1話 ここは何処? あなたはだあれ?
「……これは……夢か?」
少しぼうっとする頭でそんな言葉が口をついた。
はっきりとしない頭の働きは寝ぼけている時のよう。
自分で夢と判る夢、明晰夢を見たことは何度かある。
そんなとき、夢なら何でも自由自在になるのでは、と毎回考えるが、生憎と思い通りになったことはない。むしろ、ホラー映画などを思い起こすと夢に化け物が出てきて襲われる。ままならない。
起きてしまおうか。
しかし、中途半端に起きてしまうと生活のリズムが狂ってしまい、翌日の朝に寝坊するのが怖い。
とはいえ、このまま眠り続けることに拘っても、寝苦しい時間を費やすだけというのがオチだ。
一度目を覚まして、静かな音楽でもかけ、寝直す方が得策に思える。
少しは思考もはっきりしてきたようだ。
松田義嗣 会社員 32歳。明日も平日だ。会社がある。
義嗣は大きく深呼吸した。
深呼吸を3回繰り返し、今度は息を短く、荒くして行く。こうすると、体が自然に起きようとしてくれる。
そんなとき、目の前に人影があることに気づいた。
気づいた、というのは語弊か。今まで何も居なかったのだから、現れたと言うべきか。
「……遅かったかぁ」
さっき、少し意識してしまったからなぁ。これはホラーな悪夢パターンだろうか?
まあ、起きるという方針に変わりはない。
「ふっは、ふっは、ふっは、ふっは」
小刻みな呼吸で脳に酸素を送るイメージ。
これで化け物が何をしようと、起きてしまえばおさらばだ。
「誰が化け物ですか、失礼な」
目の前の化け物が話しかけてくる。
「ちゃうっちゅーねん。バケモンちゃうわ」
大阪人か。まあいい、起きよう。
「大阪人でないし。夢でもないから、ちゃんとお話してください」
しつこく食い下がってくるので、改めて目を向けた。
「……のっぺらぼう。やっぱりホラーコース」
目の前にいるのは、人の背格好ではあるものの、顔がよく見えない。薄ぼんやりと光っているようにも見える。
「違いますから。見えないのは認識できていないだけです。だいたい、のっぺらぼうってどこが怖いんですか。あなたの国の怪談って、ぶっちゃけ変ですよね」
なんて暴言を吐くんだ。小泉八雲に謝れ。
うん? 少しおかしな言い回しだな。あなたの国、と言ったか。するとこの大阪人は日本人ではない?
「しつこいですね、あなたも。とにかく話を進めますよ。私も暇ではないんです」
こほん、と咳払いをする人影。見えないが、どうやら口があるようだ。
「松田義嗣さん、あなたはお亡くなくなりになりました」
やっぱりホラーだった。第六感的映画な感じか。
すると、目の前のこの人は死神ということか。
「そろそろ、ちゃんと言葉を口に出してもらえませんか? 思考を読んで会話って、一方的に話す方が虚しいのですが。それと、私は死神でもありません」
おっと、声音が少し不穏になってきた。やり過ぎたか。
「えーと、あんた、神様け?」
「はい、そうです」
神様だった。しかし、神様にもジェネレーションギャップというものがあるらしい。ネタが通じない。
「そっちですか、気になるのは」
残念な子供を見るような眼を向けてくる。
いや、眼は光でよく判らないはずだ。だから気のせいだろう。
「のっぺらぼうのようで、のっぺらぼうでない?」
「はい、違います」
「死神のようで死神でない?」
「違います」
「それは何かと訊ねたら?」
「転生の管理神です」
……ノリわりーな。ダチにゃなれねえ。
「友達でもありません」
いかん、額に青筋を立てられた。いや、見えてないから気のせいだが。
「えーと、死んだんですか?俺」
「YES」
あの世はキリスト教だったか。
「違います」
いや、今のは不可抗力だ。脊椎反射でつい考えちゃうんだよ、おじさんだから。普段は口に出さないように気を付けてるんだって。本当に。
「あー、死んで転生ということは、俺って異世界に行くの?」
「話が早くて助かります」
まさかの肯定。こっちはジョークだったんだけどな。
「正確には、それを確認するために、今お話しさせていただいています」
「確認、ですか? 何を?」
「このまま、異世界に行くか、この世界で転生するか、です」
「それって、選べるものなんですか?」
「普通は選べません。ですが、今回のケースはイレギュラーでしたので」
イレギュラー、それは特別。つまり、俺は選ばれた?
「違います」
いや、結局思考を読んでるじゃん。
「・・・」
おっと、今度は両手がグーになった。これは気のせいじゃないな。
「そもそも、俺って何で死んだんでしょう? これでも健康だったと思うんですが」
まあ、若いとは言えないが、健康診断で何か言われるほどでもない。タバコもやらない。
「あなたは殺されました」
……俺って普通に家で寝てたよな? 人から恨まれる覚えも、……ないよな?
「異世界からの干渉です」
異世界なんてあるんだね。まあ、さっきも言ってたか。
「すると、勇者召喚とかそんなやつですか?」
「まあ、そのようなものです」
おお、やっぱり俺は選ばれたのか。特別な人間だったんだな、知らなかったよ。
「ですから、選ばれたというのは違います。釣り針に引っ掛かったようなもので」
いきなり庶民的になったな、おい。
「異世界に釣り上げられたと?」
「ですので、異世界からの干渉なのです。地球上に針と糸を垂らされたと思ってください。それに引っ掛かったのがあなたです。そのせいであなたはお亡くなりになりました」
「運が悪かったと?」
「そう解釈していただいても構わないかと」
他にどう解釈しろと?
「いや、それにしたって、地球上に糸を垂らしたってほとんど海か山でしょ、人が引っ掛かる可能性なんてすごく低いのでは?」
「それはそうですが、引っ掛かるまで何度でも繰り返せばいずれは掛かります。それに垂らして終わりではなく、そのあと針を引きずることで引っ掻かる範囲も広くなりますから」
本当に釣りみたいな話になってきたな。
「で、おれは釣り上げられて死んでしまった、と?」
墜落死かな?
「釣られたのは魂だけですね。体のほうはそのまま布団の中です。原因不明の心不全、ということになるでしょう」
「まじかー。明日から職場で『あいつ健康そうにしてたけど、裏では不摂生しまくってたんだぜきっと』とか陰口言われるのかー」
「なんでそっちを気にするんですか」
「自慢だったんだよ、健康なの。長生きしたかったのに」
「まあ、事故みたいなものですから」
「いや、殺人だよね」
さっき殺されたって言ったよね。
「そんなわけで、不憫な事でもありますし、救済措置として私がここにいるわけです。ああ、やっと此処まで話せました」
いや、そんなことで、やりとげた感を出されても。
「……」
すいませんでした。
「それで、救済措置というのは? 俺、生き返ることができるんですか?」
「無理です」
デスヨネー。
「このままでは、あなたの魂は異世界へと連れて行かれます。この世の因果から外れてしまった後はこちらではどうすることもできません」
異世界は神様の縄張りが違うと?
「そんな感じですが、口にしないまでも、もう少し違う表現は無かったんですか。……とにかく、それを防ぐためには、このまま強制的に輪廻の輪へとあなたの魂を戻すという選択肢があります」
「それって、結局死ぬってことでは?」
「死にます」
うーん。
「選択って、俺がするんですよね?」
「その通りです、あなたに選択の機会を与える、それが私たちにできる限界なのです」
「どっちを選んだらどうなるか、がさっぱり判らないのですが?」
「まあ、そうでしょうね。質問があればお答えしますよ?」
さっきは忙しいみたいなことを言ってたけど、仕事に関係する質問になら答えてくれるようだ。
「普通では?」
睨まれた。ソウデスネ。
「んと、じゃあ、この世界で強制輪廻転生だと、どうなるんです?」
「通常通り、死んだ後に魂を清算し、またこの世界に生まれ変わることになります」
「それって、死に損ってことでは?」
「そういう言い方も、できないことはないかもしれません」
いや、それ以外どう言えと。
「そもそも、輪廻転生って何なわけ? 死んだら無になるのと違うの?」
「無にはなりません。現世での徳は積み重なって行きます。徳を積むことが現世での魂の修行なのです」
「でも俺、前世の記憶とか無いけど?」
「もちろんです。記憶は生まれる度にリセットされます」
それじゃ意味ねーじゃん、と思うんだけどなあ?
どうせなら魂とか修行とかがどういうシステムになってるのか詳しく教えて欲しいのだけど。
「語れること、語れぬことがございます」
本当に? 面倒くさくなってきた、とかでなく? 目を逸らすのやめてもらえませんかね?
まあとりあえず、選択肢は両方確認しておくか。
「そんで、異世界にいくとどうなると?」
「向こうでどのような扱いを受けるか、は正直判りません。向こう次第です」
「えー、そういうの怖いんですけど」
外国に拉致されるようなもんじゃん。
「ただ、干渉することは可能です。記憶を重視されるのであれば、転生するのではなくこちらで体を用意して、今の状態に近い形を保てるようにもできます」
「それって、転生ではなく転移になるってこと?」
「そう受け取ってもらって良いかと」
うーん、たったこれだけの情報で選択しろ、と?
輪廻転生で魂の修行を積み重ねる、というのにどれだけ価値があるか、実感がないんだよね。
異世界に行っちゃうと、今までの積み重ねが無駄になるってことだよね。
……あまり利用しない店のポイントカードみたいな話だな。
俺としては、自分が自分であること、がやっぱり大事だ。記憶もなにもなくなる、と言われたら、それは無になるのと一緒ではないだろうか?
なら、せめて記憶が残る方にワンチャン、というのも?
まてよ?
「干渉して体と記憶を作れるなら、もっと別のものもできませんか?」
「というと?」
「異世界特典、というか、向こうの世界で生きやすくするために便利なものがもらえないかなーと?」
どんな異世界かも判らないんだよな。魔法があったりするんだろうか?
「そうですね。魔法がある可能性は高いでしょう。でなければ今回のようなことは起きませんから」
おお、すると魔法の才能とか、そういうのを。
「それは無理です。なにしろ、こちらの世界には無いものですから」
ないのかよ。
「あの、こういう言い方もどうかと思うんですが、私はもう30歳を越えてまして、もしかしたら魔法使いの才能とかあるんじゃないかと」
「デマです」
……知りたくなかったよ、そんなこと。30歳の誕生日に知ってたけどねっ。
「では、どんなことならできるんでしょう?」
「あなたの国にはたくさん神様がいますから、それらから力を分けてもらうというのでいかがでしょう? 神の加護というやつです」
「神様ですか?」
確かに、日本には八百万の神がいるけれども、でもそれってかなりピンキリあるよね。
一番偉いのは天照大神? 強いのは須佐之男かな?
「あまり、贅沢なこと言わないでくださいね」
神様の世界も世知辛いな。
「どんな加護が欲しいのか、言ってくださればこちらで選んで差し上げますが?」
あ、そういうのアリなんだ。それは有難い。
では、何を望もう?
やっぱり魔法を使って異世界チートだろうか? 日本にそんな神様いたっけ? さっき無いって言ってたか。でも雷神とか風神とかならいるよね。
向こうの文化レベルにも因るよなぁ。定番だと中性ヨーロッパだけど、未来世界という可能性も。逆に人間がいなくてもおかしくないのか? 半分魚とか?
「先程も言いましたが、今回のイレギュラーが起きたのは何らかの魔法的な現象と思われます。先方にそれを行った知的存在がいる可能性は高いです」
ふむふむ、って、なんかこのまま異世界にいく方向に話がまとまってる気がするけど。
まあいいか。死ぬよりましと思おう。
……そうだよな。一番の希望は、死なないことなんだよな。
「えーと、輪廻転生の神様にこんなことを言うと怒られるかもしれないんですが」
「怒りませんよ。確かに、この世界でしてもらっては困りますが、向こうの世界でなら知ったことではありませんので」
ああ、はいはい。考えを読んだんですね。
「では、……不老不死でお願いします」
さて、この選択が吉と出るか、凶と出るか。




