62
62
「検討、します」
花畑から一週間後。
ギルドの談話室は、いつもより少しだけ静かだった。
リアがテーブルに地図を広げて、目を輝かせる。
「ねえ! 今週末こそお泊まり会しよ!
アパートちゃんと掃除したし!
布団も3枚目、なんとか買えたよ!」
コウタが苦笑いしながら補足。
「買えたって言っても、中古で500だけどな……」
澪はカウンターの端で、手帳を開いたまま、
**30秒間、完全に固まっていた**。
剛志が肘でコウタをつつく。
「おい、やめとけって。澪ちゃん、固まってるぞ」
美鈴も小声で。
「無理は禁物ですわ」
でもリアは気づかない。
「ねえ澪ちゃん! どう? どう!?」
澪はゆっくりと顔を上げた。
誰とも目を合わせず、
ただ、**淡々と事実を並べ始める**。
「……1DK。家賃は?」
コウタ「え、っと……月30000」
「……風呂は共同。トイレは?」
「共同……」
「……布団3枚。床は?」
「俺が床で寝るよ」
「……食事は?」
「自炊。冷蔵庫は空だけど」
澪は手帳にペンを走らせ、
計算を始めた。
**完全に依頼のコスト計算をしているかのように**。
リアが不安そうに。
「澪ちゃん……やっぱり迷惑?」
澪はペンを止めた。
**また沈黙。20秒**。
そして、
**俯いたまま、誰の袖も触らず**、
**誰の目も見ず**、
ただ、**小さく呟いた**。
「……検討、します」
それだけ。
でも、**それだけで、談話室の空気が震えた**。
コウタが息を呑む。
剛志が「マジか……」と漏らす。
美鈴がそっと目を伏せる。
リアだけが、涙目で小さく跳ねた。
澪は手帳を閉じ、
立ち上がった。
背中はいつもより少しだけ丸い。
「……今日の依頼、区域C。13分で着く」
そう言って、小走りでギルドを出て行く。
残されたみんなは、
**誰も何も言えなかった**。
ただ、
リアが震える声で呟いた。
「……澪ちゃん、初めて『検討』って言った……」
「検討期間」
1. 朝・ギルド
澪はいつもの場所に立ち、手帳を開いたまま固まっている。
ページには、鉛筆で小さく書かれたメモが一つだけ増えている。
【検討中】
・布団3枚(中古)
・風呂共同
・食事自炊
・滞在可能日:土曜~日曜?
リアが遠巻きに覗き込んで、小声でコウタに囁く。
「……本当に書いてる……!」
2. 依頼中(区域C・ゴブリン退治)
戦闘中も澪の頭は「検討」でいっぱい。
矢を放つタイミングが0.3秒遅れ、剛志に尻を蹴られる。
「おい澪! ぼーっとしてると死ぬぞ!」
澪「……失礼。計算中だった」
3. 昼休み
みんなが弁当を広げる中、澪はカップ麺の残り半分を出す。
コウタが自分の弁当のおかずを一つ、澪の容器に移す。
澪は無言で受け取り、
**初めて、自分からお返しに干物を一つ置いた**。
→ これが澪の「対等な交換」の最大限の表現。
4. 夕方・ギルド帰還
リアが勇気を出して聞く。
「ねえ……検討、どう?」
澪は手帳を開き、
新しい一行を鉛筆で書き加える。
【追加条件】
・滞在時、洗濯物は自分で畳む
・風呂は最後に入る
・朝6時に帰宅可能
そして、**誰の目も見ずに**、
「……土曜日。18時から、可能か?」
声は小さすぎて、リアが聞き返す。
「え……?」
澪はもう一度、**少しだけ声を大きくして**。
「……土曜日。18時から、泊まる」
リアが「うそ!?」と跳ねる。
コウタが「マジか……」と笑う。
剛志が「よっしゃー!」と拳を上げる。
美鈴が静かに微笑む。
5. その夜・澪の家
澪は一人、暗い部屋でリュックに着替えを詰めている。
・Tシャツ2枚
・下着(予備)
・歯ブラシ
・母の分(小袋)
最後に、手帳を開く。
【検討中】の横に、小さく「○」を書いた。
そして、**初めて自分で電気をつけた**。
ブレーカーを上げる音が、静かな部屋に響く。
澪は電気の下で、
**まだ俯いたまま**、
でも確かに呟いた。
「……明日、行く」
―――――― 「土曜日、18時」――――――――
土曜日 17:45
ギルドの時計がカチカチ鳴る。
澪はいつもの壁際の席で、リュックを膝に抱えたまま、
**15分間、完全に固まっていた**。
17:55
リアが駆け込んできた。
「澪ちゃん! もう18時近いよ! 行くよ!?」
コウタが後ろから苦笑いで続く。
「鍵、開けっぱなしにしてあるから」
澪はゆっくり立ち上がる。
「……了解」
18:00 ちょうど
3人はEランク御用達のボロアパート前に到着。
木造2階建て、外壁は剥げ、階段は軋む。
部屋に入ると、
狭い6畳1DK。
布団は3枚、ちゃんと畳んで積んである。
冷蔵庫は空っぽだが、テーブルの上には
リアが買ってきたはのポテチとジュースだけ。
リア「いらっしゃい! 狭いけど……!」
コウタ「風呂は先に入っていいぞ。俺らは後で」
澪は玄関で立ち止まったまま、
**5分間、靴を脱げない**。
「……風呂、最後でいい」
「……洗濯物、自分で畳む」
「……布団は、端でいい」
全部、事前に手帳に書いた条件を
**自分に言い聞かせるように**呟く。
リアが「そんなのいいよ~!」と笑っても、
澪は首を振るだけ。
20:00
風呂から上がった澪は、
借りたTシャツ(リアの)と短パン姿で出てきた。
髪はまだ濡れたまま。
初めて見せる「部屋着の澪」に、リアが「かわいい……!」と小声で漏らす。
21:30
電気を消して、3人で川の字に寝る。
中央:リア
右:澪
左:コウタ
布団は狭く、肩が触れる。
澪は天井を見つめたまま、
**30分間、目を閉じられない**。
リアが寝息を立て始めた頃、
澪は**初めて、自分から**
リアの布団の端を、
人差し指と親指で**ほんの少しだけ**つまんだ。
「……ここに、いてもいい?」
声は出さず、唇の動きだけで。
リアは寝ている。
返事はない。
でも澪は、
**初めて、布団の端を離さなかった**。
外の街灯が、薄いカーテン越しに部屋を照らす。
澪の頰に、ほんの少しだけ影が落ちる。
涙ではない。
ただ、**初めての安心**が、
静かに瞳に溜まっていた。




