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第24話  第8の執行官

―東京陸運保険機構事務所付近―


辰巳春樹は、まんまるい満月のためなのか、すこぶる機嫌がよく、仕事が終わってから事務所の近くのコンビニでコカ・コーラ1点とチューインガム1点を購入した。そして、ただなんとなくその帰り道における公道上でコカ・コーラを片手に、鼻歌を歌っていた。


「るんるんるーん」


今日も彼女は、仕事でたくさんの鬼を狩った。BW社との共同で作った新型は、まだ未完成ながら、従来のロボットなどとは比較にならないほど強い。そのおかげで、今日は一段とよい仕事ができたのである。といっても、会社側からすれば、彼女の暴走を助長しただけの結果になり、直接利益に結びついているわけではない。しかしながら、彼女はまるで水を得た魚のようにその戦闘能力を開花させているのは事実である。

辰巳にとって、このコカ・コーラは仕事のあとの自分自身へのご褒美である。炭酸が喉を通るときの、喉をヒリヒリさせるこの刺激がたまらない。

  

「ぷはぁぁぁ!!うめぇ!!」 

  

明日は、もっと、このコカ・コーラが美味しくなるはずだ。そう思うと、なんだかわくわくしてくるのである。成人したら、これがキリン・ビールになるのだ。


「なんだ、まだ今日の仕事が残ってるじゃないのさ・・」


ところが、そのような彼女のご機嫌をぶち壊すものがあったようだ。辰巳は、今この町田市で発生している異変に気づいてしまったのである。実際にも、猛烈な殺気が辰巳にまでびりびりと到達している。それはまるで、コカ・コーラを頭からぶっかけたような感覚なのである。そして、辰巳は目を凝らしてみると、暗くてよくわからないが、遠くの方に緑色の光だけは確認できた。

辰巳は急いで事務所へと戻った。

  

(二)

「社長、なんかヤバイのがきてますよ」


辰巳が、弥生遼子にこの事実を急いで伝える。すると、弥生は特に慌てる様子を見せなかった。


「そんなこと、アンタがコーラ飲んでる間に気づいてたわよ」

「へ?」


すると、弥生はガレージ内の4体の新型兵器を顎で示した。


「『鬼女』たちが、ただならぬ様子を見せてくれたから、嫌でもわかったわ。もうみんな集まってるから、アンタもさっさと行ってきなさい」


そう、なぜ弥生が危難の接近を知りえたのかというと、彼女のいうとおり、『鬼女』と呼ばれる新型兵器3体とゲイボルグのメンタルスフィアが叫ぶように異常な輝きを放っていたからである。


「了解!!」


辰巳は、風のようにガレージへと向かって行った。



辰巳春樹が到着することで、ガレージにようやく4人の従業員が集結した。


「はるきちゃん、遅いよぉ」


沖まもるは準備万端といった感じで、無数のシールドの殻に覆われた防禦型新型オーガ『鬼女メイデン』の前に立っていた。かなりの重装備であるため、新型のなかで最も巨大な鬼である。その厳重な装甲の中から、淑女のようなメイデンの顔がひょっこりと出ている。なお、シールドの中にいるメイデンはそこまで大きくない。


「はるき、着替えてる時間ないよ」


桐生詩季は、私服の辰巳を咎めた。それに対して、皆は準備よく戦闘用スーツに着替えている。また、詩季の後ろには、この中では相対的に小さい『鬼女アリス』がいる。その外見はまさに名前のような女の子なのである。メイデンと比較すると、アリスはその身にはほとんど鎧のようなものを纏っておらず、洗練された人工筋肉の華奢な肢体をスラリと伸ばしているのである。


「さっさと、行こうぜ」


グレイは完全に強化されたゲイボルグ・ディアボリカ(以下、ゲイボルグ・Dと略す)に搭乗していた。ちなみに、名前を変えたのは、週刊マシーナリーという雑誌で、ゲイボルグが一般発売に向けて公開されたため、それとの区別をはかろうとしたからである。従来のデザインは少し物足りない部分もあったが、このゲイボルグ・Dは黒いからすのような羽を肩から下げている。その外見はもはや漆黒の堕天使のようであり、胸に輝く薄緑色のスフィアと相俟って妖しく美しい。


「ごめーん、みんな」


そして、辰巳も自分の新型オーガである『鬼女セアト』の下へ、慌てて走る。セアトは中間的な大きさであり、ゲイボルグに倣って、完全な戦闘型である。それは、見ているだけで身が切り刻まれてしまうような毒々しいフレームであり、高機動力を追求したため、余分な肉はほとんどそぎ落としている。


「じゃあ、いくよ!あんたたち!!」


遅れてきた辰巳が号令をかけると、皆、次々と外へ出撃して行った。


(三)

プロトオーガに乗る男は、なにかの動きをキャッチした。


「やっと、気づいたか。おそらくあの中に奴がいるはずだが・・」


そう、この搭乗者は自分に近づいてくる4機の鬼を探知したのだ。それにしても下等な鬼のくせに、この執行官クラスの最高の鬼にたて突くとは、それだけで虫の居所が悪い。


「なんだこいつら?」


しかし、4機とも、メンタルスフィアの反応が大したことないのである。これは、明らかに自分の乗る鬼のそれとは異なるものである。ということは、全て紛い物であって、『奴』はいないのではないか、ということに男は気づいた。


「まあいい。奴を殺す前の余興だ。全員ぶっ殺してやるか」


しかし、敵であることに変わりない以上、この4体を生かしておく理由も見出せなかったので、男は余計なことを考えないことにした。そして、この鬼のメンタルスフィアは邪悪な、かつ濃厚な光を全身から放つのだ。それと同時に、どろどろの殺気が周囲にばら撒かれる。



ふと、誰よりも先行していた辰巳は、いち早くことの異変に気づけた。


「あれって、プロトオーガ・・」


自己の視界に映っていたのは、かつて自分と共に戦っていた戦友プロトオーガであった。間違いない、あの白い肌に加え、屈強な肉体。まさしくそれは自分の記憶にあるプロトオーガそのものである。


「ナインさんが帰ってきたの?」


ついで、この事実に気づいたまもるが、安心したような気持ちになる反面、警戒心もまた存続するような感覚に陥る。彼女から見ても、あれはたしかにナインの鬼である。しかし、それが何であるか具体的にはわからないが、この状況があまりに不自然であったため、警戒を解くわけにはいかなかったのであった。


「あれはナイン君じゃない。あんなの、ナイン君じゃないよ」


他方で詩季は、ドスの利き過ぎで、身体が切り刻まれそうなほどの殺気が、ナインの発する雰囲気とは相反することを明確に認識した。それほどまでに、前方にいる鬼は憎しみに満ち溢れた極悪のアウラをムラムラと放ち、ぶち撒いているのである。


「さすがは、詩季・・。せんぱいのことは何でもわかるのね」


辰巳が目を細めて詩季をからかった。


「あんな奴のことなんか知らない」


しかし、詩季は顔を真っ赤にしては、むきになって抗議した。


「おめぇら、ふざけてる場合じゃねぇ。あれがナインじゃねぇなら、こいつはとんでもねぇ相手ってことだからな」


グレイは冷静な意見をもって釘を刺した。皆、緊張のあまり冷や汗が流れてくる。


「こいつ、ナインの鬼よりはるかに強ぇから・・」


グレイは、前方にいる鬼のメンタルスフィアの質的・量的な強さ、また尋常でない殺気から、そう直感した。そして、明らかにこの強大な敵は、グレイたちをねらっているようである。


「詩季とまもるは、後方から援護だ。はるきは俺と一斉に敵を畳み掛ける。いいな」


ただ、こちらにも新型のオーガが4体ある。グレイは、上手く畳み掛けることができれば、たとえプロトオーガであろうとも、撃破することは可能であろうと結論した。


『OK』


全員の合意を聞くと、ゲイボルグとセアトは、プロトオーガに向かって突撃する。

ところが、壁でもあるのではないかと思えるほどの濃密な殺気のせいか、できればあのプロトオーガの近くに行きたくない。好戦的なふたりであるが、それほどまでに恐怖を抱いていた。しかし、まだ恐怖があるうちはよいほうである。自分がまともな精神の持ち主であることが確認できるから。このプロトオーガの間合いに何らの考えなく踏み込む奴は、勇者でもなんでもないただの馬鹿なのだ。

そのため、一定の間合いまで詰めると、ふたりともそれ以上進まなかった。その時、誰かが口を開く。


「へぇ。お前ら、変わった鬼もってんだな」


なんと、プロトオーガの搭乗者が話しかけてきた。


「鬼がはなしかけてきやがったぞ」


オーガとは、戦うだけしか能のないゴリラのようなものだと考えていたため、敵のほうからコミュニケーションをとってきたことにグレイは驚きを隠せない。


「ああ、そういやお前らシラネェのか。執行官クラスの鬼には人間が乗ってるから、冥土の土産に覚えておくといいぜ」


鬼の操縦者はつばを吐き出すかのように言って、4人を挑発する。


「なめんじゃねぇよ」


辰巳は、既に勝つことを前提に話を進めている鬼の操縦者に完全になめられているのが気に食わなかった。だが、そんな辰巳の挑発も無視して、敵のオーガは話を続ける。


「ついでに、俺の名前は『エイト』で、この鬼が『アザゼル』だ。覚えとけ」


エイトと呼ばれる男は、自己紹介と同時に、一礼した。


「ところでよぉ。あいついねぇの?」


アザゼルがきょろきょろと辺りを見渡す。


「あいつ?」

「アザゼルとそっくりなやつだよ。もちろん、知ってるよな」

「そんなやつ、ここにはいねぇよ」


グレイは吐き捨てるように応えた。


「あ、そ」


エイトは、グレイの言葉で気分を害されたのか、大量の邪気がアザゼルの周囲に結集を始めるのである。


「じゃあ、てめぇらを拷問して吐かせるしかねぇな」


そして、大量に集められた邪気を自己の殺気にまぜて、ぐにょぐにょにして放った。一瞬、ふたりはあまりの恐ろしさに身が凍りついた。エイトという男はどれほど邪悪な人間なのであろうかと、想像すら困難を極める。

しかし、その隙が命取りとなる。アザゼルは瞬時に虚物化し、凍りついてしまっているゲイボルグの背後に瞬間移動する。アザゼルの両手が狙うは、ゲイボルグの右腕および左腕。というのも、拷問するといった以上、すぐに殺してはつまらないから、まずは敵の行動を封じるのである。

エイトは、まずは一体目を取ったと思った。


「なに?」


だが、いつのまにか、ゲイボルグの腕とアザゼルの腕との間には対実無効シールドが張られていた。そこに、アザゼルの腕は入り込んでいく。


「グレイ、油断しちゃだめだよ」


メイデンのシールドの一部分がゲイボルグに張り付いていたのだ。そのおかげか、致命傷を避けることができた。


「油断したフリをしてやったんだよ」


どうやら本当にそうらしい。なぜなら、グレイはカウンターを叩き込むために、ゲイボルグ・Dの右腕に暗黒のエネルギーを結集していたからだ。それは全てを枯渇させる地獄の黒炎なのである。


「しねぇぇぇぇ!!」


そして、ゲイボルグの右腕から闇の巨剣が放出される。冥界の力がアザゼルを包み込む。だが、瞬時にアザゼルは虚物化により、どこかへ逃れる。


「ち、野郎はどこいった?」


ゲイボルグは闇の剣を消し、アザゼルを探す。


「はるき!8時の方角!!」


詩季は、そのずば抜けた第6感で、容易にアザゼルの位置を探知した。そのまま、アリスのメンタルスフィアが強く輝く。


「ちっ・・」


アザゼルの両腕がいきなり氷結した。アリスによる外法属性物理方法攻撃である。アザゼルの腕は芯まで氷結してしまい、せっかくセアトを背後から貫こうとしたのに、これでは逆に自分の腕が粉々になってしまう。そのため、エイトに一瞬の迷いが生じる。辰巳はその隙を逃さない。


「あははははは、セアト!!あんたの番だよ」


セアトは、リボルバー式の大型銃を手にもつと、それをアザゼルに向けた。そして、ためらうことなくその弾を放つ。


「そんなチャカなんぞ、アザゼルにはきかねぇんだよ」


そう、物理方法ガードバリヤがアザゼルを纏っているため、通常兵器などはこれにかすり傷ひとつ負わせることなどできはしない。しかし、残念ながら、セアトのリボルバーは特殊である。その弾丸には、外法が仕組まれており、一切の物理法則を無効化するのである。いや、無効化などといったレヴェルではない。むしろ物理法則を反転させ、空気抵抗による摩擦や重力などのマイナス因子を全てプラス化させるのである。したがって、距離が進めば進むほど、その弾丸の威力は驚異的なものとなるのである。なお、外法規則が適用される間の射程距離は短いという欠点はある。


「紛い物の分際で・・」


弾丸はドリルのように螺旋型に激しく回転しながら物理方法ガードバリヤを破り、アザゼルの腹部を粉々に吹っ飛ばした。そこから、どぼどぼと赤い鮮血があふれでる。


「やった!クリティカルヒット」


辰巳はリボルバーを人差し指でくるくる回し、調子に乗る。


「まだだ、はるき。油断すんじゃねぇ」


再びグレイは、冷静にいった。そう、彼のいうとおり、アザゼルから放たれる威圧感は、一向に弱まる気配がないのである。いや、むしろ、それは先ほどよりもはるかに強まってきている。


「結構やるなぁ、おめぇら。いいチームワークだ。手下共じゃあ、到底まねできねぇな」


そう、エイトの発言からすると、まだまだ余裕を滲み出しているのである。明らかに上から目線の発言であった。


「まったくよ、『鬼化』しねぇと勝てねぇんじゃあしょうがねぇな」

「鬼化だと?」

「オメェら、『鬼化』シラネェの?」

「知るかよ」

「まあいいか。てめぇらの強さに免じて教えてやるよ。現形態ってのは、あくまで基本でな、いわゆるエコノミーモードなんだ。それが・・」


そういいながら、アザゼルのメンタルスフィアが何倍にも膨れ上がる。また、筋肉も膨張し、変化の兆しをあらわにしている。外法の世界から、膨大な量のエネルギーを取り込んでいるのか、大気がわなないてしょうがない。


「鬼化すると・・」


アザゼルは完全に巨大なメンタルスフィアに包まれる。それはまるで、夜の東京に突然現れた太陽であり、あたりに緑色の閃光を眩しく放つのだ。しかし、次第にそのメンタルスフィアが元の大きさへと収縮していくと、そこには『鬼化』を完了したアザゼルがいた。


「こうなっちまうんだよな」


もうこのアザゼルは、プロトオーガとしての前形態の原型をなんらとどめていなかった。これはもはや修羅の象徴ともいうべき、極悪の悪魔である。人間の皮膚を全部引き剥がしたかのような赤い肉。そしてなんといっても、肩の部分から生えた巨大な2本の腕が特徴的である。


「じゃ、手加減して悪かったな。これからはマジでやる。死ぬ気でこいや」


ここにいる4人は、生きた心地がしなかった。いったい、どれほど外なる世界からエネルギーを取り寄せてきたのであろう。敵の強さがおかしすぎるのだ。これが、プロトオーガの真の恐ろしさなのである。グレイは思った。この4人でも、絶対に勝てない。


「姿が変わったから何だよ!!」


しかし、辰巳はリボルバーをアザゼルに向けて数発放った。


「はるき、馬鹿!」

「今は、てめぇなんぞに用はねぇ」


他方、アザゼルは虚物化し、あっさりと回避してしまう。そのため、ここらを覆っていた殺気が完全に消失してしまう。

完全にセアトは無視された。辰巳は、侮辱されと感じ、怒りが爆発しそうになる。


「まずは、てめぇな」


アザゼルが実体に戻ったことで、いきなり兇悪な殺気がこの世界に生まれた。それは、背後から突然驚かされるというレヴェルではない。本当に身が凍り、心臓が止まりかねないほどぞっとするのである。


「まもるちゃん!!」


そう、アザゼルはメイデンを狙っていた。このチームにおける防禦の要であるメイデンが最も邪魔なのだ。


「シールド防禦」


瞬時にメイデンは、自己とアザゼルとの間に幾重ものシールドの層を構成する。しかし、アザゼルはそれもお構いなしに肩に生えた巨大な腕を振りかぶった。まずは、対実無効シールドを通り抜けてしまう。


「わりぃな、この腕って虚物なのよ」


そして、合計8枚も張っていた物理方法ガードバリヤを次々とぶち破ったうえで、メイデンのボディにまで到達し、物理効果を生じさせる。


「きゃあああ!!」


8枚の物理方法ガードバリヤにより、物理効果を相当減殺してもなお、メイデンははるか遠方へとふっとばされ、アーマーがばらばらに砕け散っていく。


「まもる!!」


ゲイボルグが上空からバスタード・ソードを振り下ろしつつ急降下する。


「あめぇな。そんなんじゃ、アザゼルの肉は切れねぇぜ」


バスタード・ソードが右の巨大な腕を切り落としにかかる。しかし、切り落とすとまではいかず、完全に受け止められてしまった。


「くそが・・」

「じゃあな」


アザゼルは空いている巨大な左腕でゲイボルグを掴み取り、勢いよくその左腕ごと大地に叩きつける。その結果、ゲイボルグは大地にめり込むような形になり、肢体の節々をあらぬ方向へ曲げられ、動かなくなってしまった。

他方、アザゼルの肉に、弾丸が食い込んでいた。セアトのリボルバーである。弾丸は次々と肉を掘り起こし、その身体を侵襲する。

  

「てめぇの相手は、アタシだ!!」

「てめぇに用へねぇっつったろ!!」

  

突如、アザゼルの右腕が消えた。


「はるき!!上!!」

「・・・!!」

  

そう、アザゼルは右腕だけ虚物化し、セアトの上に置いておいたのだ。そして、そのままげんこつの要領でぶん殴る。セアトは勢いよく地に叩きつけられる。そのまま、セアトは動かなくなり、アザゼルに食い込んでいた弾丸の勢いも死んだ。

  

「あとは、お嬢さん、あんただけだ」

  

アザゼルは、ただ残ったアリスに向かってゆっくりと歩き出した。

  

「おとなしく、奴の居場所を教えてくれりゃ、殺しはしねぇよ」

「絶対に教えない」

  

こんな奴にナインの居場所など教えるものか。鬼に屈するくらいなら死んだ方がマシなのだ。

  

「あんまり女をいたぶるのは趣味じゃねぇけど、どうしてもいわねぇなら遠慮はしねぇ」

  

アザゼルはさらに足早に、アリスの下へと接近する。詩季はどんどん近くで見えるアザゼルのおぞましさを体の髄からひしひしと感じていた。特に鬼の放つ威圧感に過敏な彼女は、人一倍にそのおぞましさを感じてしまっているのだ。そのおぞましさといったら、すぐにでも前言を撤回したくなるほどである。しかし、自分で決めたのだ。もう、ナインには迷惑などかけないと。だから、絶対に逃げるわけにはいかない。

  

「アリス、行くよ」

  

鬼女アリスは、詩季に応えるようにメンタルスフィアを膨張させ、周囲に強烈な烈風を巻き起こす。

  

「やる気満々って感じだな。もう命は保障できねぇぜ」

  

アザゼルは、一瞬で離れたところから、巨大な右腕を伸張させて、アリスを突き刺そうとする。それは、矢のような速さでアリスを襲い、とてもではないが回避できない。

アリスは、物理方法ガードバリヤを何重か張っていたが、その攻撃力はあまり減殺されないで、アリスの身体へ到達する。

  

「きゃあ!!」

  

それは、アリスの右腕が肩から下にかけて吹っ飛んでいくほどの威力である。鮮血を周囲に撒き散らして、その少女のような容貌を汚していくのである。だが、詩季も負けてはいられない。尋常でない長さまで伸びきったアザゼルの右腕を氷結させるのだ。

  

「ち・・」

  

すかさず、アリスは左手に巨大なハサミを手にとり、その右腕を思い切り叩くのである。すると、氷結した右腕が粉々に砕け散る。

  

「虚物化を強制解除する氷か。厄介だな」

  

しかし、アザゼルにとってはそんな腕の1本や2本を再生することなど朝飯前である。すぐにアザゼルの右肩から、泡のようなものが無数に発生し、その泡で巨大な腕を再構成するのである。

  

「だが、それだけだろ」

  

アザゼルはそのまま右腕でアリスをなぎ払う。竹のように軽いアリスは左方向へと飛んでいってしまう。

  

「もう、アンタじゃ無理だ。早く吐いちまえよ。殺しはしねぇからよ」

  

アリスが倒れている地点まで、アザゼルはにじり寄ってくる。

  

「嫌・・」

  

そういって、アリスは敵の右腕を再び氷結させた。もともと気の長いほうではないエイトは、いい加減堪忍袋の緒が切れてしまった。

  

「このアマ!しつけぇんだよ!!」

  

アザゼルは、倒れているアリスの左腕に、巨大な左腕をハンマーのように思い切り振り下ろす。

  べちゃ。

アリスの左腕は原型がよくわからないほどに潰されてしまった。

  

「次は、てめぇの腹いくぞ」

  

アザゼルは、巨大な両腕をアリスにチラつかせ、威嚇しながらどんどん距離を詰める。この兇悪な鬼が近づけば近づくほど、詩季はそこからムラムラと発せられる瘴気に心が破壊させそうになる。

  

(怖いよ・・)

  

詩季はこれほどまでに悪意に忠実な存在など見たことがなかった。足の震えが止まらない。こんなところで死にたくなかった。ナインに対して、謝ってすらいないのに、こんなところで死ぬのはあまりに無念である。それゆえに、怖くて涙が止まらない。

  

(ナイン君・・)

  

だめだ。彼に助けを求めないと自分でそう決意したのを忘れたのか。なのに、いまさら何を考えているのであろうか。だから、絶対にこんな奴に負けるわけにはいかない。例え肉体が切り刻まれようと、この心だけは折ってしまうわけにはいかない。

  

「自分で決めたんだもん。ナイン君には迷惑かけないって決めたんだもん」

  

詩季は涙や鼻水をたらしながら、怖さで感覚の失った腕に力を入れながらなお、立ち上がろうとした。彼女はもうどうしようもないほどにまで、へっぴり腰を決めていたが、それでもかろうじて立っていた。

  

「ナイン君が、頑張れるようにしてあげなきゃって決めたんだもん」

「健気なお嬢さんだこと」

  

アザゼルは、短い方の腕でアリスの顎の部分を掴み、持ち上げる。その上、巨大な腕を逆立てて、今にも襲い掛からんと筋肉をひどく膨張させている。

  

「絶対に言わない!!」

「死ね」

  

アザゼルの左腕が勢いよく飛んできた。

アリスは、何かに勢いよく飛ばされる。

同時に、何か身体の部位のようなものが宙を飛んでいったのが見えた。

その時、アザゼルはその動きをいったん停止させた。

その次に、詩季は誰かの声を聞いた。

  

「すまない」

  

そして、アリスとアザゼルとの間に、よく見知った鬼が左腕をうしなってもなお、アリスを庇うように立っているのをみた。

  

「怖かっただろう、詩季。すまない」

 

詩季は、なぜ自分が謝られているのか理解できなかった。

  

「これからは、もう何処にも行かないから」

  

そして、詩季はようやく認識した。その者の存在を。その者の名前を。

  

「だから・・」

  

詩季はずっと待っていた。会いたかった。優しくして欲しかった。ずっと自分の傍にいて欲しかった。だからこそ、今、その名を呼ぶのである。

  

「ナイン君」

  

詩季は、安心したのか、嬉しいのか、怖いのかもう何がなんだかよくわからないのだが、涙だけが止まらないのである。だが、ナインが自分のもとに帰ってきてくれた、それだけは真実なのだ。あんなことを言って、遠ざけてしまったにもかかわらず、ナインはちゃんと帰ってきてくれた。

  

「俺は、ここに帰ってきた!!」

「ナイン君!!」

  

そして、詩季は其の愛おしき名をもって、叫んだ。

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