白パンが焼けた日 ――「小さな希望の香り」
焼き立てパンって食べたことない。。。
1.白くて細かい粉
水車が完成した翌朝。
夜明けと同時に水路の堰が開かれ、
勢いよく水が流れ込んだ。
ギュルルル……ッと木の軋む音がして、
巨大な車輪がゆっくりと回り始める。
「回った……! 本当に回ったよ!」
「すごい……! 粉挽きが勝手に進んでる!」
炊事場の女性たちが歓声を上げる。
水車の回転は木軸を通じて石臼に伝わり、
二枚の石が静かに、しかし確実に擦れ合っていく。
その隙間から、ふわりと細かい粉がこぼれ落ちた。
「こ、こんな……細かい粉、初めて見た……」
「手挽きじゃ絶対こんなに細かくならなかったのに……」
炊事場の娘たちの目は輝いていた。
数日前、何をしても役に立てず、
粉まみれで困っていた“例の下働きの娘”も、
その細かい粉をそっと手にとって感嘆の声を漏らした。
「……すごい……
こんなに、細かいんですね……」
ミツキがにっこり笑う。
「ハルトさんの設計と、ディランさんたちの力のおかげですね」
「ミツキの図面がないと無理だったさ」
ハルトは少し照れながらも、
細かい粉を手で掬い上げて感触を確かめた。
(……ちゃんと挽けてる。
これなら――)
そして、ミツキがふと思ったように下働きの娘へ声を向ける。
「ねぇ、この粉……何に使えそうかな?」
娘は一瞬戸惑った後、
少しだけ勇気を振り絞るように言った。
「……昔……
“柔らかいパン”の香りを嗅いだことがあります。
宮……じゃなくて……
街の……大きな家で……」
(街の大きな家……?)
ミツキは深く追及しなかった。
娘の言葉は、ただの思い出話に聞こえた。
だが、その“柔らかいパン”という響きに、
炊事場中がざわついた。
「柔らかいパン……だと?」
「そんなの、貴族が食うもんじゃ……」
けれど、ミツキは笑って言った。
「これだけ細かい粉があるなら、
小麦でこれをやればできるかもしれませんよ?」
2. 白パンづくり開始
「よし、作ろう!って、どうすればいいのか教えて?」
ハルトが言った。
「調子だけいいんだから…焼き台さえ工夫すれば、パンは作れます。
粉に水と塩と……昨日のパン種を少し混ぜれば発酵できるはずです」
炊事場の女性たちがざわめく。
「そ、それって……すぐできるものなんです?」
「いや、時間はかかる。でも――
“毎日は無理でも、たまになら作れる”くらいにはなるはずだよ」
その言葉に、周囲の空気がぱっと明るくなった。
「たまになら……ええ、それなら……!」
「粉が楽に挽けるなら、少しくらい手間をかけても……!」
ハルトがミツキへ目配せする。
「ミツキ、図お願い」
「はい!」
ミツキは慣れた手つきで図を描いていく。
・こねる工程
・丸める工程
・発酵させる工程
・焼くための石窯の構造
「ミツキの図、やっぱりすごいな……!」
「わかりやすい……!」
「この通りに動けばパンができるのか……!」
下働きの娘も、ミツキの手元を真剣に見ていた。
3. コージの役割
そこへ、粉で真っ白になったコージが駆けてきた。
「焼ける?! パンが焼けるの?!
いい匂いがするやつ?! テンション上がるやつ?!」
「落ち着いて、コージ」
ハルトが苦笑する。
「パンは甘くないからね?」
「甘くなくてもいいんだよ!!
あの……焼ける匂いってさ……
人の心を上げるんだ……っ!!」
コージは鼻息を荒くして焼き場を整え始めた。
「僕、焼き台の火の番やる!
火加減はテンポだから得意!!」
「テンポ……?」
「火加減をテンポで管理するの……?」
妙なたとえではあったが、
火を扱うリズムは案外重要で、
実際コージのテンション管理は絶妙だった。
4. 白パン、焼き上がる
数時間後。
そのとき炊事場に満ちた香りは――
甘くないのに甘いような、
小麦そのものの香ばしさだった。
「……っ!?」
「なに、この匂い……」
「ふわ……ふわしてる……?」
炊事場の奥から、
白く膨らんだ丸いパンが取り出される。
粗末な黒パンしか知らなかった女性たちは、
ただ呆然と見つめた。
「柔らかい……
つまんだだけで形が変わる……!」
「こんなの……鉱山で作っていいのか……?」
ハルトは言った。
「毎日は無理だけど……
粉があるとき、時間があるときだけ。
“たまには”……これでいいでしょ?」
下働きの娘がパンを割ると――
中は淡い白色で、湯気が立ち上った。
その瞬間、彼女の目に喜びの光が宿った。
「……とても……優しい香り……」
「ほら、食べてみて」
ミツキが微笑む。
5. 鉱山に、希望の味が広がる
最初の一口を齧った娘は、
しばらく言葉を失い――
「……やわらかい……っ
これ……なんて幸せな……」
思わず涙ぐんだ。
周りの女性たちも次々に手を伸ばす。
「もちもちだ……!」
「噛める……歯が痛くない……!」
「こんなの、貴族しか食えないと思ってた……!」
坑夫たちもすぐに集まってきた。
「おい、なんだこの匂いは!?」
「パン……? パンなのか!?」
「柔らけぇ!? これパンかよ!? 別物だろ!!」
ルークスも驚きで目を見開いた。
「……この鉱山に……こんな食べ物が……?」
ディランはわずかに口元を緩める。
「悪くない」
ハルトとミツキはほっと笑い合った。
「成功だね」
「はい……みんな、嬉しそう……!」
コージは両手を突き上げる。
「パン焼け祭りだーー!!
テンション上がれーー!!
はい! はい! はいはいはい!!」
坑夫たちも調子に乗って叫ぶ。
「はい! はい! はいはいはい!!」
炊事場が笑いに包まれた。
6. そして、下働きの娘は静かに微笑んだ
粉まみれの下働き娘は、
焼きたての白パンを胸に抱くように持ち、
小さな声で呟いた
「……たまにでも……
こんなものが食べられるなんて……
ここで働いていて……よかった……」
誰もその言葉の重さまでは気づかない。
わずかに震える指先に、
どれほどの想いが込められているかも。
ただ――
その日、鉱山にははじめて
“柔らかい白パンの香りが満ちた。
それは確かに、
この過酷な場所に灯った小さな希望だった。
2025/12/16
初挿絵成功!これから増やしていきますよ。




