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通り雨の旅行士《トラベラー》  作者: 赤黒伊猫
序章:草原騒乱四重奏
16/41

シーン15:烈刃、修羅の如く



 -§-



 肉と機械の入り混じる大小の欠片が、火花を散らして宙へと砕け舞った。


 黒々とした油に塗れたそれらは、天から降り注ぐ陽光を受けて輝きながら地に落ち、ひどく耳障りな音響を掻き鳴らす。ガラクタを詰め込んだ大量のゴミ箱が一斉に落下したような喧しさが一帯を支配し、そして――


「……〈骸機獣(メトゥス)〉」


 ――その只中に立つリーンハルトが、言う。


「〈骸機獣(メトゥス)〉、〈骸機獣(メトゥス)〉、〈骸機獣(メトゥス)〉……」


 そよ風に吹かれればたちどころに消えてしまうような、微かな呟き。それを、リーンハルトは幾度も幾度も繰り返した。彼の眼前にずらりと蠢き(ひし)めく、紫黒色(しこくしょく)の瘴気に包まれた異形の軍勢へと向けて。


 対し、人に仇為すことのみを存在理由として身に刻み込んでいるはずの異形たちは、動けない。血と涙、慈悲を持ち合せない冷酷無情の殺戮者どもが、たったひとりの人間を前に地に足を釘付けられている。


 それはけっして生物らしい「恐れ」を示す反応でなく、単純に現象の不可解さから生じた思考的空白のためだ。


 何故、ただの人間が放った徒手空拳があれほどの威力を発揮したのか? そして何故、生身でありながら周囲に満ちる濃密な瘴気の中で平然としていられるのか?


 〈骸機獣(メトゥス)〉たちの認識において人間とは、装備品でごてごてと全身を守らなければ満足に戦うことさえ難しいような、他愛もない存在でしかない。

 血が許容量を超えて体外に漏れれば死に、瘴気を吸い込むだけでも行動不能になる。場合によっては直接手を下さずとも、あっさり死に至る脆弱な生命体だ。

 だからこそ奴等は群れ集い、銃や剣といった武装を頼って戦うのではないか。


 ――それが何故、あの男は単身で立ち向かってくる?


 言語と呼ぶにはあまりに無機質かつ禍々しい唸り声を用いて、異形たちは目の前の男に対する疑問を交わし合い、殺戮の算段を付けていく。


 あの男が身に纏っている軽装の戦闘鎧(コンバット・メイル)。その表面から放たれる淡いエーテル光が、なんらかの防護機能を発揮しているのだろうか。

 ならば、それを剥ぎ取ってしまいさえすればカタは付くはずだ。

 そもそも、人間である以上は首を落とせば確実に死ぬのだし、手足をもぎ取れば動けなくなるに決まっている。


 ――つまりは簡単なことだ。死ぬまで痛めつけて殺せばいい。

 ――数ではこちらが遥かに勝り、攻撃手段の豊富さでは比較にならない。

 ――所詮はただの人間、包み込み圧殺していけばいずれはただの死体と化す。


 あくまでも対象の殺害のみを目的とする〈骸機獣(メトゥス)〉たちが、己の本能と常識に照らし合わせて至極単純な行動方針を導き出したと同時、頭部装甲(ヘルメット)さえ装着していないリーンハルトの顔にある動きが起きた。


「貴様らは……、どこにでも現れるんだな……」


 言葉と共に、リーンハルトの表情が変わる。これまで見せていた能面じみた無表情から、鬼気迫るまでの憤激と憎悪を表出させた、歪み捻じれたものへと。その様を例えるならば悪鬼。あるいは修羅。


 間違っても、まともな人間がしていい形相ではなかった。


 ……否、すでにリーンハルト・シュレーダーという男は、まともではない。


「殺す」


 その証明を、リーンハルトは口にする。


「俺は、貴様らを、皆殺しにする」


 笑みとも嘆きともつかない形を作る口元の裂け目から、灼熱を纏った感情が低く沈んだ声に乗って、零れ落ちていく。

 長身痩躯の肉体には爆発寸前の力が漲り、筋肉が軋む不気味な音が鳴った。

 灰褐色の前髪下、残った左目が爛々とした光を灯す。淀み沈んだ鉄色の瞳、その奥底から漏れ出す光の正体は意思の炎。

 それは、紅く煌々と燃え盛る炎ではない。すでに燃え尽きた灰の内部でいまだ燻り、熱だけを保ち続ける昏い焔だ。


「この地上から、滅ぼしてやる。そのために今日まで生きてきた。そのためにすべてを費やしてきた。ああ、そうとも、そうだろうとも――」


 彼の人生はそのためにこれまで続いてきた。

 彼の肉体はそのために鍛え上げられてきた。

 彼の精神はそのために打ち固められてきた。


「――貴様らが現れる度、俺は必ずそこに行く。一体ならば一体。百体ならば百体。その姿が粉微塵と化して消え失せるまで、叩き潰し切り刻み打ち砕き捻じ伏せ鏖殺してやろう」


 何故ならば、


「貴様らが人々にしてきたように、そっくりそのままを応報としてやる」


 もはや、それだけがリーンハルトの胸に宿る生き甲斐だからだ。


 ただひとつ残った人間性の他にかなぐり捨てた、有り得たかも知れない未来と引き換えに手に入れた力と意志。始まりは彼自身が望んだものでなくとも、五年間という歳月が固定化させた存在意義。


 そう、〈骸機獣(メトゥス)〉が人間を殺すように、〈骸機獣(メトゥス)〉を殺す人間。


「恐怖も苦痛も、その腐れた身体に刻み付けて、殺し尽くしてやる……ッ!!」


 そうあれかしという宣言を放ち、瞬間、リーンハルトの身体が消えた。僅かに響いた地を蹴る音と、千切れ舞う草と、淡い残光をその場に残して。


「――ッ!?!?」


 思わぬ現象に〈骸機獣(メトゥス)〉たちが一斉に身動ぎする。


 リーンハルトの動きは、彼らの感覚器官に捕捉可能な速度を遥かに超えていた。急速に警戒認識を引き上げる無情の殺戮軍のうち、応戦のために内蔵武器を展開しかけた、一体の“三眼狼”が――


「遅い」


 ――次の瞬間、両断されていた。


 放たれたのは、ごくシンプルな右の手刀だった。

 戦斧めいて肩上から打ち下ろされた強烈な一撃が“三眼狼”の背中へと叩き込まれ、断裂音が大気を鳴らすよりも早くその脊柱を砕き割っていたのだ。

 あまりの威力に“三眼狼”の身体はVの字に折れ曲がり、跳ね上がる勢いのまま、頭と尻が互いに打ち合う。


 そしてその打音が生じた時、すでにリーンハルトは次の獲物へ向け、暴風の如き勢いで襲い掛かっていた。


「――疾ッ!!」


 撃破された“三眼狼”の傍ら、反応すらできずに立ち尽くしていた“曲刃猿”の首が刎ねられた。歯を剥いた凶悪な面構えを備えた頭部が、切断時に受けた速度によって錐揉み回転しながら、明後日の方向へと吹っ飛んでいく。


 名前通り猿のような身体に鋭い曲刃(ショーテル)の両腕を持つ小型〈骸機獣(メトゥス)〉であった。

 強靭な脚部としなやかな尾を用い、曲芸師のように飛び跳ねながら人の首を刎ねて回るこの異形は、まさに所業の意趣返しにも等しい一撃を受け、己の機能を発揮する間もないまま頽れた。


 二体の犠牲を受け、ようやく周囲の〈骸機獣(メトゥス)〉が動き出す。


 彼らに同胞への悼みなどは有り得ず、味方を失ったことによる動揺もまた介在しない。即座に敵対存在の排除を目指し、雪崩打って攻めかかった紫黒色(しこくしょく)の圧力は、一旦リーンハルトの身体をドーム状に覆い隠すが、


「それが、どうした」


 次の瞬間、内側から食い破られるように膨らみ、爆ぜ、消し飛んだ。


 十体以上の〈骸機獣(メトゥス)〉が一時に撃破され、粉々に砕けた破片が辺りに撒き散らされる。力を放ったリーンハルトは天へ向けて腕を突き上げた姿勢。その身に纏うエーテル光は、いっそう光度を増して力強く輝いた。


「こんなものか? それとも――」


 歪み切った表情から粘着くような言葉を垂れ流しつつ、リーンハルトは攻勢を続ける。彼はあえて最も〈骸機獣(メトゥス)〉が密集している場所へと飛び込み、その内部で竜巻の如くに荒れ狂った。


 寄らば斬り、触れなば砕く。リーンハルトはまさに暴威を纏う風と化し、ほとんど一方的に敵を屠っていく。


「俺が、怖いか。恐ろしいか。痛いか」


 振るうのは腕、脚、肘。

 打つのは拳、蹴撃、刺突。

 起きるのは砕、断、破。


「なら、手足がもがれるのはどんな気分だ?」


 リーンハルトは四方八方から息つく暇もなく襲い掛かる無数の凶器と殺意を掻い潜り、受け流し、ほんの少しも臆さないまま踏み込んでいく。そうして先に宣言した行動を、周囲の〈骸機獣(メトゥス)〉相手に実現させていく。


「胴体を引き裂いてやろうか」


 “鋸蟷螂”が両椀鎖鋸(チェーンソー)の斬撃を放ってきた。


 両袈裟斬りに迫る凶悪な二刃を、リーンハルトは素早く敵の懐へと踏み込むことで回避。がら空きとなった胴体へ諸手を突き込み、生温い感触を手の平に感じながら、リーンハルトはスナック菓子の袋でも破るように容易く左右へ引き開けた。


「首を圧し折るのもいいな」


 “斧蜥蜴”が背後からお辞儀めいた動作で頭部斧を叩き込んできた。


 唐竹割りの勢いを伴う極厚の刃へ、リーンハルトは振り向きざまに裏拳による一撃を与えた。強引に軌道を逸らされた頭部斧が、リーンハルトの肩横を掠めて地面を打ち、刃が深々と埋まる。身動きの取れなくなった“斧蜥蜴”の無防備な頸椎へ、リーンハルトは真横から直蹴りを叩き込み、圧し折った。


「顔面を叩き潰すのも悪くない」


 “錐突猪”が角を振りかざし猛烈な突進を加えてきた。


 重量級の高速突撃を、リーンハルトは真正面から受け止める。肉と肉の激突により鈍い衝撃音を響き、しかしトウヒの大木を擬人化したような男は、微動だにしない。必死に地を蹴り付け前進を試みていた“錐突猪”の脳天へ、リーンハルトは無慈悲な肘鉄を撃ち落とし、叩き割った。


「……さあ、どうした――」


 全ては秒針が一回りする間に完了した。リーンハルトに疲弊した素振りはなく、彼は再び新たな獲物を求め、手当たり次第に力を振るい続ける。血走った眼と引き攣った笑み。その立ち回りは大古に伝えられし狂戦士(ベルセルク)そのものの様相だ。


「――まだ、終わっていないぞ」


 再びリーンハルトが地を蹴り、直後に再び破壊の嵐が巻き起こる。


 止められるものはない。爪も、牙も、刃も、鎌も、斧も、鎚も、攻撃者の五体を打ち砕くどころか僅かな抵抗さえも叶わず、為す術もないまま蹴散らされていく。


「両腕を肩からもがれるのは? 自分の尻に口付けするのは? 腸を掻き混ぜられるのは? 全身を削り取られるのは? 三分割にされるのは? 頭から股間まで真っ二つにされるのは?」


 すべて、容赦なく、その通りになる。リーンハルトは蹂躙の限りを尽くした。


 残酷、苛烈、無慈悲。まさに彼自身の五体が〈骸機獣(メトゥス)〉にも劣らぬ全身凶器だ。

 燐光の一線を流れるように背へ引きながら、血濡れの修羅と化した〈烈刃〉がその綽名の意味を証明するかの如くに暴れ回る。

 戦場には破壊の合奏が延々と奏でられ、破壊された〈骸機獣(メトゥス)〉の骸があちらこちらに堆く積み上げられていく。


「こんなものじゃあないぞ」


 それでもリーンハルトは己の所業に満足した風もなく、事も無げに言い放った。


「貴様らがあの日したことは、こんなものじゃあない。俺は憶えている。なにもかもを憶えている。この左目だけでなく、失われた右目にも、今そこにあるように浮かぶ風景だ。それを残らず再現してやるぞ――」


 食い縛った歯の奥から、引き絞り出すかのように、呻き叫ぶ。


「――あの地獄を、貴様らにも味わわせてやるぞ〈骸機獣(メトゥス)〉ども……ッ!!」



 -§-



 ――あの光景が、五年経った今でも網膜に焼き付いている。



 -§-



 一日の始まりは、普段となんら変わりのない日常だった。


 日の出と共に起床し、朝早くから母が用意してくれた朝食を食べ、父と共に仕事場へと向かう。俺が十歳の頃から変わらない、とっくにルーチンワークと化した一連の流れだった。


 自宅の玄関を出て、息を大きく吸い込めば、澄んだ朝の大気が鼻腔を擽りそのまま滑らかに肺へ滑り込む。この感覚が俺は好きだ。全身に染み渡る涼しさが、頭の片隅にこびり付いていた眠気の欠片を綺麗に洗い流してくれるようで……。


「……行くぞ、リーンハルト」

「ああ、父さん」


 その声に応じ、白み始めたばかりの空の下を、父と肩を並べて歩き始める。


 周囲、ほとんどの家はまだ穏やかな眠りの中にあるのか、街は静寂に包まれている。音階を作り出すのは、父と俺、二人分の靴音のみ。

 道中で特に目立って会話はない。せいぜいが今日すべき仕事の予定を確認するため、必要最低限の一言二言を交わす程度だ。


 べつに不仲というわけではない。

 父は元々口数が少ない方で、息子である俺もそれに自然と倣っているだけだ。食卓などでも父と二人きりでは賑やかな談笑が生まれることはまずない。なにを話して良いのか分からないというより、単にその方が気楽なだけなのだが。


 一方、陽気で朗らかな母はとにかく多弁だ。

 家庭で話題の口火を切るのはもっぱら彼女からで、料理をする間などはよくシュタルク共和国の流行歌を歌ったりしている。

 そうして父と俺が黙々と作業をしているところへやって来ては、不思議そうな表情で「似た者同士、以心伝心なのかしら?」とよくからかったりもする。


 そういえば、父は何故こうまで正反対の性格の母と結婚したのだろう?


 俺の目にも夫婦仲は円満で、喧嘩など一年に一度あれば多い方だ。

 普段のやり取りも基本的に母があれこれと話しかけ、父が言葉少なに相槌を打ったり頷くだけなのだが、母はそれでも満足そうにしている。

 一度だけ聞いてみたところ、どうやら昔からそんな関係が続いているらしい。


 翻って俺の幼馴染などは、突然家を訪ねてきてはあれこれと捲し立て、終いに「もっとハッキリ反応してよ」と不満気な表情になることがしばしばだ。俺としては最大限に会話をしているつもりなのだが、やはりコミュニケーションとしての不足は否めないのだろう。


 正直、快活という概念を形にしたような彼女の仕草や声を見聞きしているだけで俺は十分に楽しいのだが、そう伝えると彼女は途端に顔を真っ赤にして怒り出す。

 そうして不機嫌そうに別れた翌日、すっかり機嫌を治して再び俺を訪ねてくるのだ。あるいは、父と母の関係もそのようなやり取りの先にあったのだろうか。


 と、そこで件の幼馴染が今日、朝から一家で首都へ出掛ける予定であることを思い出す。ならば、帰宅後にはたっぷりと俺に土産話を聞かせてくるはずだ。

 彼女が首都の散策を思う存分楽しんでいる様子を想像すると、思わず口元が緩む。すると、横を歩いていた父が訝し気にこちらへ視線を向けてきた。


「……嬉しそうだな、どうした?」


 問われ、俺は口を開く。


「いや、イーリスは今頃どうしているだろう、と思ったんだ」

「ああ、そうか。今日あの子たちは首都に買い出しだったな」


 頷きつつ見返せば、父の表情も穏やかな雰囲気を纏っている。


 父にとってもアーベライン一家は長年来の友人で、家族ぐるみの付き合いは今も続いている。本来なら、今日は俺たち一家も共に出掛ける予定だったのだが、生憎家業の依頼が立て込んだおかげでお流れになってしまった。


「……すまないな、リーンハルト。お前も行きたかっただろうに」


 父が申し訳なさそうに言うのに、俺は首を振った。


「いいさ、俺から言いだしたことだ。父さんの腕前を信頼していないわけじゃないが、仕事は早めに片付けるに限る。他にやることも多いんだし、少しでも手伝いができるなら不満はないよ。首都ヘは、また今度行けば良い」


 父はこの“フェーデル市”で、代々続く仕立て屋稼業を営んでいる。


 店構えは大した大きさではないが、近所でも父の腕前は評判でそれなりに繁盛しており、今回は間近に控えた皇帝の誕生日祝賀の関係で、式典に出席する人々から礼服の仕立て直し依頼が押し寄せたのだ。


「……滅多にあることじゃないし、仕事を覚えるには良い機会だしさ。むしろ、俺としては望むところだよ。間近に父さんの手裁きを見れるのは勉強になる」


 これは俺の偽らざる本音だった。


 贔屓目を差っ引いても父の腕前は“フェーデル市”で一番だろう。真剣な眼差しで仕事に励む父の姿は、幼い頃から俺の憧れだ。尊敬する父の跡が継げるならば、今の俺にとってそれ以上の望みはない。


「……ふん、一端の口を利くじゃないか。今から後継ぎになったつもりか、リーンハルト? お前など、俺から見てみればまだまだだ。雇いの職人たちの方がよっぽど良い仕事をするぞ」


 厳しい口ぶりとは裏腹、父が喜んでくれていることが伝わってくる。その証拠に父はいつになく雄弁に言葉を続けた。


「現役を譲るつもりは当分ない。よく見て、よく覚えるんだな。そして、心得ておけ。布の一切れ、糸の一本に至るまで、手を抜いて良い個所など有り得ない。針を一本通す場所を間違えるだけで、衣服の出来は大きく変わってくる……」

「……指先に神は宿る、だったっけ?」

「その通りだ、リーンハルト。俺たちは針を通して衣服に祝福と祈りを与えていくんだ。それを着る人々が幸福に過ごせるよう、全身全霊を掛けて挑むのが俺たちの心意気というものだ」


 父の言葉は腕前に驕った軽薄なものではなく、誠意と確信を込めた力強いものだった。いつの間にか足を止めて聞き入ってしまっていた俺に、父は気恥ずかしそうに苦笑した。


「……語りすぎたな。まずは仕事だ、行くぞリーンハルト」


 遅れを取り戻すように足を速めた父に、俺も慌てて着いていく。その時ふと、父が小声で呟いた言葉を俺は聞き逃さなかった。そして、俺自身もそうであればいいと、心の底から願った。


「……お前の花嫁に、いつかドレスを仕立ててやれるような日が待ち遠しいよ。お前に家業を継がせるのは、少なくともその後だな」



 -§-



 ――この時の俺は、そんな日々が来ることをまったく疑っていなかった。


 暖かく穏やかな、笑顔とやりがいに満ちた情景。

 父と母、そこに叶うことならばイーリスを加えて過ごす生活。

 もしも実現したならば、命を懸けてでも守りたかったはずの未来。


 それらが一瞬にして焼け落ち、蹂躙され、奪われた。

 五年前のあの日、突如として街を襲った〈骸機獣(メトゥス)〉の大群によって。

 なにもかもあっという間に、理解する間もなく、全ては喪われていった。



 -§-



「――よし、この辺にしよう」


 正午が過ぎ、客足が遠のいた頃合いを見計らって父は一旦仕事を切り上げた。


 父自身はそれこそ一日中でも仕事を続けられるような精神力の持ち主だが、まだ未熟な俺や雇いの職人たちにとっては、流石にそれは無理が過ぎるというもの。

 そして、仕事の精度を保つためには適度な休息と十分な栄養補給が必要であることを、父はきちんと心得ていた。


「皆、お疲れ様。各自で休憩を取ってくれ。一時半には戻ってくるように」


 父の言葉に返答をし、雇いの職人たちは三々五々に散っていく。父と俺も仕事場を施錠し、昼食を摂る為に自宅へと向かう。

 帰路、朝とは打って変わって通りには大勢の人が行き交い、賑やかな喧噪が生まれていた。やはり食事時であるためか、彼方此方からパンが焼ける良い匂いが漂ってくる。


「おや、シュレーダーさん! 良かったらサービスするから、ウチのパンを買ってくかい? 焼きたてだよ!」

「シュレーダーさんじゃないか! この前仕立ててもらった服、娘も喜んでいたよ! また今度頼むからね!」

「リーンハルトくんか、大きくなったな! どうだい、仕事終わりにウチで一杯? 可愛い子もいっぱいいるぞぉ!」


 道を行けば、よく見知った人々が愛想良く声を掛けてくる。

 その多くは仕立て屋の常連だ。一見して不愛想に思われがちな父も、この時ばかりは微笑みを浮かべ律義に返事をしていく。

 俺たちの家業は、彼らに支えられていると言っても過言ではないからだ。


「いいか、リーンハルト。お客様との関わりを厭うな。それは媚を売るためでなく、誰がなにを望みどのような好みを持っているかを正しく把握するためだ。大量生産の工業製品では作り出せない、その人にとっての唯一無二を提供するのが、俺たちの存在理由なんだからな」


 常日頃から言い聞かされている言葉だ。


 父はまさに、己の仕事に誇りと責任を抱く本物の職人である。だからこそ、俺は父のような男になりたかった。自分にとって大切なものを守り続け、他者へと掛け替えのない価値を提供できる、そんな人間に……。


「……おや、どうしたんだ?」


 途中で食料品などを買い込みつつ、やがて住み慣れた家の姿が見えてきた時、不意に父が声を上げた。見れば、玄関の扉が中途半端に開け放たれている。


「不用心だな……。しかし、あいつがこんな粗相をするなんて珍しい」


 父は不愉快そうに、しかし怪訝そうに首を捻った。


 母は普段の言動とは裏腹にけっして粗忽な性質ではなく、むしろ戸締りや家事は几帳面に熟すような人だ。間違っても玄関の鍵を掛け忘れたり、開きっぱなしのままにはしないはずなのだが……。


 急にわけのわからない不安が胸に押し寄せ、父と俺は足を速めた。


 玄関の前まで来ると、母がいつも作ってくれるスープの好い匂いが鼻腔を擽った。そこになにかツンと刺すような臭いが混じっているのは、気のせいだろうか。

 きっとなにかの手違いで、母は普段通りに昼食の準備をしているに違いない。

 そんな思いとは裏腹に、俺の心臓は早鐘を打ち始める。家の中からは、相変わらず、物音ひとつしない。母の陽気な声が、聞こえない。


 ひどく、嫌な予感が、する。


「……帰ったぞ! おい、どうしたんだ!?」


 父の呼び掛けにも返事はなかった。母は俺たちが帰る頃、必ず示し合せたように出迎えてくれるのが常なのに。

 明らかに、様子がおかしい。手の平に汗が滲み、全身に怖気が立った。嫌な予感が、ますます大きく、膨らんでいく。


「……リーンハルト、気を付けろ。物盗りかも知れん」


 父は重々しい口調でそう言いながら、玄関近くに立てかけてあった長柄のスコップを手に取ると、家の中へと土足で踏み込んで行った。

 父もこの異常な雰囲気に警戒をしているのだ。

 現状ではなにより頼もしい父の背中を見つめながら、俺もゆっくりとその後を着いていく。床の汚れは後で掃除すれば良い。


 そうとも、全てが勘違いならば、ただの笑い話で済む。


 生まれてからずっと過ごした家の間取り、玄関から居間までは数歩で辿り着く。

 故に、俺はなんの覚悟も身構えもなく、それを直視する羽目になった。

 胴体と首をそれぞれブツ切りにされ、血溜りに沈んだ母の姿を。


「――ぁ、……?」


 吐き気すら、湧き上がらなかった。

 目の前の光景に心が追いつかない。

 あまりにも、現実感が欠けていた。


 べっとりとした赤色に塗れた母の顔は、知り合いに肩を叩かれたようなきょとんとしたもので、苦痛や恐怖を微かにも浮かべていない。

 父が母の誕生日にプレゼントした手製のエプロンはドス赤く変色し、ズタズタに引き裂かれている。すべてはいっそ性質の悪い作り物であるかのように、ただそこに()()()()という風情だ。

 なにせ、母の形をしたそれは、瞬きひとつしないのだから。


「母、さん?」


 あれだけ饒舌であった母が、俺たちが帰宅したのになにも言ってくれない。呆けたように半開きとなった口からは、あの耳に馴染んだ明るい声を聞かせてはくれない。それが不思議で堪らず、俺は微動だにせず立ち竦んでいた父の顔を見ようと、一歩を踏み込んだ。


「――逃げろ、リーンハルトッ!!」


 父が今までに出したこともない大声を上げたのは、その瞬間だった。


 恐怖と絶望に引き攣った父の泣き顔が突然こちらを向き、直後に俺の身体が強く突き飛ばされる。なにをするんだと、問い掛ける暇さえなかった。


 遠ざかっていく父の姿が、コマ送りのように見え――


「父さ、」


 ――父の姿が、脳天から股下まで、一息に断ち割られた。


 まるでトマトに包丁を入れたような、水気をたっぷり含んだ「さくり」という音を響かせながら、父は真っ二つとなった。

 遅れて噴き出した鮮血が辺り一帯を一色に染め上げる。

 いつも家族が食事に使っていたテーブルも。母が趣味で育てていた小さな観葉植物も。父が大事にしていたコーヒーカップも。

 日常を象徴するなにもかもが、一瞬で血飛沫に塗り潰された。


「…………、」


 鉄錆臭さを全身に浴び、俺は尻餅をついたまま動けないでいた。

 見上げた視界、父と母を殺害した異形の姿がある。

 天井に張り付いた八本足。正確な名前など知るはずもない、巨大な蜘蛛のような()()()。細長い足の先に真新しい鮮血を滴らせながら、そいつは禍々しい赤光を宿した複眼で俺を睨んだ。


 ――〈骸機獣(メトゥス)〉が、何故、俺の家にいるんだ。


 その直後、俺が死なずに済んだのは、あくまでも偶然だろう。

 立ち上がろうとして姿勢を崩した拍子、蜘蛛のような異形の足が一本蠢き、目にも止まらぬ速度で俺へと迫った。避ける暇などありはしなかった。

 ほとんど同時、俺の右半顔にひやりとした感触が走る。すると、そちら側の視界が唐突に喪われた。右目は開いているはずなのに、そちら側が見えない。


「ぇ、あ……――ッ!!?!」


 激痛は一拍置いてやってきた。


 断ち割られた自分の右半顔から、凄まじい勢いで赤色の噴水が宙に迸るのを、残った左目だけが目撃した。そして、悶えるような、熱い痛み。

 俺は意味不明な喚き声を喉奥から絞り出しながら、完全に錯乱状態となってその場を逃げ出した。怖い。ただひたすらに怖い。死にたくない。背後から迫ってくる、気味の悪い足音に怯えながら、一心不乱に玄関を飛び出して、


「――――ッ!?」


 街が。故郷が。“フェーデル市”が。


 紅蓮の炎と黒煙に巻かれているのを、目撃した。



 -§-



 ――その後、どうやって生き延びたのかは覚えていない。ただ、なにがどのように喪われていったのかは、鮮明に覚えている。


 なにもかもが燃えている。

 なにもかもが崩れている。

 なにもかもが叫んでいる。


 大通りは瓦礫と死体で埋め尽くされていた。

 老いも若きもまともな死に方をしていない。首が捩じ切られ、腹が裂けて腸が零れ落ち、砕けた頭から脳味噌がはみ出て。

 そのすべてが、ミキサーにでも掛けられたように、ごちゃ混ぜになっていた。


 そんな状態でも、幾つか知った顔を見付けられた。見付けてしまった。

 朝も顔を合わせた近所の人々、実家の仕立て屋に勤めていた同僚たち、学校に通っていた頃のクラスメイト。

 その全員が、表情が判別できる者は例外なく、恐怖と苦痛に塗れた絶望を浮かべたまま事切れていた。


 周囲からは未だに悲鳴が途切れることなく響いていた。


 親を求める子の声。子を求める親の声。ただ純粋に痛みを訴える声。助けてくれと哀願するか細い声。狂ったような哄笑。悲哀に満ちた絶叫。その大半は唐突に立ち消え、二度と聞こえなくなった。


 生存者とも行き会った。


 例えば、顔の半分を血に染めた壮年の男性。彼は逸れた妻を探していた。例えば、手を繋ぎ合って逃げる若い男女。二人は必死に希望を語り合いながら駆けていた。例えば、もう息をしていない赤子を抱いて半狂乱になっている婦人。彼女は俺の呼び掛けにも応えず座り込んだままだった。


 そして、その全員が死ぬ様を、俺は見た。


 壮年の男性は肩口から首までを齧り取られた。若い男女は取り囲まれて二人揃って八つ裂きにされた。婦人は最期の瞬間まで赤子を庇ったまま全身を砕かれた。俺は彼らになにもしてやれなかった。誰も救うことはできなかった。


 そんな地獄の中を無我夢中で駆けずり回っているうち、やがて駆け付けた〈ゲルプ騎士団〉に救助されたことだけが、ぼんやりと記憶の最後に残っている。そうして意識を失い、再び目覚めた時、俺の故郷は跡形もなく消え失せた後だった。


 あの日から俺は変わった。変わらざるを得なかった。怪我が治り次第に軍へと志願し、死に物狂いで訓練を受けた。

 苦痛も疲労も一切を感じなかった。完全に心が麻痺し、他者の言葉も周囲の状況も、なにひとつとして目に入らなかった。

 俺を追いかけて軍に入隊した幼馴染のことも、彼女が過酷な軍隊生活に苦しんでいた事実も、意識から半分締め出されていた。


 目の前の現実を正しく受け止めたのは、軍に入ってから一年が経った頃だった。ある出来事をきっかけに、イーリスに泣きながら横面を張り飛ばされて、俺はようやく現実に引き戻されたのだ。


 あまりに情けないことだが、俺はその時になって初めて、彼女がずっと傍にいてくれたのを認識できたように思う。大切な幼馴染であったはずの彼女のことを。


 この心底ろくでもない大馬鹿者を、それでも変わらず想い続けてくれていた彼女には、死んでも詫び切れないと思っている。それを言えば、今の彼女は本気で怒ってくれるのだろうが、だからこそ自分の不甲斐なさに腹が立つ。


 しかし、正気に返ったとして、もはや取り返しのつくものは存在しない。イーリスだけが唯一、今の俺をこの世界に繋ぎ止める縁だった。

 その頃すでに〈骸機獣(メトゥス)〉との戦闘も経験していた俺にとって、生き甲斐と呼べるものは、奴らをどれだけ多く殺せるかという執着のみ。

 故に自ら望んで〈災厄の禍年(カラミティ)〉の影響色濃い未整調地帯へと身を投じ、片端から異形どもを葬り続ける日々がまた一年ほど続いた、そんなある日。軍内部でも疎まれていた俺に、こんな誘いがかかった。


 好きなだけ〈骸機獣(メトゥス)〉を殺せる〈巡回騎士隊〉に、興味はないか、と。



 -§-



 暖かな思い出と、身を引き裂くような残酷。相反する二つを混ぜこぜにした回想は一瞬のうちに過ぎ去り、現実が帰ってくる。

 戦いと破壊。どれほどの憎悪を叩きつけても収まらない、恨み重なる〈骸機獣(メトゥス)〉を、自分自身が虐殺して回る光景が。


 これではまるで、立場が逆転したようだな。


 ふと、そんな思考が妙なおかしみを生んだ。それは、父や母と過ごした日々で感じた暖かいものでなく、ドス黒く濁り切った憎悪に近い感情だ。間違っても騎士として、人として正しい心の持ちようではない。


 しかし、リーンハルトは思う。それでも良い、と。


 自分が修羅に堕ちるだけで、あの日の応報が行えるのならば。

 自分から全てを奪い去った〈骸機獣(メトゥス)〉へ復讐ができるのならば。

 過去の想い出も、明日への望みも、今を生きる喜びも。なにもかもを台無しにされて苦しみ藻掻き死んでいった人々の恐怖と苦痛を、僅かばかりでも心持たぬ怪物共に与えられるのならば。


 ……ああ、そうとも、そうだろうとも。こんなものじゃあないのだ。


「父と、母と、あの日“フェーデル市(あそこ)”に居たすべての人々が受けた苦しみは、こんなものじゃあないんだぞ……ッ!!」


 言いつつ、リーンハルトは新たな目標を定めた。真正面、まっしぐらにこちらへ突進してくる“鉄棺熊”だ。怒り狂う〈骸機獣(メトゥス)〉は敵味方の区別なく、立ち塞がる物体を無差別に跳ね飛ばし、破砕しながら迫ってくる。


「――GWOOOOOAAAAAAAAッ!!」


 乱杭歯の奥から迸る、血も凍るような咆哮を真正面から浴びせられ、それでもリーンハルトは怯まない。

 むしろ、彼は望むところと言わんばかりに、一歩を踏み出した。

 技もなにもない無造作な動き。その髪先に、高速回転する“鉄棺熊”の破砕機(シュレッダー)が、触れようとする――


「――ぃ、あああああああああああああッ!!」


 ――直前、リーンハルトが絶叫した。恐怖でなく、殺意を込めて。


 そして彼は右拳を突き出した。


 轟、と大気を突き破り放たれる一撃が、真っ直ぐ“鉄棺熊”の破砕機(シュレッダー)へ向かう。傍から見れば自殺行為でしかないその動きが、ふたつの破砕を生じさせた。


 ひとつは当然ながら、リーンハルトの右腕を覆っていた戦闘鎧(コンバット・メイル)

 破砕機(シュレッダー)に巻き込まれた装甲部が、一瞬にして削り取られ粉々となり、紙吹雪でも散らすような勢いで排出される。


 そして、もうひとつは、


「――GWOAuGAGAAAAAAAAッ!?!?」


 “鉄棺熊”の破砕機(シュレッダー)そのものだった。


 リーンハルトの右腕が突き込まれた刃の連なりは、内側から強引に押し広げられたように撓み、直後に負荷に耐えきれず盛大に断裂する。

 その気になれば自動車両一台を丸ごと鉄屑へと変える“鉄棺熊”最大の武器が、あろうことか人間の腕を砕けなかったのだ。


 一方、リーンハルトが痛痒を受けた様子は微塵もない。


 彼は突き込んだ右拳を、チリ紙でも引き抜くような容易さで引き戻す。

 その動作で破砕機(シュレッダー)はさらに大きく歪み、とうとう完全に破断した。

 破片を撒き散らしつつ、仰向けに倒れ込んでいく“鉄棺熊”へ、リーンハルトは駄目押しの一撃を加えに行く。


「ふっ――」


 軽い呼気と共にリーンハルトは地を蹴った。彼はそのまま“鉄棺熊”の胴体を足掛かりに、より高く跳躍する。

 空中へ躍ったリーンハルトは、身を捩らせて前方へ半回転。頭部を下に、踵を上に向ける。無論、それは流れの中で生じた一瞬の切り取りだ。

 すぐさまリーンハルトは残りの半回転を行い、遠心力を乗せた踵落しを“鉄棺熊”の脳天へと叩き込んだ!


「――GuBAGoッ」


 炸裂音! “鉄棺熊”は蛙の潰れたような声を上げ、絶命した。


 地響きを立てながら大地に沈む巨体の傍らへと着地したリーンハルトは、砕けた頭部を両肩の間深くに減り込ませた骸を一瞥し、鼻を鳴らす。装甲が失われた彼の右腕には、掠り傷ひとつない。


 代わりに存在するのは――


「≪紋章術(クレスト・エフェクト)クリンゲ(刃の)ウンティーア(修羅)≫」


 ――浅黒い肌の上をびっしりと埋め尽くす、複雑な文様だった。そして、その文様が形作るラインをなぞるようにエーテル光が走っている。


 そう、リーンハルトに身体能力の強化と瘴気への抵抗力を与えていた燐光は、そもそも彼の戦闘鎧(コンバット・メイル)が由来ではなかったのだ。彼の全身に葉脈めいて刻み込まれた紋章(クレスト)が齎すこの特異な空素術(エーテル・ドライブ)こそが、〈烈刃〉リーンハルト・シュレーダーを一騎当千の修羅へと高めた業であった。


「……よく見ておけ、これが、貴様らに絶望を刻み込む者の姿だ」


 リーンハルトは剥き出しになった右腕を高々と掲げ、その威力を向けるべき異形共へと示す。脈打つように流れる光が煌々と照らし、周囲に漂う瘴気を祓った。


 リーンハルトは今、あらゆる脅威を跳ね除けて君臨する一振りの聖剣も同然だった。どのような武器も術も、エーテルの聖なる光が輝く限り、彼の身体へ掠り傷ひとつ付けるさえ敵わない。


 ただしその力の性質は、お世辞にも「聖なる」と称せるような代物ではない。

 リーンハルトの全身を駆け巡る過剰量のエーテルは、むしろ彼自身の肉体に極端な負荷を与え、結果としての激痛を齎しているのだ。

 長時間の行使、あるいは耐容上限を超えての発動は、術者自身の命さえ削りかねない。その有様はむしろ、彼の身体に術を刻んだ紋章術士(クレスト・ソーサラー)が評したように、もはや「呪い」とでも呼ぶべきものであった。


 故に、その名を〈烈刃〉と呼ぶ。

 自身をも損耗させて敵を斬る苛烈なる刃。

 敵対存在を葬り去るまで戦うことを止めぬ修羅。


 どれだけ身体を鍛えようが、生身の肉体には限界がある。どれだけ強固な武器や鎧であろうともいずれは損耗し、失われれば戦力を減衰させる。

 ならば、身体自体を無双の威力と変ずれば良い。そうして辿り着いた答えが、爪も牙も毒でさえ、致命要素の一切を寄せ付けない無比の防護。

 それが、自分自身という存在の終わりまで〈骸機獣(メトゥス)〉を葬り続ける生き様を選択した、リーンハルト・シュレーダーという男の戦い方だった。


 そして、彼はまだこれからも戦い続ける。

 少なくとも、彼の終わりは今この戦場ではない。

 だから、狂気に落ちる紙一重の心を抱えた修羅は、言う。


「俺の地獄はまだ続いている。俺の目に映る景色全てに地獄の影がちらついている。そうとも、俺の前に立ち塞がるすべてが、あの日の地獄の中にある。ならば貴様らに、まともな死など起こり得るはずがないだろう?」


 さあ、と。その身を苛む灼熱感をおくびにも出さず、リーンハルトは笑う。


 常人ならば一秒とて耐えられないような、内臓が焼け爛れるが如き地獄めいた痛痒さえ、今の彼には戦意を掻き立てる手助けとなる。


 拳を構え、左の瞳に燻る焔を燃やし、全身に燐光を纏わせ――


「まだまだだ。この程度では、あの日“フェーデル市”の人々が上げた悲鳴の数には、まったく足りていないぞ〈骸機獣(メトゥス)〉ども。この世に現れたことを後悔させてやる。もう二度と、俺たちの前に出てこようなんて思えないように……ッ!!」


 ――再び地を蹴った。


「地獄を味わわせてやるぞ、貴様らに……ッ!!」


 そうしてまた底無しの暴力が、かつて地獄を生み出した異形どもへ、余すことなく応報される。眼前に怨敵を捉えた彼にとって、それだけが大事なことだった。



 -§-



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