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:サクラの想い


夕暮れ時、コウタはオルセンの自宅を訪ねた。小さな庭付きの一軒家には、温かな灯りがともっている。


「ごめんください」

「はい、どちらさまですか?」


ドアを開けたのは、穏やかな笑顔の老婦人だった。サクラ・バートレット。オルセンの妻だ。


「初めまして、コウタと申します。オルセンさんに…お世話になっている者です」

「まあ、あなたがコウタさん」サクラの目が優しく細まった。「主人がよく話していますよ。どうぞ、お上がりください」


居間には、長年使い込まれた家具が並び、どこか懐かしい雰囲気が漂っていた。壁には、若き日のオルセンとサクラの写真が数枚飾られている。中でも目を引くのは、誇らしげにDランクの徽章を掲げたオルセンの写真だった。


「お茶でもいかがですか?」

「すみません、お言葉に甘えて」


サクラが台所に向かう間、コウタはその写真にじっと見入っていた。あの不格好なオルセンさんが、こんな凛々しい姿だったとは…


「それは…40年前、主人がDランクに昇格した直後の写真です」

サクラが茶器を運びながら説明する。


「Dランクに?」コウタは驚いた。「でも、オルセンさんは今…」


「Eランクですよね」サクラは悲しげにうなずいた。「あの事故がなければ、そのまま順調に昇格していったはずでした」


老婆は茶を注ぎながら、静かに語り始めた。


「主人は長年Eランクに甘んじていましたが、ついに実力が認められ、Dランク試験に合格したんです。私たちはその夜、小さなお祝いをしました。次の日からはDランクとして、新しい任務に就く予定だったのです」


サクラの手がわずかに震えた。


「しかし、その前日…主人は『最後の記念に』と、お世話になったEランクポータルに一人で向かったのです。そこで…あの事故が起きました」


「事故?」コウタは息を飲んだ。


「ポータルが突然暴走し、大崩壊が起きたのです。主人は一命を取り留めましたが、重傷を負い、探索者生命は絶たれたと宣告されました。医者たちは、もう二度と剣は握れないと言いました」


コウタは言葉を失った。まさに栄光の瞬間の直前に、すべてが奪われたのか。


「でも…なぜオルセンさんは復帰できたのですか?」

「それは誰にもわかりません」サクラは悲しげに微笑んだ。「一年後、主人は突然『もう大丈夫だ』と言い出し、実際に剣を握れるようになっていました。しかし…」


サクラの目に涙が浮かぶ。


「彼は別人のようになっていました。かつての洗練された剣技は失われ、不格好ながらも確実に敵を倒す独自のスタイルに変わっていました。そして、なぜかEランクから再出発することを選んだのです」


コウタは胸が痛んだ。オルセンの「不格好さ」には、そんな深い悲劇が隠されていたのか。


「サクラさん…オルセンさんは、昇格のことを覚えているのですか?」

「いいえ」サクラは首を振った。「少なくとも、意識的には。彼はあの事故の前後の記憶が曖昧だと話しています。Dランクになったことも、その喜びも、すべて霧の中のように…」


サクラは立ち上がり、机の引き出しから古い木箱を取り出した。中には、少し色あせたDランクの徽章が大切に保管されていた。


「主人はこの徽章の意味を忘れてしまったようです。でも、私はずっと取っておきました。いつか、彼が思い出す日が来ると信じて」


コウタは徽章を見つめながら、あることに気づいた。オルセンの無意識の力は、単に戦闘能力だけではない。彼の心を守るために、痛みすぎる記憶を封印しているのかもしれない。


「コウタさん」

サクラは真剣な表情でコウタを見つめた。


「主人はもう、ランクを気にする必要はありません。私はこの40年間、主人が稼いだ報酬を全て貯め続けてきました。もう十分な額があります。あなたが彼のことを気にかけてくれるのは嬉しいですが、どうか…彼を昇格競争のような危険な世界に引き戻さないでください」


その時、ドアが開き、オルセンが帰宅した。


「おう、コウタか。なんで俺の家に?」

「コウタさんが、お見舞いに来てくださったのよ」サクラは即座に笑顔に戻り、素早く木箱を閉じた。


オルセンはサクラの手元を一瞥し、何かを感じ取ったように一瞬表情が曇ったが、すぐにけらけら笑った。

「ふん、どうやらてめえ、俺の妻を籠絡しようってわけだな」


サクラは夫を軽くたたいた。

「もう、バカなこと言わないで。コウタさんは真面目な方よ」

「おっと、痛い痛い。わかってるさ」


オルセンはコウタを見て、なぜか慈愛に満ちた目をした。

「てめえも、いつまでもEランクにしがみついてるんじゃねえぞ。ちゃんとランク上げしろよ」


その言葉に、コウタははっとした。オルセンは無意識のうちに、自分が成し得なかった道をコウタに歩んでほしいと願っているのかもしれない。


「はい、オルセンさん。でも…あなたのように、基礎を大切にしながら進みます」

「ふん、それでいい」オルセンは満足そうにうなずいた。


ドアの外に出ると、コウタは剛志とエリックが待っているのを見つけた。


「どうだった?」剛志が尋ねた。

「オルセンさんを守る理由が、また一つ増えました」コウタは強く言った。「彼は私たちが知っている以上に、多くのものを失ったのです」


三人は暗く冷えた夜道を歩きながら、無言の誓いを新たにした。オルセンが守り抜いたこの街と、彼の平穏な日常を、次の世代が引き継ぐのだと。


【新たな使命:『受け継がれる意志』】

内容:オルセンが守った街と、その哲学を受け継ぐ

目標:オルセンの教えを活かしつつ、彼が歩めなかった道を進む

報酬:オルセンの真の承認、新たな決意


コウタは振り返り、オルセン家の明かりを見つめた。あの温かな光は、単なる一家の灯りではなく、消えることなく受け継がれるべき意志の象徴だった。



:最後の大仕事


朝もやが街を覆う中、オルセンはいつもより早く目を覚ました。ベッドの横でまだ眠るサクラの寝顔を見て、ほのかに微笑む。


「今日はなんだか…違うな」


彼自身、その感覚をうまく説明できなかった。ただ、胸の奥で何かが囁いている。今日という日が、何か特別な日であると。


キッチンで朝食を準備していると、サクラが起きてきた。


「まあ、珍しい。あなたが朝食を作るなんて」

「なんとなくな」オルセンは肩をすくめた。「今日は…特別な気がする」


サクラの表情がわずかに曇った。40年間連れ添った妻として、夫の内なる変化を感じ取っている。


「また、あの感覚ですか?」

「ああ。でも心配するな。ただのEランク任務だ」


しかし二人とも知っていた。これは普通の日ではないことを。


一方、コウタと剛志はエリックの研究室で緊急の報告を受けていた。


「信じられない現象が起きています!」エリックはモニターに映し出されたデータを指さした。「周辺のすべてのポータルが、同時に活性化しています。これは前代未聞です!」


剛志が眉をひそめる。

「どれくらいの規模だ?」

「街を囲むすべてのポータルです。そして、それらが一点に向かって…収束しようとしています」


コウタは窓の外を見た。空気が重く、ざわついている。

「オルセンさんは…?」


「すでに家を出ました」剛志がうなずいた。「いつもの巡回ルートとは明らかに違う方向へ」


三人は急いでオルセンを追った。街の中心広場へ向かう老兵の背中は、どこか悲壮感に満ちていた。


「オルセンさん!」コウタが叫んだ。


オルセンは振り返り、驚いた表情を見せた。

「てめえら、またつけて来やがったか。今日は特に危ねえから、帰れ」


「私たちも手伝います!」コウタは懇願するように言った。


「バカ者!」オルセンの声には珍しい激情が込められていた。「これは…俺一人でやる仕事だ」


その時、広場の中心で空間が歪み、巨大なポータルが出現した。周囲のすべてのポータルからエネルギーが流れ込み、かつてないほどの巨大な門が形成されつつあった。


「来たか…」オルセンは錆びた剣を握りしめた。


「これは…次元の融合現象です!」エリックが叫んだ。「すべてのポータルが一つに統合されようとしています!このままでは街全体が…」


オルセンはコウタたちに背を向け、ゆっくりと巨大なポータルに向かって歩き出した。


「待ってください!」コウタが必死に叫んだ。


オルセンは立ち止まり、少しだけ振り返った。


「コウタ…てめえには言っておくことがある」

老兵の目には、深い慈愛が光っていた。


「強くなるってのはな…ランクが上がることじゃねえ。自分に与えられた役割を、たとえ誰にも理解されなくても、最後まで果たすことだ」


そして、オルセンは付け加えた。

「サクラには…なんでもない、と言っておけ」


オルセンは巨大なポータルに消えた。その直後、門が閉じる轟音が街中に響き渡った。


「オルセンさん!」コウタは叫びながら駆け寄ったが、そこには何もなかった。


剛志がコウタの肩を握った。

「彼の選択を尊重しろ。これが…老兵の意地だ」


ポータル内部では、オルセンの前に想像を絶する光景が広がっていた。無数の次元が交錯し、時空そのものがねじれ動く世界。そこには、これまで彼が「ゴブリン」と認識してきたものの根源が存在していた。


「ふん…どうやら、これが本当の“大仕事”ってわけか」


オルセンは不格好に剣を構えた。相変わらずの姿勢だが、その目にはかつてないほどの決意が燃えていた。


一方、外部では信じられない現象が起きていた。街を囲むすべてのポータルが、一つずつ消滅していくのだ。


「ポータルが…安定化しています!」エリックが報告した。「オルセンさんが、次元の歪みそのものを修復しているのです!」


コウタは拳を握りしめ、広場の中心を見つめ続けた。オルセンが戻ってくることを信じて。


そして1時間後、最後のポータルが消えた瞬間、広場の中心にオルセンの姿が現れた。彼の装束は少し乱れているが、表情は穏やかだった。


「オルセンさん!」

コウタが駆け寄ると、オルセンはけらけら笑った。


「どうした、てめえ。そんな心配そうな顔して」

「でも、あの巨大なポータルは…?」

「ああ?あれか。ちょっと大きめのゴブリンがいただけだよ。なんとか倒したぜ」


オルセンはのそのそと歩き出した。

「さて、サクラが待ってる。今日のゴブリンはちょっと手強かったが、なんとか倒せたわい」


コウタと剛志は顔を見合わせ、静かにうなずいた。オルセンは最後まで、自分が成し遂げたことの真実を知ることはないだろう。だが、それでいい。


老兵は夕日を背に受け、家路についた。彼の後ろでは、危機を脱した街の灯りが一つずつともり始めていた。


【クエスト完了:『静かなる決戦』】

報酬:街の安全度+100、オルセンの信頼+100

隠し報酬:無名の英雄の真実を知る名誉


コウタはオルセンの背中に向かって呟いた。

「ありがとう…オルセンさん。あなたが守ったこの平和を、私たちが引き継ぎます」

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