第九話 筆跡の先に
いよいよ1冊目の日記を開いたローザ。
陰陽師の謎に近づけるのか?
確信への扉の前に立つ2人の想いとは。
――その古い本は日記だった。
それから3日後、蒼は学校に通い始めた。私はというと、ゆうかさんに携帯を契約してもらい、スマートフォンというものを手に入れた。カッコつけて「スマホ」なんて蒼をまねして呼んでいる。
スマホのすごいところは、離れている相手とやり取りできて、地図で現在地がわかり、本だって読めるところだ。蒼は私に似合うからと、スマホに桜柄のカバーをつけてくれた。
日中の私は、蒼にもらったノートに日記をひたすら写していく。日記は1冊あたり80ページ近くあった。しかも、字がだいぶ小さい。書かれている文字の中には、お母さんに習っていない字もあった。
文として読むにはわからない単語も多く、一字一句、丁寧に写した。読み取れた文字をひらがな、もしくはカタカナにする。読めない文字はそのまま書き写す。そうやって繰り返していると、あっという間に蒼が学校から帰ってくる時間になる。結局、1日に1ページ写すのがやっとだった。
手始めに、10冊それぞれの日記の始まりの日付を写す。そしてうめさんに手伝ってもらい、年号を西暦に直した。そうして10冊に1から10の番号をつける。こうしてようやく日記の解読が始まった。
1冊目
1635年9月25日
『召喚術を試している。しかし今日も父や兄に馬鹿にされている』
という愚痴から始まった。
『召喚術は満月の夜にしか行えないため、なかなか進まない。早く成功させたい』
1635年9月26日
『今日の夜は満月だ。寛永寺の住職さまのところに行き、彼岸花を摘ませてもらった。
前回の失敗の原因は、召喚術の紋様に刻む文字が弱かったのかもしれない。そう思い、今回はしっかりと刻んだ。
私は刃物で指先を切り、血を垂らした。この後起きたことの驚きは、今後死ぬまで味わうことはないだろう』
『満月の夜、ついに召喚に成功した。
現れたのは赤い瞳をした二十歳ほどの女性。尖った耳には濃い藤色の耳飾りが揺れ、手には薄い藤色の見たことのない花を握っている。
驚いた表情を浮かべながらも、こちらをじっと見つめる瞳には底知れぬ恐怖を感じた。黒い衣が闇に溶け、まるで妖怪のようだった。』
『彼女は名前をベギンと言った。明らかに人ではないが、言葉は通じる。エルフという妖怪らしい。
やっとの思いで成功させた召喚術だったが、その先を考えていなかったことに気がついた。
家族には相談できない。私は与三郎のところに行き、陽の昇る中、どうするべきか話し合った。
ベギンは耳と目を妖の術で人間の姿に変化させた。なんとか山本家に家僕として引き取ってもらうといことで落ち着いた』
4日分。たった4ページを読んで、召喚されたのがお母さんであることを確信した。とても信じられない話だが、ベギンという名前が動かぬ証拠となった。
うめさんは、ひとつひとつ丁寧に単語の意味を教えてくれた。3ページ目に書かれていた赤い目と尖った耳。これはエルフである証拠だ。蒼は私に耳を変えるようだけ言ったが、お母さんは目の色も変えたのか。
鏡の前に立ち、私も目が黒く見えるよう幻影魔法をかけてみる。しかし真っ黒にはならなかった。
私は驚くと同時に、わかってしまった。なぜなら私の目の色が、箱から出てきた肖像画のエルフと同じ色だったからだ。
うめさんは日記の内容を知っても、にこにこと微笑むばかりで何も言わなかった。ただ自分には読めなかった内容を、こうやって知ることができてうれしいとだけ口にした。
どっと疲れた私は、大の字になって寝転ぶ。少ない文章に詰まった情報量は、なんとか頭で処理することができても、心は追いつかなかった。
時計を見ると3時を過ぎ。そして玄関から蒼の声が聞こえた。
「ただいま……ってどうした?何かあったか?」
「んーん。ただ疲れただけ」
「何か、わかったのか?」
この数日間、蒼と顔を合わせるのはごはんの時間だけ。話すことは世間話のみ。日記の話ができるほど、私の心に余裕はなかった。そして、そんな私に誰も何も聞かなかった。もしかしたら、うめさんから聞いていたのかもしれないが。
「まあ無理にとは言わないけどさ、おやつ買ってきたから食べないか?」
「おやつ?」
「シュークリーム買ってきたんだけど、どうかな?」
「……食べようかな」
シュークリームが何かわからなかったが、蒼が気を遣ってくれていることはわかる。机の上に散らかったノートや日記、ペンを床に置く。蒼は小さな紙箱を机の上に置き、キッチンからお皿を持ってきた。
箱の中からは手のひらより小さい、茶色くて丸いものが出てきた。透明な袋に包まれたこのお菓子が、シュークリームだという。
「このお店のシュークリームがすごくうまいんだよ。甘くてさ、ちょっとは疲れが取れると思うんだ」
「ありがとう……」
生ぬるい返事をして一口かじると、ザクッとした食感の後にクリームが溢れ出てくる。張り詰めていた心と、考えることを拒否する頭を溶かしてくれる甘さ。ふと視線を感じて顔を上げると、蒼は優しい顔で私を見ていた。
「う、うまいか?」
「うん、すごくおいしい。なんかほっとした」
「よかった!シュークリームは初めてか?」
「初めて。中に入ってるのはカスタードクリーム?」
「そうそう、カスタードはそっちの世界にもあるんだな」
「あるけど、こんなに食べやすいカスタードクリームは初めてかも。貴族の食べるおやつはこんな感じなのかもだけど」
「ローザはおいしいもの食べると、何かと貴族って言うよな」
「森に住むエルフにとって、貴族の世界は未知だからね。なんでもすごいものは、貴族のものって思ってるかも」
「そんなローザさんに朗報があります。これから蒼さんがたくさんおいしいものを食べさせてあげましょう」
ふざけた蒼は笑いながら、この世界では貴族の食べ物がたくさん手に入ると言った。この数日間、蒼が私を心配してくれたことがその顔から伝わった。
シュークリームを食べ終わった私は、床に置いていたノートを机の上に広げる。蒼もお皿を机の端に寄せ、食べ終わった袋を箱に片付けた。
「4ページ目を読んでわかった。やっぱり召喚されたのはお母さんで間違いない」
「そうか。ローザがそう言うなら間違いないな」
「蒼、今の私の顔はエルフのままでしょ?」
私は家を出る時だけ幻影魔法をかけ、家の中では魔法をかけずに過ごしている。
「そうだな、今は魔法を使っていないんだろう?」
「うん。それで見てほしい魔法があるの」
私は目に幻影魔法をかける。
「この色、見覚えない?」
「黒にも見えなくはないが、赤みがかってるな」
「絵と同じ色に、見えないかな?」
私は日記に挟んであった肖像画を机の上に出す。蒼はそれを手に取ると、見比べるように視線を動かした。
「そっくりだな。これがローザの母ちゃんだと思った理由か?」
「……書かれているすべての特徴がエルフと一致する。何よりお母さんの名前が書いてあった。否定できる要素がない」
「そうか。ローザ……何か不安なのか?」
「わからない。離れでこの絵を見たときから、お母さんが転移したことはなんとなく察してはいたけど――なんでお母さんは私に何も言わなかったのかなって」
お母さんが転移したのは、日本が1635年の時。私が転移した今は2024年。つまり389年前の出来事だ。私は生まれていないけど、お母さんは生まれているから可能性はある。
ただ現在ブルーメンは6120年。日本よりエーデルワイスの方が、4000年近く前にできたということ?謎は残るがとりあえず1回置いておこう。
日本とエーデルワイスの関係もわからない。日本語の文字を内緒にしていたことも、簪についても、何も教えてもらえなかった――。
「俺は……何か言えなかった理由があると思う。その理由は、その日記を解読するしかないんじゃないかな?」
「……うん」
「それに、話せなかった理由がローザの母ちゃんにあるかはわからないだろ?」
「どういう意味?」
「その理由が陰陽師側にあるかもしれない」
「そうか……この日記を書いてる陰陽師のさくらさん。他に与三郎っていう人がが出てきた」
「誰が何の理由で伝えなかったのかはわからない。でもばあちゃんは陰陽師が死刑になったって言ってたろ?」
「確かに。人が殺されるほどのことが起きたなら、誰にも言えないかもしれない」
「もしローザに何かを伝えたら、ローザに危険が及ぶって考えた可能性もある。少なくとも、俺の家に伝わっている内容ですら言い伝えレベルだ」
「――さくらさんはこの日記に秘密を隠した」
「俺はそう思ってる。ローザは早く元の世界に戻りたいのかもしれない。でも、焦って失敗したら取り返しがつかないことになるかもしれない」
「どういうこと?」
「この世界とローザの世界。もしかしたら他にも世界があるかもしれない。万が一、手がかりのないところに転移して、お前が家に帰れなくなる方が問題だろ……」
「そんなこと、考えもしなかった」
「とにかく丁寧に慎重に進めよう」
蒼の言葉に少し冷静になれた。この日記を解読すればすべてがわかる。焦る必要はない。確実に、一歩ずつ進めていくこと。何かのミスが命取りになるかもしれない。
漠然と感じていた不安。それは蒼が部屋を後にする頃には無くなっていた。まだたった4ページ。私はもう1度、日記とノートを見比べながら解読を再開した――。
真相に近づくにつれて揺れる動くローザ。
母の謎、陰陽師の謎、なによりローザに黙っていた母の理由。
そんなローザをそっと気にかける蒼。
今後は謎と2人の関係に注目です。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
次回は10/21(火)の13時に10話公開です!
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