第8話 試験
東京陸運保険機構が3人の新人従業員を迎え入れた次の日の朝であった。
その事務所に付随する仮眠室こと喫煙所に寝泊りをしている新米のナインは、本日をもって新米ではなくなり、早くも先輩という身分に置かれることになった事実を知らないで、のんきに腹を出して寝ていた。しかしながら、社長である弥生遼子が、曰く『絶対に起きる目覚まし』を設置しているため、時間が来ると心臓が止まるほどの轟音をかき鳴らして睡眠妨害を開始するのだ。
「うわぁぁぁぁ」
これによって飛び起きる。俺の目が覚めた時点ではまだ午前8時であり、『社長の悪いいたずらか』と認識をすると、今起きる理由もないので、これから新人がぞろぞろと出社してくることも露知らず、俺はそのまま二度寝を続けるようとするのであった。
「おはよーございまーす!」
すると、今度はドアが勢いよく蹴り破られるような音がすると共に、聞き覚えのない人間の非常識なほど煩い声が聞こえるのであった。俺は、一度ならず二度までも眠りを邪魔されたことからか、この朝の静寂をぶち壊す不届き者に怒りを覚え始めていた。
「あれぇ、おっかしいなぁ。誰もいないの?たしか社長は、必ず事務所に人間がいるとか言ってたんだけど。あのぉ!だ・れ・かぁ!」
それは合理的な疑いを差し挟む余地などなく間違いなく俺のことである。それにしても、本当にこいつの声は聞くたびにいらいらする。宅配便なら宅配便でもっと社会通念上相当な時間を選んできてもらいたいものだ。
「ここかな?」
こちらの方に誰かが近づいてくる気配がある。すると間もなく、強引に喫煙所と事務所を連絡するための扉が強引に開かれる。そして、やや背の高い長い茶髪の少女がこちらにひょっこり顔を出した。
「ちわぁーっす。あのぉ、こんなところで寝てると、風邪ひきますよ」
そう、この少女は昨日入社したばかりの辰巳春樹という新米職員。おそらくは、お役所的色彩の強いこの事務所始まって以来のやんちゃ娘である。
「アタシは、辰巳春樹っていいます。よろしくおねがいしまーす、せんぱい」
とりあえず、あの狭い喫煙所にこのやかましい娘と一緒に居たくはなかったので、俺は眠たい顔を引き摺って事務所に出てきては、パイプ椅子を並べた上で、彼女と向かい合って座る。
「じー」
辰巳は、死んだ魚のような目をしている俺を興味深そうにみつめていた。それに対抗して、俺もこの失礼気まわりない少女を適当に観察する。
それにしても昨日の会社説明会が、イコール最終面接試験であったとは全く予想もしなかった。しかしながら、昨日、弥生遼子に会った時、なぜその旨を知らせてくれなかったのか。答えは決まっている、単純にサプライズを狙っていたのだろう。もしくは、嫌がらせ。おかげで、睡眠に必要となる標準時間を著しく下回ってしまったのだ。
「ふわぁー、ああ、おれは、ないんね」
俺はまだ寝たりなかっただけに、失礼だとわかってはいたが、人の出会いにおいて最も重要となる自己紹介の際にあくびをもらしてしまう。そのため、音の粒が大変聞き取りにくいような発音になってしまうのだ。もっとも、この少女は正しい所作云々など理解していないであろうから問題ないであろう。ほら、現に対面する少女は、依然として舐めくさったような笑顔でいる。
「せんぱい、なにが無いんですか?ひょっとしてまだ寝ぼけてらっしゃる・・?」
「いや、そうじゃなくて、俺の名前はナイン。エヌアイエヌイー」
「えぬあいえぬいー・・」
どうやらこの少女が俺の名前を理解してくれるにはもう少し時間がかかりそうであった。辰巳は何か考えているのだろうか、ぼぅっとしている。その後、いきなりハッとしては言う。
「そっかぁ、せんぱいも偽名なんすねぇ。なんで男ってそういうの好きなんだろ。グレイもそうだし」
「俺は好きでこの名前を名乗ってるわけじゃないよ。記憶喪失で自分の名前知らないんだ」
「あ、ごめんなさーい。そうとは知らずつい」
辰巳はばつが悪そうに口をつむぐ。
「それはいいよ。ところでグレイってのも、昨日入ったやつ?」
「そですよ。喧嘩っ早そうなヤンキーっすよ。そろそろ来るんじゃないかな?」
辰巳はきょろきょろと落ち着かない様子で出入り口の方を眺めている。
すると、ちょうど、ドアが静かに、かつ、ゆっくりと開き、敷居の外でなにやらもじもじしている小さな女の子が姿を現したのであった。少しだけ開かれたドアの隙間から中を覗き込んで、内部の状況をうかがっている。どうやら入ってよいのか悪いのかわからないらしい。
「おい、早く入れよ」
また、その少女のうしろのほうから粗雑そうな男の声も聞こえた。
「う、うん」
少女は、男に促されて慌てて中に入ってくる。するとこの空間に、新たに小さな女の子と俺よりもやや年下くらいの青年が入ってきた。おそらく、この男のほうがグレイであると推定される。
「あれぇ、あんたたち一緒に来たの?グレイってまもる派だったんだー。」
「ちげぇよ、こいつとは偶々一緒になっただけで、道に迷ったのかシラネェけど、おどおどしてたから仕方なく引っ張ってきてやったんだよ」
グレイは顔を赤くし、むきになって反論する。
「あんたって、意外にやさしいとこあんじゃん」
と、辰巳はグレイを肘で小突く。だが、そんな彼女の態度は、切れやすそうな男の逆鱗に触れてしまったようで、グレイは手荷物を床に叩きつける。
「てめぇ、ぜってぇゆるさねぇ!!」
グレイは顔を真っ赤にしながら、小突いてきた辰巳を軽く突き飛ばそうとするが、辰巳はこれを難なくかわし、グレイと一定の距離をおく。しかし、グレイは距離を詰めて今一度突き飛ばそうとするも、これもひらりとかわされる。そんなわけで、これがいたちごっことなり、事務所内ではある種の鬼ごっこが始まっていた。
「は、はるきちゃん、やめようよ。グレイも」
まもると呼ばれる少女はおろおろしつつ、仲裁に入ろうとするも、アクロバティックな動きをする2人には全くついてゆけず、その場で手をこまねいていることしかできなかった。
「はぁ・・・」
いままでの事務所の雰囲気とは打って変わって、本を静かに読みふけることもかなわなくなった予感がする。はたして、変化を疎ましく思うのは年のせいであろうか。
「こら、はるき、てめぇ、一回だけなぐらせろ」
ふと、俺はドアが開かれたままの事務所の入り口の方向に人気を感じた。むしろ人気どころか凄まじい怒気を感じる。この感じはおそらく西田であろう。一瞬背筋が凍りそうになるのであった。
「おい、くぉら、貴様らぁぁぁぁ!!!!」
怒号か咆哮か、西田はけたたましい怒鳴り声を挙げた。弥生遼子というリミッターが無い時の今の西田はおそらく最強である。
そのあと、散々暴れまわっていた辰巳とグレイが西田の鉄拳制裁をくらったのは言うまでもないことだが、なぜか俺まで巻き添えを食らうのであった。
(二)
午前9時頃
東京陸運保険機構の従業員があらかた揃ったのであった。今はもう、先ほどとは打って変わり、いつもの事務所の風景へと戻っている。蓋し、騒音の原因となった新人2人とナインがたんこぶをつくって部屋の隅に静かに座っていたからである。
他方、優等生であるまもるという少女は、すっかり詩季と打ち解けて、隣同士で談笑していた。まもるという少女の年齢は明らかではないが、仮に彼女のほうが詩季より年上であっても、外観上は詩季の方が姉である。
「じゃ、とりあえず、あんたたちもみんなの名前覚えたかしら?」
弥生遼子はまもると、隅でおとなしくなっている新人ふたりにきいた。
「はい」
おそらく、このふたりは西田のことしか覚えられなかったものと思われる。恐怖と関連付けられる記憶というものは誰しもが鮮明に思い出すことのできる性質のものだからだ。
「オッケー。早速だけど、あなたたちにはそれぞれ戦闘用のロボットを貸しますので、実戦テストを実施しようと思います。覚悟はいい?」
「あ、社長」
グレイが頭にできたたんこぶを撫でながら、もう一方の手を挙げる。
「なに、グレイ?」
「俺、自分のやつ持ってるんすよ。実際、今日これに乗ってきてて・・」
「あら、そうなの」
「あ、あの、私も今日ここに来るとき、その、グレイにそれに乗せてもらったので、それ、見ました。」
まもるも、おそるおそる社長に進言し、緊張しているのか、やたらと指示語が多い供述ながらグレイの証言の信用力を高めようとした。他方、それを聞いた辰巳はやっぱりか、という顔をして笑いをこらえている。それを隣で横目に見たグレイは辰巳をにらみつけると、辰巳は口を塞いで押し黙った。
「それなら別に、そっちを使ってテストを受けてもらってかまわないわ。こっちも経費がうくし。で、それは今どこにあるの?」
「それなんすけど、勝手にガレージん中使わせてもらいましたよ」
グレイはガレージを指差していった。それに従い、弥生は傍にいた秘書にガレージを眺めることのできる窓にかかっていたカーテンを開かせる。すると、そこには彼女が見たこともないようなロボットで、どこかオーガを思わせるような黒いものが存在した。
「あんた、これどうしたのよ?」
弥生は軍事兵器に精通しているほうだと自負していたが、それでもこのロボットは今までお目にかかったことが無いだけにさすがの彼女も驚きを隠せなかった。
「おやじのところからパクッてきました」
グレイは悪びれもせず平気でいう。
(そうか、やはり)
弥生は昨日からずっと引っかかっていた黒井という名の真実を思い出したのである。即ち、黒井とはBlack Well社の代表取締役会長の苗字である。とすれば、このグレイはその御曹司であるということが容易に判明した。そうでなければ、こんなロボットを簡単に盗めるはずもない。なお、Black Well社は重工メーカーで、最近はここの戦闘用ロボットの人気が高く、急速な成長を遂げている企業である。
「あんたBW会長の息子だったのね」
BWとは、Black Well社の略称である。
「まぁ・・」
「やばくね。グレイってボンボン・・・、あでっ!」
グレイにとっておそらく、『ボンボン』とはNGワードのひとつなのだろう。グレイは横にいる辰巳の頭をグーで殴った。
「えぇまあ。で、コイツは、なんか、おやじが新しく作ったやつで、型番号はBW0013、ゲイボルグっていいます。まあ、こきつかってやってください」
弥生はBWの型番号について、たしか最新のでも12であったことを記憶していた。とすると、このゲイボルグという機体はまだ公にすらなされていない極秘中の極秘といったところか。それだけに、弥生は心が躍る。自称軍事マニアの血が騒ぐのである。弥生はBlack Wellの何が好きかというと、その機体のデザインのスマートさであった。して、今回のこのゲイボルグという機体はおそらく名作中の名作となるであろう。BWらしさを残したまま、オーガの滑らかな動きを実現すべく、人工筋肉を巧みに用いて、擬似的な鬼を人の力をもって作り出したのである。まさに科学至上主義の賜物。
弥生は早くあのロボットを間近でみたいという一心しかなく、実技テストのことなどとうにすっ飛んでしまっていた。
なので、秘書の田中が残りを引き継ぐこととした。
「えぇ、皆さん申し訳ありません。理事長は現在おとりこみ中なので私が進行役を勤めさせていただきます。」
ガレージへの窓ガラスに張り付いている弥生を横目に、秘書は紙をみなに配布した。
「これ、理事長が考えたテストなんですけど、てかこれもう、仕事ですね。つまり、『できるかぎり他のやつより多くの鬼を倒すこと』です。はい、じゃあ、みなさんガレージへ行きましょう。」
秘書は、バスツアーのガイドのように旗を掲げて、職員を誘導しようとした。
「あの、田中さん」
俺は質問があり、突然に挙手をした。
「はい、何でしょうナインさん」
「これ、新人のテストじゃなくて、俺たちもやるんですか?」
秘書は、数秒、偽りの笑顔を浮かべたまま意味不明の沈黙をする。
「・・・当然です。こんなところにいても人的資源の無駄遣いですよ。それと、わたくしのことは『あいちゃん』とおよびくださいね。ナインさん」
『あいちゃん』ことわが社の秘書は、皮肉にもまことにこやかな表情を維持したまま答えてくれた。それのために、なんとも居心地の悪い気分に襲われる。
「他に質問のある方、いらっしゃいますか?」
秘書はきょろきょろ周りを見渡し、手を挙げるものの不存在を確認すると、先んじて、事務所の入り口ドアを開いてくれた。
「ではみなさん。私についてきてください」
(三)
ガレージに着くと、そこには既に人数分のロボットに加え、グレイのゲイボルグ、さらにはナインのプロトオーガが並んでいた。
「えぇー、みなさん私の声が聞こえますかー。聞こえない方は、いま一歩前へとお進み下さい」
広いガレージで声が伝わりにくいのか、秘書はやや声を大きくして言う。
「ロボットの戦闘スタンスに関してですけど、格闘型、射撃型ならびに防御型のみっつがありますので、どれか好きな方をお使いください。もっとも、今日のテスト内容からすると防御型を選ぶ人はいないと思われますので、実質的には2択ですけど」
そういうと、秘書は横一列に並んだ同型のロボット6体を指差した。見る限りでは、右から3体が射撃型で、その横の2体が格闘型、残った一番左端の1体が防御型だとわかる。
「それでは皆さん、各自が選んだロボットに搭乗してください」
秘書が口火を切ると、みな一斉にそれぞれのロボットのもとへ歩いていった。当然、ナインはプロトオーガの下へいくと、誰かが後ろについてきた。ふと、後ろを振り向くと、そこにはグレイがいた。
「グレイか、どうした?」
「いや、朝ここに入って来た時からコイツを見ちまってさ。コイツ、あんたのだろ。いったい何なんだよ、これは?一見したところ、オーガのようにも見えるが、どうやってできてんだこいつ」
グレイはオーガの顔を見て、生唾を飲み込みながら言うのである。そして、好戦的な男の本能からであろうか、彼ですら畏れを隠しきれずにいる。
「わからない。グレイ、俺が記憶喪失だって聞いてなかったか?」
「そういやそうだったな」
「俺が目覚めた時にはもうコイツと一緒だったんだよ。だから、何にも知らない」
グレイは俺の話をちゃんと聞いたのか、息を荒くも、俺の鬼を見つめている。どうやら乗りたいのだろうか。そんなグレイをよそに、さっさと俺は自分の相棒の鍵を取り出しては搭乗口を開いて乗り込んだ。
「コイツには乗らないほうがいい。魂吸われるから。」
俺は、グレイの返事を待たずして鬼の出口を閉じると、オーガは動き出した。
その様子をじっと見つめていたグレイは、何を思ったのかは知らないが、軽く頷き、自己のゲイボルグの下へ駆けて行った。
俺はプロトオーガの目を通してガレージ内の様子を見る。今日のテストは新人の3人を含めて、俺と西田、それに詩季の計6人がいるはずである。西田は相変わらず格闘型を選んだようだ。他方、詩季は射撃か。意外に辰巳も射撃である。やつは完全に格闘でいくと思っていたのだが、少し予想がはずれた。
となると、残ったまもるも射撃であるだろうから、わが社はやや射撃が多数派となりそうである。
「こらぁー」
いや、ひとりだけ防御型を選んでしまい、『あいちゃん』こと田中にどやされている馬鹿者がいる。
「あなた!わかってるんですか!これは遊びじゃないの!守ってばかりじゃ敵は倒せないの!!」
「あの、その、ですから、私は、これが一番向いてて、その・・」
そう、この誰よりも多く敵を倒さねばならないテストにおいて、防御型を選んでしまった馬鹿者とは、まもるであった。『あいちゃん』はむきになっているのか、びっくりするぐらい目を釣り上がらせては地団駄を踏んでいる。しかしながら、それならば始めから防御型など選択できないようにすればよかったのに、と思う。相変わらず、まもるはもじもじしてしまっているのであった。
「いいじゃないのよ、別に。彼女がそれでいいって言うんだから、やらせてあげなさいな」
後ろから、弥生遼子がフォローに入った。だが、完全に頭に血が昇っている秘書はすぐにこれに反論する。
「理事長、この子はテストなんて全然やる気が無いんですよ。だって、防御型には何にも武器なんて積んでないんですから。きっと、テスト終了まで何にもしないで逃げ隠れして生き延びようとしているに決まってます」
秘書はまもるを指差しては、必死に弥生に訴えかけている。もちろん、その人差し指の先にいるまもるは怯えきっていた。それにしても武器ぐらい積んどいてやれよ。
「この子がやる気が無いなんて聞き捨てならないわね。おそらく新人3人の中で一番やる気があるのはこの子よ。説明会であなたの講義を真剣に聞いていたのもこの子だけだし・・・。これ、言いたくなかったけど」
弥生は、頭に血の昇った秘書に、いやらしい目を向けた。
「は、たしかに・・」
秘書は昨日の説明会の時、他の2人が寝てしまったためにどうしようもなくなりそうであったところ、まもるだけが真剣に自分の話に耳を傾けてくれていたことで窮地を救われたことを思い出して、反省した。
「それにあなたも何か策はあるんでしょ。失望だけはさせないでね」
弥生は、相変わらずキザにまもるの肩に手をおいて、期待のことばをかけた。そして、そのままどこかへと行ってしまった。
「は、はい!」
まもるの返事はかなり、りきんではいたが、強い意志と自信が感じられたのであった。
そんな光景を見ていた俺は、こんなんで本当にテストになるのだろうかと憂鬱が晴れなかった。