夏の花火は夢のよう
「ねぇ、聞いてる?」
春子が孝介の顔を覗き込んだ。
孝介から社交辞令的に数日の出来事を尋ねはしたが、春子があまりに長々と語るものだから、孝介は飽きて別のことを夢中で考えていた。
幼馴染みの春子には、そんな孝介のことなどお見通しなのだった。
「今度は何考えてたの?」
中身を飲み切り持て余している缶コーラを、つまらなさそうに指でなぞりながら春子が尋ねてきた。
春子からコーラの空き缶を取ると、孝介はまだ半分以上も残っているサイダーと交換するように置いた。買ってはみたものの、炭酸飲料は苦手だと改めて思い知る。
「祭りのことを考えていたんだ。」
10年前、5歳だったあの頃は随分と純粋無垢で、無知の知を存分に振りかざして毎日毎日遊び耽っていた。
8月になると町内会で二日間夏祭りが催される。その日だけは昼は家で祭りの時間をじっと待ち、夕方になると親に連れられて祭りに参加した。
懐かしいな、と思う反面、思い出したくもないものと同じような臭いと暑さと空気感を毎年欠かさず連れてくる夏と言う季節を、孝介は心底嫌っている。
「何でお祭りのことを?」
「なんかね……。」
暑そうに下敷きで首元を仰ぐ春子を見て、コーヒーテーブルに置いてあるリモコンを操作し冷房をつける。自宅は勝手が分かっていて良い。
「ありがと、なんかねじゃわっかんないよー。」
「春子は知らなくて良いよ。」
「はぁ?」
あの日も、孝介は春子と一緒に居はしたけれど、春子は知らない不思議な体験をした。
屋台の匂いと夏の夜の匂いと、はしゃぐ子供とたまに叱る親の声と、その他全てが交じり合って、いざ来た夏祭り。幼き日の孝介のテンションはこの上なく上がっていた。
母親に何を買って貰おうか。食べ残すと怒られるから本当に食べたいものだけ。でも、全部美味しそうだ。沸き上がる食欲のままに今宵の計画を立てようとしていると、「孝介……。」と後方から呼ばれた。
振り返ると、黒に淡くピンクや紫の花を咲かせた浴衣を着て、薄く化粧を施した春子が居た。春子は孝介に喜んでもらおうと時間を掛けて選んだ浴衣だけでも褒めて欲しかった。あわよくば「可愛い」と言って欲しかった。
だが孝介にとっては春子の浴衣姿よりも、普段は食べられないチョコバナナを食べることの方がよっぽどに大事なことだった。今思うとどうかしている。
「おかあさん、チョコバナナ2本!」
「2本も食べられないでしょ。」
「はること食べる!」
「はいはい。」
母が屋台の列に並ぶのを見ていると、春子の母が言った。
「夏祭りに、都市伝説があるの。知ってる?」
「知らない!なにそれ!」
興味津々に食らいつく孝介と裏腹に、怖いからやめてくれと言わんばかりに身を縮こまらせている春子。
春子の母が話してくれたのは、この地方に古くから伝わる若干怖い都市伝説だった。
孝介の中に恐怖心というものが無いのかと言いたくなるほど、目は爛々と輝いていた。しかし、春子はそういうものに一切の耐性が無く、孝介が確かめてみようと手を引くと頑なに嫌がった。
「じゃあ俺、一人で確かめてくる!」
「危ないからダメよ。」
「えー。つまんねーなぁ……。」
面白くないと言うように下駄で砂を払っていると、孝介の母が2本のチョコバナナを持って戻ってきた。孝介の意識はすぐにそちらに向き、都市伝説のことなどすぐに忘れてしまった。
一時間ほどして、毎年恒例の花火大会が始まった。大きな音がすると、途端に夜空には色とりどりの大輪が咲く。今でこそ孝介は花火を綺麗だとは思うが、この頃はいかにして遮られることなく見られる場所を探すかに全力を尽くしていた。
「春子はここで見てる?」
「うん。おかあさんと一緒にいる。」
「そっか!じゃあ行こうぜ!」
チョコバナナやリンゴ飴、たこ焼きなどを片手に歩き回って見つけた、いつも幼稚園で遊んでいる友達と共に孝介はベストスポット探しに出る。
去年はあの辺で見たから、今年はどうしようか。
あっちが良いんじゃない?
えーでもそこだと……
持ち合わせている知識を5人で出し合って、大まかな場所を決めると、そこに向かって我先にとみんなで走る。木が並ぶところを抜けると少し高い場所に着く。そこなら誰もいないだろう、みんなでお菓子でも食べよう、と話した。
元気だけが取り柄のような、そんな子供だったと孝介は思う。
目的地まであと少しというところで、孝介と友達の夏樹は足を止めた。
「こーすけ!なつき!早く来いよ!」
「すぐ行く!ちょっと待ってて!」
花火よりもずっとずっと興味深いものが二人の目に止まったのだ。
「ねえ、あれなんだと思う?」
「人……かな……」
立ち並ぶ木の一つ、一際大きいそれの太い枝の部分に、うっすらと、ゆらゆらと、白い衣を纏った子供のような何かが見える。
花火が打ち上がると、頭とおぼしきところは光に照らされたが、衣からは色が透けて見えるようだった。
「そうだ、夏樹、あのさぁ」
孝介は先程春子の母から聞いたことを思い出し、夏樹に話した。
夏祭りの花火を見た後に自宅で一家心中を起こした家族の、当時7歳だった女の子が白い浴衣を着て、お母さんお父さんお兄ちゃんどこにいるの、と呟きながら花火を見ている。というもの。
今でこそこんなにヘビーな話を子供に聞かせるんじゃないとは思うが、当時は意味がわからず、死んだ女の子が幽霊になって家族を探している、などとオブラートに包んだ受け取り方をしていた。
「話しかけてみようよ……。」
「うん。」
恐る恐る近づくと、ゆらめくものが女の子の霊であるとよく分かった。怖いとは思わなかった。夏樹が「ねぇ」と呼ぶと、女の子は視線を下に下ろし孝介と夏樹を見た。花火に照らされると、綺麗な顔立ちをしていることがよく分かった。
「そこで何してるの?」
「ここはよく見えるから、お母さんたちを探しているの。」
耳を澄まさなければ聞き逃してしまいそうなくらい小さな声で、少女は言った。二人はやはりそうか、と目で言い合った。
「お母さんたちは、もういないよ。死んじゃったよ。」
「おい夏樹!」
少女は下げていた視線を上に戻すと、震えた声で呟いた。
「そうなのね……。」
小さな肩が震え、長い髪が風に靡く様子が花火よりもずっとずっと美しく思えて、孝介は、悲しくてたまらなくなった。
「でも、天国に行けば会えるから。君の、お母さんたちは、天国にいるよ。ここにはいない。」
夏樹は頭が良いから、成仏させようとしているのだと思った。
孝介はずっとここにいれば良いとさえ思うほどに、少女に心を奪われていた。
「花火が終わったら、おうちに帰るの。」
「そっか、俺たち向こうにいるから、帰りたくなくなったら遊ぼう!」
「ありがとう。」
少女は視線を下げずに言った。
夏樹に手を引かれて友達が待つ場所に行く。
なにしてたんだよ!
ちょっと、おもしろいもの見ちゃったー。
なにそれー?
いいからお菓子食べよー!
みんなの言葉なんて耳に入らず上の空だった。
名前も知らない幽霊の女の子に恋をした。これが恋だと孝介が気付くのは、それからまた先のこと。
花火が終わって、あの木の枝を見たら、そこにはもう少女はいなかった。消えてしまった。いなくなってしまった。
「成仏、したんだね。」
「だな……。」
「何で泣いてるの?」
「え……。」
孝介の両目からはぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちていく。初めて味わう感情の名前も知らず、どうしたら良いかも分からずに、友達からの冷やかしを受けながら春子と母たちの元へ戻った。
思い出すと今でも胸が苦しくなる。だが、あれから孝介も成長した。
夏祭りで花火が上がる度にあの場所に行っても、あれ以来少女を見たことはない。ついに昨年、木自体が切り倒されてしまった。もう二度と会えないだろう。
夏樹は一年後に引っ越し、今ではメッセージアプリでのやりとりしか接点がないが、たまにこの話題を出すと懐かしそうに話してくれる。
きっと、一生掛けても忘れられない、心霊体験にも似た初恋を夏になると思い出す。
「春子、何で浴衣やめたの?」
「え、孝介が褒めてくれないから。」
「はぁ?今年は褒めるから着てこいよ。」
「はいはい。」