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通り雨の旅行士《トラベラー》  作者: 赤黒伊猫
序章:草原騒乱四重奏
20/41

シーン19:そして来るは――



 -§-



 〈骸機獣(メトゥス)〉の狂騒的逃走(スタンピード)が引き起こした地響きさえ伴う大騒音は、当然ながらイーリスの耳にも届いていた。


 鼓膜を激しく揺さぶる明らかな異常事態の報せに、しかし彼女が取り乱すことはなかった。直後に、良く知る男の吼声と、幾重にも重なった金属質の破壊音がけたたましく響き渡ったからだ。


(――リーンハルト、か)


 その思いに疑いなどは微塵もなかった。


 ふと横目に彼方の状況を確認すれば、やたらとデカい防波堤めいた物体が、いつの間にか草原の上に出現していた。リーンハルトが〈骸機獣(メトゥス)〉の進行を阻止するために講じた手段だろうと、イーリスは当たりをつける。そのうえで、溜息。


「派手にやりやがって。後の地均しが大変だぞ、ありゃ」


 これ以上ないほどに典型的な渋面を浮かべたイーリスは、


「……ま、始末書の一枚や二枚は何時ものことか」


 と、すぐに肩を竦めると、呆れたような苦笑と共に頷いた。


 イーリスはこれまでの経験から、現在のリーンハルトが取る問題解決方法が常に不器用で、かつ破壊的な結末に至ることを身に染みて理解していた。かつてはその「変化」を疎み、怖れたものだが、何度も繰り返されれば流石に慣れる。


(まあ、そりゃあ馬鹿力で手当たり次第にあれこれぶっ壊したり、こっちの言うことも聞かねぇで勝手に飛び出して行ったり、コミュ力欠如のせいで市民をビビらせたりした時にゃ、流石にアタシも怒るが……)


 彼がこと〈骸機獣(メトゥス)〉との相対において無駄な行動を取ることは有り得ない。


 ならば、あの「防波堤めいた物体」はリーンハルトが仕事を全うした結果であり、大きく抉れて罅割れた大地はこちらを守るために必要な要素だったのだろう。


(なら、仕方ねぇか)


 地獄の底まで彼に付き合うと決めた以上、諸々の面倒も抱き合わせだ。尻拭いは自分の担当だと、イーリスはとっくの昔に受け入れていた。


 ……それはそれとして諸々の憂さは溜まるので、時々はリーンハルトにぶつけて解消したりはするが、そういった「じゃれ合い」も含めてが今の自分と彼の関係だ。それを知らずに現場を目撃した者がたまにドン引きしてるのは気の毒だが、まあ、その辺りのバランスは昔からそういう感じだったので諦めてほしい。


 ともあれ今回の戦闘でも、≪遠隔会話≫を用いて釘を刺しはしたが、結局リーンハルトはしっかりと彼自身の役割を果たした。

 ならば、互いの信頼関係は揺らいでいないと、イーリスは確信できる。

 そしてそれは“シュレーダー隊”の隊員たちも含めた、人と人が団結して一つの大きな脅威に立ち向かうための力の根源だ。


(アタシがアイツを信じて任せたように、アイツもアタシたちを信じてくれたのなら、それは幸いと呼ぶべきだろうよ)


 協調、連帯、呼び方はなんでも良いのだ。同じ意志を共に抱く二十四人の騎士が、持ち得る死力を尽くしたならば――


「……テメーの足止めくらいは、できなくっちゃなぁ?」


 ――“恐嶽砲竜”とて、そう簡単には押し通れまい。


 強がりでもなんでも、意気を構える理由となるならば十分だ。再び身動ぎの様子を見せた暴威の体現者へ、引き金に指を掛けた“共振杖(ブースター・ロッド)”を油断なく向けながら、イーリスは歯を剥いた。不屈と闘志を示すための強い笑みを。


 対して、遥か上空に位置する“恐嶽砲竜”の赤濁した眼が……確かにイーリスを見返した。途端、思わずイーリスの背筋を凍えるような戦慄が走り抜ける。


「……へっ、お怒りかい。ゾッとしねぇな」


 悪態を零した自分の口の端が、微かに震えていることをイーリスは知る。まさに「射竦められる」といったところか。


 “恐嶽砲竜”の双眼に宿る感情は、煮え滾る溶岩でさえも焼き焦がすだろう、想像を絶するほどの狂熱を帯びた憤激と殺意だ。

 理解ってしまう。あれは、あの存在は、この世界の生命体すべてに対して、無尽蔵の殺戮衝動を向けているのだろう。

 それは個人が真正面から受け止めるにはあまりにも強大な重圧だ。


 それでもイーリスが断じて背を向けない理由はただひとつ。後方で槍を構える騎士たちに、副長ともあろう者が臆した姿を見せるわけにはいかないからだ。

 その一念がイーリスの崩れそうになる膝を支えていた。


(……なんならそのまま、ずっと呆けていてくれりゃあ楽だったんだがな)


 それでも、弱気な本音が胸に浮かぶことは避けられない。


 もし、まかり間違って“恐嶽砲竜”が戦闘を放棄して何処かへと歩み去ってくれたならば、どれだけ助かるだろうか。もっとも、そんなことは海の水がすべて砂金に変わるくらい有り得ないことだが……。


「チッ、下らねぇ考えだ」


 舌打ちひとつで不毛な妄想を振り払い、イーリスは“恐嶽砲竜”の出方を窺う。


 戦闘が始まって以降、あちらに対して有効打を一撃も与えられていないことは純然たる事実だ。“恐嶽砲竜”の歩みを、とりあえずは停止させるという作戦の第一段階は成功したが、対象がまだまだ元気一杯の状態であることには変わりがない。


 つまり、向こうは、やろうと思えばなんでもできるのだ。

 対して、こちらの攻撃手段に決定打はない。

 続く行動予測も不透明。出たとこ勝負のアドリブ任せと言っても過言ではない、渡るべき綱が千切れかけているも同然の状況に陥りつつある。


(どんな状況にだって対応はする、してみせる。だが……)


 その場凌ぎがいつまでも続く確率は限りなく低い。現状でさえ「策」の成否は、結局のところ“恐嶽砲竜”の胸先三寸次第なのだから。


 故に、どれだけか細く頼りない可能性であろうと、部下と民草の命を背負う以上、活路を見出し勝機を手繰り寄せるための思索は続けるべきだろう。


 イーリスは改めて、事前に想定した状況パターンの中から、今後の展開として有り得そうなものを幾つかピックアップしていく。



 -§-



 まず、あの一斉射撃が再び行われた場合だが、おそらくはこれが最も単純な展開となる。


 なにせ、やることはさきほどの繰り返しになるからだ。

 防ぎ、挑発して、また防ぐ。“恐嶽砲竜”が痺れを切らすか、こちらが力尽きるかのチキンレースではあるが、単純に時間稼ぎとして考えるならば上々だろう。

 運さえ良ければ生き残りの撤退も不可能ではない、……もちろん、長引けば非常な損耗は避けられないだろうが。


 次に、“恐嶽砲竜”がこちらを避けて首都を目指した場合。そうなるとこちらは、その歩みを邪魔するのに徹することになる。


 つまりは陣を徐々に後退させながらの遅滞戦闘であるが、隊員の負担が跳ね上がるうえに、残りの弾薬を考慮するとあまり嬉しい状況ではない。

 また必然的に戦闘時間が長くなるため、“恐嶽砲竜”が垂れ流した瘴気から、また新たな〈骸機獣(メトゥス)〉の大群が生み出されてしまう。

 そうなればイーリスも迎撃に参加しなければならなくなるので、流れによっては、防御が手薄となった隙を突かれて戦線崩壊する恐れが強い。


 最後に、考え得る限りでの最悪のパターンだが……、


(……“恐嶽砲竜”が、なりふり構わずにアタシたちを踏み潰して、強引に突破しようとした場合だ)


 そうなれば、完全に絶望だ。

 ただ動くだけでも大規模の破壊を周囲に撒き散らす巨体が全力で暴れ狂ったならば、()()()()()()()()()()()

 そもそも一心不乱に進撃する数十メートル近い質量物を止める手段は皆無に等しく、例えイーリスが空素術士(エーテル・ドライバー)としての寿命を全て費やす覚悟で雷撃を撃ち込んだとしても、致命傷に至らせることはできないだろう。

 なにより、一撃で命を断てないのならば、“恐嶽砲竜”は止まらないのだ。


(……詰みかけてるかも知れねぇな、こりゃあ)


 イーリスは胃の腑に鉛の如き苦さを感じた。


 作戦を立案した段階で「自分の死」は――あらゆる手を尽くして生き足掻く決意とは切り離した次元で――ほぼ確定事項として受け入れている。


 しかし、()()()()()()ではいけない。後に続く者たちのためにも、“シュレーダー隊”は一秒でも長く“恐嶽砲竜”を足止めし、その過程で可能な限りのダメージを与えなければならないのだ。


(冗談じゃねぇぞ。全員死ぬまで戦って、結局のところ鱗一枚剥がせませんでした、なんてのはよ……!)


 やはり、どうにかして「策」を通さなければならない。

 長丁場の耐久戦になることを想定してはいたが、このままでは間違いなくジリ貧だ。どこかのタイミングでこちらが優位を取らなければならない。

 それもできれば、可能な限り早急に。“シュレーダー隊”が戦闘群として、十全に機能するうちに、だ。


 そして、〈()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、無理無茶無謀を多分に含む手段だとしても、()()以外に方法はなかった。


(どうする? どうする、イーリス・アーベライン? どうすりゃあ、奴から()()を引き出せる……ッ!?)


 高速回転し過熱していくイーリスの思考は、短絡寸前の狭間を彷徨った。

 脳裡に火花が瞬いては消え、像を結びかけた途端に焼失する。とうとう、焦げ付くような匂いさえも幻覚めいて感じられた、その時。


(――……待てよ?)


 イーリスはふと、とある思い付きを得た。

 それは一際眩く輝いた閃光を、無我夢中で掴み取ったような閃きだ。

 曖昧な輪郭は急速に纏まっていき、やがて異様な説得力を伴って像を結ぶ。寸前、イーリスは「狂気の沙汰だ」と一度だけ考えるが、


(……そもそも、今この状況が「狂気の沙汰」以外の何物でもねぇ、か)


 どうせ手を拱いていれば無為に死ぬだけなのだ。


 無論、実際に通用するかどうかは分からない。しかし、“恐嶽砲竜”が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


(……やってみる価値は、ある)


 決断は即座。イーリスは――ともすれば徒労に終わるやもしれない、作戦と呼ぶには儚いにもほどがある賭けを――迷わず実行することにした。



 -§-



 ――…………ッ!!!!


 “恐嶽砲竜”は己の内で猛り狂う憤激を堪えていた。


 もしもこの〈骸機獣(メトゥス)〉が真に不死不壊の存在であったならば、躊躇うことなく自らの脳髄に鉤爪を突き込み、果実に湧いた虫の如く思考を食い荒らす「不愉快」の三文字を物理的に掻き出していたことだろう。

 それだけ、一旦は滅殺対象と定めた存在が今もなお生存しているという状況は、“恐嶽砲竜”にとって有り得べからざるものであったのだ。


 ましてや、都市一つを薙ぎ払うことさえ可能な威力で放ったはずの攻撃が、よりにもよって「たったひとりの人間」に防がれたという事実に対し、“恐嶽砲竜”が受けた衝撃と屈辱は如何程であっただろうか。


 ――殺す、殺す、殺す……ッ!!


 なまじ勝利を確信していただけに、反動として襲う失望は計り知れない。


 もはや人間どもの拠点を一つや二つ踏み潰すだけでは飽き足らない。この世界そのものを焼き尽くしてしまわねば収まらない激怒が“恐嶽砲竜”の身体と意志を灼熱で満たす。


 故にこそ、次なる行動は迅速かつ情け容赦のない進軍へと向かうのが自然であったが……、


 ――あの女だけは、この手で、確実に殺す……ッ!!


 その前に“恐嶽砲竜”は、己を貶めた赤銅髪の空素術士(エーテル・ドライバー)へと、必ずや復讐を果たさねばならないと決意していた。

 そう、この時点においてイーリス・アーベラインは、災害にも等しい脅威から直接の「敵」として定められたのだ。

 かつて英雄と呼ばれた者たちが、そうであったように。


 だからこそ“恐嶽砲竜”は今にも爆発寸前の激情を堪え、再攻撃の態勢を整えることに徹した。


 「敵」を今度こそ確実に葬り去るためには、生半可な用意では足りないと理解したからだ。底無しの残虐性と殺戮機械めいた冷徹さが矛盾なく同居する。根本的に〈骸機獣(メトゥス)〉とはそういう存在であった。


 “恐嶽砲竜”の体内で、弾薬生産機関が唸りを上げて最大稼働し、同時に身体各部の装甲が解放され最大効率での排熱が行われていく。

 その存在が外部へ向けて引き起こす無秩序にして甚大な破壊とは裏腹、その内部に秘められた機能はあくまでも繊細かつ精密なものだ。あらゆる動作は高速で実行され、再起動までに要する時間は、その体格からは想像もできないほどに短い。


 つまり“恐嶽砲竜”は決して鈍重な存在ではなく、むしろ、爪先に至るまでの自分自身を完全に制御できているのだ。本来ならば立って歩くことさえ困難な超重量の身でありながら、戦闘行動に関して自己意志を叶える様は、完璧に人員統制された巨大戦艦の作戦行動にも勝る精度の証明に他ならない。


 この巨山の如き超大型〈骸機獣(メトゥス)〉は、言い様によっては芸術作品と称せるほどの、高度な組織的構造物システマティック・コンストラクトであった。


 ……やがて準備を完遂した“恐嶽砲竜”は、再び()()()()


 すでに排熱は完了し、全身の砲塔は即時発射が可能な状態へと整えられていた。もはや己を縛る枷は存在せず、思うが儘に全力を振るうことが可能な状態だ。


 さあ、どのようにしてあの女を殺してやろうか?


 期待感にも似た――実際には極限まで高まった憤怒だ――感情を解き放つ引き金に、ようやく“恐嶽砲竜”の意志(指先)が掛かる。


 そして、標的とすべき眼下の「敵」と視線を合わせ、圧し潰すように殺意を向けたその直後――


「――≪ブリッツ・ラケーテ≫ッ!!」


 ――“恐嶽砲竜”の顔面に、鋭い雷撃が、突き刺さった。



 -§-



 雷撃が爆ぜる音は、例えるならば赤子の平手打ちにも等しい、極々かすかなものであった。


 間違っても“恐嶽砲竜”に痛痒を通せるような威力はなく、漆黒の装甲表面で他愛なく弾かれて大気に溶ける程度の、攻撃と呼ぶにはあまりにお粗末な一撃である。それは牙の一本、鱗の一枚、失わせることはできない。


 ただし、ひとつだけ発揮された絶大な付与効果として――


「どうだい、目覚めのビンタは効くだろうが」


 ――雷撃に続いてイーリス・アーベラインの放った口撃が、“恐嶽砲竜”の尊厳(プライド)を、著しく抉り踏み躙った。



 -§-



 ――…………、


 微かな衝撃と共に“恐嶽砲竜”の眼前がホワイトアウトする。

 しかし、それもほんの一瞬だ。

 即座に復旧した視覚機能には後遺症もなく、顕微鏡の如く精密な“恐嶽砲竜”の両眼がイーリスの姿を正確に捉える。


 ――……貴様。


 “恐嶽砲竜”の思考は空白の状態となっていた。

 驚愕、呆然、喪心。

 度を越した激情が却って感情から色彩を消し飛ばしてしまい、知覚する全ては真っ白に染め上げられたようになる。

 故に、その表情と口の動き(嘲笑と侮蔑)は、一切のノイズなく“恐嶽砲竜”の意識へと突き刺さっていた。


「どうした? 感謝しろや寝坊助さんよ。ボンヤリしてたようだから、気付けの一発をくれてやったんだぜ。目覚めのキスというには少しばかり過激だが、その図体のデカさには丁度良いだろうが」


 肩を竦め、片目を細め、唇を吊り上げるという所作。紛れもなく挑発を目的とした行動だ。そこまでを正確に認識し、しかし“恐嶽砲竜”は()()()()


 ――なにを、言っているのか。


 勿論、文章としての意味は理解できている。人間如きが囀る言語程度は、ほぼ完全に分析し終えているからだ。

 しかし、この赤銅髪の空素術士(エーテル・ドライバー)が囀る言葉の、意味が分からなかった。

 己の死が決定付けられたような状況で、何故この女は、そんな下らない戯言を垂れ流せるのだろうか。


「……まあ、良いさ。端から礼なんて期待してねぇからよ。所詮、テメーはアタシの心遣いも理解できないような木偶の坊さ。ああ、そうだろうとも、なんせ――」


 そして“恐嶽砲竜”は聞いた。

 自らのくるぶしにも届かぬような矮小な生命体が放った、覆しようがないほどに絶対的な彼我の戦力差に対して、中指を突き立てるが如き暴言を。

 決して看過することのできない、身の程知らずの大言壮語を。


「――人間如きに、精魂込めた全力の攻撃を、あっさり防がれちまうんだからなぁ!! お笑いだぜ、如何にも仰々しく身体のあっちこっちから鉄砲生やしておきながら、結局はアタシひとり殺せねぇんだからよ!! テメーのよろけ弾なんぞ、何千発撃たれようがカスだぜカス!! なあ!?」


 途端、彼女の背後に控えていた二十二人の騎士たちが、あろうことか一斉に声を揃えて大笑を始めた。

 ある者は大きく肩を震わせ、ある者は大袈裟に膝を叩く。

 誰もが“恐嶽砲竜”を嘲笑っていた。全力を尽くしても人間一匹殺せない、見掛け倒しの期待外れを指差し、愉快で堪らないとばかりに。


 もはや眼前の光景が信じられず、動作を硬直させた“恐嶽砲竜”へ向けて、イーリスはわざとらしい溜息を見せつけた。

 そのうえで彼女は笑みを消し、付け加える。

 率直な、決定的な、不可解の余地のない、トドメの一言を。


「悔しかったらアタシを殺してみろや、テメーの()()()()とやらでよ!!」


 そして、……それに対する反応は劇的であった。


 “恐嶽砲竜”が――顎を、開く。



 -§-



 この時“恐嶽砲竜”を衝き動かしたのは、白熱化した純粋たる殺意だ。

 すなわち「この存在をもはや一秒足りとも生かしてはおくものか」という、不可逆の決断的思考である。


 そんな存在をどうするべきか。決まっている。焼き尽くし、塵と変え、消し飛ばせば良い。()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 なるほど、所詮は指先一つで軽く踏み躙れる命だ。ただ殺すだけならば、いつでもどのようにでも容易く可能である。

 ならば今すぐでも問題はあるまい。見え透いた挑発にも、あえて乗ってやろう。

 何故ならば、結果は分かり切っているからだ。


 そうとも。精々後悔するといい。


 髪も肌も目も鼻も耳もあらゆるものを引き剥がされ、脳髄から子宮までの全てが溶け落ち、伽藍洞になった骨格が消し炭へと変わるまでの刹那に。絶命までの限りなく短い時間に凝縮された恐怖と絶望を味わいながら、生まれてきたこと自体が過ちであったのだ、と。


 “恐嶽砲竜”は一瞬も躊躇わず、一分の迷いもなく、己の機能を行使する。その先触れは、上下に大きく裂け開いた口腔腔奥、そこに備えられた極高温火炎放射器の先端に、ほんの微かな灯火が宿ったことだ。


 例えるならば夜闇に灯された蝋燭の火。一見して儚く思える橙色の光はその実、極限まで収束された()()()()()だ。


 「物質の温度は圧縮されるにつれて上昇する」。

 これはある高名な科学者が提唱した物理法則の一部を抜き出した理論だが、では仮に()()()()()()()()()()()()()()()


 それは本来ならば有り得ない状況だ。

 自然にはまず起こり得ず、人為的にもエーテルに訴えかける御業を用いてのみ実現可能な、物理法則への叛逆に等しい異常現象である。

 「燃焼」という概念を覆し捻じ曲げる、矛盾と破綻に満ちた不可能技術を……この暴威の体現者は現実へと顕現させたのだ。


 即ち、放たれる威力の名は――極大熱閃光砲(プラズマ・キャノン)


 そして、“恐嶽砲竜”の顎から迸った一万度超過の莫大熱量を秘めた破壊の閃光が……世界を白く灼いた!


 その凄まじい光量は天に坐す太陽が地上へと降りてきたかの如く。

 轟、と大気が一瞬にして焼け焦げる音が遥か彼方まで鳴り渡り、莫大なエネルギーの余波は上空に漂っていた綿雲を残らず吹き飛ばす。

 “恐嶽砲竜”の周囲、瘴気の汚染を免れて微かに生き残っていた草原が、一秒もかからぬうちに炭となって消えた。


 極高温の影響はそれに止まらず、遠く離れたオープスト村にも害を為した。

 屋外に置かれた水瓶の貯水が急激に干上がり、やがて瓶自体も罅割れて砕ける。積まれていた枯草が次々に発火し、果樹の木々は葉も果実も萎れ、取り残された家畜たちが悶え苦しみながら倒れていく。

 余波を喰らっただけで、人影の絶えた村は甚大なダメージを被った。


 それはまさに、世界そのものを焼却しかねない一撃だった。

 遺跡の地下において、半人前の空素術士(エーテル・ドライバー)を相手に用いた火炎などとは、もはや規模も威力も比べ物にならない。

 これこそが“恐嶽砲竜”の放つ最大火力にして、灼熱地獄を現世に呼び出すも同義の暴竜の息吹(ドラゴン・ブレス)。現代に蘇った神話の体現。


 それは立ち塞がる全てを等しく灰塵へと帰す、圧倒的な存在の差であった。


 所詮、人間如きが抗うことなど夢想であったのだろうか?

 イーリスが講じた「策」も無為と果て、彼女を含む騎士たちもまた、その身を塵芥へと変えられたのだろうか?

 命を懸けて示さんとした誇りも、守護の意志も、残酷な現実を前に容易く踏み躙られるだけなのだろうか?


 ――否、である。



 -§-



(そうとも、アタシはそいつを待ってたんだよ……ッ!!)



 -§-



 “恐嶽砲竜”が顎を開いた瞬間にイーリスが見せた表情は、逃れられぬ死を前にした者が浮かべる絶望ではなかった。

 むしろその真逆。当たりくじを念願叶って引き当てた時のような、興奮と歓喜に満ち満ちた笑みであった。


 そう、イーリスは賭けに勝った。

 「自分自身と二十二人の騎士が健在のまま“恐嶽砲竜”に最大火力の攻撃を使わせる」という、薄氷を履むが如き可能性を、ついに実現させたのだ。

 挑発という、あまりにも原始的な手段で以てして。


 自殺行為にも等しい暴挙であるはずのその行為は、しかしイーリス・アーベラインにとっては()()()()()()()()()()辿()()()()ために必要不可欠な過程だったのだ。


 そして、望む未来を手元まで手繰り寄せられたならば、後はそれをなにがなんでも達成するだけだ。


 極大熱閃光砲(プラズマ・キャノン)が放たれるまでの数秒間。イーリスと“シュレーダー隊”の隊員たちは、予め取り決めた通りに行動を起こした。彼女らがこれより行うのは、まさに空前絶後の荒業である。


「行くぜ、野郎ども……ッ!!」


 極限まで高まった緊張感と集中が、隊員たちの相貌から血の気を奪っていた。それでも、皆の動きに淀みはない。

 この場に居合わせた誇り高き騎士たちは信じているからだ。これまでに自分たちの積み上げてきた修練が、副長の講じた「策」を完遂させることを。


「――“盾”、“構え”ェ――ッ!!」


 決断的な号令を合図とし、まず騎士たちが一斉に機銃槍を大地に突き立て、無手となる。そうして自由になった両腕を“恐嶽砲竜”へ向けて突き出すと同時、その両手の平にエーテル光が宿った。蛍火のような淡い燐光は素早く複雑な文様を描き出し、やがてそれが完成すると同時に一つの力を生み出す。


「――≪クラフト()シルト()≫、展開完了ッ!!」


 現れたのは騎士たちがそう呼ぶ通りの「盾」だ。眩い光を放つ半透明の障壁が都合二十二枚、“シュレーダー隊”の上空を覆うようにして、多重層に展開されたのである。


 これは戦闘鎧(コンバット・メイル)手甲(ガントレット)に備えられた機能だ。

 幾つかの簡易的な空素術(エーテル・ドライブ)を、戦闘中に争われる一刻一秒さえも取り零さぬよう、極めて短時間に行使するための仕組みである。

 なお、先だって一人の隊員が≪フリーゲン・クラッペ≫という詠唱術(ワード・エフェクト)を用いた際にも、発動を補助する役割としてこの機能は働いている。


 そして、二十二枚重ねの≪クラフト()シルト()≫が完成したとほぼ同時――


「――来るぞォッ!! 気張れよォッ!!」


 ――“恐嶽砲竜”の顎から閃光が放たれた!!


「ぉ、おお、おおおおおオオオオオ――ッ!!?!」


 騎士たちが雄叫びを上げた。それは己を鼓舞するものではなく、純粋にして強大な恐怖から生まれた、悲鳴に近い絶叫だ。


 事実、彼らの視線の先で≪クラフト()シルト()≫は破壊の閃光により、ビスケットでも割るようにいとも容易く砕かれていく。

 白一色に染め上げられた世界の中で、戦闘鎧(コンバット・メイル)と≪クラフト()シルト()≫に守られていながら全身に襲う耐え難い灼熱感が、どうしようもないほどに「死の実感」を彼らへと突き付けた。


 しかし、それでも――


「……“盾”、“構え”ェエエエエエ――ッ!!!!」


 ――諦める者は、一人もいない。


 騎士たちは≪クラフト()シルト()≫が砕かれる端から、再び新しいものを作り出していった。声を張り上げ、全身に汗を浮かせながら、より力強く両腕を突き出す。


 抵抗と言うにはあまりに儚く無謀な挑戦だ。

 二十二人の騎士が全力を以て構築する防護の力は、玉葱の皮でも剥くかの如くに次々と剥ぎ取られていく。

 “恐嶽砲竜”の最大火力を阻むことは到底敵わず、ほんの僅かな抵抗を生み出しては、すぐさま押し破られる。


 このまま押し止められたとして、限界はせいぜい十秒程度。

 それが“シュレーダー隊”に残された人生の、ごくわずかな猶予。

 彼らが骨の一欠片さえ残さずこの世から焼失するまでの残酷な制限時間だ。


 もはや逃げることも叶わない。役目を放り出して駆け出したところで、迫る破壊の閃光は周囲一帯ごと全てを焼き尽くすだろう。


 ……なのに、諦める者は、一人もいないのだ。

 

 誰もが死に物狂いで抗い続ける。

 詠唱を止めずに己の持ち場を維持し続ける。

 震えの止まらない両脚で大地を踏み締め、眩む世界を睨み続ける。


 彼らが苦痛に耐えて生き続ける理由はただ一つ。


「――“我が胸には”――」


 イーリス・アーベラインの詠唱が、聞こえているからだ。



 -§-



「――“我が胸には力在りて”、“我が声には意志在り”――」


 “恐嶽砲竜”が顎を開いた時、イーリスはすでに詠唱を開始していた。


 その苦悶に満ちた表情。浅く伏せられた瞼と、額をしとどに流れ落ちる玉のような汗は、凄まじい熱量に晒されていながら彼女の精神集中(コンセントレイト)が極限まで高まっていることの証明である。


「――“力は意志と”、“意志は力と”、“結び繋ぎて詞を紡がん”――」


 滑らかな活舌で紡がれる力ある(ワード)は、多くても大抵は四語、少なければ一語の発動詞(トリガー)で行使可能な〈大鷲式(アードラー)〉としては異常なほどに長い。裏を返せば、今イーリスが試みる詠唱術(ワード・エフェクト)が、それだけ強力な効果を発揮するということだ。


「――“我は求め訴え”、“力在りし詞を以て命ず”、“そうあれかし”――」


 周囲に響き渡る隊員たちの絶叫も、砕かれていく防護の力の断末魔も、今だけはなにもかもをイーリスは思考から締め出した。外界と完全に切り離された思考の海の中、感情を焚べて燃え盛らせるのは詞に宿すべき力であり、世界の理を捻じ曲げる意志だ。


「――“其は如何なる暴威をも跳ね除ける守護”――」


 徐々に≪クラフト()シルト()≫の展開が追いつかなくなってきていた。

 極大熱閃光砲(プラズマ・キャノン)の威力は微塵たりとも減衰しないまま、益々勢い盛んにして地表へと到達を目指す。


「――“瑕疵なき城塞”、“完全無比の盾”、“曇りなき鏡面”――」


 一人またひとりと、力尽きた隊員たちが膝を折り始めた。

 彼らは地に這いつくばりながらも、まだ声を振り絞ろうとしてしかし叶わず、代わりに喉奥から喀血する。

 人間である以上は決して越えられない心肺機能の限界だ。口惜しさを満面に浮かべる仲間へ、残る騎士たちは抗う姿を見せ続ける。


「――“其は絶対的なる断絶にして不可侵の壁”――」

「――“貫き通せるものはなく先へ行くものもなし”――」

「――“故にこそ重ねて定義するは因果を応報する理”――」


 やがて、ついにすべての騎士たちが頽れた。

 防護の力は尽き、騎士たちは無防備のまま灼熱の暴威に晒される。

 涙も汗も一瞬にして蒸発する地獄のような熱感には目も開けていられず、しかし凄まじい閃光は頭部装甲(ヘルメット)の防護機能を易々と貫通し、瞼の裏に突き刺さる。


 誰もが想像を絶する苦痛に喘ぎ、それも数瞬後には死を以て解放される定めが迫る、阿鼻叫喚の状況下で――


「――“すべては反転する”――」


 ――イーリス・アーベラインは、力ある(ワード)を、完成させた。


「――≪グレンツェン(輝光)レフレクスィオーン(反射)≫……ッ!!!!」


 すなわち、()()()()()を。



 -§-



 そして、その意志と権能に従って、すべては反転する。


 目も眩まんばかりの激しい閃光が迸り、()()()()()()()()()()()()()()()()()が機能する。絶対防御を誇る光盾に受け止められた極大熱閃光砲(プラズマ・キャノン)は因果応報の理に従い、往路を遡って行使者の下へと撃ち返された。


 それは偶然にも少し前にエメリー・グラナートが成功させた逆襲行為に酷似していた。イーリスは暴威の体現者が撃ち放った攻撃を、()()()()()()()()のである。


「生憎()()()()()()()は間に合ってるんでな、突っ返させてもらうぞ……。テメェが吐き出した最大火力、そのまま自分自身で味わいやがれ――ッ!!」


 これで“恐嶽砲竜”は文字通り、()()()()()()()()()()()()()()によって、その身を穿たれることになる。それは如何に頑健無比を誇る超巨大〈骸機獣(メトゥス)〉とて、直撃すれば確実に致命傷をもたらす必殺の一撃だ。


 ……直撃すれば、だが。


「――GoWuAGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!!!」


 “恐嶽砲竜”は、耐えた。無論、その身体で受け止めたのではない。


 この暴威の体現者は、己を目掛けて巻き戻ろうとする破壊の閃光を、強引に再発射した二発目の極大熱閃光砲(プラズマ・キャノン)によって相殺せんと試みたのだ。

 一発目が最大火力ならば、二発目もまた最大火力。

 均衡する威力は激突し、中間地点で凄まじい閃光放電を放ちながら炸裂する。


 なるほど、イーリスは確かに“恐嶽砲竜”の最大火力を防いでみせた。それどころか敵の攻撃を利用して、現状の装備と人員では撃破不可能であったはずの標的に、必殺の有効打を送り込むという空前絶後の荒業まで果たした。


 しかし、これでは結局、元の木阿弥だ。


 無理な機関駆動の代償として“恐嶽砲竜”はさきほどよりも遥かに長い放熱を強いられることになるだろうが、その後で精魂尽き果てた“シュレーダー隊”を嬲り殺しにすることなど、まさに瀕死の蟻を踏み躙るが如き容易さであろう。


 “恐嶽砲竜”は憶えていたのだ。地下での相対にて、己に予想外の屈辱を刻み込んだ、黒髪の空素術士(エーテル・ドライバー)のことを。

 だからこそ、イーリスが発動した術の性質が「反射」であることを即座に理解し、それに対応することができた。できてしまった。

 かの少女はすでに地下深くに埋もれて消え、その奮闘が巡り巡って“恐嶽砲竜”に利する結果となったのだから、これを皮肉な因果と呼ばずにいられるだろうか。


 全ては、無意味であった。


 “恐嶽砲竜”は紛れもない驚愕に打たれつつも、己の勝利を確信する。

 ただの小娘と侮ったことは完全な過ちであった。この赤銅髪の空素術士(エーテル・ドライバー)は、仲間の力を借りることでこちらの命にまで迫って来たのだから。

 驚嘆すべき、そして恐るべき「敵」である。


 ――このような人間がいるならば、もはや油断はできないだろう。


 “恐嶽砲竜”は学習する。今後、人間の拠点を攻める際にはもはや一瞬たりとも油断はしまいと。まったくもって人間とは、その身体こそ豆粒ほどに矮小でありながら、全力で滅ぼすに値する生命体だ。


 なればこそ確実に、この「敵」はこの場で、跡形もなく地上から消し去る。


 遥か遠く、決死の形相で駆け付けてくる長身痩躯の男を視界に入れつつ、眼下の空素術士(エーテル・ドライバー)が力尽きるまでもう間もなくだと考えた“恐嶽砲竜”は――


「ま、ぬ、け」


 ――そのように、イーリス・アーベラインの口元が動いた事実を、その類稀なる視力で目撃した。



 -§-



 実のところ、イーリスは最初から、反射術だけで“恐嶽砲竜”を倒せるとは考えていなかった。敵の最大火力を単純に返したところで、二の矢による迎撃が来る可能性を、彼女は過去のデータから想定していたのだ。


 しかし裏を返せば、それが“恐嶽砲竜”が出力可能な火力の限界ということになる。ならばそこにイーリス自身の雷撃を上乗せし、相乗効果で大幅に威力を増幅させて撃ち出せば、どうなるだろうか?


 その答えは単純明快である。



 -§-



 詠唱の原理を解体してみれば、それはあくまで音の揺らぎによって、エーテルを術者の思うが儘に操るための業でしかない。


 正確な音律、抑揚、拍子といった要素が求められることを前提として、しかし最終的には強固にして強靭な意志がモノをいう。それは世界を改変し、現象を確立するという、己が意志で物理法則を捻じ曲げる覚悟である。


 ――イーリスはそれを示した!


 「――ぉ、ああああああああああッ!!」


 脳内で組み上げた理論を音階へと変じ、肺臓から吐き出す呼気へと乗せ、目の前に広がる世界すべてを支配せんと、さらなる発動詞(トリガー)を迸らせる!


「――“其は雷”、“其は我が力”、“其は万里を駆ける煌き”――ッ!!」


 イーリスが、絶叫する! 〈大鷲式(アードラー)〉の“共振杖(ブースター・ロッド)”を天高くへ突き出し、真鍮色の瞳をかっぴらき、喉奥から振り絞るようにしてエーテルへと訴えかけた!


「――“収束”――ッ!!」

「――“転化”――ッ!!」

「――“反射”――ッ!!」


 声も枯れよとばかり、重ねて三語。その力ある(ワード)から齎されるのは、〈万雷閃〉イーリス・アーベラインが誇るもう一つの十八番にして最大絶技だ! すなわち雷撃系詠唱術(ワード・エフェクト)()()とは正反対に座標を置く、()()技術の極致!


「――“其は天を穿ち空を貫く雷鎚の撃槍”――ッ!!」


 もはやイーリスの周囲で弾けるエーテル光は、それ自体が爆発的なエネルギーを伴う放電現象と化している!

 炸裂する紫電が縦横無尽の煌きとして駆け回り、絶え間ない破裂音を響かせる!

 雷雲の渦中にも等しい状況下、それでも赤銅髪の空素術士(エーテル・ドライバー)は己の力に一切の恐れも躊躇いもなく、引き金を弾く!!


 そして、その名を叫んだ!!


「――≪ドンナー(雷鎚)ランツェ(撃槍)カノーネ()≫ェエエエエエエエエエエ――ッ!!」


 直後、イーリスが掲げる“共振杖(ブースター・ロッド)”の先端から迸ったか雷撃閃光が、先行していた極大熱閃光砲(プラズマ・キャノン)のエネルギーを()()()、数十倍以上の規模に膨れ上がる! 白く染め上げられた空が太陽の光をも塗り潰して輝いた!


 眩いエーテル光は“恐嶽砲竜”の放った威力を包み込むようにして、()()

 一点へと凝縮されたエネルギーは性質を変え、激しい稲妻放電へと、()()

 その上で、元の極大熱閃光砲(プラズマ・キャノン)の威力にさらなる上乗せを加えた状態で、()()


 元より「プラズマ」と「雷」は、物理学上の性質において非常に近しい関係性を持つ。なればこそ物理的限界という垣根を容易く乗り越える空素術(エーテル・ドライブ)の御業を以てすれば、両者をほぼ等しいものとして定義することはさほど難しくない。


 なにより雷撃術のエキスパートであるイーリスにとって、どれほど膨大なエネルギーが暴れ狂っていようとも、それが稲妻として定義された現象ならば、


「アタシの独壇場なんだよ……ッ!! 足を止めての撃ち合いだったら、アタシは誰にも何にも敗けねぇんだ――ッ!!」


 そして……世界は一条の紫電により引き裂かれた! 莫大熱量を伴う閃光雷撃が、減衰分を差し引いても明らかに上回る威力として恐嶽砲竜”の放った第二波をブチ破り、瞬きひとつ分の間に空を走り抜け――


「――GoWuAGAAGGGGGGGAAAAAAAAAッ!?!!?!!?」


 ――雷鎚さながらに“恐嶽砲竜”の脳天を穿ち貫いた!!



 -§-



 残響は衝撃波として、周囲一帯を吹き荒れる突風と化した。


「う、うぉおッ!? ……くそ、おい、堪えろよッ!?」

「んなこと言ったって、洒落にならねぇぞ、こりゃあ!!」


 騎士たちは半死半生のまま必死に身を屈め、薙ぎ倒すような風の圧を耐えた。それでも踏ん張り損ねた者が身を巻き上げられ、遥か彼方へと吹き飛んでいきそうになるのを、他の皆が押さえつけて地面に留めてやる。


「ぉ、あ……っと!?」

「不味い、副長が!!」


 そんな中で、皆から離れた位置に立っていたイーリスが、駆け寄ろうとする隊員たちの救援も間に合わず吹き飛ばされる。


 彼女の小柄な身体が、木の葉のように宙を舞った。


(おいおい、マジかよ……!)


 精も根も尽き果てた状態では、受け身など取りようもない。

 空素術(エーテル・ドライブ)を行使しようにも、限界を超えて酷使した喉は枯れ果ててしまい、隙間風のような頼りない呼気を漏らすのが精一杯だ。


 眼下、隊員たちが必死に呼び掛けてくる声は聞こえるが、どうしようもない。

 彼らはとっくに体力を使い果たしてしまっているだろうから、こちらを受け止めるようなことは望むべくもないだろう。

 そう考えている間にも地面は近付き、さらに悪いことにこのままでは、


(待て待て待て待て、これ、頭から落ちる姿勢じゃねぇか!?)


 重い頭部から落下するのは、物理法則的に自然なことだ。

 あらゆる超常現象を意のままに操る空素術士(エーテル・ドライバー)が、よりにもよって物理的要因で死亡するというのはなんとも皮肉の過ぎた話である。


 どうにか抵抗しようと身を捩るが無為に終わり、結局、イーリスは自由落下に身を任せることにした。こうなっては偶然に頼るしかない。


 流れていく視界の中、彼方に頭部を大きく穿れたままに立ち尽くす“恐嶽砲竜”の姿が映る。流石にあれで死んでいなければ嘘だろう。生きているにしても、暫く行動を再開することは不可能と見て良いはずだ。


 つまり、自分たちは……役目を果たしたのだ。


(……へっ。なら、まあ、上等か)


 どうにも締まらない終わり方だが、賭けと考えれば大勝ちも良いところだ。

 なにせ都市ひとつを砕くような化物を相手に、こちらはほとんど無犠牲で勝利したのだから。首都に帰って報告すればさぞかし驚かれることだろう。

 父と母はどんな顔をするだろうか。褒めてくれる――


(……わけはねぇな。多分、滅茶苦茶に怒られるよなあ)


 ――と、そろそろ地面に叩きつけられる頃合いだ。

 なるべく痛くないように、できれば死なないようにと祈る自分が妙におかしく、つい苦笑を漏らしたイーリスの身体は、


「――イーリスッ!」


 地面の硬い感触ではなく、暖かで逞しい両腕に受け止められた。思わず目を瞬いて見れば、荒く息を吐くリーンハルトの顔がすぐ傍にある。


(リーン、ハルト……)


 彼に、助けられたのだ。


 かなりの距離があったはずだが、自分を受け止めるために彼は必死で間に合わせたのだろう。礼を言おうとしたイーリスは、額から汗を滴らせるリーンハルトの表情を見て、息を呑む。


 そこには眉根を詰め、今にも泣き出しそうに歪んだ、幼馴染の懐かしい面影が確かに存在していた。


「……イーリス、無事か? 無事なんだな?」


 彼の弱々しい声は親を求めて鳴く子犬のようだった。

 イーリスがぎこちなく頷くと、リーンハルトはようやく安堵したように「良かった」と吐息交じりに零す。

 そうして彼は、イーリスの身体を抱き締めたのだ。


「ばっ!?」


 疲労感も喉の痛みも忘れてイーリスは呻いた。


 隊員たちがやけに楽しそうな調子で囃し立てるのに――お前らさっきまで死にかけじゃなかったのか――文句を付けてやろうとはするが、リーンハルトの拘束が力強いために身動きができない。

 密着した身体からは彼の匂いと体温が直に伝わり、羞恥と照れ臭さからイーリスは色々と堪らなくなる。


(おま、お前な、馬鹿!? は、は、離せって、おい!?)


 どうにか逃れようともがくイーリスの耳元で、リーンハルトが呟いた。


「……心配したんだぞ」


 その声が震えていることにイーリスは気付き、動きを止める。対してリーンハルトは訥々と言い続けた。


「やはり、駄目だった。お前が死ぬかもしれないと考えてしまったとき、俺は、……自分を保てない。修羅に堕ちると覚悟したはずの心が、揺らいだ」


 喘ぐような一呼吸を挟み、彼はなおも言う。


「どうしようもないんだ。〈骸機獣(メトゥス)〉と戦うことなんて怖くもなんともないのに、お前を喪うことだけが、怖くて仕方がないんだよ……」


 イーリスはその言葉を聞いて、思う。リーンハルトの一番深いところは、昔となんら変わっていなかったのだと。

 そうだ。悲しみと憎しみに覆い隠されて、彼自身も忘れかけていただけなのだ。その感情が今、イーリスの目にも見えるところまで、帰ってきた。


 それを素直に喜ぶべきなのか。

 正直に言って、イーリスには分からなかった。


 彼はこれからも〈骸機獣(メトゥス)〉と戦い続けるだろうし、修羅としての生き方を変えることはできないだろう。本来ならば心優しかったリーンハルトが、こうして再び恐れを思い出してしまった以上、彼の歩む道はさらに険しいものとなるはずだ。


 彼の今後を思い、案じ。しかしそれでもイーリスにはたったひとつだけ、心の底から自信を持って言えることがある。


「……ィーン、ハルト」


 発音もまだ覚束ないが、これだけは言ってやらなければならないと、イーリスは努力して言葉を紡いだ。無理矢理に唾で喉を湿らせ、声を出す度にひり付く痛みを堪えつつ、ゆっくりと。


「……アタシは、お前と、ずっと一緒だ。例え、地獄の底まででも、な」


 すると、途端にリーンハルトが身を離した。その表情は愕然としたもの。

 おそらく、こちらの言葉に罪悪感かなにかでも覚えたのだろう。あるいは「自分がイーリスを地獄に突き落した」などと考えているのかもしれない。

 だからこそ、イーリスは続けて言ってやる。その思い上がりを否定するために。


「ばーか」


 あのな、


「アタシは、今……自分で望んで、お前に付き合ってるんだよ。そりゃあ、辛いし苦しいし、後悔したことも山ほどあったが……結局、これで良いと思ってる。良いことだってそれなりにあったし……お前のそんな顔を見れるなら、まあ、甲斐はあったかな……」

「……イーリス、だが、俺は」

「うるっせぇぞ、ばーか。なら、何度でも言ってやるよ、唐変木」


 未だに往生際も察しも悪いこの愛しい幼馴染へ、イーリスは笑みを浮かべて、


「お前がどこに居ようとも必ず追いかける。アタシの動機は昔っからそれだけなんだよ、リーンハルト。だから、ちゃんと、なんだ。……責任取れよ? こんなイイ女にここまでさせてんだからさ、少しは甲斐性見せろってんだ」


 すると、リーンハルトは目に見えて動揺したようになる。元から救いようがないほど、こういうことの機微には鈍い男だが、流石に気が付いたようだ。

 遅すぎるんだよ馬鹿、とイーリスは呆れ半分諦め半分で肩を竦めるが、そんな男に惚れた自分も大概のスキモノだろう。

 まあいい。割れ鍋に綴じ蓋、結構なことだ。


 だから、とりあえずの区切りとして――


「お帰り、リーンハルト」


 ――過去も現在も纏めて、彼という存在を抱きしめてやろうと思うのだ。



 -§-



 ……さて、いい加減に人の目も気にせずいちゃつくのはここまでだろう。


 イーリスは自分の足で立てるようになると、なおも縋りつこうとしてくるリーンハルトから身を引き剥がした。

 離れる一瞬、後ろ髪を引かれる思いに囚われかけたが、今は軍務中なのだと意識を切り替える。虚脱した身体は鉛のように重く、頭がふらつくような感覚はまだあるが、気を張っている限りは問題ないだろう。


「……で、だ。ちゃんと〈骸機獣(メトゥス)〉どもは片付けてきたんだろうな? ああ? まさかアタシを優先して手ぇ抜いてきたんじゃねぇだろうな?」


 イーリスが水筒の薬液で喉を癒し、再び声を出した時には、普段の悪態交じりの調子が戻っていた。一方で問われたリーンハルトも、すっかり元通りとなった鉄面皮のままで頷く。


「ああ、残らず叩き殺してきた。そこは心配しなくても良い。向こう側に生きている〈骸機獣(メトゥス)〉は一体もいない」


 彼の言う通り、確かに彼方には動く影ひとつなかった。

 瘴気も徐々に薄まってきている以上、生き残った〈骸機獣(メトゥス)〉がいないという報告は事実なのだろう。

 そもそも考えてみれば、リーンハルトが獲物を残して戻ってくることなど、この惑星が裏返るよりも有り得なかった。


「なら、良いか……ともかく――」


 ともかくこれで、修羅場は乗り越えた。

 そして終わってみれば、信じがたいことに全員が無事だ。

 再びやれと言われても、間違いなく二度とは不可能、幸運の連続によって齎された奇跡的な結果である。


 これから考えるべきこと、やるべきことは非常に多い。

 まず首都への状況報告に始まり、避難住民の帰宅措置に、オープスト村が受けた被害の調査とその補填。

 他にも此度の〈骸機獣(メトゥス)〉発生の原因追及や、汚染された空素構成(エーテル・バランス)の整調等々、挙げていけばキリがない。


 とりわけ“恐嶽砲竜”の死骸の始末は重労働だ。

 あれだけの大きさでは自然に消えるのにも数ヶ月以上かかり、放っておけば要らぬ二次被害が起こりかねない。

 今のところ動き出す様子もない以上、完全に死んだと判断しても良いだろう。

 妙に呆気ない気がするが、流石に頭を吹き飛ばされれば、さしもの“恐嶽砲竜”とて無事には済まなかったようだ。


「……それと、例の迷子ってのも捜してやらないとな」


 唐突に思い出したその小さな依頼に、イーリスはすっかり荒れ果てた東の森へと、痛ましげな視線を向けた。


 “恐嶽砲竜”に散々蹂躙された森が完全に回復するまでには長い時間がかかるだろう。人間だけでなく自然に対しても牙を剥く〈骸機獣(メトゥス)〉とは、やはり明確な「世界の敵」なのだ。


 イーリスは大きく溜息を吐いた。

 そうして、まずは全力を尽くしてくれた部下たちへと労いの言葉でもかけてやろうと踵を返し、ふと視線を感じて首を持ち上げ――



 -§-



 ――“恐嶽砲竜”の意志在る目が、自分たちを睨んでいることに、気付いた。



 -§-



「……ばっ!?」


 まだ、奴は生きていたのだ。


 イーリスは自身の油断を内心で激しく罵りつつ、まだ状況に気付いていない部下たちに注意を呼びかけようとする。

 冷水を全身にぶっかけられた気分だった。心臓が早鐘を打つ。

 即座に行動しなければ、なにもかもが手遅れとなる。


 しかし“恐嶽砲竜”が行動を起こす方が速い。


 暴威の体現者たる〈骸機獣(メトゥス)〉が半分以上削れた顔面を“シュレーダー隊”へと向ける。その顎が開き、喉奥から現れたのは黒々とした油に塗れた、極高温火炎放射器の先端部分。発射準備はすでに整っているように見えた。


 「逃げろ」と皆に呼び掛けようとしたイーリスの口からは、直後、異なる言葉が飛び出した。


 それは誰よりも先に地を蹴り、己が身を盾として立ち塞がらんと駆け出した――


「リーンハルトッ!!?!」


 ――長身痩躯の後ろ姿へ向いた叫びだった。


 リーンハルトは応えない。彼はイーリスへ顔を向けることもなく、全身から眩いエーテル光を放ちながら地を蹴り、跳んだ。

 そうして一直線に“恐嶽砲竜”の顎へ向けて吶喊していき、……直後に放たれた炎弾を、真正面から受けた。


 じゅう、と。熱したフライパンに油を落とした時のような音が、響いた。

 それを掻き消すほどの甲高い悲鳴が、自分の喉奥から発せられていることに、イーリスは気付かない。

 状況に気付いた隊員たちが血相を変えて立ち上がろうとするが、限界まで体力を使い果たした彼らに、もはや素早い行動は不可能だった。


 全員が見守る前で全身を炎に巻かれたリーンハルトは、それでも“恐嶽砲竜”の奇襲から部下とイーリスを守り抜いた。

 彼は全身から放出したエーテルによって火勢を防ぎ、炎の勢いが弱まるまで皆の盾として耐え、……とうとう力を尽くして落下する。


 どさり、と中身の詰まった麻袋でも投げ下ろしたような音と共に、リーンハルトの身体は力なく大地に叩きつけられた。すでに防護の力を示すエーテル光は掻き消えている。今の彼は無防備に近い状態だ。


「あ、ああ――ッ」


 イーリスは衝動を抑えられず、軍人ではなくひとりの女性として、幼馴染の下へと駆け寄った。いやいやと首を振りながら、意味の通らない言葉を喚きつつ、倒れたリーンハルトを無我夢中で抱き起こす。


 幸い、リーンハルトは息をしていた。


 軍服の上半身は完全に失われ、全身に煤がこびり付いてはいたものの≪クリンゲ(刃の)ウンティーア(修羅)≫の威力が功を奏してか、表皮に重篤な火傷を負ってはいないようだった。落下時の衝撃にもどうにか耐え切ったのは、施された紋章術(クレスト・エフェクト)の精度故か、リーンハルトの生き足掻く意志故か。


「リーンハルト、リーンハルト!? 嫌だ、起きてよ!! ねぇ!?」


 しかし、我知らずかつての口調に戻っていたイーリスの呼び掛けに対し、リーンハルトからの返答はなかった。

 リーンハルトは意識を失いかけ、口の端から不明瞭な呻き声を漏らし続ける。

 ≪クリンゲ(刃の)ウンティーア(修羅)≫を過剰稼働させたツケが彼に襲い掛かっているのだ。しばらくは立ち上がることすら不可能だろう。


 そして。“恐嶽砲竜”は身動きのできない獲物を、わざわざ見逃してやるような情を、持ち合わせてはいない。


 イーリスの視界が不意に薄暗くなる。

 呆然と見上げた彼女は、巨大な足の裏が自身へ向けて叩きつけられようとしていることを知った。

 “恐嶽砲竜”は敵の排除に、もっとも原始的にして確実な暴力を用いたのだ。


「――畜生ッ!! 隊長たちを救えェ――ッ!!!!」


 隊員たちが死に物狂いで駆け寄ってくるが、どう考えても間に合わない。今からでは有効な術を紡ぐ時間もないだろう。だいいち、そのために必要な意志も体力も尽き果てている。


 死ぬ。その実感が確固たるものとして定められた。


 イーリスは急速に脳裏を走り抜けていく走馬燈に、まだ幸せだった過去の情景を見た。そこではリーンハルトも自分も屈託なく笑いながら、無邪気に将来の夢を語らっている。


(だが、今の現実は、これか)


 美しい夢が過ぎ去るのは一瞬だった。

 大気を圧しながら迫る大質量は、人間如きの柔な命など、あっさり地面の染みへ変えてしまうだろう。

 苦痛さえ感じる間もないはずだ。自分たちが粉々の挽肉と成り果てるまで、おそらく一瞬で事は済む。


 ふと、それでもいいか、とイーリスは思った。

 やれるだけのことはやった。時間稼ぎとしては不足かもしれないが、騎士の本分は十分に果たしている。

 なにより、リーンハルトとひとつになって死ねるのなら、離れ離れになるよりはよっぽどマシだろう。


 ただ、本音を曝け出せるならば――


「ああ、糞。死にたく、ないな……」


 ――まだ、リーンハルトと共に、生きていたかった。


 無駄と知りつつ、ほとんど無意識にリーンハルトの身体を抱き締める。

 絶望と悔恨が全身に行き渡り、イーリスの四肢を強張らせた。

 頬を伝う涙は冷たく冴えて、唇の隙間から染み入ったその味は苦く。


 イーリス・アーベラインはもはや抗う術もなく、喉奥へ落ちていく末期の感情と共に、己の運命を受け入れた。



 -§-



 そうして、彼と彼女の物語は、ここで潰える。


 ふたりがどれだけ未来に希望を抱いて懸命に生き足掻こうとも、振り下ろされる残酷な現実はそんな思いを粉微塵に打ち砕く。


 希望は絶望に敗北する。死は常に、どのような人間に対しても、平等だ。だからこその悲劇と呼ぶ。避けられず、変えられず、生き残った者たちが決して癒えぬ傷として抱え続ける取り返しの付かない喪失が、この世界には至るところに転がっているのだ。


 この若き男女もその一例として数え上げられ、やがては歴史の重みの中で忘れ去られていく。仮に、彼らに救われた者たちがふたりの名を語り継いだとしても、果たして何年もつだろうか?


 ならば、人の生や行動は、すべからく無価値だろうか?

 喜びも哀しみも、全ては強大な無情の前に掻き消えるのだろうか?

 誰も悲劇を覆せない現実が横たわる世界に、明日を望む意味はないのだろうか?



 -§-



「――≪ヴィント(風の)シュラーク(一撃)≫ッ!!」



 -§-



 「そんなはずはない」と叫ぶ声は、烈なる風と共にやってきた。


 イーリスは見る。今にも自分たちを叩き潰さんとしていた“恐嶽砲竜”の足が、()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを。


 呆然と見上げるままの視界、今にも自身を圧し潰さんと迫っていた影が取り払われた先には、再びの青空が広がっている。その中で陽光に照らし出されるのは、片手剣を振り抜いた姿勢の、風を纏う影。


 それはまだ幼い少女の姿をしていた。


 そう、先の叫びは彼女が発したものだ。

 灰白髪(ホワイトアッシュ)を靡かせ、深い瑠璃色の瞳に意志の煌きを燃やし、疾風の如くに駆け付けた空色パーカーの旅行士(トラベラー)が世界に向けて提示する、たったひとつの答えだ。


 彼女は、放つ。


「私の見てる前で、そんなことをさせて堪るか――ッ!!」


 声も高らかに、理不尽に翳される悲劇など認めないと、己の全身全霊を掛けて叫ぶのだ。英雄願望でも自殺志願でもない。どれだけ強大な相手を相手取ろうと、絶対に譲らない一線を示すように。


 人の生や行動には、必ず価値がある。

 無情などに、喜びや哀しみを掻き消させはしない。

 誰も悲劇を覆せないなら、自分がどうにかして覆して見せる。


 この世界に明日を望む意味はあるのだと、その為に自分は旅に出たのだと。

 小さな身体に溢れんばかりの意気を漲らせ、彼女は悲劇に立ち向かう。

 生きたいと願う人々に、そのチャンスが与えられるようにと。


 そして、そんな彼女の引力に連れられた連れ合いが、三人。


「――まったく、本当にアンタは懲りないわね! そうやっていつもいつも、自分勝手に飛び出してっては無茶ばっかりして! 私の言ったこと、ちっとも理解してないじゃないの!」


 眼鏡を掛けた黒髪の少女が、分厚いサンドコートの裾を揺らし、眉をきつく顰めながら言い放つ。


「――ま、まあまあ……。非常事態でしたし、お陰であの方たちの命が助かったみたいですから、そのう……。良かったってことにしましょう? ね?」


 穏やかな顔つきの薄青髪(アイスブルー)の少女が、桜色のストールを靡かせ、眉尻を下げてはにかみながら取り成す。


「――そうですよ、結果オーライというものです。短気は損気ですよ、怒るとお腹が減るだけですし。とりあえずこの馬鹿デカイ奴をさっさと倒して、早くご飯にしたいものですねえ」


 長い若草髪(グラスグリーン)の髪を背に流す女性が、オレンジ色のジャケットを翻し、惚けた調子で茶々を入れる。


 突然に表れた四人の闖入者に、その場にいた誰もが戸惑いを禁じ得なかった。

 これまで命懸けの戦いをしていたところに、打って変わって暢気な雰囲気さえ漂わせる彼女たちは、完全に浮いているようでありながらも――


「――うん、そうしよう。こんな奴、さっさとぶっ飛ばしちゃおう」


 ――イーリスたちを守るように、各々の武器を構えて“恐嶽砲竜”へ対峙したのだ。固い決意と揺るがぬ戦意を露わにして。


「……お前、ら? いったい?」


 わけもわからず問い掛けたイーリスに、空色パーカーの少女は迷いなく応えた。


「もう大丈夫、――助けに来たよ!」

 

 そう、レーゲン・アーヴェントは悲劇で終わる物語を許さない。

 常に、どんな時も、そこに助けを求める人がいる限り。

 冒険を志して旅立った若き旅行士(トラベラー)大団円(ハッピーエンド)を目指し、戦う。

 


 -§-



            通り雨の旅行士(トラベラー)


        シーン19:そして来るは一陣の疾風



 -§-




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