63.5
63,5
### 63.5 「母の側」
同じ日曜日 12:15
澪が去ってから約40分後
澪の実家アパート 3階 306号室
母はまだ玄関先に座り込んだままだった。
雪が廊下まで吹き込んで、床が濡れている。
薬袋と18,400円は、澪が置いていったまま、テーブルの上で震えている。
母は、震える手でスマホを握った。
ロック画面には、澪との最後のツーショット写真。
3年前、澪がまだ小学6年生のときの運動会。
澪は笑ってなくて、母は無理やりピースしてる。
指が勝手に動く。
また電話をかける。
もちろん出ない。
40回目、41回目……。
そのうち、着信拒否されたのか、
呼び出し音すら鳴らなくなる。
母はスマホを床に落とし、
両手で顔を覆った。
「……痛いよ……」
でも、それはもう体の痛みだけじゃない。
頭の中で、さっきの澪の声がリフレインする。
『もう、来ないで』
『お金は、もう渡さない』
『痛いのは、母だけじゃない』
最後の言葉が、一番胸に突き刺さった。
母はゆっくりと立ち上がる。
膝が笑って、壁に手をつく。
薬袋を掴み、財布に18,400円を全部入れた。
冷蔵庫を開ける。
空っぽ。
澪が置いていった食事トレイ3日分も、もうカビが生え始めている。
母はそれを見つめたまま、
初めて、自分でゴミ袋にまとめた。
震える手でシンクに立ち、
スポンジを握る。
洗剤をつける。
皿を洗うのは、何年ぶりだろう。
洗い終わると、
母は薬を2錠、ちゃんと水で飲んだ。
初めて、澪がいなくても飲めた。
そして、テーブルの上に置かれた澪のメモを見つける。
【ちゃんと飲んでね】
母はそれを、指でなぞった。
なぞって、なぞって、なぞって。
「……ごめんね」
声に出したのは、今日何十回目だろう。
でも、今回は少しだけ違った。
「……明日、病院、行ってみる」
誰かに、相談してみる」
小さな、ほんとに小さな呟き。
雪はまだ降り続いていた。
母はカーテンを開けた。
外は真っ白で、足跡はもう消えかけている。
澪の足跡も、もう見えなくなっていた。
母は、初めて、自分で電気を消した。
布団に入る前に、スマホの充電器を挿した。
明日は、ちょっとだけ早起きしてみよう。
そう思ったのは、本当に久しぶりだった。
まだ、帰る場所はわからない。
でも、
**変われる場所は、もしかしたらここにもあるかもしれない**。
窓の外、雪が静かに積もっていく。
──63.5 完──
### 63.7 「母の側」
同じ日曜日 12:15
澪が去ってから約40分後
澪の実家アパート 3階 306号室
母はまだ玄関先に座り込んだままだった。
雪が廊下まで吹き込んで、床が濡れている。
薬袋と18,400円は、澪が置いていったまま、テーブルの上で震えている。
母は、震える手でスマホを握った。
ロック画面には、澪との最後のツーショット写真。
3年前、澪がまだ小学6年生のときの運動会。
澪は笑ってなくて、母は無理やりピースしてる。
指が勝手に動く。
また電話をかける。
もちろん出ない。
40回目、41回目……。
そのうち、着信拒否されたのか、
呼び出し音すら鳴らなくなる。
母はスマホを床に落とし、
両手で顔を覆った。
「……痛いよ……」
でも、それはもう体の痛みだけじゃない。
頭の中で、さっきの澪の声がリフレインする。
『もう、来ないで』
『お金は、もう渡さない』
『痛いのは、母だけじゃない』
最後の言葉が、一番胸に突き刺さった。
母はゆっくりと立ち上がる。
膝が笑って、壁に手をつく。
薬袋を掴み、財布に18,400円を全部入れた。
冷蔵庫を開ける。
空っぽ。
澪が置いていった食事トレイ3日分も、もうカビが生え始めている。
母はそれを見つめたまま、
初めて、自分でゴミ袋にまとめた。
震える手でシンクに立ち、
スポンジを握る。
洗剤をつける。
皿を洗うのは、何年ぶりだろう。
洗い終わると、
母は薬を2錠、ちゃんと水で飲んだ。
初めて、澪がいなくても飲めた。
そして、テーブルの上に置かれた澪のメモを見つける。
【ちゃんと飲んでね】
母はそれを、指でなぞった。
なぞって、なぞって、なぞって。
「……ごめんね」
声に出したのは、今日何十回目だろう。
でも、今回は少しだけ違った。
「……明日、病院、行ってみる」
誰かに、相談してみる」
小さな、ほんとに小さな呟き。
雪はまだ降り続いていた。
母はカーテンを開けた。
外は真っ白で、足跡はもう消えかけている。
澪の足跡も、もう見えなくなっていた。
母は、初めて、自分で電気を消した。
布団に入る前に、スマホの充電器を挿した。
明日は、ちょっとだけ早起きしてみよう。
そう思ったのは、本当に久しぶりだった。
まだ、帰る場所はわからない。
でも、
**変われる場所は、もしかしたらここにもあるかもしれない**。
窓の外、雪が静かに積もっていく。
──63.7 完──
これで、
澪が「距離を取る」ことを選んだその後に、
母も「ほんの少しだけ、変わろう」と動き出す。
完全に救われたわけじゃない。
明日病院に行ける保証もない。
でも、澪がいなくなったことで、初めて「自分でやらなきゃ」というスイッチが入った。
澪が背中を伸ばしたように、
母も、ほんの少しだけ顔を上げた。
この先、どうなるかはまだわからない。
でも、二人の足跡は、もう同じ方向じゃなくても、
それぞれ前に向かってる。
### 63.95 「父が消えた日」
12年前。
澪が4歳のとき。
その日も雪だった。
父(当時37歳・名前は「拓也」)は、
朝8時に家を出て、
「今日は早めに帰るから、ケーキ買ってくるな」
と笑って言った。
スーツは少しヨレてたけど、目は優しかった。
澪は玄関で「いってらっしゃい」と手を振った。
母(美咲)は台所で味噌汁をすすりながら、
「また残業でしょ」と小さくため息をついた。
それが、最後に見た父の姿だった。
会社(小さな印刷工場)は、
その週で倒産が決まっていた。
拓也は誰にも言わなかった。
借金は連帯保証人で1,800万円。
返せる見込みはゼロ。
昼過ぎ、会社で倒産説明会。
社長が土下座して謝ってる横で、
拓也は黙って書類にハンコを押した。
帰り道、駅前のコンビニで立ち読みしてた週刊誌に、
「自己破産しても連帯保証は逃れられない」
という記事が目に入った。
その瞬間、
頭の中で何かが切れた。
家に帰れば、
4歳の澪が「おかえり!」って駆け寄ってくる。
美咲が「今日も遅いじゃない」って睨んでくる。
そして、毎月100万円近い返済が待ってる。
(もう無理だ)
拓也は、財布から定期券と家の鍵を抜いて、
コンビニのゴミ箱に捨てた。
携帯の電源を切り、
駅に向かわず、雪の降る裏道を歩き続けた。
雪が深くなるにつれて、
足跡がどんどん薄れていくのがわかった。
(これでいい)
そう思った。
夜の8時。
美咲はまだ帰ってこない夫を待ちながら、
澪にご飯を食べさせていた。
「パパ、ケーキ買ってきてくれるって」
「うん、きっとね」
9時、10時、11時……。
午前0時を過ぎた頃、
美咲は警察に電話した。
3日後、
警察から連絡があった。
「財布と鍵が、駅近くのコンビニのゴミ箱から見つかりました」
「携帯の最後の位置情報は、○○駅付近です」
「それ以降、痕跡はありません」
失踪宣告は7年後に出された。
でも、美咲は7年待たなかった。
1年もしないうちに、
痛み止めと睡眠薬が手放せなくなった。
澪は、
「お父さん、ケーキ買いに行ったまま帰ってこなかった」
ということしか覚えていない。
父が消えた雪の日から、
この家の時計は止まったままだった。
今、306号室。
母はアルバムを閉じ、
父の写真が貼ってあるページを、
指でそっと撫でた。
「……ケーキ、買ってきてくれるって言ったのに」
呟いた言葉は、
12年越しに届かなかった約束だった。
雪は、まだ降り続いている。
父はどこかで生きているのか、
もうこの世にいないのか、
誰も知らない。
ただ、
あの日の足跡だけは、
永遠に雪の下に埋もれたまま。
### 63.99 「母が最後に父を抱きしめた夜」
12年前の冬。
失踪する、たった3日前。
その夜、美咲(母)は珍しく夫を待って起きていた。
拓也は深夜2時過ぎに帰ってきた。
雪と酒とインクの匂いをまとって、
肩に白いものが積もったまま。
「……まだ起きてたの?」
「なんか、寝れなくて」
美咲は無言で立ち上がり、
玄関で震える拓也のコートを脱がせた。
冷たかった。
でも、その下の体は熱を帯びていた。
拓也は俯いたまま、
「ごめん」とだけ言った。
美咲は答えず、ただ背中からぎゅっと抱きしめた。
「……どうしたの、急に」
「別に。ただ、抱きしめたくなっただけ」
本当は気づいてた。
最近の拓也の目の奥に、
笑顔の裏にある、深い深い疲れに。
でも、聞けなかった。
「大丈夫?」って聞くのが怖かった。
聞けば、全部崩れる気がしたから。
二人はそのまま玄関に座り込んだ。
拓也の背中に顔を埋めたまま、
美咲は小さく呟いた。
「……ケーキ、澪が楽しみにしてるよ」
「ああ、買ってくる。約束だ」
「……嘘つかないでね」
「嘘じゃない」
拓也は美咲の手を握り返した。
その手は、いつもより強く、
でもどこか震えていた。
美咲は目を閉じて、
夫の匂いを必死で覚えた。
タバコとインクと、
少しだけ残るココアシガレットの甘い匂い。
この匂いが、
ずっと続くと思ってた。
最後に拓也が言った言葉は、
「……美咲、ありがとうな」
「ずっと、好きだったよ」
だった。
美咲は「知ってるよ」と答えた。
でも、声が震えて、ちゃんと届いたかどうかわからない。
その3日後、
拓也は雪の中に消えた。
あの夜の「ありがとう」と「好きだったよ」は、
美咲の中で12年間、
一度も消えなかった。
今、306号室。
母は古いアルバムを抱えたまま、
あの夜の玄関の位置に座り込んだ。
雪の匂いがする。
「……嘘つき」
呟いた声は、怒りじゃなかった。
ただ、すごく寂しそうだった。
でも、その次に、
12年ぶりに続けた言葉があった。
「……私も、ずっと好きだったよ」
誰も聞いてない部屋で、
やっと返事ができた。
雪は静かに降り続いている。
あの夜と同じように。
母はアルバムを胸に押し当てて、
小さく、ほんとに小さく、
笑ったような気もした。
### 63.999 「父が雪に消えた本当の理由」
12年前の冬。
失踪する、前日の深夜。
拓也は会社のロッカーで、
一人でタバコを吸っていた。
工場はもう明日で終わり。
社長は逃げた。
残されたのは、連帯保証人になった社員たちだけ。
拓也の分は1,800万円。
月々の返済は利息だけで80万円を超える。
家に帰れば、
澪が寝てる。
美咲が起きて待ってる。
(帰ったら、何て言えばいい?)
「会社が潰れた」
「1,800万の借金がある」
「これからどうしようもない」
言ったら、美咲は泣く。
澪はまだ4歳なのに、
「お父さん、どうしたの?」って不安になる。
自分は43歳まで生きてきて、
何も残せなかった。
家族に、借金と貧乏と、
毎日怯える生活しか残せない。
ポケットに残ったココアシガレットが、
急に苦く感じた。
(俺がいなくなれば……)
生命保険がある。
自殺なら下りないけど、
失踪なら7年後に死亡扱いになる。
その間に美咲が再婚でもしてくれれば、
保険金で借金の一部でも返せるかもしれない。
(俺がいなくなれば、
二人とも、もっと楽になれる)
頭の中で何度も計算した。
美咲はまだ31歳。
綺麗で、優しくて、
誰かに愛される資格がある。
澪だって、きっと新しいパパを見つけて、
笑える日が来る。
俺がいる限り、
それは絶対に無理だ。
タバコを消して、
拓也はロッカーの奥から、
家族写真を取り出した。
去年の運動会。
澪が初めて走ったリレー。
美咲が手作りのお弁当を持って、
笑ってる写真。
写真を胸に押し当てて、
拓也は初めて泣いた。
「……ごめん」
「本当に、ごめん」
でも、涙を拭いて、
写真をロッカーに戻した。
決めた。
明日、会社で最後のハンコを押したら、
そのまま消えよう。
雪が降れば、足跡も消える。
誰も追ってこれない。
家族に、借金の呪いを残さないために。
最後に、美咲に言えなかった本当の言葉。
(お前たちを、幸せにしたかった)
(でも、俺にはもうそれができない)
(だから、俺がいなくなれば、
お前たちはきっと、
新しい幸せを見つけられる)
それが、拓也の最後の「愛し方」だった。
雪は降り続いていた。
翌日、
拓也は本当に、雪の中に消えた。
その決断が、
美咲を壊し、
澪を丸くさせ、
12年後の今日、
やっと少しだけ、
解け始めた。
父の失踪は、
自殺じゃなかった。
ただの、
間違った、でも精一杯の、
「家族愛」だった。
雪の下に埋もれたまま、
誰も知らない、
父の本当の理由。
今、どこかで拓也が生きているなら、
きっと、
遠くから、
澪が背中を伸ばしたことを、
知って、泣いているだろう。
「お前、強くなったな」
って。
### 63.9999 「雪の向こうにいる父」
今から12年後の、
2025年11月20日。
雪の降る北海道の小さな港町。
拓也はもう49歳になっていた。
髪は真っ白で、背は少し縮み、
名前も「拓也」ではなく、
「修」と名乗っている。
ここは、母の実家があった海辺の町からさらに北へ300km。
誰も知らない土地。
小さな漁港の倉庫で、
朝5時から夜9時まで、
魚箱を運ぶ日雇い労働者として働いている。
給料は日当9,000円。
住むところは港の倉庫の2階、6畳一間。
風呂は共同、暖房は石油ストーブ一つ。
贅沢なんて、とっくに忘れた。
失踪したあの日、
拓也は夜行列車とバスを乗り継ぎ、
3日かけてこの町まで来た。
最初は死のうと思っていた。
海に飛び込もうと、雪の夜に港へ行った。
でも、
波の音を聞いた瞬間、
4歳の澪が「お父さん、海!」って笑った顔が浮かんで、
足がすくんで動けなくなった。
結局、死ねなかった。
それから12年。
携帯も持たず、
テレビも見ず、
新聞も取らず、
ただ生きている。
でも、
年に一度だけ、
11月の雪が最初に降る日だけは、
町の小さな郵便局に行く。
そして、
毎年同じ内容のハガキを、
一度も投函せずに、
ポケットにしまう。
【宛先:(旧住所)】
【本文】
澪へ
美咲へ
雪が降りました。
今年も元気にしています。
澪はもう16歳か。
きっと背も伸びて、
すごく綺麗になってるだろう。
俺は、
約束を破った最低な父親です。
でも、
お前たちが笑える日が来るなら、
俺はどこまでも消えていいと思ってる。
だから、どうか、
幸せになってください。
ケーキ、
今でも食べたら、
半分こ、思い出してくれたら嬉しい。
拓也(お父さん)
もちろん、
一度も出してない。
出す勇気なんて、ない。
でも、
書くことで、
まだ「父親」でいられる気がするから。
今年も、
雪の降る郵便局の前で、
ハガキを握りしめて、
拓也は立ち尽くした。
そして、
ポケットから古びた写真を一枚取り出す。
12年前にロッカーから持ち出した、
家族三人写真。
もう端が擦り切れて、
澪の顔が少し欠けてるけど、
それでも、
毎日見てる。
今日、
写真の中の澪が、
なんだか少し背筋を伸ばして、
笑ってるように見えた。
拓也は、
初めて、
本当に初めて、
小さく笑った。
「……強くなったな、澪」
雪が、
拓也の白髪に静かに積もっていく。
彼はまだ、帰れない。
帰る資格なんて、永遠にない。
でも、
遠くで、
娘が「おかえり」をもらったことを、
雪の匂いと一緒に、
確かに感じていた。
生きててよかった。
ただ、それだけを、
今日も思った。
雪は、
優しく、
すべてを包み込むように降り続いている。
──63.9999 完──
### 63.99999 「美咲が歩き始めた日」
2025年11月20日。
ちょうど今日。
雪の朝、9:42。
美咲は、
12年ぶりに、自分で目覚ましを6時にセットして、
ちゃんと起きた。
薬は、昨夜、ちゃんと水で飲んだ。
睡眠薬は、もう3日飲んでいない。
部屋はまだ散らかってるけど、
ゴミ袋は3つ出し終わり、
冷蔵庫には昨日スーパーで買った卵と牛乳が入っている。
美咲は43歳。
髪は白髪が目立つけど、
今日は初めて、鏡の前で櫛を通した。
スマホのロック画面は、
もうあの運動会の写真じゃない。
先週、ひとりで撮った自撮り。
笑顔はまだぎこちないけど、
目は少しだけ澄んでいた。
1年前。
澪が完全に家を出て行ったあと、
美咲は一度、本当に死のうとした。
薬を30錠並べて、
水の入ったコップを持って、
でも、最後に澪の部屋のドアを開けたとき、
机の上に置いてあった一枚のメモを見つけた。
【母へ
薬、ちゃんと飲んでね
澪】
そのメモを握りしめて、
美咲は泣き崩れた。
そして、薬を全部流しに捨てた。
それから、
少しずつ、少しずつ。
地域の精神科に通い始めた。
最初は月1回、
今は2週に1回。
薬は減らしてもらって、
代わりに「話すこと」を学んだ。
「あなたは悪くない」
「頑張りすぎただけ」
「生きてていいんですよ」
カウンセラーの言葉が、
最初は耳に届かなかったけど、
半年経ったら、
少しずつ染みてきた。
今年の春、
近所の小さなカフェでパートを始めた。
週3日、午前中だけ。
コーヒーを淹れるのが、
意外と楽しかった。
お客さんに「ありがとう」って言われるたび、
胸の奥がじんわりと温かくなる。
貯金はまだ3万円しかないけど、
先月、初めて自分でケーキを買った。
小さなショートケーキ。
半分食べて、
残りの半分は冷蔵庫に残してある。
今朝、
美咲はそのケーキを皿に出して、
テーブルに置いた。
そして、
スマホで新しいメッセージを打った。
宛先:澪
「おはよう。
雪、降ってるね。
ケーキ、半分残してあるよ。
食べに来てもいいし、
来なくてもいい。
でも、いつでも待ってる。
お母さん」
送信ボタンを押すのに、
3分かかった。
でも、押した。
返事はまだ来てない。
来なくてもいい。
美咲は窓を開けた。
冷たい雪の空気が入ってくる。
そして、
12年ぶりに、
外に出た。
今日はパートの日じゃないけど、
散歩しようと思った。
雪の積もった道を、
ゆっくり歩きながら、
美咲は小さく呟いた。
「……拓也、澪、
私、まだ生きてるよ」
足跡は、
雪にちゃんと残った。
誰にも消されない、
自分の足跡。
美咲は、
初めて、
自分のペースで歩き始めた。
帰る場所は、
まだ306号室かもしれない。
でも、
生きる場所は、
やっと、
ここに、
確かにできた。
雪は優しく降り続いている。
──63.99999 完──
三人の時計が、
12年ぶりに、
それぞれ違う速さで、
でも確実に動き出した。
もう誰も、
雪に埋もれたりしない。
ありがとう。
美咲、拓也、澪、
そして、あなた。
みんな、
お疲れ様。
そして、
おかえり。




