「もしもの話だけれども」
いつもと同じ帰り道。
夕日が沈む。
「ねえ。もしもの話をしようか」
沈む太陽を眺めながら言った。
夕陽が僕らの歩く道を照らす。
「どんなお話?」
君は笑う。
僕の顔を覗き込むように首をかしげて。
はらりと肩から落ちる長い黒髪が、夕陽に照らされていた。
僕は笑った。
笑って言った。
つまらない話だよ、と。
「もしもさ、この世界が終わるなら君は何をする?」
君は少し驚いたような顔をした。
そして笑って言う。
「そうだなぁ。その時の状況にもよるかな?」
でも、と君は続ける。
「私はきっと思いっきり遊ぶかな。勉強も世間体も投げ出して、自由に遊ぶの」
そう言った君の横顔はどこか悲しげだった。
「じゃあ、あと一時間で世界が終わるならどうする?」
僕は前を見たまま言う。
君のほうを見なくても驚いているのが分かった。
「急にどうしたの?」
君が笑う。
僕は黙ったまま君が答えるのを待っていた。
僕の沈黙を本気と捉えた君は真面目な顔で言った。
「……告白するよ」
足が止まった。
僕は君を見る。
「好きな人に自分の気持ちを伝えるの」
君は真っ直ぐ前を見ていた。
「どうして、今伝えないんだ?」
僕の質問は無神経だったかもしれないーー。
君は顔をあげて答える。
「言えないよ……」
今にも泣きそうな顔で笑う。
「前みたいに笑えなくなるのが怖いもん」
「好きだって伝えて、前みたいに一緒に笑い合えなくなるのが怖いの」
……。
「私、臆病だね……」
そして、再び俯く君。
僕は何も言わなかった。
僕には君に何かを言う資格なんてないからーー。
* * * * *
いつもと同じ帰り道。
夕日が沈む。
隣を歩く君は今日も寂しげな顔。
「今度は私が聞いてもいいかな?」
君は前を見たまま、僕に尋ねる。
「何?」
「もしも世界が滅びるなら、君は何をするの?」
君は僕を見て、立ち止まる。
僕は君から目をそらした。
立ち止まった君を置いて、先に進む。
世界が滅びるなら?
一瞬目を閉じたーー。
僅かに先に進んだ僕の足が止まる。
目をゆっくりと開いた。
「何もしないよ」
僕はゆっくりと答えた。
再び歩きだす僕ーー。
君は僕の言葉の意味が理解出来ていないみたいだった。
「僕は滅びる世界に残したいものなんてないのさ」
君を振り返って見た。
中二みたいなことを言ってると思っているだろう?
でも、
これが僕の本音さ。
僕は何も持ってなんかない。
だから何もいらない。
どうせ消えてなくなってしまうのだからーー
何も必要ない。
やり残すことなんて、
初めからないんだーー。
死ぬ前にやりたいこと?
そんなのないよーー。
自分が死ぬことを考えても、全然。
分からないんだーー。
何をしたいのか?
何を残したいのか?
やりたいことはないのか?
やり残したことはないのか?
全然思い付かないんだ。
空っぽなんだーー。
* * * * *
いつもと同じ部屋。
いつもと代わり映えのしない食事。
いつもと同じ顔触れ。
何も変わることのない僕の日常。
窓から射し込む夕日。
夕陽に照らされた、いつもと変わらない君の笑顔。
違うのは、僕には帰る場所がなくなったってことだけーー。
それですら些細な変化にすぎない。
笑顔で語りかけてくる君。
僕は適当に相づちを打っていた。
「ねえ。もしもの話。僕が死んだらどうする?」
凍りついたように固まる君の笑顔。
意地悪な質問だったかな。
でも、答えてくれよ。
僕は君を見つめる。
「そんなこと冗談でも言わないで」
君は震えそうな声でそう言った。
* * * * *
いつもと同じ部屋。
いつもと代わり映えのしない食事。
いつもと同じ顔触れ。
何も変わることのない僕の日常。
窓から射し込む夕日。
夕陽に照らされた、君の顔がよく見えない。
「もしも、私がいなくなったらどうする?」
僕の質問には答えてくれなかったのに、君は質問するんだね。
君がいなくなったら?
「どうもしないよ。君がいなくなっても僕の生活は何も変わらないさ」
僕は前を向いたまま、そう答えた。
俯く君の顔が僕には見えない。
「そっか。そうだよね……」
君の顔を見た。
顔を上げて、笑う君。
いつかと同じ寂しげな笑顔。
僕は君から目をそらす。
ごめんーー。
謝ったって意味がないことは、分かってる。
口に出さなきゃ伝わらないことも知っている。
それでもーー。
僕は心の中で、呟いた。
ごめん。
* * * * *
いつもと同じ部屋。
いつもと代わり映えのしない食事。
昨日、一人減った。
空っぽの空間。
空いたスペース。
そいつが僕の意識を埋めていく。
* * * * *
いつもと同じ部屋。
いつもと代わり映えのしない食事。
空っぽの空間。
そこを埋める。
埋められた空っぽの空間。
もうそこは空っぽじゃない。
こうやって、埋められていくんだーー。
代わりはいくらでもいる。
僕もいつか、
消えて、
無くなって、
埋められてしまうのだろう。
君は今日も来なかった。
* * * * *
いつもと同じ部屋。
いつもと代わり映えのしない食事。
徐々に変わっていく顔触れ。
久しぶりに見た君の顔は、随分と違って見えた。
明るい陽が射していた。
「私、結婚するの」
へえ。
そうか、それは良かった。
「今日はもう、さよならしようと思って来たの」
うん。
そのほうがいいと僕も思うよ。
僕は窓の向こうを眺めていた。
「私のこと、怒ってるかな? 」
躊躇いがちに聞く君。
僕は何も答えなかった。
「さよなら。……大好きだったよ」
最後の言葉は消え入りそうな声で、それなのに僕の耳にやけに残った。
君が去っていく足音が聞こえるーー。
君は部屋を出ていくーー。
振り向けば、君の背中が見えた。
「行かないで……」
息が漏れるように呟いた、僕の声は掠れて君に届くことはなかったーー。
* * * * *
いつもと違う閉じた部屋。
もう動かない僕の体。
もうすぐ、僕の世界は終わる。
何かやり残したことはあっただろうか?
何も思い浮かばないーー。
空っぽの僕。
もうすぐ何もかも消え失せて、無くなってしまう。
その前にやっておかなければいけないことは、なかったのだろうか?
何も思い浮かばない。
もしもーー
もしもの話。
もしも、この世界を終わらせずに済むのなら、僕はもう一度だけ。
たった一目で構わないからーー
君に会いたいーー。
でもーー
この世界が終わるのはもう確定事項でーー
だから、僕は
君には会えないよ。
僕は、君よりも先に滅びることが確定した存在だからーー
きっとーー
君を悲しませてしまうだろうからーー
君には会いたくないんだーー。
まだ、生きたいとーー
願ってしまうだろうからーー
さよならはもう、ずっと昔に済ませたよ。
だから、改めて言ったりはしないーー。
君も、もうここには来ないだろうから。
* * * * *
ねえ。
もしもの話をしようか。
もしも、この世界が終わるなら君は何をする?
僕は黙って目を瞑るよ。
恐ろしい滅びの時を見てしまわないようにーー
後半段落付けてませんでした(--;)
ごめんなさい(--;)