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第十話 1冊の日記と特別な夏

日記の解読を進めるローザが踏み込んだ転移の謎。そこから見つけたヒントは何なのか。

一方で夏休みを迎えた蒼はローザに新しい世界を見せてくれる………しかしそれはまぶしくも現実を突きつけた。

この夏動き出す二人の心にも注目です。







 ――母の転移を確信したあの日から3か月近く経ち、私は1冊目の日記を読み終えた。蒼は夏休みという長期休みに突入した。




 この期間に解読と考察を書きつづったノートは1冊半。そこに書かれていた内容は母が江戸という時代に転移してから、3か月たらずの期間について。





 日記に「東照社」という名が出てきたのは、解読を始めてから約1か月後。世間はゴールデンウィークと呼ばれていた。その日は蒼の学校が休みだったので、一緒に解読をしていた。私がその言葉を口にすると、蒼は息を呑んで考え込んでしまった。


 やっと口を開いた蒼は、私たちの出会った場所がそこだと思うと言った。

 



 1635年10月18日


『ベギンが藤乃ふじのと名乗りもうすぐ1か月が経つ。東照社の家僕として働く姿も様になってきた。与三郎よさぶろうの誘いにのり、3人で寛永寺へと紅葉狩りに行った。この国ではいろいろな草木や花を愛でるのかと、藤乃は楽しそうだった』




 基本的には日記を書いたさくらという人と、私のお母さん、与三郎と呼ばれる人の日常が書かれていた。叔父のコネで歌舞伎の顔見世を見に行ったとか、与三郎がはやりの本を手に入れたとか、母が巫女として神楽を踊ったとか、そんなことしか書かれていなかった。


 転移に関係しそうなことは結局、東照社と寛永寺という言葉のみだった。



 東照社と書かれている場所は、現在上野東照宮と呼ばれている。蒼が調べた結果、この日記の後の時代に東照宮という名前に変わったとわかった。この国には東照宮がいくつかあるため、わかりやすいように上野東照宮となったと書かれていた。





 本来なら4月のうちに出会った場所へ行こうと思っていた。しかし蒼は学校が忙しく、1人で行く勇気はなく問題を先送りにしていた。結局訪れたのはゴールデンウィークの最終日。私と蒼は人が溢れかえる上野を訪れた。


 昼間の上野東照宮は、あの日と異なりほとんど力を感じなかった。桜は散り、まだらに葉が生えていた。花が散ってしまったことと関係あるかはわからないが、手がかりは何もなかったなかった。





 それ以降、すっかりバスに乗ることにも慣れ、1人でも定期的に上野を散策した。上野東照宮も寛永寺もお金がかからなかったので、いくらでも見ることができた。


 無料で見ることのできる場所で、魔力や霊力の感じる場所がないかひたすら探した。しかし強い力を感じるのは、入ることのできない建物のみ。他に感知することができた力はささいなものだったため、場所を特定することができなかった。





 一方で、この3か月間日本の生活をした私は、この日常を楽しんでいた。決まって金曜日には、蒼がおやつを買ってきてくれた。なぜ金曜日なのかわけを聞くと「曜日の感覚がつくだろ」とぶっきらぼうに言われたが、その耳は赤く染まったようにも見えた。



 毎日お風呂に入ることにも慣れ、すっかりお湯に浸かることの虜になってしまった。


 お風呂といえば、蒼がお風呂上がりに私の部屋に必ず来た。無言で私の前に座り、ジェスチャーで髪を乾かせと要求してくる。なんてことのない魔法である上に、ドライヤーよりも乾くのが早い。蒼はこの魔法の虜になったのかもしれないと思った。




 

 蒼は夏休みでも勉強しなければならないと言っていたが、合間を縫って私を新しい世界に連れて行ってくれた。


 

 よく出かけた浅草では、通り過ぎる簪屋さんで、シンプルな金属の簪や、木に模様をつけた簪など、母が好んだデザインの簪をよく見かけた。


 本屋さんでは魔法使いやエルフが出てくる漫画、喋る動物が出てくる絵本、怪奇的なトリックを見破る探偵の小説など、見たことのない景色が広がっていた。その膨大な量の物語に、私は浸っていた。




 蒼に「これだけは見てほしい」と言われて観た映画。魔法学校の中で生活する主人公が、様々な試練を乗り越えるという内容だった。どの呪文も聞いたことはなかった。しかしその内容は私の心を躍らせた。


 



 1冊目の日記を丁寧に読み直しながら、蒼と歩むあまりにもごく普通の毎日。森の中でひとりぼっちの時間を過ごすよりも、本当に楽しかった。日記を読み始めた時とは異なる気持ちから、2冊目の日記に手を伸ばせずにいた。





 現実逃避をするかのように、私はエーデルワイスの世界についてたくさん話した。蒼とゆうかさんが「魔法を見せて欲しい」と言うので、指に火を灯したり、手のひらに水を浮かせて見せると飛び上がって喜んでくれるので、私はなんだか誇らしい気持ちになった。





 長い時間を共にしたおじいさんは、そろそろ「じいちゃん」と呼んで欲しいというので、私はその通り呼んだ。じいちゃんはとても喜んでくれた。そして口癖のように「ローザちゃんの顔は、お母さんの絵に似てるね」と口にした。私はその言葉に胸が温かくなるのを感じた。

 




 8月の燃えるようなある日、蒼は私の「杖の絵を描かせて欲しい」と言った。断る理由もなかったので、私は杖を出して蒼に渡した。


 蒼の描く杖の絵は、まるで本物のような絵だったので、思わず蒼に抱き着いてしまった。その時の蒼は息をすることを忘れてしまったのかと思うほどに動かなくなり、真っ赤になって固まってしまった。それ以降抱き着くことは禁止となった。




 夏休みが終わりに差し掛かったある日、今度は「私の絵を描きたい」と言った。こちらも特に断る理由もないので承諾すると、私が漫画や本を読む横で私をじっと見つめる蒼。最初こそ緊張したものの、だんだん慣れて気にならなくなった。





 こんな風に日常生活を送る中で、時々蒼の視線を感じる時がある。気になってそっと目を動かすと、蒼は花を愛でるような顔をしている。こんなふう見つめられたことのなかった私は、顔が熱くなるのを感じた。





 この夏、私は人生で初めて車に乗って海に行った。江ノ島というその街にはたくさんのお店が並び、人が溢れかえっていた。そこから見える景色は湖と変わらなかったが、その果ては終わりなく続いていると教えてもらった。



 初めてソフトクリームという柔らかいアイスも食べた。頬についたアイスを、蒼は「欲張りすぎ」と言い指でぬぐった。まるで子どものように扱う蒼に「自分で拭ける」と言うと、「だよな」と消えるような声を残し、抱き着いた時あの日のように顔が赤くなった。



 アイスを食べた後は、水族館という場所に行った。見たことのない魚や動物がたくさんいたことに興奮し、思わず私はガラスに手をついて見入ってしまった。スマホのシャッター音が聞こえ振り向くと、蒼は魚の写真を撮っていた。私も真似をしてオレンジ色の魚の写真を撮った。



 じいちゃんとうめさんが、記念にお土産を買おうと言った。蒼はメンダコのハンカチを、私は黄色い魚の絵が描かれたマグカップを買った。



 初めて尽くしのお出かけの帰り道、私は車に揺られて心地良くなりつい寝むってしまった。目が覚めた時、私は蒼に寄りかかっていたので慌てて起き上がった。蒼は「まだ寝てなよ」と私の頭をポンポンと叩いた。やっぱり子ども扱いされてると頬を膨らませる私に、「俺の方が年上だからな」と笑われた。





 見るものすべてが新しいこの世界は、エーデルワイスよりもずっと魔法のような世界だと思った。





 人と生活することの楽しさを感じるとき、母がエルフでありながら人間と関わり持った意味が少しだけわかった気がした。そして、蒼や宇津木家のみんなが私に接する姿が、人間である父の姿に重なった。






 夏休みがもうすぐ終わる。そんなある日の夕方、私は蒼に貸してもらった、エルフの漫画の最終巻を読んでいた。ラストシーンで人間がエルフを置いて先に逝ってしまうという内容に、つい私は蒼を重ねてしまい悲しくなった。





「あのさ……」




 私は漫画を読む手を止めて、蒼に声をかけた。




「蒼は長生きするよね?」



「なんだ、突然。まあ100までは頑張って生きたいところだな」



「100……?」



「そりゃあ100まで生きたら大往生だろ」




 私は息が止まるほど驚き、言葉を失った。それはエーデルワイスの人間の半分にも満たない長さだったからだ。この世界に来て初めて迎えた朝、私は蒼に私の世界の人間の寿命について話したのに、このことを私は知らなかった。




「蒼……私の世界の人間の寿命について話したのは覚えてる?」



「あー、200だっけ?」



「そうだよ……その時、そんなこと言ってなかったじゃん」



「まあ聞かれなかったしな。ってか、なんでそんな暗い顔してるんだよ」




 そこで初めて蒼は絵を描く手を止めて、俯いた私の顔を覗き込んだ。



 たった3か月で私はわかっているつもりになっていた。寿命が短い人間と関わることは寂しいと知っているつもりだった。でも、そんな一瞬のことだとは考えていなかった。蒼は私の気持ちに気がついたのか、こう口を開いた。




「たしかに俺はお前より早く死ぬ。ローザにとって、それは寂しいことなのかもしれない。でも、だからってお前の人生の中に俺がいないことの方が寂しくないか?」



「……人生の中に?」



「そうだ。誰しもがいつかは土に還る。ローザだってそうだ。それでも俺は、例えローザと過ごす時間が人生の中のほんの短い時間だったとしても、ローザと出会えた人生でよかったと思ってる」




 蒼の言葉は、私の心の中に溶けるようにして響いた。人と別れることの寂しさより、知らないことの方が寂しい。そんな考え方……したことがなかった。私は人と別れた時の事ばかりが頭に浮かんで、その先のことから逃げていたのかもしれない。




「なんか俺、ちょっと恥ずかしいこと言っちゃったか?でもまあ、まだ日記は残ってるしゆっくり考えたらいいんじゃない?」




 蒼はそう言いながら、私の頭をポンポンと叩いた。このごろしょっちゅう私のことを子ども扱いする。そんなふうに思った私には「飲み物を入れてくる」と言って部屋を出た蒼の瞳が揺れたことに気がつかなかった。





 ――そして蒼の夏休みは終わる。









最後まで読んでいただきありがとうございました。

謎に近づいたことで、思わずそれを遠ざけたローザ。

蒼の言葉で2冊目を読む決心がついたローザが、次に開く世界とは。


次回の更新は10月23日の13時の予定です。

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