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12月中旬。
雪は止み、街は底冷えのする晴れの日が続いていた。
月曜日 5:47
コウタとリアのアパート。
澪はいつもの時間に目覚めた。
枕元のスマホは、昨夜から一度も鳴っていない。
リアが寝ぼけ声で呟く。
「……もう帰るの?」
澪はリュックを背負いながら、小さく頷く。
「……うん。でも、すぐ戻る」
初めて、笑ったような声だった。
5:55 団地廊下
階段を下りる足音が、いつもより少しゆっくりだ。
6:02
部屋の中は、電気だけがぼんやり点いている。
母は布団に座り、膝の上に薬の袋を広げていた。
震える指で袋の端を破り、錠剤をこぼしながら、
必死に水の入ったコップに口をつける。
床に落ちた白い錠剤が、3錠。
母はそれを見て、涙目になる。
「……ごめん……まだ下手で……」
澪は黙ってしゃがみ、
落ちた薬を拾い集め、母の手をそっと包むように新しい水を渡した。
二人の指が、ほんの一瞬だけ重なった。
母「……ありがとう」
澪「……もう少し練習しよう」
母は小さく頷いて、
残りの薬をちゃんと飲み干した。
澪はテーブルの上に、
いつもの封筒を置く。
中身は今日の報酬15,000Gのうち13,000G。
残りの2,000Gだけ、自分の財布の奥にしまった。
母「……いつもと同じ?」
澪「……うん。でも、今日はちょっとだけ、私の分」
母は封筒を見て、黙って頷いた。
数日後。
澪が帰ると、テーブルの上に
コンビニのレシートと、500円玉が2枚置いてあった。
メモ
【澪へ
今日は栄養ドリンク買った。
お釣り、500円×2
これ、澪の分。
お母さん】
澪、30秒固まる。
財布から2,000円をそっと取り出し、
1,000円だけ母の封筒に戻す。
残り1,000円は自分の財布にしまったまま。
次の日、
テーブルの上にはまた500円玉が1枚増えていた。
その次の日には、200円玉が2枚。
金額なんて、雀の涙みたいなものだ。
でも、
母が「返す」ことを始めたことが、
何よりも大きい。
澪は手帳に書いた。
【今日の実績】
・母の薬、一緒に飲む
・今日もらった500円 → 自分の貯金
・明日も、ちょっとだけ残す
丸を、小さく三つけた。
その週、母からの着信は
月曜 12件
水曜 5件
金曜 2件
日曜 0件
メッセージも変わっていった。
【母 火曜 19:12】
薬、今日も自分で飲めたよ。こぼしたけど。
【母 木曜 20:33】
痛いけど、なんとか。
澪、寒くない?マフラーして。
【母 土曜 22:01】
明日の朝、栄養ドリンク置いとくね。
次の月曜日 6:15
澪が帰ってきたとき、
母はすでに薬を飲み終え、布団に座って待っていた。
「遅かったね……心配したよ」
「……ごめん。ちょっと寄り道」
澪が差し出した紙袋。
中身は、コンビニの栄養ドリンク(母用)と、98円の板チョコ。
母「これ、私の?」
澪「ううん。半分こ」
母は、初めて、
本当に久しぶりに笑った。
目尻にしわが寄って、頬が少し赤くなった。
澪も、母の前で、
板チョコをぱきっと半分に割って、
自分の口に放り込んだ。
甘かった。
手帳の新しいページ。
【今日の目標】
・母の薬、一緒に飲む
・お金、半分は自分のものにする
・6時15分でも大丈夫
そして、小さく丸を二つ。
窓の外、
冷たい朝焼けが広がっている。
澪はリュックを背負い直し、
玄関で靴を履きながら言った。
「行ってきます」
母は、布団の中から、
小さく手を振った。
「いってらっしゃい」
その声は、
まだ弱々しかったけど、
確かに、
「おかえり」を待っている声だった。
あとブエナビスタがかわいすぎた 2025/11/25




