第27話 インファント・エクゼキューター
弥生遼子たちが、町田市の事務所を離れて数分が経ったころであった。それでもまだ、半数くらいの報道陣が事務所付近に残っているようである。この者たちはこれから事務所の連中が帰ってくることを期待しているのか、あるいは侵入でも試みているのか、マスコミの執念は半端ではないようだ。もっとも、あきらめてカメラを車に積み込むなどして、だらだらと帰還する準備を始めている者もいる。
「おい、なんだあれ?」
カメラマンの男が、西の空から大きな鷲がこちらに接近していることに気づいた。
「鳥か?いや、あれは・・」
しかし、それは鳥にしてはあまりにもでかすぎるものであった。それは報道陣たちに近づくにつれ、像が次第に大きく見えるようになってくる。その物体が事務所の上空に到達する頃には、体長が20メートルほどの大きさであった。改めてそれを近くでよく見ると、鬼の身体に巨大な翼がついているのである。すなわち、これは、プロトオーガ・アルビオンである。
「ここがそうね。しかし・・」
アルビオンは、辺りを見回すも、アニミストらしき存在はおろか、その仲間すらも発見できなかった。
「こいつも、連中の仲間なのか?」
報道陣たちは、またまたスクープだといわんばかりに、急いでしまいかけていたカメラを慌てて取り出し、フラッシュをその鬼に対して、浴びせまくるのである。報道陣たちは、こんな鬼もいままでみたことが無かったため、少々興奮気味なようだ。
「五月蝿い蝿ね」
アルビオンに乗る少女は、フラッシュの光が気に食わず、まるで汚いものでも見るかのように吐き捨てた。とりあえず不快の源を排除するべく、彼女はいっそのこと、ここにいる連中を始末してしまおうかと考えた。しかし、連中はマスコミである。まだ利用価値がありそうだった。そこで少女は、いいことを思いついたのだ。
「報道陣のみなさん。ご安心ください。私は、ある傭兵会社に所属するもので、未確認オーガの討伐に参りました」
少女は、性格を反転させたかのように、透き通った優しい声で報道陣に語りかけた。そのため、報道陣連中も一瞬、戸惑ってはいたが、すぐ少女の会話に応じる。
「未確認オーガの討伐ですか。見たところ、そちらの兵器は我々のデータベースにも無い、全く新しいもののようですが・・」
「はい、これはわが社が開発した新型兵器アルビオンといいます。このアルビオンならば、あの未確認オーガの討伐も可能です。ですが、困りましたね。討伐対象が何処へ行ったのかも知れないのでは、日本の安全を守ることも到底かないません」
「はい、まったくそのとおりですね」
「ですから、我々とあなた方で、これから協力してはいただけないでしょうか?もちろん、未確認オーガの情報だけを提供していただければ結構です。そして、目標討伐の折には価値ある情報の提供をお約束しましょう」
予想外の来客にはじまり、予想外の提案をもちかけられ、報道陣たちは取り留めのない情報処理をするだけで頭がパンクしそうになっている。そのため、彼らは互いのツレと顔を見合わせてぶつぶつと相談をしだす。そのうち、ある記者が少女の提案に応えた。
「そりゃあもう、我々も事件の解決を願って止みませんから、そういうことでしたら喜んで提供しますよ」
前の記者の発言が起爆剤となったのか、次々と提案を受け入れる声がする。
「いやいや、この件はウチがもらう。あんたたちはすっこんでろ」
「ふざけるな!俺だ!」
記者たちは、このアルビオンが特ダネのなる木にも見え出したのだろう、醜い欲望をむき出しにしてこぞってその翼の下に集まりだした。
「情報提供をしていただけるのであれば、どの社であっても結構です。ただ・・」
「ただ・・?」報道陣たちは、アホ面を下げて、食い入るように聞く。
「首謀者の正体をお教えするのは、最も早く目撃情報を提供していただいたところにしましょう」
「なるほど」
報道陣連中は、そろって相槌を打った。
どこの会社よりも、一秒でも早く、空前絶後のスクープを国民に提供して、彼らの知る権利に資する。それこそが彼らの使命であり、悦びなのだ。だからマスコミへの宣戦布告とも取れる、その少女の言葉によって火がつかない記者などいない。案の定、彼らは記者としての名にかけてどの社よりも目撃情報を取得することに情熱を燃やし、意気込みだすのである。早速、それぞれの車に乗り込み、取材に出かけてしまうのだ。
少女の思惑通り、うまくマスコミを乗せられた。これならば、すぐに有力な目撃情報も出てくるに違いない。そのように少女は感じた。マスコミは敵に回せば厄介だが、味方に抱き込めばこれほどまでに頼りになるものは無いのだ。そう、連中は情報に対して非常に貪欲だから、全国に網目のような監視を張り巡らせ、対象を封鎖・管理にいたるまで丁寧にしてくれる。
「それにしても、馬鹿な連中。大量虐殺の犯人が目の前にいるのに、欲望に駆られて何もわからないなんてね」
少女の口元から笑みがこぼれる。こらえようとしても、どうしても口元が緩んでしまうのだ。これは非常に滑稽なのである。
(お前たちが追跡し、国民の審判にかけようとしているのは、まさにこの国を守ろうとして勇敢にも戦い続けているこの国の希望なのにね。それを、お前たちが本当にあだなすべき敵に組したうえ、その希望を消し去ろうとしているのだから愚か以外の何者でもないわ)
少女は改めて、アホ面を垂れ下げて欲望をむき出しのまま群がってきた記者たちを思い出し、ついに笑いがこぼれる。
「あははははは!!ばぁか!ばぁか!ほんと、ばか!!」
少女は笑いが止まらなかった。この国の人間は、本当に愚者しかいない。それを再確認できた。そうだ、もうこの国は一度、滅ぶべきなのだ。たるみきってしまったうえ、なにもかもが末期的な症状になってしまったこの国を立て直すことはもう不可能である。少女は、いくら大学で政治学を学ぼうと、経済学を学ぼうと無駄であることに気づいてしまった。
『破壊』
それこそが、この国を救う唯一の特効薬であった。膿を出すだけでは足らないのだ。何もかもをその本質的構造から塗り替えていくほどの徹底的改革をしないでは、この国を変えることなど不可能である。そして、破壊のあとに世界を再編していく役目を担うのが、選ばれた天才集団である我々の役目なのだ。
「チャプター9の適用までもう間もなく・・」
全てはこのためにある。我らの計画成功の暁には、崇高な精神と知恵を持つ、すばらしい日本人だけの最高の国ができあがるのだ。それこそが、わが師の描いた理想郷である。それをあの男は・・。
「許せない・・」
それだけではない。あの男は、愛おしき有能なるエイトを無残にも殺した。絶対にあの男だけは生かしておくわけにはいかない。必ず八つ裂きにして、わが師の前にその首を献上する。そうしなければ、チャプター9を心から喜んで迎えることなど到底できないのである。
「団堂ぉぉぉぉぉぉ!!!」
少女は、あの男のふざけた顔を思い出しては、絶叫した。
―八王子山林地帯―
ナインは、弥生遼子に虚物化して人目のつかない場所へ行けといわれたので、とっさに思いついたこの八王子山林地帯に瞬間移動した。ここは、記憶を亡くしたナインが倒れていたところであり、彼にとっては生まれた場所そのものである。そして、盲目の少女にはじめて会ったのも、この場所であった。
あたりを見渡してみると、本当に自分が目覚めた場所と同じ位置に来たようであり、ところどころ木が折れてしまっていたり、大地がへこんでいたりと以前の戦闘のぬくもりが残されたままである。もっとも、ナインにとってそこまで過去の話というわけではないのであるが、なんだか懐かしくて感傷的になってしまう。
(それにしても、みんなは大丈夫だろうか・・)
弥生が、プロトオーガが来る蓋然性のことを非常に懸念していたから、事務所を脱出する前にそいつと交戦していたら非常に危険である。だが、弥生からは何があっても絶対に事務所に戻るなと忠告を受けている。
(本当に、無事なのかよ)
しかしながら、その忠告はナインにとって非常に厳しい忠告であった。少しだけでいいから、事務所周辺の様子を窺いに戻りたい。
「ん?」
ふと、その時、ナインは草を踏みつける音を聞いた。誰かきたのか。それにしても、なぜこのようなところに?
「へぇ、何かいるかと思えば、鬼か」
それは子どもだった。
何だただの子どもか、という議論ではない。まだ、15歳か、もしくはその前後の小さな男の子である。男の子のくせに髪の毛は細くて綺麗な黒髪である。まあ、どこにでもいる風体であるといえば、そうなのかもしれない。だが、普通ではない。この子が山登りに来たにしても、それをするには明らかに不適切な服を召している。しかも、引き込まれそうなほどのカリスマを漂わせている、なんとも不思議な少年である。そもそも、子どもがこんなところに独りでいること自体が普通ではない。まさか、カブトムシでも取りに来たわけではなかろう。
「子どもがこんなところに何の用だ?」
ナインは、子どもならまあいいだろうと、つい声をかけてしまった。
「わ、鬼がしゃべった!」
子どもは表面上、驚いたしぐさをしたが、多分心の底からとはいえない。まるで、鬼の中に人がいることを知っているようであった。
「まさか、お前・・」
鬼の中に人が乗っていることを知っている人間は限られているはずである。とすると、この少年もプロトオーガの執行官なのか。
「何、お兄ちゃん。僕の顔に何かついてる?」
たしかに、この少年をプロトオーガの執行官であると仮定すると、このようなところに少年が不自然にも存在することの説明ができる。しかし、この少年はプロトオーガを持っていないし、そもそも殺意がまったくないのである。そのうえ、全くといっていいほど隙だらけであり、本当に顔に何かついてるのかを必死になって探しているのだ。
「いや、なんでもない」
とりあえず、降りてみようか。
そう思って、ナインは少年の下へと降り立った。
「お兄ちゃん、こんなところで何やってたの?」
少年は、生意気そうな顔に笑みを浮かべて訊いてきた。
「それはこっちの台詞だ。ここは危ないぞ、早く帰ったほうがいい」
「うん、知ってる」
本当に何を知ってるのか問いただしたくなるほど、少年はにこやかに応えてくれた。
「それよりさ。お兄ちゃんの名前はなんていうの?」
この少年、なかなか嫌な質問をしてくるな。ナインと答えたら、きっと変な名前とかいってからかってくるにちがいなかった。しかし、適当な名前をいうのも信義にもとる。そういう大人の汚い部分を、子どもに見せるのはよくない。
「俺は、ナインだ。変な名前だろ」
ナインは、先に釘をさしておき、変な名前といわれるのを予防しておく。
「お兄ちゃん、ナインっていうの?あのね。僕は、ノイっていうんだ。なんとなく、僕らの名前似てると思わない?」
変な名前である点は、よく似ている。
「そうだな。俺たち、仲良くなれるかもしれないな」
「うん、本当だね。じゃあナイン、今から僕と友達になってよ」
ノイは、ナインの手を引っ張ってきかなかった。
「わかった。わかった」
こんなところで泣き喚かれたら、たまったものではないので、ナインは渋々、ノイと友達になってしまった。それにしてもこんな時に、なんて面倒くさい子どもなのだろうと思う。
「やった。これで僕とナインは、はれて友達になったってわけだ」
ナインは、子どもというのはこんなに面倒なものだったかと思いを馳せた。
「友達になったからには、絶対に友達のお願いは聞かないとだめだからね。いいね、ナイン!」
「はいはい・・」
ナインは、もうどうとでもしてくれと惰性にまかせてしまった。
「じゃあ、早速、ナインにお願いがあります」
「なんだい?」
「あれに僕をのせてよ」
ノイは、ナインの鬼を指差して言った。
「だめだ、あれは子どもの遊び道具じゃない」
ナインは、ノイのお願い第1号をきっぱりとはね除けた。
「ナイン、友達のお願いは絶対だぞ。ルールは守らないとダメだって」
再びノイは、ナインの腕を引っ張ってきかなくなった。
「鬼に乗るのは、そういう次元じゃねぇんだよ。あいつは乗り手の魂を吸うんだ。お前も魂を抜かれて、心神喪失にでもなったら、親御さんが心配するだろ」
「僕、お父さんもお母さんもいないもん。だからナインだけなんだ。一生のお願いだよぉ!」
本当に、一生のお願いといってくる奴のお願いに限って、どうしようもないお願いなのだ。とはいえ、この少年は誰かによく似て、一度決めたらテコでも動かなそうである。
「たく・・。わかったよ。じゃあ、乗れよ・・」
ナインは諦めざるを得ず、このわがままな少年を鬼にのせることにした。
「やった」
ノイは、飛び跳ねて喜んだ。
「へぇ、鬼の中ってこうなってるんだ」
ノイは、プロトオーガの操縦席内を丹念に観察しだした。ナインは、この少年がはしゃぎ散らすのではないかと気を揉んでいたが、中に入ると、意外とおとなしくなったので安心した。
「これは、コントロールパネルだね」
そういって少年は、ナインの膝上に乗っかって、コントロールパネルに手をやった。
「おい、それは触るんじゃない」
ナインは、ノイを抱き上げて、コントロールパネルから遠ざけた。
「ケチぃ。いいじゃん、そんぐらい」
そういって、このガキは騒ぎ始めるのである。あまり広くない操縦席で子どもに喚かれるとたまったものではない。
「わかった、わかった。だが、その代わり、俺が操作するからな」
「うん、じゃあそれでいいよ」
ナインは、こんなものを見て、何が面白いのかさっぱりわからなかったが、見るだけでこのガキが満足するならやむを得ないだろうと、パネルの操作を始めた。
「あ、その項目なに?」
「これか?」
ノイは、子どもがいかにも飛びつきそうな項目である、『weapons』を指差した。というか、このガキはweaponsなんて単語をいつ習得したのだろう。
まあ、そんなことはどうでもいいとして、該当項目を開くことにする。すると、そこには『swords』と『C.R.A.I.N.E.(胸部大型波動砲)』しかなかった。
「なにこれ?武器なんて全然ないじゃん」
ナインは、気にしていたことを子どもに指摘されて、少々傷つく。
「俺もまだ使いこなせてないんだよ」
「ふぅーん」
ノイは、画面に浮かび上がった、ふたつの項目をただじっと眺めている。
「どうする、動かしてみるか?」
そういって、ナインは鬼の手を、グーとかパーとかにしてみせた。
「ああ、もういいよ」
「なんだ、もういいのか」
それにしても変なガキである。普通のガキなら、動かす方に興味がそそられて然るべきであろうが、ノイはコントロールパネルを見ただけで満足してしまったようなのだ。
「うん、ありがとう。ナイン」
それを聞いてナインは、『exit』のボタンを押した。
ナインとノイが、プロトオーガを降りると、突然にナインの携帯電話が振動を始めた。弥生遼子からである。
「悪い、ノイ」
ナインがそういうと、ノイは気を遣って、ナインとは距離を置いてくれた。
「はい、社長ですか」
『もしもし。もうすぐそっちにみんな着くと思うから』
「よかった」
それを聞いて、ナインは安堵した。
『そっちは大丈夫?変わったことはない?』
「変わったこと、ですか・・」
変わったことといえば、非常に変わったガキがいたことぐらいである。そう思って、ナインは、ノイの方へと目をやる。
「あれ?」
さっきまでそこにいた小さな少年はどこにもいなくなっていた。一体、いつの間に姿を消したのであろうか。どこかへ移動するにしても、草の根を踏みつける音でよくわかるはずであったが、そのような音も聞こえない。まるで、ノイという少年は、はじめからこんなところにいなかったかのように、消失してしまったのだ。
『ねぇ、どうしたの?なんかあったの』
ナインは十秒ほど思考停止していたらしく、心配になった弥生が聞いてくる。
「いえ、すいません。何も無いです」
『そう、ならいいけど』
弥生は、心のどこかで不自然なナインの応対を疑いながらも、この男が何も無いという以上、それ以降は聞かなかった。
「はい、お待ちしております」
ナインがそういうと、電話は切れた。
(ノイ・・。お前はいったい・・)
ただの子どもでないことだけは間違いない。しかも、鬼に乗せろと言ってきたにもかかわらず、別に動かさなくてよいと言い、武器情報だけ見て降りてしまった。このことからあの少年は、プロトオーガの内部的な情報を探っていて、それを目的にナインに接触したものと考えられる。
(まさか・・)
やはり、あの少年はプロトオーガの執行官なのか。いや、だとしたら、とっくに隙だらけのナインは殺害され、プロトオーガも強取されていたに違いない。ナインの弱点を探して、後の戦闘を有利にしようなどといった、回りくどい戦術など全く合理性が無いのだ。しかし、突然にナインの前にひとりで現れ、突然に消えてしまったことから、執行官と考えなければ説明がつかない。だとすると、ナインはなぜ生かされたのか、疑問は尽きなかった。ナインはただ、キツネにでも化かされたかのように呆然と立ち尽くすのであった。
―???―
そこは、どこかの空である。地上からは非常に高い位置にあるのだが、そこにはひとりの人間の影が浮いていた。
「ナインこと団堂先生か。みんなから聞いていたのと全然違って、面白そうな人だね」
それは、ノイという少年であった。無邪気な笑顔を浮かべて、ひとり宙に浮いているのである。とんでもなく高いところから、もはや小粒と化した人間の街を見下ろしているのだ。
「ただ、彼は記憶喪失なのかな。まったく、『先生』はあの時、どれだけナインを痛めつけたのか知れないよ」
ノイは、自分の師がナインをどれほど痛めつけたのかを想像し、小刻みに笑う。
「でも、一度会ってみてよかったよ。そう思わないかい?アーリマン」
すると、はるか上空に巨大な物体が実物化して現れた。そう、ノイはその上に立っていたのだ。
「あと、今日、僕が黙って『学校』抜け出してきたこと言っちゃだめだからね」
次第に巨大な物体の全貌が明らかになってきた。ノイがアーリマンと呼ぶのは、巨大なオーガであった。ナインのプロトオーガの5倍以上もの巨体を持つ、ユリの蕾のようなオーガであった。花弁の一枚一枚が身を硬く覆うようになっていて、現在見る限りでは、手や足はなさそうである。それが、静かに上空を滞空しているのであった。
「はたして、チャプター9はどうなることやら」
そして、かすかに笑い声を残したまま、ノイとアーリマンはどこかへ消えていった。