第59話 Identity
僕は、どこから来たのだろう?
僕が目を開けたとき、ふと頭に過ぎった最初の疑問がこれだった。
僕は、生まれたときから、この体型で、髪型もこんなんだった。
そんで、僕は、もともと外法学の知識を持っていた。
そう。それは、外なるルールを解釈・適用し、執行する能力。
僕にはそういう特別の能力があったから、袴田先生には、とても良くしてもらった。
君は、天才だ。先生はそうやって、もてはやして、僕を高等執行官というポストに置いては、大変に可愛がってくれた。
『君は、きっと、団堂曹士になれる』
先生は、決まって、そういうことを僕に言った。
そういえば、なぜだろう。僕には、もっと、もっと、小さかった時の記憶がないんだ。
単純にもの心がついていなかったから?いや、問題は、そう簡単なものじゃない。
だって、僕は外見上、中学生の子どもなんだ。少なくとも、小学校中学年の時に体験したことぐらい、覚えていてもいいはずだろう?それなのに、それ以前の記憶が全くないんだ。
僕のお父さんも、お母さんも・・・僕は知らない。
でも、たまに僕の知らない記憶が蘇ることがあるんだ。
それはデジャヴのように、突然、僕の頭の中に浮かぶあいまいな光景。
知らないんだけど、なぜか知っている。そんな矛盾を僕は、たまに経験する。
これは、本当に僕の過去なのだろうか。それとも、誰かの過去なのだろうか。
それは一体何であるのか、僕には検証する術はないけれど、確かに僕の中に生きている。
僕は、一体、誰なんだ。
もちろん、先生は、僕のことをナインと呼ぶけど・・・。それは、僕が9番目の執行官だから。
いなくなってしまった団堂先生と同じ番号。だから、本来、僕はこの名前で呼ばれるべきではない。
これは僕の本当の名前じゃないから。
これはいなくなってしまった人への喪失感を埋めるためだけに与えられた、かりそめの名前。
なら、僕は存在していないのと同じじゃないのかな?僕は、団堂曹士の代わりとして、袴田先生のために機能しさえすればいい。僕は、団堂曹士でさえあればいい。それ以上の存在になる必要もなければ、それ以上の存在になることは許されていない。
だから僕は、誰かに与えられたこの身体で、僕という存在を打ち立てたりしてはならない。僕は、団堂曹士という存在を排除してはならない。
僕は、団堂曹士でなければならないんだ。
でも、そんなことを言われて、この僕が納得するはずもない。
だって、それじゃあ僕の心の行き先は何処にもないじゃないか。
団堂曹士ではない僕自身が、この心で、確かに感じたこの気持ちまでもが嘘のはずがないのに、僕が僕であってはならないなんておかしすぎる。僕は、一人の人間として、たしかにここにいるのだから。性格も、考え方も、趣味も違う。僕の目で見る世界と、団堂曹士の目で見る世界は、絶対に違っているのに・・・。
僕は、僕だ。
だから、僕は、僕という存在をこの世界に打ち立ててやる。
団堂以上かもしれないし、団堂以下かもしれない・・・。
だけど、僕は、生きているんだ。
その答は、団堂曹士との戦いのあとに、必ずあるはず。
だから僕は、君に会いたいんだ。
本当の自分を見つけるために。
(二)
「ノイぃぃぃぃぃ!!!」
団堂は、叫び散らすような声で、僕の名前を呼ぶ。僕が決めた、僕自身の名前を。
彼だけが、僕を、僕として真直ぐに捉えてくれる。もっとも、向こうは僕を殺す気満々なのだけれど、それでも僕は、自分の名前を呼んでくれたのがちょっぴりうれしかった。
「団堂・・曹士・・・!!」
アーリマンは、アニミストの間合いに入る。アニミストは大剣に化けたニルヴァーナを持っているから、リーチがアーリマンに比べてはるかに長い。そのため、アニミストの攻撃は届くが、アーリマンの強打はとてもではないが届かないという状況にある。両者の間隔は、思った以上に長いのだ。アーリマンが触手をのばすなどして、引き寄せることもできないわけではないけれど、団堂は同じ手に引っかかることはしないだろう。しかし、あれだけの長い剣を振り回していては、小回りが効くはずもない。そこが団堂にとって致命的な隙となるはず。だから、ノイは踏み込みのタイミングを計るために、ただひたすら、アニミストが大振りをする瞬間を待つ。
「ノイ、お前は!!」
アニミストが、左手の大剣をアーリマンに突き立てつつ、右腕を大きく振りかぶる。
そして、袈裟斬り。
音もなく、アニミストの閃光のような一太刀が振り下ろされる。根本から砕かれている腕から繰り出されたとは思えないほどの重い刃は、右上から左下へと向かって、アーリマンの首を切り落としにかかる。
「いまだ」
だが、それをアーリマンは、上手に上半身を左側にねじり、太刀筋のすれすれのところを回避する。そして、アーリマンはがら空きになったアニミストの右わき腹を目がけて、その懐に飛び込みつつ、リバー・ブロウを叩き込む。
「く・・・・」
肉で拳を受け止めることで、鈍い音が響く。アーリマンの突き刺すような一撃は、コクピットに衝撃をもたらすものではないが、アニミストの右わき腹を砕き、陥没させる。まるで、内臓物を抉り出すようであり、アーリマンの細く鋭い腕がするすると侵食していくのだ。そして、ひいては身体の中を掻き回し、掻き出された肉が四散する、そんなおぞましい光景。
だが、同時にアニミストも、左に持った剣で、アーリマンの胸部を貫く。どうやら、相打ちか。
「まだまだ」
しかし、アーリマンは、胸部にニルヴァーナが貫通したとはいえ、全くひるんでいるわけではないし、自由に両腕を動かすことができる。戦闘に支障をきたすほどのダメージはない。対して、アニミストは、右腕で袈裟斬りにしたままの状態で、右に逃げたアーリマンを左腕の剣で突き刺したため、両腕はガチガチにクロスした状態となる。それゆえに追撃体勢に入るためには、数テンポ、アーリマンに遅れてしまう。しかも、アーリマンは、既に得意のインファイトに入っている。これは・・・かなりまずい。
「アニミストに、これが受けられるか?」
そして、アーリマンの細い腕の筋肉が、メリメリと音を立てて膨張を始めた瞬間、突如として一斉爆撃のような音が、この広い空間に響いた。
空間をゆらしながら、アーリマンの連打が炸裂したのだ。
アニミストのボディに右からも、左からも、強烈な強打が畳み込まれる。アーリマンが調子付くに従い、連打はさらに加速する。
アニミストの腹が吹っ飛びそうなほどの強打。たまらず団堂は、アーリマンに突き刺したままのニルヴァーナを手放して、後方へと逃げる。
「先生、甘いよ」
だが、バックステップの緊急回避など、アーリマンの踏み込みに比べれば、はるかに遅い。アーリマンの驚異的なダッシュ力のため、アニミストは直ちに追いつかれる。まるで、アーリマンは、アニミストの懐に張り付いているかのようで、全く逃げられないのだ。
「これで・・終わりだ!!」
アーリマンのフィニッシュブロウが炸裂しようとする。そのダッシュ力を乗じた上でなされる、窮極のアッパー。これが決まれば、間違いなくアニミストの首は吹っ飛ぶだろう。
「??」
だが、アーリマンの胸部に刺さっていたニルヴァーナが、突如、爆砕する。
ニルヴァーナは、アーリマンの肉を吹き飛ばしながら、すさまじい衝撃波と共に破裂したのだ。ニルヴァーナの肉とアーリマンの肉が、細かな破片となって四散する。
「くそ・・、そんなことまでできるのか」
団堂は、これを狙っていた。あえてクロスコンバットを挑むという、一見して無謀な戦術。アーリマンにインファイトを採らせ、イニシアチヴを与えることがどれほど危険であるか、団堂ほどの男であれば理解しているはず。にもかかわらず、彼があっさりとインファイトを許したのは、これを狙っていたためなのだ。しかも、ノイには、ニルヴァーナの遠隔操作はできないという先入観が働いているため、ささった剣の爆発を警戒するなどという行動は選択肢に入る余地がない。団堂は、ノイのその先入観を逆手に取り、時限式の爆発を仕組んでいたのだ。たとえ、遠隔操作ができなくとも、独立した生命体であるニルヴァーナに事前の司令を送っておけば、時限爆発も可能であろう。
「こりゃ・・一本とられたね」
ノイは、現状を確認する。アーリマンの右腕が、肩からごっそりなくなっている。ノイは、まんまと団堂の策にはまり、アーリマンの主要武器を失ってしまったのだ。これは、ノイにとって、かなり致命的だ。この拳こそ、アーリマンにとっての最大の武器。これをいったん失ってしまうと、外法封じを無効にしない限り、失った右腕を再生することもできない。
(どうする?さすがに左腕だけじゃあ、心もとないし、ひとまず蕾にもどるか・・・。しかし、戦闘能力が落ちているのは、向こうだって同じ・・)
そう、対してアニミストも、アーリマンのボディ連打をもろに受け、まともに立っていることすらできない状況にある。団堂の策が決まったとはいえ、時限装置を遅く設定しすぎたのだろう。その『あそび』の時間を利用して、アーリマンも敵に同様の致命傷を与えていたのだ。
(ならば、まだ左一本で十分戦える。蕾に戻るのは、あくまで最後の手段だ)
そして、アーリマンは、左腕だけを頼りに特攻する。その強靭な脚力で、一気に敵の懐に飛び込み、一撃必殺を叩き込む。だが、アニミストもひるむわけにはいかない。アーリマンをいったん調子づかせてしまえば、もうこれは手に負えなくなる可能性もある。だから、アーリマンが太刀の間合いに入ったかどうかも確認しないで、アニミストは大振りの横一閃をなす。
「そんな攻撃・・当たるわけないでしょ?」
全てを吹き飛ばすほどの衝撃を伴い、大きな斬撃が真空波となって飛んでいく。だがそれでも、研ぎ澄まされたノイの感覚とアーリマンの運動性をもってすれば、そんな無差別的な攻撃など、容易に回避できる。インファイトに持ち込ませないための苦肉の策であろうが、そんな狙いも定めていないような攻撃がアーリマンに当たるはずもない。もし、ラッキーヒットを狙っているのなら、憐れである。
「・・・・??」
だが、それでもアニミストは、大振りの斬撃を繰り返し、アーリマンを寄せ付けようとはしない。何度も、何度も、衝撃波が空中を舞うのだ。団堂は、一体何を考えているのであろうか。無駄だということを理解していないのか。もしかして、圧倒的な不利に遭ったため、パニック状態にでもなっているのだろうか。それほどまでに、彼は不毛な斬撃を幾度となく繰り返すのだ。確かに、あの斬撃が繰り返される限り、アニミストの懐の飛び込むのは極めて危険であり、アーリマンとのインファイトを避けることができる。だが、それは無駄な時間稼ぎにしかならない。この斬撃が止めば、アーリマンは直ちに懐に飛び込み、必殺の一撃をぶち込みにくるのだから。
(あ・・・斬撃が、途切れた!)
一瞬、周囲はとても静かになった。斬撃の嵐が止んだのだ。前方のアニミストは、大振りの格好のままで、隙だらけだ。このまま、懐に入って、この左腕を叩き込んでやる。
「終わりだ・・・先生」
アーリマンは、一気に大地を蹴って、左腕を構える。懐に入ったら、すぐにでもアニミストの息の根を止めるために。この渾身の左の一撃で、アニミストは終わる。
そして、アーリマンと僕の勝利をもって、この僕が・・・世界で唯一の僕であることの証明がなされる。
この僕が、団堂を・・・団堂曹士を超えるのだ。
団堂曹士ではない・・・この僕が、ようやく、ここに生まれるのだ。
ノイという唯一の存在を、この世界の中心に打ち立てるのだ。
何にもない僕は、今まで、ただこれだけを願って、生きてきたんだ。
絶対に・・・僕は、僕になる。
「うおぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
強風のような風切り音を引き連れながら、アーリマンによる左のスマッシュ・パンチが飛ぶ。すさまじい踏み込みの勢いに乗って飛ぶ。アニミストの頭部を目がけて、その頭部を粉々に砕くために。
(決まった・・・)
肉を抉り取り、骨を砕く音は・・・聞こえない。
当たらなかったのか・・・?
それとも、音がなる余地のないほどに恐ろしい神速の一撃だったのか。
そうだ。きっと、そうだ。アニミストが蒸発するほどの最強の一撃だ。音などなるはずがない。僕が、命をかけて繰り出した一撃は、そんな低俗な一撃なんかじゃない。完璧の一撃だ。しかも、アニミストの砕かれたボディで、これを避けることなんてできるわけがない。
だから、僕の・・・勝ちだ。先生。
「え・・・・」
そして、数コンマほど遅れて僕のまわりに衝撃が走る。
コクピットが激震する。衝撃波で、内臓がかき回されて、息をすることすらできない。右から、そして左から、再び右から・・・立て続けに左右交互に衝撃が走る。
一体・・・何が起こっている。
アニミストは、跡形もなく吹き飛んだはず。それならば、僕が攻撃を受けるなど、ありえない。アーリマンのあの一撃を避けられるはずもない。だって、タイミングも、軌道も完璧だった。なのに・・・どうして?何が、起こった?全くわからない。
ただひとつ・・・わかっているのは・・・。
僕が今、敵の猛攻を甘受しているということだけだ・・・。
「ノイぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
アニミストは、両手にニルヴァーナを持ち、相対するアーリマンは、両の腕を失い、これに八つ裂きにされていた。
なぜ、アーリマンの左腕が吹っ飛んでいるのか?なぜ、アニミストは、いつのまにニルヴァーナを両手にしているのだ?
(そうか・・・!!)
あの時の無駄にも思えた大振りは、アーリマンの封魔燐粉を吹き飛ばすためだったのだ。
ほんの少しの空間ではあるが、外法封じが効かない空間ができる。その間に、ニルヴァーナを再生させ、アーリマンが飛び込むのを誘った。あとは、ないはずのニルヴァーナで、カウンターを決めてやればいい。アーリマンの踏み込みの勢いを利用すれば、その左腕くらい吹き飛ばすのも可能だろう。
(これが・・・団堂曹士・・・)
外法学の天才。まさに、とんでもない男だ。この状況で、そんな冷静に的確な戦術を選択できるのだから、頭がおかしいというほかない。
「うわぁぁぁぁ」
完全に虚をつかれたノイに対して、感心する間もなく、追撃がスコールのように降り注ぐ。まるで疾風怒涛のごとく繰り出される、途切れ目のないほどの斬撃。これが全て、アーリマンの肉を抉り出すように切り刻んでいくのだ。
血の雨のように、大量の鮮血が噴出し、互いを汚していく。
「どうして・・・どうしてだよ!!僕の・・・僕の勝ちだったのに・・・どうしてだぁぁぁぁ!!!!」
何もできない。僕は、何もできない。
最凶最悪のオーガである、このアーリマンをもってしても、このアニミストを止めることができない。いったい、何なのだ。このオーガは?頭がおかしくなっているのか?こんなめちゃくちゃなオーガが、あってよいのか。僕は、こんなにも恐ろしい・・理不尽な存在と戦っていたのか。
自分を取り戻す?自分という存在を打ち立てる?
僕は、何を愚かなことをほざいていたのだろう。もはや、僕はそれどころではない。
死。
死だ。殺される。確実に死ぬ。
僕はもう、生きて帰ることすらできない。
怖い。怖い。怖い怖い怖い。
「死んじゃう、死んじゃうよ!!早く・・・早く、蕾に・・・」
そして、命からがら、アーリマンは大きな羽を折りたたんで、たちまち蕾へと戻っていく。しかし、その様は、ノイが自らの殻に閉じこもって行ってしまうかのようで滑稽であった。
「早く・・・再生しなきゃ・・・腕がないのに、あいつと戦えるわけがないじゃないか」
ノイは、コクピットの中央でちょこんと縮こまっては、ぶるぶると震えていた。どうやら、形勢が整うまで、篭城を決め込むらしい。だが、それはアーリマンの弱点をむざむざ曝しまくるに等しい暴挙である。
「!!!」
この空間の中で、とんでもないエネルギーの高まりが感じられる。外なる世界から、濁流のように途方もないエネルギーの総量が雪崩れ込んでくるのがわかる。
そう。外法封じが解除された今、封印されていたアニミストの力が解放されたのだ。このオーガは、ネクロマンサー・システムをフル稼働させ、光り輝くバースト状態にある。もはや、折れた腕も、砕かれたボディも完全に再生する。
「そんな・・・ふざけるな・・・」
やっとの思いで破壊したアニミストの身体が、綺麗さっぱり治っている。絶望感が、ノイを襲う。だが、そんなノイを他所に、直ちに5本のニルヴァーナが結集を始め、回転を開始する。今まで散々に、行動を制限させられていたためだろうか、その運動はいつもよりも激しかった。おそらく、とんでもないエナジー棒が出来上がるに違いない。
「やめてよ・・・やめてよぉぉぉぉ!!!」
薄いピンク色の光を放つ、巨大な円柱は、まっすぐに蕾となったアーリマンのもとへと飛んでいく。全ニルヴァーナの力を結集した窮極のエナジー棒は、その鋼鉄の花弁を何枚もまとめて蒸発させ、吹き飛ばしていく。なんとも無骨で、無粋な技であるが、飾りっけのない分、その威力はすさまじかった。これは、たとえアーリマンであっても受けきれまい。
(僕は・・・死ぬのか?)
結局、僕はいったい、何のために生まれたのか?
この戦いのあとには必ず、答がある。そう信じていた。
しかし、その答は。
世界からの拒絶だった。
僕は、団堂曹士にもなれず。ノイという人間にすらもなれず。ただ、孤独な肉の塊として、無様に死んでいくだけだった。誰も、何も、僕を、僕として、見てくれることはない。
僕は、誰なんだ?
また、ノイの頭の中には、あの疑問が浮かんでいた。
ずっと、ノイ自身の心を食いつぶそうとしている、不愉快なわだかまり。
決して晴れることのない心の闇。
しかし、そんな哀れな子どもにも、ニルヴァーナの放つ神的な薄いピンク色の光は、平等に降り注ぐ。優しい、優しい、破滅の光。それは、きっと緩やかな死を約束してくれる。そんな光に包まれながら、ノイは一筋の涙を流していた。