少年ディオ
いつも読んでいただき有難うございます
「これは一体……」
戻って来た二人の姿を見てナターシャは顔を青ざめた。
ドロリとした緑の液体――
魔物の血飛沫を衣服に纏っていたのだ。
レイドだけなら、まだしもそれがオリビアにまで及んでいるとあってはナターシャは黙っていられない。
飛び付くようにレイドに詰め寄り、声を荒げる。
「何が、何があったのですかっ? 何故……何故、ひ……」
「ナターシャ、落ち着きなさい」
いつになく強い口調で、レイドがナターシャの言葉を遮った。その声にナターシャが驚いたように、口を閉ざす。
「客人の前です、ナターシャ」
チラリとレイドは無表情で横に立つ少年に視線を走らせ嗜める。
「あっ……」
戸惑いの言葉を発し、気まずそうに口を閉ざし俯いた。
第三者の姿にナターシャは、レイドの考えをすぐに察した。
レイドに遮ってもらわなかったら間違いなく「何故、姫様が?」と叫んでいただろう。
オリビアの存在は決して知られてはならない秘密事項。まして、民なら尚の事。二人の姿に気をとられ、少年にまで気が回らなかったようだ。
「ファズ様、取り敢えず着替えを。ナターシャ、たらいにお水を用意して差し上げて下さい。説明は後です」
「はい」
言われるままに従い、足早に奥へとナターシャは消えて行く。
オリビアもナターシャの後へと続いた。
「で、どういう事でしょうか?ひ……」
着替えを終え戻った所でナターシャは状況の説明を求める。勿論、オリビアは男の子の格好だ。
ナターシャは少年にチラリと視線を移し、言い掛けた言葉を飲み込んだ。不思議そうにナターシャを見つめる少年の視線に気付き、誤魔化すようにコホンと一つ咳払いをして続ける。
「王子様の衣服――まるで魔物の血飛沫を浴びたようにみえましたが、一体何があったのですか? それに彼は?」
レイドがオリビアをファズと呼んでいたのを気付いていたようだ。さすがに王族付きの僧侶、頭の回転が早い。
簡素なテーブルに四人が席に着く。食事をした時も思ったのだが、やはり狭い。オリビアとナターシャ、レイドと少年が肩を並べるようにして席に着く。お祖父さんは奥で何かしているようで、姿を見せない。
オリビアは沈黙に徹する。。余計な事を口走らないように――
(私が、お兄様でない事がばれてはいけない)
「残念な事に、街も城も彼以外、残されている者はおりませんでした」
その口調は淡々とした物だった。多分そうしないとレイド自身落ち着いて話す事が出来ないのだろう。
此迄の経緯を手短に説明する。城や街の様子を――
そして、帰路の道中に聞いた少年の話を――
少年は商人の一人息子。その日、地下の倉庫で父親と商品の整理をしていた。そこへ魔物達が襲って来たのだ。父親は直ぐに異変に気付き、店番をする母の様子を見に行った。だが、少年は不気味な獣の咆哮に、恐怖で地下から出る事が出来なかった。
待てども待てども、父も母も戻って来ない。相変わらず騒がしい外。少年は、小さく丸まり耳を押さえ、隅で震えていた。どれくらい時間が経ったのだろうか?ふと気付くと、物音一つ聞こえなくなっていた。迷いに迷った挙げ句、外に出る事を決意する。いつまでもここにいる訳にはいかない。梯子を登り出口へと向かい、初めてそこで気が付いた。出口が倒れた戸棚でふさがって開かないのだ。何度も助けを呼ぶも、誰の返事もない。
結局、少年は時間をかけて戸棚を壊し、自力で地下を脱出した。ようやく抜け出した所を魔物に襲われ、後はオリビア達の知る所だ。
全てを語り終えるとテーブルの上で両手を組み、レイドは大きく息を吐いた。
しかし、オリビアは気が付いていた。ただ一つ話さなかった事がある。王と王妃と王子の遺体が消えていた事だ。余計な心配をかけたくないという思いからだろう。
ナターシャは悲痛な面持ちでレイドの話を黙って聞いていた。言葉が出なかっただけなのかも知れない。
今更ながら、レイドがポツリと問う。
「そういえば、名前を聞いていませんでしたね」
促すように少年へ視線を移した。オリビアも青い瞳を少年に向ける。
そして、ゆっくりと観察する。帰りの道中は、ずっと怯えていたが、今は大分落ち着きを取り戻しているようだ。
アッシュグレーの柔らかそうな髪に大きな黒い瞳の少年。身長はオリビアより少し高い位か――臆病な性格のせいか、オドオドし伏し目がちで頼りない。
女のオリビアでさえ守ってあげたくなってしまう。
「ディオと申します」
「歳は?」
思わずオリビアは問うた。
(いけないっ?!)
発した後にすぐ気付く。地の声で尋ねた事に――探るようにディオの様子を注視するが短い言葉だったので、どうやら気が付いない。
「十八歳です」
「十八っ!!」
ディオの言葉に逆に此方が驚かされる。三人の声がハモる。ディオは何を驚いているのかと不思議そうに此方を見やる。
(四つも年上……どう見ても年下か同い年にしか見えませんわ)
ディオの童顔を盗み見る。
(これで……成人されてるなんて……!!)
その場の誰もが驚きで口を閉ざす。静まる室内。外で腐肉食烏の羽ばたく音が聞こえる。
「あの……何かおかしな事を言いましたか?」
「いえ、別に」
小首を傾げて問うディオにさすがというべきか最初に我に返ったレイドが答える。それに続いてナターシャとオリビアが引きつった笑顔を浮かべ頷いた。
「助けて頂いてありがとうございました」
今更ながらレイドに頭を下げ、お礼を言う。やっと考える余裕が出て来たようだ。
「其方にいらっしゃる方は王子様ですよね?」
真っ直ぐに視線をオリビアへと向ける。公の場に姿を出しているファズを街の民が知っているのは当然だ。
ディオの問いにオリビアは静かに首を縦に振った。
「王族の方なら、何か知ってらっしゃいますよね? 何故、あれ程の魔物が城や街を襲ったのか? 何故、僕の父さんや母さんが殺されたのか? 何故っ……」
必死で涙を堪え、震える声を絞りだし問うが、それも最後まで続けられない。
伝説の剣の事を何も知らないようだ。
(全ては私達王族のせいですわ)
声を詰まらせ俯くディオを、オリビアは悲痛な眼差しで見つめる。アッシュグレーの柔らかそうな髪が目の前で小刻みに揺れている。
(私達が引き金を引いてしまった為に、何の関係も無い街の民が……)
オリビアは罪悪感から、言葉を直ぐに発せられない。
青い瞳を曇らせながら、それでも何とか謝罪しようとした時、耳を疑うような言葉を耳にした。
「分かりません」
真っ直ぐに瞳を少年に向け、顔色一つ変えずに平然と嘘を付くレイド。
「なっ……!!」
オリビアは、思わずテーブルに両手を付き立ち上がった。勢い余って椅子が後ろへと倒れる。その余韻でガタガタと音を立て微かに揺れる。
三人が驚きの表情で此方を見る。だが、黙っていられない。反対の意を唱えようと唇を開いた時、ナターシャが一瞬早く口を開いた。
「ファズ様、御気分が悪いのですね。裏でお休み致しましょう?」
「違っ……」
反論しようと声をあげたが、レイドがそれを遮った。
「すみません、配慮が足りませんでしたね。ディオさんも色々あって疲れていらっしゃいますね。これからの事も考えなければならないし、少し休んだ方が良い」
有無を言わせぬ、その強い物言いにオリビアもディオも黙って従うしか出来なかった。
もうすぐ旅立つ予定です。是非次回も読んで頂けると嬉しいです。