第7話 仲間
―翌日、午前10時頃―
事務所前には100人程度のリクルートスーツを着た人間が集まっていた。弥生遼子は相対的に危険度の高いこのような事務所にはあまり人は集まらないであろうとタカをくくっていたが、完全に予想が外れたようである。自分もかつては就職活動を経験したことがあるだけに、皆必死であることを今更ながらおもいだす。たとえそれが火の中、水の中であっても、彼らは真新しいビジネス用バックを片手にいずこへとも赴くのだ。
「理事長ぉ、これじゃみなさん入りきりませんよ」
弥生の秘書である小柄の女性、田中愛は、あたふたしながら頼れる主人に泣きついてきた。
「しょうがないわね、これじゃあ入りきらないし。外でやりますか」
「そんなぁ、理事長、無理ですよぉ。私、3時間分のプログラムまで考えたんですよ。それも全部プロジェクターを使って実施すること前提なんですから。ほらぁ」
頼りない秘書は、会の進行をつぶさに記載したプログラム表を弥生に提示する。おそらく、昨日、弥生が説明会の構成を考えるよう彼女に突然指示したのであろう。秘書は無理難題を押し付けられたと思いながらも、徹夜で構成をねったのだが、弥生の気まぐれでその努力も水の泡である。この秘書はいまおそらく絶対に転職してやると決意しているに違いない。
「大丈夫よ、多分ほとんどの人が3分も経たずに帰るから。そのあとは『あいちゃん』、お願いね」
「りじちょぉ」
弥生の秘書、通称『あいちゃん』は、感激のあまり手に持っていた数枚の紙をぱらぱらと地に落とし、そのうえ涙しそうになった。やはりこの人はぬかりない。一生ついて行きます、とでも考えているはずだ。
「えー、みなさん、ようこそ弊社の会社説明会にお越しいただきました」
弥生は外に出て、拡声器を用い、形式的なあいさつをする。
「ただし、はじめに申し上げておきますが、弊社は主に鬼の討伐を業務としております。つまり、傭兵派遣会社みたいなものとご理解ください」
リクルートスーツの人の群れが一気にざわついた。話が違う。ふざけるな。そういった声すら聞こえてくる。しかしながら、もっともなことである。団体名だけみると、明らかに保険業務を目的とした団体であり、しかもまず潰れることなどありえない公益社団法人である。安定志向のなまぬるい人間が安易な気持ちでここにきたに違いない。また、そのような軟弱な連中が軍事などに携わるわけがない。もっとも、いくら弥生でもそれぐらいのことは重々承知しており、説明会を開くにあたってその旨を明記したはずである。それでもこれほどの数の輩が来てしまうとは、と嘆かざるにはいられないのであった。
「ですから、弊社の意向に添えない方はお帰りいただいて結構です」
弥生遼子は右手でさよならのジェスチャーをした。すると、リクルートスーツの集団はそのような弥生の言葉を聞いたのか、いや聞かないにしても一斉に踵を返して行ってしまった。
「理事長・・みなさん帰っちゃいましたけど」
頼りない秘書が不安そうに、帰っていく団体と弥生の表情を交互にうかがいながら言う。もう秘書はすぐにでも泣き出しそうである。しかし、弥生遼子は一斉に帰っていく集団をみてもなお、口元に笑みを浮かべていたのであった。
「いいえ、ちゃんと残ってるじゃない」
そこには3人だけ残っていた。ひとりは男。就活生とは到底思えないほど、リクルートスーツを着崩しており、短い金髪の色黒な男である。もっとも、背はあまり高くないが、見るからに好戦的なタイプなようだ。
2人目は少女。これは意外にも詩季より小さな少女である。色の薄い細くて癖のある長い髪の毛を、後頭部でまとめていて、ほとんどオールバックに近いが、前髪をちょっぴり真ん中だけ垂らしている。その点でいえば、髪型に独自のセンスを反映させているようだ。しかし、いかにも文化系といった感じを滲み出しているので、戦いには不向きに思える。仮に彼女が好戦的であるにしても、身体は枝のように細くて、この子のどこにあの凶悪な鬼と戦う力があるのか全く信じられない。
3人目は、2人目に比べてもう少し大人びた少女。今度は、活発そうな少女である。年は臨時職員である桐生詩季と同じくらいか。腰まで届きそうな長い茶髪をふわふわさせている。また、女性にしては背が高く、細く伸びた長い脚が特徴であるので、スタイルのよさで言えばファッションモデルと比較しても何ら引けを取らないといえるであろう。また、黒いスカートからみえる細い足は、余分な肉が見当たらないほどにしまっており、相当に鍛え上げられていること明白である。こちらは戦闘タイプと見ても失当ではないようだ。
「えーと、あなたたち3人だけね。じゃあ、これから会社説明会を行いますので、中に入ってもらえる?」
互いの反応を見ながら、3人はばらばらに頷いた。弥生は頼りない秘書を残して先に事務所の中へと入ってしまう。
「あ、どうぞ、みなさまお入りください」
なんとなく要領を得ない秘書はあたふたしながらも残った3人の志願者を中へと案内した。
(二)
「えー、ですからですねぇ、わが社は・・・」
事務所2階の会議室では、小さな秘書が三人の前で、プロジェクターを用いて、講演会を開いていた。ここはそこまで広い室ではなく、3人掛けの長机が3×3個ならんでちょうど良いくらいである。弥生は後ろで秘書の講義を腕を組んで眺めていた。よくもまぁ、昨日一晩でここまで演説内容を考えたものだと感心せずにはいられない。なぜなら、この秘書はすでに3時間近くもひとりで話しっぱなしなのであるから。こうして見ると、彼女の講義はわが社の理念や業務内容をよく説明できており、普通の会社説明会であればそれで必要十分の申し分ないものである。しかし、いかんせん、わが社の会社説明会は普通ではない。
「くかぁー」
「すぅ、すぅ」
この3人のうち、小さい気弱な少女をのぞいて2人は爆睡している。この小さな志願者だけは先ほどからずっと、秘書の話を食い入るように聞き入っており、時たま頷いたりもしていた。もはや、秘書の公演は、このひとりの少女のためだけになされていたのであった。このことをあの秘書は気づいているのか、気づいていないのか明らかではないが、少なくとも非常に活き活きとしゃべり通していることだけは伝わった。それだけに弥生は、この秘書が不憫で仕方なかった。弥生はすでに2時間48分前くらいから、もうやめていいわよ、と言いたかったのであるが、それを言ってしまうと彼女になんだか申し訳ない気がして、もう惰性に任せてしまっている。
「というわけです。長時間もの御静聴ありがとうございましたー」
秘書はおじぎをした。ひとりの少女だけぱちぱちと手を叩いた。
「やっと終わったか・・・」
弥生は秘書に絶対に聞こえないような声でつぶやいた。この秘書はよく気が回るし、決して無能というわけではないのだが、どうにも要領が悪く、空回りが激しいのだ。
「さぁ、あなたたちもそろそろおきてちょうだい」
弥生は立ち上がって、寝ている二人をたたいて起こす。両者とも机にへばりつけていた上半身を起こすと、大きくあくびをした。男のほうはまだ目じりをこすっているが、かまわず弥生は書類を3人に配布する。
「聞いてない人もいるけど、ここの仕事は今説明したとおりよ。それでもよければ、ここに署名してください。それで、あなたたちは採用だから」
3人は驚いた。特に、寝てしまった2人はあまりに長い会社説明であったとはいえ、爆睡したことに多少後悔したはずである。にもかかわらず、本当に採用してよいのかと、逆に訊きたくなってしまったであろう。
「ほら、どっちか決めてちょうだい」
しばしの間、戸惑いを見ていた3人ではあるが、次第に妙な連帯感が形成されつつあるのか、それぞれ顔を見合わせては頷くと、ほぼ同時に書面にサインした。それを見て、弥生は少しだけ笑みをこぼした。
「はい、とりあえず内定おめでとう。これであなたたちも東京陸運保険機構の一員ね。まあ、みんなで自己紹介くらいはしておきましょうか。じゃあ、まずは君、お願い」
弥生は男の内定者を指名する。
「俺は、黒井 珀。まあ特に理由はないんだが、グレイって呼んでくれ。」
そういってグレイこと黒井は弥生を含め、他2人と握手した。このとき、弥生遼子は黒井の苗字に引っかかっていた。どこかで聞いたことがあるような気がしたのだ。
「次は、アタシいいかな?」
背の高い元気そうなほうの少女が自己を指差していう。弥生は黒井という名に思いを馳せていたけれども、彼女によって思考が中断させられた。
「どうぞ」
「え~アタシは、辰巳 春樹。よろしくお願いしまーす」
3時間近く寝ていたせいか、妙に元気の良い少女であった。この事務所にはいないタイプの人間であり、弥生は従業員の多様性が広がったことに少し嬉さを感じた。
「最後は、あなたね。小さいお嬢さん」
そして、弥生は残った小さな少女に目を向けた。この中で唯一秘書の講義にじっと耳を貸していた変わった少女である。もっとも、変わり者はここにいる連中皆そうであるのだが。
「えっと・・・、わ、私、沖 まもる、といいます。よ、よろしくお願いします」
まもるという子はもじもじしながら、いじらしく自己を紹介してくれた。本当にこの少女は戦えるのか心配であったが、あれだけ講義を聴いていた上、最終的にここまで残ってくれていたのだから、やる時はやる子であろうと直感できた。
「はい、ありがとう。私は、ここの代表理事の弥生 遼子よ。早速、明日からいろいろやってもらうけど、冗談抜きで覚悟はいいかしら?あなたたちは、いつ死んでもおかしくない仕事に携わるわけだから、生半可な覚悟で仕事してもらいたくないのよ」
内定の喜びで、若干浮き足立っていた若造どもに最後の釘をさす。3人とも、急に真剣な顔つきになった弥生の顔に少々面食らったが、決意をあらたにして言う。
「当然」
「私も大丈夫」
「は、はい。がんばります」
弥生は久しぶりに嬉しい気持ちになった。これほどに純真で真直ぐな若者が3人も自分の意向を汲んで、自分についてきてくれたのだ。もうこの国の若者にはへたれしか残ってはいないと思っていたが、まだ捨てたものではないのだ。
(三)
機構の事務所において会社説明会が開始される同刻である。
ナインと詩季は昨日の約束に従い、詩季の通う東京大学にいた。かつての東大は東京都本郷にメインキャンパスを置き、一般人もまたそのように認識していたのであるが、いかんせん現在ではその地区の危険度はBクラスであり、本郷での大学運営は事実上不可能であった。そのため、同大学はその全機能をより危険度の低い東京都駒場のキャンパスに移転させ、大学教育をなんとか継続していたのである。
ふたりは井ノ頭線の『東大駒場前』で下車し、そこから歩いて程なくして見えるキャンパスへと入っていった。キャンパス内は学生であふれかえっていて、人を避けながら進むので大変である。ナインですら大変であるならば、盲目の詩季を誘導しているきゅうすけも一苦労である。これもおそらく、本郷にいた学生たちがみなここに詰め込まれてしまったからであろう。
「ナイン君、図書館はあっちだから」
詩季はある特定の方向を指差す。目が見えないのによく正確な位置関係を把握しているものだと感心せずにはいられない。もっとも、彼女は自己の不自由さを知識の量で補っていかなければやっていけないのであろう。
「あと、これ使って」
彼女は、自己の学生証を取り出し、私に手渡してくれた。一体何に使用するのであろう。
「それがないと図書館に入れないから」
「いいのか、そんなことして」
「それは、ばれたら怒られるけどね」
なるほど、不正も発覚しなければ、結局は無いことと同じということか。
「OK、じゃあ、俺は行くけど、授業が終わったら連絡してくれ」
「うん。私、昼は多分、友達と食べるけど、ナイン君、お腹減った時のお金とかある?」
「大丈夫、そこらへんは適当にやっておくよ」
「わかった、じゃあまたね」
そういって、詩季はきゅうすけとともにキャンパスの奥へと行ってしまった。
(さて、あそこだな)
(四)
ナインは茶色い落ち葉ひしめく遊歩道を進んで、図書館内に入ると、そこにはゲートパスのようなものが設置されていた。しかし、詩季から借りた学生証を使用して、そこは難なく突破できた。カード上の権利者とカードの使用者との齟齬が著しいというのに、全く反応しないのではこのゲートパスもザルのようなものである。
図書館内は建物の外と比して、静まり返っていた。本棚などの他に、勉強机がいくつも並べられており、単純に読書をしたり、必死に筆を走らせたりしている学生もそこそこいる。
ナインは、思想・哲学などに興味があったのでそれに関わる本棚を探す。すると、今ではこのような分野もあまり人気がないのか、ずいぶんと奥のほうまで押しやられてしまっていた。ところが、奇遇にも同じような本を探している人間が近くにいた。ナインは自分とその人が同類のような気がしてやけに親近感が沸いてくるのであった。あなたも、これに興味があるのですか、などといって話しかけようと思ったが、あくまで私は部外者でありあまり目立った行動は好ましくないので断念する。また、その人は白髪まじりの頭に眼鏡をかけた中年の男で、学生ではなく教授かそれに準ずる者であることは明らかであった。であるから、あまり調子に乗ったことをして恥をかくのも避けようという心理も働いたのである。
ナインは、一冊、興味深そうな本を手に取り、その場を離れることにする。
ナインが去ったあと、その男、高橋教授は偶然にも居合わせた変わった学生がそこから離れていくのを見届け、思うのである。今時、思想・哲学を学ぶ学生など極めて珍しいものだ、と。
否、それ以上の違和感が彼の心の奥底に引っかかっていた。
(彼に覚えがある。一体誰であったか。)
そう、あれはまだ本郷のキャンパスにいた頃である。教授という職業の性質上、星の数ほどの学生を相手にせねばならないことから、いちいち個々の学生の顔と名前など、覚えることすら煩わしいのであるが、彼にはなんとなく覚えがある。
(そうだ、思想・哲学だ)
丁度、今さっきまでそこにいた彼と同じく、記憶の中に埋もれかかっている彼も珍しく思想・哲学に傾倒していたのだ。そして、わが高橋の哲学ゼミによく顔を出していた。まだケツの青い餓鬼のくせに、しょっちゅう高橋の見解を批判しては反駁され、よく頭を叩かれていたあの学生。それでも、そんな熱意ある学生だったからこそ、高橋はその学生を内心気に入っていたのだ。
(―団堂―)
そうだ、そんな名前であった気がする。滅多に聞かない名前であり、かつ偉そうな名前であったから覚えている。しかし、いまそこにいた学生が彼であるはずがない。なぜなら、彼は既に1年前に死んでいるから。
高橋も一冊の本を選び出すと、少し違和感が残りつつもその場を後にした。