シーン13:絶望に挑む者たち
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ここで再び、視点は地上の面々へと移る。
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なんの前触れもなく東の森で起きた大爆発は、その場に居合わせた人々の思考を完全に停止させていた。
誰もがただ呆然と立ち竦み、彼方に現れた土色の巨大なカーテンに視線を釘付けにするなかで、リーンハルトだけが己のすべきことを理解していた。彼は〈巡回騎士隊〉の隊長として、隊員たちへと迅速に指示を飛ばす。
「――総員、戦闘態勢ッ!!」
「……ッ!!」
その声が大気を震わせたと同時、“シュレーダー隊”の面々は一瞬にして動揺を消し去り、即座に動き出した。
「――了解ッ!!」
剃刀のように鋭い返答が、隊員たちの口から一斉に迸り出る。
スイッチを切り替えるように引き締められた彼らの厳めしい顔つきに、ほんの少し前まであった戯気の面影は、もはや微塵も見いだせない。今、彼らの表情を彩っているのは、漲るような強い戦意だった。
次いで沸き起こった戦闘鎧が奏でる鉄音の連なりは、その装着者たちが瞬く間に構築していく戦闘陣形と等しく、整然と調和した響きを示す。
隊員たちは一切の無駄口を叩かず、戦闘準備を整えていく。常日頃から訓練が徹底されていることを窺わせる機敏な動きだ。
指令内容がどれほど唐突であろうとも、疑問を差し挟むことはない。彼らは己の役目をよく理解し、戒め、任じていた。
自分が兵士であるという揺るぎない事実を。
ならば、部隊長たるリーンハルトが下した命を達成するのは、考えるまでもなく当然の義務。ましてや、あの朴訥としたリーンハルトが明らかに尋常ならざる緊迫感を滲ませているのだから、事態が急を要することは分かり切っている……。
統一された思考と行動規範の下、次々と走鋼馬に跨っていく隊員たちの姿に、リーンハルトの鉄色の瞳が僅かに細まった。
傍目にはまず気付かないようなその仕草に唯一反応したのは、彼の傍らに歩み寄って来ていたイーリスだ。長年の連れ合いらしい目敏さで、リーンハルトの微妙な表情の変化を捉えた彼女は、唇を笑みの形に歪ませる。
「なんだ、随分と嬉しそうだなリーンハルト? まあ、自分の部下が思い通り動くってのは、さぞかし気分が良いんだろうけどよ」
イーリスらしい挑発的な問いかけに対し、リーンハルトは素直に首肯した。
「ああ、俺のような奴には勿体ないと、心から思う。皆、素晴らしい騎士だ」
「……へっ、面白みのねぇ答えをどうもありがとうよ。部下思いの隊長さん」
皮肉っぽく眇めた目でリーンハルトを見やりつつ、イーリスは肩を竦める。
蓮葉な物言いとは裏腹、彼女の口調には隠し切れない喜びが滲んでいた。かつて一度はすべてに心を閉ざした幼馴染が、今はこうしてはっきりと仲間たちへの信頼を口にするようになったことを、彼女は心から嬉しく感じていた。
ふと、イーリスの脳裏に過去の情景が蘇る。なにもかもが壊滅し、瓦礫と燃え滓に埋め尽くされた故郷の姿が。
それは忘れようにも忘れられない、今もなお鮮明に焼き付く惨劇の記憶だった。
-§-
五年前のその日、当時十八歳であったイーリス・アーベラインは、朝早くから両親と首都“ゲルプ”へ出掛けた。用事として特別なものはなく、日用品の買い出しを口実とした、久々に家族全員揃っての外出である。
イーリスにとって、首都はすでに何度も訪れた場所であったが、それでも飽きるようなことはなかった。立派に発展した街並みを眺めたり、物珍しい品々を並べた商店を巡るのは、地元では味わえない新鮮な興奮と感動を与えてくれるからだ。
王城正門前を警護していた〈ゲルプ騎士団〉の鎧姿に思わず声をかけ、愛想よく手を振って貰えた時など、年甲斐もなくはしゃいでしまったほどだ。
周囲の人々から向けられる微笑ましいものを見るような視線に気付き、つい恥ずかしくなってその場から逃げるように立ち去ってしまったが。
そんな他愛のないトラブルはさておき、今日はせっかくの休日なのだ。思う存分楽しまなくては損とばかり、イーリスは両親と共にあちこちを巡り歩いた。
なにより嬉しいのは、普段は仕事で忙しい両親と、思う存分一緒に居られること。学校や日常生活での出来事や、すぐそこまで迫った卒業後の進路相談など、語るべき話題は尽きない。
だからその日イーリスは、心の底から充実した一日を過ごしていた。
昼食にはそれなりにお高いレストランを利用した。
芳しい香りを立ち昇らせる色とりどりの料理に舌鼓を打っていた時、ふとイーリスは地元に残して来た幼馴染のことを思い出した。
幼い頃から家族ぐるみで付き合いのある二歳年上の彼は、やや朴訥としてはいるものの、温和で心優しい性根をもつ青年である。
イーリスはそんな彼のことが――素直な態度に出すのは気恥ずかしいが――昔から大好きで、今日も彼に急な仕事が入りさえしなければ、一緒に首都へ連れてくるつもりだった。
帰ったら思い出話を聞かせてあげよう。
なにを土産にすれば喜んでくれるだろうか。
次にまた首都に来る時は今度こそ彼も誘おう。
善は急げとばかり、さっそく次回の訪問計画を立て始めたイーリスの耳に、不意に不穏な気配を帯びた喧噪が飛び込んできた。
どうやら、レストランの外で群衆が騒ぎ立てているらしい。治安が良いはずの首都で何事だろうとイーリスが耳を澄ませれば、なにやら聞き覚えのある町の名前がしきりに叫ばれている。
イーリスの胸を、ひどく不吉な予感が過った。直後、顔面蒼白となった男がレストランに飛び込んできて、息も絶え絶えとなりながらこう叫んだ。首都の西にある街が〈骸機獣〉の襲撃によって壊滅状態になっている、と。
“フェーデル市”。それはイーリスが暮らす街の名前だった。
反射的にイーリスは席を立った。
呼び止める両親の声も無視してレストランを飛び出し、通りを埋め尽くして右往左往する群衆を無理矢理掻き分け、故郷へと続く街道を目指した。
食後にいきなり走り出したせいで、脇腹が痛み胃から食べ物が逆流しそうになったが、そんなことは気にしてはいられなかった。
思考を置き去りにイーリスは駆けた。
そうして辿り着いた街道への入口は、すでに軍隊によって封鎖されていた。
詰め掛けた人々の怒号と悲鳴に満ちる一帯は混沌の坩堝と化し、一触即発の雰囲気が漂っている。とてもではないが、先に進むことは不可能だった。
思わぬ妨害に遭ったイーリスは、悪態を吐きながら天を仰ぎ、そこに不自然な色彩を認めた。西の空が、黒い。まだ真昼間だというのに、インクでもぶちまけたように、黒く染め上げられている。
これはどういうことか。イーリスの疑問は、即座に最悪のかたちで解消された。
彼女は気付いた。空を覆い尽くしているのは黒煙だ。“フェーデル市”が燃えているのだ。そして黒煙の規模を見れば、その下にある街がどのような破滅的な状況にあるか、容易に察しはついた。
視界がぐるりと回るような感覚を、イーリスは味わった。
気が付けば、地べたにへたり込んでいる。足元から全てが崩れ落ちていくような、凄まじい不安が胸中を埋め尽くした。
頭に浮かぶ思考はただ一つ。友人たちは、そして幼馴染の彼は無事だろうか。
……封鎖が解かれたのは、それから三日後だった。
絶望的な表情で帰路を急ぐ同郷の人々に混じり、ようやくイーリスたちは故郷へ帰りつく。そうして目の当たりにした故郷の光景は変わり果てていた。
見渡す限り、あらゆる家屋が焼き払われ、崩れ落ちている。かつて機械産業で栄えた工業都市は、廃墟も同然の更地と化して、もはや見る影もない。
彼方此方には、造作も分からぬほど無惨に黒焦げた骸が転がり、胸を悪くするような屍臭と炭臭が立ち込めている。
その中にもしかすると、友人たちが混じっているかもしれない。イーリスは自分の想像に堪え切れず、胃の中のものを全て吐き出してしまった。
それでも立ち止まっているわけにもいかず、彼女たちは派遣されてきた軍人たちが救助活動を続けている最中を、よろめきながら進んでいく。
実家があるはずの場所には、ほとんどなにも残されていなかった。ただ、焼け焦げた木々の破片と砕けた瓦礫と、わずかに見覚えのある物品がいくつか煤塗れの状態で落ちているだけだった。
崩れ落ちる両親の背中を、イーリスは他人事のような気分で眺めた。悲しみや怒りはとっくに心の容量から溢れ出てしまっている。まるで夢心地だ。夢は夢でも最低の悪夢だが。
力なく立ち尽くすイーリスの視界の端を、その時、見覚えのある姿が横切った。
イーリスは電流でも受けたように震えると、そのまま弾かれたように走り出す。
散乱する瓦礫のせいでひどく不安定になった足場に苦心しつつ、目的の人物に近付いてみれば、果たしてそこにいたのは彼女の幼馴染に間違いなかった。
歓喜の叫びがイーリスの口から漏れた。
着ているものはボロボロに千切れ、全身煤と傷だらけになりつつも、彼は生きていたのだ。イーリスは湧き上がる安堵にまかせて彼に抱き付き、あれこれと話しかけながらその顔を覗き込んで、言葉を失った。
彼は、リーンハルト・シュレーダーは、別人のようになっていた。
顔の右半分は薄汚れた包帯に覆い隠され、右目があるはずの場所にはどす黒い血が滲み、不自然に窪んでいた。
優しく温和だったはずの顔つきは、罅割れた陶器のように硬く強張り、その口元は奇妙に捻じれて引き攣っている。
唯一残った左目だけが幽鬼の如く爛々と輝き、そこで初めてイーリスの存在に気が付いたように、彼女を見返した。
イーリスは思わず悲鳴を上げて後退った。
リーンハルトの瞳の奥に宿る、煮詰められた汚泥のように渦巻く憎悪と底なしの虚無に真正面から見据えられ、喉奥が干上がるような恐怖を感じたせいだ。
対し、イーリスの反応にもなんら感情らしきものを見せないまま、リーンハルトは蚊の鳴くような声で呟いた。
「皆、死んでしまった」
と、それだけを。
この瞬間から、リーンハルト・シュレーダーは修羅の道を歩き始め、イーリス・アーベラインはその道程に付き添う唯一の連れ合いとなった。
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……過去の想起は一瞬で過ぎ去った。
結局、あの惨劇の原因はいまだに判然としていない。
何故、定期的にエーテルの整調を行っているはずの首都近辺、それも大勢の人が行き交う大都市に〈骸機獣〉が大量発生したのか。
首都から送り込まれた調査隊は血眼になって原因究明に乗り出したが、判明したのは「何の前触れもなく、急激に空素構成が崩れた」ということだけだった。
完全に焼け野原と化した“フェーデル市”は、その後どうにか復興を遂げはしたが、かつてのような活気はもはやない。
人々の脳裡に深く刻み込まれた惨劇の記憶と、大きく崩れた空素構成の影響により事件後にも〈骸機獣〉が立て続けに発生したことで、あまり人が居着かなくなってしまったのだ。
生き残った友人知人はごく僅かで、そのほとんどは遠く離れた別の街に引っ越している。首都に移り住んだ者とも、いつの間にか交流が途絶えてしまった。
一方で両親は元々それなりに資本を分散していたので、親戚筋を頼ってどうにか家業を建て直し、現在では以前と変わらない暮らしぶりを取り戻している。
では、自分はといえば、まったく生活環境が変わってしまった。なにせ、戦いなどろくに知らなかった小娘が、急に軍人になってしまったのだから当然だ。加えて諸々の都合もあり、実家にもあまり顔を出していない。
その他にも現在に至るまでの五年間、あまりにも多くのことがあったが、すべての起点はあの喪失だ。自分とリーンハルトから、なにもかもを奪い去っていったあの日がなければ、今の自分はこの場に存在し得ないだろう。
「……ちっ。いまさらになって、余計なことを思い出しちまった」
イーリスは胸に蟠る諸々の思いを、舌打ちひとつで振り払う。
今は感傷に浸っている場合ではない。打って変わった事務的な表情で、イーリスはリーンハルトに問う。
とっくに予測が付いている事態の、それでも詳細の確認を。
「〈骸機獣〉か?」
「間違いない。それも、かなりの大物だ」
端的なやり取りの合間にも、巨大な鎚を打ち付けるような鈍い地響きは続いていた。断続的に紡がれるリズムは、紛れもなく足音だ。なにか途轍もなく大きなものがこちらを目指しているのだと、イーリスは確信した。
徐々に接近する莫大な威圧感に、オープスト村の住民たちはますます恐れ慄いた。子供たちは耐え切れなくなり、大人たちに縋り付いて泣き始める。誰もが不安を露わにしながら、その場を動くこともできずに立ち尽くす。
“シュレーダー隊”の隊員たちも、想定を超えて膨れ上がっていく危機感に、鉛のような生唾を喉奥へ落とした。
すでに戦う心積もりはできている。それが如何に厳しいものになろうとも、背に置いた守るべき民のために命を賭す覚悟もある。
しかし、この緊張感はなんだ? 背中を肉ごと掻き毟られるような、痺れるような灼けつくような、表現しがたい慄きは?
今までに味わったことのない感覚に隊員たちは戸惑う。その正体を正確に捉えている者は、今のところリーンハルトだけだった。己の首元に突き付けられたものが、禍々しくも研ぎ澄まされた死神の鎌であると……。
やがて、土煙のベールが晴れる。
「……来たぞ、あれは――」
彼方から地響きと共に近付いてくる影に目を留め、その正体に言及しようとした隊員が、言葉を失った。
彼は中途半端に開いたままの唇を閉じることさえ忘れ、忘我に近い面持ちでそれの全貌を見る。恐るべき害意と暴威を秘めた、小山の如き黒鋼の巨体を。
直後、オープスト村の住民が一斉に絶望と恐怖に満ちた悲鳴を上げた。
圧さえ含んだどよめきを背に受けつつ、いち早く立ち直ったイーリスが、恐怖と焦燥に強張る口元を無理やり抉じ開けて叫んだ。
「――“恐嶽砲竜”、だとッ!?」
その名前に耳朶を打たれた“シュレーダー隊”の面々は皆、臓腑を引き絞られるような感覚に襲われた。全身に冷たい汗が吹き出し、強固に構えたはずの意志と身体が揺らぎ、震える。
それだけ“恐嶽砲竜”という忌み名がもつ意味は大きい。
軍人ならば当然の知識として、一般市民にも広く知れ渡ったその名前は、ある種絶対的な概念ですらある。すなわち破滅と虐殺の体現。それこそ、史上最悪クラスの〈骸機獣〉として、人々の記憶に深く刻み込まれた存在だった。
現在までに記録として残る“恐嶽砲竜”の出現事例は十件にも満たないが、その全事例に於いて国家破滅規模の、凄惨な被害が引き起こされている。
なかでも今から二百年ほど前、大陸全域を支配下において大栄華を極めた巨大統一国家ウィクトルの首都が、たった一体の“恐嶽砲竜”に数日足らずで滅ぼされた逸話はあまりに有名だ。
他に、シュタルク共和国東部の山脈に刻み込まれた全長数十キロに及ぶ巨大な崩落痕も、統華帝国中央部にあるという大クレーター痕も、イグルスタ合州国の西海岸線に走る不自然な断裂も、過去に出現した“恐嶽砲竜”の痕跡という説が囁かれているほどだ。
そんな、天変地異にも等しい脅威が今世の人々に最も強烈な印象を残したのが、かの〈災厄の禍年〉最中に起きた四件の同時発生事例である。その尽くは最終的に〈黎明の翼〉、或いは国軍が多大な犠牲を払って排除に成功しているが……、
「……冗談じゃねぇぞ、おい」
今、この場に居合わせた人員では、明らかに戦力が足りない。
首都“ゲルプ”から軍本隊、そして〈ゲルプ騎士団〉と〈巡回騎士隊〉の総力が結集すれば、奴を討ち取ることはけっして不可能ではないだろう。
しかし、それまでにオープスト村が壊滅することはまず避けられない。
どれだけ素晴らしい練度を持つ軍隊であろうとも、大規模な作戦を発動するために、それなりの時間を要することは避けられない。
まして、この場所が首都からそう遠く離れていないことも、却って状況の深刻さを増す要因となる。“恐嶽砲竜”が首都を目指して進撃した場合、果たしてその到着までに迎撃態勢が整うかどうか、という問題が出てくるためだ。
無論、滞りさえなければ、元々城塞都市として造られた“ゲルプ”は極めて堅固かつ強靭だ。空素術による防護も合わせれば、まさに鉄壁と呼ぶに相応しい防御力を発揮するだろう。
しかし、そのためには時間が要る。“ゲルプ”が現状を知り、いっさい瑕疵のない防備を完了するための時間が。
〈災厄の禍年〉から時が経ち、またその反省も踏まえて、人類の技術は格段に進歩している。故に、真正面から“恐嶽砲竜”の打撃を受けようが、かつてのウィクトル首都と同じように“ゲルプ”の全てが滅ぼされることはない……、が。
「これじゃ街道も含め、首都までの全てが焦土になるぞ……ッ!?」
その通り道に関しては、そうではない。
首都へ向かう街道の周囲には、オープスト村以外にも数多くの村落がある。それらが巻き添えを食らえば、今後の首都運営には甚大なダメージが生じるだろう。
仮に“ゲルプ”以北の生産と流通が壊滅すれば、向こう十年以上は復興の見通しが立たない。そうなればシュタルク共和国北部の文明が消滅するのは時間の問題だ。
もちろん、何事にも優先順位というものは存在する。すべてを余すことなく救うというのは理想論だ。しかし「失ったところで痛くも痒くもないもの」など、国家運営においてはほとんど存在しない。
国家をひとつの生物と考え、首都を脳に例えるならば、各地の産業は各種臓器を繋ぎつつ栄養をやり取りする動脈に等しい。その中で特に太い血管が突然なくなったら、少なくともその一本に関連付いた臓器はことごとく死に絶えるだろう。
また避難民を受け入れるにも限界はあり、ただでさえ最盛期に比べてシュタルク共和国の国力が著しく低下した現状、待つのは緩やかな破滅へ転げ落ちる未来だ。
このように、失った分の皺寄せは他に多大な負担を与え、場合によっては身体全体を致命的な事態に陥らせる。ひとつの喪失からは必ず、またなんらかの損失が発生するものなのだ。
それを理解しているが故、“シュレーダー隊”の面々には苦渋が満ちた。現状、守るべきものがあまりに多すぎる。そして、おそらくは守り切れない、と。
国とは民だ。そこに生きる人々の営みに支えられてこそ、正常な運営が可能なのだ。それらの四分の一近くを根こそぎ消し飛ばされたならば、復興に費やされる犠牲と苦痛は想像を絶する。
それこそ、〈災厄の禍年〉で受けた傷を必死に癒して来たこの十七年間が、無為と消えるのは目に見えている……。
「――GoWuAGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!!!」
予測される被害の大きさに動揺する一同を、“恐嶽砲竜”の凄まじい咆哮がさらに打ちのめした。
「うぉ……ッ!?」
大気を打ち震わせて轟いた大音声は、一般市民ならばなおさら、武装した騎士たちでさえ吹き飛ばされそうになるほどの衝撃を与えてくる。
“シュレーダー隊”の面々は苦悶に呻いた。もはや時間の猶予はなく、選択の余地はない。イーリスが満面を憤怒と屈辱に歪ませて、叫んだ。
「……糞ッ!! おい、首都に状況報告送れッ!!」
呼び掛けに隊員のひとりが肩を跳ねさせ、通信機を手に取った。彼は顎から脂汗を滴らせながら、早口で状況報告を行っていく。
通信機から漏れ聞こえる、混乱に染まった声と慌ただしい物音を小耳に挟みつつ、イーリスは重ねて指示を飛ばした。
「アタシたちは、これより二班に分かれるッ!! 一方は“恐嶽砲竜”の迎撃役、もう一方はオープスト村の住民を首都に避難させる護衛役だッ!!」
それは、オープスト村の防衛を放棄するという宣言であった。拒否の声は直後に起きた。オープスト村の住民たちが悲痛な声色で、口々に叫び始めたのだ。
「そんな!? この村を、見捨てろって言うんですか!?」
彼らとて現状は理解している。それでも、住み慣れた村と暮らしを失う痛みは堪え難いものだ。長年積み上げてきた生活基盤を捨てることは、そこで暮らす者にとってあまりに重い意味合いを持つ。心情面は当然として、すべてを失った今後の自分たちを思えば、すぐさま頷くことなどできるわけもない。
しかし、イーリスは軍人として言わねばならない。項垂れた者の首に振り下ろす斧の如く、現実を突き付けなければならない。
例えそれが、どれだけ残酷な行為であろうとも。
かつて自分自身が味わった取り返しの付かない喪失を再現するという、身を引き裂くに等しい決断だとしても、だ。
「――人命には代えられねぇんだッ!! それに、今すぐアンタたちを避難させなきゃ、今度は他の村が間に合わなくなるッ!! これはもう個人の問題じゃない、シュタルク共和国って国を守るには、これ以外に方法がねぇんだよッ!!」
血を吐くような凄絶な声色に、オープスト村の住民たちは押し黙った。誰もが顔色を失い、目には涙を浮かべている。現状把握の追いつかない子供たちは、不安そうに周囲の様子を窺いながら「お家がなくなっちゃうの?」と弱々しく呟いた。
イーリスは、歯を食いしばった。
奥歯が軋み砕けそうになる痛みさえ、心を苛む激痛に比べれば大したものではない。なにより、この決定に強く胸を抉られるのは自分などよりも、さきほどから黙して語らぬリーンハルトの方だろうから。
「……本当に、すまねぇ。だけど、どうか聞き入れてくれ。皆さんの命だけは“シュレーダー隊”が命に代えても守る。首都に辿り着いたら最大限の援助をすることも約束する。だから――」
続く言葉を口にすることに、イーリスは非常な労力を費やした。喉にナイフを突き立てるが如き痛みを自覚した上で、腹の底から絞り出すように、言う。
「――諦めてくれ。今までの暮らしと、想い出を」
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沈黙は数秒で過ぎ去った。住民たちの間から、ゆっくりと進み出てきた村長が、諦観に塗れた表情で返答した。
「……わかり、ました。それ以外に、手段はないのでしょうから」
年老いて皺の寄った村長の顔からは、生気が抜け落ちたようだった。最初に顔を合わせた時には責任感と村への愛情に輝いていた両の瞳も、今では完全に光を失っている。そうさせたのは自分の無力故だと、イーリスは臍を噛む思いだった。
わかっていたではないか。今まで散々思い知らされてきたはずだ。
自分は万民を救う英雄などではなく、あくまでも一兵卒に過ぎない、と。
あの〈黎明の翼〉のように、世界丸ごと救ってのけるような力はないのだ。
なまじ前例がある分、惨めさは底なしだった。
そして現在、個人で“恐嶽砲竜”と戦えるような規格外は、首都にも居ない。
〈災厄の禍年〉を終わらせた英雄たちは、今ではその大半が世界中に散り散りとなって行方知れずだ。所在が分かっている数少ない者たちに関しても、今すぐここに駆け付けられはしないだろう。
できる限りのことを、できる範囲でやるしかなかった。
イーリスは隊員たちに命じて住民たちの避難準備を始めさせた。“恐嶽砲竜”はこうしている間にも接近しつつある。
向こうが完全にこちらの存在を捉えた時が破滅の始まりだ。
「荷物は最低限、本当に必要なものだけを、自分の両手に持てる範囲で留めてください! 一分以内で! 急いで!」
本来なら今すぐに脱出するべきだが、着の身着のまま放り出されるのは酷だと“シュレーダー隊”は判断し、住民たちには必要最低限の物品持ち出しが許可された。
隊員たちの呼び掛けに住民たちは従い、家々に飛び込んでは素早くあれこれと、それぞれの考える大事な物を持ち出してくる。
皆が納得していないことは表情からも明らかだが、不平不満は起こらなかった。
何事も命に代えられないのは事実であるし、なによりこれから誰が自分たちのために命を賭けるのか、住民たちは正しく理解していたのだ。
あの白髪の老人でさえ、避難指示に従った。黙々と荷物を持ち出す彼の顔つきは、しかし深く重い絶望に塗れている。一度ならず二度までも故郷を奪われる哀しみは、筆舌に尽くしがたいものがあるのだろう。
聞き分けの良い住民たちの姿を、隊員たちはむしろ身につまされる思いで見守った。有事に際した軍人にとって、協力的な民間人はありがたいものだが、兵士の心は血の通わぬ鉛でできているわけではないのだ。
そんな中で、梃子でも動こうとしない住民がふたりだけいた。迷子となった少女の帰りを待つ両親である。
彼ら夫婦にとっては我が子こそ自分の命よりも大事なのであり、それを取り戻さないうちは村を離れるわけにいかないのだと、鬼気迫る表情で強く訴えた。
「どうぞ、私たちは置いて行ってください。貴方がたのことは決して恨みません。私たちはあくまで、自分の意思でここに残るのですから」
こうなっては、誰も彼らの意思を変えることはできないように思われた。
イーリスでさえ致し方なしと考えたその時、リーンハルトが彼らの前に進み出た。彼は平時の仏頂面を張り付けたまま、驚く夫婦に向き合い、口を開く。
「貴方たちは、子を想うならこそ逃げるべきだ」
静かだが反論を許さぬ強い響きで、リーンハルトはこう続けた。
「親が子を想うように、子も親を大事に想っている。もしもその子が生きていたとして、親を喪ったと知った時に受ける哀しみは、きっと貴方たちと同じくらいに大きいだろう。どうか、自分から希望を捨てるようなことはしないでくれ」
「何故、そんなことが言えるのです……!?」
思わず言い返した夫婦へ、リーンハルトは傍目には表情ひとつ変えないまま、痛みの滲む声色で返答した。
「俺が、そうだったからだ。五年経った今も、まだ、夢に見る」
「…………ッ!」
その短い言葉だけで、夫婦はこの不愛想な軍人の身の上に起きた喪失を朧気ながら理解したようだった。とりわけ五年前という単語から連想される事件について、ある程度歳を経たシュタルク人ならば誰もが知っている。
リーンハルトが静かに見つめる前で、夫婦はやがて、頷いた。
泣きだす寸前にまで顔を歪めながら、ふたりは肩を支え合って、避難する住民たちの列へと合流していく。
その背を見送りながら、リーンハルトはそれ以上なにも言わなかった。
イーリスは口を衝いて飛び出しそうになる言葉の数々を努めて堪えた。そうして軍人としての責任を果たすために、これ以上なく明確な質問を部下たちへ放つ。
「……これより迎撃役を募る。志願者、手ぇ上げろ」
言い終わらぬうち、“シュレーダー隊”の全員が即座に挙手した。
イーリスが自身を取り巻く隊員たちの表情を見回せば、誰もが不退転の強い決意を宿している。イーリスは苦笑した。自分はどう転んでも地獄行きだろう、と。
「物好きどもめ」
あえて不敵に悪態を吐けば、隊員たち皆が笑った。
本当に気の良い連中だと、心の底からイーリスは思う。
そんな連中を、自分はこれから断崖絶壁に突き落とすのだ……。
「それじゃあ、子供がいる奴、手ぇ上げろ」
今度は誰も手を挙げなかった。数秒後、周囲に指摘されて渋々手を挙げた者を選び、イーリスは避難する住民たちの護衛役に当てる。食い下がろうとする彼らを説得したのは、むしろ迎撃役に残る者たちの方だった。
「馬鹿野郎、子供には親が必要なんだよ。良いからさっさと帰って、俺たちの活躍ぶりをしっかり教え込むんだな。そうすりゃあ、きっといい子に育つ。この国の未来を背負って立つ立派なシュタルク人にな」
そこまで言われては返す言葉もなく、子持ちの隊員たちは頷いた。
足弱の老人や子供は四輪駆動の自動車両に乗せることにし、それでもあぶれた分は走鋼馬に分乗させた。幼い子供たちが間近で見る鎧姿や走鋼馬にはしゃぐ様子に、隊員たちは愛想良く相手をしてやりながら手際よく座席に座らせていく。
「さあ、いい子たち。しっかり掴まってるんだぞ。このお馬さんは物凄く速いから、振り落とされないようにな」
そんな言葉と共に走鋼馬の背に跨らせられた少年が、その時ふと、不安気な面持ちとなる。まだあどけない顔つきの彼は、大きな瞳で隊員の顔を見返しながら首を傾げて問うた。
「また、帰ってこれるよね?」
その言葉に即答できず、声を詰まらせた隊員を責めるのはあまりに酷だろう。質問を受けた隊員は曖昧に頷き、少年の背を軽く叩きながらどうにか口を開いた。
「……ああ、お別れは少しの間だけさ。それに、首都に着いたら色んなお菓子や玩具があるから、楽しみにしてな。きっと気に入るはずだ」
その答えに興味を逸らされた少年の表情が明るくなるのを見届け、隊員は次に手を貸すべき住民の下へと向かう。その途中、彼は頭部装甲の庇を下げて己の顔を覆い隠した。表情に滲み出る深い苦渋を、誰にも悟られないように、と。
……そのような過程を経て、数分と掛からず準備を整えた護衛役の隊員たちは、最後に同胞たちへ敬礼を送ってから首都への行程を歩き始めた。
「頼んだぞ」
「そっちもな」
互いに交わされたやり取りはそれだけだった。オープスト村の住民たちと共に去って行く一団を見送り、イーリスが息を吐く。
「さて、と」
後顧の憂いは――完全にではないが――断った。他の村々の避難や防衛は、首都に詰める中央軍と〈ゲルプ騎士団〉や、他方面の〈巡回騎士隊〉らがどうにかするだろう。
つまり残った自分たちがやるべきは、可能な限り“恐嶽砲竜”を押し止めれば良いという、ただそれだけのこと。いっそ清々した気分でイーリスは口を開いた。
「やるか、野郎ども」
反応は、鬨の声だった。
「行くぞォッ!!」
「「「応ッ!!」」」
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迎撃役に抜擢された隊員たちは雄叫びを上げ、走鋼馬を駆って飛び出して行く。
空素機関の甲高い駆動音が草原の上を響き渡り、誇り高き騎士たちは一丸となって“恐嶽砲竜”の巨体へと突進した。
我々こそが民の護り手、理不尽な蹂躙者を討ち果たす力の担い手なのだと、恐るべき巨大〈骸機獣〉へ堂々と示すように。
イーリスもまた走鋼馬を駆り、アクセルを全開に吹かして突撃した。
そのまま隊列の先頭に躍り出ると、部下たちを率いる形で先陣を切っていく。
耳元でがなり立てる風切り音が快い。髪を搔き乱し、頬を叩く暴風の中、イーリスは自分の後ろに乗せたリーンハルトへと語り掛けた。
「なあ、リーンハルト」
返事はない。それでもイーリスは彼が聞いていることを確信し、言葉を続ける。
「悪かったな、さっき」
「なにがだ」
「お前にとって一番言いたくないことを、アタシが言わせてしまったからだ。それだけじゃねぇ、一番碌でもない選択肢を、アタシが皆に指示した」
どこまでも平坦な口調。イーリスは、自分の顔がリーンハルトに見られる心配のないこの状況を、幸いだと思った。縺れそうになる舌を必死に操り、普段通りを心掛けながら、あえて挑むような物言いで、
「怨みたきゃ好きに怨めよ。あの日アタシは、お前が地獄を見ているのも知らず、暢気に飯食ってたようなクソ馬鹿垂れだ。そのうえ今日なんて、部下たちを死地に突っ込ませて、お前まで地獄に付き合わせようとしてるんだから……」
言葉尻に涙の気配が滲みかけたのを、イーリスはどうにか誤魔化そうとする。
「ああ、クソ、風がうるせぇな……」
結局自分は、この幼馴染になにもしてやれていない。少しでも彼に寄り添い救ってやろうと、軍人に志願したリーンハルトを追いかけてここまで付き添ってきたが、彼がそれを本当は迷惑に思っていた可能性だってあるのだ。
「……まあ、あれだ。もしかすると、これで小煩いチビともお別れになるかも知れねぇから、清々するかもな。そうしたらいい加減に彼女でも作ってよ、少しくらい、幸せに生きろよ」
憎まれ口というには、なんとも情けない泣き言だ。この期に及んで女々しく卑しい自分が表出することに、イーリスは心底嫌気を覚える。だというのに――
「イーリス」
――この朴訥とした幼馴染は、昔のような優しい声で、こんな言葉を放つのだ。
「俺は、お前が生きていてくれて、良かったと思っているよ。あの日からこれまで、ずっと傍に居てくれたことも、本当に嬉しかった。なあ、お前のおかげで、俺は全てを喪わずに済んだよ」
「――――、」
「ありがとう、イーリス。幸せというものがあるなら、あの日からの俺にとってのそれは、お前なんだ」
イーリスは自分の顔が耳まで赤くなるのを自覚した。咄嗟に照れ隠しの罵倒を吐き出そうとするも、口の中だけでもごもごと呟くことしかできず、結果としてリーンハルトの言葉を終いまで聞く羽目になる。
「イーリス、お前は死なせない。俺の部下も、オープスト村の人々も、誰ひとり死なせはしない。この俺の命に代えてでも〈骸機獣〉なんぞに、これ以上俺の大事なものを奪わせはしない。“フェーデル市”の二の舞になど、絶対にさせない」
だから、と。
「力を貸してくれ、イーリス。俺がこれからも戦えるように。〈骸機獣〉どもを、この世から完全に消し去るまで」
その時、リーンハルトの口調に滲んだ感情は紛れもなく、憎悪であった。
彼の中でまだ五年前の地獄は続いている。否、終わることはないのだ。
改めて再確認した事実を、イーリスはそれでも頷き、受け入れた。
リーンハルトは地獄を身に宿していながら、自分や“シュレーダー隊”の皆を大切に想ってくれている。人々を守るために戦おうとしてくれている。彼自身が持ち得た人間性を喪うことなく、生き続けてくれているのだ。
――それだけでいい。それだけで十分だった。ならば、それを支えてやるのが、幼馴染の務めだろう。
「……ああ、そうかい。それなら、良いさ」
イーリスの口元に笑みが浮かんだ。軍に入ってからの彼女が習慣とし、今ではすっかり染み付いた、狂暴な肉食獣の笑みが。
そうして顔を上げ、叩きつけるような暴風に涙を拭わせ、森を踏み潰しながら迫る“恐嶽砲竜”をクリアになった視界で捉える。
奴はすでに森を踏破しつつあり、あと数秒もすれば草原の上に立つだろう。彼我の距離は迫り、戦端が開かれるまでは、もう間もない。
「それじゃあ、景気付けと行こうじゃねぇか。よく見ておけ、リーンハルト――」
もはや恐れなど微塵もなかった。
背に感じる熱と、身体の内側から生み出されていく熱。イーリスはそのふたつの滾りを、力ある詞として迸らせる。
この世界に満ちるエーテルに訴えかけ、定められた法則を書き換える術理の行使者としての力を、発揮するために。
「――“雷よ”、“威を以て穿つ力よ”、“迸り”――」
長大な“共振杖”を振りかざし、一語ごとに輝きを増していくエーテル光を叩きつけるが如く、“恐嶽砲竜”の胴体へと向け――
「――“我が敵を射貫け”――」
――発動詞によって、撃ち放つ!
「――≪ブリッツ・ラケーテ≫――ッ!!」
途端、“共振杖”の先端から生み出されたのは、目も眩む鮮烈な放電閃光だ! 大気を焼き焦がしながら突き進んだ一条の紫電は、一直線に“恐嶽砲竜”のどてっぱらへ突き刺さり、凄まじい炸裂音を響かせた!
「――GoWuAGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!?」
着弾地点から細かな黒鋼の破片を弾けさせ、“恐嶽砲竜”が咆哮する。
どうやらダメージは大したことがない。が、そこに確かな痛痒の兆しを感じたイーリスは、ますます笑みを強めて叫んだ。後続の部下たちを鼓舞するように、
「野郎どもッ!! 世にも珍しい直立巨大蜥蜴狩りだ、あのセンスの欠片もねぇ黒尽くめボディに、アタシたちの名前をサインしてやろうじゃねぇかッ!!」
“シュレーダー隊”の隊員たちは応じ、雄叫んだ。走鋼馬の駆動音にも負けず劣らず、地を揺るがすような大音声。それでこそ勲しきシュタルクの騎士だと、彼らの戦意と決意を全て肯定するため、イーリスは叫ぶ。
「よっしゃあッ!! 良い返事だ野郎どもッ!! だったら、向こうさんのお出迎えを受け取るのも早い者勝ちだぜ、……そら来たぞッ!!」
その対象は、踏み潰された森の奥から続々と姿を現していた。“恐嶽砲竜”が垂れ流した瘴気により、捻じれ狂ったエーテルから生み出された小型〈骸機獣〉の群れが、殺意を撒き散らし雪崩打って向かってくるのだ。
「“三眼狼”に“曲刃猿”、“鋸鎌切”に、おやおや“鉄棺熊”まで居やがるぜ!! 選り取り見取りだな、ええおいッ!?」
挙がった名称はいずれも劣らぬ生体凶器を示すもの。しかし勇猛果敢な“シュレーダー隊”にとって、それらはもはや単なる獲物として認識すべき有象無象だ。
決して侮りではない。分不相応な増上慢でもない。ただ偏に、騎士たる者ならば奴らは当然、打倒して然るべき存在故に。
「かかれッ!!」
イーリスの号令で、隊員たちは一斉に〈骸機獣〉の迎撃に向かった。
瞬く間に激突音、破砕音、断裂音が草原の上を支配する。充満する瘴気の中、防護機能を備えた頭部装甲を破壊されれば途端に肺が腐り落ちる危険と隣り合わせに在りながらも、騎士たちは勇猛果敢に槍を振るい弾丸を撃ち放つ。
「俺も、俺の役目を果たすとしよう」
戦撃の音色が響き渡り、徐々にそのボルテージを上げていく中で、リーンハルトもまた動き出す。彼は疾走する走鋼馬の座席の上に危なげなく立ち上がり、目を閉じて集中を開始した。
「…………、」
徐々にリーンハルトの息遣いが深く長いものへと変わっていき、それに合わせて彼の身体から不思議な燐光が発せられるようになる。空素術の発動を示すエーテル光だ。
そしてその光が全身に満ちたとき、リーンハルトは目を開いた。己の連れ合いとごく短いやり取りを交わし――
「イーリス、援護と全体の指揮は任せる」
「応、いつも通り、好きに暴れろリーンハルト」
――座席を力強く蹴り付け、音さえ置き去りにする速度を身に纏い、跳んだ。彼が纏うエーテル光が、眩い軌跡として一直線に伸びて行く。大気を切り裂き遠ざかっていく男の背を、イーリスは眩しいものでも見るような面持ちで見送った。
「そうさ、お前の力を見せてやれ。お前がこの五年間、血の滲むような鍛錬で積み上げてきた力と技を、クソッタレの〈骸機獣〉どもに……ッ!」
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