眠れぬ夜
明けましておめでとうございます。今回は、少しだけですが、恋愛要素ありです。
布団に入っても、オリビアは、なかなか眠れなかった。布団と言っても床に敷かれた布の上に、薄い布を掛けているだけだ。誰も来る事のない、この家に余分な布団などあるはずがない。
体は疲れているのに、一向に眠れそうにない。
隣では、ナターシャが心地良い寝息を立てていた。
何処でも眠れるナターシャが羨ましいかぎりだ。
今日、何度目かの寝返りを打つ。
「眠れないのですか?」
少し離れた場所に横になっていたレイドが、物音に気付き小声で話し掛けて来た。
その声にもナターシャは、起きる気配がない。余程疲れたのかもしれない。
暗闇で姿が見えないので、声のする方向へ向かって謝る。
「ごめんなさい、起こしてしまったかしら」
「いえ、私も寝付けませんでしたから。すみません、オリビア様。こんな場所では眠れませんよね」
「いえ、そう言うわけでは…」
否定はしたものの、確かに場所のせいも一理ある。
―だが、それだけではない。大切な家族をほんの一時間で、全て失ったのだから…
レイドの理由はオリビアとは違っていた。静かな声でゆっくり話しだす。まるで、寝付く前の子供に絵本を読み聞かせて上げるように…
「昔を思い出しておりました」
「昔?」
「はい、子供の頃を…お祖父様は、私の剣の師匠なのです。子供の頃、剣は誰かを傷付ける道具、そう思っていたので、剣の稽古が嫌で嫌で仕方が無かった。嫌々やっていた為になかなか上達しない。業を煮やした父が、ある日私をお祖父様に預けたのです。お祖父様は、その頃既にここに住んでいた。私は毎日毎日剣の稽古をさせられ、それは父に習っていた時より、厳しい修行でした。そして、一週間で、私は根を上げ、ここから逃げ出した。私は知らなかったのです。腐肉食烏が人を襲うと…腐肉食烏がお祖父様を恐れている事を…案の定、森の中で彷徨う私は敵とみなされ、沢山の腐肉食烏に襲われ、命を落としかけた。その時です、薄れゆく意識の中でお祖父様が剣を片手に沢山の腐肉食烏に立ち向かう姿を見たのは…そして、気が付いたのです。剣は人を傷付ける物ではなく、守る物だと…私はそれ以後必死で剣術を学びました。お祖父様が私を守ってくれたように、誰かを守れ
るようにと…」
(剣は人を守る物。その術を身につけていれば…)
先程から、必至で気持ちをそらして考えないようにしていたのだった。だが、レイドの言葉で全てが水の泡だ。
自然とオリビアの瞳が潤む。必死で涙をこらえる。
「オリビア様、我慢なさらないで下さい」
いつの間にか、レイドが直ぐ横まで来ていた。暗くて、レイドが場所を移動した事に気が付かなかったのだ。オリビアは驚いたように半身を起こす。
「が、我慢などしておりませんわ」
何とか涙を堪え、強がりを吐く。さすがに家族の死を目の当たりにした時は、錯乱してしまい何も考えられない状態だったが、時間が経った今は違う。誰かに自分の弱さを見られるのが嫌だった。隣に腰を降ろしながら、レイドが告げる。
「ファズ様がいつも言っておりました。オリビア様は、どうでもいい事は大騒ぎするのに、本当に辛い時は決してそれを見せないと」
「お兄様が…」
(お兄様は、気付いていたのだ。だから、いつも…)
思い出すように、そっと目を閉じる。ファズの様々な表情が目の前に浮かび上がる。
(自分が辛い時、必ず側にいた。あれは、単なる偶然ではなかったのだ。いつも、側でおどけて笑わせてくれていた。いつの間にか辛い気持ちを忘れる程に)
ポロリと涙が頬を伝い落ちる。気が付いたオリビアが、慌てて頬を拭おうと手を持ち上げた。その手をレイドが止めるように掴む。
オリビアは、驚いたようにレイドを見上げるが、直ぐに自分が泣いている事を思い出し、慌てて顔を横に背けた。泣き顔を見られるのが嫌だったのだ。
突然、掴まれた手を強く引かれ、力強い腕に引き寄せられる。
「これでオリビア様の顔は見れない」
耳元で聞こえるレイドの優しい声。オリビアは、レイドに抱きすくめられていた。
温かいレイドの体温がオリビアの身体に伝わる。張り詰めていた糸が切れたように、レイドの胸へ顔を埋めは泣きじゃくる。
ただ、黙ってレイドはそれを受け止めていてくれていた。
「うーん」
オリビアは、寝転がったまま大きく伸びをした。
何だか体中が痛い。
一体、何故?と思う間もなく、硬い床の感触で直ぐに全てを思い出す。
(そうだ…昨日はあのまま眠ってしまったのだわ)
レイドの腕の中で子供のように泣いてしまった事を思い出し、恥ずかしくて赤くなる。
いつの間にか眠ってしまったオリビアを布団に寝かせてくれたのだろう。
慌てて体を起こして辺りを見回す。室内は窓から射し込む光で明るくなっていた。
レイドの姿は、既に無い。いや、レイドだけではなくナターシャの姿もない。
誰もいない事に少しだけホッとする。レイドにもナターシャにもどんな顔をして、会ったらいいのか分からなかった。
(今、何時かしら?)
陽の光は、随分高く感じられる。重い体に鞭打って、ふらりと立ち上がったその時、外へと続く扉が開かれ、逆光で人影が浮き上がる。
「姫様、お目覚めになったのですね。良かったですわ」
ナターシャの声だ。安心したように、此方へ近づいて来たが、すぐにその顔が曇った。
「だいぶお泣きになられたのですね……丁度良かったですわ。冷たいお水をいただいて来ましたの。これでお顔を…」
小さな水桶を両手で差し出した。陽の光が反射して水面がキラキラと輝いている。
(やはり、顔が腫れていましたのね…あれだけ泣けば当然ですわね)
水桶に近づき、水をすくおうと覗き込みハッとする。
「お兄様!!」
僅かに唇を開き、疲れたようなファズが此方を見ていた。
(やはり、生きていらっしゃったのですね)
思わず笑顔になるオリビアに呼応するようにファズも笑う。
(あっ……)
ファズの顔が揺れて歪んだ。オリビアの頬を伝い一滴の涙が水桶に落ちたのだ。水面に波紋が広がり、そして…消える。
残されたのは、暗い顔のファズ…いや、オリビアだ。
ナターシャがオリビアの思いに気付いたのか、唇を震わし心痛の面持ちで此方を見つめていた。
「嫌ですわ、こんなに腫れて。髪も短くてバラバラなうえに、この顔じゃ、お兄様に見間違えて当然。本当は、私の方が全然美しいのに」
顔を擦りながら、気付かれぬように流れた涙の跡を拭き去り、わざとらしい程、大きな声を上げる。
自分は元気だと言わんばかりに…
「そうですわね、髪を切って差し上げますわ」
女神のような、その顔で、いたわるような優しい微笑みをナターシャは浮かべた。
(ナターシャは、昨夜の一件を多分知らないのだろう。そうでなければ、こんな笑顔は出来ませんわ。それとも、恋敵とすら思われていないのかも…)
「どうかなされましたか?」
ナターシャが小首を傾げながら尋ねる。その声にオリビアは我に返った。
頭を冷やすように乱暴に水桶から水をすくい、バシャバシャと顔を洗う。
床に水滴が落ち黒く水の染みを数個作る。冷たい水が腫れた顔をスッキリさせてくれる。
(今は、そんな事悩んでいる場合ではありませんわ)
「ナターシャ、髪をお願いするわ」
オリビアは、にっこりと微笑んだ。
レイドはオリビアとナターシャのどちらを選ぶのでしょうか?