シーン17:暴威吹き荒れ、万雷轟く
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それはまさに、身動ぎする巨山そのものであった。
破滅の具現たる超大型〈骸機獣〉は、睥睨するすべてを踏み潰しながら悠々と進撃する。地を裂き、森を均し、大気を揺るがして。
当然、中途にある物体は、小石程度の障害にすらならない。
“恐嶽砲竜”は足爪の大きさだけで、成人男性の身長を軽々と越える。ただでさえ莫大な質量を伴うそれが、砕氷船の衝角めいた凄まじい力強さで、岩も木々も見境なく粉砕し轢き潰していくのだ。
故に、その道行を阻めるものは存在しない。
否、阻もうと考えること自体がそもそも狂気の沙汰だ。
なにせ、限界まで首を上に傾けねば顔面すら見えず、足音が響くだけで鼓膜が破れそうになるような相手である。
地平線を埋め尽くすほどの大軍勢か、半径数キロを消し飛ばすような大質量兵器くらいは用意しなければ、まともな勝負にすらならないのが本来であろう。
そして今、この場に、絶望を単騎で覆すような“英雄”はいないのだ。
しかし、だとしても。“シュレーダー隊”は、ここを退くわけにはいかなかった。もしも退けば、背に庇うなにもかもが永遠に失われるのだから。
故に、絶望に抗う者たちは意志を構えて、ついに相対する。異形の軍勢を先兵として従え突き進む、災害にも等しい絶対的な脅威と。
「……なんて、馬鹿でかさだ。縮尺、狂ってんじゃねぇのか?」
ひとりの隊員が、思わずそう呟いた。
微かに震えを含んだその声には、隠しようもない怯えが滲んでいた。
比類なき勇猛を大陸中に知らしめる彼ら〈巡回騎士隊〉の一員でさえ、こうして至近距離でその威容を直視すれば、心胆を寒からしめられることは免れない。
それだけ“恐嶽砲竜”という存在が纏う畏怖は絶大であった。
「……で、副長? どうしましょうかね、アレ?」
別の隊員がたどたどしい口調で――それでも敵へ向けた視線は、頑として逸らさぬままに――イーリスへと問うた。
機銃槍を構える彼の手は小刻みに震えている。それを武者震いと称するだけの意気はもちろん、今も騎士たる彼の胸中に残っているだろう。
それでも〈巡回騎士隊〉という誇りを背負っていなければ、反射的にこう口走っていたはずだ。「勝てるはずがないから逃げましょう」と。
「……どうしましょう、だと?」
イーリスもまた、胃がひっくり返りそうなほどの緊張感を味わっていた。
遥か彼方にその影を目撃した時でさえひどく驚嘆させられたものだが、こうして間近に見ると、ただただ圧倒的と評するしかない。
陽光を照り返す黒鋼の装甲板は、たった一枚だけでこちらを圧し潰せるほどの重量を持っているだろう。その内側に秘められた殺戮衝動と破壊兵器が一旦解放されれば、この周辺一帯は今度こそ虫一匹残らぬ焦土へと変わる。
自分たちはまるで、象に挑もうとする無謀な蟻の群れだ。そんな身も蓋もない比喩が脳裡を過り、即座に打ち消す。
「それを考えるのがアタシたちの仕事だろうが、馬鹿野郎」
イーリスはあえて軽口を叩く。
指揮官が弱気な態度を見せれば、それだけで部隊員の士気は著しく下がる。故に表向きだけでも強気な姿勢を保つのは重要だ。
だからこそイーリスは獰猛な笑みを皆へと向け、赤銅色の髪をばさりと掻き上げながら、これ以上ないほど傲岸不遜に言い放つ。
「いまさらビビってんじゃねぇ。幾ら図体がデカかろうが、言ってみりゃあただの直立蜥蜴だぜ。血の巡りの悪い変温動物もどきが、人間様の知能に敵うわきゃねぇだろう。だいたい首から下に対してアイツのお頭は小さすぎんだよ。きっと収まってる脳味噌だって、豆粒みたいに小せぇだろうさ。そんな奴に敗けるかよ」
弁舌も滑らかに紡がれた悪罵には、隊員たちから湧き上がる笑いが返った。それにイーリスは「善し」と心中で頷く。
まだ彼らの意気は折れていない。
ならば、最期の瞬間まで抗うことはできるはずだ。命燃え尽きるその瞬間まで、騎士たる者の務めを果たすことが。
(……とは言え、だ)
前途には濃厚な暗雲が立ち込めていることもまた事実。
“恐嶽砲竜”と真正面から対決した場合、最大級の幸運に恵まれても、最後の一兵まで粘りに粘って十五分前後を耐えるのが精一杯といったところだろう。
しかし、それでは足りない。自分たちは壊滅の可能性も受け入れたうえで、より多くのものを守るために尽力しなければならないのだ。
それが始まりはどうあれ「騎士」を名乗る者としての責任だった。
故に、策が要る。最低でも避難民の安全が確保され、首都の防衛体制が完全に整うまで、時間を稼げるような策が。
(青写真だけなら、もう頭の中に出来上がってる)
概要に関しても、すでに部隊全員へ伝達済みだ。
しかし、一連の流れを齟齬なく達成できるかは未知数であり、その可能性はほとんど競馬の万馬券を当てるようなものだ。
今のところは作戦進行に問題は生じていないが、ここから先は一歩踏み間違えた途端にすべてが瓦解する、綱渡りの連続に等しい。
イーリスは三秒だけ考え、口を開いた。
「……よし、野郎ども。あの直立蜥蜴をブチ殺す作戦を追加で募集する。三十秒以内だ。良い考えがあれば遠慮なく言ってくれ、有効そうなら採用すっから」
すると隊員たちは黙って顔を見合わせ、……律義にも隣り合った同士で、臨時の作戦会議を開始した。
「デカい穴ぼこ作って、そこに落とすってのはどうかな? 転ぶんじゃね?」
「馬鹿かよ。アレが全部入るような穴掘ろうとしたら、ここら一帯崩壊するわ」
「つーか、物理攻撃効かないだろ。どう考えても火力が足らねぇよ」
「初撃、副長が割と全力で撃ったのにピンピンしてやがるからなあ」
「……なんか、アレ、上半身だけ焦げてないか? 火が効くんじゃないか?」
「あんなデカブツを丸焼きにできるような火力をどうやって用意するんだよ」
「……大の男が雁首揃えて、碌な考えひとつひり出せねぇのか!?」
「「「時間が足らないんですよ!! 装備も人員も!!」」」
喧々囂々、付和雷同。
数々の修羅場を乗り越えてきた〈巡回騎士隊〉の強者たちも、流石に今回ばかりは途方に暮れた様子であった。
なにしろ“恐嶽砲竜”を真正面から相手取って勝利した前例など、救世の英雄たちである〈黎明の翼〉一党くらいしか存在しないのだから。
(――あるいは〈ゲルプ騎士団〉の小隊長を全員集めるか、その上役どもが二、三人駆け付けてくれば、正攻法でぶっ倒すことも不可能じゃないだろうが……)
おそらく彼らは動かないだろう。彼らの任務はあくまで「首都“ゲルプ”の絶対防衛」である。国難レベルの緊急事態だからこそ、軽々しく持ち場を離れるようなことはすまい。少なくとも完璧な防衛体制が整うまではその準備に専念するはず。
(慎重すぎる、と。そう連中を詰るのは簡単だが……)
整調済み地域での突発的な〈骸機獣〉発生事案には“フェーデル市”という前例がある。そこに加えて“恐嶽砲竜”の出現という、ただでさえ「まず起こり得ないはずの状況」が現実となった以上、第二第三の状況変化に備えようとする王城政府の判断そのものは――残酷なようでも――間違っていない。
つまり、ほぼ確定事項として、援軍は来ないのだ。
「頼れるのは、自分たちだけってか……」
思わず呟いたイーリスの口に、頬を伝い落ちてきた冷や汗が流れ込む。その塩気に顔を顰めると同時、部下から声が送られてくる。
「文句言うなら、副長自慢の“ビリビリドカン”で今度こそやっつけてくださいよ。さっきもやったでしょう? あんまり効いてなかったけど」
「アタシの≪ブリッツ・ラケーテ≫をクソみてぇな呼び方すんじゃねぇ!! それと余計なお世話だ馬鹿野郎!! 大体、普通アレ喰らえばたいていの〈骸機獣〉は消し飛ぶって、お前も知ってんだろ!!」
イーリスが怒鳴ると、隊員たちはお手上げだとばかりに肩を竦めた。
と、そこで再び〈骸機獣〉の群れが南下を始めたので、皆は話を切り上げてその対処に当たった。曲りなりにも“最強の矛”を自任する集団であるため、こういった切り替えは瞬時に行われる。
「よし、撃て!」
“シュレーダー隊”は即座に射撃を加え、これを滞りなく撃破した。
「奴らも“恐嶽砲竜”を恐れているのか、前回よりもこっちに来る頭数が増えてるな。が、あと三倍くらいなら十分に対応できるだろう」
イーリスの分析に、皆は異論を返さなかった。
「雑魚どもだけなら、どうとでもなるんだがな……」
隊員のひとりが舌打ち交じりに漏らした言葉に、皆が無言で頷いた。
結局のところ、問題はそこなのだ。どれだけ数が多かろうが、ただの〈骸機獣〉群相手ならば幾らでもやりようはある。たとえ無尽蔵に湧き出してきたとしても、丸一日程度なら耐え切ることは可能だ。
しかし、本格的に“恐嶽砲竜”との戦闘が開始されたならば、そちらに目を向けている余裕はなくなるだろう。そんな状況でもしも戦線が瓦解すれば、再び立て直すことはまず不可能であろうし、
「……まあ。そうなったら俺たち、今度こそ死ぬだろうな」
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それは、敗北を認めるも同然の発言であった。しかし、続いた言葉は絶望や諦観に満ちたものではなく、むしろ隊員たちはあっけらかんとした口調で口々に、
「それじゃあ、アレだな。どこまで奴を削れるかで競うしかねぇな」
「せめて手か足の一本くらいは獲りてえよな。いや、鱗一枚、牙一本……」
「そこは角を折るとか言っとけよ、ハッタリでも。格好つかねぇだろヘタレ」
騎士たちは笑う。たとえ空元気、虚勢だとしても、意志だけは打ち砕かれないのだと示すように。彼らは明日を閉ざす絶対的な死を前にして、己が胸に抱く想いを交わし合った。
「首都にあるパン屋の一人娘、……告っとけばよかったなあ。脈合ったぜ、多分」
「本気で言ってんのか? 似合わねぇ、白百合の横に火山岩置くようなもんだぞ」
「そもそもパン屋の親父、滅茶苦茶恐いだろ。嫌だぜ、あんなの義父にするの」
「おい、お前が隊舎のベッド下に隠してる例のブツについてだが、良いか? 俺が責任もって処分しとくから、安心して死んでいいぞ」
「おう、ならお前が共用倉庫の床下に隠してる例のブツは、俺が供養代わりに頂いておこう。なんならここで誓約書作るか?」
「なあ、今だから言うがな? お前のズボンを燃やしたの、俺なんだ」
「そうか、じゃあ俺も言おう。お前の靴にションベン引っ掛けたの、俺だ」
「「ははは、……死んでも許さねぇからなテメェ。憶えとけよ」」
馬鹿馬鹿しく、下品で野卑で、取るに足らない言葉の数々。
それらはきっと、隣に立つ戦友へ向けた彼らなりの遺言なのだろう。
もしもお前が生き残ったならば憶えていてくれ、という、約束にも似た。
そうして、思いの丈を吐き出し終えたならば、やることはひとつだった。
「さあて、無駄口が過ぎたな。そろそろ行くとしようかい」
「気張るとしようぜ、俺たちゃ天下無敵の〈巡回騎士隊〉だ」
「騎士の誉れだぜ、竜退治。これで猛らなきゃあ男が廃るわな」
それは覚悟だった。すべてを受け入れ、これからなにが起きても構わないと肚に括った、不退転の意志である。
最期の瞬間まで――例え手足を失おうが、腸をぶちまけようが、全身を挽肉と変えられようが――けっして泣言を漏らさず、全身全霊を賭して足掻き続ける、と彼らは誓ったのだ。
しかしそれは同時に、痩せ我慢と呼べるものでもある。
引き千切られた仲間の骸に恐れをなして、逃げ出すかもしれない。
実際に死が心臓に爪を突き立てた時、堪え切れずに泣き叫ぶかもしれない。
今わの際にひどい後悔に襲われ、あらん限りの恨み言を吐き出しながら、女々しく死んでいくかもしれない。
人の心は脆いものだ。移ろい易く、都合の良いものだ。
それらを事実と捉えたうえで、彼らは意地を張り続ける。
未練も生存欲も断ち切り、自殺紛いの行動に身を任せる非常心。
しかし、それこそが騎士たちの心意気なのだ。そう。自分ではなく、背後に庇う名も知らぬ誰かと、その平穏無事のために。
彼らは、夢物語にも等しい「騎士道」を、真実のものとして身に宿すのだ。
「……良い啖呵だぜ、野郎ども」
だからこそイーリスは今、部下たちのすべてを肯定する。死に挑む男たちの「騎士道」を、狂気ではなく勇気として認める。
背負うのは二十二人分の掛け替えのない命。引き換えに守るのは、数千数万の無辜の民。犠牲を誉れと呼ぶ残酷を、十のために一を殺す不合理を、受け入れる。
そうしなければ立ち向かえない現実があるのだと、知っているから。
「さて、と――」
イーリスは一息入れ、……誇り高き騎士たちへ告げる。
「――それじゃあ一丁、派手にやってみようか」
それが始まり/終わりの合図となる。
さあ、全員揃って地獄へ吶喊だ。命を焚べて未来を灯せ。
意地と誇りで屍山を抉じ開け、戦意と覚悟で血河を踏破しろ。
古今東西の英雄譚において、絶望を打破するのは常に人の意志だ。
ならば、英雄の資格を持たぬ有象無象とて、破滅のひとつ程度は食い止められなければ道理に合わない。
そうだろう、と。世界へ訴えかけるように、イーリスが叫ぶ。
「――これより“シュレーダー隊”は“恐嶽砲竜”との直接戦闘に突入するッ!! 作戦は先に伝えた通りだッ!! 怯えんなよ、ケツはアタシが持ってやるッ!! 用意は良いか、野郎どもッ!?」
間髪入れぬ返答は、誰ひとり欠けることのない「了承」の雄叫びだった。ならば「善し」と、イーリスは歯を剥き出しにして笑い、叫ぶ。
「おっしゃあッ!! “シュレーダー隊”、……突撃ィ――ッ!!」
その号令が発せられた直後、槍と馬と鎧を備えた守護の担い手は、迫る暴威へ一気呵成と挑みかった。
走鋼馬の嘶きが爆音を唸り立て、草原の上を疾駆する。
接敵までは十数秒足らず。伸るか反るか、イーリスの策に結果が示されるまで、もう猶予はない。
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――豆粒同士がぶつかり合っている。
森を抜けた“恐嶽砲竜”が、眼下で繰り広げられる人と異形の戦いへ目を留めた時、真っ先に抱いた感想がそれだ。
荒れ果てた草原の上で、男がひとり、何事か喚き散らしながら暴れ回っている。男の周囲には、輪状に積み上げられた残骸の小山。
どうやら〈骸機獣〉側が劣勢であるようだ。
男を完全に包囲し、全方位から一斉に襲い掛かっていながら、いまだに小型の連中は指一本すら落とせていないらしい。
曲がりなりにも同胞と呼ぶべき存在が半ば一方的に屠られ続ける状況に、しかし“恐嶽砲竜”は一切の動揺を見せなかった。ほんの僅かな不愉快さえ、この強大なる暴威の脳裏を過ることはない。
“恐嶽砲竜”の認識にとって、己以外の全ては蠢く塵でしかないからだ。
――諸共に踏み潰せば、それで片が付く。
そう、ほんの一踏み。
己がただ歩くだけで、行く手を塞ぐ有象無象は例外なく蹴散らされ、跡形もなく粉砕されていく。生物だろうが無機物だろうが変わりはない。人も〈骸機獣〉も、諸共に地面の染みとして真っ平になるだけだ。
ならば、その程度の取るに足らないものに係う理由など、あるはずがない。
――総ては、平等に、無価値だ。
ましてや、人間という種のなんと矮小なことか。
言うなれば、この世界の表層にへばり付いた滓だ。
数ばかり群れては個々で大した力もなく、その癖にそれなりの数が集まることで悪知恵を働かせる程度の能力は持つ、実に不愉快な生物。
泥と石などを捏ねてはそこらじゅうに邪魔な物を造り上げ、陸でうろうろとしていれば良いものを、海や空にまで出張ってくる厚かましさには恐れ入る。
不可解だ。不可解極まる。なんのために生まれてくるのだろう、人間とは?
たった数十年の吹けば飛ぶような儚い命を尊び、理解しがたいこだわりを掲げては、藁屑のように死んでいく。怯え、竦み、嘆きながら、だ。
無価値ならば無価値なりに、せいぜい慎ましくしていれば良いものを。
“恐嶽砲竜”はそこで諸々の思考を些末として打ち切ると、南側へ視線を巡らせた。遥か彼方、三重に設けられた城壁と、その中心部に聳え立つ尖塔が見受けられる。“恐嶽砲竜”はそれらを「己の破壊すべきもの」だと即座に結論した。
根拠や理屈に基づいた判断ではなかった。直感と呼ぶ方が近い。
〈骸機獣〉に刻み込まれた本能、あるいは集合的記憶の奥底に、澱として堆積した怨念がそうさせるのだろうか? あの都市を遠目に眺めるだけでも、許容不可能な憎悪が次々と湧き上がってくる。
そして、その火種はやがて明確な破壊衝動として燃え盛るのだろうと、“恐嶽砲竜”はごく自然に受け止めた。
――ならば、そうしよう。自分は「そういうもの」なのだ。
“恐嶽砲竜”は進路を変え、己の内側で徐々に激しさを増す疼きを感じながら、なにかに急かされるかの如く足を速める。
一歩ごとに目的地が近付き、霞んでいたシルエットが明瞭になるにつれて、“恐嶽砲竜”は自身が興奮にも似た熱を帯びていくのを実感した。
人間を殺す。人間の営みを破壊する。城壁を砕き、建物を踏み潰し、市街という市街に亡骸を積み上げていくのだ。目に付いたものは片端から燃やしてしまおう。悶え苦しみながら息絶えていく人間を見下ろすのはさぞかし愉快なはずだ。
――愉しみだ。
ドス黒い欲望がはっきりとした像を結び、“恐嶽砲竜”はそれこそが自分の存在意義であると悟った。
躊躇う理由はない。阻むものもない。この世界すべてを破壊し尽くせるだけの力と権限を与えられて、自分は生まれてきたのだろうから。
……“恐嶽砲竜”のそんな思考に水を差したのは、直後に体表へと走ったかすかな衝撃だった。
「――……ッ?」
否、それは衝撃と呼ぶにはあまりにも儚い、雨粒に撫でられたような感覚だ。
鳥か虫でもぶつかったのかと、疑問に首を傾げた“恐嶽砲竜”は、見た。
あり得るはずのないもの、すなわち――
「……着弾、確認ッ!!」
――己の前に立ち塞がるものを。
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“シュレーダー隊”は駆けていた。
隊列は蛇のように長く伸びた一列縦隊。高速疾走する走鋼馬を繰りつつ、“恐嶽砲竜”の行く手を塞ぐように、南側へと回り込んでいく。
「――当たったはいいが、効いてねぇか……!!」
苦々しく奥歯を食い縛るひとりの隊員へ、背後から彼の同僚が声を送ってくる。
『――だが、こっちを認識させはした! とりあえずはそれで十分だ!』
「……蚊に刺されたほどにも、って感じだがな。惚けた面ァしてやがる」
『――実際、あの図体相手じゃあ7.92×57mmの威力もその程度だろうさ』
疾走する走鋼馬の上、裂かれる大気と空素機関が奏でる轟音にも掻き消されずに届くのは、≪遠隔会話≫を利用した言葉だ。
騎士たちは如何なる状況においても意思疎通を可能とする鍛錬を積んでおり、運転と射撃を同時に行っていようが、この程度のエーテル操作は朝飯前である。
『――とにかく、ここからが本番だぞ……!』
同僚の念押しに「分かっているさ」と頷きつつ、隊員は再び機銃槍を構える。すでに皆は“恐嶽砲竜”の進行方向を塞ぎ終えていた。
これで作戦の第一段階は終了、あとは――
「根競べ、だな……ッ!!」
――副長の策が上手く行くよう祈りつつ、ひたすら耐えるだけだ。隊員は気を抜くと音を鳴らしてしまう顎を力強く噛み締め、皆と共に引き金を引いた。
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――煩わしい。
突如として割り込んできた一団は、どうやら人間どもの軍隊らしい。
抵抗のつもりか、南側へ陣取った連中は性懲りもなく射撃を続けてくる。おそらく、彼らの首都を守ろうとしているのだろう。
まさか、この程度の威力でこちらを打倒できるとは考えていないだろうが、どちらにしても無駄な足掻きだ。
無論、相手をしてやっても、別に構わないのだ。
しかし今は連中よりも、奴らの背後に控える人間の本拠地に対しての興味が大きく勝る。数えてみれば、邪魔をしてくる人間の数もたったの二十二人だ。前菜とするにはあまりに心許なく、気付かなければ進軍の過程で踏み潰していただろう。
故に“恐嶽砲竜”は「無視」と対応を決定する。思わぬ邪魔で足止めを食ったことへの不快はあるが、わざわざ力を無駄遣いしてまで排除するようなものでもない。
依然として体表で弾ける鉛玉の感覚を、無力であるとして意にも介さず、再び歩み始めようとした“恐嶽砲竜”は、
「――……ッ!!」
そこで二十二人の邪魔者たちとは別に、長大な棒切れを構えた小柄な女の存在に、気が付いた。
――奴だ。
特徴的な赤銅色の髪と真鍮色の瞳。どういう理由か、ただひとりだけ布陣の中央前方側に立ち、こちらへ向けて不遜な笑みを見せつけるその女。
“恐嶽砲竜”は覚えていた。地表へと這い出た後、森を抜けようとする過程で突然、知覚外から撃ち込まれた雷撃のことを。
当然ながら痛痒としては微かなもので、こちらの命を奪うにはあまりにも不十分な一撃であったが、少なくともひどい不愉快を覚えたことは確かだ。
今も自分の腹部装甲には、白変色した撃痕がまざまざと刻まれている。
腹立たしくはあったが、下手人の姿を捉えられなかったため、直接的な報復に関しては一旦保留としていたのだが……、
――奴が、あれを、した。
もはや、その必要はないらしい。“恐嶽砲竜”の思考に灼熱が宿る。
それは野性的にして無機質な怒りだ。
理屈が差し挟まれるよりも先、純粋な殺意へと直結する無差別の攻撃性が、明確な対象へ向けて起動する。
――殺す。
“恐嶽砲竜”はそれを確定事項とし、赤銅髪の空素術士の抹殺を、最優先タスクとして繰り上げる。人間どもの本拠地を焼き払うのは、この煮え滾る憤怒を晴らしてからだ。
決断から実行までは即座。“恐嶽砲竜”の体表部、夜闇よりもなお深い漆黒の装甲各部が、次々と展開していく。
暗黒を宿したその奥からゆっくりとせり出してくるのは、大小合わせて百基近い数の潤滑油に濡れた砲塔だ。
――消し飛べ。
そして、世界が激震する。
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殺意が引き金となり、一斉射撃が開始される。
否、その規模と威力はむしろ砲撃と呼ぶべきか。
前方を向いていたものだけでも数十基以上。それだけの数の砲塔が一斉に火を噴いたことで、その余波が莫大な衝撃として周囲にブチ撒けられた。
大気を劈いて轟く砲声は、火山噴火もかくやとばかりの凄まじさ。遠く離れた首都“ゲルプ”にまで届いたその大音響は、“シュレーダー隊”からの通信を受け、防衛体制の構築に大わらわとなっていた兵士たちをも驚愕させたほどである。
そして間近にその影響を受けた“シュレーダー隊”は、当然ながら音圧の直撃を喰らう羽目になる。
「ぅ、おおおおおッ!?」
一同を巨大な鎚で殴りつけられるような爆風が襲った。
地面から引き剥がされるような強烈な圧に、皆は戦闘鎧の脚部保持錨を用い、または機銃槍の石突きを地面に突き刺すことで必死に耐えた。
大気が諸共に吹き飛ばされたことで、一時的な真空状態さえも発生した。
頭部装甲の防護機能がなければ窒息による気絶、あるいは鼓膜破壊により、それだけで“シュレーダー隊”は壊滅していただろう。
それ以前にこれだけの衝撃を生身で受ければ、内臓のすべてが破裂し、全身の穴という穴から血を噴き出して絶命しかねない……。
しかし、これはあくまでも副産物に過ぎなかった。本命としての威力は、赤熱を纏い高速で空を駆け抜ける生体金属弾である。
“恐嶽砲竜”が体内でほぼ無尽蔵に生成可能とするこの弾丸は、一発で艦船程度なら撃沈せしめる威力を秘めていた。そんなものが雨霰と降り注ぐ様は、火山弾雨か、はたまた流星群か。
個人へ向けるには過度な極大殺傷力。地表に到達すれば、周囲一帯を完全に抉り消し飛ばすだろう破滅を前にして――
「――“雷よ”――ッ!!」
――イーリス・アーベラインは、それでも皆の生存を諦めてはいない!
彼女は額から顎までを汗に塗れさせ、表情には色濃い焦燥を表していながらも、喉奥から力ある詞を朗々と紡ぎ出していく!
「――“威を以て穿つ力よ”、“迸り”、“分散し”――」
その発動詞は彼女が得意とする≪ブリッツ・ラケーテ≫とは似て非なるもの。
「――“我が敵を”、“数多”、“射貫け”――」
それは発動詞の改変だ。
より正確に言えば≪ブリッツ・ラケーテ≫とは、現在イーリスが詠唱している術の短縮形であり、これより放たれるものこそが本来の形なのである。
ならば、顕現する現象は如何なるものか? その答えは詠唱術の完成を以て、すぐさま明らかとされた。
「――≪ブリッツ・シュピリッツ・ラケーテ≫ェ――ッ!!」
イーリスの指先が“共振杖”の引き金を引くと同時、その先端から生じた鮮烈な放電閃光は、数多に分散する紫電と化して空を駆け抜けた!!
敵が極大数で攻めてくるなら、こちらも極大数で対抗すればいい。
百の弾雨には百の紫電を、千の弾雨には千の紫電を。
その光景はまさに、大輪の花が咲くが如く。
地上より伸びた無数の花弁は、強烈な輝きを発しながら光速度の威力として、降り注ぐ生体金属弾を迎撃する。
天と地、双方から放たれた射撃は、その全てが中空にて激突相殺。
収束した高圧電流に射貫かれた生体金属弾は、いずれも弾体を砕かれ、その尽くが大地に到達する前に炸裂四散させられる。
数千発の花火を一挙に打ち上げたような爆音が一帯を席巻し、微塵と砕かれた弾雨の破片はもはや当初の威力を失った状態で、虚しく地に落ちていくしかない。
――“恐嶽砲竜”の攻撃を、ただひとりの空素術士が防ぎ切ったのだ。
「……どうだ、……この、クソッタレが!! 吠え面、かきやがれッ!!」
髪先までを零れる汗でしとどに濡らし、熱く荒い息をぜいぜいと吐きながらも、イーリスは勝ち誇る。
一発たりとも過たぬ正確無比の絶技。これこそがイーリスの本領であり、彼女が血の滲む努力によって身に付けた実力だった。
そう。〈烈刃〉の御目付役にして、操縦桿として広く認知される彼女もまた、個人の武勇において絶大なる評価を受ける猛者なのだ。弱冠二十三歳にして〈巡回騎士隊〉の副長を任ずるのは、伊達でも酔狂でもない。
人は呼ぶ。〈万雷閃〉イーリス・アーベライン。
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捕捉:骸機獣の命名法則について。
ローカルな俗称を除き、基本的には各国共通の名称に統一されている。
その命名法則は概ね「主として用いる攻撃手段」+「類似する生物の名前」であり、これは一目で迅速に骸機獣の種類・性質を判別するためである。
また、外見が類似する個体が複数存在する骸機獣に関しては、特徴差異で分類しそれを名称に設定する場合もある。
例:“三眼狼”と“首無狼”。
なお、他に近似の種が存在しないような特異個体に関しては、発見者が固有の名称を設定する場合も稀にだが存在する。
因みに骸機獣図鑑はこの世界で最も広く、かつ多く売れている書物のひとつであり、各国語ごとに翻訳されたバージョンが普及している。




