第63話 死の回廊-2
私は、はっとして背けていた目をいまいちどだけ開いた。そうしてみると、本当によく見える。ひとりの男の壮絶なる戦いを。血反吐を吐き散らして、激痛を食いしばり、生命の炎が燃え尽きるそのときまで、意識をつなげているのだ。どこにもない希望をあるものと信じて。
『彼の本名は団堂曹士。君にとって、とても大事な人だよね・・・シキ?』
『曹士・・・』
私は、少年の言う名前を噛み締めるように復唱してみた。なんだか、聞いたような、聞いていないようなあいまいな感じがする。
『そう、君が彼の名前を呼んであげるんだよ』
『曹士君・・・?』
私は、訳もわからないなかで、少年に言われるがままにもう一度その名を呼んでみる。
『何か、わかったことはあるかい?』
別に、何もない・・・と思う。
『曹士・・・』
いや、改めてその名を呼んでみると、どういうわけか頭の中がやけにクリアになっていた。そんな状態で、私は改めて男の戦いを見つめていると、脳裏に幾つもの記憶が通過していくのがわかる。私は、彼を知っているのだろうか?
『曹士君・・・』
そして、男が一方的にやられている光景を見ていると、どうしても胸がチクチクしてくる。なんだろう、この気持ちは。これは焦燥なのだろうか?いてもたってもいられなくて、こうしている自分がなんとももどかしい。
『全くもう、どうしてその程度の敵にやられているの?』
『シキ・・・?』
少年が不思議そうに問いかけてくる。どうやら私は、無意識にも愚痴をこぼしてしまっていたようだ。言ってみて気づいたが、思ってもいないことをつい口走ってしまったので、我ながら少しびっくりしている。
『私は、何か大切なものを忘れている・・・』
それを皮切りに、頭の中で何かがうごめいている感じがしてきた。膨大な記憶の洪水が、頭蓋をかち割って出てきそうなほどだ。
『私は・・・彼と・・・』
私の記憶の中で、無数に再生産される彼の像。笑った顔。怒った顔。真剣な顔。悲しそうな顔。あれもこれも全て、私の中にいる彼。私が大好きだった彼。
『あ・・・・』
なぜか心が無性に熱くて、小恥ずかしくて、穴があったら入りたい気分になった。
『曹士君』
この熱い気持ちは、封じられた記憶の扉を開ける鍵だった。私の気持ちが、断片的だった無数の記憶を有機的に統合し、忘れかけたストーリーを紡ぎ出してくれた。しかし、それはとても儚く、切なくて、悲しいストーリーでもあった。
『そっか、私・・・』
私は何もかもを思い出した。なぜここにいるのか、何を迷っていたのかも全て理解したのだ。そうだ、私は・・・。
『死んでいるのね・・・』
わかったのはいいが、自分はもうすでにこの世にはいない。死人にくちなしで、私が生きている人に干渉することは絶対に叶わないのだ。
『曹士君・・・』
それなのに、残酷な映像はまだまだ続く。団堂が死ぬまで、じりじりといたぶられているだけの酷い動画だった。私にとっても、こんな映像をただただ突きつけられるのは、拷問に等しい苦行であった。
『もうやめて。これ以上苦しめないで・・・』
私は、何もできない自分が悔しくて、涙が止まらなかった。今すぐにでも、彼を助けに行きたいのに、死んでしまっているなんてありえなかった。
『お願いだから・・・曹士君をこれ以上傷つけるのはやめてよ・・・お願い』
だが、私がいくら思ったところで彼の危機的状況が好転することはない。思いは無力であり、力こそが全てなのだ。死んでしまって、初めて解った気がする。どれだけ生きているということが羨ましいことなのか。
『どうしてアナタは、私にこんなものを見せるの?嫌がらせのつもり?私はもう死んでいて、何もできないのに・・・』
『シキ、キミはまだ完全に死んだわけじゃないよ』
『?』
突如、少年は変なことを言い出した。
『もちろんキミは肉体的には死んでるけど、精神はまだこの世に存在しているからね』
『私、まだこの世にいるの?』
『あれ?気づかなかった?ここ、アニミストの中なんだよ』
『?』
アニミストの中、といわれてもさっぱりだった。こうも何もなくて広い世界なのだから、てっきりあの世かと思った。
『アニミストは、死者の魂を吸収するんだよ。実は僕もさっき死んじゃって、幸か不幸か、うっかりアニミストに捕まっちゃったってわけさ』
『曹士君、君のことを殺したんだ・・・』
少年は、何がおかしいのか、けらけら笑っているが、私は少し悲しかった。
『いや、彼は優しいからね。結局、僕を殺さなかった。僕を殺したのは、彼が今戦っているヤツさ』
『・・・』
少年を殺したのが団堂でなくてホッとしたものの、逆に今度は団堂が殺される側になるので心穏やかではない。
『私、曹士君のことを助けたいのに、何もできないの。一体、どうすればいいの?』
私は全てを思い出した。だが、それだけだ。ただ指をくわえて、彼が苦悩の末、朽ち果てていくところを見届けるだけしかできない。私は、自分の無力を呪った。
『ふふふふ、どうもこうも。君は彼を助けることができる力をすでに持っているじゃないか』
『??』
『僕がさっきキミに言ったこと、ちゃんと理解してる?ここはアニミストのネクロマンサーシステムの中枢部分で、キミは今ここにいるんだよ。ゆえにシキ、キミはアニミストを意のままに支配しているに等しい存在なんだからね』
『ネクロマンサーシステム?』
『まあその説明はこの際どうでもいいこと。君にとって重要なのは、このシステムを使い、彼を助けること。そうじゃないのかな?』
『ちょ・・・そういうのは、早く言ってよ!!』
『ごめんごめん、ちょっともったいぶったかな?』
『全くもう。それで、私はどうすればいい?』
『そんなの僕が知るわけないじゃん』
『えぇ?何よそれ』
私はこのガキに舌打ちしそうになった。
『まあまあ、そんなに怒らないでよ。とにかく、彼を助けたいと具体的に思ってみればいいんじゃないかな?そうすればきっと、アニミストも応えてくれるから』
『それ、根拠ある?』
『根拠はないけど、外法学ってそんなもんだから。頭いいのは当然として、結局はメンタルがものを言う世界なんだよ』
『そう』
私は心底納得できなかったが、他に採りうる手段もない以上、このガキに騙されたと思って頭の中で団堂を助けることにした。
(曹士君・・・)
目を閉じて集中する。わずかな情報を手がかりにして、団堂を助けるための具体的なイメージを創造する。目の見えない私は、生前からこんな風に世界を見ていたから何も難くはなかった。
『おや・・?ネクロマンサーシステムが稼動を始めた』
すぐに少年は異変に気づいた。確かに、世界にはめ込まれていた歯車が少しずつだが、ゆっくりと稼動しているのがわかる。
『本当にこんなんで大丈夫なのかな?』
『う、うん。上出来だよ』
少年は、本当に私が言われたとおりにシステムを稼動させたことに驚いているようだった。
(上出来か・・・。これは、そんなもんじゃないよ。まるでアニマの深層部分に封印されていたとてつもない力が掘り起こされている感じがする。シキ・・・キミはいったい何者なんだ。アニミストのコアとして、これほどまでに適性のある人がいるとはね)
少年は、とんでもないものを呼び覚ましてしまったことに戦慄しつつ、その場を後にする。
(団堂先生、僕が友達としてできるのはこれくらいさ。あとは、シキに任せるよ。きっと彼女ならネクロマンサーシステムを完全に解き放ってくれるはず・・。ふふふ、メインエンジンをフル稼働させたアニミストの力は、一体どれほどのものなのだろうな。サンドバックになるのが僕じゃなくて、本当によかったと心底思うよ。あとはもう僕は要らないから、アニミストのエネルギーの肥やしにでもなればいいよね。それが僕のせめてもの償いだから・・・)
押せば壊れてしまいそうなほど不安定であった少年の像は、緊張の糸が切れたように、一瞬にして粉々になり、魂の回廊へと同化していった。
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「やれやれ・・・少し遊びすぎたわね。なんだかすぐに殺すのも惜しくって、ついつい遊んじゃった♪」
俺は、まだ死ねなかった。死ぬわけにはいかなかった。俺が楽に死ぬことだけは許されないのだ。もうエネルギータンク内はすでに空っぽの状態であったが、その分は生まれもってのメンタルポイントでカバーする。
「ぐは・・・」
だが、もう限界だ。信じられないくらいに流血しているし、起死回生の手立ても思いつかない。
「ふふふふふふ、アスタロト、ファイナルバースト・・・」
最後には、目一杯の呪詛を込めた一撃で滅殺するつもりらしい。あんなものを喰らった日には、俺の魂は永久に救済されないで悪霊にでもなるのだろうか。だが、それは俺の最期としてお似合いなのかもしれない。俺のような大罪人の結末としては、万人が納得する終わり方なのかもしれない。
「さよなら。せ・ん・ぱ・い」
巨大な暗黒が飛来する。俺はもう、これ以上アニミストを動かすことができない。甘んじてその一撃を受けよう。
「これで・・終われるんだな」
直撃。圧倒的な暗黒が全身を包み、アニミストの肉が蒸発していく。そして、コクピットごと憤怒の焔が全てを焼き尽くす。俺を含め、誰もがそう信じて疑わなかっただろう。だが、実際はどうか・・・。
「どうした・・アニミスト?」
アニミストの力が振り切れんばかりに増大している。これはいったい何なのか。全く、わけがわからない。ただわかるのは、クズゴミと化していたアニミストが、盛大に立ち上がり、敵の呪詛弾を真っ向から片腕のみで受け止めていた。
「これは・・・」
『アニミスト、曹士君を助けて』
もう消え入りそうな意識の中で、俺はどこか聞き覚えある少女の声を聞いた気がした。するとそれに呼応するように、アニミストが絶叫クラスの咆哮を高らかにあげる。これによって、巨大な呪詛弾が弾け跳んでいったのだ。
「?」
それだけではない。どういうわけか、空っぽかと思われたエネルギータンクから溢れんばかりの力がみなぎってくる。いや、それはむしろ既存の限界をはるかに超えてしまっている。今まで、アニミストの力のほとんどを使いこなしていなかったようだった。
(それに、何だろう。この感じは?まるで、アイツがいるみたいな)
俺のすぐ隣で、シキが見守ってくれているような気がする。なんと言うか、ついさっきまで寂しくて仕方のなかったコクピット内が、突然に温かくなったのだ。
『そうだったな。俺が自分を見失うたびに、俺に光を当ててくれたのはいつもお前だったよな』
記憶の無い俺を俺として定義できたのも、彼女がいればこそだった。俺たちは、お互いに自分の存在を確認しあう鏡だった。
「ありがとう。もう、大丈夫だ。お前が一緒に戦ってくれるなら」
俺は、再び立ち上がった。