第53話 突入、東京大学
―アガメムノン下層ブロック倉庫内―
団堂ら数名の、沖まもると交友のあった者たちは、アガメムノン下層ブロックの一角にある小さな倉庫に集まっていた。もっとも、ここは本来の機能としては搬入された物資等を保管しておく倉庫であるものの、ふたりの遺体を安置するに適当な場所が他にないため、即席の遺体安置所として利用している。
そのため、ほのかな線香の香りが立ち込めるこの部屋において、生前、仲のよかったふたりは寄り添うようにして安眠しており、奇しくもこのような形で再会を果たしたのであった。
「まもる・・・あんたは本当に馬鹿よ・・・」
弥生遼子は彼女の遺体のすぐ横で、感情を取り払ったかのような表情で、その冷たくなったからだに思いを投げかけた。その横で団堂は、静かに目を閉じては手を合わせて、ふたりに黙祷を捧げていた。
「まもるさぁん・・・・」
死者の冥福を祈る弥生の反対側では、その秘書、田中愛が数珠を持って涙・鼻水をだらだらと垂らしていた。静寂が支配すべきこの部屋で、彼女の鼻をすする音だけがやたらとうるさい。
「本当に、まもるは、幸せだったんでしょうか」
団堂は、ふと誰かに対してつぶやいた。なんとなく、それに対しての答が欲しかったからだ。だから、ここにいる特定の誰かに対してというわけではなく、霊となってまだ彷徨いつつある彼女に対してというわけでもなかった。答えてくれるのならば、誰でもよかった。
「幸せだった・・と思うわ」
団堂の問に対して、桐生亜季が答をくれた。彼女は、団堂の隣で、彼と同じように手を合わせて、目の前で眠るまもるの安らかな表情を見つめながらそう言った。
「まもるちゃん、最後に笑っていてくれたもの」
亜季は、悲しみが併存するような笑顔を作って、団堂を見てそう付け加えてくれた。それは、無理矢理作ったような笑顔で、見ている団堂にとってはやけに痛々しいものであった。
幸せであった。そう言い聞かせるしかないのだ。亜季は、まもるが最後に笑いながら逝けるようにしたとはいえ、彼女を謀ったのだ。それが到底赦させるようなものではないことは、彼女でも重々承知していた。ガラスのように繊細な彼女の精神であれば、罪の意識が無いはずが無い。とはいえ、果たしてそれが結果的によかったかどうかは、もうすでに検証不能である以上、最後にまもるが見せてくれた笑顔を信じるしかなかった。
「大丈夫よ、亜季。あんたは、まもるを救った。それが結果よ」
ひとまず別れを告げ終えた弥生は、亜季の肩にぽん、と手を置いた。
「先輩・・・」
亜季は、その手の先にある弥生のキザな顔に目を向けてみる。自分を心の中で責めたたて今にも泣きそうな亜季から、涙があふれそうである。
「今頃、まもるのやつ、あの子と幸せな時間を送っているわよ」
いつもは腹の底の読めない生意気な後輩ではあるが、弥生は意外にもその弱い部分を見て、亜季のことがなんとなく可愛く思えてきて、つい、らしくもない優しい表情を浮かべてしまう。
「だから、あの子達の魂の安らぎを邪魔しないためにも、チャプター9を止めないとね」
弥生は、気持ちが沈んできている連中を奮い立たせるかのように、この部屋にいる全員に対してそう言った。
「そうですね、先輩・・」
亜季は、目にぽんぽんとハンカチを当てるようにして、こぼれそうな涙を吸わせていった。そして、今度は作り物ではない、本当の笑顔を浮かべる。それを見て安心した弥生は、ドアの方へと向かう。
「じゃあ、改めて最終ミッションに入るわよ。各自、お別れがすんだら持ち場にもどってちょうだい」
「あ、理事ちょぉ。私も参ります」
こういう空気が余り好きではない弥生は、一足早く、持ち場に戻っていく。すると、熱心に冥福を祈っていた秘書も、彼女に引っ張られるかのように、駆け足で自分の持ち場へと戻っていってしまうのであった。
「さて、俺も行かないとな。チャプター9の最終段階まで間が無い・・」
団堂も、弥生達にならって、退出の意思を見せることにした。
「曹士君、怪我は大丈夫なの?」
亜季は、ひとり部屋を出て行こうとする戦士の背中へと呼びかける。団堂は、先の戦いにおいて、まもるに左腕を撃たれたため負傷しているのだ。だから、彼の左腕には包帯が巻かれて、赤い色がじんわりと滲んでいた。
「アニミストに乗っている限り、多少、執行官生命維持機能が働くので、問題はありません。それに、この程度の傷で音を上げているわけにはいきませんから」
沖まもるは、自分の守りたいもののために、その命すらも賭けたのだ。そんな彼女の戦いに触発され、団堂の決意はより固いものとなっていた。
「だから、もう、行きます・・・。俺は、もうここに戻って来れないかもしれないけど、その時は、亜季さんだけでも、幸せになってください」
団堂は、全てを悟ったかのような、覚悟の笑顔を亜季に対して向けた。それはまるで、あの時、妹が亜季に対して最後の『いってきます』を告げたときの雰囲気に似ていた。もう二度と会えないと確信しなければならない強烈な不安感が、再び、亜季の心に突き刺さるのだ。
「曹士君」
亜季は、その感覚が二度目であったがために、還って来れないとわかっている者をただ逝かせるわけにはいかなかった。だから、彼女の身体は、無意識に団堂を求め、走った。
「亜季さん・・」
亜季は、強く団堂を引きとめた。ぎゅっと、彼の傷だらけの身体を抱きしめるのだ。
「お願い、約束して。絶対に、生きて還るって。貴方までいなくなってしまったら、私、もう生きていけない。だから、あの子たちを弔うために、ひとりだけ死んでしまうなんて、私、赦さないから」
「亜季さん・・」
「亜季って呼んで」
「亜季・・」
「曹士・・」
そして、亜季は団堂を無理矢理自分に振り向かせて、その乾いた唇にキスをした。団堂は、詩季の御前において、こんな真似をするのがいかに罰深い行為であるのか認識していたが、何が何だかわからなくなって、もういいや、と未必的に亜季の身体を抱きしめた。やはり、いかに死を覚悟しても、寂しいものは寂しいのだ。その寂しさに加えて、髪型まで愛する人そっくりな人がここにいるのだ。団堂にとってすれば、不可抗力であるといわざるを得ない。
「・・・」
しばらくして、ふたりの唇は離れた。
「曹士、愛しているわ」
「亜季、でも、俺は・・・」
「わかっているわ。私は所詮、あの子の代わり・・。でも、それでいいの。貴方を愛せるなら、それで・・・」
「亜季、ありがとう・・・」
団堂は、この女性が、あいつに似ているからという理由ではなく、ただ純粋に桐生亜季という女性個人が持つ、固有の健気さが愛おしくなって、強く抱きしめた。
「俺は、必ず、ここに戻ってくる」
その団堂の言葉には、つい先ほどの言葉に込められていた、生の放棄はなかった。だから、彼は必ずここに還ってくる。そう信じることができた。
「いってらっしゃい、曹士」
団堂は、亜季をひとり部屋に置いて、彼のオーガ・アニミストのところへと向かった。
(二)
団堂は、いろいろとイレギュラーはあったものの、ようやくにして敵の本拠地である東京大学の真上に到着した。
「これは・・」
ところが、以前、ここに来たときとは打って変わって、大学の様子は豹変してしまっていた。大学の中心が巨大な筒状にくり抜かれ、その空洞は地下の奥深くまで続いているのだ。そして、その奈落へと続くような穴の底からは、一筋の緑色の光が天へ向かって上っている。
「この奥に、袴田がいる」
団堂は、その穴から死者たちの手招きを感じるが、ためらうことなく、その地獄へと続く途を下っていく。穴を下れば下るほど、死者たちのうめき声は強まる一方である。さすがに、引き返したくなるという気分にまではならないものの、ここにはいたくないという気持ちにはさせる。この穴の中は、人間たちの住まう外界とは明らかに異なるのだ。瘴気が纏わりついてきて、並の人間であるならば、それだけで魂が砕かれてしまいかねない。
「あの野郎、悪趣味なことをする」
だが、これは袴田の団堂に対する、インヴィテーションのようなものである。本当の恐怖は、この先にある。アトラスはまもるが斃してくれたとはいえ、なにせまだ高等執行官が残っている。そのうえ、最後には袴田まで控えている。この程度でびびっていては、先が思いやられる。
「それにしても、これ、長いな」
団堂は、天へと伸びる緑の光を逆にたどっていくが、いつになっても到着点は見えない。いったいどれほど下っていけばいいのだろうか。いや、そもそも下へ向かっているかさえも怪しい。もう、ここは外法規則が支配する外道たちの世界なのだ。物理法則など、何の役にも立ちはしない。
団堂は、あまりに長い直線状の途をただ機械的に下っていたがために、考えることが無さ過ぎて、ふと、これまでのできごとを振り返り始めた。
そもそも団堂は、この世界を良くするために、外法学に手を出した。
人が人を支配するために必要なのは恐怖である。しかし、この時代において恐怖による統治は事実上困難であることはいうまでもない。なぜなら、このたるみきった民主過程がそのような統治を絶対に許しはしないからだ。マニフェストに恐怖政治を掲げるものなら絶対に当選は不可能であるし、仮に当選後に翻意して恐怖政治を行うにしても、事後的にその政治家は政治生命を絶たざるを得なくなる状況に置かれてしまう。
しかし、だからといってこのままたるみきった当たり障りの無い政治を続けていけば、やがてこの国は終わる。全ての人間を不幸にして、何もかもが崩れていくのだ。だが、この世界を救うための唯一の手段である恐怖に、もう人は騙されない。ならば、もう打つ手はないのだろうか。
そんなとき、人の常識を覆す、魔法のようなものが団堂のもとに舞い込んできた。それこそ、外法である。
外なる存在が生み出した、絶大なる力を持つ、窮極の法規範。これこそまさに、神が生み出したる法と言っても過言ではない。ヒトの手による法の解釈・適用を待たずして、神の目が要件を充足したと認めるだけで、直ちに外法効果が発生するのだ。これだけで団堂の手は震えた。
しかし、それだけではない。その外法典第9章の規定。それは、この世界を強制的に革新することができる機能を有する。まさに、団堂の求めた理想の力であった。これさえあれば、人々を恐怖に縛り付けておく必要も無い。その他、あるかどうかもわからない有効な手段に訴えかける必要も無い。ただチャプター9の規定に従っていれば、世界は団堂の理想の世界へと一瞬にして変わっていくのだ。そして、この世界の閉塞状態を打ち破るためには、もうこれしかなかった。
だが、チャプター9起動のためには50億メンタルポイントという膨大なコストが必要であった。
そこで、仲間であった袴田馨は、未来の無限大なる国民の幸せのために、現在の国民およそ1億人を犠牲にすることを思いついたのだ。いずれにしても、チャプター9が成功すれば、世界構造の塗り替えのために全員が死滅する。建物を建て替えるためには、もとの建物を全壊させなければならないのと同じだ。ただ、チャプター9の場合は、建物の建て替えとは異なり、中の住人が避難するという方法を採ることができない。それならば、コストを集めるために、人間を生贄にするしかないと、計画を実行することにしたのだ。なにせ、未来永劫、無量大数の日本国民の幸せという反対利益が待っているのだから。失われる犠牲に対して、何億倍もの人間の幸福が得られるのならば、それもやむをえないと、団堂は本気で信じていた。
そして、団堂は、外法生命体オーガを生み出した。殺した人間をメンタルスフィアへと換えて、オーガとして蘇らせるのだ。オーガたちは、外法典第6章の規定により、無数に創ることができる。そのコストとなるメンタルスフィアがある限り。これによって、団堂は、オーガを創って、創って、創りまくったのだ。そして、世界に放って、ヒトを殺し、さらなるオーガへのコストへと換える。それを繰り返して、効率よくチャプター9のコストを集めたのだ。
しかし、団堂は、途中でチャプター9に疑惑を抱くようになっていた。本当に、こんなことをして、人々が幸せになれるのだろうかと。1億もの人間の不幸の上に築いた幸せに、いったいどれほどの価値があるのかと。
団堂がそう考えたのが最後、自分たちのしていることがただの虐殺に思えて仕方がなくなっていた。オーガに逃げまとう人々の叫びを聞いて、母を求め泣き喚く子どもを目の当たりにして、そこに幸せなんて欠片も無いことに気づいたのだ。そして、それは同時に団堂を戦慄させた。怖かった。自分は、とんでもないことをしたのだ。こんなこと、世界の滅亡を助長させるだけじゃないか。そう考えた団堂は、罪の意識に苛まれ、苦しみ始めたのだ。
そのあと、団堂がしたことといえば、袴田の下を去るだけであった。袴田をはじめとした、彼の賛同者らは、もう完全に狂っていた。外法の力にとりつかれて、ただ世界を滅亡させるだけに存在していたのだ。
いうなれば、外法典とは餌である。この世界を外なる世界へとつなぐための餌だ。外なる存在たちは、この世界という大きな獲物を得るために、外法典という小さな餌をこの世界の人間に与えた。これは、仕組まれた罠なのだ。袴田は、罠にかかった憐れな魚で、この世界という大きな獲物を邪悪なる存在に引っ張ってあげているのだ。所詮、団堂は邪悪な神々の手の平の上で踊らされていたに過ぎない。
「ん・・出口か」
ふと、ある程度進んだところに、たどってきた緑色の光の光源が見つかった。そこだけやたらと、強い光を放っていたのだ。団堂は、思い切って、その光の中へと飛び込んでいった。
(三)
アニミストが光の中へ飛び込むと、すぐに目の前には広大な空間が広がっていた。そこは、なんとなくドーム状であることがわかるものの、縁部分が何処にあるかさえもわからないほど広大な空間である。なぜ、こんな地下にこれほどの空間が埋まっているのか、見当もつかない。もっとも、すでに外法規則の支配する世界であるところ、常識で考えるのは無意味であるが。
「ん?なにかくる」
ふと、アニミストは殺気を捉えたようだ。位置は背後。
団堂は、絶妙なタイミングを捉えて、後方の一撃を回避する。
すると、巨大なバスタード・ソードが彼の目に留まった。
『よく避けたな、ナイン。いや、団堂曹士』
「ゲイボルグ・ディアボリカ・・・。グレイなのか」
そして、団堂の目の前には、大きな黒い翼をはためかせて巨大なバスタード・ソードを携えた漆黒の堕天使が舞い降りたのであった。その分不相応にでかい大剣を持つオーガなど、団堂はひとつしか思いつかなかった。
『そうだ、俺はグレイ。このときをずっと待っていたぜ、団堂。そして、お前のオーガ、アニミスト』
「グレイ、なぜお前がここにいる。そして、なぜアニミストを知っている?」
グレイは、ここでチャプター9が行われることを知ることができないはずである。また、アニミストを見たこともないだろうし、名前など知る由もないはずである。団堂は、それが何となく引っかかっていた。
『私だよ、団堂』
突然、グレイの声とは全く性質の異なる、冷徹な声がこの広大な空間を木霊した。それと同時に、あまりにも長い尾とともに、すさまじい力を放つオーガがここに現出する。
「高等執行官アーミタイル。サードか」
『覚えていただき光栄です。団堂』
アーミタイルが現れたのだ。その長い尾は、この広い空間にもかかわらず、しっかり収まっているのだろうかと思わせるほどである。
『そうだ。サードの旦那だよ。あんたのことは、サードの旦那からいろいろと教わったぜ、団堂。それと、お前のアニミストのこともな』
グレイは、自信満々にそう言って、大剣の先をアニミストへと向けた。
「教わった・・?」
だが、団堂を戦慄させたのはこのふたりが組んだことであった。意味がわからない。なぜ、グレイはこの冷血漢と組んで、自分と相対する必要があるのだ。
「サード、お前、袴田にこのことは言っているのか?」
『言ってはいないさ。だが、袴田はこの俺が殺すから、関係ないがね』
「そうか、なるほどな・・」
それを聞いて、団堂はこの男が企んでいることをなんとなく読んだ。もとより、野心家のサードである。王座を奪うタイミングをいつかいつかと狙っていたに違いない。そして、運よく出会ったのがグレイというわけである。グレイを利用して、自分を殺し、アニミストの力をもって、袴田を殺すというのが、この男の筋書きである。
「フハハハハハ」
『何がおかしい』
団堂は、なんとなくおかしくて、噴出してしまう。それを怪しく思ったサードは、いらついて訊いてきた。
「残念だが、お前に袴田は斃せない。お前は、あいつの側近でありながら、そんなことにも気づかないのか?愚かだよ。愚か過ぎて笑えてくる」
『団堂、貴様ぁぁぁ』
アーミタイルは、中のサードの怒りに対応して、そのメンタルスフィアを強く輝かせた。だが、そんなアーミタイルをグレイのゲイボルグが制止する。
「旦那、ここは俺がやる。旦那にはわりぃが、手ぇ出すな。俺は、タイマンで、団堂とやり合いてぇんだ」
『ふん、なら好きにしろ。俺は、高みの見物といく』
サードは、再び冷静になると、グレイの提案を承諾し、アーミタイルをふたりの戦場から離した。だが、あいかわらずその尾だけは、ふたりの周辺を取り巻いて、土俵を構成してくれる。
「そういうことだ、覚悟はいいな。団堂」
そして、ゲイボルグはアニミストへ刃を向けるのだ。
「グレイ、俺はお前と戦う理由なんてない。刃をおさめろ」
「冗談じゃねぇよ。俺は、お前と純粋に戦いがしたい。それだけだ。死にたくなかったら、本気でこい、団堂曹士」
ゲイボルグ・Dは、虚物化して、消える。
「上か」
死角からの一撃。闇よりの強襲。ゲイボルグの動きは速い。
「うおらぁぁぁぁ」
アニミストも、それに対応するためにニルヴァーナを大剣に換えて、相手のバスタード・ソードに叩きつける。すると、釣鐘を思い切り叩いたような巨大な轟音が、このただっ広い空間全体を振るわせた。それはまるで、戦闘開始のゴングのようである。
「ノリのわりぃこと言ってんじゃねぇよ。この戦い、存分に楽しもうぜ。団堂よぉ。ひゃはははははは」
「グレイ、やるしかないのか」
団堂は、相対するゲイボルグを見つめて、改めてニルヴァーナを構えた。
第2~4話の内容を多少改変いたしましたので、ここに通知します。