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サヨナラの後で  作者: せみまる
第一話 転機
6/19

転機 3

 東京都某区。下町の一隅に、小桜道場は立っている。


 古ぼけた門扉と、小さな桜の木が、唯一と言えるトレードマークだ。

 どこにでもある小さな剣友会だ。週に三回、門下生が好きな曜日に立ち寄り、稽古をする。結構のんびりとした稽古だが、案外俺はこの練習体制を気に入っている。いつでも来られるし、暇だったら毎日来れるし。まあ、ひいき目だけどな。


 剣道を好きになることは、俺の遺伝子情報にがっちりと組み込まれていたらしい。いや、きっとずっと前から俺は剣道をやりたくて仕方がなかったに違いない。

 小さい時から、あの音が大好きだった。

 キレイに一本が入った時の、辺りが澄みわたるような竹と防具が絡み合う音。静寂の中、かすかに足の裏できしむ床の音。衣擦れ。呼吸音。


 だから、祖父ちゃんに早く近づきたくて、竹刀をふりつづけた。


 仲間と出あった。一緒に強くなった。楽しかった。


 一年前の、あの日までは。



「リュウ、僕、死んじゃうかもしれない」

 親父の賞状を、控えの梁に引っ掛けていると、笑いをふくんだ和泉の声が真下からした。

「ええ? なんだよいきなり」

「僕、白血病だって」

「………は?」

 思わず股の下にはさまっている和泉の後頭部を凝視した。当たり前だが、見えるのは彼のつむじくらいで。

 押してみた。

「ちょっと」

 動かないでよ。そう言って和泉は俺の体を抱えなおした。

「肩車ってこんなキツいんだねえ、あはは。リュウ、おもーい」

「あ、お前動くなよ、ゆれるだろうがよ」


「………で?」

 何の話だったっけ。

「そうそう、僕、死んじゃうかもしれないんだよ」

 ……ああ、そうだった。

「だからさ、なんでだよ」

「言ったじゃん。白血病だって。血液のがんだよがん! 地味ぃーーにやばいらしいよ? ちょっとは心配したらどうなんですか?」

「その割には話の内容と声のトーンがあってないけど」

「まあね。僕も信じてないから」

 よし。

 もう一度、和泉のつむじを二回押した。まあ要するに下ろせ、ということだ。

 ぶーぶーと文句を言いながらも、和泉は俺を下ろしてくれた。しょうがないことだけれども、やっぱり股関節が痛い。……いったい。

 俺の表情を見て、和泉はわざとらしく眉を上げた。

「僕はなぜか体中にあざができるよ?」

 思わずその顔のまま和泉を見た。あはは、と和泉は体をのけぞらせた。


「生存率はねえ、70%だってさ」


「お前は俺にどんな反応を求めてるんだよ」

「べっつにぃ~?」


 ………帰るか。

 どちらともなくそんな雰囲気となり、めいめいがスクールバッグを持ち上げる。屈みこみ、ぼこ、と盛り上がった学ランの肘部分に、違和感を覚えた。

「お前さ、」

「うん?」

「もうちょっと太った方が、いいぞ」

「……………はぁっ!?」

 和泉がものすごくおかしな顔で俺を見た。

「いきなり何を言い出すの、君は」

「いやぁ………な、太ってる人と痩せてる人、余命……っていうか生きられる確率が高いのってデブらしいぞ。お前の剣道は軽さが武器だが……命には代えられないだろ」


 しばらく和泉は目を見開き、俺をじ、っと見つめていた。

 ぽつ、と。

 目を見開いたまま、小さくうめき声をもらす。

「………驚いた」


「君なりに心配してくれているのか」


 その驚いた間抜けの顔があまりにも面白くて。

「何言ってんだ、確率の話、ただの数学の話だ」

「あれれー? 本当にそうかな龍平君? 顔赤くなってるよぉ?」

「る、るっせ」


 でもな。

 少し声をとがらせた。それを、和泉は言わせまいとするように遮った。

「大丈夫。たったの三割、だから」

「裏返してみろ。10人に3人は死ぬぞ」

 また和泉は俺を見た。


「あはは」


「本当、君ってデリカシーのかけらもないなあ」



 その四日後。急な話だった。

「50%になっちゃった」

 へらへらと笑っていた。何が、と言いかけて、先日の会話の内容を思い出した。


「……………はぁっ!?」


「冗談じゃないよ? ほんとだよ? ねーねー、どーしよっか?」


 慰めてよ、リュウ。

 んな無茶な。

 そう言って和泉はするすると袴の帯をほどいた。……いや、別にそういう展開に走るわけではない。ただ単に着替えているだけだ。

「二人に一人、だって」

「あ、あの……さ」

「何も言わなくていいよ」

 ジーパンに足を通す。ベルトを締めようとして、ふと顔を曇らせる。

「ごめん、……また、やせちゃった」


「悪いコだね、僕」


 しばらく何度か口を開閉させ、俺は諦めた。唇がかさかさに乾いていたことに気が付き、つと舌で湿らせる。

「まさかだろうけどさ、ハルには言ってないよね?」


 何故そんなコトを聞くのか。

 聞き返す前に、俺の方を見ないまま、和泉は口を開いた。

「ハルには内緒にしておいて」

「……なんで」

「きっと心配して泣いちゃうから」

 ねっ?

 そう言って笑い、和泉は胴着をふぁさ、と脱いだ。


「君が君でよかったよ」


 息をのんだ。病的に白い、骨に張り付いた肌には、いくつもの青黒いあざが浮かんでいた。

「君までそんな顔しないで、リュウ」

 大丈夫だからさ。

「絶対、死なないから、ねっ?」


「だから、……泣かないで、君だけは。お願い」


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