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第29話:今の、プロポーズ?
月明かりに照らされ、金色に淡く輝くマグカップをじっと見つめていたコウタ。その横で、リアはこっそりと息をひそめ、彼の側顔を盗み見ていた。
(コウタくん、ずっとカップを見つめてる……何を考えてるんだろう)
彼の表情には、困惑と、深い思索の跡、そしてどこか温かい決意のようなものが浮かんでいた。我慢できず、リアはそっと彼の袖を引っ張る。
「……コウタくん? どうしたの? 何か考え事?」
「!?」 コウタははっと我に返り、リアを見る。彼女の澄んだ瞳は、心配そうでありながら、どこかはにかみに満ちている。
「いや……その……」 コウタは言葉に詰まる。頭の中がごちゃごちゃで、整理がつかない。伝えたいことは山ほどあるのに、言葉が見つからない。
リアは彼の困った様子を見て、少しだけ俯く。そして、恥ずかしそうに、それでいてしっかりと彼の目を見上げて囁く。
「ねえ……さっきのコウタくんの言葉……『永遠の相棒』って……」
彼女の頬が、夕焼けのように次第に赤く染まっていく。
「それって……つまり……今の、プロポーズ?」
───瞬間、コウタの胸の中で、何かが熱く溶け、一本の筋になった。
「……違うよ」
彼の口から出たのは、否定の言葉。リアの瞳が一瞬、大きく見開かれた。しかし、その次の瞬間、コウタは彼女の小さな手を、自分の両手で包み込んだ。その手は、マグカップよりも確かな温もりを伝えていた。
「プロポーズなんかじゃ、足りない」
「え……?」
コウタは深く息を吸い、これ以上ないほどの真剣な眼差しでリアを見つめる。彼女の瞳に、自分だけが映っている。
「俺は……お前と、永遠を約束したいんだ。ハンターとしての相棒だけじゃなく……人生の、全ての相棒でいたい。苦い時も、甘い時も、全部一緒に味わいたい」
「次の人生でも、その次でも、ずっと……俺の隣にいてくれ、リア」
リアの目に、涙の粒が光った。それは悲しみではなく、溢れんばかりの幸福感から零れたものだ。
「うん……!」
彼女の声は涙で震えていたが、答えは揺るぎないものだった。
「ずっと……ずっと一緒だよ、コウタくん。約束だよ」
月明かりが、しっかりと繋がった二人の手と、並んで置かれた二つのマグカップを、祝福するように優しく照らし出していた。
了解しました。29話の続き、甘くてちょっとせつない、それでいてどこかおかしな“即席プロポーズ”の情景を描きます。
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・ささやかでいいから
「……うん……! ずっと……ずっと一緒だよ、コウタくん。約束だよ」
リアの言葉に、コウタの胸は熱いものでいっぱいになった。彼女の手を握り返し、これ以上ないほどの優しさで彼女を見つめながら、コウタは言った。
「ありがとう、リア……。俺も、絶対に幸せにする」
しばし、二人はただ静かに手を握り合い、互いの鼓動と温もりを確かめ合っていた。やがて、ほろ苦い幸せに包まれた沈黙の中、リアがぼそりと呟く。
「コウタくん……ささやかでいいからね。いつか結婚式、あげたいな」
「二十歳になったら……やりたいな。まだまだ私たち、若いから、ね……」
彼女の声は、夢見るように、そしてどこか現実をわきまえた諦めのようにも聞こえた。未来への希望と、まだ遠いその日への少しの寂しさが入り混じった声音。
それを聞いたコウタの目が、きらりと輝いた。
「……今すぐやろう」
「……え?」
リアがきょとんとした顔で見上げる間もなく、コウタはさっと立ち上がった。
「待ってろ。すぐ戻る」
「ちょ、コウタくん!? どこに……!」
しかし、コウタはもうアパートのドアを駆け出していた。リアはただ、呆然と彼の背中を見送るしかなかった。
十分後
息を切らして戻ってきたコウタの手には、スーパーの袋が下がっていた。中には、小さなホールケーキ。そして、もう一方の手には、道端に咲いていた可憐なコスモスと、ふわふわのタンポポをいくつか束ねた、なんとも愛らしい“ブーケ”が握られていた。
「ほ、ほら……!」
コウタは少し照れくさそうに、それでいて誇らしげにそれらを差し出した。
「ケーキは……ごめん、一番小さかったやつしか……ブーケは……その、庭に生えてたやつで……」
その様子を見て、リアは最初は驚き、そして次の瞬間、声を上げて笑った。それはあまりにも無邪気で、嬉しそうな笑い声だった。
「ばか……そんなの、プロポーズの……ブーケじゃないよ、タンポポだよ……!」
「で、でも……白いコスモスは、“純潔”とか“清い愛情”って花言葉らしいから……!」
コウタが必死に弁明するのを見て、リアの笑顔がさらに優しく輝く。
「……ありがとう、コウタくん」
彼女はその即席ブーケを受け取り、そっと胸に抱きしめた。タンポポの綿毛がふわりと揺れる。
「二十歳まで待てないや……今の、私たちの“ささやかな結婚式”、すごく幸せ」
コウタはホッとしたように笑い、ケーキの箱を開けた。ろうそくもない、フォークも二本しかない、本当にささやかな“祝宴”。でも、月明かりと愛に満ちたこの瞬間は、どんな豪華な結婚式よりも、二人にとってかけがえのないものだった。
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・ささやかな祝宴
ろうそくの代わりにスマートフォンのライトを立て、フォークが二本だけのささやかなケーキを食べ終えた二人は、何もかもが滑稽で、ふざけ合いながら笑い転げていた。
「ふふ……コウタくん、ケーキちょっと鼻についてるよ」
「お前だって、タンポポの綿毛が髪にいっぱいついてるぞ。もう、白髪のおばあさんみたいだ」
コウタがそう言って、そっとリアの髪から綿毛を取り払おうとする。しかし、ふわふわとした綿毛は逃げるように舞い上がり、二人の間をひらひらと漂う。
「わあ! きれい……!」
「ほら、捕まえようぜ!綿毛つかまえ競争、始め!」
コウタが突然宣言し、ぴょんと跳ねる。リアも「ずるい!」と笑いながら立ち上がり、ふわりふわりと舞う綿毛を、二人で追いかけ始めた。
狭いアパートの一室で、大人がふたり、無邪気に綿毛を追いかける奇妙な光景。タンポポの綿毛と、コスモスの花びらが部屋中に散り、それはそれはみっともない、でもどこにもないほど幸せな“結婚式”の余興だった。
「やった! 取ったぞ!」
「えー、私も取る!あっちに飛んでった!」
はしゃぎ、息を切らして、最後の一片の綿毛を二人で同時に捕まえた時、彼らの顔はとても近くにあった。
「……はぁ、はぁ……ねえ、コウタくん」
「……ん?」
「結婚式って……あとは、誓いの言葉を紡いだら、ほぼ終わりなんだよね」
そう呟くリアの声は、笑い疲れたせいか、甘く濁っていた。コウタはそのままの距離で、彼女の目をまっすぐ見つめた。
「……誓いの言葉、か」
彼は深く息を吸った。
「俺は、南雲リアを、一生愛し、一生守り、一生、そばにいることを誓う」
「私も……コウタくんを、一生愛し、一生支えて、一生、離れないことを誓う」
ごく自然に、それでいて深く重い言葉が、静かな部屋に響いた。
その瞬間──
ぷすっ
コウタの頭の中で、ごく小さく、どこか愛嬌のある、でも明らかに「あきれた」ような音がした。それはまるで、無理やりにでも花を咲かせようとしたら、茎がぽきんと折れてしまったような……そんなイメージの音だった。
(……え?)
コウタは一瞬、目をぱちくりさせた。何だろう、今の感覚は。どこかですっぱいレモンを一粒、こっそり食べさせられたような、そんな後味の悪い……?
「コウタくん? どうしたの?」
「あ、いや……なんでもない」
リアの心配そうな声に、彼は首を振る。たぶん気のせいだ。そんなことより、今は目の前の花嫁さん(タンポポのブーケを持った)が、世界一愛おしい。
「よし、じゃあ……これで俺たち、めでたく結婚したな!」
「えへへ……そうだね」
月明かりと綿毛と愛に満ちた、ささやかで、ちょっと滑稽で、それでいて誰にも真似できない、たった一つの結婚式が、静かに幕を閉じた。
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・新たな誓い
月明かりと綿毛と愛に満ちた、ささやかで、ちょっと滑稽で、それでいて誰にも真似できない、たった一つの結婚式が、静かに幕を閉じようとしたその時──
コウタの視界が、突然、柔らかな金色の光に包まれた。
```
【リミットクエスト】
『結婚式を豪華に行え』
内容:
誓いを交わした二人に、相応しい祝宴を用意せよ。
花嫁を笑顔で飾り、祝福に満ちた一日を創り上げよ。
条件:
・期限は二十歳の誕生日まで
・二人の思い出に残る式とすること
・リアを最大限に幸せな気分にすること
報酬:???
```
(……は?)
コウタは思わず目を疑った。《結婚式を豪華に行え》? 《報酬:???》?
(なんだこのクエスト……しかも報酬が未定って……)
困惑するコウタの横で、リアはタンポポのブーケをそっと揺らしながら、まだ紅潮した頬に笑みを浮かべてつぶやく。
「ねえ、コウタくん……二十歳になったら、今みたいなじゃなくて、ちょっとだけお姫様みたいにしてみても……いいかな?」
彼女のその言葉に、コウタはハッとした。クエストの内容と、彼女のささやかな願いが重なる。
(……そうか。これは……)
彼は自分の胸の中を見つめる。さっきまでの「今すぐ」という衝動とは違う、ゆっくりと、確実に、彼女を幸せにしていくという「覚悟」が求められているのだ。
「……ああ、もちろんさ」
コウタはうつむき加減のリアの頭を、そっと撫でた。
「二十歳まで待つって決めたんだろ? だったら、その時は……今日みたいな即席じゃなくて、ちゃんとしたブーケを、ケーキを……それに、俺、スーツなんて着たことないけど、一番似合うのを探すからさ」
リアは顔を上げ、瞳をキラキラと輝かせた。
「本当?!」
「ああ。約束する……二十歳になったら、俺が、世界一幸せな花嫁さんにしてやる」
その言葉とともに、コウタの視界のクエスト表示が、微かに光を強めた。《報酬:???》 の文字が、ほんのりと温かな輝きを放っているように見えた。
(この報酬が何だか……もう、わかっている気がする)
それは、きっとお金でも、強力なスキルでもない。この瞬間、目の前で、期待に胸を膨らませて笑う彼女の、未来の笑顔そのものなのだろう。
(それでこそ、最高の報酬だ)
コウタはそう確信し、そっと彼女を抱きしめた。




