第46話 形だけの同盟
―北海道札幌市―
季節はもう冬の本番となり、この北海道の風景はすっかり極寒の豪雪地帯らしいものとなってしまっている。ふわふわとした白い雪が、砕かれたままとなっている建物の瓦礫に次々と降り注ぐ。ただでさえコンクリート片ばかりで敷き詰めたような大地の上に、さらに満遍なく大量の雪石が覆いかぶさっているので、札幌の大地はまさに白銀の墓標へと変貌させられてしまっているのだ。
そんな豪雪荒れ狂う白い世界を、無数のオーガが練り歩く。この者たちは寒さを感じないのであろうか、一糸纏わず、ふっくらした雪の大地に大きな足跡を残しながらゆっくりと歩いているのだ。
そう、ここは北海道札幌転送ポイントである。人々の魂を送信するユグドラシルがひとつ置かれるオーガたちの拠点なのだ。外は氷点下の大冷界であるため、ユグドラシルはあたたかな外殻の中に閉じこもり、その中で自分の仕事をせっせとこなしていた。
―だがしかし―
突如、せっせと稼動していたユグドラシルが木っ端微塵に爆破される。周辺の雪を吹き飛ばし、あるいは蒸発させ、ユグドラシルのあった部分だけ大地がはげてしまっているのだ。
「ご苦労だった。グレイ・・」
爆破地点では、消えてしまったユグドラシルの代わりに、ゲイボルグ・ディアボリカが現れる。黒き不真正オーガ、ゲイボルグは白銀の銀世界において、その黒き翼をはためかせ、巨大なバスタード・ソードを携えていたのだ。
「こいつぁすげぇや。サードの旦那。俺のゲイボルグがここまで強くなったのはアンタのおかげだぜ」
「礼には及ばん。お前と私は、今や盟友となったのだ。その盟友に対して、わが力を分かち与えることは至極当然だろう」
すると、爆心地の上空から蛇のように長い尾を持ち、上半身に悪魔の身体を持つ邪悪なオーガ、高等執行官アーミタイルが現れた。地球を一周してしまいそうなほどに長いその尾は、永遠の生命力を感じさせる。それゆえ、このアーミタイルの力の源とは永遠なのであろう。
「でも、本当に驚いたぜ。敵の中にも叛逆者がいたなんてな。首謀者は、袴田とかいったっけ。そいつ、今頃はびびってるぜ」
グレイがそういうと、サードは鼻で笑う。
「ふん。袴田は、私以上にいかれた男だ。私の裏切りもまた、ひとつのデモンストレーションとして楽しんでいるのだろう。それに、やつのアムネシアは、その実態を知れんからな。相当に手ごわい男であることだけは確かだ」
「へぇ。変な奴だな。まあ、どんな奴だろうと、俺と旦那が組めば敵じゃねぇさ」
「そうだったな、グレイよ。この世界を奴の手から救うためには、どうしてもお前の協力が必要なのだ。頼むぞ、義弟よ」
サードは、街頭演説でもするかのように、拳を前に突き出して熱のこもった声で訴えかけた。
「わかってるさ、旦那。俺は、団堂とそのアニミストさえ殺せればいいんだ。そのあとは旦那の好きにしてくれていいからよ。俺はどこへでも付いて行くぜ」
ゲイボルグ・Dは、アーミタイルのところまで行き、その肩に手をかけた。
「期待している」
サードは、コクピットの中で、ひとり怪しい笑みを浮かべていた。
(くくくく。もうすぐ俺の野望が実現する。邪魔な団堂と袴田のふたりを排除し、俺が最後の債権者となって世界を支配する時がもうすぐそこまで来ているのだ)
サードは、憐れで愚かな自分の操り人形を一瞥する。
(それにしても、ちょうどいいところに利用価値のある馬鹿が迷い込んできたものだ。これは神のお告げに違いない。俺こそが世界を支配する者に相応しい存在なのだと。だから、グレイよ。せいぜいお前は俺のために、こき使われて最後には死ね。くくくく・・・)
(二)
―プロトオーガ級戦闘用中型艦アガメムノン―
東京陸運保険機構がこの戦艦を手に入れてからというもの、休む暇もないくらいの戦闘や事件の連続により、弥生遼子は疲弊しきっていた。比較的働きづめの生活に慣れている彼女でも、このままではいずれ過労で死ぬ具体的危険すら感じていた。現在の彼女は常に死と隣り合わせであるし、このアガメムノンの維持コストとして少しずつ執行官である弥生の精神は吸われているのだ。
しかしながら、団堂曹士が自分の下に帰ってきてくれたことで、ようやくゆっくりと落ち着くことのできる時間ができた。
また、チャプター9の適用が開始されたことにより、およそ8割の人間が削除されたため、世界の交通・通信などのあらゆるインフラは機能停止に陥ってしまっている。しかしながら、それがかえって、機構にとっては非常に動きやすい状況を生みだしてくれているのだ。
それゆえに、弥生は今まで考えようと思っていたが、なかなか決まらなかったこの艦の名前を決めることができた。
それは、プロトオーガ、アガメムノンである。もっとも、この名前の由来について特段の理由はない。ただなんとなく、これがよかったというだけの話である。
ただ、これもアガメムノン自身が、弥生にそうさせたのかもしれない。今や、弥生とアガメムノンは心を共にする仲なのである。
(それにしても、あいつら何やってんのかしらね)
もちろんあいつらとは、首にしてしまったグレイと辰巳春樹のことである。あと首にした覚えなどないのに、出て行ったきり戻らなくなった、沖まもるも同様である。
現在、このアガメムノンには30人ほどの自衛隊兵士を匿っているので、以前よりはるかに人口が増加しているのは間違いない。しかし、それでもあの3人がいた頃の方が断然、にぎやかで楽しかったものだと今更ながらに後悔する。たったの3人ではあったが、強烈なキャラクターを持つ連中であった。
(いずれにしても、あいつらは曹士のことを殺しに来るはずよね。だとすると、次に会う時は、敵同士ってことか)
一刻も早く、チャプター9を阻止せねばならないのに、どうしてかつての仲間同士で争い合わねばならないのだろう。そう思うと、弥生は非常にやるせなくなる。このようなときこそ、みなで団結し、窮地を乗り切らねばならないのに、これではなんとも不毛な結果ともなりかねない。なぜこんなにも人間は愚かなのだろう。
(でもそれが、オーガに見初められてしまった者たちの悲しい末路なのね)
そして、弥生はタバコに火をつけた。
(三)
団堂は、アニミストの内部に座り、ひとり目を瞑って考え事をしていた。ここは、現世界に最も近い異世界というべき場所であり、外界から完全に遮断された閉鎖空間のようである。そのため、外の音は何一つ聞こえず、極めて静寂な空間なのである。
(辰巳も、まもるも、グレイも、みんないなくなってしまった。それに加え、袴田を斃さなければならない。俺にそれができるのか・・・)
弥生から全てを聞いた。辰巳とグレイは、急に人が変わったようになり、機構を離れていったのだ。彼女いわく、その様子はまるで、オーガの心たるメンタルスフィアによってとりつかれてしまったようであった、と。
団堂自身も、その感覚をよく知っている。現に彼も、このアニミストに心を食われ、憎しみで何も見えなくなってしまっていたから。連中もあの時の自分と同じ精神状態に陥っているのであろう。
(もし、あいつらが俺の前に現れたとして、俺はあいつらと戦えるのか)
できれば戦いたくはない。確かに元はといえば、チャプター9を袴田と共謀した自分にこそ非がある。彼らはその犠牲者なのだ。恨まれて当然である。しかも、長く一緒に戦ってきた仲間たちだ。向こうにはこちらと戦う理由があるにしても、こちらには向こうと戦う理由はない。
(だけど、それでも俺はあいつらを倒して、袴田を止めなければならない)
亜季の言葉を思い出す。自分は彼らに殺されて当然の人間ではあるが、そのような条理をも超えてやらねばならない大義が団堂にはあるのだ。どれほど憎まれようとも、どれほど罪を重ねようとも、やり遂げなければならない大義がある。それを邪魔する人間がいるのなら、容赦はしない。たとえそれが、かつての仲間であったとしても。
(だが、このアニミストで袴田に勝てるのか?)
団堂が、袴田の下を離反したとき、彼のアムネシアと剣を交えた。だが、勝てなかった。どういった戦いであったかはよく覚えていないが、負けたことは事実である。そして、記憶を奪われ、気づいたら八王子にいたのだ。アムネシアには、どうやら記憶を破壊する作用があるらしい。それだけは、記憶を失ったという事実から導ける情報である。
(あとは、アスラに、アーミタイル。それと、アトラスか。まだまだ斃さなければならない敵は多い)
ふと、団堂は、チャプター9の適用のとき、ひとつだけ見たことのないオーガがいたことを思い出した。
(おそらくあれは、俺の後釜として補充されたやつだろう。俺の後継者とはいえ、並の執行官ではなさそうだったな。気をつけないと)
団堂は、不安と自信が同居する中、自分がやるべきことを真直ぐに見据え、考えることはもうやめることにした。そして、ゆっくりと目を開く。
すると、アニミストの前に、綺麗な黒髪の女性が立っていることに気づいた。宝珠のような赤黒い瞳を開いて、こちらを見ているのだ。
「亜季さん、いたのなら声くらいかけてくださいよ」
「・・・・・」
亜季は何か口を動かしているようだが、中に全く届いてこない。
「あ、そうだった」
団堂は、アニミストの聴力を制限していたことに気づいた。そのため、慌てて外にとびだすのである。
「すいません。アニミストの中にいると何も聞こえなくて・・・」
「もう、ひどいわよ、団堂君。私だけひとり、声をだして、馬鹿みたいだったのよ」
「予め言っておくべきでしたね。ところで、どうかしましたか?」
団堂がそういうと、亜季はもう一歩だけ彼に近づく。すると、団堂は彼女の香水だろうか、落ち着いた香りを感じた。
「いえ。特に用があるわけではないけど。団堂君、もう何時間も閉じこもっているから、少し心配だったのよ。あなただけに相当な重荷を背負わせてしまったのではないかって」
それにしても、今日の亜季は、なんとなくそわそわしていて様子がおかしいことに団堂は気がついた。何かあったのだろうとは思いつつも、普通に応対することにする。
「そんなことですか。僕なら大丈夫です。執行官の悪い癖で、よくコクピットの中に引きこもってしまうんですよ」
「団堂君は、嘘が下手なのね。とても疲れた顔をしているわ。どうせ、ずっと考え事でもしていたのでしょ?」
亜季は、団堂の顔にひんやりとした右手をあてる。そのうえ、彼女はじっと団堂の目をみつめてくる。それが彼にとってなんとなく照れくさかったが、振り払うわけにもいかなかったのでそのまま触れられたままにしていた。
「俺、そんなに疲れた顔してますか?」
団堂もまた、亜季のことをみつめる。すると、どうしてもこの亜季という女性があの少女に重なってきてしまうのだ。団堂は気持ちの高ぶりを感じつつ彼女を抱きしめてしまいたい衝動に駆られるも、他方で、これは幻にすぎないと受け入れざるを得ない切なさを感じていた。
「うふふ。本当に嘘が下手なのね」
「すいません・・」
「いちいち謝らなくてもいいの。それ、君の悪い癖よ」
「すいません・・」
「だから、すいませんは禁止」
「・・・」
団堂は、再三の注意に反してNGワードを言いそうになったので、今度はあえて口を紡いだ。そんな団堂の様子を見た亜季は、後ろ髪引かれながらも彼を後にしていく。
「それでいいのよ。とにかく、団堂君が元気そうでよかったわ」
「いえ、こちらこそ心配かけて、す・・・」
団堂は、同じ過ちを犯す前に再び口を紡ぐ。
「うふふ。邪魔して悪かったわね。じゃあ、がんばって・・・」
「はい」
団堂は亜季に対して返事をし、再びアニミストのところへと戻ろうとする。しかし、彼がゆっくりと、2~3歩、前進したその時である。
ぎゅっと、団堂を背後から亜季が抱きしめていたのだ。
「亜季さん。どうしたんですか?」
団堂は、急に慌てふためいて、背後の様子を窺おうとする。
「団堂君、お願い。今はこのままでいて・・」
「亜季さん・・・」
団堂は、亜季の言葉に少し嗚咽が混じっているのを感じて、彼女に何があったのかをなんとなく悟った。だから、あえて後ろを振り向くのをやめ、彼女の言われるがままにした。
「さっきね、あの子の遺体を見に行ったわ。それで、お別れをしてきたの・・・」
やはりそうかと、団堂は思い、やるせない気分になる。
「覚悟していたはずなのに・・・。とてもじゃないけど、耐えられなかった。あの子の死を直視するのは・・」
亜季は、目一杯強く、団堂の身体を強く抱きしめた。それは団堂にとって、心に突き刺さるほど痛いものである。
「団堂君。私なんかよりも、あなたが一番辛いはずなのに、どうしてあなたはまだ戦えるの?」
「・・・」
「もう戦う必要なんてない。辛いならやめてしまってもいい。あなたの心まで壊れてしまったら、私はあの子に何ていえばいいの?」
団堂は、しばらくヒアリングに徹すると、数秒間だけ黙っていた。そして、優しい顔つきになって、亜季のほうを振り向いて言う。
「辛くなんてないですよ。だって、俺が戦い続けている限り、あいつはいつまでも生き続けてくれているんです。だから、俺はいつまでも戦える。あいつを、もう二度と殺すわけにはいかないから」
「団堂君。あなた、かっこつけすぎよ・・・」
そういいつつ、亜季は団堂の背中でわんわん泣いていた。それにしても、気難しいところは姉妹でそっくりである。
「でも、あの子があなたのことを好きになった理由がよくわかる気がするわ。私も、団堂君のこと、好きになっちゃいそう・・・」
亜季は、すぐに泣き止んで、突然に衝撃的な言葉を団堂の耳にささやいた。それによって、団堂は心臓の鼓動が途端に強くなってしまう。
「亜季さん、それ本気ですか?たしかに、亜季さんはとても魅力的ですけど・・・。そんなことをしたら、あいつが化けて出てきますって」
団堂は、彼女の方を振り向いて、必死に欲望を包み隠す。どうやら、所詮は彼もただの男の域を出ないようで、満更でもないらしい。
「あら、やっぱり団堂君は、しぃ一筋なのね。あの子の姉としてはうれしいけれど、ひとりの女としては悔しいわね」
「ははは。すいません・・・」
「すいませんは、ダメよ」
団堂は、冥界から放たれる嫉妬の焔を畏れつつも、亜季なら赦されるかなと、勝手に安易かつ都合のいい解釈をしてしまうのであった。