欠片もない蜥蜴の怪物に、今度こそ地面を這わせて泥を舐めさせてやるわ。このエメリー・グラナートを地の底に押し込めた報い、必ず受けさせてやろうじゃないの」


 エメリーが抱える蟠りには決着がついたようで、彼女は意気軒昂と戦意を燃やし始めた。そして同じタイミングでリウィアとヴィルも用を済ませたらしい。リウィアの目尻は赤くなっていたが、その顔には前向きな感情が表れている。


「それじゃ、さっそく作戦を考えようか!」


 音頭を取るのはレーゲンだ。歩み寄って来た二人を加え、集った四人の旅行士(トラベラー)は、改めて脱出のための策を練り始める。


「……と言ってもヴィルが目覚めた以上、やること自体は簡単なのよね」


 事も無げに言うエメリーの脳内には、すでにプランが出来上がっていた。彼女は皆へとそれを伝え、承諾を得る。

 意志の統一が完了したならば後は実行に移すだけだ。そして実際、やることそのものは、至極単純な力押しでしかなかった。


 まず、エメリーがヴィル以外の全員に≪浮遊≫と≪追従≫の詠唱術(ワード・エフェクト)を施す。地を離れふわりと浮き上がった三人が、互いに手を繋ぎ合ったことを確認した後、ヴィルがエメリーの身体を抱えた。


「うーん、一応、紐で固定した方がいいかも知れないね」


 レーゲンの提案を受け、レーゲンとリウィアとローゼ、エメリーとヴィルはお互いの身体を固く結びつけた。


 因みに、紐はレーゲンが自身のポーチから取り出したもので、彼女曰く「故郷のミランダ婆さん手製の凄く頑丈なもの」らしい。

 事実、その紐は素朴な外見と異様な軽さからは想像もできないほどに強靭かつしなやかで、試しにヴィルが力を込めても千切れないほどであった。


「ねえ、そのミランダ婆さんって人、もしかして魔導具技師ガジェット・マイスター?」

「いやあ、どうだろう……。毎朝早くから体操してるくらい元気な人だけど」

「……今になってアンタの故郷に興味が湧いて来たわ、レーゲン」


 エメリーは妙にしみじみと言いつつ、しっかりと自分の身体が固定されていることを確認したうえで、ヴィルに合図を出す。


「いいわよ、ヴィル」

「ほいほい、了解ですよ」


 ヴィルは頷き、硬く閉ざされた頭上を金色の瞳で見据えると、不敵に笑った。


「それでは皆さん。便利で頑丈、気は優しくて力持ち、一家に一台がお勧めの私、ヴィルベルヴィントがお送りする地上への直送便を、どうぞご堪能下さいませ」


 その奇妙な口上に併せて、エメリーは力ある(ワード)を紡ぎ出していく。


「――“冷にして乾なりしエーテルへ”、“我は求め訴えたり”、“土よその密と硬とを”、“今一時のみ解し緩め”、“我らに道を譲り給え”――」


 黒檀の“共振杖(ブースター・ロッド)”を、行く手を塞ぐ≪障壁≫のシェルターへと向け、一息に詠唱を完了する。


 引き金を弾くと同時に告げられるのは、その術の効果をも併せて表す名称だ。


「――≪隧道(ずいどう)≫!」


 緑色のエーテル光が弾け、黒檀杖の先端が向けられた先に変化が生じた。硬く押し込められた土壁の一ヵ所に、一瞬にして円筒状のトンネルが形成されたのだ。

 向きとしては斜め上、斜格にしてみれば四十度以上の急斜面である。

 紛れもない術の成功を前に、しかしエメリーの表情は口惜し気であった。


「……一発で地上までくり貫くのは、やっぱり難しい、か」


 その時エメリーが思い浮かべたのは、隔絶した才能を持つ自分の姉ならどうであったかという想像だ。それでも若き黒髪の空素術士(エーテル・ドライバー)は即座に気を取り直し、浮かんだ弱気を無駄として切り捨てると、


「ふん。まあ、良いわ。必要に応じて適宜唱えればいいだけのことよ。それじゃあヴィル、地上まで頼んだわよ」


 命運を託すべき相手に出発の許可を出した。


「ほいほい、お任せください――っと!」


 直送便の走り出しは、至極気楽な掛け声と地を蹴る甲高い音に彩られた。

 ヴィルは常人では両手両足を用いても登攀不可な急斜面を、両腕にエメリーを抱えたままにロケットの如き素晴らしい勢いで、≪隧道≫の内壁を蹴り付けて上へ上へと駆け上っていく。


 速度は等速に保たれていた。まるで見えない糸で引っ張り上げられるかのように、停滞という概念を置き去りにするような道行である。

 当然、途中で壁に引っ掛かるようなことはなかった。若草色(グラスグリーン)の長髪も、明るいオレンジ色のジャケットの裾も、ほんの僅かにさえ掠らせない。

 姿勢は常に一定でブレることはなく、それこそ鼻歌混じりの気軽さで、この卓越した身体機能を誇る魔導機人(マギノロイド)は、いとも容易く超絶技を成し遂げていく。


 一方、後続の三人もまた、ヴィルの動きに引っ張られるように――正確にはエメリーに追従しているのだが――やはり高速でトンネルの中を通過していく。


「ひゃわぁ……ッ!?」


 流石に恐怖心があるのか、ローゼは悲鳴を上げて目を瞑った。レーゲンとリウィアがその身体を抱き締めてやる。


 ヴィルは現在エネルギー節約のため、照明機能は使わず、熱線映像装置(サーモグラフィ)のみで視界を確保している。

 つまり生身の人間たちにとっては、正しく真っ暗闇をかっ飛んでいく状態になるので、相当にスリリングな体験だ。

 一歩間違えれば≪隧道≫の内壁に身体を擦られ、瞬く間に挽肉と化すだろう。


 それでも三人の少女は取り乱すことなくヴィルに身を任せ続けた。彼女ならば必ず、自分たちを安全に地上まで送り届けると、心の底から信頼しているからだ。


 また、猛加速によって生じる風が皆の顔を叩き、姿勢を揺るがせることもない。これはレーゲンが発揮する≪風繰り≫の技によるものだ。

 水と風、二属性のエーテルを身に宿す彼女は高い再生能力の他に、風を味方と変える加護を纏っていた。それが今、仲間たちをも守っていた。


 そして≪隧道≫の効果が途切れる箇所が近付けば、ヴィルが距離に余裕がある地点でエメリーに報せ、再び新たな詠唱術(ワード・エフェクト)が行使される。リウィアはエメリーの術を補佐するために≪土の歌≫を奏で続けた。


 四人の旅行士(トラベラー)たちは、各々の得意分野を持ち寄り力を合わせ、まさに一丸となって地上を目指す。


 やがて、眼前に光が差す。陽光だ。

 照らされた皆の表情に希望が芽吹き、笑みとなって結ばれた。

 地上への道が開かれたのである。そこまで至れば、もはや決まりきった事実を報せる以外に、描写を重ねる必要もあるまい。


 四人の若き旅行士(トラベラー)は互いに意志と力を出し合い、幼い少女を守りながら、見事に地上への帰還を果たしたのであった。



 -§-



「――さあ、到着ですよ!」


 景気の良いヴィルの呼び声に続き、五人の身体が深く暗い穴倉から一気に揃って飛び出した。久方ぶりの太陽の光、新鮮な空気。待ち望んだそれらを味わおうとした皆の表情はしかし、そこで緊迫したものへと引き締められる。


 レーゲンたちが地上に降り立った時、周辺の様子は一変していたのだ。


「……酷い」


 リウィアが思わず口元を抑え、呟いた。

 ここには森があったはずだ。深く豊かな緑の海が。

 しかし、かの暴威の体現者が去った後、そこに本来の形を保ったままの物体は何ひとつとして残されていなかった。


 遺跡の崩落と共に沈み込んだすべては、“恐嶽砲竜”によって跳ね除けられたことで一度空高くへと投げ出され、その後に再び地上に向かって雨霰と降り注いだ。

 土砂と木々で構成された豪雨は、その大質量により大地に叩きつけられた傍から砕け、広い範囲に満遍なく飛び散ったのだ。


 その結果、周辺一帯は粉々に砕けて混ざり合った森の残骸が降り積もり、あたかも巨大な鎚で無差別に打ち均されたような惨憺たる有様を見せつけていた。

 本来の色彩と景観を完全に喪失した森の成れ果てに、もはや生命の気配はない。

 この森を住処としていた動物たちも、巻き込まれた分は等しく肉も骨も粉微塵となって、単なる土砂の一部と成り果てただろう。


 故に動くものの気配は、ときおり微かな音を立てて崩れる砂山だけだ。辺りを支配する不気味なまでの静けさは、まさしく死の静寂に他ならない。


「森が……、」


 言葉を失う皆の中で、とりわけローゼが見せたショックは強いものだった。


「森が、なくなっちゃった。なくなっちゃったよ……」


 一時は恐怖と孤独を味わわされたとはいえ、現地民として長年親しんできた森がここまで蹂躙されたことには、深い哀しみと衝撃が先立つのも当然だろう。


「大丈夫だよ、ローゼ」


 そんな幼い少女に声を掛けたのはレーゲンだった。彼女は涙ぐむローゼの前に屈み込み、視線を合わせると、力強い口調で告げていく。


「私はずっと森に囲まれた村で生まれ育ったから分かるんだけどさ、自然の力ってすごく強いんだよ。時間はかなりかかるかもしれない。でも、そこに森を守り育む命がある限り、この森は絶対に甦るよ」


 その言葉にローゼは「本当?」と力なく問い返すが、


「本当だよ、ローゼたちがそうしてくんだ。他の誰でもなく、この地に住む人々が諦めない限り、きっとどうにかなる。気休めなんかじゃない。辛くても苦しくても、本当にこの森とオープスト村の暮らしを愛してるんなら、奪われたものを取り返せるはずだよ」


 レーゲンは、この先オープスト村の住民たちに待ち受ける苦難の存在を、誤魔化すことはしなかった。

 完全な復興までには多大な労力と時間を費やさねばならず、今まで通りの生活を続けるに当たって切り捨てなければならないものも多く出るだろうと、正しく認識していた。


 しかし彼女はあくまでも「前を向くこと」を選び、尊ぶ。余所者の分際で酷なことを言っていると、その自覚に内心では葛藤しながらも、今提示すべきは希望なのだと信じるが故に言葉を放つ。


「夢があるんだよね、ローゼ。やりたいことも、たくさん。だったら、これで挫けちゃ駄目だ。さっき私が教えた言葉、今も覚えてる?」


 ローゼは頷いた。そうして目尻いっぱいに浮かべた涙を首を振って払い落とし、曇りのない瞳でレーゲンを見つめ、口を開く。


「……何をするにもとりあえず笑え、笑ってるうちはへこたれない、へこたれないなら前に進める、前に進めばどうにかなるだろ。だよね、お姉ちゃん?」


 そうして彼女は――崩れかけの儚いものだとしても――笑ってみせた。今は取り繕いの痩せ我慢に過ぎなくとも、将来それを揺るぎない本物にしたいのだと、決意を込めて。


 だからこそ、そう、だからこそだ。


「凄いね、ローゼは……! 格好良いよ、とっても!」


 レーゲンはその未来を繋ぐために、命を懸けようと思えるのだ。


 ならば、そのために必要なものはなんだろうか? そのために退けなければならないものはどのようなものだろうか? 今自分たちは何処へ向かい、何と戦うべきなのだろうか?


 当然ながら彼女は分かっていた。

 西の空に響くのは、大気を揺るがす禍々しい咆哮。

 向き直れば、闇を塗り込めたような漆黒が彼方に聳え立っている。


「……“恐嶽砲竜”!」


 それが破滅の引き金を引いた存在だ。

 それが尊ぶべきものを踏み躙ろうとしている存在だ。

 それが未来へ続く道に立ち塞がった、打倒すべき障害なのだ。


「あいつをやっつけないと。でも、その前に……」


 レーゲンたちはローゼのために、野宿生活で培ったノウハウを用いて、小さいが堅牢なシェルターを素早く作り上げた。エメリーの空素術(エーテル・ドライブ)を元に、幼い少女が危険を逃れるには十分な空間を、崩壊した風景の中に構築する。


「ローゼ、ここで待っていてくれる? 今から私たち、ローゼの未来を邪魔するロクデナシを、やっつけてきちゃうからさ」


 そう言って、レーゲンはローゼの手に小さな布袋を握らせた。レーゲン自身が懐に忍ばせていたもので、外見上はなんの変哲もない小物に過ぎない。案の定、ローゼも正体を掴みかねて首を傾げた。


「これ、なに?」

「お守り、かな」


 はにかみながらレーゲンは答える。それは自分の母が作ったもので、危難を避ける「まじない」が掛けられているのだと。


「私の父さんが言うには本当になにかの力が込められているらしくて、まあ、実際に効果があるんだ。不思議だけどさ」


 思わずローゼはお守りをしげしげと眺めてみるが、特別な力のようなものは感じられなかった。そこにエメリーが皮肉気な笑みと共に言う。


「……大丈夫。信じても良いと思うわよ、それ。なにせ、この無鉄砲馬鹿が今まで死んでないくらいなんだから、相当のご利益があるんでしょうね。ある意味ではこれ以上ないお墨付きよ」


 その言い様にレーゲンは気まずそうに笑うだけで、しかし、続いた言葉は強い確信が込められたものであった。


「それと、手の平で包んでいる間は〈骸機獣(メトゥス)〉にも見つからないんだよ。あ、これは実体験ね。目の前を通り過ぎても襲われないくらいだから」


 かつて幼い日の頃、レーゲンはこのお守りによって実際に命を救われた経験があった。加えて今では数少ない母親の形見でもある。


 それほど大事なものをローゼに預ける理由はただひとつ。守るべき者に万が一でも危険があってはいけないと考えたからだ。


「お姉ちゃんは、良いの?」

「うん、後で返してもらえればね」


 だって、とレーゲンは笑った。


「今は、私の()()()はそれだけじゃないから」


 巡る瑠璃色の瞳は三人の仲間を順々に映し出していった。レーゲンは信じている。この素晴らしい仲間たちがいる限り、自分とこの世を繋ぐ縁は途切れたりしないのだと。故に、


「大丈夫、必ず戻ってくるよ」


 レーゲンは踵を返し、進んでいく。

 待ち受ける苦難へ向けて、信頼する仲間と共に。

 ローゼたちの未来を阻む悪意を、今こそ蹴散らさんと胸を張って。


「――行こう、皆」



 -§-



 そうして、二つの視点はようやく出会う。


 明日を生きるために、絶望に立ち向かい、今日を足掻いた騎士たちと。

 明日を繋げるために、絶望の淵から甦り、今日を歩む旅行士(トラベラー)たちと。


 始まりを告げるのはいつだって一陣の風だ。

 時に穏やかに、時に烈しく、絶望を祓い希望を運ぶ。

 古いものを掻き消して、新しいものの訪れを告げるために風は吹くのだ。


 舞台は繋がり、意志は集い、物語は合流する。


 草原を騒ぎ乱す四重奏は、まず、力強く空を揺らした風の音として――



 -§-



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