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これが、釣りを通じた剛志の自己発見の物語。
SNSの向こうじゃなくて、
潮の匂いと、親父の隣で、
やっと自分を見つけた。
第75話「親父が俺に、釣りやめろって言った日」
夕凪港・外防波堤
朝3時半。いつもの場所取り。
俺はもう慣れた手つきで延べ竿をシュパァン!と伸ばす。
親父は隣で、珍しく無言だった。
……なんか、今日は様子がおかしい。
いつもなら「今日は北風だな」とか「潮がいいぞ」とか言うのに、
缶コーヒー一本飲んで、ずっと黙ってる。
釣り始めて1時間。
俺はアジを10匹、親父はチヌを2枚。
でも親父、笑ってない。
俺が「親父、次は俺が年無し狙うから!」って言っても、
「……ああ」ってだけ。
昼近くになって、ようやく親父が口を開いた。
「剛志」
「ん?」
「今日で、しばらく釣り休もう」
俺、竿を持ったまま固まる。
「……は?」
「俺が昔、やりすぎて、家族を泣かせた話、したことあったろ」
あった。
親父が若い頃、月20万以上釣り具につぎ込んで、
母さんと離婚寸前までいった話。
「覚えてるけど……俺はそんなに使ってないし!
サビキ竿1000円だし、延べ竿だって親父のお古だし!」
親父は首を振った。
「金じゃねえ。時間だ」
俺、言葉を失う。
「お前、最近、朝3時に起きてるだろ。
学校サボってまで場所取りしてる日もある。
夜も潮見表見ながら寝落ちして、朝また3時に起きる」
……確かにそうだった。
「俺はな、昔、同じことしてた。
『今日こそデカいのが釣れる』って言いながら、
家族の飯も食わずに堤防にいた」
親父は空を見上げた。
「釣りはな、待つスポーツだ。
でも待ってる間に、待ってるべき大事なものが、
どっか行っちまうこともある」
俺は、延べ竿を握りしめたまま、
初めて震えた。
「俺……また、同じことしてる?」
親父は静かに頷いた。
「スマホから釣りに逃げただけじゃ、
何も変わっちゃいねえ」
風が吹いた。
潮の匂いが、今日は少し苦く感じた。
俺は、竿を縮めた。
「……わかった。今日は帰ろう」
親父が驚いた顔で俺を見る。
「いいのか?」
「うん。
俺、親父と一緒に飯食いたい」
帰りの車の中。
俺はポツリと言った。
「でもさ、親父。
たまには……一緒に来てくれよ」
親父が、久しぶりに笑った。
「当たり前だろ。
家族の時間は、俺がちゃんと作る」
家に着いて、母さんが驚いた顔で出迎えた。
「珍しいわね、こんな早く帰ってくるなんて」
俺はスマホを開いて、
Hunter's Netに久しぶりの投稿をした。
写真は、今日釣った魚じゃなくて、
リビングで親父と母さんと妹と4人で囲む食卓。
キャプションはこう。
「今日は魚じゃなくて、家族を釣ってきた」
いいねは、17人から。
でもその中に、親父のアカウントからの初いいねがあった。
スクリーンタイム:48分
(釣りアプリの削除完了)
俺は延べ竿を物置にしまった。
また、いつか。
やり過ぎない程度に。
親父が教えてくれた。
何にでも、やり過ぎは毒だ。
スマホも、釣りも、
結局、俺が「依存」してただけだった。
でも今は、
依存じゃなくて、
「選んでる」って感じがする。
黒川剛志、18歳。
フォロワー17人。
釣り竿は物置。
でも家族は、すぐ隣にいる。
これで、いい。




