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第60話  Hopeful World

死者たちの魂を燃やして、桃色の光が全てを包み込む。

それは魂の輝きか、命の煌きか。それは「心」を捻出して創られた異界のエネルギーなのだ。

忌まわしいけれども、どういうわけか温かい・・・妖しき涅槃の光がこの世の何もかもを蒸発させていく。まるで洪水のような鬼神の威光は、この歪められた不浄の世界を徹底的に舐め尽くすのだ。

見た者の眼を焼き、さらにその眼から伝わって脳を焼き、ひいてはその魂までをも焼き尽くす。

この光は世界の終わり。終焉への光。溢れた光の分だけ闇もまたあとに続いてくる。その闇に放り込まれた世界には何も残らない。

罪人の魂を浄化し、その固い楔を解き放ち、怒りも、悲しみも、苦しみさえも、全ては極楽浄土の世界へと導かれん。全ては生まれ変わるために、何もかもを忘却の彼岸へと追いやって、穢れた魂を救済せんとする。

そしてやがて光は収縮する。現世への回帰を告げるのだ。救いは終わった。もう、燃やすものは何もない。全てはこの残酷な光の渦潮に溶けて同化した。よって、除去すべき邪な魂はここにはない。

戦いは、終わった。


「ノイ・・・」


団堂は閃光に潰されそうになった目をこすりながら、アーリマンの様子を窺う。まだ光に目が慣れず、視界は暗くてぱちぱちするが、閃光が走る前にあらかじめ目を閉じていた彼はかすかに敵の様子を見て取ることができた。

そこで、アーリマンの様子はというと、本体を固く防禦する堅牢な鎧、巨大な花弁はことごとく剥ぎ取られ、もぎ取られ、それはまるで脱皮したばかりの虫のように弱弱しかった。しかも、アニミストの必殺の一撃は、アーリマンの外壁に飽きたらず、中の本体までをも高圧力・高温の融解により大破させた。どうやら、完全に戦闘能力を失っているようだ。


「団堂・・・曹・・・士・・・」


だが、それでもなお、アーリマンの執行官である少年には息があった。本当にかすかな声ではあるが、確かに彼は団堂の名を残りの力を振り絞るようにして呼んだのだ。何か掴めそうで掴めないものを必死に手探りして這いずるように、そこには憎しみなのか、とてつもない執念のようなおどろおどろしい感情が横たわっていて、とても細い声なのにもかかわらず、気の遠くなるような気迫だけは痛いくらいに伝わってくる。


「こんな・・・こんな終わり方なんて嫌だ」

「ノイ、もう終わりだ。お前の負けだ」


しかし、団堂はノイが生存していることに驚きもせず、勝者としての立場から、嫌味にも似た冷酷な言葉を投げつける。もとより、団堂はあの一撃でノイを殺すつもりはなかったのだ。まだこの少年に対して言っておきたいことがあった。だから、あの一撃で跡形もなく吹き飛ばすような無粋な真似だけは避けた。

そこで団堂は、最後の情けでもかけるつもりなのか、ゆっくりとアーリマンの残骸の下へと近づいていく。アニミストが着地したときの振動だけで、アーリマンは倒壊しかけのビルのように瓦解しそうになり、いよいよ憐れであると痛感する。そんな団堂の様子をひれ伏しながら見上げているノイは、敗者に対する屈辱的な情けを受ける前に自ら口を開く。


「まさか・・・僕のアーリマンがやられるなんて・・・。一体僕は、どこで間違ったんだ。どこにも、僕が負ける要素なんてなかったのに・・。だって、僕の土俵で戦ったんだ。外法を封じた上、僕の得意な接近戦での撃ち合いだったんだ・・・。僕が絶対に勝つ筋書きだったんだ。袴田先生にも譲るつもりなんてなかった。なのに・・アニミストは・・団堂曹士は、はるかに僕の上を行っていた・・・。僕は、始めから君に勝つことなんて無理だった・・・というべきなのか?僕は、結局、君に殺される運命だったのか?団堂先生・・・僕は袴田先生の掌で踊らされていただけだったのか?」


ノイは、自分を哀れむかのように苦笑を混ぜて言う。それが、団堂にとっては悲痛に思えてならない。


「ふふふ・・・、こうなってしまったのなら、僕にはこれ以上できることなんてない。敗者は、敗者らしく死ぬだけだ・・。僕は、君に殺されなければならない・・・。当然だよね・・、だって僕は、君の大切なヒトの命を奪った・・・君の仇敵なのだから・・・」


アーリマンは、溶けてよくわからなくなった腕を、アニミストの方へと差し出して、コクピットへの止めを促した。


「結局、僕は・・・君を超えられなかった。いや、それどころか僕は、誰にもなれなかったんだ・・・。僕は、いったい、何なんだ・・・。何をしたくて、こんなところに生まれてきたんだ・・。どうして僕は、君を傷つけることなんてしたんだ・・・」


ノイは、神に懺悔するかのように訴えた。しかし、その弱く、細い声は次第にぐしゃぐしゃになっていくように聞こえた。そして彼はまるで年相応の子どものように、自分の無力さになりふり構っていられなくなり泣き出したのだ。高等執行官として、最悪のオーガであるアーリマンを駆るこの少年が、身分を全て剥ぎ取られ、ただの子どもになった瞬間だった。


「僕には・・僕のことを愛してくれる人もいない・・。僕のことを、今まさに、考えていてくれる人なんているはずもない・・。そのうえ、僕は・・僕ですらない・・・。こんなのって・・酷いよ。僕はこれ以上、生きていたくない。だってこんなに心が寒いんだ。だからせめて、一秒でも早く、君の手で僕を殺してよ・・・、団堂曹士!早く・・、早く・・僕を殺してよ!!」


孤独。力を失った彼を、今まさに追い詰めているのは、孤独という痛烈な感情だった。そんな雁字搦めのような理不尽に、ノイというただの子どもは、駄々っ子のように泣きじゃくるしかなかった。彼のあまりに小さいガラス質の心は、孤独という巨大な絶望に耐えられるほど、十分に成熟してはいないのだから。


「ノイ・・・」

「うぇぇぇぇぇん!!!」


そして、ノイは嗚咽をもらして大声で泣いた。この気持ちを誰かにわかってもらいたくて、全世界の誰かにこの泣き声が届くよう、叫ぶように泣くのだ。きっと誰でもいいから、この寂しさを埋めてほしいのだろう。

団堂自身、そんな彼の気持ちを理解できないわけではなかった。団堂もかつては記憶を失い、自分が誰であるかすらもわからないという孤独を痛いほどに味わった。だから、今のノイの気持ちはよくわかった。


「ふざけるな・・・、クソガキ・・。今さら、甘えてるんじゃねぇよ」

「団堂先生・・・」


だが、そんな泣きじゃくる少年に対して、団堂が向けた言葉は、あまりに厳しいものであった。無力な少年は、団堂の怒鳴るような声に狼狽し、泣き声を挙げることすらできないでいる。


「俺は、お前を殺すために、戦っているんじゃない。確かに、お前がいなければ、あいつは死ななかったかもしれない。だがな・・・自惚れてんじゃねぇ。あいつを殺したのは、間違いなくこの俺なんだ。お前はもともと、蚊帳の外なんだよ。だから、お前を殺して、全てが丸く収まる・・・そんなことはありえない。俺が抱えている罪は、そんな簡単なものじゃない」


そう、わかっていた。ノイが、団堂の憎しみを駆り立てていたとはいえ、結局はあの時、詩季を信じてやれなかった自分がいたことだけは確かだ。その事実だけは変えられない。そして、憎しみの赴くまま、この手で彼女を殺した。それが全てだ。ノイは、関係ない。だから、ノイを殺しても何の意味もない。

なのに、このガキは、さも自分が団堂を意のままに操って、詩季を殺したかのように話を捻じ曲げた。それが団堂にとって気に入らなかった。自分が黒幕であると自惚れて、団堂の犯した大罪すら無かったことにしようとしたのだ。贖罪の機会すらも奪われた気分だった。それがどうしても気に入らなかった。だからこそ団堂は、ノイと戦ったのだ。その腐った性根を叩きなおすために。


「それに・・、お前みたいなクソ生意気なガキは、そうそう居るものじゃない。その時点で、ノイって言うクソガキは、相当に個性的な人間だろうが。お前はお前だ。これ以上、他に何がいる?だから、俺を超える必要なんてどこにもないし、ノイはノイであればいいんだよ。何でお前は頭がいいくせに、そんな簡単なことも気づかないんだ?他人に甘える前に、自分でよく考えれば、すぐにでもわかるだろう」

「先生・・・」

「それでもここで死にたいというなら止めはしない。ここで俺がお前を殺してやる」


そういって団堂は、鋭利な剣の切っ先をノイのいる部分に向けた。


「僕は・・・」


ノイは、団堂の態度に対して怯えるでなく、自分の目の前にいる圧倒的な存在に目を奪われていた。ノイはそこに明日への希望を見出したのだろうか、泣き止んで、その後に何も言わなかった。

それをノーの意思表示だと判断した団堂は、ゆっくりと刃の先を納めて言葉を続ける。


「あとさ・・、やけに寂しがる必要もない。俺は、お前の友達なんだ。お前が困ってるのなら、いつだって助けに行ってやるし、遊びにも付き合ってやるつもりさ。もっとも、あの時のお前の言葉が嘘じゃなければの話だけれど・・・」

「そんなわけ・・・ないよ」

「なら、いつまでも泣いているんじゃない。お前のことを考えてやれる友達が、今ここにいるんだから。それに、お前は人生これからだろ?自分のことを愛してくれる人なんて、これからいくらでも見つけられるさ。それなのに死んでしまったら、何も変えられないだろ?」

「うん・・」

「なら、お前が死ぬ必要はない。このチャプター9を生き残って、残りの人生を、ノイとして、楽しく生きていけばいい」

「団堂先生・・ありがとう・・・」

「馬鹿、泣いているんじゃねぇよ」

「だってさぁ・・・、涙が止まらないんだもん・・・。僕、こんなにうれしいと思ったことなかったから・・・」

「まったく・・・。本当に、お前がこのアーリマンの執行官だったなんて驚きだよ。どうして、袴田のやつは、お前を起用したのか・・・」

「うぇぇん、ごめんね・・先生・・・」

「ほら、とりあえず立て。アーリマン、大破しちゃったけど、歩くくらいはできるだろ」

「う・・うん・・」


団堂は、少し親父の説教のような強弁をふるったため、何となく恥ずかしい気持ちになった。だから、ぶっきらぼうで投げやりに言いながら、アーリマンに対して、粗雑に手を差し伸べる。この少年とは敵として再会したけれども、今度こそは本当に、信頼できる友達となるために、温かい手を差し伸べるのだ。ノイは、根っからの邪悪ではない。子どもであるが故に、物事の是非善悪もわからぬまま、袴田によって利用されていたのだ。だから、彼にはちゃんとヒトとして向き合ってあげれば、目覚しい成長を遂げてくれるはず。もともと彼には天才的といえるほどのポテンシャルがある。こんなところでそれを無にするのはあまりにもったいないことだ。そしてゆくゆくは、立派な人になって、きっと幸せを掴んでくれる。団堂は、そう確信できた。彼は、希望で溢れているのだ。


「ノイ!」

「せんせ・・・・・」


だが、ノイが団堂のことを呼ぶ声が、最後まで発せられることは無かった。そして、団堂の差し伸べた手が、彼によって強く握り返されることも無かった。


「え・・・?」


その後、遅れて鮮血が飛び散る。放水のような激しい赤の飛沫は、たちまち八方に飛散して芸術的で残酷な光景を描きながらアニミストを酷く汚してく。

団堂は、何が何だかわけがわからないまま、最後に団堂の手を握り返そうとしたノイの腕が、ぼと・・と寂しい音を立てて、地に落ちたのを聞いた。


「ノイ・・・」


団堂は、彼の目の前に落ちた腕を見て、その先にアーリマンの身体のほぼ全てが切り抜かれるように無くなっているのに気づく。それはまるで神隠しにでもあったかのような、不思議で、突然の出来事。しかし、ただの神隠しと一線を画するのは、アーリマンがつい数秒前にいた場所が、おぞましいほどの血で染まっていることだった。生物を身体の中から爆発させたかのように、なにかが酷く飛び散っている光景がそこにはあったのだ。団堂は、突然で、あまりに残酷な出来事に、ただただ驚愕するしかない。


「ノイ・・・一体、どうして・・こんな・・・」


少年は、間違いなく生きようとしていた。絶望も悲しみも乗り越えて、彼はノイというひとりの人間として、新たな一歩を踏み出そうとしていた。彼は、この先の人生に希望を持っていた。彼の短い人生のなかで、唯一、生きることに前向きになれた瞬間であったのかもしれない。だが、それも一瞬で消えうせた脆さに愕然というひと言を飾るしかない。なんて儚いのであろう、人の希望というものは。


「ふふふふふ・・・」


打ちひしがれる団堂に対して休む間も与えられることなく、凍てつくような冷笑とともに女の声がした。それは鼓膜に突き刺さるような、冷たく、悪意に充ちた声。こんなもの、およそ人が放つ声ではない。直接脳に音を流し込み、精神を侵食するような悪魔の囁き。耳を塞ぐことは許されていない。目を背けてはいけない。そして、よりおそろしいことに、そこには人の声に潜在する情がまるで感じられない。機械が生み出す電子音の組み合わせとか、偽りでも若干の温かみのあるものであればどれほどよかっただろう。それは、機械音以上に機械的で、情が完全に殺されている。いや、情がないわけではない。その声には彼女の情が確実にある。ただし、それは壮絶な憎悪という負の情であり、それこそがかの声を絶対零度の域にまで凍らせている。


「お前は・・・辰巳・・春樹・・なのか?」


団堂は、聞き覚えのある声の方をおそるおそる振り向く。精神論的に言えば、人ならざるこんな声など聞いたことなどないが、物理的に純粋な音として捉えたこの声は、たしかに彼にも聞き覚えがあったのだ。おそろしさの反面、不思議にも懐かしさまで生まれているのだから間違えようがない。


「ふふふふ」


そして、団堂が振り向いた先にあるオーガは、彼に再び悪魔の笑みを返してくれた。しかもそれは、今まさに飛び出してきそうなほどの臨戦体勢にあり、処刑の執行を待ちきれない様子をにじませているのだ。


これこそは最高執行官アスタロト。高等執行官アスラと鬼女セアトが融合した最高執行官。基本的にはセアトをベースにしているから辰巳春樹のオーガであることは容易に判断できる。だが一方で、かつてのセアトとは似ても似つかない部分があることもまた真実。

アスタロトは、少なくとも善的ではない点においてアーリマンと同系統のオーガに属する。だがより注意深く観察すると、悪をテーマとしたアーリマンとは趣を異にする。

すなわち、そこには静かに燃える青々とした闇が、べっとりと塗りたくられ、どこかある種の気品すら感じられる。何ものにも染まることのない闇こそがまさに、その品位を極限にまで磨き上げている。

闇は、ただ一方的に全てを吸収し、自らを他に強要する傲慢であるが常。闇は、あらゆるものを飲み込んでは、それをさらに新たな闇とする。その逆はない。このオーガはそんな圧倒的な闇なのだ。しかし、飽食なる闇を本質としながらも芸術的とさえいえるほどに荘厳で、整然としたフォルムからは、秩序もまた芽生えてくるようだ。それはあたかも闇魔界の統治者。天界より追放を受け、地の国に植えつけた楽園を旧神に代わり支配する堕天使。


早速、アスタロトは音もなく、その鍵爪のような右腕を掲げる。それと同時に魂が絶叫するほどの殺意が団堂の背筋を凍らせ、とてつもなくいやな予感を感じさせるのだ。

その殺意は、とてつもなく近いのに、しかし決して行ってはならない場所から、まるで影のように団堂に纏わり憑く。


「これは・・・まずい!!」


アスタロトの殺意は実現する。彼の敵を討ち滅ぼしたいという強い意志が絶対的な力となって現世に現出する。それはまるでアニミストの周囲の空間がひっくり返るような現象だった。ちょうどその真裏にあたる別の世界が、まさにアニミストを襲ってくるのだ。この世界の一部をアニミストごと食いつぶそうとしているのだ。


「くそ・・・」


突然の出来事に不意をつかれた団堂は、直感で回避をしたものの間に合わず、左腕が持っていかれてしまった。それはまるで透明な貪獣が、その巨大なあぎとで食いちぎっていくような光景だった。あんな攻撃をアニミストの主要部分に喰らったら一巻の終わりだろう。おそらくは、先のアーリマンのようにアニミストは団堂ごと、跡形も残らず消滅するにちがいない。きっと凶暴な何かが、この修羅場に潜んでいるのだ。どこから来るかわからないから恐ろしい。だって奴はこの世界とは別の世界から突然に現れてくるのだ。常に狙撃されているという味わいたくもない嫌なスリルに曝されているよう。精神的な負荷は重く、団堂の心にのしかかる。そんな獲物をあざ笑うかのように、野獣は今か、今かと、絶対的優位な状況で爪をとぎながら団堂の隙をうかがっている。そして、団堂が隙を見せたなら、いつの間にか彼は別の世界へと連れ去られてしまうのだろう。アーリマンや引き千切られた左腕と同じところへ逝くのだ。

尤も、ノイも別の世界で元気にやっているといいのだが、そんな期待は持たないほうがいいだろう。その別の世界とは、おそらく限りなく地獄に近いにちがいない。団堂は、開く空間の狭間から覗かせた向こうの世界をとっさに見てしまったからわかる。それは彼の心を恐怖によって打ち砕くに十分すぎる光景だった。人間の発想をもってしても形容できない、えもいえぬ世界がそこにはあったのだ。あれは無数の邪神がひしめく異世界か、もしくはどことも知れぬ孤独の銀河か。いずれにしても、それは死ぬよりもはるかに辛い煉獄魔界にちがいなかった。人として新たなスタートを決意した少年ノイは、夢も希望もクズの様に踏みつけられながら、そんな世界に放り込まれていったのだ。彼が無事でいる可能性など、もはや絶望的だ。なにもかもが奪われたのだ。全て目の前のあの魔王によって。


「ノイ・・・」


あの子は変わろうとした。

生きようとした。

過ちを修正して、それを乗り越えて、幸せになろうとした。

楽しいことがたくさん待っていたはずなのに。

しかし、それは一瞬の出来事で失われた。

奪っていいはずがない。変わりたいと願う、いたいけな少年のささやかな希望は、たとえどのような理由を論証したとしても奪っていいはずがない。それが傲慢で、自己中心的な欲求を満たすための不合理なものであるのならなおさらだ。

赦すわけにはいかない。絶対に赦さない。

その行為が、かつての仲間が引き起こした惨劇であったとしても。


「貴様ぁぁぁぁぁ」


今の今まで団堂を包み込もうとしていた恐怖は、きれいさっぱり憤怒の感情によって吹き飛ばされていく。極度の興奮状態は、幸運にも団堂の恐怖を忘れさせてくれた。激情は、彼の闘争本能を奮い立たせてくれた。彼にとって決して許されざる汚行が導火線となって、明確な敵を指し示す。あれこそがまさに滅ぼされなければならない悪だ。絶対に認めてはならない。笑わせてはならない。ここで必ず消去しなければならない。


「俺は、お前を殺す」


団堂は感謝する。もし彼女が何もしないで団堂の前に現れて、突然に戦いを挑んだのなら、おそらく彼は戦いをためらったに違いなかった。

彼女と過ごした期間は決して長いものではないけれど、実にたくさんの思い出がある。共に死線を潜り抜け、同じかまどの飯を共有した仲だ。それらに想いを致せば、簡単に戦えるはずもない。しかも団堂は、同じくかつての仲間であるまもるを手にかけたばかりだ。あの時の虚しさや、悲しさを二度味わうなどしたくなかった。

しかし不思議なことに、今、団堂の頭の中にそんな気持ちは欠片も浮かんでこない。それどころか、奴をどう料理しようかという考えばかりがわいてくる。敵はかつての仲間としての絆を取り払ってくれるほどに残虐な外道であってくれたために、彼の躊躇いを消してくれた。まさに自分の中で殺人許可証がおりたのだ。彼は、自分を本気にさせてくれた彼女に感謝しているのだ。


「行くぞ、アニミスト」


それにつくづく今回の敵が戦いやすい相手でよかったと思う。アスタロトは、団堂の見た限りでもかなり強い。攻撃を躊躇うなどといった油断が入れば一瞬にしてやられかねないほどに強い。現に本気で相手を殺す気なのは向こうも同じようで、団堂を惨殺してもなおお釣りのくるほどのエネルギーを練っている。これは先ほどの攻撃と同じ感覚。死神が後ろから迫ってくるような悪寒が、彼の恐怖心をかきむしる。


「・・・・!!!」


見えない野獣が裏の世界から表の世界を次々と食い破っていく。空間には幾つもの巨大な穴が穿たれ、天変地異となるのだ。

そしてその瞬間、世界は八つ裂きにされた。


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