シーン14:槍には矜持、鎧うは誇り、胸に据えるは覚悟の灯火
-§-
“シュレーダー隊”は行く。
陣形は走鋼馬の鼻先を綺麗に揃えた一列横隊。
空素機関が奏でる甲高い駆動音と、高速回転する二輪が鋭く抉り跳ね上げた草と泥を背後へ置き去りに、彼らは一気呵成に目指す目標へと吶喊する。
接敵までの僅かな間隙、隊員たちは急速に近付く敵の姿を見据えた。
彼らの視界は雲霞の如き〈骸機獣〉の大軍勢に埋め尽くされている。その捻じれ狂った体躯より生み出された瘴気は、もはや手触りさえ持つのではないかと誤解しかねないほど濃密に蟠り、行く手の風景を禍々しい紫黒色に煙らせていた。
一足先に瘴気の影響を受けた草原が、見る見るうちに枯れ落ちて不毛の大地へと変貌していく。〈骸機獣〉とは文字通り、世界そのものを蝕む害意に他ならない。
そんな最中へ人間が用意もなく飛び込めば、肺どころか全身を瞬く間に侵され腐り果て、確実な死を迎えるだろう。ひとたび汚染されたエーテルは正常な理を喪失し、命あるもの全てを脅かす猛毒と化すのだ。
「――総員、戦闘鎧の防護機能を発動しろッ!!」
対抗するのは人類が生み出した叡智、空素術の御業だ。
音頭を取った隊員の呼び掛けに応じ、皆は一斉に戦闘鎧の機構を作動する。腰部に備え付けられたスイッチを弾くと、戦闘鎧の装甲表面に刻まれた細いラインの上を、淡いエーテル光が走り始める。
これは描画術を応用した防護術の一種である。
仕組みとしては、防御力の強化と対瘴気の効果を発揮する図形を予め刻み付けておき、必要な時にエーテルを流すことで発動するという単純なもの。
発動時に使用者の体内エーテルを僅かに消費する以外には動力源を必要とせず、図形が崩れない限り効果が持続することから、現在では様々な方面で広く用いられる技術である。これをより精密化し効力と持続力を高めたのが紋章術だ。
エーテルの防護は一瞬で完成した。燐光を纏う一軍となった“シュレーダー隊”は走鋼馬の速度をさらに上げ、けたたましい鉄の嘶きを轟かせながら、真正面から怒涛の勢いで〈骸機獣〉の群れへと突っ込んでいく。
中型から小型までを含め、瘴気の雲に霞む異形の影は、大雑把に数を見積もっても百体は下らない。対して現在の“シュレーダー隊”は、隊長格を除けばたったの二十二名。彼我の戦力差は、数だけを見れば圧倒的に“シュレーダー隊”側が不利だ。
ましてや、今いる〈骸機獣〉を全て片付けたとしてもすぐに後続が現れる。
撒き散らされた大量の瘴気が周囲の正常な状態にあるエーテルまでをも蝕み、また新たな〈骸機獣〉を発生させるからだ。
故に、戦いを終わらせるためには発生源の大元を断つ必要があるが、今回においてのそれは“恐嶽砲竜”。到底一筋縄ではいかない相手だ。
状況はどう贔屓目に見ても絶望的。隊員たちが赴くのは紛れもない死地である。
どれだけの勇と武を示そうとも、彼らが力尽きた後に辿る末期は例外なく、二目と見れぬ凄惨な骸であろう。〈骸機獣〉の爪牙にかかった者は必ずそうなる。そして瘴気が満ちた地に易々と踏み込むことも難しいため、屍となった隊員たちは弔いを受けることすら許されず、永い孤独の中に捨て置かれかねないのだ。
故に人として享受し得るべき穏やかな死は、すでに彼らの未来から消え失せたも同然だった。そんな運命を示唆するかの如く、狂暴極まる凶器を振りかざし、肉と鉄の入り混じった悍ましい軋みを上げながら襲い掛かる〈骸機獣〉の群れへ――
「おぉ――ッ!!」
――隊員たちは微塵も臆さず、勇ましい雄叫びを向けた。頭部装甲の庇下、彼らの瞳が、灼熱の炎もかくやとばかりの眩い煌きを宿している。そこに名前を見出すならば、誇り、義憤、そして不退転。
「脅かさせるなッ!! 人々の平穏を、〈骸機獣〉なんぞにッ!!」
“シュレーダー隊”の意志はひとつだった。誰もが理不尽に居場所を奪われた者の哀しみと、破壊と殺戮を振り撒く異形共への怒りを胸に滾らせている。
そう、そもそもイーリス・アーベラインの号令を受けるまでもないのだ。彼らは等しく兵士として、また、騎士としての本分を果たすためにここに居た。
「――護るぞッ!! なにもかもをッ!!」
「――応ッ!!」
叫びが応じ合った直後、暴力的なまでの破騒音が大気を打ち鳴らした! 騎士と異形、とうとう接触した二陣営の間で凄まじい激突が巻き起こる! 伴う破撃は膨れ上がり、あらゆるものを砕き、飛び散らせた!
「行け、行け、行けェ――ッ!!」
「吹っ飛ばせェ――ッ!!」
〈骸機獣〉の攻勢、その第一波は“シュレーダー隊”の迎撃を受けて大きく撓み、呆気ないほど軽々と吹き飛ばされた。二十二名の騎士たちが加速力と意志を乗せて打ち込んだ突撃が十二分に威力を発揮したためだ。大量の〈骸機獣〉が一時に破砕され、より歪んだシルエットと化して地に落ちる。
戦場に生まれた空白は、しかし――
「第二波、来るぞッ!!」
――後から押し寄せた更なる物量によって数秒と経たずに埋められ、隊員たちの眼前は再び〈骸機獣〉の群れによって支配されてしまう。
さきほどの激突で攻撃力を消費してしまった“シュレーダー隊”に、ここから二度目の全力突撃を敢行することはまず不可能だ。
ならば、彼らは為す術もなく飲み込まれ、踏み潰されるだけだろうか?
否である。
「――総員、走鋼馬を防塁形態へッ!!」
「――応ッ!!」
隊員たちは素早く操縦桿を手前へ向けて引き倒した。すると、それまで二輪駆動車の形をしていた走鋼馬が、一瞬にして防塁へと姿を組み替える。
勢いそのまま身を振って大地へ飛び降りた隊員たちが、防塁形態となった走鋼馬の窪んだ部位に機銃槍を接続すれば、完成するのは即席の機銃陣地だ。
「撃てェ――ッ!!」
機銃掃射が即座に開始される。躊躇も容赦も皆無のフルオート射撃。唸りを上げる二十二門の機銃槍が、紫黒色の濁流を端から削り、断ち割っていく!
「へっ、こりゃあ、むしろ〈ゲルプ騎士団〉のお家芸だな……ッ!」
一人の隊員が激しく暴れる機銃槍を抑え込みつつ、笑みを浮かべて呟いた。
「俺たちはどっちかと言えば、突っ込んで掻き回すのが得意なんだがな! こんな相手待ちのお上品なやり方じゃあ、敵さんを満足にイカせられねぇっての!」
彼がやや卑猥な表現でぼやいた通り、〈巡回騎士隊〉の基本戦術は機動力を活かした突撃とかく乱、あるいは包囲圧殺だ。
要地防衛を主とする〈ゲルプ騎士団〉と、敵勢排除を主とする〈巡回騎士隊〉とでは、装備も隊員の適性も本来は大きく異なっているのだが――
「――堪えろッ!!」
「――応ッ!!」
――“シュレーダー隊”は気勢を上げ〈骸機獣〉の群れに抗う。
押し寄せる敵の勢いは益々激しくなっていき、隊員たちの額には汗が滲んだ。
そもそも〈ゲルプ騎士団〉と比較して軽装の〈巡回騎士隊〉は、腰を据えての撃ち合いを然程得手としていないのだ。
しかしそれでも彼らが守勢を選択した理由は、
「俺たちの役目は、あくまで時間稼ぎだ!! 癪だがな!!」
「ああ、ここでこいつらを止めておけば、そのうち首都から援軍が来る!!」
「まあ、その前に俺たち全員くたばってるかも知れんが、なぁに覚悟の上よ!!」
それはまさしく捨て石となるも同然の行為だ。
待ち受ける残酷な結末を誰もが直視し、しかし、誰ひとりとして背を向ける者はいない。全員が前を向き続けている。
彼らは決して自殺志願者ではない。故郷には両親や恋人が、友人がいる。
子供こそまだ得てはいないが、この先の人生を生きていれば、その掛け替えのない宝に恵まれることもあったはずだ。
各々が将来への展望を持ち、休日に過ごす酒場の料理や酒、読み残した本などに対して多くの未練を残している。
なのに何故、生きては帰れぬだろう戦場に、望んで身を置くのか?
「――なんてったって、これが俺たちの仕事だからだなあッ!!」
「――おおよッ!! こんな苦行、俺たち以外に誰がやれるってんだッ!?」
「――辛くて苦しいクソッタレな仕事さ、……辞める理由にはならんがなッ!!」
そう、それが騎士だ。それが国と民を守護する者たちだ。
行動原理はどこまでも単純で、皆がそれを分かり切っている。
自分たちが退けば、掛け替えのない大切なものが奪われるのだと。
「なあ!? 俺たちが毎日食ってる肉製品はよ、この村で造られてるんだぜ!? 特にソーセージが絶品でよ、あれが食えなくなったら生き甲斐がひとつ減るってもんだ!! ただでさえ楽しみの少ねぇ軍隊生活じゃ死活問題だっての!!」
それらはもしかすると、世界全体という大きな枠組みから見れば、取るに足らない小さな欠片に過ぎないのかもしれない。
「あの村の子供たち、可愛かったよなぁ!! あんなちっちぇ手で俺の鎧をぺたぺた触ってよ、ドングリみてぇな目を輝かせて、笑いながら言ったんだぜ!? すごく格好良い、すごく強そうだ、って!! ……その期待を嘘にできるか!?」
あくまでも個人の拘りに過ぎない、いつかは風化して消えていく一時の感情を、必要以上に祭り上げているだけなのかもしれない。
「知ってるか!? 俺の行きつけの酒場で働いてる女の子がよ、この村から出稼ぎに来てるんだよ!! 良い子だぜ? 気立ても良けりゃ気も利いて、なにより別嬪だ!! それに笑った顔がすげぇ可愛くてよ!! なのに、大切な故郷がなくなったら、あの子はきっと泣くだろうさ!!」
実際には単なる下心や打算でしかないものを、さも重大な事柄であるかのように置き換えて、それを守ることで悦に浸りたいだけなのかもしれない。
しかし、ひとつだけ確実に言えることは、
「――取り返しの付かない世界の損失だろ、そういうのはよッ!!」
そうだ。
失うにはあまりに惜しいものが多すぎる。
失えば二度と戻らないものが多すぎる。
失ってはならないものが多すぎる。
そして、それらは、
「――戦えば、護れるものだッ!!」
「――抗えば、示せるものだッ!!」
「――退けば、踏み躙られるものだッ!!」
故に。
「押し返せ……ッ!!」
撃。
破。
断。
「押し込めぇ――ッ!!」
響き渡る壊音の多重奏に打ち負けまいと、誇り高き騎士たちは吼えた。
守護と戦意で心を繋ぎ、恐れも停滞もなにもかもを破り捨てるように、“シュレーダー隊”は絶叫の集合体と化す。覚悟で己が身を武装し、撃ち出す弾丸に憤怒を込めて、際限なくにじり寄ってくる地獄に抗い続ける。
誰もが、鼓膜を突き破らんばかりの喧噪に耳を塞ぐことさえせず、
「退くなッ!! 退けばそれだけこの地が喪われるッ!! この地にあった掛け替えのないものが、あのクソッタレの〈骸機獣〉共に食い荒らされるんだぞッ!?」
戦闘鎧を通して伝わる絶え間ない衝撃に歯を食いしばりながら、
「そんなことを、赦せるはずがないだろうよッ!!」
引き攣り歪む口元を強引に笑みの形へと固定し、
「何故だか分かるかッ!? 分からん奴は、この場には居ないだろうがッ!!」
己が役目を再定義していくのだ。檄を飛ばし、応じ合い。
「――俺たちはなんだッ!?」
「――〈巡回騎士隊〉ッ!!」
「――俺たちはなんだッ!?」
「――恐れ知らずの勇者ッ!!」
「――俺たちが示すべき姿はッ!?」
「――勇猛果敢、一騎当千、怨敵必滅ッ!!」
即ち、槍。あらゆる外敵を排除する無双の攻撃手。
即ち、盾。あらゆる害意を防護する瑕疵なき防護。
即ち、勇。あらゆる恐怖を打ち破る意志の担い手。
「応、そうだともッ!! ならば、やるべきことはただ一つッ!!」
「クソッタレの〈骸機獣〉どもを、一匹残らずブチ殺すッ!!」
「そのためには、どうすりゃあいいッ!?」
「死ぬまで死なず、斃せるだけ斃し、動ける限りは動き続けるッ!!」
「簡単なことだぜ、欠伸が出らぁなッ!!」
「だったら無駄口叩くのもここまでだッ!!」
彼らは歴史に名を刻むことはない。伝説として後世まで語り継がれることもない。あくまでも数居る騎士の一人ひとりが群れ集まっただけの、英雄としての素質など持つはずもない常人たちだ。
そんな彼らが、それでもと声高々に世界へ示す。
「俺たちは無敵の“シュレーダー隊”――」
その名を譲れぬ矜持として一人一人が胸に刻み込み、
「――……ブチかますぞォッ!!」
有言を実行とした。
-§-
前方、見る限り全てが敵。ここは慈悲も情けも皆無の化物共の腹の中。
(――死ぬ、死ぬ、死ぬ……ッ!!)
“シュレーダー隊”に属する若手騎士は、胸の内側で焦げ付く恐怖を無理矢理に躙り消しつつ、目前に捉えた〈骸機獣〉へ機銃槍の矛先を向けた。
戦闘開始からはまだ数分程度。すでにかなりの数の〈骸機獣〉を倒し、前方には砕けた骸が小山を形作っているが、一向に敵が尽きる気配はない。
(何時まで続くってんだ、このデタラメはよ!?)
歯噛みした若手騎士は、すぐにその思考を振り捨てなければならなかった。正面、瘴気を振り撒き、大地を抉り飛ばしながら突進してくるシルエットがある。凶悪な鉤爪と、胴体に備わる凶悪な破砕機。
「――GWOOOOOAAAAAAAAッ!!」
(そら来たぞ、次は“鉄棺熊”かッ!!)
名前も姿も嫌というほど見知った相手だった。
もっとも、それで親しみが湧くはずもない。この〈骸機獣〉に襲われた者の死骸は今までに何度も見てきたからだ。そして、自分も下手を打てば、その仲間入りを果たすことになる。
(――冗談じゃあ、ないッ!!)
そうさせないために、戦うのだ。
若手騎士はその外観の長大さに矛盾しない、大重量の機銃槍を操り、素早く照準を“鉄棺熊”の頭部へ定める。
こればかりは血反吐の出る猛訓練の賜物だ。騎士たる者が馬の背に酔うようでは務まらないように、槍が重くて持てない騎士など騎士ではない。
構え、狙い、撃つ。要する所作は引き金を弾く一瞬。
機銃槍の矛先に炸裂炎が迸り、音よりも早い弾丸がすでに至近距離にいた“鉄棺熊”の頭部を穿った。
脳漿だかオイルだか分からない奇怪な色の液体がぶちまけられ、肉と機械の混ざり合った欠片が飛散する。
顔半分を喪失した“鉄棺熊”は大きく身体を傾がせ、倒れかけるが……踏み止まった。生物としての正しい理を外れた桁外れの生命力は健在らしい。
痛みか、あるいは怒りか。“鉄棺熊”は金属同士を擦り合わせるような、ゾッとする雄叫びを乱杭歯の奥から迸らせ、高速の四足疾走で彼我の距離を詰めて来る。
(……マズったァ!?)
若手騎士の喉奥を焦燥が駆け上った。
(弾を惜しんだ急所狙いが、仇になった……ッ!!)
普段ならば彼にとって“鉄棺熊”は苦戦する相手ではない。確かに狂暴かつ頑丈な個体ではあるが、一対一の状況だろうと落ち着いて急所に狙いを定めれば、一撃必殺もけっして難しくはないのだ。
そもそも、包囲陣形を取って集中砲火を浴びせれば、大概の〈骸機獣〉は苦もなく撃破できる。あくまでも〈災厄の禍年〉が例外であっただけで、十分な物量と攻撃力と装備さえ揃えたなら、それが可能なことは歴史がとっくに証明済みだ。
(ンないつも通りが通用する状況じゃねぇだろうがッ!! 今はッ!!)
脳裏を過ぎ去っていく自責に、しかし若手騎士は囚われなかった。
この結果は自己責任だ。狙いを誤ったのは、自分自身の技量不足と弱心故なのだから。ならば、目の前に迫った結果は甘んじて受け入れるべきだ。若手騎士は気を取り直し、再度照準を合わせ、引き金を引くが――
「――ばッ!?」
――機銃槍は「カチン」という虚しい音を鳴らすだけだった。
弾切れだ。若手騎士が見れば、機銃槍の給弾部に繋いであったはずの弾帯が途切れている。撃つのに夢中になり過ぎて、装弾を忘れていたのだ。
(大馬鹿かよ俺は!? 新兵じゃあるまいし!!)
やはり、この状況下で知らず知らず冷静さを失っていたのだろう。
一気に悪くなった状況に、若手騎士は奈落に落ちるような恐怖を覚えた。慌てて手を伸ばしたのは走鋼馬の後部収納庫。そこには多種多様な装備品に混じり、機銃槍用の弾薬も当然用意されている。
(急げ急げ急げ急げ急げ急げ――)
これは自分だけの問題ではない。防衛陣形に穴が開けば、その瞬間にこちらの戦線は崩壊する。万が一他が持ち堪えたとして、仲間たちの負担が増すことは避けられない。自分は死んでもこの場を維持しなければならないのだ。
収納庫の蓋を開ける。
予備弾帯を掴んで取り出す。
先端を機銃槍の給弾部に取り付ける。
……そこでタイムリミットが訪れた。どれだけ急ぎ淀みのない動作で行った給弾作業も、猛進する“鉄棺熊”の接近までには間に合わなかった。
目前に迫った禍々しい巨体が地を蹴り、直後、若手騎士は自分の身体が、敵の生み出す影に覆われた事実を知った。
「――GuAWOGAAAAAAAAAッ!!」
“鉄棺熊”はもはや互いの息がかかる距離にまで接近している。機銃槍の有効射程の内側だ。引き戻すのは間に合わない。さらに左右からは巨大な鉤爪が高速で迫っている。走鋼馬ごとこちらを綺麗に薙ぎ払う軌道だ。
避ける時間も、逃げ場もない。だからといって――
「俺が死ぬのは、今ここで、じゃねぇッ!!」
――全てを諦めるかどうかは、また別の話だ。この程度の窮地で終わるようならば、騎士など名乗ってはいられない。
まして、あの〈烈刃〉リーンハルト・シュレーダーの部下は、
「務まらねぇんだよ、馬鹿野郎……ッ!!」
口を衝いて出た悪態と共に、若手騎士は行動を起こした。
機銃槍の銃把を握っていた右手を素早く解き、そのまま腰溜めに構える。
ほんの数十センチ前方には“鉄棺熊”の半壊した顔面が迫っている。
対し、早口に唱えられるのは〈大鷲式〉の発動詞だ。
「――”打ち払え”――」
刹那、若手騎士の右腕が眩いエーテル光を放つ。無色の輝きは、続く一語によって威力として成立した。
「――≪フリーゲン・クラッペ≫――ッ!!」
力ある詞と同時、若手騎士が振りかぶった右平手が作り出したのは、不可視の圧だ。生じた打撃力は“鉄棺熊”の横面を強かに打つと、快い破裂音を響かせ……その巨体を弾き飛ばした!
「――GuAWOッ!?」
痛みはない。が、突如己に降りかかった不可解な斥力に、“鉄棺熊”は戸惑いの声を上げた。鉤爪を必死に振り回すが、すでにその身体は中空にあり、大気を掴むことはできない。
出鱈目に藻掻き暴れる“鉄棺熊”の身体は、そのまま他大勢の〈骸機獣〉を巻き込む形で大地に激突、盛大な土埃と破片を巻き上げる。会心の結果に、急ぎ給弾作業を続ける若手騎士の口から、思わず悪罵が飛び出した。
「へッ!! シュタルク共和国謹製、軽くて便利なエーテル・ハエタタキの具合はどうだ、このクソッタレがッ!!」
≪詠唱術:フリーゲン・クラッペ≫。直訳すれば蠅叩きである。
シュタルク語の名前が示す通り、効果は手の平に強烈な斥力を発生させ、ぶつけた対象を大きく打ち払うというもの。そう、たったそれだけの術である。
殺傷力こそほぼ皆無だが、発動が非常に容易かつ発揮される効果が明解なことで、近接戦闘を取り入れたスタイルの空素術士が、牽制用の小技として用いるケースもそこそこ多いという。
とはいえ騎士を名乗る者が使うにしては、その名前の響きも合わせて、どことなく情けないイメージが否めないが……、
(生憎こちとら、ガラも手癖もお行儀も、往生際さえトコトン悪い〈巡回騎士隊〉なんでなッ!! 使えるもんならなんでも使うぜッ!!)
若手騎士は一向に意に介した風もなく、冷や汗塗れになった顔面を引き攣った笑みの形に歪めた。生き残るために有用ならばなんでも使う。それが〈巡回騎士隊〉の心意気なのだから。
さて、身に迫った脅威を打ち払い、それですべてが終わりではない。
若手騎士はようやく給弾作業を終え、再び機銃槍の引き金に指を掛けた。
“鉄棺熊”はいまだ起き上がれていない。このまま周囲の〈骸機獣〉ごと、今度こそ蜂の巣にしてやろうではないか。
決意も新たに人差し指へ力を込める、その直前。後方から強く何かを蹴り付けるような音が、若手騎士の耳へ届いた。
途端、彼はそれまでの思考を瞬時に停止させ、叫ぶ。
「撃ち方止めェ――ッ!!」
条件反射に等しいそれは要らぬ世話でもあった。“シュレーダー隊”の隊員たちは皆、若手騎士が呼び掛けた時にはとっくに射撃を停止していたのだから。
突然静まり返った戦場の様子に、むしろ侵略者である側の〈骸機獣〉の方が戸惑ったような素振りを見せる。
何故、人間共はわざわざ抵抗を停止したのだろう? あれだけ勇まし気に吠え立てていながら、いまさらになって諦めたのだろうか?
もし奴らに意志があったとすれば、そんなことを考えているのかも知れない。
対して“シュレーダー隊”の側は全員、自分たちの行動理由を良く心得ていた。これから起こること。この場に馳せ参じる者のこと。なにもかもが自明であると、そう信じたからこそ敢えて攻撃を止めたのだ。
あの男が戦い易いように、と。
「来るぞ……」
誰かが小さく呟いた。その声色に込められた感情は確信と、溢れんばかりの期待。果たして彼らの思いはすぐさま叶えられた。“シュレーダー隊”の布陣、二十二名の騎士たちが居並ぶ頭上を、一筋の閃光が駆け抜けた。
疾風を纏って高速通過していく影は、長身痩躯の軍服姿。
威と圧を伴う眩いエーテルの燐光が散り、一筋の軌跡を残していく。
それはまさに光の矢だ。触れるもの全てを射貫き、砕き、切り裂く力の具現。
皆がその名を唱和した。腹の底から力強く、誇らしげに堂々と。
「――リーンハルト隊長ッ!!」
応じる声は、咆声だった。光線が地表へと到達すると同時――
「――ぉおおおおおッ!!」
――大音声が駆け抜け、〈骸機獣〉の群れが一塊分、半径十数メートルに渡って盛大に吹き飛んだ。破壊の嵐が巻き起こる。断ち割られ、穿ち抜かれ、微塵に身体を粉砕された異形どもが、玩具でも撒き散らすように散らばっていく。
無論、それはあくまで初撃に過ぎない。
“シュレーダー隊”の隊員たちはそれを見る。ゆっくりと立ち上がり、こちらに背を向けたまま継戦の構えを取る男の姿。単身にて〈骸機獣〉の軍勢を打ち破り、真っ向から打倒する超絶技巧と絶大威力の行使者を。
〈烈刃〉リーンハルト・シュレーダー。
英雄としていまだ歴史に名を刻まぬ彼が、今これより、その二つ名に相応しい戦振りを見せつけていく。
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捕捉:機銃槍。騎士が主武装とする兵器であり、先端部に設けられた錐刃を用いた刺突攻撃のほか、内臓した大口径機関銃による制圧射撃をも可能とする。非常に頑丈ではあるがその分重量は凄まじく、鍛えに鍛えた騎士であればこそ操ることができる武装。機動力に優れる走鋼馬との併用で最大効果を発揮する。




