05 夜の城
多々良を待ち受けていたのは、中国みたいな宮殿だった。
どことなく和風テイストもあるような気もするがいかんせん、今は真夜中。最低限の明かりしか灯されておらず、じっくり観察するには適していない。
フェイと別れてから、雲海につき従って進んでいた多々良だったが、とある門の前で止まった。
門の前には人が。なんというか、美麗という言葉がぴったりの麗人がいた。
なよなよしている、というわけではない。
はっきりと男の人だとわかる。
黒くて長い艶やかな髪をたらし、水色の衣を羽織るその男の人は雲海に一言ご苦労、とだけ告げ、多々良を見た。
「急がせてしまい、申し訳ありません。わたくしは英彩と申します。陛下がお待ちです。こちらにどうぞ」
ちらりと雲海を見ると、雲海はにっこり笑って英彩にまかせておけば問題ねーよ、と言ってまたもやウィンクをしてみせた。多々良はそれにげっそりする。しかし、緊張がほぐれたという点ではよかったのかもしれない。
英彩に連れられてついた先は、お城にしては小さいのではないか、というような部屋だった。
奥には大きな机が置かれ、誰か座っている。顔は逆光になってよく見えない。
机の前にはすわり心地のよさそうなソファーがあった。英彩が促すままに多々良はソファーに腰かけた。本来なら国のトップに会うのだから、言われるがままに腰かけたりするのは失礼にあたるのかもしれないが、多々良は疲れていたし、日本では身分差というものを意識したことはまったくなかったので、どうすれば失礼にあたらないのか、なんてわからなかったのだ。考えるのが面倒だっただけ、というのもあるが。
多々良が腰かけるのを見て、英彩は入ってきたのとは別の扉からどこかへ行ってしまった。
いやいやいや、王様と二人っきりってどうなの?警備とかの問題とかあるじゃん、などと猛烈な勢いで脳内セルフ突っ込みをしていた多々良に、響きの良いテノールの声がかけられた。
「そなたが異世界から来たという者か。多々良、でよかったか?」
「ええ」
「そうか。俺の名は円魏志。一応この国の王とやらをやっている」
「一応とか言うものではありませんよ」
案外フランクリーな王様だな、と多々良が感心していると、出て行った扉から英彩がお盆を片手に戻ってきた。そうして呆れがちに王に声をかけた。
「すみませんね。いつもはもうちょっとまともに王様をやっているんですが、今回の対面は非公式ということで思いっ切りだれていらっしゃるのです。あ、これはお茶です。お疲れなうえにこんなバカ王と対面させてしまって申し訳ありません」
英彩がやれやれ、と言いながらカップを手渡してくれた。どうでもいいけど、お盆がよく似合う御仁である。執事喫茶とかにいけば大層おモテになるに違いない。
「うるさいやつだなぁ。普段から気を張ってたら疲れるからこれくらいでちょうどいいんだよ。それより、多々良。そなたの身柄は今後、この蜀で保護するが良いかな?居心地がよければずっといてくれても構わんし、一定期間をおいて別の国へ行ってもいい。ただしばらくの間はこの国にとどまってほしいが」
「ええと、つかぬことをお伺いしますが、なぜわたしにそこまでの待遇を?」
「そこは気になる、か。気にするなといっても安心はできまい。まあいいだろう。俺の妹がそれを望んだ。俺は王としてその願いを聞き入れる義務がある。それだけだ。それだけでは納得いかないかもしれんが、そうとしか言いようがない。もっと詳しく知りたければ、この国について理解を深めねばならんだろうよ。そなたがそれを望むなら、そなたに教師をつけよう。どうする?」
面白そうに王は多々良を見ていた。王の言うように、王の説明を聞いて納得できたわけではないが、蜀について何も知らない多々良では理解できないことだってたくさんあるのだろう。ここは多々良の生きてきた世界ではないのだから。
王の提案に、多々良は「是」と答えた。知識がすべてとは言わないけれど、知識があればできることがある。生きていくにはこの世界を知らねばならなかった。
多々良の答えを聞いて、王はそなたに世話係兼教師をつける、と言った。
「今日はもう遅い。こんな時間にすまなかったな。ゆっくり休んで欲しい。勉強はいつからでも始められる。そなたの世話をするのは西條という女官だ。彼女にそなたの教師もしてもらうことにしているから、何かあれば彼女に伝えて欲しい。そのほかの要望とかも遠慮せず伝えてくれ。叶えられる限りでそなたの望みに沿えよう。では、我が国はそなたを歓迎しよう」
+ + +
暗い室内にいるのはたったふたり。
王たる魏志と宰相たる英彩。
「英、お前はどう見る?」
「タリアはきな臭いですね。現国王の第一子である姫がなにやら騎士やらと手を組んでいろいろやっていると聞きます。彼女はその被害者、といったとこでしょうね」
「やはりそうか」
「ええ。あそこしか召喚などと馬鹿げたことはできませんから」
「ふん。朱佳はまだ目覚めぬか」
「そのほかの皆様もまだ目覚める様子はありません」
英彩の言葉に、魏志は苦く笑う。
「なぜ、朱佳はあのようなことを願ったのだろうな」
魏志の言葉に響く苦い音に、英彩が気づかぬわけがなかった。しかし、それに対する答えは持っていない。なので違うことを口にする。
「忙しくなるな、これから」
「そうだなぁ。俺としてはさっさと引退したいところなのだが」
「ははは。無理だ。あのじじいどもが納得するわけがない」
「だよなー。しかし、しばらくはどちらにせよ様子見か」
「そうなるな。つけるのは西條だけでいいのか」
「一人では荷が重いというのであれば、香林もつけよう。心身の健康はフェイに一任する。あとは適宜、英の裁量にまかせる」
魏志が身をひるがえして部屋を去っていくのを、英彩は何ともいえない微妙な気持ちで見送った。
+ + +
魏志との対面を果たし、部屋から出た多々良を待っていたのは、チマ・チョゴリのような服を着た女性だった。違う点といえば、チマ・チョゴリほどスカートがふんわりしていないところくらいだろうか。あとは夜なのではっきりしたことはわからないが、どちらかというと地味な色合いのように多々良には見えた。
「多々良様ですね。西條と申します。本日より多々良様のお世話をさせていただくことになりましたので、どうぞよろしくお願いいたします」
多々良はよろしくお願いします、という言葉が化学変化を起こしたようなもごもごした何かを口から出し、頭を下げた。
後から、何度もこんなのが初対面なんてひどすぎる、と多々良は赤面し泣きたくなるのだが、このときはおそらく、多々良もいろいろ限界だったのだろう。
西條はそんないっぱいいっぱいの多々良を馬鹿にすることなどなく、こちらへ、と優しく部屋まで誘導してくれた。
「お疲れかとは思いましたけれど、湯殿は用意しております。いかがなさいますか」
多々良の部屋だ、と連れてこられたところは、どこぞの高級ホテルのようだった。
金ぴかではなく、落ち着いた色合いの家具などで部屋は占められているが、それこそ逆に高価なもののような気がして、多々良としては気が引ける。
疲れて眠たいのはやまやまだったが、湯殿と聞くと途端にお風呂に入りたくなる。それほど熱い季節ではないから汗をかいたりはしていないものの、やはり風呂に入る心地よさは捨てがたい。
ありがたくお湯を使わせてもらうことにし、ゆったりと全身の疲れをとってこの日は就寝した。
平和な一日の終りだった。