第50話 憎悪の焔に焼かれて
地獄。そう、ここは地獄か。
森羅万象あらゆる物を焼失させかねないほどの憎悪の焔が、世界全体を包んでいる。
これ以上ここにいたくない。彼女の心をこれ以上見ていると、この身を焼き尽くされそうになるから。
これはもはや留まるところを知らない山火事のように、辺りに存在するいかなるものをも巻き込んで、世界全体を焼き尽くそうとするのだ。
現に彼女はそのつもりらしい。世界の全てを、この憎悪の焔で包み込むまで、彼女はその心の憎しみを最後まで燃やしつくすのだろう。
沖まもる。かつての仲間である彼女の心にともった憎しみの業火は、団堂が以前に抱いたそれの比ではない。消せども消せども、消えない焔となって、彼女の一握りの願いを実現しようとする。それはまるでゾンビのように、ひとつの野望をかなえるためだけに、何度でもよみがえる。
全ては、団堂曹士。この男を殺害するため。
この男が、自分の一番大切な人にしたことを、この男に100万倍にして返す。ただそれだけだ。
アイアンメイデンは、虚物化により、瞬時にアニミストの目の前に顕現する。
一瞬にして絶望的な圧迫感が団堂を襲うと共に、突然に巨大な質量が出現したため、突風が発生する。そして、瞬く間も与えずに、その鋼鉄の豪腕でアニミストを粉砕する。
「くそ・・・」
とんでもない力が、アニミストを通して伝わってくる。なんとかガードをしても、質量差で圧倒的に劣るアニミストは後方へと吹っ飛ばされる。
「いける。いけるよ、アイアンメイデン。貴女なら、団堂を斃せる。八つ裂きにできる」
まもるは、その腕から繰り出された強烈な一撃に酔いしれる。
「やめろ、まもる。俺たちには、戦う理由なんてないはずだ」
団堂は、なんとか体勢を持ち直して、アイアンメイデンへと向かう。
「うっせぇんだよ。お前にはなくても、私にはあるんだ。ただひとりの、大切な親友を殺された、この私には!!」
「そんなこと、あいつをこの手にかけた俺自身、一番よく理解しているさ!」
そう、あの優しいまもるを、こんな鬼に仕立て上げたのは自分のせいだ。この自分の手で、絶望的な量の憎しみを彼女に与えてしまった。彼女は、悪くない。すべて、この団堂が招いた悪夢。
「本当に悪いと思っているなら、大人しく、私に切り刻まれちまえよ。馬鹿」
まもるは、団堂を軽蔑するような口調でぶちまけた。そのたびに、自分の罪の重さが心に重くのしかかってくる。それでも、団堂は、前方の巨大な憎しみの塊、アイアンメイデンを直視する。
「悪いな、それはできない。そんなことをすれば、あいつが何のために死んだのか分からなくなるからな」
「はあ?何言ってんの、お前」
「あいつは、言ったんだよ。この世界を守れってな。だから、俺はあいつから託された願いを叶えるために、今ここにいる」
団堂は、その罪を背負うことに決めたのだ。そして、彼女を止めるのも自分の役目だ。
彼女の魂を、憎しみから救わなければならない。そして、この命に代えても教えるのだ。お前は、間違っていると。あいつは、こんなこと絶対に望んでいないと。
「あーはっはっはっはっはっはっは。しーちゃんを殺した、てめぇが言う台詞か、それ?笑わせんのも大概にしろ、カス。それは、お前がお前の生存根拠を勝手に正当化しただけだ。しーちゃんが、お前みたいなクズに期待してるわけないだろ」
まもるは、腹を抱えながら笑ってそう言った。
「あいつは、そういう奴なんだよ、まもる。それとも、もう忘れたのか?桐生詩季が、どういう奴だったのかを」
「うるさい!しーちゃんが私の中で言ってるんだ。お前を殺せ。お前を殺せって。だから、私は、お前を殺すんだぁぁ!!」
「馬鹿野郎!お前は、あの時の俺と同じなんだ。お前は、あの時の俺のことを見ていたのだろう。なら、なぜそれに気づかない。そんなことをしても、本当に大切なものを失うだけだと、なぜ気づかない」
「だまれ!私の本当に大切なものは、お前がすべて奪っていったんだ。だから、私が失うものなんて、何もない!」
「ちがう、あいつは今もなお、ここにいる!俺のこの心の中で生き続けている。お前は、俺を殺すことで、あいつのこの想いまで殺そうとしているんだぞ」
「ふざけんな!しーちゃんを盾に、命乞いなんてしてんじゃねぇぞ、ハゲ。なら、てめぇの腹を引きちぎって、てめぇの中に捕まっているしーちゃんを、アタシが助けるだけだ!!」
「これ以上、あいつを苦しめるな、まもる!お前は結局、自分の憎しみを俺にぶつけたいだけだ。あいつに全て、押し付けるんじゃない」
「ちがう、私はどうなったっていい。ここで死んだっていい。全部、しーちゃんの・・しーちゃんの、ためなんだからぁぁぁ!!!」
アイアンメイデンの胸に光る、強大な蒼き焔が爆発する。
すると、その全装甲が一斉にパージし、割れたクリスタル片のようになって、きらきらとアイアンメイデンの周囲を舞う。それらは直ちに胸部に集中していくと、アイアンメイデンの全身を巨大な砲台とするのだ。
「アイアンメイデン、ファイナル・バースト・モード・・・」
ファイナル・バースト・モード。それによって、アイアンメイデンはもはや巨大なエネルギーランチャーそのものとなる。そして、その強大な銃口の奥底から今にも爆発しそうなほどの外法エネルギーの発生が感じられる。彼女の憎しみを全てを解き放ち、破壊のためのエネルギーヘと転化した、気の遠くなるほどの量のエネルギーである。
『曹士!あれはまずいわ。絶対に避けて!!』
弥生の声が聞こえる。彼女が珍しく緊張に声が裏返っていることからも、アイアンメイデンから放たれようとしている砲撃の威力はとんでもないものであることがわかる。
だが。
「アニミストが、あれを抑えなければ、アガメムノンが墜ちます。だから、社長はなるべく離れて!」
『馬鹿、曹士!!』
弥生の言いたいことはよく分かっていた。何があっても、このアニミストを失うことだけは許されない。それが、弥生の命とトレード・オフの関係にあったとしても。
しかし、団堂はそんなことができる人間ではなかった。だから、あえてアイアンメイデンの攻撃を受けることにした。まもるの叫びを、その身をもって、直に受け止めてやる。
「黒き焔に焼かれて死ね。ブラック・マリア、発射」
まもるが、死の引き金を引こうとした、その時である。
『まもるちゃん、やめて!!』
その声を聞いたまもるは、全ての攻撃を中断する。
「鬼女アリス・・。しーちゃん?」
まもるは、自分の親友と非常に良く似た雰囲気を感じた。
そう、アイアンメイデンの砲台の前に、亜季の乗る鬼女アリスが立ちはだかったのだ。そのため、まもるはその全行動をいったん停止する。そして、爆発寸前であったブラック・マリアは、急激に引っ込んでしまう。
「まもるちゃん、もうやめよう?もう、こんなことをしても誰も喜ばないわ。だから、もう、みんなのところへ帰ろう?」
「しーちゃん・・・」
そして、アイアンメイデンの砲台が、次第に下降していってしまう。
「わかってくれたのね?まもるちゃん」
「うん・・・わかった・・・」
そして、アイアンメイデンのファイナル・バースト・モードは解かれ、通常形態へと移行する。まもるは、もとに戻ったのだろうかと思われた。
「・・・・アンタが偽者だってことがねぇぇ」
一瞬にして、この世界にまもるの殺気が満ち溢れると、アイアンメイデンは虚物化する。
まもるは、元に戻ってなどいないのだ。それどころか、彼女を騙すようなことをしたのが裏目に出て、まもるの怒りはより露骨に出てしまう。
「亜季さん!!」
それをすぐに察知した団堂は、直ちにアリスのフォローへと向かう。
「しーちゃんは死んだ。ばらばらになったしーちゃんを、この目で見たんだ。だから、しーちゃんが生きてるはずがない。だから、お前は偽者なんだァァァ」
アリスの目の前に巨大なアイアンメイデンが現出する。小さなアリスを一蹴してしまいかねないほどの気迫と衝撃が走る。
そして、アイアンメイデンはためらいもせず、アリスをその腕で粉砕しようとする。
「しーちゃんを騙った罪、死んで償えぇぇぇぇ」
「まもる、その人を傷つけるなぁぁぁぁ!!!」
間一髪のところで、アニミストがアリスの盾になる。が、とっさのことだったので防禦が全然十分ではなく、アニミストはもろにアイアンメイデンの一撃を受けてしまう。
「うわぁぁぁぁ」
「団堂君!!」
非常に強力な打撃が全身を駆け巡る。アニミストですら、その全身を砕かれかねない破壊力を有しており、現にアニミストの右腕部分は粉末へと化してしまう。
「邪魔すんじゃねぇよ、団堂」
「お前の相手は・・・俺だ。まもる」
まもるは、なにやら悔しくてたまらないらしく、歯軋りをする。
「気に入らない・・・気に入らない。どうして、しーちゃんを最後まで守ってあげなかったお前が、何でそいつだけ、命を賭けて守るんだよ。しーちゃんの偽者を。しーちゃんを、守るって言ったお前が!!」
「この人は、あいつにとって一番大切な家族だからだ。そして、この人を守ることが、あいつから託された俺の役目だからだ」
団堂は容赦をしなかった。ニルヴァーナの力を解放し、アイアンメイデンを3本の槍によって槍殺するのだ。数々のオーガをその手にかけてきた、アニミストの主要兵器がアイアンメイデンに向かうのだ。
「そんなものが、アイアンメイデンの鎧を貫けると思うか?」
まもるの言うとおり、アイアンメイデンへと向かっていくニルヴァーナの進行方向にはそれぞれ、彼女が張っていた気の遠くなるほどに重ねがけされたバリヤがある。さすがのニルヴァーナによる突撃攻撃であっても、それを突破する前に攻撃力がゼロにまで減殺させられてしまうのであった。
「ニルヴァーナの攻撃力を全て奪ったというのか?いったい、何枚のバリヤを張っている?」
「ククククク・・・」
まもるの切れが悪い笑いが聞こえてくる。
「物理・外法それぞれの減殺バリヤ合計して、およそ6千枚よ。本当のところ、これだけで十分か不安だったけど、もう証明されたわね。お前の力では、このアイアンメイデンに傷ひとつ負わすことなどできないってね」
6千枚ものバリヤ。それは想像を絶する鉄壁である。団堂ですら、バリヤを100枚ほど張るのがやっとである。もっとも、非常に狭い面積であればもっと増やすことが可能であるが、それはよほど防禦能力に自信がないと全くの無意味である。
だが、防禦に関しては誰よりも秀でた能力を持つ彼女なら、あれだけの媒介を上手く利用することで、もっとも効率的に最大の防御力を生み出すことも不可能でない。
「あーっはっはっはっはっはっは。お前の負けだ、団堂」
「まもる・・・」
しかし、6千枚ものシールドである。それを瞬間的にでも生み出すのは生易しいものではない。これをやるには余りに分が悪いのだ。
そんな無茶なこと、この戦闘中ずっとしていれば、心が無くなってしまうほどの精神力を消耗してしまうのだ。それはもう、回復困難なほどの損害である。だから、この時点において団堂はこの勝負の帰趨をわかっていた。
(まもる、お前の負けだ)
そんな防禦をしていたら、アニミストを倒す前に彼女が消えてなくなるだろう。
それほどまでに、彼女はこの戦いに全てを賭している。そして、この戦いの行き着く先は、彼女にとって勝っても地獄であり、負けても地獄なのだ。
「まもる、もうやめてくれ。これ以上は無意味だ。お前のそのオーガでは、アニミストには勝てない。そんな無理な防禦をいつまでも維持できるはずがないだろう」
「なめんじゃねぇよ。お前なんかに心配されるぐらいなら、ここで死んだほうがマシだ。馬鹿」
「お前は、自分の力の限界がわかっていない。仮にお前が俺を倒したとしても、ここで使った全てのツケが遡及してお前を襲う。そのとき、お前は自分自身を死よりも辛い苦痛に貶めることになるんだ。それでもいいのか?」
「はぁ?愚問だね。私は、お前を殺しさえできれば何だってする。それが死より辛かろうが、甘んじて受けるさ」
「お前は、何も分かっていない・・・。外法の恐ろしさを・・・」
団堂は、悲しい目をした。
「こうして、敵として相対しているが、俺はお前を守りたい。お前が俺を殺してくれるのなら、喜んでお前に殺されたい。お前がそれで、生き続けてくれるのなら」
「なんだよそれ?お前の言っていること、意味がわからないよ」
「お前があいつのことを親友と思っていた以上に、あいつにとって、お前は親友と呼べる大切な人だからだ」
団堂がそういうと、アイアンメイデンは少し落ち着いた気がした。それを認識しつつ、団堂は言葉を続けて、彼女にひたすら訴えかける。この戦いの無意味さを。
「そして、あいつはよく言っていた。世界で一番優しい心を持っている人だと。だから、自分にとって自慢の親友だと。そんな大切な人を、こんなところで無駄に消してしまうわけにはいかないんだ」
「うるさいうるさい!団堂、お前は少し黙れ」
だが、彼女は団堂の話など聞く耳持たないようだ。無駄話を打ち切るように、アイアンメイデンは、改めてファイナル・バースト・モードへと移行する。
(しーちゃん・・・ごめんね。本当は分かっているの。しーちゃんがどうしたいのかなんて。だから、これは私のわがままなのかもしれないね)
「まもる、もうやめろ」
団堂は、急いで妨害行動に出る。だが、巨大なエネルギーランチャーと化したアイアンメイデンは、その巨体の全部をどろんと虚物化させてしまう。
(でも、悔しいじゃない。しーちゃんにとっての一番が、この私じゃないなんて)
アイアンメイデンは、アガメムノンへ銃身を向けて、さらにその上空に出現する。
(たしかに、最初はしーちゃんのうれしそうにのろけた顔を見るのが好きだった。でも、だんだん私が置いていかれてしまう気がして、苦しかったんだ。だから、この男のことが妬ましかった)
「ばかやろぉぉぉぉ!!!」
団堂は、アイアンメイデンとアガメムノンの間に割って入った。
(だから、私の最初で最後のわがままなの。いいよね。この男を殺しても)
まもるは団堂の思考パターンを読んでいる。少なくとも今の団堂は、アガメムノンを守るための行動を99パーセント採る。そうすれば、自分に対して防禦がおろそかになるので、簡単にこれを撃破できる。全ては、原因・結果、原因・結果・・・の連鎖によって決定付けられた、因果連鎖のなれの果てである。だから、このフローチャートに従っていけば、結論としてはこれで、団堂は死ぬ。このブラック・マリアによって。
「消えろよ。団堂!!お前さえいなければ!!」
そして、黒い大きな泡が一瞬にして、細胞分裂するように増殖していく。瞬く間に、アイアンメイデンとアニミストを結ぶ橋となるのだ。
『曹士くん!!!』
暗黒の憎悪は、なんでもかんでも無へと還していく。希望を絶望に変え、喜びを苦悩へと変えるのだ。憎しみが、団堂の心を陵辱する。
(まもる・・・これがお前の憎しみなのか・・・きっと、辛かったんだろう)
団堂は、暗黒の聖母につつまれながらも、そこから直にまもるの気持ちを感じていた。ただもじもじしていただけのように思われた彼女であったが、実に複雑な心境の少女であったのだ。
(アニミスト・・・頼む。耐えろ。あいつを助けるんだ。ここで、くたばるわけにはいかないんだ。だから頼む、耐えてくれ)
跡形もなく消されてしまいそうなアニミストを、なんとかつなぎとめる。ぼろぼろになっていく、この肉がなくなったとしても、この魂だけは奪われない。
(力を・・・力を貸してくれ。詩季・・)
そして、長いことアニミストを包んでいた黒い泡はシャボン玉がはじけていくかのように消えていった。アニミストごと、消えていったのだ。
『曹士―!!』