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第71話「フォロワー17の、剛志」
夕凪市の路地裏にあるアパートの一室。午前4時32分。
黒川剛志は、首に絡みついた何かで息苦しさを感じ、目を覚ました。薄暗い室内。窓の外はまだ漆黒の闇だ。
「……ん?」
彼が無意識に枕元を探る。あるはずのものがない。温もりも、重みもない。
「……え?」
睡眠ぼけいの頭が一気に覚める。彼は慌てて身を起こし、ベッドの上を這うようにして手探りする。
「ない……?どこ……?」
心臓が早鐘を打ち始める。もしかしてベッドから落ちた?布団の隙間には挟まっていないか? パニックに近い状態で周囲を見回す。そして、ベッドと壁の狭い隙間に、画面を下に向けてぽつんと転がっている薄い黒い板を見つけた。
「あ……!」
必死で手を伸ばし、それを拾い上げる。冷たい感触。嫌な予感が脳裏をよぎる。震える指で電源ボタンを押し込む。
一瞬、永遠とも思える沈黙。
そして、電池のマークと、赤い線、その横に表示された「2%」という数字が、暗がりに浮かび上がった。
「やべぇ……!」
2%。この数字が意味する絶望を、彼は誰よりも知っていた。昨日の夜、寝落ちする前にちゃんと刺したはずの充電ケーブルが、コンセントから抜け落ちているのに気づく。おそらく寝返りで引っ張り落としたのだろう。
「間に合え、間に合え……!」
彼は這うようにしてベッドから抜け出し、コンセントに落ちているケーブルを掴む。手が震えてなかなか刺さらない。ようやくコネクタをポートに差し込み、充電のアイコンが表示されるのを確認した瞬間、全身の力が抜ける。
「ふぅ……」
ほっと一息。これでひとまず、「死」は免れた。
その安堵もつかの間、充電が5%に達した瞬間、彼の指はほとんど意志とは別に動き始めた。ロックを解除し、Hunter's Netのアイコンをタップする。
アプリが起動するまでの数秒間でさえ、もどかしく感じる。
通知欄を確認する瞳は、真剣そのものだ。
0件。
「……ちっ。」
舌打ち一つ。しかし、それで諦めるわけにはいかない。彼は人差し指を画面の上部近くに置き、一気に引き下ろす。
スワイプ!
「最新情報を読み込み中...」の表示が一瞬出て、タイムラインが更新される。上位ランクハンターの派手な装備の写真、有名パーティーのクエスト成功報告、誰かの自慢げな日常...意味もなく、ただ流れていく他人の人生を、彼は無表情でスクロールし続ける。
自分が誰かを確認するように。自分がここに存在していることを確認するために
…
意味もなく、ただ流れていく他人の人生を、彼は無表情でスクロールし続ける。
自分が誰かを確認するように。自分がここに存在していることを確認するために。
数分間、無機質なスクロールを繰り返した後、彼は再びベッドに倒れ込んだ。スマホは充電ケーブルにぶら下がったまま、顔のすぐ傍に置いた。画面はスリープ状態になり、暗くなる。
「……次に起きたときは…」
彼は瞼を閉じながら、ぼんやりと考えた。
「もしかしたら、何か通知が来てる…かも」
たとえそれが「フォロバ100%」のボットからのDMであっても、あるいは「いいね」を返しにくる相互フォローの営業であっても──ただのゼロよりはマシだ。その0.001%にも満たない可能性に、ほんの少しの期待を賭けて、再び眠りにつく。
現実ではフォロワー17人のままでも、夢の中だけは、誰かが自分の投稿にコメントをくれている。そんな夢を見られるかもしれない。
「……まだ、大丈夫」
彼は18歳だった。SNS歴は10年。フォロワーは17人。この朝も、変わらず17人のままだ。そして、2時間後の目覚めも、おそらく同じ現実が待っている。
──小3で始めたHunter's Net。最初のフォロワーは母親だった。あの日から、剛志の時間はゆっくりと溶けていった。
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剛志は作者の書きたいモノの犠牲になりました




