第39話 フラッシュ・バック・メモリーズ
―東京陸運保険機構戦艦ブリッジ―
「社長!!答えて下さい!!私に隠していることを全て、話してください!!」
先ほど、団堂曹士ことナインが逮捕されたとのニュースを見た詩季は、珍しく弥生遼子に問い詰めていた。他方で弥生は、彼女を真直ぐに見ることができないでいる。
「ナイン君が、逮捕されたってどういうことですか!!」
かたくなに応えようとしない弥生に対して、詩季は必死に食い下がった。
「・・・」
「しーちゃん・・、社長は仕方なく・・」
傍に居たまもるがフォローに入ろうとする。
「仕方なくナイン君を売ったっていうの?会社のため?お金のため?」
しかし、その言い訳がましいフォローは、かえって詩季に油を注ぐようなものであった。
「ごめんなさい。それしか方法は無かったのよ」
「私なんかに謝らないで!!それじゃあ、ナイン君はあんまりだよ。彼は、命をかけてみんなのために戦っていたのに、どうしてそんな酷いことができるのよ!!きっと、今頃、悲しくて泣いているわ・・」
「しーちゃん、私だって、止めようとした・・」
「だから?止めようとしても、実際にそれができないんじゃ、やってないのと同じだよ!!」
「ごめん・・。しーちゃん・・」
詩季はこの連中にいい加減、愛想を尽かしては、突然、駆け出すように出て行こうとした。
「詩季、何処へ行くのよ?」
「ナイン君を取り戻しに行きます。彼を助けなくちゃ」
「無茶だよ、しーちゃん!!」
「まもるちゃん、止めないで。私、ナイン君と約束したんだ。ナイン君が迷ったときも、絶対に私が彼をつなぎとめるって。だから、行かないといけないの。それがたとえ、兇悪犯罪者であると罵られても、私の命の危険があるにしても」
「しーちゃん!!」
まもるは、だんだんと遠くへと行ってしまう詩季の後姿を見送っていた。それにしても彼女は、詩季の強硬な姿勢に驚いてしまい、何もできずにいた。
「社長、私・・・」
「行ってきなさい。そして、詩季を助けてあげて」
「は、はい」
―都内某所、A級犯罪者特別隔離施設―
ここは、地下にある秘密の牢獄である。日の光も達しないじめじめした空間の中で、鋼鉄の分厚い壁が在監者の行く手を阻んでいる。ただでさえ脱出不可能なその檻の中で、ナインはさらに、手足を鉄パイプの椅子にくくりつけられて、身動き不能な状態にされていた。
また、身包みはがされ、ぼろ雑巾のような布をパンツ代わりにはかされてはいるが、ほとんど裸に近い。しかも、彼の身体はボロボロの状態であった。この状況から察するに、この部屋は拷問部屋なのであろう。この国ではもちろん拷問を禁じているが、実際のところ、秘密裡でそれはなされていたのである。ただ、千万人を超える犠牲者を出した大事件である。真相解明のため、犯人と思われるこの男を拷問することは比例原則に反するものでもなく、凶悪犯罪者の人権侵害程度は許されていいのであろう。
「寝てんじゃねぇよ。他の協力者は誰だ?」
随分と修羅場をくぐってきたような大男が、ナインの顔を覗き込みながらいう。
「・・・」
ナインは応えない。彼はまるで、目を開いたまま寝てしまっているようである。
「おい、起きろやコラ!!」
「っく・・・」
その大男は、鞭でナインのわき腹をはたく。はたかれた部分にじわりと血が滲む。
「さっさとゲロッちまえよ」
男は、にやけた顔で言った。
「・・・もう終わりか、デク人形」
このような状況において、ナインは相手を挑発する行動に出た。しかも、ボロボロの体とは対照的に、その眼光だけはやけに鋭かった。そこには果てしない執念の焔が宿っていたのだ。
「てめぇ、調子に乗ってんじゃねぇぞ!!」
男はもう一度、苦痛をその身に叩き込もうとした。
「川園、それくらいにしろ」
ところが、スーツに身を包んだ髪の長い男が現れては、大男の動きを言葉で制止した。その男は、冷徹そうな表情の眉間にしわを寄せている。感情を正しく制御出来ないこの大男と対比してしまうと、後ろの男は機械のような人間に思えて仕方がない。
「半田検事、しかし・・」
川園と呼ばれた大男は、後ろの半田に向き直って言う。
「ただでさえ俺たちは違法捜査にどっぷり浸かっているんだ。これ以上の拷問は貴様の首が飛ぶことになるぞ」
「でも、コイツは拷問でもしない限り、口を割りませんぜ」
「どうせこの男は、身体的苦痛などでは口を割らん。自白を取る前に殺してしまうさ」
「く・・、わかりましたよ」
そういって川園は、半田と位置を入れ替わるように、拷問部屋から出て行った。怒鳴り声が響いていたこの部屋も、このふたりだけだと急に静かになってしまう。
「貴様が、団堂曹士だな」
半田は、椅子に縛り付けられてぼろ雑巾のようになってしまっているナインを一瞥した。
「団堂曹士?人違いじゃないのか」
ナインは身に覚えのない名前を聞かされて首をかしげた。
「残念ながら人違いではない。これを見ろ」
そう言って半田は、一枚の個人データカードをナインの前に呈示した。そこにはナインの顔や氏名、住所、前科、学歴などが綿密に記載されていた。
「これが・・俺なのか・・?」
ナインは、その個人データカードを食い入るように見る。拷問が開始されてもう数時間が経過したが、ようやくにしてナインがはじめて驚きの表情を見せたのだ。このカードの呈示という行為は、川園の拷問よりも彼にとって強烈な打撃なのであった。
「そうだ。貴様の名前は『団堂曹士』。年齢は22歳。身分は東京大学法学部の学生。前科はおろか補導暦すらも無し・・」
半田はカードの内容をさらっと朗読すると、それをしまった。
「待て、俺の本当の名前は、団堂曹士というのか?」
「これ以上は言わせるな。それは貴様が一番よくわかっていることだろう」
「あんたはなぜ俺の過去を知っている?」
「俺はこれでも検察だ。捜査対象の過去を洗うぐらいできるに決まっているだろう。もっとも、貴様の情報工作には手を焼いたがな。さて、今度はこちらの質問に答えてもらおうか、団堂」
「・・・」
このような形で自分の過去を知ることとなったナインは、なんとなく腑に落ちない部分があった。だが、半田はそのようなナインの態度など気にも留めないで、言葉を続ける。
「ここにお前の所属していた外法学ゼミ構成員の写真がある。もうひとりの首謀者は誰だ?」
半田は、なにやら9人の学生が集まった写真をナインの前に突き出した。その写真はぼろぼろで、色彩も劣化しているが、内容を判別できないわけではない。そこには、右端にナインが立っており、6人の男子と2人の女子がいる。
「なんだよこいつら・・・」
そこには小さな教室の中に、9人の学生がそれぞれ怪しい笑顔を浮かべている。無論そこに映っている自分もそうである。その学生たちの後ろにあるホワイトボードには、大きく外法学ゼミと汚い字で書かれていて、皆でしたり顔をしているのだ。
(なんで、俺はお前らの顔を知っているんだ)
ナインの頭の中には、記憶が失われる以前の情報がフラッシュバックして戻ってくる。この脳細胞に粉々になって残っていた記憶の破片がシナプス信号を一斉に発生させて、相互に結合するのだ。ナインの脳が爆発的に活性化し、情報の氾濫が発生する。そのため、頭が割れるように痛い。
だがナインは、全てを思い出した。この写真に写っている、あの男も、この女もみんな知っている。こいつらは、かつての仲間。この日本を復活させようと集まった同志たちである。
(栄人、美菜、悟、リー・・・)
そして、ナインは何をしたかったのかを思い出した。外法を修め、プロトオーガをつくり、下等オーガの集団をこの世界にばら撒いたのも、全てはこの目的のため。この計画を実行するに必要な代償となる人々の心を集めるため。
「チャプター9・・」
ナインは、焦点の合わない虚ろな眼で、つぶやいた。
「チャプター9?それは何だ、団堂!!」
半田は、ナインがぼそりとつぶやいた言葉を聞き逃さなかった。
「チャプター9は、世界の構造そのものを改正する外法規定・・」
ナインは、心其処にあらずという感じで、半田の問に反射して答えた。
「世界の構造を改正するだと?それはいったいどういうことだ」
半田は、すさまじい剣幕でナインのところへ問い詰める。
「チャプター9により、現世界は倒産する。そして、俺たちは新しい世界を作ることができる・・・」
「世界の再生。それが貴様の目的ということか!!そのために、この世界を犠牲にする、そういうことか!!」
半田は、ある程度、そのチャプター9という計画の恐るべき実体を理解し、より強く詰問する。
「再生?勘違いするな。俺は、こんな世界、混沌の底に沈めてやるだけさ。チャプター9でな。ぶっ壊してそれで終わりだ。ひゃはははははは!!!!」
半田は、ひとりいびつな笑いをするナインを無表情で傍観していた。
「残念ながら、貴様はもうここから生きて外に出ることはない。これで貴様の野望は終わりだ、団堂」
「それはどうかな・・?」
「何?」
「来い、アニミストォォォォォ!!!」
「・・?」
半田をとてつもなく嫌な予感が襲う。のっぺりとしたべたついた感触が、半田の周囲に纏わり憑くのである。おそらく目に見えない、人智を超えた何かがいる。ナインがその嫌な予感の発生原因であることは、半田でも容易に判明できたようである。
「やむをえない。死ね、団堂!!」
半田は、とっさに身の危険を感じた。この男は何かとんでもないことを成そうとしているのだ。だから半田は、ナインに対して、ためらうことなくハンド・ガンを取り出して、引き金を引く。
「消えた・・?」
ところが、幾重にも椅子に縛り付けられていたナインは、どこかへと一瞬にして消えてしまうのである。彼を狙ったはずの弾丸は、空を切って、椅子の背もたれにめり込んでいた。
「団堂!!何処へいった?」
『アニミスト。手始めにこの監獄を破壊しろ』
半田は、天から邪悪な声を聞いた。それと同時に、大地が大きく揺らぐ。牢獄の天井が軋みだす。おそらくこの近辺に、巨大な質量が突如現れようとしているのだ。
「ぐわぁぁぁ!!」
半田は、強烈な衝撃波によって吹き飛ばされる。それは、牢獄の天井をも引き剥がして、この暗い空間に晴天の空を覗かせてくれた。また、その天井にできた穴からは、眩しい青空とともに、おそろしい邪神、アニミストの姿を見ることができた。
(あれは、一体、なんなんだ・・)
半田は、薄れ行く意識の中で、アニミストのおそろしい姿を目に焼き付けていた。化け物はその腕を巨大化させ、大地に向けて叩きつける。
閃光が走った。その次に激震が起きて、最後に衝撃波が周囲の建物等を押し流していく。それはまるで核爆弾でも落ちたのではないかというほどの衝撃であり、辺りの全てを破壊する。
『・・・』
アニミストは飽き足らなかった。今度は、あの密集地を破壊しようと、動き出すのであった。
鬼女アリスと鬼女メイデンの両機が、日本上空を東京方面へ向けて移動していた
「しーちゃん!今、ニュースが入ったんだけど、これ見てもらえる?」
「これは・・・」
まもるから転送されてきた画像データによると、そこにはプロトオーガ・アニミストが盛大に暴れている様子が見て取れた。このオーガは、アザゼルと戦った時に、詩季が目にしたナインのプロトオーガの真の姿である。
「ナイン君・・」
「これがナインさんのプロトオーガの鬼化?」
それは白と黒とに彩られた、偉大なる魔神である。対立する二つの極限のいずれにも組しない、あいまいな存在。神のような悪魔のような魔性に、見るものの心を魅了して滅ぼそうとする。詩季にとって、そのアニミストが破壊の限りを尽くしているこの光景は、ナインの心が壊れてしまったことの表象に感じられた。信じていた人々、守りたかった人々に裏切られて、疑心暗鬼になった末、遂に彼は心を失ってしまったのだ。
そして、それは力のない自分自身が生み出した結果である。なんと、彼に寂しい思いをさせてしまったのだろう。彼の味わった絶望を思うと胸が張り裂けそうになる。
「待っていて。いま、助けてあげるから!!」
おそらく、彼は自分たちを赦しはしないだろう。しかし、彼を憎しみから救ってあげられるのは自分しかいない。しかもこれ以上、彼に罪を重ねて欲しくない。たとえ、自分の身が切り刻まれようとも、彼の笑顔を取り戻したいのだ。
「私が、あなたを・・」
とにかくいまは、1分1秒でも早く彼に会って、独りではないことを伝えたい。だから詩季は、アニミストの元へと急いだ。