07 暗闇に灯るは青い光 02
ちょっと短めですが。
その知らせがもたらされたのは、多々良が蜀にきて、一か月ほど時が経とうとした頃だった。
「陛下がお呼びです。昼食を、とのことでしたのであまり時間がありません。御覚悟を」
真剣な顔をした西條にそんなことを言われ、多々良が現状を把握する前に、風呂に入れられ、髪を結わえられ、化粧を施された多々良はぐったりしていた。おまけに、いつもは質素なチマチョゴリ風のワンピースなのに、今日は袖に細かい刺繍が施され、玉が飾られているような、一目で高価とわかる代物だ。しかも、多々良の世話をいつも淡々とこなしていく西條がどことなく嬉しそうである。西條ほどの女性であっても、他人を着飾らせるのは楽しいらしい。
「準備はできましたか?」
慌ただしく準備したとは思えないほど美しく着飾らされた多々良を呼びに来たのは、英彩だった。てっきり西條が謁見の間まで連れていってくれると思っていただけに、ちょっと緊張してしまう。
「ああ、よくお似合いです。その恰好であれば問題はないでしょう。堅苦く考えられなくて結構ですよ。謁見といっても、ちょっとお伝えすることがあったので、ついでにお披露目のようなことをしようというわけです。お披露目といっても、何か特別なことをするわけではありません。あなたが王と会った、という事実さえあればいいのです」
多々良には正直わからないことばかりだが、英彩が何もしなくていいというのであれば、それは本当に何もしなくていいのだろうと、安心する。この国のことについてはいろいろと学んでいる最中であるが、身分、というものはどうにも理解しがたいものがある。それも仕方がないことではあるのだろうけれど。
そこからは何もかもめまぐるしく過ぎて行ったように思える。
王との対面中に、神殿に行くようにと告げられ、あれよあれよという間に馬車へ。馬車で待っていたのは懐かしいフェイと雲海の二人組。
王宮から神殿まではそう遠くなかったようでもあるし、それなりに遠かったようでもある。要するに、王と対面してからの記憶がかなりあやふやなのだった。まるで自分の外側だけで時間がするすると流れていくような感覚。
そう感じた原因はわかっている。おそらく、あの部屋で見たものこそが問題なのだ。
多々良は目隠しをされ、フェイに手を引かれながら神殿内を進んでいた。どうやら夢見たちのいる場所は秘密であり、どうしても夢見と会う必要がある場合は、こうして眼隠しをして客を夢見の部屋近くまで連れていくのだという。王ですら目隠しなしで夢見のところまで行くことはできないのだとか。フェイが穏やかな口調で教えてくれた。
「ここです。おそらく多々良も感じているとは思いますが。わたしがここを立ち去ってから目隠しを外してください」
それだけを言うと、フェイは消えてしまったようだった。
と、いうよりも、自分がいる場所に強く訴えかけてくるものがある。それに夢中になるあまり、フェイの存在にまで気付けなかった、というのが正しい。
多々良は自分を落ち着けるため、三秒ゆっくり数えてから、目隠しを外した。
ぱちぱち、と瞬きを繰り返してから、目の前をじっくり見た。
大きな石造りの扉だった。
とても、多々良一人では開けられないような重さをもったそれ。
普通であれば、困惑してしまうのだろう。
なにせ、王に神殿に行くように、とは言われたが、神殿にいって何をすればいいのかなどは何も聞いていないのだ。何もわかっていない状態にも等しい。
しかし、多々良は困惑などしていなかった。
彼女には予感があった。
おそらくこのために多々良はこの国に来たのだ、と。
多々良は扉が開くよう、強く願った。
そこまでで多々良の記憶は終わっている。
多々良が目を覚ましたとき、目に入ったのは、武骨な石造りの天井だった。なんというか華やかさだとかそういうのに欠けている。
神殿の内部にいるのだろう。しかも、夢見たちがいる近くに。昨日から多々良が感じている吸引力のようなものをここでも多々良は感じていた。昨日よりかは幾分おさまっているが、それでもずいぶんと引っ張られるような感じがする。
「おはようございます」
鈴のような軽やかな声がしたので、そちらに視線をやると、白髪の髪を長く伸ばした少女がいた。
「おはようございます」
挨拶は何にせよ、人間関係において大事だ。
「気分はいかがですか。気持ち悪かったり、痛みなどがなければ良いのですけれど。ああ、その前に自己紹介が必要ですよね。わたくしは夢見の一人で朱佳と申します。多々良さん、とお呼びしてもよろしいですか?」
少女の問いかけにとりあえずは頷く。
「ここは神殿?」
「ええ。とりあえず、気分が悪くなければ朝食にしませんか?いろいろとご説明したいこともありますし」
そう聞かれて、己が空腹であると気付いた多々良は勢いよくうなづいた。人間、生きるためには食べることが重要です。それに美味しそうな食事が目の前に並んでいるのに我慢するなんて無理!
おいしい食事に舌鼓を打ち、食後のお茶を飲んでいるときに朱佳が口を開いた。
「多々良は昨日のことをどのくらい覚えていらっしゃいますか?」
そう聞かれて、昨日の記憶をたどってみる。
「えーと、朝から陛下に呼ばれてるとかで西條さんとかに磨き上げられて、そんでよくわかんないうちに神殿に来てて。あ、フェイとかと会ったりした。で、目隠しされて…」
「扉を開けた後のことは覚えていらっしゃいますか?」
「青い、青い光が…」
「ええ」
「…なんだろう、そこから思い出せない」
「おそらく、異世界から来られた多々良には初めての体験でびっくりなさったんだと思います。気分が悪くないのであれば、もう一度、あの扉のなかにご案内したいのですが」
よろしいでしょうか、と聞かれ、多々良は是と答えた。
あの扉の先に多々良の望む何かがある、という予感があった。
朱佳と名乗った少女はにっこり笑うと、ではこのお茶を飲んだ後、もう一度ご案内させていただきますね、と言った。
そうして再びやってきた扉の前。
何度見ても大きいし、重たそうである。でも不思議と多々良には開けられないというイメージは沸かない。
少女が軽く扉に手を触れると、扉は音もなく静かに開いた。重厚さなどまるで感じられない動きだ。
朱佳に続いて部屋に入る。
部屋のなかはいつか見たプラネタリウムによく似ていた。
部屋の中は暗く、壁やドーム型の天井に点滅する青い光だけが頼りだ。何かに導かれるようにして多々良は壁に手を当てた。
微かな振動が、確かにある。
光は刻々と形を変えていた。美しく大変幻想的な世界がそこにはあったが、多々良の注意をひいたものはそんなことではなかった。
多々良は何も言わず、ただじっと壁に手を当てていた。朱佳も何も言わず、多々良をじっと見ていた。
そうして長い沈黙の後、ぽつりと多々良は零したのだった。
「わたしは帰れないのね」