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釣りを通じた自己発見の物語
──黒川剛志、最終章──
『潮の匂いが教えてくれた、俺の居場所』
1
最初はただの「逃げ場」だった。
スマホを握りしめていた指が、震えながら延べ竿を握るようになった。
親父がライトセーバーみたいに竿を伸ばすたび、俺は「うわっ」と素で声を上げた。
あの瞬間、初めて「今、ここ」にしか存在しない自分がいた。
2
釣りは待つことだ。
ウキが沈むまでの時間、
誰にも見られなくていい。
誰にも「いいね」を求めなくていい。
ただ風と潮と、隣にいる親父だけがいる。
沈黙が怖くなくなったのは、
その沈黙の中に、誰かがいてくれると知ったからだ。
3
初めて自分で場所を取った日。
朝3時半。
まだ真っ暗な堤防を、懐中電灯片手に歩いた。
足元が滑って転びそうになったとき、
「誰にも見られてない」って思ったら、
逆にすごく安心した。
俺はもう、見られなくても存在していられる。
4
親父が昔、全国を回っていた話を聞いた日。
「なんでやめたんだ?」って聞いたら、
親父は少し照れ臭そうに答えた。
「お前が生まれて、釣りより大事なものができたからだ」
俺は、その言葉を胸に刻んだ。
5
ある朝、俺は一人で堤防に行った。
親父は仕事で来られなかった。
初めて、完全に一人で竿を伸ばした。
シュパァァン。
風が気持ちよかった。
ウキが小さく揺れる。
魚は釣れなかった。
でも、
俺は泣いた。
一人でも、
ここにいていいんだって、
初めて本当に思えた。
6
その日の夜、親父に言った。
「明日、一緒に行こう」
親父が笑った。
「場所取りは俺に任せろ」
俺も笑った。
「いや、俺が取る」
7
今、俺は朝3時に目覚ましをかける。
スマホを見るためじゃない。
潮の匂いを嗅ぎに行くためだ。
Hunter's Netは、もうほとんど開かない。
フォロワーは17人のまま。
でも、俺の投稿は毎回、たった一人の「いいね」がつく。
親父だ。
俺はもう、誰かに見られるために生きていない。
誰かと一緒にいるために生きている。
釣り糸の先には、魚じゃなくて、
俺自身の居場所が繋がってる。
黒川剛志、18歳。
フォロワー17人。
充電残量、いつも30%以下。
延べ竿一本あれば、世界は十分に広い。
潮の匂いが、俺に教えてくれた。
俺はここにいる。
それだけで、十分だ。
──完──
これが、釣りを通じた剛志の自己発見の物語。
SNSの向こうじゃなくて、
潮の匂いと、親父の隣で、
やっと自分を見つけた。




