転機 7
「あによ、なんか文句でもあるわけ? その顔」
「…………別に?」
「あ、そう」
“彼女”、もとい神楽音葉は相変わらずの様子で、愛想の「あ」のじも感じられない冷たい声で言った。ふん、と鼻で笑うしぐさも、やっぱり変わらない。
やっぱり変わらず、人をいらつかせる才能がある。
「で、入んないの? 道場。せっかくきたのに」
そう言って、腕を組んだ音葉は、あごで道場の中を示した。「今日が全体練習の日だってことぐらい、わかってんでしょ」
「あたりめーじゃねーか。親父は俺よりも前に出てったよ」
「まあ、龍代師範、いつも早いもんね、あんたもちょっとは見習いなさいよ」
「…………ああ」
嫌な音がして、額に青筋がたつ。俺の表情を見て、音葉はいっそう意地悪そうに唇の端をゆがめた。
「今日来ればあんたの沈んだ顔見られると思ったのにな。まあ、昨日もこんな感じだからさ、期待はしてなかったけど」
『あははっ』
隣でおとなしく話を聞いていた和泉が、こらえられなくなったのか、吹き出して、おなかを抱えて笑い出した。
『さっ、さすが神楽っ………君以上にっ、……デリカシー、ないねっ………』
ほんとだよ。心の中で毒づく。
「それはそうと」
音葉が首を回してきょろきょろと周りを見渡した。
「…………なに、やってんの」
「いや、ちょっと、周りに人がいたらまずいな、って思って」
「え、………なんで」
「いや、ぁ、ね…………」
音葉がいかにも“秘密よ”というふうに、声を潜め、顔を近づけてきた。ん、なんだ、といつものごとく、あいつの術中にはまってしまう俺も馬鹿だ。
「和泉が死んでからかな。最近、妙に変、なのよね」
「……………………え」
「もしかしたら和泉、帰ってきちゃってるかも」
和泉が驚いたように目を見開いた。そうだった。まさか、はなから幽霊がいるなんて信じ込んでいるやつ、いないと思っていた。
すっかり忘れていた。こいつは、重度の、
…………………厨二病だった。
約三時間後。
「あっぢぃ―――――――――――――」
俺たちは見事に蒸しあがっていた。当たり前だ。初夏といえど、暑いものは暑い。むしろ、風がないから、真夏よりもきつい。
一人きりの更衣室でうなりながら転がる。暑い。………暑い……。
胴着の袂をゆるめてぱたぱたとあおいでいると、『おー、えろい』というのんきな声が頭上から聞こえた。そうだ、「ひとり」じゃなかったんだな。…………和泉がいたんだ。
「…………何がだよ」
『んー? 今のリュウの格好と姿勢』
「あー、そりゃよかった。めったに見られるもんじゃねーからじっくり見とけ。………十年後には金取るからな」
『あははっ、じゃあ、遠慮なく?』
言葉通り、和泉は俺の横にかがみこんで、にこにことしながら俺の顔をのぞいた。
『今日の稽古も大変でしたねぇ、龍平さん。大丈夫ですか? あはは、汗びっちょり』
笑う。
一方、俺には答える気力も残っていない。
稽古の後は、いつもこう――――「だった」。誰もがへろへろになっている稽古後、こいつはいつだって鼻歌を歌いながら更衣室で俺をからかった。
さすが、全中一位―――――なんてな。
『~♪』
こんなひと、そういうふうに見えません。
『いや~、でも、びっくりしたなぁ~。まさか神楽が、ね?』
「ほんとだよ。びっくりさせやがって………あいつの厨二具合を忘れてた」
『ね、ねっ!』
膝を叩いて和泉は涙目になって笑い転げた。
『ほんと神楽最高っ! あんなふうに僕のこと言ってくれるの彼女だけだったしっ、いやぁ、ほんとにもう……なんというか大好きだよっ』
「あー、そりゃよかった、よかった」
ぱふぱふ、と和泉が膝を叩くたびに音がする。
―――――――「幽霊なんて、いるわけ、ねぇじゃん」
俺が発した言葉に、音葉と和泉は目を丸くした。
「『は?』」
思わず、あいた口に指を突っ込みたくなる。わなわなと震える唇で、音葉は俺を指さす。
「だ、だって、さっき、あんたもっ………」
「さぁ、気のせいじゃね?」
「は、はぁっ!?」
肩を揺らして俺は笑って見せた。「幽霊なんているわけねぇじゃん、あたりまえだよ、厨二もほどほどにしろって」
音葉はしばらく口を開けたまま、ふるふると震えていた。顔に神経が行ってないせいか、いつもの人を小馬鹿にしたような表情は消え去っている。こっちの方がかわいいじゃんとか思いながら俺は自分が発した言葉の後処理を考えた。
『あの、龍平さん? どういうつもりなんですか?』
「あの、今も何か気配を感じるんですけど、龍平さん」
んー、どうしたもんか。
「あのさ」
めいめいに口うるさくわめいていた音葉と和泉は、俺の顔を見て、口をつぐんだ。
「幽霊ってさ、何で「出現る」の?」
「んー………いろいろあるけどね。よくいわれるのは未練―――やり残したこと、とか。それをかなえるためになんて、言われたり」
「へー」
「他には、……例えば、そうだね“生前ひどい仕打ちをされた”とか、“今生きている人に恨みを持っている”とか。あと、多分これはないと思いたいけど……“お迎えに来た”とかもあるよね」
「へー」
「嵯峨野だったら……一番ありそうなのは、やっぱり未練じゃない?」
「五年前のこと、あるしね」
「まあ嵯峨野なら、「あのこと」で恨みを持つなんてこと、ないしねぇ………どう考えても未練、だろうねえ……」
「ん、まあ、そうだな」
ちらりと横の和泉を見やると、和泉は俺の視線に気が付き、ゆっくりと目尻を下げた。
『なぁーに、リュウ』
『わかってるよー、君の考えてる事なんて。どうせ僕があの試合をやりなおしたいって心の中で思ってる、とか、邪推してるんでしょ?』
『違うよ』
『僕はそんなコト、思ってない』
少しだけ哀しそうにつぶやく和泉に、やっぱり音葉は気付かない。
「ん」
目顔で頷いて、和泉から目をそらした。
「まあ、大体わかったけど。何でお前はそんなかたくなに幽霊がいるなんて信じ込んでるんだよ」
音葉は首をかしげてから俺の言葉の意味を理解し、にやりと口の端を吊り上げた。
「人は死後―――黄泉の世界に呼び戻される」
「そしてこの世とあの世の境界で問われるのよ―――もう一度、戻るか、このまま、次の命へと生まれ変わるのか」
『僕だったら次の命かなぁ?』
わざとらしい語り口調に、楽しそうな声色で、和泉が口を挟んだ。
「戻れば、いつ帰れるのかは分からない。それにほとんどの人からは見えないし、聞こえない。そんな変な待遇でも受けいれる――――そんなひと達が幽霊という仮の姿をとって死後、世界に現れる」
「それが、黄泉還りというものよ」
「――――それは、どこのアニメからとってきた」
「ふふ。もちろん自論よ」
「ああ、そうですか」
満足そうに音葉は笑い、元の意地悪そうな笑みを口元に浮かべて俺の肩をたたいた。
『霊感があるのかもねぇ、彼女は』
そんなこんなで話はずれながら音葉を撒いた俺らだったが、彼女の反応は笑うぐらいしかできないわけで。
「……信じたく、ねぇけどな」
『でも僕の気配に気がついたみたいだよ?』
「それもそうだよなー」
眉をひそめる俺にかまわず、和泉は笑った。
『でも少なくとも収穫―――面白い話は、聞けたね。未練だとか何だとか』
「あぁ、そうだな」
だいぶ体力が回復したので、勢いをつけて起き上がった。汗まみれの胴着をはぐようにして脱ぐと、今まで感じられなかったかすかな空気の流れを感じて、気持ちよかった。
………あぁ、それにしても。
「……………あっちー…………………」
ぱたん、とわざとらしくもう一度倒れこむと、和泉は俺の顔を覗き込み、『伝家の宝刀、あるけど使う?』
とニコニコしたまま肩をすくめた。
伝家の宝刀、というのは。
すなわちコールドスプレーの事である。あの、吹き付けるとめちゃくちゃスースーする、あれだ。
「!―――――――ーっ!!!」
『あっはは。リュウの顔真っ赤ぁ』
「~~~~~~――――---!?!!」
『かわいー』
「―――――――――――――――――っっ!!!」
これもまた、いつも通りの光景。まぁ、要するに俺が和泉にいじられる、ということなのだが。
『あははっ』
約三分後、悪魔の楽しそうな笑い声と、魂が抜け、すっかり白くなった哀れな子羊の亡骸が転がっているのは、言うまでもない。




