村
遠くに村らしき物を確認する事が出来る場所に来るとレイドは、足を止めた。
暗くなる前に到着を目標にしていたので、ここまで歩き通しだ。
「今日は、ここで休みましょう」
レイドの言葉で三人が一斉に座り込む。
(もう、一歩も歩けませんわ)
「私は、このまま村に向かいます。村の側なので、魔物も出ないと思いますが、何かありましたら、ナターシャ、光球を打ち上げて下さい。すぐに戻ります。それから―」
そう言って自分の荷物から、小さな筒を三本取り出し、かがみ込んでナターシャに渡した。
「ナターシャ、これを―」
「これは…」
ナターシャ、顔をあげ、少し青ざめた顔でレイドを見返した。オリビアには、その筒が何なのか分からなかったが、ナターシャは知っているようだ。きっと城にあった物に違いない。
「使い方、分かりますよね」
「………はい」
「最悪の場合、私が戻るまでの時間稼ぎにはなると思います。宜しく御願いします」
立ち上がり、背を向けて去りかけたレイドだが、ふと足を止め振り返る。
「ファズ様も、御一緒に行かれますか?」
「えっ!!宜しいのですか?」
げんきんなもので、先程までの疲れが一気に吹き飛ぶ。青い瞳をキラキラと輝かせ、好奇心に胸を膨らませる。
ナターシャが、何かを知らせるようにオリビアを肘で突いた。
(あっ…)
嬉しさに、つい我を忘れていた。
ディオが、不審そうに此方を見ている視線とぶつかる。
一瞬視線が合うが、オリビアは平静を装う。下手に動揺したら、余計怪しまれる。
「行ってもいいのか?」
「私は、ファズ様の護衛です。一緒に行って頂いた方が、此方も任務が遂行出来ます。ですが、大丈夫でしょうか?随分、お疲れのようにみえますが」
「大丈夫。全然、元気だ」
オリビアは、勢いよく立ち上がって見せた。そんなオリビアにレイドとナターシャは苦笑する。
キョロキョロと辺りを見回しながら、オリビアは、口にする。
「随分と小さな村ですわね」
「ファズ様、お言葉にご注意下さい。何処で、誰が聞いているか分かりません」
「そうだな」
興奮すると、つい忘れてしまう。気を付け無ければ―
首筋を触り、切ってしまった髪を確認する。
オリビアは、目を閉じて自分自身に言い聞かせる。
(今は、ファズですわ)
夕方のせいか人の姿も疎らだ。
その上、店らしい店舗もほとんど見当たらない。その代わり、沢山の畑が見受けられる。見たことのない野菜があちこちになっている。
物珍しさにオリビアは、キョロキョロと辺りを見回す。
先程、一件小さな雑貨屋らしき物を見たが、後は民家が散らばっているだけだ。
「ここは、農業で成り立っている村です。近くの町に野菜を売ることで、生活をしています。ほぼ、旅人は来ないようですね」
通り過ぎる人は、旅人が珍しいのか、好奇の目をこちらに向けてくる。その服が土で汚れているところを見ると、畑仕事を終え、帰路の途につく村人である事が明らかだ。
「レイドは、来た事あるのか?」
「えぇ、子供の頃に、お祖父さまと数度。のどかで良い村ですよ。それに、ここの野菜は、新鮮で美味しい。今もあるか分かりませんが、確か、この先に食料品を売っている店が…あっ、あそこですね」
レイドがこんな時なのに、懐かしさからだろうか、嬉しそうに教えてくれる。
看板らしき物を掲げた、古い小さな建物を指差し言った。看板には野菜や果物の絵が描かれているので、食料品店で間違いないだろう。
ここからでは、店がやっているのか確認出来ない。とりあえず、二人はお店に向かう事にする。
店に近付くと、建物から、ふくよかなおじさんが、両手一杯に紙袋を持って出て来るのが見えた。どうやら、お客のようだ。
「良かった、やっているようですね。これで、次の町まで食料の心配する必要がなくなりました。お祖父さまに頂いた物だけだと、心許なかったので」
ホッと胸を撫で下ろすレイド。心配かけまいと、今までそんな素振りすら見せなかった。皆に心配をかけまいと、何も言わなかったのだろう。
重い木の扉を押すと、蝶番がギシギシと悲鳴をあげる。どうやら、油が切れているようだ。扉を押さえオリビアを、先に中へ通す。
恐々、中へ踏み込む―
「いらっしゃいませ」
扉に付けられた鐘の音と共に、しわがれた声に、声を掛けられる。
入口入ってすぐにカウンターがあり、白髪頭をおだんごに一つにまとめた老婆がチョコンと座っている。
オリビアは、驚きで瞳を大きくしばたいた。ここまで来る途中、女性には会わなかった。この店の主人は、ナターシャ以外に、初めてあった女性だ。皆の言う通り、女性の数が少ないという事を、オリビアは初めて実感する。
「おやっ、見かけない顔だね。旅のお方かね?」
「分かるんですか?」
「あぁ、小さな村だから、皆が顔見知りさ。何にもない村だからね。ここの所、客人なんて来ておりゃせんよ」
「でも、ここの野菜は、美味しいって聞きましたよ」
「んっ、食べた事あるのかい?」
「レイドが、子供の頃にこのお店に来た事あるそうです」
「………レイド…はて?どこかで聞いた名じゃ」
老婆は、首を傾げレイドの顔をジッと見つめる。次に、遠くを見つめ記憶の糸を手繰る。暫くすると何か思い出したのか、小さな目を大きく見開いた。
「あんれっ、もしや、あの頑固じじぃのお孫さんかい」
「頑固…じじぃ………ぷっ…」
オリビアは、老婆の言葉に思わず噴き出した。あの頑固さは、昔から変わっていないようだ。
店主にまで、そう言わせるとは、ここでも何かしでかしているに違いない。
「子供の時、偶に来ておったよな?
昔から整った顔をしていると、思っとたけど、随分と格好良くなった。頑固じじぃに、似なくて良かったな―――」
ペラペラと話し続ける老婆に、レイドは苦笑いを浮かべている。
オリビアは、レイドの袖を摘み呼ぶように引っ張った。レイドがオリビアへと顔を向ける。
「レイド、覚えているの?」
囁くように問うと、レイドもオリビアにだけ聞こえるように囁き返す。
「正直、全然覚えていません。この店は、何となく覚えているんですけど」
ヒソヒソ声で話す二人の声が、僅かに聞こえたのか話すのを止め尋ねる。
「んっ、何か言ったか?」
『いえ、何も』
二人同時に答え、プルプルと横に首を振って見せる。
「そういえば、爺さん、今でも時々買い出しに来るぞ。隣町には、うちの息子が野菜を卸に行っているはず。わざわざ、ここまで買いに来んでも」
さすがに、腐肉食烏の森に住んでいるとは、思っていないようだ。
(結構な距離ありましたわよね)
オリビアは、お祖父さんの家からの道程を思い出す。オリビアにとって、かなり辛い道のりだった。あの老体で、ここまで歩けるとは…
化け物並みの体力だ。
「ところで、二人は何がいりようか?」
そこで、始めて店に並ぶ野菜類を眺める。オリビアには、見たことのない食材が殆どだ。どれも鮮やかな色で、艶々している。
ここに来る途中、畑になっている野菜を沢山見た。それが今、この店に並んでいるのだ。
お城に閉じ込められたオリビアの楽しみは、食事だった。ファズもそれを知っていたのか、外に出ると珍しい物を買ってきてくれた。それを食べてせめてその場所に行った気になるのだ。時々、外れの品もあるのだが、大抵美味しかった。
一体、どんな味がするのだろうか。
目をキラキラさせて、その味を想像する。自然と喉がゴクリとなる。
レイドは、そんなオリビアの気持に気付かずにシビアな一言。
「出来れば、日持ちする食材を」
「そうなると、干してあるもんになるね」
老婆は、暖簾のごとく紐に結ばれ、カウンター辺りに、吊されている萎れた物体を指差した。既に干からび何の野菜かも分からない。
くすんだ野菜に、オリビアの顔が一気に曇る。この鮮やかな御野菜達を、食べる事が出来ないのだ。
(なんて、残念ですの)
「おやおや、お兄さん。随分と残念そうな顔をしてくれるね」
老婆の声で、レイドがオリビアの方を見て、クスリと笑い言った。
「すみません、新鮮な野菜も少し御願いします」
両手で大きな紙袋を抱え、鼻歌混じりにお店を後にする。今夜は食べた事のない野菜が食べれるのだ。
茜色の空の元、二人はナターシャ達がいる村の外へと向かう事にする。
きっと、ナターシャ達もこの野菜を見たら喜ぶだろう。ナターシャの優しい笑顔を思い出し、自然と笑みがこぼれる。
もう、間もなく夕日が地平線に沈む時間だ。
「ファズ様、随分とご機嫌ですね」
「今夜は、美味しい食事に有り付けそうだからな。レイドも楽しみだろう」
踵を軸にクルリと後ろを振り返り、満面の笑みで言った。
その様子にレイドは、頬を緩ませ、ホッと息を吐くように言った。
「良かったです。久しぶりにオリビア様の笑顔が見れました」
安心の色を称えた瞳を見た瞬間、自分がどれだけレイドに心配かけていたか気付かされる。
それでも…
(どんなに心配されても私は、お兄様として生きると決めたんですわ)
今更、後に引く気はない。
オリビアは、胸元に下がるファズの形見のネックレスを強く握り締め再度誓う。
そして、敢えてファズの口調で言った。
「知っているだろ、レイド。昔から、俺は、食事に目がないからな」
「そうでしたね」
レイドがオリビアの気持に気付いたのか、悲しそうに目を伏せた。
―――その時、空が一瞬昼間のような明るさを取り戻した。
レイドは、ハッとして顔を上げる。
その顔は、怖いくらい厳しい顔付きをしていた。その表情に、オリビアの体が強張った。